言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2009/9/26
言葉は神なりき
21・9・26
今朝のメッセージの映像は、聖書に有る「言葉は神なりき」の言葉を裏付ける様なモノで、最初から最後まで、「言葉」と「文字」に関する内容であった。
初めに、平仮名の言葉が現れて、其の「平仮名(表音文字)」の言葉は一個ずつバラバラに分解されて、網目の篩・ふるいの中で転がされ、塵は下に毀れ落ちて、文字の部分だけが丸い球に成って、篩の中で転がっていた。
そして、其の丸い球は、其の平仮名の持つ夫々の「音色・ねいろ」に変わり、七色を表す音符の様に繋がって、天に上がって行った。
そして「大歳・おおとし」との言葉が告げられて来た。
今「大歳・おおとし」をPCで検索すると、「大歳神」が有り、次の様に記されている。
此の、大歳神の子供神の名を見ると、「神名・はたらきの名」のオンパレードであり、自然科学の言葉や概念が無い時代の人々の、苦心の跡を伺い知る事が出来る。
・日本神話では、スサノオと神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)としている。両神の間の子には、ほかに宇迦之御魂神がおり、これも穀物神である。また、大年神と香用比売(カヨヒメ)の間の子に御年神(みとしのかみ・おとしのかみ)、孫に若年神(わかとしのかみ)がおり、同様の神格の神とされる。
大年神は他に多くの神の父とされている。それだけ重要な神とされていたことがわかる。
・伊怒比売(いのひめ、神活須毘神(かむいくすび)の娘)との間の子
・大国御魂神(おほくにみたま) - 国土の神霊の意
・韓神(から) - 朝鮮からの渡来氏族が信仰した神
・曾富理神(そほり) - 新羅の王都(ソウル)の意か
・白日神(しらひ) ・聖神(ひじり) ・香用比売(かよひめ)との間の子
・大香山戸臣神(おほかぐやまとみ) ・御年神(みとし)
・天知迦流美豆比売(あめのちかるみづひめ)との間の子 ・奥津日子神(おきつひこ)
・奥津比売命(おきつひめ- 別名 奥津比売命神(おほへひめ)。竈(かまど)の女神
・大山咋神(おほやまくひ) - 別名 山末之大主神(やますゑのおほぬし)。比叡山の山の神で日吉大社・松尾大社の祭神
・庭津日神(にはつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神
・阿須波神(あすは) - 屋敷の神 ・波比岐神(はひき)
・香山戸臣神(かぐやまとみ) ・羽山戸神(はやまと) - 山の麓を司る神
・庭高津日神(にはたかつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神
・大土神(おほつち) - 別名 土之御祖神(つちのみおやのかみ)。土の神
・羽山戸神と大気都比売神との間の子 ・若山咋神(わかやまくい) - 山の神
・若年神(わかとし) ・若狭那売神(わかさなめ) - 田植えをする早乙女の意
・弥豆麻岐神(みづまき) - 水撒き・灌漑の神
・夏高津日神(なつたかのひ)- 別名 夏之売神(なつのめ)。夏の高く照る日の神の意
・秋毘売神(あきびめ) - 秋の女神 ・久久年神(くくとし- 稲の茎が伸びることの意
・久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなね) - 別名 若室葛根(わかむろつなね)。新しい室を建てて葛の綱で結ぶの意。新嘗祭のための屋舎を建てることと考えられる
記紀には系譜以外の事績の記述がないが、古語拾遺には、大地主神(おおとこぬしのかみ)の田の苗が御年神の祟りで枯れそうになったので、大地主神が白馬・白猪などを供えて御年神を祀ると苗は再び茂ったという説話がある。
大年神は大歳御祖神社(静岡県静岡市葵区)、飛騨一宮水無神社(岐阜県高山市)などで祀られている。また、特に西日本で大歳神社・大歳様として田の畔の祠などに祀られている。葛城御歳神社(主祭神は子である御歳神)(奈良県御所市)が大歳神社・御歳神社の総本社とされる。 ─引用終了─
