言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2009/12/22
「まない」は片仮名で
21・12・22
今朝のメッセージの映像は、私達のグループとは、別の人達が村を造る為に、ヘリコプターで遣って来て、私に作業を頼むので、木を切る準備をしてから、火を燃やし始めたのだが、どうしても、火がうまく燃え点かないのである。
すると「わたしに 全て任せなさい(委ねなさい)」との意味の言葉が、伝えられて来た。
其れは、私に「人間社会の人達に 何かを頼まれても 勝手に動くな」との意味を、女神(大日如来・マハーヴァイローチャナ)が伝えて来たモノの様である。
其れは、人間を含む全ての物質を、大日如来が管理している理・ことを、意味しているのではないだろうか。
私は、其れから「全てを委ねなさい」との言葉を考え続け、どうしたら其の存在の中に、侵入できるのかを考え続けていたが、何処からも、侵入する事が出来ないままであった。
其の侵入先は、物の存在や、人間の行為や、女性の存在などである。
そして、夜明け前に、「まないは 片仮名で」と告げられて来た。
どうやら「マナイ」の言葉に、ヒントが隠されている様である。
「まない」には、京都府京丹後市峰山町久に在る「比沼麻奈為神社・ひぬまないじんじゃ」や、天の橋立の「籠神社」の森の中に在る「真名井(まない)の井戸」等の言葉が有る。
私は、食事の「賄い・まかない」の「か」が抜けて、「まない」なのではないかとも考えていたが、どうやらそうではなく、「まない」は片仮名で表記するモノとの事なので、「マナイ」の外来語を、考える必要がある様である。
其れは、ハワイ語の「ハワイ」が「神と息と水」の意味であり、「アロハ」の言葉の意味が「私は 神の前にいます」である事と同じく、マレー語の中に「マナイ」の言葉が有り、大事な意味を含んでいるのかも知れない。
そして、其の「マナイ」の言葉の意味に、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」への侵入口が、有るのではないだろうか。
其れに、ハワイ語では「マナ」が「神様が持っている力」の意味であるとの事だから、「マナイ」は其れと関係が有り、「マナ」+「イ」なので、「イ」は「息・い気」の意味との事だから、マナイとは「神様が持っている力は 息に有る」との理・ことに成り、呼吸法が大事であると考える、東洋文化と通じている理・ことに成る。
其の様に考えると、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の侵入口は、自分の「息・呼吸」に有る事に成り、視覚に映る物質が、対象ではないと言う理・ことに成って来る。
其の様に考えると、自分の此の身体の管理が、一番大事であり、「寸・スン」の漢字の「左手の親指で 右手の脈を計る」との概念が最も重要である事に成る。
「寺・ジ」の漢字が「歩き出す前に寸(左手の親指で 右手の脈を計る)」との意味であり、其の様な生き方をしている者が、書いた巻き物を置く建物として、「寺・てら」が存在する事の意味も解けて来る。
今日は是から、屋久島に向かう事に成るが、今回宿泊した「木香庵」の存在は、是からの、結びの役割を果たす事に成って行くのであろう。
平成21年12月22日
礒邉自適
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