言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2012/12/19
カルマ・業
24・12・19
今朝のメッセージの映像は、私の実家に、砂糖キビの製糖工場が復活している場面が映し出されて来た。
其れは、私の父親が、以前実家の敷地内で製糖工場を経営していたからであろう。
次の映像は、私が自分の自宅に帰ると、屋内が土間に改造されて、麻雀台が置かれており、土間にはお茶を沸かす竈が設置されていた。
其れは、私が以前、自宅を化粧品屋と麻雀屋にしていたからであろう。
其れに、土間に竈が築かれていたのは、麻雀の世界は、古い時代から存在する理・ことを示して来ているのであろう。
次の映像は、私が誰かに薦められて、田舎に有る研修場の様なものに出掛けた。建物に到着して、受付に向かうと40歳代女性が居て、名前を告げると、奥の部屋から50歳代の男性が出て来て、弁当の様な食べ物を渡してくれた。
其れから、宿泊施設の部屋の中に行くと、旅を続けている30歳代の男女が居て、情報交換をした。
そして、研修開始の時間が近付いたので、出会った男性と2人で、畳が敷かれている道場に向かうと、其の道場には肉体を鍛えている男性だけが集まっており、生徒の方は25歳から35歳くらいの人達10数名で、師範の男性が5〜6人床の間を背にして生徒の方を向いて居た。私達2人は、其の様子を右側に座って見て居た。
皆が揃ってから、私が、自分の體に龍神のエネルギーを降ろして、道場内に発すると、参加者の生徒が其れに反応して、皆が上着を脱いで自分の得意な体勢をとった。其の生徒達の筋肉の付き方は、ボディビルダーの肉体の鍛え方とは異なり、其々が特異な筋肉の付き方をしていた。
其れは、其々が違う職業に付いているか、異なる修行を続けている事が、理解できるモノ・状況であった。
其れから、師範か主催者の様な男性が挨拶を始めた。そして、私は、来賓の様な役割で呼ばれている事が解り、生徒達に精神的な事を話さなければ成らない事が解った。
今朝のメッセージは、カルマ・業の世界に付いて示して来ているのであろう。
其れは、昨日のメッセージに新しい仏陀の存在が示されて来た事と、私は真っ白な純白の世界に到達し、子供の世界に触れていた事と関係が有り、「帰命・ナーム・禱り」の世界に達する為には、どの様な手続きが必要であるかを示して来ているのであろう。
今朝の映像には、私の父親の仕事と、私自身のカルマ・業の世界は示されて来たが、母親の過去・カルマは何も出て来なかった。其れは、母親が白無垢・角隠しで、結婚の儀式を済ませ、礒邉家に嫁いで来たからではないだろうか。
其れは、女性は、自分の家の風習・仕来りや、過去の情報を全て消し去って嫁ぐ必要がある理・ことを示しており、私の母親は、其の様にして嫁いで来た事を示しているのであろう。
「カルマ」 日本国語大辞典
〔名〕({梵}karma またkarman 漢語で「羯磨(かつま)」と音写され、業(ごう)、所作などと訳される)かつま(羯磨)。「ごう(業)」に同じ。
【字義】@わざ。㋐こと。仕事。つとめ。「事業」㋑しわざ。おこない。㋒てがら。いさお。功績。「功業」エ学問。技芸。「学業」オなりわい。世渡りのしごと。よすぎ。「生業」
Aはじめ。はじめる。基礎。端緒。 Bすでに。まえに。もはや。
Cやしき。土地。建物の類。「別業」 Dいた。(板)。㋐鐘・鼓を掛ける横木をおおいかざる板。㋑書きつけの板。書冊。
E仏語・ゴウ。身・口・意が行う善・悪の報いを引き起こす行い。「善業」「悪業」 漢語林より
今朝のメッセージの映像から、私が感じる事は、釈迦の知らない世界が映し出されて来たのではないかと言う事である。
何故かと言うと、釈迦は王家の王子であり、世間の仕事には就いていないからである。其れに、釈迦の場合は、誕生した時にアシタ仙人が城を訪れて「この子は 王位につかれたら全世界を支配する転輪聖王となられ、出家されれば衆生を救う仏となられるでしょう」と父親に告げたので、父親はシッタールダ王子に世間の有様を絶対に見せない様にしている。
だから、釈迦には世間のカルマ・業が無かった事に成り、出家する迄、仕事に就いている人々の筋肉の付き方は、知らなかったと想われるからである。
今朝のメッセージの内容から、肉体的能力が優れている修行者に対して、私は何を話せば良いかを考えて見た。