ウィキペディア辞典
次のメッセージの映像には、漢字が幾つか現れて、「こくじ・国字」との言葉が告げられて来た。
「国字」をPCで検索すると、辞典には次の様に載っている。
・「国字」・和字・倭字・皇朝造字・和製漢字などとも呼ばれる。
会意に倣って作られることが多い。峠(とうげ)・榊(さかき)・畑(はたけ)・辻(つじ)など古く作られたものと、西洋文明の影響で近代に作られた膵(スイ)・腺(セン)・腟 (チツ、本来はシツ)・瓩(キログラム)・鞄(かばん)などがある。主に訓のみであるが、働(はたらく・ドウ)のように音があるものもあり、鋲(ビョウ)・鱇(コウ)など音のみのものもある。「錻」には「錻力」と表記したときの音読み「ブ」と、「錻」一字で表記することで音読みから派生した訓読み「ぶりき」がある。・・・ ─引用終了─
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
此の、「国字」のメッセージから考えられる事は、漢字の本家である中国が、漢字を略字にしてしまったので、新しい文字文化を、日本から興せとの事ではないだろうか。
今朝の初めのメッセージは、日本語の表音文字である平仮名表記の「倭言葉・やまとことば」が、「神・天」に通じる音色を持っている理・ことを伝えて来ており、「漢字・国字」は表意文字で、物体の象形文字であるから、全て写真に撮れる物だし、絵に書ける物だから、世界共通のパソコン文字として、使用可能であるとの事ではないだろうか。
そして、今朝の最後の映像は、其の音色を持つ七色に輝いて繋がっていた丸い球は、薄紫色の粒子に成って、宇宙に溶けて流れ込んで行った。
其れは、新しい「色即是空・しきそくぜくう」のイメージの世界である。
其の映像を、逆回転させれば、「空即是色・くうそくぜしき」であり、宇宙から薄紫色の粒子がエネルギーと成って流れ下って来て、此の「色・現象世界」を創り出している事に成る。
其の、薄紫色の粒子の存在こそが、「弁才天・サラスヴァティ」と名付けられている働きなのではないだろうか。
其の様に考えると、「弁才天・サラスヴァティ」が、弁舌の「弁才」と訳されている事の意味も理解されて来る。
何故なら、言葉や文字の世界こそが、弁舌の世界だからである。
昨日、椎貝路生氏に送られて来たメッセージに、「大山祇神」が、私が言った言葉を「皿・うつわ」が壊れそうで、守り切れないとの様子を見せられたのは、今朝のメッセージに関係が有るのだろう。
何故なら「大山祇神」とは、地球の水の世界を管理する、流体である大蛇の事である。
だから、宇宙空間を、流体で流れるエネルギーまでは、自分の器が小さいので、受け切れないとの事を、示して来たのであろう。
そして、「豊玉姫」か「龍宮乙姫」が、陸上の蜂の働きや、蜂蜜を作る事が出来ないと示していたのは、働きの場所や、役割が異なる理・ことを、知らせて来ているのではないだろうか。
46億年しか経過していない地球の、陸上の水の世界の管理や、海の生き物の管理をしている「神・はたらき」に、138億年前から存在する、宇宙の働きの事を頼んでも、確かに無理難題を押し付ける事に成る。
其の様に考えると、「弁才天・サラスヴァティ」とは、「大日如来・マハー・ヴァイローチャナ」の三密の一つである「身・口・意」の内の、「口・真言・マントラ」を司っている、働きの別名なのかも知れない。
昔の人達には、其の宇宙や、地球環境の働きが、良く分らないので、「大歳神」の子として、澤山の「神・はたらき」の名が創り出されたのであろう。
昨夜は、12時前に宿舎に帰り、シャワーを浴びて居ると、人間の五感の情報は、全て磁気信号として大脳に送られて、情報処理が行われている理・ことを想った。
其の、大脳の情報処理には、微弱だが電流が流れ、其の電流で磁気が発生し、其の磁気信号は「珪素・シリコン・額(ぬか)」の周波数を通じて、花崗岩の磐座や水晶などにチャンネルされて、地球の山岳の岩や、月や、惑星にまで通じて行くのである。
