言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2009/1/23
龍の落し子
21・1・23
今朝のメッセージの映像は、龍の落し子が現れて、其の尻尾が、ミミズの様に、細い物に絡み付くのが映されて来た。
そして、組み替る数字が、幾組みも現れた。
次ぎに、また龍の落し子が現れて、今度は、ガラスの試験管の中に入っている別の龍の落し子に、恋をしているかの様に振る舞っていた。
今朝のメッセージは、昨日の「ボルト・ねじ」が、龍の落し子の尻尾と成って、現れたのであろう。
其れは、時間・トキが固定した事を、意味しているのかも知れない。
「龍」の漢字は、冠を着けた蛇の象形で、蛇の王様を意味している。
其れは、「虹」や「風」の漢字に使用されている、「虫・チュウ・むし」と同じ意味であり、虫も「蛇・まむし(真虫)」の象形である。
「虹・コウ」は「虫(龍)+工」で「虹は龍が作る」の意味で、「風・フウ」は「几(帆)+虫(龍)」の組み合せで「龍の息吹で 船の帆が膨らむ」との意味である。
其の理を考えると、今朝は、私の意識が龍の次元に達し、落ち着く所に、落ち着いたとの事ではないだろうか。
其れが、「龍の落し子」との言葉に合っているのかも知れない。
今朝の映像では、其の、物に尻尾を巻付けた、龍の落し子の意識は、数字の組み合せが自由に出来るか、数字の拘束から自由に成ったかの、どちらかの意味を含んでいた。
其れは、遺伝子的要素に絡む物で、龍の落し子は動物の様な形だが、ヒレを持つ魚であり、雄が卵を抱えて子育てをするので、生物の中では、比較的自由な立場で、生を営んでいる事になる。
其れを考えると、遺伝子の世界では、言葉の情報ではなく、数学的に情報が組み込まれている理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
しかし、其れでも、DNAを継続すると言うか、子孫を残す為には、雄の方が、雌に恋をしなければ成らないと言う事である。
其れがなければ、其の生物は絶えてしまうのだから、生物の雌雄が引き合う行為の恋は、本能として、食欲に次いで一番大事な理・ことであり、生物の存在には、切っても切れない「真理・道(タオ)・法(ダルマ)」である事に成る。
そして、其の自由な遺伝子を持つ龍の落し子は、殆んど、泳ぎ回る事なく生活しているので、大日如来的な立場で在る事になり、仏陀の様な有様でもあるのではないだろうか。
其れは、龍の落し子が、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置け」との理・ことを、行じている事に成る。
・「龍の落し子」タツノオトシゴ(竜の落とし子)、またはウミウマ、カイマ(海馬)は、狭義にはトゲウオ目・ヨウジウオ科・タツノオトシゴ亜科・タツノオトシゴ属に分類される魚だが、タツノオトシゴ属(Hippocampus属)の魚の総称としても用いられる。
およそ魚には見えない外見と、オスが育児嚢で卵を保護する繁殖形態が知られた分類群である。
タツノオトシゴのオスの腹部には育児嚢(いくじのう)という袋があり、ここでメスが産んだ卵と稚魚を保護する。タツノオトシゴの体表は凹凸があるが、育児嚢の表面はなめらかな皮膚におおわれ、外見からも判別できる。そのためこれがタツノオトシゴのオスメスを判別する手がかりとなる。・・・
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
今朝のメッセージでは、最後に、小さな文字で、長い文章が現れた。
其の文章には、所々に、数字が混入していたので、何かの論文の様な物なのであろう。
私が、其の様な文章を書けるかどうかは怪しいので、誰かが、書くと言う事なのか、アカシックレコードに記録されている、情報かのどちらかであろう。
今朝のメッセージの要点を、私なりに考えると、龍の落し子は動かない事で、自由を確保している事に成り、行為が少ないからこそ、数学的にも、拘束されていないとの理・ことなのかも知れない。
今日は、9時に、ホテルに客人を向かえに行かなくては成らないので、此処らでPC作業を、止めなければ成らない。
平成21年1月23日8時45分
礒邉自適
2009/1/7
エポックメーキング・epoch –making
21・1・7
昨日は、午後6時より、新しい会社の役員会議を九名で開き、其々が自分の役割を認識して、自主的に動く様に伝えた。
是で、一応、私が先頭に立って動かなくても、事は進む様に成った。
会合が終わって、事務所に帰って来て休んでいると、何だか脱魂状態に陥って頭が動かなく成り、宿舎に帰ってシャワーを浴びてベッドに入った。
其の脱魂状態は、私に25年前に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の或る分野が、昨夜の会合で私から外れて、他の人達に移動した事に、因るモノ・現象なのかも知れない。
そして、今朝映し出されて来た映像は、右側から斜め左手前に、八個程のミイラの棺か、蚕の繭の様な物が、整然と並んでおり、其の一番手前の棺から、黄金色に縁取られて輝く、龍神の子供が生まれて来た。
其れは、新しい時代の幕開けを、意味しているのかも知れない。
私には、1984年11月22日に、伊勢で神のメッセージが有り「過去に八回 アセンションに失敗して 今回が九回目で 最後のチャンスである。」と告げられた事が有る。