其のヒントは、道場に出る前に男女の旅人と出会って情報交換をした事が有るのだろう。其れは、旅の目的が見識を広める事に有るので、私の認識の広さ・情報量の多さが認められている事に成る。
其れに、私は、言葉の世界や、言霊の世界を調べて来ているので、言葉の真理を説く事も含まれているのではないだろうか。
其の事で幾つか考えて見ると、「大仏」との言葉は、単なる大きな仏像の意味だけではなく、「成仏した者の姿」を現す物であり、「偉大な 仏陀・ブッダである 釈迦牟尼(釈迦族の王子シッダルタ)」の存在を、後世に伝える物である。
其れに、「イエス‐キリスト」とは、「イエス(イエズス)も「キリスト(メシヤ)」も救い主の意味であり、本人の名前ではない。だから、イエスキリストの本当の名前は誰も知らない事に成り、イエスは「ナザレのマリアが生んだ男子」としか言えない存在である。
其の様に、社会で普通に使用されている言葉は、真実を現しているとは言えないのである。其の不理解の言葉を、親が子供に使い、学校でも教師が生徒に教えているのである。
其の事で、社会から真実が消えて行き、人間のカルマ・悪業が蔓延っているのである。
しかし、其の事を、本人自身も気付かないし、社会全体も問題にしないのが、現在の社会情勢である。特に、マスコミ界の民放は其の事に拍車を掛けている。
だからと言って、其れに対応する道場も見当たらないのが現状である。
今朝の映像に現れた道場の有様から考えられる事は、現在のスポーツ界にも、其れが当て嵌まるのではないかと言う事である。
日本の諺・ことわざには「スポーツ馬鹿」との言葉が有り、其れは「スポーツ選手は 自分の行っているスポーツ以外の理・ことは 何も知らない」との意味である。其の、スポーツ選手が、体力が落ちて現役を引退すると、国家の行く末を決める国会議員に立候補するのが現実である。
其れ等の現実を考えると、確かに、真実を伝える道場を造る必要が有るのだろう。私は、29年間旅を続け、真実を見詰め続けて来た。しかし、未だ、自分が納得できる道場や教団、其れに教育制度には出会ってはいない。
今朝のメッセージは、其の事を「何とかしろ」との事ではないだろうか。しかし、現在の処、今朝のビジョンに現れた様な、道場や人材には心当たりが無い。
マヤ暦の予言の日12月22日まで、残り3日と成った。今朝のメッセージは、新しい次元へのアセンションの1部が示されて来たのかも知れない。
其の様に考えると、未来は何とか準備されたのであろう。
平成24年12月19日
礒邉自適
2012/12/15
ほうたい
24・12・15
今朝のメッセージの映像には、多くの若者が、広大な畑に下りて行って、軟らかく耕された土地に、柑橘の苗を全面に植える作業が行われる場面が映されて来た。
次の映像は、都会の中に女性がオーナーで建てられている幾つかのビルが、解体される場面が映し出されて来た。
そして、其の跡地が畑にされて、農作物が栽培される映像が映し出されて来た。
其れ等の映像の意味を考えていると、辞書には無い漢字の単語が映し出されて来て「ほうたい」と読む事が解った。其の2文字の単語の漢字には其れ等の映像の意味を考えていると、辞書には無い漢字の単語が映し出されて来て「ほうたい」と読む事が解った。其の2文字の単語の漢字には、「氵・サンズイ」や「是・テイ」の文字が含まれていた。
因みに、「氵」と「是」の組み合わせは「氵是・ショク・ジキ」との漢字が有って、氵是の漢字は @きよい。水が澄んでいて底が見えるさま。「氵是 氵是」A心の持ち方の正しいさま。と 漢語林に載っている。
今朝のメッセージの映像の意味は、人間が栽培する作物に、出来るだけ樹木系の作物を多くして、大地の緑を護れとの理・ことであり、都会もコンクリートで全面埋め尽くすのではなく、所々に地面を残して、大地が呼吸(水の循環)出来る様にしろとの事ではないだろうか。其れが「心の持ち方の正しいさま」との事であろう
そして、「ほうたい」との言葉は、地球の傷を護る事を意味し、女性までもが、地球の環境破壊に取り組むなとの理・ことなのであろう。
今朝は、朝起きてPCの前に座ると「賢しらが蔓延った世」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと続きの言葉が告げられて来た。
「1945年 日本が戦争に負けてから