其の、大脳の情報処理の思考回路に、道具として役立っているのが、人間の言葉や文字の世界である。
だから、言葉は「マントラ(言葉は人間が考える為のうつわ・皿の意味)」であるとされているのである。
今朝のメッセージは、其の理・ことに付いての説明を、私に求めて来ているのであろう。
そして、其の呼び水として、昨日「椎貝路生氏」にメッセージが送られて来たものと考えられる。
昨日のメッセージや、人々の動きから見ると、確かに、広い範囲で神の働きが始まっている事が感じられる。
其れは、少数の人々の間で起きている現象ではなく、其れ等の人々の周囲の環境を含め、多くの事象が、其の事の為に、流転を始めている理・ことが理解されるモノである。
今日は、事務所の前に車で到着して、右折する為に、対向車のダンプを待っていると、其のダンプを運転して居るのは、私の財産を横取りした池田保であった。
池田保と、顔を身近で合わすのは、25年振りである。
何故、今朝、池田保と遭遇したのかを考えて居ると、朝から、客人が二名前後して事務所を訪れて、屋久島の動きが、急激に展開し始めている事が確認できた。
一人は、屋久島の平内に4年前に出来た、高等学校の理事に就任して居る日高雲平氏で、「自適さん アラーの神が 動き出した様だ」と、云って遣って来た。
其の話の内容は、今度、登校拒否の娘さんが屋久島の高等学校に入学して、屋久島の自然環境の中で学びを始める物語が、二時間番組としてTBSでテレビ放送される事に成り、其の撮影が、是から始まるとの事である。
其れと、もう一人は、今回の町議会選挙で当選した方で、屋久島町の行政を刷新するので、協力を頼むと言うものである。
其れ等の動きから考えると、確かに、本日を節目として、新たな次元が始まると言うか、時節が今日から変化する事を、示唆して来ている様に感じる。
其れは、私の25年間の「家離・たび」の成果が、現れて来ている事を、明確にするものである。
其れは、私が自分の人生に、勝利した事を意味している。
漢字の「勝・ショウ」の文字は「舟+両手+力」の組み合わせで、字義は「川の流れに逆らって、上流に舟を押し上げて行く。流れに勝つ。」の意味である。そして「負・フ」の漢字は、「背+財」の組み合わせで、自分の背景に、財産や地位を背負って話をする人間、の意味である。
其の「勝・負」の漢字の意味を考えると、財産無し・家族無し・職業無しの私が、多くの影響を社会に与えて、未来創造の為に働いているのは「負け」ではなく、「勝って」いる事に成るのであろう。
其れは、現在の世の中で「勝ち組」「負け組」と言っている価値判断は、「道・タオ」や「法・ダルマ」に合っていない理・ことを意味する。
そして、其の舟を押し上げて行った流れの世界は、地球のガンジス河の様な、河川の流れの源ではなく、弁財天の働きの源・ソースである、宇宙の彼方だったのである。
そして、其の世界は、宇宙船に乗って、遥か遠くに行くのではなく、自分の頭脳の中だったのである。
だからこそ、釈迦牟尼佛は「真に頼れるモノは 此の自分の肉体だけである。だから 精進しなさい。」と、謂っているのである。
私は、25年前に、悟りの瞬間を体験した時は、自分に起きて来る不思議な現象に対応しながら、其の有様を記憶に留める事が、精一杯であった。
そして、其の現象の意図や、目標の位置が、何処なのかも分らなかつたのである。
今朝のメッセージの映像で、其の目的地と言うか、宇宙の真理が、ようやく見えて来た様な気がする。
私の師は、私に「自適さんが 想った様に未来が成るのだから 好きな様に想いなさい」と云ったのだが、其の未来が何処にあり、どの様なモノなのかは、無庵師匠にも、私にも判らなかったのである。
其の未来とは、どの様なモノであるのかは、漠然とではあるが、理解できる様な気がする。其れは、人間自身の想いの中に有るのである。
其れを考えると、私は是から、何を想えば良いのか、真剣に考えなければならないのであろう。
何故なら、此処までは、過去の世界を生きた神霊が導いて来たが、此処から先の世界は「未来・未だ来ぬ」世界だから、誰も体験した事の無い未知の世界であるので、自分の「力・念い」で、切り開いて行かなければ成らないからである。
