言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2013/3/25
健威満彦
25・3・25
今朝のメッセージの映像は、先ず、ビーナスの様な雰囲気で、美しく優秀な25歳くらいの女性の姿が映し出されて来た。そして、其の女性の姿は、是からも人類が進化して行く事の象徴であり、其の為に、我々男性は努力する必要がある理・ことが示されて来た。
そして、「地球・ガイヤの緻密・詳細」との言葉が告げられて来た。
次の映像は、何処かの大きな建物で、各国の優秀な学者が集い、学術研究の発表会らしき事を開催している様子が映し出されて来た。
私は、言葉が通じないので、建物内には入らなかったが、日本語が話せる70歳くらいのロシア人の男性学者と、庭を歩きながら、人間と宇宙の関係性に付いて暫く話してしていた。
次の映像は、私が、建物の外に展示されている植物等を見学して居ると、65歳くらいの女性が話し掛けて来て、名刺交換をする事に成った。私が、自分の名刺を出そうとすると、自分の名刺が切れているので、由香に「車から名刺を取って来てくれ」と頼んだ。其の女性は「林原」との姓で、山陽地域の山間に山荘を経営している女将さんである事が判り、屋久島には未だ行った事が無いと云っていた。
由香が私の名刺を持って来ると、其の名刺には「たけいみつひこ(健威満彦)」と書いてあった。
其れから、其の山荘の有る場所を訪ねると、緑色の人口林の杉山も有るが、全体的には広葉樹が広がっている山並みが見え、其の山並みは黄色く紅葉していたので、季節は深い秋の様であった。
今朝は、PCの前に座ると「貴方が自分でする事は」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方が 自分でする事は 何も無いのです
貴方は 自分のする事を 考えるのではなく
何を どうすれば 良いかを 考えるだけで 良いのです
そうする事に拠って
正しい言葉が 引き出されるのです
其の 貴方の言霊が 無意識の世界に 広がって
森羅万象に 影響を 与えて行く事に 成るのです
其れが 如来の 働きなのですよ
ですから 三次元で 何をするかを 考えるのではなく
どう成ったら 良いかを 意う事です
貴方の 念いが 此の世を 変えるのですから
全体的な事を イメージしなさいね
其れが 貴方の 役割なのですよ
ですから
出来るだけ 楽しい世界の方に 進みなさい
あたしも 其の方が 楽なのですよ
貴方が 楽しい 未来を 想うとき
あたしも 其処に 在るのです
壊れて行く世界を 心配するよりも
未来を 想う方が 効果的なのです
其れが 貴方の 役割なのですから
其方の方に 全力を 傾けなさいね 」
「貴方が自分でする事は」http://moon.ap.teacup.com/20060103/507.html
今朝のメッセージは、人類が、是からも此の地球で、良い方向に進化を続けて行く事が示されており、其れは、女性の健康と安心を護って行く事にあるとの理・ことの様である。
そして、其の為には、此の地球の細部に至るまで、きめ細かく研究しろとの事なのであろう。其れが、ガイヤの意志でもあるとの事なのであろう。
・「緻密」1 布地・紙などのきめが細かいこと。また、そのさま。「特別に漉(す)かせた―な紙」2 細かいところまで注意が行き届いていて、手落ちのないこと。また、そのさま。「―な仕事ぶり」「―に練り上げた計画」
・「詳細」細部に至るまでくわしいこと。また、そのさま。「―なメモ」「―に調べる」
今朝の映像に現れた、女将の存在は、女性としての成功者と言うか、究極の在り方を示しているのであろう。そして「林原」との姓は、岡山のスーリアさんの実家の姓でもあるが、元「株式会社林原生物化学研究所」の名前とも関係が有りそうである。其の「生物化学研究所」との名前が、今朝のメッセージと繋がりが有るのだろう。
