言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2008/12/7
カメラの位置が替る
20・12・7
愈々、明日12月8日は「釈迦牟尼佛」が成道した日であり、太平洋戦争が始まった日で、ジョン-レノンが亡く成った日でもある。
其の日を前にして、今朝映されて来たメッセージは「カメラの位置が替る」と言うモノであった。
其れは、私が24年前、此の神の世界に入った時に、「全てを写真に撮れ」と告げられた事が、カメラの位置が替る事を、意味しているのであろう。
私は、此の世界に入ってから24年半、何時もカメラを手元から離さず、日々の記録をカメラに収めて来た。
だから、デジカメとPCを揃える三年前までは、フィルムのカメラを使い、保存して在るネガは相当量有るし、大きなアルバムも60冊を越えている。
其れは、現在HPの制作や、文章の挿絵として役に立っている。
しかし、今朝のメッセージは「カメラの位置が替る」との事なので、私が撮る側から、撮られる側に替わるとの事ではないだろうか。
其れは、大きな変化を示している。
何故なら、カメラマンは第三者として、客観的に現場を視る目の立場である。処が、撮られる側は、現場に直接関わって居る立場だから、現実を動かす実質を意味しているので、第三者的な立場ではない。
今朝のメッセージには、現実世界を動かす為の、様々な場面が映されて来た。其れは、次の様に成る。
1 板張りの広い部屋に、事務所が開設される為に、机や備品が運び込まれつつある。
2 会社組織設立の為に、会社の名前と成るロゴが幾つか現れて来た。
3「NOC」の文字で、日本から全域的なカンパニーの設立の意味。
カンパニー(俗ラテン語)companio(一緒にパンを食べる仲間の意)から、会社。
商会。商社。ふつうCo.と略記する。
其れ等のメッセージは、昨日のメッセージに続くモノで、新しい経済システムか、社会体制を、整えろとの事であろう。
其れと、今朝、私が感じた理・ことは、神の世界には人間の言う「スピリチュアル・精神的世界」は無いと言う事である。
何故なら「神・天」の意志は、全てを、物の形で管理しているからである。
其の、物とは、物質や人間の身体だけではなく、音や文字等も含んでいるのである。
だから、人間の「宗教(リリジョン・religion)」とは、自分の存在と、身の周りの環境の管理を、神に委ねる事なのである。
其の、神の管理に身を任せる事が、日本語の「惟神・かんながら」であり、親鸞の謂う「自然法爾・じねんのうに」の意味なのである。
何故、24年前の11月21日の夜中に、伊勢の磯部町で現れた神霊が、「過去に八回失敗して 今回が九回目で 最後のチャンスである」と告げて来たのか、其れは、人間が此の世の管理を、自分でするとの自我を抱いた為である。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
今回が、人類の最後の「アセンション・次元上昇」であるとの事だから、今日から始まる行動は、失敗が許されないのである。
2600年前の12月8日に「釈迦が成道し、1941年12月8日に太平洋戦争が始まり、1980年12月8日にジョン-レノンが死に、1997年12月8日に、私は始めて伊勢の「伊雑宮・磯部の宮」に参拝している。
其れ等の事柄も、皆「神・天の意志」の管理下にあるのである。
其の様に考えると、明日の会合は、特別な物と成るのであろう。そして、本日の21名の集いは、其の前夜祭と言う事に成るのだ。
釈迦は、自分の城に帰ろうにも、自分の実家の城は敵国に滅ぼされて、帰る家を失っている。だから、自分が理想とする政(まつりごと)を行おうとしても、其れは不可能であったのだ。
其の釈迦牟尼佛の想いが、是から、漸く実現に向かうのかも知れない。
「カンパニー」とは、ラテン語で「一緒にパンを食べる仲間」の意味であるとの事。其れは、イエスキリストの「最後の晩餐」の食卓風景であり、イエスの言葉の「一緒に食事をしなさい」との訓えの意味に通じている。
そして、知れは、日本語の「同じ釜の飯を食う」と、同じ概念である事が解かる。
本日は、正に、其のカンパニーの始まりと成るのである。
日本の伝統文化である「惟神の道」の儀式は、神霊の命日に祭典を行い、供養の為に御供えした食べ物を、儀式が済んだら下げて、参加者全員で「直合・なおらい」と称して、飲食をする。