そして、其の作業にとって一番大事な物が、「ことば」であると言う理・ことなのであろう。
其の様に考えると、数千年前に「言葉は神なりき」と表現した、人物の思考も理解できる事に成る。
其の世界に、「素戔嗚尊・すさのおのみこと」と大山祇神の娘である「神大市比売・かむおおいちひめ」の間に生まれた、「大歳神」の名が告げられて来た事の意味は、今日のところは未だ定かではない。
平成21年9月26日
礒邉自適
2009/9/18
みなと・水門
21・9・18
本日は、旧暦では7月30日で晦日である。
そして、大事な出会いがある、10月4日(旧暦8月16日)の「大山祇神・おおやまづみかみ」の祭の日まで、残り16日と成った。
昨日は、私の意識が、真っ白な世界に在ったので、無に成ったかと思って居たのだが、実はそうではなく、真っ白な世界を見ている本来の自分が、其処に実在して居た理・ことが判った。
だから「無」ではなく、完全な「有」の世界だったのである。
それこそが、伊勢神宮の内宮の社の地面に、埋めてある「心御柱」の意味であり、意識の中心軸だったのである。
だから、昨日の高橋智恵美さんのビジョンでは、神社の境内の御神木の根元に、水神の御手が還って行ったのであろう。
其れは、中国の陰陽のシンボルである「道・タオ」のマークや、インドのヒンズー教のシンボルである、女性器と男性器が象徴する、両性の組み合わせの「ヨニ」ではなく、純粋無垢の唯一の意識状態なのである。
其の意識状態に還る事が、「帰命・ナーム」であり、日本の神社で行われる禊ぎ祓いの儀式の意味なのである。
そして、其れは、臨済宗の座禅堂で行われる、肩をパシッと音を立てて叩く「警作・けんさく」の、作法の狙いでもあるのだ。
今朝のメッセージの映像がなければ、其の理・ことが解からなかったのだから、やはり神の存在が、私の意識の背景に在る事は、間違いないのである。
其の存在に、世界中で様々な名が与えられて、個性を創り出して来ているのである。其の名前の中で、現在自分に合っているのが、「十一面観音菩薩」と言う事なのである。
其の存在が、今朝私に伝えて来たメッセージの映像では、其々、別の働きをしている多数の男女のペアーが、私に関係して来て、私は、其の人達を終着駅と言うか、目的地である港まで案内しようとして居た。
処が、其の目的地を相手に伝え様とするのだが、港を意味する、漢字や言葉が見付からないのである。
私はどうしたモノかと考え、日本語の「みなと」の意味を考えていた。
そして、日本語の「みなと」の意味は「みなもと」の言葉や、「いわと」に関係が有るのではないかと想っていた。
何故かと謂うと、其の人達を案内したのは、港ではなく、屋久島の原地区に在る「益救神社・やくじんじゃ」の拝殿であり、私は其の人達に、神社で神主が行う「禊ぎ祓い」の儀式を行って居たからである。
いま事務所で、辞典古語林で「みなと」を調べると、「水門」「湊」の文字は有るが「港」の文字は無いのである。
漢語林で、「港・コウ」の漢字を調べると「水+巷」の組み合わせで、「巷」は村の中を通りぬけている道の意味。水上の道の意味から、みなとの意味を表す。字義は、@入り海または入り江になっていて、舟が泊まるに適した所。船着場。Aふなみち。舟の通る道。 と 載っている。
そして、「湊・ソウ」の漢字は「水+奏」の組み合わせで、「奏」は両手を寄せて物をおしすすめるの意味。水が寄ってくる所、みなとの意味を表す。字義は、@あつまる。水が集まる。人が集まる。舟が集まる。 と 載っている。
此の漢字の意味からすると、確かに、今朝の映像で、人が集まる「みなと」は、舟の通り道である「港」の文字では合わない事になり、「あつまる。水が集まる。人が集まる。」の「湊」の文字の方が合っている理・ことに成る。
だからこそ、今朝のメッセージでは「みなと」の漢字が、指定されて来なかったのであろう。
しかし、本来の日本語の「みなと」の意味は「水門」なので、「いわと・岩門・岩戸」や「やまと・山門・大和・倭」の日本語に、類する言葉である理・ことが解かる。
