言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2012/6/14
財
24・6・14
今朝のメッセージの映像は、前田氏がオーナーで、数カ所の山で木材の積み込み作業が行われていた。其の木材は、前田氏が経営する温泉場に運ばれて、お湯の中に漬けられていた。しかし、一度に大量の木材を、其の温泉プールに入れた為に、お湯の流が悪くなり、プールの温度が下がってしまった。
次の映像は、私が車を運転して、高速で道路を走っていると、前方で光エネルギーの大爆発が有った様で、前方の光の中から、車や馬車などが粉々に成りながら吹き飛んで来た。私は、急いで車を止めて、道路の下に降りて、道路の下に有る排水溝・暗渠・トンネルの中に身を潜めて難を逃れた。
次の映像は、私が車を運転して、狭い道路が通じている住宅地の知人の家の前に到着すると、荷物を降ろさないうちに、前方から1台の車がやって来たので、私は住宅地の端までバックで下がって行って、ようやく離合ができた。
最初の映像の、木材の「材」は、人材の材に使用されるので、材木を山から集める場面は、「人材を 荒野から 広く集める」理・ことを意味し、前田氏の存在は「ニギハヤヒ大王」を意味しているので、新しい国造りの為に、人材を集めなければ成らない事を告げて来ているのであろう。
そして、木材を温泉プールに漬けていたのは、人材を登用するには、其の人達の「湯浴み・禊ぎ祓い・潔斎」が必要である理・ことを、示唆しているのであろう。
しかし、一回の湯浴みに、澤山の材を投入すると、1人も「禊ぎ祓い」が出来ないとの理・ことではないだろうか。
次の映像は、人間の常識では考えられない様な、光の大爆発が有り、地上の全ての物体が、周囲に吹き飛んでいる場面である。私は、其の映像で、旧約聖書に記されている、「ソドムとゴモラ」の物語を 思い出した。
・ソドム(ヘブライ語 סדום、英語 Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)は、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。
ウィキペディア辞典より
現在の人間社会は、人間のエゴと言うか欲望で満ちているので、天・神の怒りをかうのは当然の事である。しかし、其の人類を此処まで育てて来た「天・神」にとっては、此処で人類を滅ぼしてしまうのは、自分のミスと言うか失敗を認めてしまう事になる。だから、天・神としては、何とかして人類の意識を正し、更なる人間の進化を速したいのである。
最後の映像は、良い人材が住む、良い道であっても、離合出来ない様な狭い道に入って行くと、自分の方が後退・バックしなければ成らない羽目に陥るので、狭い世界には入って行くなとの理・ことであろう。
確かに、私の進むべき道は、天下の王道であるので、身動きが出来なく成る様な狭い世界に入って行く事は、自分の役目を果たせなく成るので、注意しなければ成らない様である。
今朝のメッセージの内容は、非常に大事な理・ことを告げて来ている。現在の人間社会は、欲望に塗れて、暴走を続けているので、何れ滅びる事は明らかである。
此の儘、何もしなければ、旧約聖書に記されている「ソドムとゴモラ」の二の舞に成ってしまうだろう。其れは、天から硫黄や火が降って来なくても、神が人間の意識を核戦争の方に仕向ければ、簡単に起きる事象でもある。
是から、我々が遣らなければ成らない事は、良い人材を集めて、新しい国造りを行う事である。其の為には、現在の穢れた世の中から、神の意志に適う人々を捜し出さなければ成らない。そして、其の人々に、新しい智慧・神の指示を授けなければ成らないのである。
其れが、本来の日本の伝統である「神惟道・かんながらのみち」であり、禊ぎ祓いの儀式が行われていた神社の役割なのである。
其れ等の復活こそ、此の日本に与えられた役割であり、日本の伝統を築いた「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」の意志を、継ぐ事なのである。