其れも、神霊までも交えてカンパニーする事である。
そして、その場には、飲食物だけではなく、お神楽の音楽や、踊りも奉納されるのである。
今日は、未だ、ジョン-レノンの御霊の供養する為の、音楽は用意されていない。せめて、ジョン-レノンの「イマジン」のCDを、鎮魂の前夜祭として掛ける事にしようか・・。
今日は、是から、地鶏とスッポンを捌いて、今夜の直合の準備をしなければ成らない。
今日は、メッセージに「純粋に従う者を大事にしろ」との言葉も有った。
其の言葉で、自分の身の周りの状況を良く見ると、確かに、皆の協力で、本日の催しも順調に進んでいる。
空港への迎えは、小林竜也氏が行ってくれるし、屋久島料理は「キッチン浜崎」の「浜崎つやのさん」が、会場の準備は「西川良明氏」が、参加者の手配は「藤田邦子さん」が、其々動いて下さっている。
確かに、女神が告げて来た様に、自分の「環・たまき」に現象が始まっているのだ。
其れが、神の働きに、自分の身を委ねる事であり、神が、全てを管理しているとの事であろう。
昨日は、午後、何気無しに、事務所の外に出て見ると、東北の方向の2Km程先の所に、大きな虹が低く出ていた。
其の場所は、本日夕方から集いが行われる、小林竜也氏の自宅の場所である。其れも、神が森羅万象を管理している、証明現象の一端なのかも知れない。
聖書には、「もう 洪水で人類を滅ぼす事はしない、是からは、虹をメッセージとして使う。」との記述が、有った様な気がする。
「虹」の漢字は「虫+工」の組み合わせで、虫は龍の略字であり「龍が造る・工事する」との意味である。
其れを考えると、「大山祇神(おおやまのみ)・海神(うみのみ)」の「巳・み」が、「紀・トキ」を動かしているとの理に成るのであろう。
平成20年12月7日
礒邉自適
2008/12/4
最後の12月6日
20・12・4
今朝のメッセージの映像では、私が生まれ育った故郷の、松峰地区の東方の角から、南に向かって、誰だか判らない男性と二人で歩き出した。
そして、新しく切り開かれた小道と、前から有る古い大道の、中間の森に入ると、清水が大量に湧き出して、川に成って流れ出している場所に行き着いた。
其の、清水の湧いている所まで、私と同行した男性の影の存在は、私を此処まで導いて来た精霊なのであろう。
其の精霊とは、東方の守護神である青龍の化身なのかも知れない。
何故なら、「青龍」は、水の護り神であり智慧の神だからである。
良く考えて見れば、深い森林の緑は、水が、太陽に向かって上に伸び上がった物である。
其れを考えると、水こそが、生命其の物と言えるのではないだろうか。
人間の生命も、鶏の卵と同じく、情報を持った水玉(卵子)から成長した物であり、大人に成っても、人間の体は60%以上が水である。
其の理・ことを考えると、人間は、水のバイブレーションで存在している事に成る。
そして、其れは、人間だけではなく、「水母・クラゲ」や「蛞蝓・なめくじ」に始まり、全ての地球生命に当て嵌まる理である。
(だから 神話で 最初に生まれた事に成っている物は 骨の無い蛭子なのか・・)
今日はメッセージの中で「最後の12月6日」との言葉が告げられて来た。
「12月6日」とは、私が「森の木」のHPを、東京BBSを運営していた小泉義仁君に頼んで、2000年12月6日に立ち上げた日付である。
何故、私が2000年12月6日にHPを立ち上げたかと謂うと、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、私が此の神の世界に入った時に、「残り16年半」と告げられ事に起因している。
「16年半」の数字は、神武天皇の兄弟が「塩土爺・しおつちのおじ」に「奈良に行って国を治めろ」と告げられて、南九州を出発して、奈良で政治を始めるまでの年月である。
私は、1984年11月半ばに屋久島を出発して、16年半全国を回って「瑞穂の国造り」に努力をしたが、新しい国を、約束の「16年半(2000年12月4日)」で立ち上げる事が出来なかったので、出雲の安部忠宏氏と共に12月6日の日付で、二つのHPを立ち上げたのである。
「森の木(新)」http://jite-jyu.main.jp/furento/mo/morinoki-site/morinoki-hp.html
今朝は、其の他に、ミュージカルの様なモノが、行われる映像が映されて来た。其の映像では、大きな劇場の二階の良い席に、私の弟が付き添って、母親が座って居た。
