言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2013/4/24
帝京
25・4・24
昨夜から雨が降り出して、今日は本格的な雨振り天気である。
昨日までで、大体の処、中山の畑作業と敷地の草刈が済んだので、今日はゆっくりと思考作業ができる。
今朝のメッセージは、「帝京・テイキョウ」との言葉が告げられて来て、息子や娘の教育に付いての事が、映像にて映し出されて来た。
其の教育の基本は、現在の学校教育の形式ではなく、植物などの一生を通じて、自然の法則(道・法・理)を学ぶ事が、第一とされていた。
今朝のメッセージは、其れだけである。
其れは、テーマは限られているが、最も重要な事であるので、時間を掛けて吟味しなければ成らないのであろう。
其の様に考えると、本日が本格的な雨天である事も、私の存在と森羅万象の働きが、一体化している理・ことの証しと成るであろう。
そして、其れは、昨日のメッセージに有った、「天地人」の内容
「天は大なり 地は大なり 人もまた大なり
域中に四大あり 而して人は其の一に居る
人は 地に法(のっと)りて 地は 天に法りて
天は 道に法りて 道は 自然に法る 」 とも 繋がっている。
今朝のメッセージで示されて来た「帝京」の言葉は、辞典に次の様に載っている。
てい‐きょう【帝京】
1 天帝のいる天上。2 天子のいる都。帝都。
「帝・テイ」の漢字 象形。甲骨文でわかるように、木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。
帝を音符に含む形声文字に、締・諦・蹄などがあり、これらの漢字は「しめくくる」の意味を共有している。
【字義】@みかど。きみ。天子。「帝王」「皇帝」Aあまつかみ。天の神。「天帝」「上帝」Bかみ・五行の神。「五帝」Cおおきい。
「京・キョウ・ケイ」の漢字 象形。甲骨文でもわかるように高い丘の上に建つ家の形にかたどり、高いおか・みやこの意味を表し、転じて、大きいの意味をも表す。京を音符に含む形声文字に憬・景・などがあり、これらの漢字は「高く大きな丘」の意味を共有している。
【字義】@みやこ。帝都。「帝京」Aたかいおか(丘)大きい丘。また、たかい。B大きい。さかん。Cうれえる形容。D数の名。兆の十倍。今は兆の一万倍。
漢語林より
今朝は、起きて階下の事務所に下りて来ると「一縷の望み」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられてきた。
「一縷の望み
其れは 貴方に 対する あたしの 気持ちです
貴方の 存在が なければ
天の働きを 原点・もとに 戻す事が 出来ないのです
ですから 貴方の存在が あたしにとって
一縷の 希望であると 言う事に 成るのです
ですから 貴方の 現在・いまの 取り組みは
間違っては いません
ですが 貴方の 行動は
人間社会にとって 効果的では ありません
ですから 此れから
流れを 少し 変化させますので
其の事を 気に留めて いてくださいね
是からが 本格的な 詰めなので
今朝 「帝京」の 言葉を 送りました
其の 言葉が 貴方の 是からの
指針と 成れば 良いと 意います
其れは 貴方にしか 出来ない事なので
他人に 無理やり 理解を 求めなくても けっこうです
全ての 無意識の中に
あたしの 存在は 通じています
其れが 神の 真の 在り方です
ですから あたしに お任せあれ 」
「一縷の望み」http://moon.ap.teacup.com/20060103/522.html
今朝のメッセージの内容を総合して考えると、現在の人間社会の在り方と言うか「政・まつりごと」が、正しくないと言うか、本来のカタチではない事を示して来ている。
其れは、改革が必要であり、其の基本は、子供達の教育にあると言う理・ことである。
現在の学校教育の基は、ユダヤ人の生き方である「資本主義」と、マルクスの言を歪めて利用している「共産主義」や「社会主義」、其れにマホメットの生き方を継ぐ「イスラム主義」が主流を占めており、嘗て行われていた「帝国主義」や「王政」のシステムは力を失っている。