此の国は 賢しらだけが 増えて来ました
そしていま 其の事が 限界に達しています
貴方が あたしに 身を任せなければ
とうに 此の世は 破滅していたのです
貴方の努力が 此方の希望でした
そして 新しい 御世創りの為の道が
開かれたのです
だから 此れからも
貴方の存在が 大事なのです
貴方は
少し のんびりする必要が 有るのです
其の為に 貴方に
休息のときを 与えてあるのです
ですから 余計な事を 考えずに
しばらく 大人しくしていなさいね
「賢しらが蔓延った世」http://moon.ap.teacup.com/20060103/475.html
此の女神のメッセージからすると、私も暫く立ち止まって「氵是 氵是」の状態に身を置かなければ成らないのかも知れない。
平成24年12月15日
礒邉自適
2012/12/8
説諭
24・12・8
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が自分のボートの操縦を、弟子の男性に任せて、港から沖に出て行こうとすると、別のトローリングをしている漁船に近過ぎて、当たりそうになった。私は、運転している男性に「何をしているのだ 早く離れろ」と命じて、何とか衝突しないで離れる事ができた。
しかし、何処で迷ったのか、船が岩場の中に迷い込んでいて、身動きが出来なく成っており、海に出られる場所を探している処で、其の映像は終わった。
次の映像は、何処かの建物の中に、顔や姿がハッキリしない成人男性の姿が20人程集まっている場面が映し出されて来た。其の中に私の姿も在って、私の前に、顔も姿もハッキリしている男性が青系統の服を着て現れた。そして、私に「皆に話をしてくれ」と云って、皆に集まる様に告げた。
其の男性の顔を良く見ると、其の男性は、私の父親と同年代で、同じ松峯区に入植していた「朝野一盛さん」であった。
私は、其の様に告げられて、何を皆に話したら良いかを考えていた。だが、其処に集まって居た人々の顔が見えないし、何処の誰で何をしている人かも判らないので、何を話したら良いか判らないでいた。
すると「全国の自治体職員に」との言葉が告げられて来て、何だろうと考えていると、密生している杉林の映像が映し出されて来た。其れから、「20部」との言葉が告げられて来た。
次の映像には、何処かの崖の中腹に有る、白い二階建ての大きな建物が映し出されて来た。其の建物は、ホテルかペンションの様な建物で、教会か寺院の様な役割を果たしている物の様であった。
次の映像の意味は「朝野一盛」との名前にヒントが有るのだろう。漢語林で調べて見ると、朝と盛は次の様に載っており、「一」は、初め。始まり。の意味が有る。
「朝・チョウ」の漢字は、「草+日」の組み合わせで、草は草原の意味。草原にあがる太陽で、あさの意味を表す。のち、此れは草に省略され、金文では、潮流が岸に至るさまを示す月が付された。常用漢字は、これを整理した形による。
【字義】一、@あさ。Aはじめ。B一朝は、ある日。また一旦。
二、@まつりの庭。天子が政治をとるところ。朝廷。昔は、朝日を迎えて政治を行った。Aまつりごと。政治。政務。また、政務をとる。Bつかさ。官庁。諸侯や地方の太守などが政務をとるところ。C朝廷に参る。宮中に参内して天子におめにかかる。朝見。Dひとりの天子が在位する期間。E一王朝の存続する期間。「唐朝」。Fくに(国)Gあつまる。あつめる。
「盛・セイ」は「皿+成」の組み合わせで、音符の成は、盈に通じ、みたすの意味。さらに農作物をみたして神への供え物とする意味から、もるの意味を表す。転じてさかんの意味を表す。
【字義】一、@もる。物を容器にいっぱいにする。Aもりもの。器にもって神に供えたもの。B物をもる容器。さら。はち。
二、@さかん。さかり。㋐勢いが強くさかんである。「全盛」㋑富み栄えている。「隆盛」㋒しげる。「茂盛」㋓年が若い。㋔多い。㋕満ちあふれる。㋖広く大きい。㋗厚い。手厚い。㋘はなはだしい。㋙きびしい。いかめしい。㋚りっぱ。すぐれた。Aさかり。㋐若いさかり。㋑人が多く集まること。「盛り場」㋒交尾期。 漢語林より
此の意味からすると、「朝の一盛」とは、「朝廷に 人が多く集まり 天子の政治が 始まる」との意味に成り、崖の中腹に有った建物は、朝日が当たる場所に有る朝廷を意味しているのではないだろうか。