「健威満彦」との名前は、「健・ケン」は「人+建」の組み合わせで、音符の建は、のびやかに立つふでの意味。のびやかに立つ人の意味から、すこやかの意味を表す。「威」は、威厳・威光の威なので「勢いの有る力」を意味している。
「満」は、潮が満ちるの意味で、「彦」は男性の事である。
其れ等を考えると「健威満彦」とは、「威厳に満ちた男性が 健やかに立っている」との様な意味に成るので、女性の進化・ガイヤの存在を支える彦・男性の在り方が、示されて来ているのではないだろうか。
其れが、私の名刺の名前であったのは、今朝の女神の言葉と通じており、私は「健威満彦」の姿で在れとの事なのであろう。
其れは、何か一つの事を、身を屈めてする事ではないので、神仏に祈りを捧げてもいけないのであろう。
其の様に考えると、改めて御稜威の役割が見えて来る気がする。
平成25年3月25日
礒邉自適
2013/3/14
己火
25・3・14
今朝のメッセージの映像は、私が山岳の中腹に有る、神社の様な建物に居て、下から登って来る参道が荒れているので、生えている草木を払いながら、一番下まで下りて行った。そして、一番下の段から、敷石を組み直して参道の修復を始めた。
次の映像は、参道の下に有るお寺の様な建物の中で、私が自分の事に付いて、文章を書き始める場面であった。
其れは、自分の事は、自分が存命中に書き残さないと、死後に、他人に勝手に書かれてしまうと、内容が事実と掛け離れてしまい、真実が伝わらなく成るからであろう。
次の映像は、私が高台の上に建っている、お寺の様な施設に居ると、下の道路に大型のダンプカーが走って来て、建物の下で停車した。そして、ダンプから50歳くらいの男性運転手が降りて来て、私が居る台所の方に向かって、特大のマッチ箱を投げ上げてくれた。
次の映像は、其の建物に客人が遣って来たので、建物の管理主と二人分、氷を冷凍庫から出してコップに割って入れ、湧水を注いで部屋の方に運んで行った。
そして、客人に出されている煮物料理を見ると、其の煮物料理には、鶏か猪の骨の様な物が混ざっていた。
次の映像には、熟年男性が五人現れ、私の方に向かって、横一列に並んで立っている場面が映し出されて来た。其の、列の一番右側の男性は、極端に背が低い男性であった。
其の五人の男性は、昨日のメッセージに有った「516・五色」の役割・働きを意味しているのかも知れない。
そして、極端に背の低い右端の男性の姿は、「少彦名命」の存在を示唆しているのかも知れない。少彦名命は「高御産日神・たかみむすびのかみ」の子供とされており、少彦名命は「智慧の神」とされている。
そして、高御産日神は、「天御中主神」「神産巣日神・かみむすびのかみ」と共に、「造化三神」とされているので、天地創造に関係が有るのではないだろうか。
次の映像には、改革の「改」の漢字の様に、「己+火」の「己火」の文字が映し出されて来た。其の様な、漢字は辞書には載っていない。
漢語林にて、己と火を調べると次の様に載っている。
「己・コ・キ・おのれ」は、人のひざまずく形に似た三本の横の平行線を持ち、其の両端に糸を巻き、中の横線を支点とする糸巻の象形。紀の原字で、糸すじをわける器具の意味を表したが、借りて、おのれ・つちのとの意味を表す。己を音符に含む形声文字に、忌・紀・記・起・跽などがあり、これらの漢字は「糸すじを整える」の意味を共有している。
【字義】@おのれ。おの。ア自分。私 →他。「自己」イ私欲。「克己」Aつちのと。十干の第六位。五行で土に配する。
「火・カ・ひ」は、燃えたつほのおの象形で「ひ」の意味を表す。
【字義】@ひ。ア物が燃える時に生ずる光と熱。「火力」「炭火」イ燃える物。灯火。たいまつの類。ウ火事。火災。「失火」「大火」エ光のあるもの。明かりを出すもの。「蛍火」オ火の模様。カはげしい感情。「情火」A五行の一つ。方角では南。時節では夏。星では火星。十干では丙・丁。十二支では寅。Bやく。(焼)。もやす(燃)また、やける。もえる。「火食」Cいそぐ。せく。「火急」