其れに、イエスキリストを代表とする「メシア・キリスト」の価値観や、釈迦仏陀の訓えは形骸化しており、真の訓えは継続されてはいない。
一番肝要なのは、現在一番良いとされている「民主主義」が、一般選挙に拠って国家運営の代表が選ばれるので、立候補する者は民衆の人気を集める必要があり、愚民政治と成っている事である。
其の弊害は、取り返しが着かない程の状況に成っており、マスコミが其の動きの中心と成っているので、其の背景・バックにはユダヤ資本主義が席巻している事に成る。
そして、現在の学校教育は、其の社会体制の中で、「どうしたら成功するか」に、全エネルギーが掛けられているのである。
其処には、昨日のメッセージに有った「天地人」の訓えは微塵も無いのである。
其れ等の事に付いて、是まで私が書いた文章は幾つか有る。
・「臣・ジン」しっかり見ひらかれた目の象形で、賢いけらいの意味を表す。臣を音符に含む形声文字に堅・樫・腎・賢などがあり、これらの漢字は「しっかりしている」の意味を共有している。
【字義】@けらい。ア君主に仕える人。「臣下」。イしもべ。めしつかい。「臣妾」。A家来となる。家来として仕える。また、家来とする。B家来として本分を尽くす。Cたみ。一般の人民。D家来が君主に対する謙遜の自称。E昔、自分を謙遜していうことば。
・「主・シュ」火ともし台の皿の上に火が燃えている形にかたどる。炷の原字。静止しているほのおの意味から、転じて、じっととどまって動かない中心的存在・ぬし・あるじの意味を表す。主を音符に含む形声文字に、住・柱・注・炷・註・駐などがあり、これらの漢字、「じっと一点に留まる」の意味を共有している。
【字義】@ぬし。あるじ。中心となる人。支配する人。ア一家の長。戸主。イきみ。かしら。おさ。つかさ。仕える相手の人。主君。主人。ウ客を迎える人。「主客」エ神霊の宿る所。みたましろ。キリスト教の天の神。「天主」。Aおも。おもに。中心。根本。また、中心的なはたらきをする。Bつかさどる。すべる。「主宰」。Cすわる。やどる。居る。
・「柱・チュウ」は「木+主」の組み合わせで、音符の主は、静止しているの意味。動かない木、はしらの意味を表す。
【字義】@はしら。ア梁・棟木を受けて屋根を支える材木。イ広く、物をささえるものの称。「天柱」「支柱」ウはしらのように直立しているもの。「氷柱」エ中心として他から寄り頼まれるもの。「柱石臣・チュウセキのジン」Aことじ。琴の弦を支え、移動させて音調の高低を生じさせるこま。
そして、其の事と私の関係は、説明の中から選び出すと次の様なものになる。
「主柱・全体を支える最も重要なもの。」
「臣・しっかりしている。」
「主・じっと一点に留まる。神霊の宿る所。」
「柱・中心として他から寄り頼まれるもの。柱石臣・チュウセキのジン。」
「主柱・ぬしばしら」http://green.ap.teacup.com/20060818/2615.html
・・・しかし、民主の「民・ミン」の漢字の意味は、「戦いに負けて 矢で目を潰されて 奴隷に成った者(目暗・めくら)」なので、其の漢字の意味の通りに、現代社会は国民だけではなく、「臣・ジン」の漢字の「大きな目で物事を良く見る」の意味の大臣までもが、無明の中に落ちてしまい、未来が閉じて来ているのである。
古代社会は、皇帝や王様や宰相が政治を行っていたが、其の皇帝や宰相も、山中に一人で住んでいる仙人や聖者に、アドバイスを受けていたのである。どちらかと言うと、其方の方が政治は簡単であり、経費も少なくて済んだのである。
現在の日本の国会は、議員が衆参合わせて定数722人も居て、現在の有様である。・・・
「谷間の小さな村に住め」http://green.ap.teacup.com/20060818/2181.html