私は、見物する役割ではなく、舞台で演じる側の人間らしく、弟に「私の衣装を 何処に置いたか」と訊ねた。
すると、弟が「知らない」と云うので、私は一旦、其の劇場の建物から外に出て、建物の裏の物置の方に向った。
すると、其の入り口は、三枚組みの雨戸式の戸に成っていて、一番左側の戸が動かないので、開く事が出来ないのである。
私が困っていると、其処に女性が一人来たので、其の人に頼んで一緒に押すと、漸く戸を開ける事が出来た。
そして場面が変り、私は日の当る学校の校庭らしい場所に立って居た。
どうやらミュージカルの舞台は、学校の様である。
私が、校庭に立って居ると、其処に女教師が遣って来て、私に教育内容の説明を求めるのである。
私が、未だ、具体的な教育プログラム(脚本)を組んでいない事を伝えると、其の女教師は「其れでは 教室(舞台)を開く(開演)事が 出来ない」と云うのである。
私は、自分一人では出来ないので、女教師と共に、父兄の方々に相談する事を決めた処で、其の映像は終わった。
此の劇場に関するメッセージの意味は、戸を開ける(岩戸開き)のにも、学校の教育にも、女性の手を借りなければ、出来ない事を意味している。
そして、其の事を始めるのが、私の役割であり、其の舞台が是から始まるので、「母神」を意味する私の母が、息子の出来を見る為に、劇場の二階の一番良い席に座って居たのであろう。
しかし、私の母親は、弟の介添えが無ければ、劇場に足を運べないとの事である。
実際に、私の母親は6月4日で満88歳を向かえ、残り時間は少なく成っている。
だから、母親が、私の本番の姿を見られる期間は、残り少ないのである。
何故、12月6日を2日後に控え、母親の姿が劇場の二階の一番良い席に座って居たのであろうか。
其の意味を考えると、私が神の世界に入ったのは、母親の64歳の誕生日の6月4日だった事である。
何故、64歳と、6月4日の「6・4」で、なければ成らなかったのであろうか。
其の事を考えると、私の人生とは、私が中心であるのではなく、雌である母親の人生を完成させる為に、在る様な気がして来る。
其れだと、私を動かしている働きの裏に、女神が、存在する事の分けも解かって来る。
其れは、生命の世界は「女性・雌」の存在が、基本であると言う理・ことである。
6・4の数字は、足すと10である。
其の数字からすると、生物の存在とは、重要度が、雌が6で、雄が4の比率であるとの理を、示しているのかも知れない。
其れは、蛙やカブトガニ等が、卵を産む雌の方の体が大きい事や、天界の鳳凰が、鳳は雄で、凰は雌で、雌の方が雄より何倍も大きく、凰(雌)の後に鳳(雄)が付いて、飛んでいる理・ことに成っている事の、意味も理解されてくる。
其の意味を考えると、今朝のメッセージの内容である学校教育の在り方や、昨日の「公人招来」の、男性の修養の場面の関連性も見えて来る。
其れは、人間の教育の一貫性を示すモノである。
12月7日から、本番が動き出すのであれば、私は毎日こうして10数時間も、PCの前に座って作業を続ける事は、出来なく成るであろう。
其れは、私の行動其のモノが、「生長の家」創始者の谷口雅春が謂う「実相」の世界の発露であり、現実其のモノであり「現人神・あらひとかみ」の存在であると、言う事に成るのだろう。
其れが、12月1日の「此れは 全て お前自身」との、女神の言葉の意味なのではないだろうか。
其れを考えても、女神(イシス)が6で、私(オシリス)が4の比率が見えて来る。
其れは、実相の世界が雌で6であり、世間虚仮の世界に生きる我々は4であると、言う事に成ってくるのである。
確かに、私の人生は、オシリスの心身の様に、ボロボロで傷付いている。
其れを、軟らかい羽根で、優しく胸に包み込んで、癒やしてくれるのは「女神イシス」の存在である。
何故、生産の神であるオシリス神は、弟の妬みに拠って殺され、肉体をバラバラにされて、ナイル川に流されなければ成らないのか。
其の後、妻であり妹神であるイシスに助けられて、冥界の王と成るのである。其処にも、川水・彼岸の秘密が隠されているのであろう。
オシリスの神話は、植物の夏の繁茂と、冬枯れの自然のサイクルが、モチーフと成っているとの事である。
私が、今朝考えたのは、人間の智慧の発達は、夏と冬の季節の変化が、創り出しているモノではないかと言う事である。
