言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2012/3/11
ケン・のり
24・3・11
今日は、東日本大震災から1年目の日である。其の日、私は、千葉県の松戸市に居て、初めて大きな地震の揺れを体験した。そして、東北に上る予定でいたのだが、原発が事故を起したので、南に下りる事にした。
今朝のメッセージは、先ず森の中で食料を確保する為に、槍で鹿を捉える映像が映し出されて来て、洞穴か縄文時代の住居の様な中で、食料を分け合っている男性が2人居る場面が映し出されて来た。
そして「けん・のり」との言葉が告げられて来た。「ケン」と「のり」と読める漢字は、憲法の「憲・ケン・のり」が有る。
憲・ケンの漢字は「目+害」の組み合わせで、音符の害は、刃物でそこなうの意味。目をけずりとる刑のさまから、おきての意味を表す。のち、心が付され、憲となる。
「字義」1さとい。(敏)。かしこい。2のり。アおきて。さだめ。イ手本。模範。ウ特に、国の根本法則。憲法。3いいつけ。教え。4のっとる。手本とする。5あらわす。あまねく示す。6主要な地位にいる役人。「官憲」。
今朝のメッセージは、人間の暮らしにとってどんな「憲・ケン・のり」が必要であるかを、私に考えろとの事ではないだろうか。
其の事で、山中の鹿狩りする映像が映し出されて来たのは、森を護る事に繋がるからであろう。日本列島には、以前日本狼が存在して、森林を破壊する鹿やカモシカを食べ、頭数のバランスを調整していたのである。其れが、人間が狼を全部殺してしまったので、鹿の天敵が居なくなり、野生の鹿は増え続けている。
おまけに、人間自体も、肉が容易に手に入る様に成ったので、鉄砲で鹿や猪を狩る猟師が激減して来て、野生の動物が里山に下りて来る様に成ってしまった。
だから、木の苗を食べ、樹木の皮を剥ぎとって森林を破壊する、鹿の数を減らすのは、狼に代って人間が遣らなければ成らないのである。しかし、其の自然の理を知らない人達が、やたら動物愛護法を唱えて、邪魔をしようとする。
屋久島では、農作物を荒らす猿を捉える罠が仕掛けられているが、余所から移住して来ている人が、可哀そうだと云って勝手に掛かっている猿を逃がしてしまったりするのである。
其れ等の現実を考えると、確かに時代に合った「憲・ケン・のり」を考える必要が有ると言うか、整備する必要が有るだろう。
其れに、今朝のメッセージで「憲」の文字が使われず「ケン・のり」の音訓だけが告げられて来たのは、「憲」の漢字が「目を害する」との象形なので、平和な社会には適さないからではないだろうか。
他にも、似た様な概念を持つ道・取・民などの漢字が有る。
「道・トウ」は「行+首」の組み合わせで、「自分と異なるイメージ・意識を持っている人間の首を撥ねて、手に下げて道を行き清める」の意味である。
「取・シュ」は「手+耳」の組み合わせで、「倒した敵の右耳を切り取って 紐に通して 手柄にする」との意味である。
「民・ミン」は、戦いに負けた人間の目を、矢で潰し、奴隷にする」の意味で、民は目暗の意味である。
其れ等の事を考えると、新しい御世を迎える為には、新しい漢字を創造するだけではなく、既存する漢字も、時代や風習に合わない物は、書き換える必要が有るのだろう。
昨日は、14年前に別れた娘からメールが有ったが、其の事を書いたら「空さん」からメールが有り「井上嵩靖」との名前が有ると言うので、調べて見ると確かに息子らしい写真が載っている。其の息子の誕生日が「5月3日」で、其の日は「憲法記念日」なので、何らかの関係が有るのだろうか。其れに、私の禅宗での得度名は「真悠護法居士」で「法を護る」との名である。
今朝の、次の映像は、数人の若者が、何かの行動を起しているのが、数組映し出されて来た。そして、ビジネスマンらしき人々が10数人、マイクロバスの様な乗り物に乗って遣って来て、バスから降りて来た処で、私に数万円のお金を渡そうとする人が何人か居た。私が、「何ですか」と問うと、バスに同乗して居た男性が、「自適さんが世直しの為に 資金が必要なので 寄付をしてくれ」と、皆に云ったかららしい。
私は、誰だろうと想って、バスの中を覗いて見たが、バスの中には誰も残っていないので、其の人が誰なのかは判らなかった。
昨日は、娘からの連絡で意識が高まり過ぎたので、気分を切り替える為に直方のイオンモールに映画を観に行った。そして、「ヒューゴの不思議な発明」を観ていると、映画の中の台詞で「ハッピーエンドは 映画の中だけよ」と、現実世界ではハッピーエンドは起こらないと言う場面が有った。しかし、昨日の映画の内容は、最後に見事なハッピーエンドで終わるのである。
其の映画の内容は、私の人生がハッピーエンドに向かっている事を示唆している様な感じがして、嬉しい気持ちがしたし、自信を持つ事に繋がるものである。其れに、映画の中では、時計の時刻を刻む音が強調されていたが、其の時計の音にも、私は思い出が有る。
私は、28年前此の世界に入った時に、時計の時を刻む音が、自分の意識を食ってしまいそうなので、家中に有る時計を全て止めるか壊したのである。
今朝の愉伽さんのビジョンは、真っ直ぐな長い道で、マラソン大会が行われて居て、そのマラソンをしている人達と一緒に走ってみると、軽くて息切れも全くなく、飛ぶような感覚だったとの事。其処に集まった十数人の若者男性が、私を支援してくれている弟子の集団のような人たちで、私と愉伽さんの写真を撮ってくれたとの事である。
別の場面では、俳優の谷原章介氏が運転する車に、私が助手席で、愉伽さんと男の人が後ろの座席に乗っており、神社のような奥まった場所に行き着いたら、運転していた谷原氏が何かに夢中になり、ブレーキを離したので、愉伽さんがブレーキを踏んだとの事。其処から何かが始まるとの事で、私と愉伽さんは、それぞれ2人分の動きを、どういう手順で行うか作戦を練っていたとの事である。
其の愉伽さんのビジョンにも、十数人の男性の仲間が集まって来ているし、谷原章介の名は「文字を 章かにする介・ひと」の意味である。
今朝のメッセージは、若者を集めて新しい「ケン・のり」を創出しろとの事の様である。其の為には、確かに資金が必要であるので、お金を受け取れる準備も、して措かなければ成らないのかも知れない。
其れは、シヴァ神の働きが、破壊が出来るだけ少なく、創造が強まる為にも必要な事である。
平成24年3月11日
礒邉自適
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