・・・「キリスト」や「ブッダ・仏」の言葉が導入される迄は、其れ等の概念は此の国には無く、「帝・御カド」の言葉を持ち込んだイスラエル(ユダヤ)の神官・カド族にも無く、其の前にシュメール文化の王である「すめらのみこと」の概念が有り、其れは現在でも「天皇・すめらのみこと」として伝えられているが、其の「スメラミコト」は日本列島各地の多くの部族の中に存在した「長・オサ(治める・長目)」であったのだ。
其の「長目」の概念は、総理大臣の「臣・ジン(大きな目・物事を能く見詰る目)」の働きとして、残っているのである。だが、現在の政・まつりごとを司る大臣には、其の大きな目は具備されてはいないのである。・・・
「高沈寺 23・5・1」http://green.ap.teacup.com/20060818/1800.html
・・・今朝のメッセージの意味は、此の三次元の現実世界で、キリストを迎え入れる教育が成されないかぎり、キリスト・新しい王の復活は、無いと言う事ではないだろうか。
其の問題を解決する為には、現在の「民主(目を潰されて奴隷に成った者が主 の意味)主義」を、「臣主(大きな目を開いて世の中の動向が良く見えている者が主 の意味)主義」に切り替えなければ成らないであろう。其れが成されないかぎり、キリストが此の世に現われても、誰も、其れをキリストの働きであると、認める者が居ないと言うことである。・・・
「中味が勝負」http://green.ap.teacup.com/20060818/1637.html
・・・今朝、私が気に成る事は、昨日から続いているメッセージの写真の世界は、人間の目線に関係が有る。「見」の漢字は、大きな目の人の意味で、ものを明らかにするの意味である。其の「見」が使われている漢字は、見・規・視・覔・覓・莧・筧・覚・覗・親・覘・硯・絸・覕・現・睍・覬・覲・観・覧などが有る。
其れに、日本語の「みる」に当てられている漢字は「見る・観る・視る・看る・診る」等の5つが有る。しかし、其の5つの中には、今朝、私が見て居た世界に、ピタリと当て嵌まる漢字は無い。
今朝の映像の中で、私が意識した世界は「愛」「憂」の行為を基とする、「視学・シガク」「視事」「視察」「検視」「規戒・キカイ」「規正」「規制」「規範・キハン」「規程・キテイ」「親見」「親察」「親書」等の、行為に関するモノであり、漢字文化の方が、具体的に説明し易い世界である。其れは、民衆と、国家権力の地位の差が生じてから、必要とされて、開発されて来た言葉だ・・・
「大山祇神の復活」http://green.ap.teacup.com/20060818/1246.html
これ等の文章を見ると、今朝のメッセージに関する様な事は、是までに何度も触れて来ている事が判る。其れを考えると、新たな「理・価値観」を生み出す為に、私は、今一度、新しい分野に足を踏み込まなければ成らないのであろう。
今朝のメッセージから私が考えるのは、「民主主義(愚民政治)」の在り方から、如何に我々人間は逃げ出せば良いかである。
其れは、アフリカの草原や、アマゾンの奥地などで、原始生活を続けている民族には全く関係が無い事だが、グローバル化された近代社会の経済システムに取り込まれている国の国民には、共通の問題である。
其れ等の人々には、天帝の意志から外れている報いが、近い内に訪れるのであろう。其れを考えると、確かに女神が告げて来た様に、此の私の存在に「一縷の希望」が賭けられているのかも知れない。
其の、課題を与えられた私にとって、唯一の手掛かりが老子の「タオイズム」なのではないだろうか。
現在の時間は、9時39分である。雨脚は益々激しく成って、今日は外には出掛けられない状況である。其の雨は、伸び始めた若葉にとっては 正に天の恵みである。其の草木の気持ちに成れば、本日も「好き日」であると言う理・ことに成るであろう。
平成25年4月24日
礒邉自適
2013/4/9
経験
25・4・9
今朝のメッセージには、私が是まで体験・経験して来た、様々な出来事の映像が映し出されて来た。其れは、他人から聞たり、映画やテレビで見て覚えた事は、ただの知識であり、神の働きには役立てる事が出来ないと言う理・ことである。
