言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2008/7/10

的鯛、ターゲット・ドーリー
神と言葉
20・7・10
昨夜、NHKテレビ番組の「其の時歴史が動いた」で、松尾芭蕉を取り上げているのを見た所為か、今朝のメッセージは、言葉の世界に付いて映されて来た。其れは、昨日のメッセージで、男性の声が聞こえた事と、関係が有るのかもしれない。
私の、是までの研究で解かって来た事は、言葉や文字は、全て男性側が関わって創造されて来た物であり、女性は関係無い世界であると言う理・ことである。
関係無いと言うか、小鳥の雄が縄張りを主張したり、雌を呼ぶ為に、鳴き声を発達させて来た事と同じく、鳴き声や言葉は、雄が、雌を獲得する為に開発して来た世界であると言う事である。
其れは、雌の方が、子供を生み育てる事に対して、補助的に生じて来た事であるから、雌の立場の方が、主体であるのだから、女性は自信を深めるべきであって、気にする必要の無い世界である。
昨日からの、霊界の様子を察すると、女性の存在を支える為に、男性は、新しい言葉や文字の、製作に入らなければ成らないと言う事である。
其の為に、昨日「松尾芭蕉」の番組が放送される様に、霊界が日程を仕組んでいたのであろう。其れが、「森羅万象ことごとく 神の管理の下に在る」と謂う事である。
言葉や、文字を、創出すると言う事は、新しき概念と言うか、価値観を創出する事であるので、理論好きな男性の出番であると言う事に成るのだ。
今朝のメッセージの映像は、左の上の神(四次元世界)にある文字と、右下にある人間世界(三次元)に書かれている文字の、刷り合わせが行われる場面である。そして、一番先に刷り合わされる様に成った文字は「道・衜」であった。
日本語の「みち」に当られている漢字は、「道・衜」の他に「路」があり、「みち」に其の両方を当てて「道路」として使っている。
「路」の方は、「足で歩く所を 各各決めて、整備されている道路網」の象形であるので、路は現在のままで、絵文字に転換して、IT・PCで磁気信号として使用出来る文字である。
しかし「衜・道」の漢字の方は、「行+首+手」の組み合わせで、字義は「自分の イメージを受け入れない人物の首を刎ねて 手にし 行く先を清める」との意味である。
其れは、古代社会では正しい概念であっても、現代社会の概念では、ヒットラーの行為以後、国際的には認められないし、人道的にも認められない概念であるので、道に付いては、新しい文字を創る必要が有るのだろう。
其れは、老子でさえ「道徳」と謂って、其の道の漢字を真っ先に持って来て、「玄より生じたモノに 名前を与えなければ 其れが認識出来ないので 仕方無く道と名付け様。しかし 道と名付けたら もう其れは道ではない。」と謂って、道の字を使っているので、老子でさえ「道・タオ・トウ」の漢字以外の言葉を創ってはいない。
其れは、老子の立場が、単なる王様の図書館の執務管で、文字を創り変える権限を持たなかったからであろう。
漢字の存在は、白川静氏が謂う様に、神と、人間のコミュニケーションの為に、創造されたモノなのである。
其れは、旧約聖書の「言葉は神であり 其の神の名は72音である」との概念とも、共通しているのである。
人間は、文字を目で見た時、脳では音で読んでいるし、物ごとを考える時も、言葉を選択して、音で意味を組み込んでいるのである。
だから、密教の弘法大師空海は、其の「マントラ・真言」を意識して「真言宗」と名付けたのである。其れは、文字と、言葉と、音の関係性を示しているのである。
今朝のメッセージは、是までの言葉を使って、短冊や、絵馬に、願いを託すのではなく、正しい言葉を使って、自分の意識の中で、森羅万象とコンタクトを執る様に指示して来ているのだろう。
本来、神社のお札や、寺院の護符などは、みな神仏に御加護を依頼するモノではなく、其の書かれている言葉に拠って、自分の内側に認識を置く為の、一つの手段なのである。
だから、自分自身が、其の認識を内側に起こさない限り、良い結果は生まれないのである。其の為に、何回も、自分の耳に聞こえる様に、声に出して、祝詞や経を読むのである。
其れは、耳を通して、時間と空間の螺旋・渦巻きに、影響を与える事なのである。
