言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2014/1/30
最後の問題
26・1・30
本日1月30日は、私の「満67歳」の人生の始まりの日と言うか、68歳の第一日と言う事に成る日である。
今朝のメッセージの映像は、大きな施設に多くの人達が集まり、順番に食物を受け取っている場面が映し出されて来た。
其の食べ物は、冷凍保存されている大きな「稲荷寿司」を、一度、ガス燃料を使用している鉄板の上で焼き温めてから、待っている人達に配るものであった。
そして、配る物が何も無く成った会場には、漁師をしていた30歳代の男性が一人残っており、手に鰹節を一本持っていて、其れを削りながら食べて居た。
すると、其処に、やはり漁師である、60歳代の其の男性の叔父さんが、建物の中に入って来た。其の叔父さんの手には、拳銃・ピストルが握られていた。
そして、私は、其の二人の様子を黙って見て居た。
其の二人は、どちらも身動きをせず、相手の様子を、顔を見ないで伺っていた。
私は、其の様子を見ながら、二人の気持ちを詮索していた。
其れは、次の様なものである。
・叔父さんの方は、甥子である男性に拳銃を向けて、其の食べ掛けの鰹節を奪い取るか、其れとも諦めるかを、考えているのではないか。
其れに、叔父である自分が、甥子の食べ物を奪い取る事をすれば、親戚や世間の人達の評判を落とし、二度と人前に立てなく成る。
其れと、生き残るべき人間は、年取った自分ではなく、是から結婚して、子供を育てて行かなければ成らない、若い甥子の方である。
・甥子の方は、尊敬しなければ成らない父親の弟なので、食べ掛けの物ではあるが、他に食べ物が何も無いのだから、快く差し出さなければ成らないのではないか。
しかし、差し出してしまえば、自分が食べる物が無くなってしまう。
・其れに、拳銃には弾が入っているのか、入っているのであれば、猪や鹿を撃つ事が出来るし、鰹節を石で砕いて、半分分にして、替りに其の拳銃は甥子に渡したら良い。
などの事である。
其の場面の背景を考えると、其の様な事態に成っている時は、海には魚が居ても漁師が釣りに出掛けられないのだから、陸地での農業生産も停止しているであろう。
其の様な状態では、社会全体に食糧が無くなっているのだから、政府は機能していないので、自衛隊や警察機構、其れに市町村のシステムも機能していないであろうから、治安は放置されたままで、救済の手を待っていても、死ぬばかりである。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージに有った「サドゥー・行者」の存在に関係が有り、サドゥー・行者の生活は、世間・社会システムを放棄しているのだから、彼等には関係が無く、寧ろ彼等は、其れ等の状況を見て、笑うであろう。
何故、68歳の始まりの日に、此の様な場面が、映し出されて来たのであろうか。私は、20代の頃から、是と似た様な問題を抱えて、日夜悩んでいたので、50年振りに、新たな問題・課題を、抱え込んだ様な気分に成っていた。
其の問題とは、次の様なものである。
船が沈没して海に投げ出され、自分が幼い息子と二人で海面に浮いて居り、近くに、同じ様な年頃の他人の男子が浮いている。
すると、其処に一枚の板切れが浮いて流れて来る。
其の板切れは、大人が掴まると沈んでしまうが、子供一人だと、何とか掴まって助かる事ができる。其の時に、其の板切れを、どちらの子供に渡すかである。
父親としては、自分の子供に渡すのが自然である。だが、そうすると、他人の子供は溺れて死んでしまう。
そうすると、他人の子供を救わなかった事に成るので、自分が一生、罪の意識に、苛まれる事に成るのではないかと言う事である。
其れは、他人の事に一生懸命心を砕いて、其れが病気の原因と成って死んだ、父親の下で育てられた私にとっては、当然の悩みであった。
私は、其の悩みを、36歳の時に出会った「無庵師匠」に打ち明けて見た。
すると、無庵師匠は、「神に仕えている者には 其の様な現場に遭遇する事は 絶対に起こらない」と直ぐに答えた。
其れで、私は、一応の考え方は出来たのだが、其れでも、其の問題は心の隅に引っ掛かっていた。
処が、37歳の時に、此の神の世界に入って、神の世界を理解すると、其の答えが出た。其れは、其の時には「神よ 板切れを もう一枚」と云うと、もう一枚、板切れが其処に現れると言う理・ことである。
其の答えを得てから、30年間、其の問題は、私の心に浮かんで来た事は無かった。