「饒速日命・天の穂日命」は、天照大神(渡来系)の使いとして、出雲の「大国主命」の下に遣って来て、其のまま、大国主命が造った国で生活を始め、大陸には帰っていない。其の後、国の権力が渡来系に移譲されても、「饒速日命・にぎはやひのみこと」は主導権を把握して、日本列島の国造りを続けている。
私は、全国を旅して、其の饒速日命の足跡と、其の子孫である物部一族の流れを調べて来た。其の調査の結果として、「饒速日命・天の穂日命」の意志が常世に存在する理・ことを確認している。
今朝のメッセージは、愈々、其の饒速日命の御魂が動き出す事を、示して来ているのではないだろうか。
其れは、破壊であるハルマゲドンの難を招かない為であるし、狂ってしまった政・まつりごとを、元に戻す事でもある。其の為には、早く、良い人材を集める必要があるのだろう。
平成24年6月14日
礒邉自適
2012/6/4
蒼山
24・6・4
本日6月4日は、私が、此の神の世界に入って丸28年目の日であり、29年目に突入する日でもある。
今朝のメッセージの映像は、神を祭祀する役割と、其の事に関して衣装や、供物を用意する役割が示されて来た。しかし、其の映像には、人間の姿が何も現れなかったので、未だ、其れに関わる適当な人間が決まってはいない事を示しているのであろう。
其れは、天皇・ミカドの存在を支えてきた物部の働きの様である。
今朝は、最後に、大きな筆字の行書体で「蒼山」と縦に書かれている、大きな額が映し出されて来た。其の書は、「蒼山」の前(右側)に幾分小さな漢字で文字が書かれており、後ろ側(左側)に書いた人の名前や、日付の様な物が書かれていたが、どんな文字が書かれているのかは、記憶に留める事が出来なかった。
(行書は隷書の走り書きに興る。王羲之などの書が有名。行書は草書と楷書の中間的な存在であるが、明確な線引きは不可能である。草書に比べて厳格な書体、楷書に対して砕けた書体という感覚的な違いで大まかに分類される。行書は草書ほどではないが速記向きであり、楷書ほどではないが明快に判読できることから、古代中国では公務文書や祭礼用の文書に用いられた。)
「蒼・ソウ・ショウ」の漢字は、「艸+倉」の組み合わせで、【字義】は1あおい。(青)草のような青い色。こい青色。深青色。2青くしげるさま。3年老いたさま。白髪のまじっているさま。4あわただしいさま。またあわてるさま。(倉卒)と漢語林には載っている。
蒼が使われている単語として、次の様な物が有る。
・そう-うつ【蒼鬱】 青々とこんもりしげっているさま。
・そう-じゅん【蒼潤】 青いを帯びてうるおいがあること。
・そう-そう【蒼蒼】 1さかんなさま。2草木などが青くしげるさま。3春の空の色。また、夜明けの空の形容。天の青々としたさま。また、天。
・しょうりゅう‐ろう【蒼竜楼】平安京大内裏の朝堂院にあった四楼の一。大極殿の東南に位置し、白虎楼と相対していた。左楼。東楼。そうりょうろう。
・そう‐りょう【蒼竜・蒼龍】1)星座を五つに分けたその1つ。二十八宿のうち、東方にあたる七宿の総称。2)方位の四神(蒼龍・白虎・朱雀・玄武)の1つ。3)松の老木などの形容。
此の意味からすると「蒼山」とは「あおいやま」の意味で、「草木がこんもりと青く茂っている山」の意味である。
そして、「蒼龍」との関係を考えると、蒼山から流れ下る清流・清水が、蒼龍・青龍の住処であると言う理・ことに成るのではないだろうか。
それに、蒼龍・青龍は「智慧」を司る神・はたらきなので、今朝の映像に現れた書は、其の蒼龍からの贈り物なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像で供物を捧げなければ成らない神霊は、蒼龍・青龍をイメージすれば良いのではないだろうか。
どうやら、今朝のメッセージの雰囲気を考えると、確かに山葵・わさびが龍の好む食べ物であると言う理・ことも良く理解できる。
今朝のメッセージの映像では、天然の真鯛が澤山釣れたので、其れを背開きにして洗濯物を乾かす様に、屋外に下げていた。其れは、神の供物にする物であった。其の真鯛の事を考えると、神社の供物に真鯛を奉納する事の意味も理解できてくる。
其れに、今朝の「蒼山」の書が映し出されて来た意味は、私が、是から、何に取り組めば良いかを、真剣に考えているからであろう。