何故なら、中国河南省(北緯32度付近)生まれの老子、ネパール(北緯27度42分)生まれの釈迦、ナザレ(北緯32度42分)生まれのイエスも、私と同じ北緯30度付近で生まれ育っている。
其れは、釈迦が生まれたネパールは、少し南であっても海抜が高いので、皆同じ季節の四季の移ろいが有る所である。
人間の意識は、寒すぎる所では生活に余裕が無いし、暖かい所では冬の厳しさが無いので、ボーッとしてしまうのである。
其の様に考えると、公人招来の場所や、教育の脚本を書く人々は、北緯30度付近生まれの人々に拠って、為された方が良いと言う事に成る。
草原生まれであるジンギスカンのパターンや、常夏の島にて裸体で暮らせる民族の思考では、人類全体の思考の縦糸を紡ぐ事は、出来ないであろう。
其の様に考えると、智慧の神である「青龍」が活躍できる地域は、おのずから限られてくると言う事ではないだろうか。
其れは、赤道付近の木には年輪が無いし、寒い所に生える木は年輪が小さい事も、参考に成るであろう。
12月6日まで、残り2日をどの様に過ごせば良いのであろうか。
明日5日には、小林竜也君の友人が、鹿児島から日帰りで訪ねて来る事に成っている。
此れから若者達に、人生や教育の事に付いて、どの様にアドバイスして行けば良いのか、真剣に考えて行かなければ成らないのであろう。
そして、人間社会に新舞台を創造する為には、女性の力を借りなければ成らないのである。
現在小林竜也君が、私の自適塾のHPの内容を叩き台にして、世界に向けて新しい情報の発信の準備をしつつある。
其の事も、12月6日を区切りにして、大きく発展するのかも知れない。
其のテーマは、「Resound・リサウンド(大自然との共鳴)」で、漢字の「響・ひびき」の概念と同じ理である。
其れが、ミュージカルの大きなテーマであるのだろう。
「Resound・リサウンド」http://green.ap.teacup.com/20090421/19.html
自適塾「ひとの生き方」http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/top.html
平成20年12月4日
礒邉自適
2008/12/3
公人招来
20・12・3
昨日は、屋久島中が雲一つ無い快晴であった。
其の良い天気の中、一昨日来島した「東山天母(あも)さん」を案内して、午前9時から、高平岳の山の入り口に存在する「大山祇神の祠」で、大山邦博氏の先達の下、五名で東山天母さんの神行30年の完了の儀式を行った。
そして、儀式が終ると、私の左手の親指にカモ(神の電気信号)が来た。
其れから、東山天母さんが「海の神社に行きたい」と云うので、大山邦博氏と別れて、四名で小瀬田の海岸に存在する「熊野神社」に向かった。
熊野神社での儀式が済んで、順番にお参りをすると、私に「たからべ」との言葉が告げられて来た。
其の時、カメラの時刻を見ると「12時8分」であった。
其れから、鳥居から海岸への階段を下って、海に御酒と白百合を奉納して、今回の、海と山の儀式は全て終了した。
今回の「東山天母さん」の神行は、岐阜高山の自宅を出て、北海道から21日間掛けて下り、一度高山の自宅に寄って、其れから又21日間掛けて、屋久島を最終ゴールとして下って来たとの事である。
東山天母さんの話しを聞いていると、私の24年間の神行より、年月も30年間で6年長いが、肉体的にも、大変だった様である。
其の様子を聞いて、私は自分の事を、偉そうに、他人には云えないなと意った次第である。
海の儀式が終ってから、宮之浦の「艮・ウシトラ・北東」の鬼門の方角に在る「釈迦堂」で祈った後、昼食を楓庵で四名で済ませてから「俊子さん」と別れ、我々三人は、時計の針と反対方向に屋久島を回った。
先ずは、島の「子・ね・真北」である矢筈岬で御祷りをし、「乾・いぬい・北西」の方角の永田の海亀産卵日本一の「いなか浜」で祷った後、西部林道の真西を通過して、5時に「大川の滝」に着き、滝を見学してから「坤・ヒツジサル・南西」の裏鬼門である「栗生キャンプ場」の海で御祷りをして、全てが6時に終った。
其れから、「尾の間温泉」でゆっくり入浴して、事務所に帰り、三名で夕食を済ませ、私は、昨日の文章をアップしてから、二人を「藤田さん」の自宅に送って行った。
そして、私も11時には宿舎に帰って、ベッドに入った。
そして、久し振りに夢も見る事無く、グッスリと眠った。
