言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2013/1/25
「経世済民」天津日嗣bU
25・1・25
今朝のメッセージの映像は、私が「作本」と言う男性から「村造りに関して 相談が有る」との事で、町中に出て行くと言う場面から始まった。
宿泊先でチェックアウトをしようとすると、係りの人が「宿泊料金は 作本さんより戴いていますので 300円だけで良いです」と云った。其れから履物を履こうとすると、私の履物が三通り並んでいて、どれを履くか考えていた。
1つは普通に履いているズック靴で、1つは神主が履く様な草履で、1つは白いスーツを着る時に履く白い靴であった。
次の映像は、自分のガソリン車は置いて、他の人達数人と、後部に充電器が付いている電気自動車に乗り込んで、現場に向かった。其の車には、通信システム等が付いていて、ハイテク車である事が判った。
車が向かった先だが、最初の場所は大きな車の修理工場が閉鎖された町並みの中で、其の町は経済が崩壊して、町に残っているのは、他の町に行き様の無い中年の男性だけであった。
次の場所は、波の音が聞こえる大通りの両側に、10階建てくらいの建物が軒を並べて多数建設されていた。しかし、其の通りには、未だ住んで居る人影が無かった。其の理由は、其の町は政府の指導や予算で計画・新築されている物であり、住民の移動が未だ為されていない様であった。
次の場所は、現在の街並みの中の繁華街で、祭りの行事が有るらしく、大勢の人達が繰り出して、大変な賑わいを見せていた。
其の人ごみの中に、亡く成った妻の姿が在って、見た事も無い様な笑顔で、友達の東房さんと仲良く歩いて居るので、車で走り去りながら電話を掛けて見ると、「結婚したのね」と答えた後、店に入ったらしく料理の注文を始めたので、私は電話を切った。其の店の中には、無庵師匠の存在も在る様な気配がした。
其の映像の意味は、神社の大祭には、死んだ人達の霊魂も参加して、楽しんでいる理・ことを示して来ているのであろう。そして、亡く成った人達が料理屋に集まっているのは、御餉殿や「直会・なおらい」の在り方を象徴しているのであろう。
次に訪れた場所には、「田村さん」と言う名の女性の大学教授か、町造りの研究者の人が居て、様々な書類を用意していた。其の書類の内容は、記憶には何も残っていないが、物事が三段階に設定されていた様な気がする。
其の中には、時間給300円台・600円台・900円台の数字が記されている文章が有って、全てが一律ではないと言う様な価値観が有った。
其の後、田村さんも同じ車に同乗して、現地視察に出掛けた。其の先には、良く晴れた天気の下、紺碧の海から白い波が岸に打ち寄せて来ている、素晴らしい景観の場所が有って、地球の大自然が如何に素晴らしいかを再認識していた。
今朝のメッセージは、私の履物が三通り有り、視察した町中の様子も、1寂れている街並み、2新しく建築されているが人が居ない町、3従来の旧市街であるが賑やかな繁華街と、三通りが示されて来ている。其れに、宿泊した宿で払った料金も百円玉三個である。
そして、時間給の料金も「3・6・9」の3が基本数字に成っている。
其れ等の事柄を考えると、「三の数字は 神の数字で 一人歩きする」との理が本当であるらしい。
中国の老子の言葉には、「道は 一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三はあらゆるものを創り出す。」と有る。
三の数字は「三宝」「三顧の礼」「日々三省」「仏の顔も三度」「三位一体」「三社参り」「三本の矢」「三人寄れば文殊の知恵」「三勇士」「三原色」等が有り、釈迦仏陀が、大悟して7日間の瞑想から立ち上がって歩いた歩数も三歩である。
漢字の「参・サン」は、「ム・晶」がオリオン座の三ツ星の事で、参宿と言う星座の名である。
参は「晶+シン」の組み合わせで、晶は、頭上に輝く三ツ星の象形。音符のシンは、密度が高いの意味を表す。みつ・加わる・参加するの意味を表す。
【字義】(一)@あずかる。加わる。かかわる。「参加」「参与」Aまみえる。目上の人に、お目にかかる。Bまいる。宮中などに行く。Cしらべる。くらべる。照らし合わせる。「参照」Dまじえる。いっしょにする。入りまじる。Eみつ。みっつ。みたび。
(二)@星座の名→参宿・参商。A参差は、ものの形容。
「国語」まいる。㋐神社や寺・墓などにもうでる。「墓参」㋑負ける。降参する。㋒こまりはてる。また、弱る。へたばる。 漢語林より
此の「参」の漢字の意味からすると、私の行動がオリオン座の仕組みに参加している事に成り、今朝のメッセージに現れた田村さんという人物は、Cの「しらべる。くらべる。照らし合わせる。」の役割を果たしている事になり、亡く成った妻佳子は、お祭りに「参っている」事に成る。
今朝の映像では、私が建築現場の写真を撮ろうとすると、自分のカメラが高い物干しに掛けられていて、手が届かず使用する事が出来なかった。
其れに、今朝起きてPCの前に座ると「貴方には無理よ」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方には 無理よ 何もしないで
出来ない事を 口にすると
貴方の 評価が 落ちてしまいます
だから 出来ない 事は 口にしない事です
貴方は 唯 成り行きを
認識するだけで 良いのです
貴方の 認識作用が 事象を 変化させるのですから
其の事に 集中しなさい
事は 順調に 進んでいますので
あまり 無理をしないことです
良いですか 貴方の念いに 全てが 掛かっているのですから
次元を 高くしていなさいね
其れが 高御座の 意味なのですよ
「貴方には無理よ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/493.html
様々な事が動き出している様だが、私はメッセージを受け取るだけで、直接には現場に携わってはいけない様である。
今朝のメッセージの映像から、考えられる事は、古い事象(時代背景)から、新しい事象に、御世が切り替わっている事が示されて来ており、我々の気付き次第で、良き世が完成するとの理・ことであろう。
そして、其れは、出来るだけ多くの人達が「参加」「参与」する事で、早まるとの理・ことではないだろうか。
其れは、新しい経済が起きるとの理・ことでもある。経済とは、「経世済民」の略であり経世済民とは、辞典に次の様に載っている。
「経世済民」世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。▽「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった。 グーグル辞典より
・經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)とは、中国の古典に登場する語で、文字通りには「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。
略して「經濟」(経済)ともいうが、主として英語の「economy」の訳語として使われている今日の用法とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。 ウィキペディア辞典より
此の説明でも解る様に、新しい神・天の働きに拠る、救世の動きが始まっているのである。
我々人類は、其の事に対して、早急に目覚める必要があるのだ。
其れに、今朝のメッセージの始まりが「作本」との名前の人物に、私が呼ばれたとの事であるのは、其の名が、物事の「作りの本」である理・ことを意味しており、創造主の存在を示唆して来ているのかも知れない。
そして、村造りの研究者の名前が「田村」と言う女性であるのは、村造りの計画には水田稲作が欠かせない物である理・ことを示唆しており、櫛稲田姫に関係が有るのかも知れない。
平成25年1月25日
礒邉自適
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