其の様に考えると、「水門・みなと」「岩門・いわと」「山門・やまと」の言葉は、「水・岩・山」其々の「と・門・戸」を、意味していることに成る。
其の「と・門・戸」の意味は、入り口と言うか、中に侵入する為の戸口・門を意味している事に成る。
今朝のメッセージの意味は、其れ等の「と・門・戸」が神社に有るとの理・ことである。
だからこそ、日本の神社は、山懐の場所で、岩や木が有り、水が流れている場所に有るのだろう。
そして、其の考えと言うか風習は、エジプト文化が大陸から日本に渡って来る前から、此の日本列島に住んでいた大山祇神の文化や、アイヌの「神居川谷・カムイコタン・神居古潭(神の住む場所)」の文化として、存在したのである。
今朝の映像では、集まって来ている人達の中で、どうしても「自我意識・エゴ(利己主義)」が外れない男性が一人居た。
私は、其の人だけを一人残して、社の中に座らせ、前方から、其の人の左肩の首筋を、竹棒の様な物でパシッと一回叩いた。
すると、其れまで憑依していた霊魂が外れた様で、スッキリとした状態に成った。
其れは、通常の神社の禊ぎ祓いでは、簡単には外れない、霊魂と言うか、過去の情報があるとの理・ことであろう。
そして、今朝の映像では、中年の女性が一人だけ、社の中に座って居る姿が、最後に映し出されて来た。其れは、方々から集まって来た人達の中の人物ではなく、其の神社の主と言うか祭神の様であった。
其の姿は、昔の衣・服を身に着けた普通の女性であり、仏教の仏像である「観音菩薩」の様な姿ではなかった。
其れを考えると、もう私は、「十一面観音菩薩」の様な個性的な名前を、使用する事を止めなければ成らないのかも知れない。
何故なら、其の様な名前を使うと、「マリア様」信仰や「弁財天」信仰等の、別の姿をイメージして居る人々に、抵抗意識を生み出させてしまうからである。
其の意味では、中国の老子が書き残した、「道徳経」の5000字の言葉の内容は、凄いと謂える。
何故なら、老子は「道・タオから外れたら たとえ神仏であっても 力を発揮できない」と謂っているからである。
其れに、老子の言葉には「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置け」と有る。其の、「雌の立場」を意味する姿が、今朝の映像で、最後に現れた女性の姿ではなかったのではないだろうか。
今朝の文章の題を「帰命・ナーム」としたのは、昨日、私の意識が真実の「祷り・いのり・帰り」の領域に達して居たのだと、今朝想ったからである。
日本語の「いのり」の言葉が、仏教の題目の「帰命・ナーム・南無」であり、本来の「みなと・水門・湊」に「帰る・帰命・かえる」理なのである。
其の目的の為に、インドではヨーガが行われ、日本では座禅や瞑想や、山中でのお籠もりや、滝行が行われて来たのである。
そして、一番簡単な方法が、神主に拠る「禊ぎ祓い」の儀式を受ける事なのである。
しかし、残念な事に、私は全国を巡ったが、其の様な力を持っている、神主や行者に出会ってはいない。
何人かは、其れらしき人々に出会ったが、其の世界を理解している能力の持ち主は、私の力に気付いて、私の指導をするのではなく、私の意見を求める様に成るのである。だから、私は、私の事を理解できる人間は、相当レベルが高い人間だと判断する事にしているのである。
しかし其れも、私が真っ白の世界に居て、何も話さず、何の行為もしなければ、私の存在がある事は気付かないままである。
其の対策の為に、神は、私に旅をさせたのであろう。
其の様に考えると、私とは、此の肉体の私だけであって、生きている此の意識は、「かみ其のモノ」であると謂えるのではないだろうか。
果たして、今日・いま、此の文章を打っている、「わたし」とは、何者であるのだろうか。其れを、定義付けする言葉が、私には見付からない。
其れは、人類に文字が開発されてから、人間の文化意識が高まって来た此の時代に、「わたし」の存在とは、何なのかの認識を持った人間がいないので、其の概念の言葉が、決められていないからではないだろうか。