しかし、森羅万象は絶え間なく流転しているので、何時までも、古い言葉や概念が通用する分けではないのである。
宇宙の次元が、進化しているのに、其れに、合わない祝詞や経を読んで居ても、音叉としての響きが、森羅万象の玄の響きには共鳴しないのである。
だから、今朝のメッセージは、先ず「道・タオ」の概念を新しくし、其れに合った文字を創って、脳の磁気信号の組み換えを行えとの事ではないだろうか。
其れは、老子の「道・タオ」だけではなく、釈迦の「法・ダルマ」や、イエスの「永遠の命」の言葉に代る、新しき言葉と、其れを表記する文字を、早急に創る必要があると言う事である。
其の文字を、先ず決定しなければ、次への作業が、進まないとの事ではないだろうか。
私には「風 麦東 陶・ふうれんとう」と「讜 逓 聖・とうていせい」の言葉が以前に告げられて来ている。
「讜 逓 聖」とは「真実に当っている事を 次から次に伝えるひじり」との意味であり、「風 麦東 陶」とは「風習を練り鍛えて 人々を導き訓える」との意味である。
其の「「讜逓聖」の「讜・当」が、今朝のテーマと成っているのではないだろうか。
「言葉の智慧袋」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/
「老子の気持ち」 http://star.ap.teacup.com/2007313/376.html
今朝のメッセージが、先ず「道・タオ」「法・ダルマ」に代る、新しい言葉と文字を考えろとの事であるなら、其れに当る物を、今日から模索しなければ成らない。其れは、日本語での「其れ」の「それ」に当るのだろう。
其れを、何と、謂い表わせば良いのか、今朝の処は、未だ良い考えが浮かばない。
いま考えられる理・ことは、其れが明確に成れば、お札や護符に頼る人間の気持ちが、無くなると言うことである。
今朝は、昨日の番組で、松尾芭蕉が「5・7・5」の17文字で、森羅万象の景色を表現し始めた事よりも、更に、難しい世界を、私に示して来ている様である。
教育改革が叫ばれている今日、一番大事な事は、言葉や文字を正しく理解する事である。言葉や文字が、正しく解釈されて、使用されない限り、数学や理科の問題集も、正しく理解する事は出来ないのである。
其の事を考えると、先ず、読み書きを正しく指導しなければ成らないのである。其の為には、先ず、教師の方々の教育から遣り直す必要がある。
私は、地元の神山小学校5年生の、野外教室の先生を4年間遣って見た。
そして、子供達が、漢字に興味を抱く事は実感したし、担任の先生も驚いて「学校の先生が こんな風に漢字を教えてくれたら 私も もっと漢字を覚えられたのに。」と、感想を述べて居た。
「自然と子供達」http://green.ap.teacup.com/20060819/
其の事からも、理解出来る様に、言葉や文字は、人間の意識にとって、非常に興味深いものなのである。
何故なら、人間の脳、其の物が、言葉や文字の使用に因って、進化を遂げて来たものだからである。
だから、言葉や文字の存在は、人間の脳にとって一番刺激ある、食べ物であると言う事に成るのである。其の事に、一生を捧げたのが、俳聖である松尾芭蕉であるのだ。そして、其の松尾芭蕉こそ、耳の器官である蝸牛を、生かし切った人間であると言う事である。
其れは、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」「葱買うて 枯れ木の中を 帰りけり(落ち葉を踏む音)」の俳句は、「音」を基調として創作されているからである。
其の、芭蕉の音の世界を、能く吟味すれば、日本人の聴覚・蝸牛が、如何に優れているかが理解されるのである。
其れは、西洋人には、虫の声が、雑音にしか聞こえない事で明らかである。
日本人の右脳が、如何に、本来の働きを失っていないかを、世界に示す為にも、是からの日本の役割は、人類全体にとって大事であるのだ。
今朝は、前の文章の言葉を検索していて、「しろしめし本番」の文章が出て来た。其れには、今朝のテーマである俳句の事を書いて有るのである。
此の文章を読んでも、私の背後には、言葉に長けた御仁が、存在する様である。