そして目覚めた時は、未だ夜明け前だったので、暫らく瞑想をした後、また横に成って眠った。
すると、何処かの建物の部屋が映り、其処に、机に向かって、文章を書いている男性が居て、身の回りのお世話をする、30代の女性が一人居た。
其の建物は、図書館と、温泉施設と、食事と宿泊が出来る、建物であるらしい。其の映像の後、「公人招来・こうじんしょうらい」との言葉が、告げられて来た。
其の「公人招来」を大辞泉で調べると、
「招来・ショウライ」人を招いて来るようにさせること。「外国から研究者を―する」[類語] 招く・呼ぶ。
「公人・おうやけびと」朝廷に仕える人。官吏の類。大宮人(おおみやびと)。
「公人・コウジン」公職にある人。公務員・議員など。また、社会的な立場にある場合の個人。 と 載っている。
と言う事は、「仙人」の様に、山中に一人で暮らす生活でもなく、「俗人」として、巷(ちまた)の世間に暮らすのでもない、中間位置に属する男性の生活の場を、造れとの事ではないだろうか。
其れは、中国の「竹林の七賢人」の世界ではないが、男性が、本来の役目である智慧を蓄える場所であると言う事に成る。
其れは、人類の精神的成長が、止まってしまっている現状を打開する為に、新たな、男性の智慧を練る場所を準備して、「公人招来」を行えとの事ではないだろうか。
其の様に、神が伝えて来ると言う事は、現在の大学や、天皇家や、王室や、神社や、寺院や、教会には、其の様な御仁が居ないと言う事であろう。
其れに、其の様な人物が存在したとしても、現在の世の中の風潮では、日の目を見る事が出来ないので、其の様な御仁・義人が、世の中に認められる様に、しなければ成らないと言う事ではないだろうか。
其れを考えると、是から、屋久島で始まる「ルーアンの道」の村造りは、とても意味が有ると言う事なのかも知れない。
今日は、11時からヘリコプターに乗って、「屋久島おおぞら高等学校」の工事の様子や、ルーアンの道建設予定地全体の、航空写真撮影をしなければ成らない。
昨日判明した事は、小瀬田集落は、正月の門松が「松竹・しょうちく」ではなく、椎の木と竹の「椎竹・しいちく」という事である。
昨日の儀式で、私には「たからべ・財部」と告げられたが、東山天母さんのビジョンには、「打出の小鎚」と、黒檀製で金の飾りが着いた立派な「扇・おうぎ」が現れたとの事である。
其れで、私が思い出した事は、1997年8月23日に、私のビジョンに美しい「弁財天」が現れて、宝船に乗って出発したので、私の意識が、其の船に付いて行くと、大きな椎の木が生えている場所に着いた事である。
そして、椎の木に到着すると、其の映像は消えたので、其の弁財天と宝船の事は、解からずじまいであった。
処が、10月16日に出雲の安部忠宏氏と知り合いに成り、出雲に行くと、其のビジョンに現れた椎の木は、安部忠宏氏の自宅の近くに在る「佐世神社」に、御神木として現存したのである。
其の椎の木は、素戔鳴尊が植えてから六代目の木だったのである。
オマケに、9月11日に夢に現れた木も、安部忠宏氏が生まれた横田町の「伊我多氣神社」に実在する欅の木だったのである。
伊我多氣神社の御祭神は、素戔鳴尊の次男「五十猛命・いそたけるのみこと」である。
「木の霊」http://moon.ap.teacup.com/20060615/42.html
「宝船(船口)」http://green.ap.teacup.com/20060818/110.html
其の事を考えると、今年の2月8日に、麦生地区の素戔鳴尊が祭神である「大山神社(祇園様)」で、「中川かえでさん」に告げられて来た、素戔鳴尊のメッセージも繋がって来る。
どうやら、椎の木と、素戔鳴尊と、弁財天は関係が深い様である。
此れまで、小瀬田地区だけが、どうして松ではなく「椎の木」であるのか疑問に思って居たが、此れで、謎解きがまた一歩進んだ様である。
「此の島に始まる計画がある」http://moon.ap.teacup.com/20060615/130.html
是で「東山天母さん」が、本当に神行が済んで、普通の人生に返れる事を祷りたい。
是からは、男性の本当の修行が始まるのである。
但し、其の事を、何人の男性が自覚出来るかに、掛かっているのだ。
平成20年12月3日
礒邉自適
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