私は、既に65歳なので「蒼」の「年老いた様」の意味に合っている。其れなのに、30年前の気持ちに成って、再び「スクラッチ」をしようと考えている。
スクラッチに似た言葉に、機械の「クラッチ・Clutch」が有り、其れは切り替えのシステムである。しかし、機械も老化すれば、故障する可能性が高いので、新しい機械に取り換えた方が無難である。其れを考えると、此の年齢から考えて新しい事にチャレンジするのは、無理が有るのかも知れない。
だが、「蒼山」として、高く聳える事は不可能ではない。不可能ではないと言うか、蒼山を背景として暮らす事は可能であろう。
そして、自分に合った神祭りをする事は、気安く出来る事でもある。其れが、聖者や仙人の暮らし向きではないだろうか。
確かに、古代社会では山に聖者や仙人が暮らしており、皇帝や大臣が相談に出掛けると言うか、意見を求めていたのである。其れを考えると、私は其の様な伝統を復活する事に、意識を向けて行った方が良いのではないだろうか。
其れも、昨日のメッセージに有った「スクラッチ」の1つの遣り方・方法・方向ではないだろうか。
「スクラッチ(scratch)」の「ゼロから」「最初から」の意味や、「クラッチ・Clutch」の「切り替え装置」の意味を考えると、何かをやり直さなければ成らない様子が感じられる。其れは、日本人の「岩戸開き」の概念にも通じている様な気がする。其れに、岩戸開きも「扉を剥ぎ取る」事である。
そして、「スクラッチくじ」も、表面の黒い部分を剥ぎ取れば、意味の有る数字が書かれている、白い部分が内側から表れて来る。
其れに、今朝の蒼山の「蒼」は、倉庫の「倉・くら」が使われている。倉庫を「くら」の日本語に充てているのは、倉庫が「暗・闇・くら」であるからだろう。夜明けの、空の色である蒼の意味を考えると、何かを剥ぎ取って、明るい世界、物事を見える世界を、表さなければ成らないのだ。
其れが、昨日のメッセージのテーマである「頭の古い概念を 剥ぎ取る」事と関係があり、釈迦の謂う「目覚め・覚醒・ブッダ」の世界に繋がるのであろう。
其れに、一番大事な物が、穢れの無い水の情報なのではないだろうか。禊ぎ祓いの場所は、清水が流れていて「磐座・いわくら」や「神籬・ひもろぎ・神木」が有る所でなければならない。其れは、其の様な条件の場所でなければ、聖霊や神霊が棲んでいないからであろう。
其れを考えると、人間が古い概念をスクラッチするのには、蒼山の存在が必要である。だからこそ、昨日のメッセージの映像では、森林が伐採されて牧場にされていた土地に、人間の手で植樹が為されていたのであろう。
其れに、森林・蒼山が復活すれば、森から栄養が河川や海に流出し、魚類や貝や海藻などが澤山取れる様に成るのである。そうすれば、神様に捧げる供物も簡単に手に入る様になり、全てが上手く行くのである。
其れが、神様と人間の正常な付き合い方であり、本来の政・まつりごとが復活する事に成るのだ。
日本の古事記の物語には、伊邪那岐命が左目を洗った時に「天照大神」が、右目を洗った時に「月読命」が、それぞれ生まれた事に成っている。其れは、エジプト文化の神である頭に鏡を着けた「女神イシス」と、夜・冥界を司る「男神オシリス」の姉弟・兄妹と同じ物であろう。(日本では戦前まで 双子は後から生まれた方が兄・姉)
そして、「調読命・つきよみのみこと」と「オシリス」は、「夜の国・冥界」を司り、智慧や、多くの技を持つ神・はたらきであるとされている。そして、日本には「闇龗神・闇神・くらおかみ・闇淤加美神:くらおかみのかみ」を祀る神社も有る。
其の事からも、「智慧」は暗い中に存在し、秘密・密教とされるのであろう。
確かに、将棋に「岡目八目」との諺が有る様に、人間日の当たる表に立ってしまえば、世間で起きる現象・ものごとに振り回されて、判断力が鈍る事が多々有るし、視野が狭く成って良い智慧が浮かばなく成る。
其れを考えると、聖者や仙人が蒼山に住む事の理由も良く理解できる。
平成24年6月4日
礒邉自適
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