「しろしめし本番」http://green.ap.teacup.com/20060818/566.html
今朝は、茨城の森山さんから電話が有り、今朝見たビジョンを知らせて来た。其の内容は、森山さんが、古代の白い服を着て、仙人の様な杖を突き、数名の小柄な人達を連れて、山の八合目まで登って居たとの事である。
そして、次の映像は、小麦粉や他の穀物が安く成るので、皆が喜んで居たとの事である。
此の森山さんのビジョンは、古代の聖者の思惑が、もう直ぐ頂上に辿り着く事を意味しており、そう成れば、小麦粉や他の穀物が安く成って、皆が喜ぶとの事である。
其れは、日本から世界に向けて、新しい価値観が広まれば、小麦粉や他の穀物が安く成るとの事である。
何故、現在小麦やトウモロコシや大豆が値上がりしているかと言うと、小麦やトウモロコシが、牛や豚や鶏の餌や、車の燃料とされているので、不足気味に成って来ているからである。だから、肉食が少なく成れば、人間の行動は大人しく成り、小麦粉や大豆は安く成って来るのである。
其の小麦粉は「風 麦東 陶・ふうれんとう」の「麦東・れん」が「錬・金篇・鍛冶屋」「練・糸篇・織り物」「煉・火篇・あんこ屋」の「レン」ではなく、「麦篇」でパンの生地をねかす・練る事を意味しているので、私へのメッセージと繋がっている事に成るのである。
其れを考えると、私に「風 麦東 陶」や「讜 逓 聖」と告げて来た聖者は、もうすぐ頂上に達するとの事である。
其の、残り二合目の登り道が、今朝示されて来た「道」の文字にも関係が有るのではないだろうか。そうであれば、「讜 逓 聖」と「風 麦東 陶」の言葉に、其のヒントが隠されているかもしれない。
森山さんは、今年の5月6日から9日まで、ヨーロッパを旅行して来たとの事である。そして、7日の朝は、オランダ国のアムステルダムに泊まって居て、誰かに、右足を両手で捕まえられる夢を見て、8日はサンピエール大聖堂を見学する予定でフランスに泊まっていて、其の朝に、皇居の二重橋のたもとに自分が立って居ると、美智子さんが布を頭に被って出て来て、森山さんの腕の中に倒れ込んで、死ぬ夢を見たとの事である。
美智子皇后の実家である正田家は、日清製粉であるので、小麦を輸入して製粉し小麦粉を売っている。
美智子さんが倒れて死ぬと言う事は、実家の製粉会社が倒産するとの意味ではないのだろうか。そうであれば、森山さんの今朝の夢は、5月8日に見た夢と繋がっている事に成る。其れに、私にも「美智子柱が倒れる」とのメッセージが来ているので、現在の皇族の血筋の継続には、何等かの問題が有るとの事ではないだろうか。
「美智子柱が倒れる」http://green.ap.teacup.com/20060818/561.html
(今日は ニュースで小麦粉が2t盗まれたと 報道されている。是も 偶然ではないのかもしれない。)
今、神奈川の高橋智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンを知らせて来た。其れは、男性と三名で建物の外に出て外を見ると、空中に、40mぐらいの背丈の有る外人風の髭を蓄えたお爺さんが、白いローブの服を着て、仙人の様な杖を付いて浮かんで居たとの事である。
其れを見ていると「高い祖霊が検出されました」との声が聞こえ、側に居た男性が「だから 貴女が呼ばれたのだ」と云ったとの事である。
「高い祖霊」とは、天皇家で云う「皇祖」の事であり、妙見宮で云う処の「御祖神・みおやかみ(天御中主神・あめのみなかぬしのかみ)」の事ではないだろうか。其れは、イエスの云う「天の父」である。
今朝の、森山さんのビジョンと、高橋智恵美さんのビジョンは、共通したものがある。其れは、私を捜しに来た「無庵師匠」を動かして居た神と、同じものでもある。
今朝の、三人のビジョンを合わせて考えると、いよいよ男性の「御祖神・みおやかみ」が動き出すとの事であろう。
其れは、人間が、自分自身の意識の的を、定めなければ成らないと言う事である。其れが、決定出来ない者は、未来への道を、歩き出せないとの事でもある。
平成20年7月10日
礒邉自適
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