此の漢字の意味からすると、「己(土)」と「火」は両方とも「十干」と「五行」に関係が有る。
・五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説である。
また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。・・ウィキペディア辞典
其れに「火」は、方角では「南」を意味するので、昨日のメッセージに有った、
「五大明王」の南に位置する「軍荼利明王」とも関係が有りそうである。
「軍荼利明王」軍荼利は梵語クンダリニー(kuṇḍali)に由来し、クンダリニーは体内のチャクラを流れるエネルギー(体内で覚醒したプラーナ)とヨーガでは解釈されている。・・・」
其の意味を考えると、今朝のメッセージで示されて来た「己火」の文字は、己のクンダリニーを調整しろとの理・ことなのかも知れない。
次の映像は、神の御手が、天・宇宙から降りて来て、水の惑星である地球の面を、指先で捻って襞・ひだを作った。そして、其れが、地球の陸地の部分と成った。其れは、人間が陶器を作る時の仕草に似ていた。
其の映像の意味は、宇宙には創造の神が存在し、地球の陸地の部分も其の創造主が決めている事になる。そうであれば、是からも神の御手に拠って、陸地の変形が有ると言う事になるのだろう。
次の映像には、出会った頃の無庵師匠が、黄土色の目差し帽子を被った、魚釣りの服装姿で映し出されて来た。そして、「11月」との言葉が告げられて来た。
私を、1983年3月18日に捜し出した無庵師匠は、2001年11月7日に60歳の若さで彼の世に旅立っている。
私は、無庵師匠に捜し出されてから、後4日で30年が経過する事に成り、無庵師匠が天に帰ってから、今年の11月で12年が経過する事に成る。
其の無庵師匠は、私に「自分は 第七次元までは行って 此の世に降る人々がベンチに並んで座って居る所は見て来たが 其れから先にどうしても行けないので 私が付いているから 其の先を見て来てくれ」と云って、私を此の世界に送り込んだのである。
そして、私が、数カ月間掛かって見た最終場面・世界は、男性が私に向かって、片目を閉じて、指でOKのサインを示して、ドアを閉めて中に隠れてしまったのである。其の男性こそ、片目の錬金術師なのかも知れない。
私が、無庵師匠に「最終の答えは 教えてはいけない と言うのが 最終の答えだ」と云うと、無庵師匠はムッとした顔をしたが、其れ以上は、何も云わなかった。
そして、無庵師匠に最後に直接会ったのは、1989年の8月であるので、其れから既に24年が経過する事に成る。
今朝は、起きてPCの前に座ると、其の無庵師匠の口調で、「自適さん」と呼び掛けて来たので、Wを開くと言葉が綴られて来た。
「自適さん 早いもので
貴方に 出会ってから 30年と成ります
貴方の事が いまでも忘れられないでいます
其れは 貴方に 答えを探す様に頼んでから
答えを 聞いて いないからです
ですが 貴方と共に 30年を一緒に過ごして
疑問だった事柄が 解けて来ました
其れは 貴方の 存在の お蔭です
全ての事は 貴方に任されているのですから
慌てずに ゆっくりと 考えて行けば 良いと想います
貴方が 此方に来るよりも
其方に居た方が 能率が上がるので
身体に気を付けて なるべく 長生きを する事です
其の為にこそ
私は 貴方を 捜し出した事になるでしょう
貴方のお蔭で 私の存在も 意味を持ったのですから
私も 貴方に 心から感謝申し上げます
貴方の活躍を 皆で 見守って居ますので
しっかりと 働いて下さい 」
「無庵師匠の言葉」http://sun.ap.teacup.com/20061030/255.html
今朝のメッセージは、昨日の不動明王の続きであり、残り7日と成った弘法大師空海の1178回忌3月21日に関係が有り、弘法大師空海が寺院の在り方や、僧侶の在り方に付いて、指針を示して来ているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像で、参道を1里程登った山中の建物は、神社の様な建物であり、人間は殆ど寄り付かなく成った場所であった。