神の役に立つ為には、体験・経験を多く積んで、潜在意識で自分の行動が左右出来る様に成らなければ成らないと言う理・ことである。其れは、日本語に有る「からだで覚える」と云う世界である。
「経験」に付いてPCで検索すると、次の様に載っている。
「体験」
1自分で実際に経験すること。また、その経験。「貴重な―」「戦争を―する」
2哲学で、個々の主観のうちに直接的または直観的に見いだされる生き生きとした意識過程や内容。特に、生の哲学ではその中心概念をなす。
「経験」
1 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。また、それによって得られた知識や技能など。「―を積む」「―が浅い」「いろいろな部署を―する」
2 哲学で、感覚や知覚によって直接与えられるもの。 大辞泉より
「経験(けいけん、英: experience)」は、想像や情報を、知識として知っているだけではなく、実際に単一あるいは複数の行為に参加あるいは行動を実践することによって、物事を理解したり、技術を習得したりすること。哲学においては感覚や知覚によって与えられる所与、またはその過程を指す。
経験論的な考えでは、経験によって知識は得られるし、理論や命題の正しさは経験によって検証・保障される。
経験して得た情報でも単純な物は、脳の機能の中でも、知能を司る大脳の前頭葉で理解する以前に、反射を司る脊髄や大脳の運動野といった他の部分に関連していると考えられている。これら経験によって得た能力は、軽度の意識障害を起こしていてもある程度は発揮でき、認知症や記憶喪失といった物に関わり無く利用できる場合が見られる。 ウィキペディア辞典より
今朝のメッセージに映し出されて来た、映像を幾つか上げて見ると、次の様に成る。
・個人的な体に拠る体験。
海に行って居て、岩場で波に襲われそうに成るが、波の力を巧く利用して岩の上に這い上がる。
・自分の家族の関係。
川の中を、子供を背負った妻が渡っている後から 息子が渡って来る。水深が深く成っている所で、息子が溺れたので、泳いで行って息子を救い上げて水を吐かす。
・育った実家の様子。
自宅に、農協の職員が掛け金の徴収に来て、母親が財布から3500円程の金を支払う。
・自然界の動物に関する対応。
小鳥を、襲って捕まえた白鷹が、倉庫の中に飛び込んで来たまま、倉庫から出て来ないので行って見ると、小鳥を捕まえた瞬間に建物に衝突したらしく、目を回している事が判った。優しく抱いて、自宅に持って帰り、回復するまで、箱の中で飼ってやる事にする。
・社会活動に関わる現場。
村の広場で、行われる祭・イベントの手伝いをする。リーダーの大型貨物トラックの後部には、無線で使用できるITのコンセントが付いている。
今日は、朝起きる時に、「どうしても」との言葉のフレーズが来たので、PCを開いて其の題を打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「どうしても 出来ない事
其れは 貴方への 裏切りです
貴方は 此処まで 長い間
神に 仕えて 来ましたので
貴方を 見捨てる事は できません
ですから 貴方が
神の為に成る動きを してもらわなければ
全体の動きが 停止して しまう事に 成るのです
貴方が 良い方向に 動き出す事で
此方の方は 貴方を 支える事が 出来るのです
其れが 神の働きの かたちです
貴方が 神の為に成る働きを しているうちは
貴方と共に 在る事が できるのです
良いですか 貴方の 創造力が
全てを 良い方向に 進めるのですよ
貴方の 今後の 働きに
皆が 期待しています
「どうしても」http://moon.ap.teacup.com/20060103/515.html
此の女神の言葉からも、私が是まで体験・経験して来た事を生かして、未来社会創造の為に、活動を続けなければ成らない理・ことが示されて来ている。
私の自分の是までの文章を「自分の体験」で検索して見ると、「約束を護る」12件。「前のメッセージ」20件。「自適随筆」11件が有る。
其の中の文章には、次の様な内容のものが有る。