処が、今朝は、其れに似た様な、問題・課題が出て来たのである。
イエスキリストであれば、食糧が無い時は、奇跡にて、空中からパンを取り出して人々に与えたり、何も魚が居ない海から、いきなり何百kgもの魚を網に取り込んだりする事も出来るであろう。
だが、今朝の問題は、其の様な奇跡的な事柄で、答えを出す事は出来ない。
今朝の問題・課題は、最後に、人間に残る問題が何であるかを、示して来ているのであろう。
今朝の問題の場面では、政府機構も全て停止しており、宗教やボランティア活動も無い、其れに国連の活動や、神の働きも無いのである。
其処に有るのは、一本の食べ掛けの鰹節をどう扱うかである。
其れは、人間が生きて行く為に発生する、最後の問題・課題であり、自分が其の場面に遭遇した時に、何と謂えるかである。
其れを、簡単に「二人で仲良く 分けて食べなさい」と云うだけでは、済まされないのであろう。
今朝は、明け方に、其の問題とは、全く別な映像が映し出されて来て、「ソフィア」を「トーマス」が守る物語を、創作しなければ成らない事が示されて来たが、其れは、紙面を替えて書く事にする。
私が育った、家庭環境に付いてと、今朝のメッセージが究極の答えを求めて来ていたので、是までの文章の中から「亟・キョク」に関する物を捜して見た。
「亟・キョク」の漢字は「人+口+又+二」の組みわせで、「又」は手の象形。「二」は上下のわくの象形。人を一定のわくの中に閉じ込めて、口や手でせめたて問いつめせきたてるのさまから、すみやかの意味を表す。亟を音符に含む形声文字に、極・殛 などがあり、これらの漢字は「問いつめる」の意味を共有している。
【字義】一、@すみやか。はやい。Aいそがしい。あわただしい。Bつつしむ。「敬」Cいつくしむ。Dうける。(受)二、しばしば。たびたび。
漢語林より
「極・キョク・ゴク・きわめる・きわまる」【解字】形声。「木+亟」。音符の亟・キョクは、問いつめるの意味。木を付して、家屋の最高のところにある、「むね」の意味を表す。きわみ・きわめるの意味を表す。
【字義】@きわまる。㋐つきる「尽」。おわる。やむ。㋑つまる。なすすべが無くなる。Aきわめる。㋐つくす。㋑最後まで至る。Bきわみ。かぎり。果て。おわり。物事の最高・最上・最終。「極限」Cきわめて。この上なく。はなはだ。D最高の位。天子の位。「登極」E根本。天地宇宙の根源。本体。「大極」F北極星。G地軸の両極。「北極」「磁極」H陰陽両電気の出入りする所。「電極」Iむね。棟木。
国語@きわめ。書画・刀剣・道具類などの目きき。鑑定。Aきめる。とり定める。Bきめ。きまり。決定。約束。「月極」 漢語林
・・・私にも、ようやく神を称える「ハレルヤ・hallelujah」が、云える時が来たのかも知れない。
「極意・ゴクイ」とは、辞典には「学問や技芸で、核心となる事柄。奥義。」と載っている。漢字の「意」は「音+心」の組み合わせで、意味は「音・言葉にしないで 心に秘めている思い」である。「極・ゴク」は、「木+亟」の組み合わせであり、「亟・キョク」は、「ニ(檻)+人+又(枝)+口」の組み合わせで、「人を檻に閉じ込めて 鞭打って答えを出さす」との意味であり、「きわまり」の日本語に当てられている。・・・
「極意」http://green.ap.teacup.com/20060818/1291.html
・・・今朝は、其の思考の迷宮からユニコーンの像の横を通って、外に出て来たのである。もう私には、スフィンクスの謎掛けも無いし、中国の「亟・キョク」の概念である「檻に閉じ込めて 鞭打って 答えを出さす 神の働き。」も無いだろう。
「左の門を出た」http://star.ap.teacup.com/170606/1012.html
・・・ようやく「王手」が、目の前に見えて来た。
私の意識も、最終局番を迎えているのではないだろうか。
「亟・キョク」の漢字は、「天に求められ 速やかに 答えを出す」との意味である。私への、天の求めも22年掛かって、ようやく果たされるのではないだろうか。・・・
「パズルが開いて来た」http://star.ap.teacup.com/170606/1075.html