そして、参道の下で、道路に近い施設の方は、お寺の様な建物であり、人の住む住居が有り、台所が有って、冷凍庫が有るので、電気が通じており、水道も完備されている事が示されている。
其れに、煮物料理に動物の骨が混ざっていたので、精進料理や菜食主義が徹底されている譯・わけでもない様である。
一般的に考えると、「神社」は神を祀る施設であり、「寺院」は自分が神の働きに目覚める為の修行の場である。しかし、以前は、神社と寺院が同じ場所に有って同じ様な修行が行われていた。其れは、弘法大師空海以前の「役行者(634年)伝 - 701年7月16日)伝」の山岳信仰に因る処が大きいであろう。
山岳信仰では、山伏による護摩焚きの儀式が行われる。其れは、密教の護摩壇に拠る影響なのだろうが、インドの拝火教の影響であり、「クンダリニー」の概念に関係が有るのだろう。そして、不動明王の身体から燃え上がる炎の意味でもあるのだろう。
其れを考えると、自分の生命のエネルギーと言うか、「いのちの炎」をどう燃やすかを、良く考えなければ成らないのであろう。
其の事の意味を、「己火」との文字が示して来ているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像では、私は下の方から上に登って行ったのではなく、初めに山の上に有る神社の様な建物から、下の方に下り始めた。其の意味を考えると、私の意識と言うか魂しいは、既に山の上に在ると言う理・ことに成る。
其の自分の立場を思念に置いて、今後の活動を考えなければ成らないのであろう。
4月15日に、愛媛県大洲市に在る「少彦名神社」で行われる春季大祭まで、残り一カ月である。其の日までに、何処まで意識を詰められるであろうか。
平成25年3月14日
礒邉自適
2013/3/11
季刊
25・3・11
本日は、東日本大震災から丸2年の日である。昨夜のNHK番組で、原発事故後の政府の対応を観た所為なのか、今朝のメッセージの映像には、世の中の経済が停滞して行く場面が映し出されて来た。
今朝の、未明のメッセージの映像には、先ず「422」の数字が映し出されて来た。
*「422」の数字は、端に4月22日の日付の事なのか、「422・死にに」とかの数霊で読む物なのかが判らない。
若し、「死にに」であれば、人間の生命や、経済活動が、死に向かっているとの意味に成る。
次の映像は、私が店の中に居ると、30歳くらいの男性が酒を買いに来て、私が一升瓶を渡すと、親方に「付けといてくれ」と云うのである。其の親方とは、65歳くらいの随分と売掛が溜まっている男性である。
其の店の中には、段ボールの空き箱は澤山有るのだが、棚上には品物が並んではいなかったので、商品の出し入れが殆ど為されていない様であった。
*其の映像の意味は、原発事故の処置や、廃棄物の処理などの付けを、後の代に先送りをしている理・ことを示唆しているのかも知れない。其れは、現在の年金制度と同じく問題を先送りしている理・ことに成る。
其れらの仕組みは、経済が高止まりの時に設定した事であるので、是から人口が減って、経済が縮小して行けば、増々解決が難しく成る問題である。
次の映像は、道路や、広場に、壊れた大型自動車や重機類が、無造作に何台も捨てられていた。
其れは、大型の土木工事が無くなっており、大型の自動車や重機が必要ではないので、修理をする必要が無く、見捨てられてしまっている様であった。
*其の映像は、高度成長期に始まった大量の物資の流通や、大型の土木工事が止まってしまう事を示唆しているのであろう。
次の映像は、私が他の人達と軽自動車に乗り込んで、他の町に移動する場面であった。私は、忘れ物が無い様に自分の持ち物を確認していた。
*其の映像の意味は、世の中の仕組みや、経済活動が変化すれば、人民は移動しなければ、生活が出来なく成る理・ことを意味している。
