言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2013/10/18
かみのみち・西洋のゴッド
25・10・18
今朝のメッセージの映像には、先ず、横書きのアドレスの様な物が、縦に多数並んでいるのが映し出されて来た。そして、其れ等のアドレスのテーマ・名の内容は、修復か訂正をするべき物である事が理解された。
其の中に、特に大きく金色に光っている行が有るので、其のアドレスを開いて見ると、色々な神の働きをしている男女の姿が映し出されて来て、其れは新しい神の働きが始まっている理・ことを示唆していた。
其れから、「かみのみち・西洋のゴッド」との言葉が知らされ、何処かの県北の土地に、新しい町を建設しなければ成らない事が示されて来た。
何故、新しく始まる神の世界が、日本の「神道」ではなく西洋の神の概念である「ゴッド」なのであろうか。
其れは、日本の「神道」は「神惟道・かんながらのみち」で、禊祓いが重要視されており、実質的な行動が示されていないので、主体性が無いからなのかも知れない。
ゴッドを検索すると、次の様に辞典には載っている。
1.ゴッド【God】
1 キリスト教で、創造主。神。天主。2 (god)一般に、神。神霊。神像。
更に「ゴッドの語源」で検索したら、千葉県の男性のブログがヒットし、次の様に書かれている。
・・・Gott(神)は、ゲルマン語にしかない言葉である。この言葉は、rufen(呼ぶ)を意味する印欧語のghauという言葉に由来しているか、又はgießen(注ぐ=また供え物の意味として)を意味する印欧語のgheuという言葉に由来しているかのどちらかである。もしghauという言葉に由来しているならば、Gottは「(魔法の言葉によって)呼びかけられるもの」であろうし、もしgheuに由来しているならば、この語は、(飲み物の供え物として)捧げられるものであるだろう。
(英語・オランダ語のGod、スウェーデン語のgudなど)ゲルマン系の言語の中にある「Gott」という言葉は、色々と異なった印欧語で使用される概念に置き換えることができる。インドからポルトガルに至るまで、この「Gott」の名前は、deiwosという基本形に由来している。すなわち、古インド語のdeva、ギリシャ語のZeus、ラテン語のdeusである。また、ロマン語系の言語での表記も、これに由来しており、Dieu(フランス語)、Dio(イタリア語)、Deus(ポルトガル語)となっている。
ゲルマン語にも、この名をもつ神がいた。天と戦争の神であるTiwazであり、また、Tiu、Tiv、Tyr、Zivとも言われている。実は、週の二番目の曜日の表記もこれに由来している。英語のTuesday、ドイツ語のDienstagだ。Tiwazは、ゲルマン人がローマの古代文明圏と接触した時に、Mars(火星)と同義であると見なされた。それゆえ、ロマン語における週の二番目の曜日もまた、そのMarsに由来する。例えば、フランス語では、mardi、イタリア語では、martediとなっている。・・・ 〜引用終了〜
http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/4bd45072b1e5397bb7b6050563c57496
今朝は、「ゴッド」を調べて居て次の様な説明が有った。
・・・そして、アドナイ(主)と読み替えて音読される「יהוה」とエロヒームは、彼らの一人のようになったアダム(人)が命の木からも取って食べ永遠に生きないよう、アダム(人)をエデンの園から追い出し、また、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東に回されている燃える剣とケルビムを置いたことが記されている。[7]
「申命記・詩篇・箴言・知恵の書」などにおいて神を信じる人々のあるべき生き方が示され、サムエル記・列王記・マカバイ記・エステル記などにおいて神を信じた人々の生き方が示される。
なお、アドナイ(主)と読み替えて音読される「יהוה」をそのまま声に出して読まない訳は、「神の名」を唱えてはいけないと伝えられているからだ。
ただし、アドナイ(主)と読み替えて音読される「יהוה」は、次の通り、イスラエルの祭司族であり書紀族でもあるレビ族の嗣業を指す[8]。
口語訳聖書申命記10章9節‐そのためレビは兄弟たちと一緒には分け前がなく、嗣業もない。あなたの神、主が彼に言われたとおり、主みずからが彼の嗣業であった。
新共同訳聖書申命記10章9節‐それゆえレビ人には、兄弟たちと同じ嗣業の割り当てがない。あなたの神、主が言われたとおり、主御自身がその嗣業である。・・ 〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
此の説明の中には、「命の木に至る道(永遠の命)」と「嗣業・しぎょう」との言葉が有る。
「命の木に至る道(永遠の命)」とは、私に「命を探せ」と告げて来た女神に関係が有りそうだし、「嗣業」との言葉は日本の「天津日嗣」に関係が有り、永遠の命の世界を継ぐ者の存在に関係が有りそうである。
「命を探せ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/
「嗣・シ」は「冊+口+司」の組み合わせで、冊は、あとつぎを立てるときの、みことのりの意味。口は、その冊を廟で読むことを示す。音符の司は、つかさどるの意味。廟であとつぎを立てる文書を読み上げる儀式をつかさどるさまから、あとつぎ・つぐの意味を表す。
【字義】@つぐ。あとをつぐ。「継嗣」Aあとつぎ。よつぎ。「嗣子」
漢語林より
・・・岡本天明にお筆先が降り始めたのは、1944年(昭和19年)6月10に千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前である。
其の現象を考えると、岡本天明に依り憑いた神霊は「天之日津久神」であると言う事になる。
「麻賀多神社」http://moon.ap.teacup.com/20051112/102.html
其の「天之日津久神・あまつひつくのかみ」とは、「天の霊継ぐ神」との意味であり、其の事に別の字を当てれば「天津日嗣・あまつひつぎ・天の霊継」と成る。「天津日嗣」とは、辞書に、皇位の継承。また、皇位。あまのひつぎ。と載っている。だから、天皇陛下の働きは「天津日嗣天皇・あまつひつぎてんのう」であり、「津」は接続詞の「の」であるので、「天の霊(ひ)を嗣(つ)ぐ天皇」と言う事に成る。・・・
「天津日嗣の真実」http://green.ap.teacup.com/20060818/2589.html
今朝のメッセージは、昨日の連結した骨格の形と関係が有り、正しい「天津日嗣・あまつひつぎ」の伝統と言うか、生命の霊性・系統を繋ぐ必要がある事を示して来ているのではないだろうか。
其れは、西洋に生まれた概念であり、ユダヤの民に拠って日本に伝えられているが、其の日本でも、正当な「永遠の命」は継続されていないので、修復か切り換えが必要であるとの事ではないだろうか。
平成25年10月18日
礒邉自適
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