そして、「全国の自治体職員に」との言葉は、新しい政治・まつりごとの指示を、地方自治体まで行き届く様に行えとの事なのであろう。
其の、地方自治体の職員に伝える指示の中で、一番大事な件は、「荒廃している人工林の杉林の手入れ・間伐を 速く行え」との事なのではないだろうか。何故なら、間伐の行われていない杉林は、太陽光線が地面まで届かないので、他の草木が生えず、大雨が降ると一気に土が流されて、土砂崩れが起きるからである。
其れは、温暖化で益々大雨が降り、被害が拡大する恐れが有るからであろう。
其れから、「20部」との言葉が告げられて来たのは、其の他にも20部程の部署が必要である理・ことを告げて来ているのであろう。其の様に考えると、今朝の映像で建物に集まって来ていた人々は、其の部署の働きを担う御霊だったのではないだろうか。
・「部署(ぶしょ)」は、政府、都道府県・市町村などの地方公共団体、企業、法人その他の団体・組織・機構などにおいて担当する業務・職掌に応じて分割された組織上の区分のことをいう。 ウィキペディア辞典より
今朝の文章の題は、本日が釈迦の悟った日であるので「説法」としようかと想ったが、昨日のメッセージの映像で、釈迦らしき人物が建物の裏口から出て行ってしまったし、今朝のメッセージの雰囲気から説法ではなく「説諭」とした。
・せつ‐ゆ【説諭】
[名](スル)1悪い行いを改めるよう言い聞かせること。「非行少年を―する」
2とき‐さと・す【説(き)諭す】
[動サ五(四)]物事の道理をかみくだいて教え聞かせる。「非を―・す」
・せっ‐ぽう【説法】
[名](スル)1 仏教の教義を説き聞かせること。「釈迦(しゃか)に―」2 物事の道理などを言い聞かせること。説教。「息子に―する」
其れに、今朝のメッセージは政治に関係が有るので、誰の意志が関係有るかと考えると、聖徳太子の存在が浮かんで来た。聖徳太子は、叔母の推古天皇の「摂政・せっしょう」として政・まつりごとを取り仕切っている。そして、聖徳太子は、政治に関わる人々に対して「17条憲法」を制定している。其の十七条憲法の内容は、役人・官職の心構えに付いて定められているものである。
何故、釈迦が去った後に、聖徳太子の役割が残っているのだろうか。其れは、釈迦仏陀は精神的な事柄に付いて説法をしただけで、政治の事に付いては触れていないからであろう。
其の聖徳太子は、私が日の宮幣立神宮の境内に有る地球平和道場に、平成元年9月3日の夜宿泊している時の、夜半3時33分に「ようやく高天原に達した 臨済から行う」と、伝えて来た事が有る。
其の聖徳太子のメッセージを考えると、聖徳太子の御霊は新しい政・まつりごとが完成するまでは、私と伴に在るのかも知れない。其れに、「聖徳太子の本願は 阿弥陀の本願である」とも云われているので、私の肉体を船としている女神の意志とも通じている。
「壮大なスケールの山場」http://green.ap.teacup.com/20060818/2245.html
今日は、11時前に食事をしていると、NHKのテレビ番組で世界文化遺産と成っている中国の道教の祭りが放映されていた。其れは、文化大革命の激動の時代の弾圧から、何とか守り通した道教の「龍船」の祭りである。其れは、108体の神様を、一隻の船に集めて、海に送り出す儀式の祭りである。
其の祭りからも、神の乗り物が古代から船とされていた事が理解できる。其れは、日本の七福神の宝船とも通じているのであろう。
人間の肉体の事を、日本語では「からだ」と云う。其れは、人の「肉体・からだ」は魂しいが宿る空蝉・殻であり、霊魂が宿って居る者は「霊留・ひと」と呼ばれて来た。其の意味では、私だけが神の船であるのではなく、多くの人々がそうであるはずである。
其れを考えると、其れ等の霊留・ひとが目覚めて、神の為に働き始める為の説諭を開始する必要が有るのだろう。
其れが、三重県志摩市磯部町に存在する「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に祭祀されている「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の働きなのであろう。
平成24年12月8日
礒邉自適
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