明け方のメッセージの映像は、未明の映像とは一転して、大空の下、美しい景色を背景にして、海岸の砂浜で、カジュアルな洋服を着た、60歳くらいの身体の大きな男性が、ゆったりと寛いでいる姿が映し出されて来た。
*其の映像の意味は、人間社会が良い方向に向かっている事を示しており、経済の停滞が決して悪いモノ・現象ではなく、寧ろ人間の存在が一段高いレベルに上がる理・ことを示しているのであろう。
其れは、老子や、釈迦が、希望していた世の中が、実現する事を、示しているのではないだろうか。
次の映像は、縦書きの文章が現れて次に横書きの文章が現れ、其の横書きの文章の上の題の所に「季刊」との文字が書かれていた。
季刊とは、次の様に辞典には載っている。
き‐かん【季刊】
雑誌などが、3か月ごと1年に4回発行されること。また、その刊行物。クォータリー。
「季・キ」は、「子+禾」の組み合せで、禾は穀物の象形。穀物の霊に扮して舞う年少者のさまから、わかい・すえの意味を表す。
【字義】@すえ。ア末っ子。兄弟姉妹のうちで最年少の者。出生の順序を、伯・仲・叔・季で表す。イ四季の各三ヶ月の終わりの月。その三ヶ月の順は、孟・仲・季で表す。「季春」「季冬」ウおとろえた世。未年。
Aわかい。幼い。「季女」Bちいさい。こまかい。ほそい。Cとき。ア春夏秋冬の各期間。三ヶ月をいう。イ季節。時節。また、時期。時のひとくぎり。
「刊」は、「刂(刀)+干」の組み合わせで、音符の干は、おかすの意味。刃物でおかす、けずる、切り除くの意味を表す。
【字義】@けずる。のぞく。切る。切り除く。Aきざむ「刻」。ほる「彫」B書き物を出版する。「刊行」。
参考 刊・カンは、木を彫って書き物を出版する意。
刋・センは、けずるの意で、無用・過誤をけずりただすこと。
此の「季」の漢字の意味から考えると、今朝のメッセージの意味は、死に行く文化(衰えた世)に対して、末っ子が文章を刊行しなければ成らない理・ことを伝えて来ているのかも知れない。
其れは、神農や老子や釈迦を「伯」として、聖徳太子を「仲」として、西郷隆盛や桜澤如一を「叔」とし、私が「季」として、何等かの文章を書き残す必要がある理・ことを、示唆して来ているのかも知れない。
其の様に考えると、私は縦書きの文章と横書きの文章を書いて、横書きの文章の方を、季刊誌として出版しなければ成らないのではないだろうか。
昨日の文章には書かなかったが、昨日の映像には、屋久島でも捕れる、海底の砂原に住む、赤い「朝日蟹」の姿が映し出されて来た。そして、今朝のメッセージには、木屑の中に住む茶色の「岩蟹」の姿が映し出されて来た。
其の蟹の意味は良く判らないが、蟹は脱皮をする生き物なので、人間社会が是から脱皮(次元変化)をする理・ことを、示唆して来ているのかも知れない。其の事を知らせる為に、昨日は、太陽の様に赤い色をした「朝日蟹・旭蟹」を象徴として、映し出して来たのではないだろうか。
そして、其の蟹が脱皮しながら大きく成って行く事が、人間の魂しいにも関係が有り、昨日のテーマであった「壽」の「生命が長くつらなる、いのちながいの意味」と関係が有り、人類の存続が長く続く理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
然し、其の為には、「刊・刋」の漢字が意味する、「けずるの意で、無用・過誤をけずりただすこと。」を、現在の肥大し過ぎた人間社会に、適用する必要が有る理・ことを、示しているのではないだろうか。
其の事を、人間が自分自身で認識して、行わなければ、天・神が直接行うと言う事なのであろう。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、本日の日付に合っていると言う事に成る。
平成25年3月11日
礒邉自適
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