是は、旧約聖書の予言でもなく、イエスキリストの言葉・思考の借り物でもなく、文字を持たなかった釈迦牟尼佛や、政治を始めた神武天皇のレベルでもないし、エジプトの神官や書記官のレベルの世界でもない。
其れかと言って、ソクラテスや、カントや、ユング等の様に、言葉を駆使する西洋哲学の世界でもない。
「イヌマエル-カント(1724年4月22日〜1804年2月12日)」
墓碑銘には「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」と刻まれている。
『人倫の形而上学』の『法論』におけるカントは、自然法が支配し人々が物や人に対しての暫定的な自然権をもつという自然状態を想定し、その暫定的な権利を確定的なものへとするために各人は自然状態から抜け出し共通の裁判官を抱く国家を形成して社会状態へと移行するべきである(カントにおいてこれは義務である)とするロック的な社会契約説を展開している。
しかし、国家は他の国家との間により上位の共通な権力を持たないために権利を巡った競合を繰り広げることになり、お互いに対してはなお自然状態にある。国家にとっての自然状態(戦争状態)を脱して恒久的な平和をもたらすことは人類にとっては現実には到達し得ないが到達すべきであるような理念である。カントは、この恒久的な平和状態へと近づくために、世界市民法と自由な国家の連合を構想している。『法論』や『永遠平和のために』で述べられているこの構想は、国際連盟結成の思想的基盤を用意した。「永久平和のために」の中では江戸日本の当時の対外政策を評価している。・・
ウィキペディア辞典より
此の様な言葉の使い方は、私の様な学歴のない百姓にはできない。
やはり、私には、自然を対象として、情緒的に思索を続けた老子の思考が、一番合っているのであろう。
何故なら、老子は、自然の「働き・道」の中に、思索の糸を伸ばして行く事を好んでいるが、弟子や友人を傍に置いて、自分の考えを話す事を遣ってはいない。
其の老子の言葉には「精神的な理・ことを 他人には話してはならない」と有る。其の言葉だけでも、老子の気持ちを図り知る事ができる。
其の考え方こそ、日本の伝統である「惟神の道・かんながらのみち」であり、「惟神言挙げせず」の世界である。
其の、日本のお国柄が、相手の気持ちを傷つけない「どうも どうも」の言葉と、仕草を創り出して来たのである。
今日、此の文章を打っていて「カント」の名が出て来たので、初めてカントの事に対して目を触れた。其のカントに付いての説明には、
・・カントによれば、人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっている。感性には純粋直観である空間と時間が、悟性には因果性などの 12種の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する)が含まれる。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。
意識はその二種の形式(感性と悟性)にしたがってのみ物事を認識する。この認識が物の経験である。・・・・ などと有る。 ウィキペディア辞典
此の様な文章を読むと、私の意識は、また新しい方向性を持って、動き出しそうな気がしないでもない。其れは、私には、何かの拘りが何も無い、白紙の状態であるから、何処に向かってでも歩き出せるからである。
何時も、何も無い自由な身で在ってこそ、イエスキリストや釈迦牟尼佛の様に、其の時「神・宇宙」にとって一番大事な場所へと、行く事ができるのである。
其れが、「惟神の道・かんながらのみち」であり、親鸞の謂う「自然法爾・じねんほうに」の世界なのである。
だから、帰命・ナームできた人間の「私・わたし」とは、「完璧な自由人」の理・ことであると言えるのではないだろうか。
平成21年9月18日
礒邉自適
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