・・・私は、農家に生れ、小さい時から両親と畑で過ごして来た。畑仕事では、必要以外の言葉はいらないので、一日中畑に居ても、「お茶にしようか」とか「もう止めて帰ろうか」とか、限られた言葉しか交わされない。
世間話も無いし、映画や音楽の話題も無い。グルメの話とかは夢にも出て来ない。服も、盆と正月に兄弟が一着ずつ買って貰うだけだったので、ファッションとも無関係である。
其の様な環境で、私は育ったのに、どうして一人前の人間に育ったのだろうか。
改めて、その事を考えると、家には、馬・牛・山羊・豚・鶏・犬・猫等が居たので、牛馬や山羊に食べさせる草刈をしたり、豚の餌にする薩摩芋を刻む行為をする時に、「牛の草を取りに行かなければ」とか「豚の餌を刻まなければ」とか、声には出さないが、行為自体を、言葉で判断していたので、其れ等の日常が、言葉を組み立てる事に繋がったのかも知れない。
良質の草を刈って来て、牛馬が美味しそうに食べるのを見れば、「そんなに美味しいか」との気持ちが、言葉に拠って生じて来る。
誰かに、此の行動には、こんな言葉が使用されるべきであるとか、教えられた分けでもないのに、いつの間にか、数多くの言葉を、現場の中から汲み取っているのである。
私の頭には、方程式の様な、専門用語は何も残っていない。頭が覚えられないのである。私の頭の中には、現場の映像が無いものは、記憶され難いらしい。
樹木の名前も、生活に利用した物は、名前を覚えているが、生活に直接関係の無い物は、覚えていないし、聞いても直ぐ忘れてしまう。
鳥の名前も、自分が飼っていた小鳥や、罠を仕掛けて捕まえて食べた鳥の名前は、今でも忘れないで覚えている。・・・
「現場には物を通した言葉が有る」http://moon.ap.teacup.com/20061108/458.html
・・・過去の聖者と云われている人達は、他の生物の存在の大事さと、人間の大脳意識の危さを説いている。人間は、大脳皮質が発達し、五感を広げ、眼・耳・舌・鼻・身によるセンサー刺激を、認識パターンに組み込んで、意識を紡いで来た。そして、その認識パターンは感情を伴いながら、芸術や哲学など、自然界に無いものを創造し、やがて人類は、自分達の組み上げた社会のカルマ・業に溺れてしまったのである。・・・
「苦」http://moon.ap.teacup.com/20061108/19.html
・・私の中の記憶を、物に例えれば、硬い石に例える事が出来る。その石は、罅(ひび)割れが幾重にも皸われていて、離れそうで、離れないまま、罅(か)けて付いている状態と謂えよう。短く言うと「ひび割れて しわくちゃの かたい石」である。
私の人生は、私の17歳の秋に父親が49歳で死んでから、多くの人々に出会い、苦しみや喜びを与えられて来た。その数が、罅割れの数であり、心の皸(ひび)と成っている。人生での苦労は、顔の皴(しわ)として残るというが、私の皴皸(シュンクン)は罅(カ)と成って人物模様を醸し出している。・・
「体験」http://star.ap.teacup.com/170606/495.html
・・・自分の中を流れている、不変の真如(真理)の流れこそ、自分が頼ることが出来る唯一のものなのである。私は今朝、其の不変のエネルギーの流れを、確かに感じ取ったのである。私が、人々に伝えられるものは、理屈や技法などでは無く、其の不変の生命の流れを、感じ取れる生活の仕方だけである。其れは、東京や大阪などの大都市ではなく、自然豊かな環境の中で、行なわれるべきものである。やはり私は、屋久島の自然の中に帰るべくして還されたのであろう。都会では、感じ取る事が出来ないものこそ、この屋久島に有るものなのだ。ようやく屋久島の力が、私の肉体にも蘇って来たのだろうか。・・
「普遍真如」http://star.ap.teacup.com/170606/85.html
これ等の文章を読むと、改めて、中学校しか出ていない私が、此の様な文章を書いている事に対して、不思議に想う。其れは、近代文明の発達にも起因するが、神霊界の助力が有ったからである。