・・・其れにも関わらず眠れないのは、誰かの悩みの所為ではなかろうか。其の誰かとは、人間の霊魂ではなく、人間を生かしめている何者かの仕業である。其のモノが、私の意識を此処まで育て上げて来ているのである。其れこそが、老子の謂う「嗇に しくはなし」の働きであり、「道・タオ」の働きなのであろう。そして、其れこそが「亟・キョク・すみやか」の漢字の持つ意味なのだ。其の何者(宇宙意志・天)かが、求めて来ている答えが何であるかさえも、「問題・テーマ」なのである。と謂う事は、是は完全に、私が関わっている世界は「空・クウ」であり、私の意識は般若心経の「色即是空・しきそくぜくう」状態に在ると言う事に成る。其の様に考えると、昨日のビジョンで、海底から、泡と一緒に海面に向かって上って来た私の意識は、住吉三神の「底筒男神・そこつつのおのかみ」として、再生されて来たモノである事に成る。・・・
「勅・みことのり」http://green.ap.teacup.com/20060818/914.html
此の2006年8月17日の次の日、8月18日にマヤの神である「ククルカン・括る神」が現れて、「約束を護る」と告げて来ている。
其の事も、本日のメッセージの次元段階と、関係が有るのかも知れない。
其れに、今朝の映像で最初に映し出されて来た食べ物が、稲荷寿司であったのは、稲荷寿司が「稲荷神・うかのみたま」を意味し、「うかのみたま」が食べ物の神である理・ことを、意味しているのであろう。
平成26年1月30日
礒邉自適
2014/1/30
ソフィア と トーマス
26・1・30
今朝は、夜半の映像で、人間にとって究極の問題・課題である答えを、出さなければ成らない場面が映し出されて来たが、再び眠りに就くと、前の映像から一日が経過した様な感じで、明るい世界が映し出されて来た。
其の映像は、日本建築の広い縁側に太陽の光が当たっており、其の縁側の左側に、何故か、大きな青色の固定電話機が据えられていた。
其れは、家庭用ではなく、ピンクの公衆用の物でもなく、市街専用に使う様な、青色の大きくガッシリとした物であった。
そして、其の映像の後に、30歳代の、癖が有る黒髪の女性の顔だけが、映し出されて来た。其の女性の顔は、色白でとても理知的であり、笑ってはいないのだが、とても慶んでいる様な表情をしていた。
そして、「ソフィア」の存在を護る「トーマス」の物語を、創作しなければ成らない理・ことが、示されて来た。
此の説明に拠ると、ソフィアは「智慧の女神」の事であり、トーマスは男の名前であり「青色の機関車」の事である。
其の「智慧の女神」と「青色の機関車・男性」の事を考えると、今朝のメッセージの意味は、「智慧の女神」の働きを助ける、「機関車・男性」の物語を作製しなければ成らないと言う事に成る。
其れは、機関車は、長く連なる列車を引っ張る先頭の働き・役割なので、男性の働きを集めて、其の群れを統率する、力強い「頭・かしら」が必要であると言う事に成る。
其れに、トーマスは青色の機関車であるので、今朝の映像に現れた、青色の固定電話機とも関係が有るのだろう。其れに、青色の固定電話機は市街局専用の電話機と有るので、広範囲と云うか国外の動きも関係あるのではないだろうか。
青色は、青空や、イスラエルや南米で聖なる色とされ、神の色と考えられており、日本でも青空に例えて、心が澄み切っている事を表すので、清い心の男性や、穢れの無い情報の遣り取りを意味しているのであろう。
其れは、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、青い深海のマリンスノーに関係が有り、今朝の夜半のメッセージに有った、究極の世界の情報にも関係が有るのではないだろうか。
其れに、以前の文章には、昨日の映像とは反対に、海の底から泡が上がって行く、映像が映し出された事が書いて有る。
・・・海底から、泡と一緒に海面に向かって上って来た私の意識は、住吉三神の「底筒男神・そこつつのおのかみ」として、再生されて来たモノである事に成る。・・・
「勅・みことのり」http://green.ap.teacup.com/20060818/914.html
「青・セイ」は「丹+生」の組み合わせで、音符の生はあおい草がはえるの意。丹は 井げたの中の染料の意。あおい草色の染料の意。あおいの意。
青の音符に含む形声文字は「青くすみきる」の意味を共有し、静・清・精・晴・情・などが有る。
【字義】@あおい。あお色。また、あおい。五行説では、東・春にあてる。Aわかい。「青年」B竹の皮。転じて、文字をしるす竹の札。「青史」
漢語林より
今朝のメッセージは、私が満67歳の人生がどの様なものに成るかを、示唆して来ているのかも知れない。
其れは、青なる精神で今後生きて行くと言う事である。
其れには、もう苦しい出来事は起きないとの事ではないだろうか。
平成26年1月30日
礒邉自適
1 | 《前のページ | 次のページ》