其の事を考えると、漸く九回目のアセンションが成功して、新しい時空を司る龍神が誕生した事を、示して来たのかも知れない。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れから、五個ほどの木製の丸いお椀の様な物が現れたが、其の椀の中には、食べ物らしき物は、入ってはいなかった。
其れは、龍神は誕生しても、其の龍神が食べる事に成る、事象の「内容・エネルギー・質量」が、用意されてはいないとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、我々人間が、其の新しく生まれた龍神を養う為に、餌と成る「情報・企画」を、生産しなければ成らないと言う事に成る。
今朝事務所に出て来ると、埼玉の高橋伸氏から電話が有り、今朝受けたメッセージを伝えて来た。
其の内容とは、今朝4時23分に「エポックメーキング・epoch –making」との言葉が告げられて来て、頭の中をグルグル回って消えないので、起きて其の意味を調べると、「新時代を開く」「画期的な・非常に重要な」との意味である事が解かった。との事である。
私も今、ITで其れを検索すると、次ぎの様に載っていた。
「エポックメーキング・epoch–making」[形動]ある事柄がその分野に新時代を開くほど意義をもっているさま。画期的。「―な発明」
其の意味からしても、今朝の私のメッセージと、高橋伸氏のメッセージは連動しており、我々人類は、新しい時代を切り開く為に、画期的な事柄を創出しなければ成らない様である。
高橋伸氏の話しでは、奥様も今朝霊夢を見て、其の内容を、私に伝える様に云われたとの事である。
其の奥様が視た霊夢とは、私が「白い上下の服を着て、手に紙を持って 目の前を歩いて行った。」との事である。
其の映像の意味は、私が、紙に企画を書き出さなければ、成らないとの事ではないだろうか。
高橋伸氏へのメッセージは1月2日にも有り、其の内容は、私が、神社の大きな御札を背景にして、白い服を着て立って居り、其の私と御札の間には、渦が巻いていたとの事である。
其の後、私はS字に、カーブが続いている道路を、早足で歩いて行くので、高橋伸氏は追い着けず、カーブの所で、私の姿が見えなく成ったとの事である。
其れは、私の背景に言葉を司る「御札神」が存在している理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の「御札・言葉・真言」と、私との間の空間には、事象を司る「トキの神・大山祇神」が渦巻いているとの事であろう。
其の、トキの渦巻きを背負っている私の行動が、是から、急ピッチに成るとの事ではないだろうか。
だから、余程の覚悟がないと、神の動きには着いて行けないとの事であろう。
と言う事は、是から私の手にする「紙(PC画面)」には、人類の希望と言うか、龍神が未来を創造する為の、材料と成る情報が、打ち出される事に成るのであろう。
昨日の役員会で、現実的な事には私は関わらなくても、動き出す事に成ったので、是からは、神の世界と言うか四次元世界(精神的世界)の事に、私の意識は、使用される様に成るのであろう。
其れが、今朝、高橋夫妻に告げられて来たのだと考えられる。
だとすれば、会社とは、別な仕組みを創って、高橋伸さん達と、動き出さなければ成らないのかも知れない。
白い装いをして、杖を突いて歩く私の姿は、24年前の私の立ち振る舞いに返る事なので、私にとっては別に大した事ではない。
高橋伸氏の1月3日のビジョンには「白い鳥居」が現れて、其の鳥居を潜ると、地面に新しい五円玉が落ちていて、其れを高橋伸氏は拾って、手に持ったとの事である。
5円玉は25年前に、私にも、実際に現れた事がある。
其れは、北九州市小倉に在る「瑜伽神社」の境内に建っている、「猿田彦神」の名が彫られている石碑に、清めの水を一度掛け、二度目を掛け様とすると、一番上に彫られている「猿」の文字の所に、新しい五円玉と一円玉が突然に現れたのである。
猿田彦神は、天照大神が地上に降る時に、出迎えて案内をした神で、道祖神とされている。
其の猿田彦神が動き出せば、新しい道が整えられるのかも知れない。
猿田彦神の別の名は「白髭大神」であるので、五円玉が落ちていた参道の鳥居が、赤色ではなく白色であった事とも、符合して来るのである。
「猿田彦の神」http://star.ap.teacup.com/170606/1079.html
今朝の私へのメッセージの映像には、私の財産を横取りした「池田保」が現れて、水田の代掻きをしたり、耕運機の運転をしたりして働いて居た。
其の映像の意味は、池田保氏が私の財産を横取りしなければ、私自身が、其の土地で働いていなければ成らないと言う事に成る。
其の様に考えると、私は池田保氏が、私の財産を横取りしたからこそ、自由な身と成り、現在の役割を果たせている事に成るのである。
其の様に考えると、岡本天命氏に降りた日月神事に有る「善悪併せ呑む人物」との言葉の意味も、現実として理解出来る事に成るのである。
明日の午後、関係者が全員帰るまでは、私も、現実世界にしっかりと踏み止まって、役割を果たさなければ成らない。
是から、何が新しく始まるのかは、私にも良く解からないが、日々、神のメッセージを受信する事で、問題は解決して行くのであろう。
平成21年1月7日
礒邉自適
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