其の事を考えると、其の恩恵に対して、私は是からも天・神の存在に対して敬意をはらいながら、未来創造の為に努力を続けて行かなければ成らないのであろう
其れが、救世の現場に関わると言う事なのだ。
そして、其の行動こそが、釈迦や、老子や、イエスなど、多くの過去世を生きた人達の、供養にも成るのであろう。
平成25年4月9日
礒邉自適
2013/4/7
のりとの言葉
25・4・7
今朝のメッセージの映像は、先ず、姿の見えない60歳くらいの男性と何処かの山中に居ると、突然山が崩れて来たので、急いで斜面の左の方に逃げ出した。
何とか、崩れて来た土砂に流されないで、安全な所まで到達して、一息つくと、今度は下の方から50歳くらの男性が、丸く巻いた山登りに使用する長いザイルを手にして、登って来た。
次の映像には、言葉が書かれた紙が入っている容器が、10個程、円形に並べられており、其の文章は、全て古く成っているので、使用価値が無くなっている事が解った。
次の映像には、新しく編まれた竹籠が、一つ映し出されて来て、其の竹籠の中には、丸められた紙クズが二個投げ込まれていたので、誰かの手が其の紙クズを取り出して外に捨てた。
今朝のメッセージの映像が、何を意味するのか分からないまま起きると、女神の言葉が有ったので、其の内容から、どうやら今朝のメッセージは、我々人間が使用する言葉が、テーマに成っている様である。
其れは、弘法大師空海が興した「真言宗」にも関係が有るのだろう。
弘法大師空海が興した真言宗は、「密教」の流れであるが、其の密教も元は釈迦仏陀の仏教の一派である。其れを考えると、今朝のメッセージは明日が誕生日である釈迦牟尼仏陀にも関係が有るのではないだろうか。
其れに「愛」がテーマに成っている事を考えると、愛を説いた「イエスキリスト」の存在も関係が有るのだろう。
しかし、其の事と、今朝の山崩れの映像には、どんな関係が有るのだろうか。
其れに、山が崩れ落ちる時には、私は姿の見えない男性と二人で逃げたが、避難した後には麓から現実的な登山者が登って来た。
山崩れの「崩・ホウ」の漢字は、「山+朋」の組み合わせで、音符の「朋・ホウ」は、「鳳・ホウ」の象形が変形したもの。鳳は、凡に通じ、ひろがり散るの意味。山がひろがりちる、くずれるの意味を表す。
【字義】@くずれる。ア山やがけがくずれる。イこわれる。やぶれる。すたれる。ウばらばらになる。Aかくれる。みまかる。天子の死をいう。「崩御」Bくずす。 漢語林より
此の「崩」の意味からすると、今朝の映像に現れた10個程の文章の入った容器が、円形に広がって言葉・文字の力を失っていたのは、鳳凰の力が失われている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其れに、山に姿の見えない60歳くらいの男性が存在したのは、天子が崩御した時に、山岡の山頂に祀られる事と関係が有り、「天子・天皇」の「詔・みことのり・言葉」が力を失えば、山が力を失って崩壊してしまう理・ことを、示唆しているのかも知れない。
其れに、日本の価値観には「言霊幸合う国」と有り、自然の中に「言霊」が満ちていると考えられ「敷島の道・和歌」が発達して来た。そして、天皇・大君が敷島の道を実行する事で、天地人の和合・調和が行われるとされて来た。
其れに、日本の神道では、神は「高き山 低き山の 草草の陰に棲む」とされて来ている。
其れを考えると、神霊・聖霊が棲む山が崩壊すると言う事は、言霊の世界が崩壊する理・ことに成るのである。
それに、今朝のメッセージの映像には、新しい竹籠が映し出されて来て、其れは屑籠ではない理・ことが示された。其れは、新しい言葉・祝詞を書いた、紙札を入れる為の、容器を意味しているのであろう。
言葉の「言・ゲン・ゴン」の漢字は、「辛+口」の組み合わせで、「口」は「ちかいの文章を入れる容器」の意味であると、白川静氏は述べている。
其れを考えると、今朝の映像に現れた新しい竹籠は、新しい誓いの言葉を書いたお札を、入れる物であると言う事に成る。其の様に考えると、今朝の女神のメッセージの意味が良く理解できてくる。
「真言」とは、インドの「マントラ」の訳であり、「マントラ」とは「マン」が「考える・悶・モン」の意味であり、「トラ」は「容器・皿・サラ」の意味で、マントラとは「言葉は 考える為の器である」との意味である。
其れに、弘法大師空海が「讃える神・はたらき」は「大日如来・マハーヴァイローチャナ」である。大日如来とは、「宇宙の真理の本体」との意味であり、其れを三つに分けた説明に「三蜜」が有る。
・・・宇宙の存在は大日如来の「身」であり、其の身には「意」が有り、意が有るから「言葉」が有ると言う理・ことである。
だから、正しい言葉・真言・マントラを唱えれば、宇宙の森羅万象に働き掛けが出来ると言う事である。
其れを考えると、正に今朝のメッセージの映像は、私の意識が其の「大日如来」の体内に潜り込んで居たと言う事に成るのではないだろうか。・・・
「門付けの言葉」http://green.ap.teacup.com/20060818/1835.html
・・・その3つの世界こそ、大日如来の三密である「身・口・意」の世界なのである。其の「身・口・意」とは、身が「身体・健康」で、口は「言葉・知識」であり、意は「こころ・精神」の理・ことである。
人間は、死ぬ時に「身体・肉体」は地上に置いて行く、そして「知識・記憶」と「精神・魂しい」は分離して、他の次元に移るのである。そして、新たに生まれて来る時に、約3kgの肉体と、神の「こころ・心・精神」を携えて、此の地上に生まれるのである。
そして、其の時代の知識を集め、新たな「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を、自らの内に組上げて行くのである。其の為の舞台が、此の、美しい環境に恵まれた地球なのである。
此の、礒邉自適と名づけられた1個の個体は、62年前「霊留・ひと」として此の世界自然遺産に登録された屋久島に生み落とされ、神の働きに拠り、新しい「身・口・意」を組み込まれたのである。其れが、此処3日間で極みに達し、糸車の「芯・紀」が現れ出て来たのであろう。
「大日如来・マハーヴァイローチャナ」とは、「宇宙の真理の本体」との意味である。其の「真理の本体」こそが、釋迦牟尼佛の謂う「縁・エン」であり、日本の神道の「結び・注連縄」の意味であり、海原の生命進化のルーツである「素戔鳴・スサの尾・クサの穂・生命の鎖・いのちの連鎖」の情報の素・もとなのである。・・・
「大日如来を育てる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1300.html
今朝のメッセージの映像で、麓から手にザイルを持って上がって来た男性は、日本の神道の「結び・注連縄」を手にして、神の棲む山に登る理・ことを意味しているのではないだろうか。
其れは、古代から世界中で行われている、山岳信仰の人間の「祷り」の行動を意味しているのかも知れない。
私が、生まれ育った屋久島では、昔から山岳信仰の形である「岳参り」の行事が行われている。そして掟には、「山岳の峰から峰は、神様の通り道だから、昼寝をしてはいけない。寝ると神様に依り憑かれる。」とも有る。
私は、其の掟に逆らって、頂上の花崗岩の上で昼寝をするのが好きであった。
其の所為で、私はこの様な人生を、送る嵌めに陥ってしまったのであろう。
しかし、どうやら其の事も、謎が解けて来た様である。其の山の掟も、私の様な状態に成った人々が居たからこそ生まれたのであろう。そして、其の事で、山岳信仰の世界が発達して来たのだ。
私は、66年間掛かって、其の事の解明をした事に成るのであろう。
後は、普通の人間に帰って、子供達に「パパ・papa」と呼ばれる存在に成れば良いのであろう。
子供達は、大人に成るまでは、自分の父親が相対物である。其れが「天の父・Father」を相対物として求めるまでは、父親が責任を持って育てなければ成らないのである。其の為には、父親が正しい言葉・真言を護っていなければ成らないのだ。
平成25年4月7日
礒邉自適
1 | 《前のページ | 次のページ》