言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2014/2/11
建国記念日の意味
26・2・11
本日2月11日は「建国記念日・紀元節」として、祝日と成っている。
其の意味を調べると次の様に載っている。
・「建国記念日」国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。
他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、本日のみが「政令で定める日」と定められている。この規定に基づき、佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定め、「建国記念の日は、二月十一日」とした。2月11日という日付は、明治時代の初期[1]に定められ1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する[2]。
当日は、各地の神社仏閣にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。
・「紀元節(きげんせつ)」は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祭日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。かつての祝祭日の中の四大節[1]の一つ。
8世紀初めに編まれた『日本書紀』によれば、神武天皇の即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」であり、日付は正月朔日、すなわち1月1日となる。
紀元節祭は、初めて紀元節とされた1873年(明治6年)1月29日に、宮中の皇霊殿において行われたのが最初である。
ウィキペディア辞典
今朝の未明のメッセージには、重機に拠って、山肌が農地として開発された土地に、様々な種類の木々が植えられている場面が映し出されて来た。
次に、水が溜まっている低い土地が映し出されて来て、其の土地は埋め立てをせずに、湿地に適した動植物の、繁殖や餌場とする場所として、維持される理・ことが示されて来た。
其れから、二組の部族と言うか、一族・家族の存在が映し出されて来た。
一組は、三人の息子の中に、一人神憑りに成った男子が居て、其の男子が人間社会の中で生きて行ける様に、一族・家族全体で協力している場面である。
私も、其の神憑りの青年を労い、励ましていた。
もう一方の一族・家族は、皆健康で、事業と言うか金儲けに必死であり、財産を澤山貯め込んでいた。
そして、両方の家族が、川に架かる橋を渡らなければ成らない時が来て、両方の一族が橋に差し掛かると、其の橋は渡ると二度と帰れない理・ことが判明した。
すると、神憑りの男子を抱えていた一族は、全員が晴れ晴れとした顔で橋を渡って行った。
だが、財産を貯めていた人達は、其の橋が、手ぶらでないと渡れないし、二度と帰って来られない理・ことが判ると、財産を全て失うので、皆落ち込んでしまい、暗い顔に成って渡る事を躊躇っていた。
明け方の映像には、何処かの、神社仏閣の建物が映し出されて来て、20〜30人の元気な男性が白装束姿で集まって居た。
其の中に、私も居て、受付の順番待ちをして居たが、退屈して来たので、建物の屋根に上って屋根板の修理を始めた。すると、他の人達も、私の作業に協力を始め、屋根の修理が済んで雨漏りがしなく成った。
雨漏りがしなく成ったので、私は、真っ新の白装束に着替えてから、部屋の中に、書き物をする為の机と、書道の道具を準備していた。
私は、建国記念日に、どの様なメッセージが来るのかと想っていたが、今朝のメッセージの映像は、私が想っていた内容とは、雰囲気が少し異なっているので、是までとは違う角度から、考えて見なければ成らない様である。
「建国記念日」とは、1967年(昭和42年)2月11日に「建国をしのび、国を愛する心を養う。」との目的で定められた物であり、其の前は「紀元節祭」として、初めて紀元節とされた1873年(明治6年)1月29日に、宮中の皇霊殿において行われたのが最初であるとの事である。
此の説明からすると、建国記念日・紀元節は1873年(明治6年)1月29日から始まった物であり、未だ141年しか経過していないので、新しい物であると言う事に成る。
其れに、1月29日の日付は、私の誕生日でもあるので、何等かの因縁を感じるものがある。
「紀元節」の「紀・キ」は、「糸+己」の組み合わせで、音符の「己・キ」は糸巻の象形で、紀の漢字の意味は「糸すじを分ける」の意味を表す。転じて、おさめる・きまりの意味を表す。
【字義】@おさめる。ただす。㋐糸を分けて整理する。㋑秩序を正す。Aいとぐち(緒)。はじめ。また、もとい(基)。Bかなめ。要点。要所。Cつな。細い綱。「紀綱」Dみち。人のふみ行うべき道。「人紀」Eのり。(法)。おきて。
「國・国」の漢字は、「囗+戈」の組み合わせで、囗は、むらの象形。戈は、ほこの象形。武装したむらの意味を表す。のち、囗を付し、外の囲いを持つ、くにの意味を表す。
【字義】@くに。㋐一つの政府に属する土地。「母国」「建国」㋑諸侯の領地。㋒都。首都。㋓ふるさと。故郷。オ一定の境界内の土地。Aくにする。国を建てる。また、都を定める。国字 くに。わが国。日本。「国語」「国文」
漢語林
此の「紀元」と「建国」の意味からすると、日本に国と呼ばれる物が生まれたのは、出雲の「大国主命」の国造りが建国に当たる物であり、其の出雲の国を譲り受けたのが「饒速日命・にぎはやひのみこと」で、其の四代目の時に「神武天皇」が奈良・大和でナガスネ王から、譲り受けているので、神武天皇が日本の国造りの紀元ではないと言う事になる。
今朝のメッセージの映像には、「国・國」の漢字の意味に合う、武器や戦争等の映像は、何一つ映し出されて来てはいない。
其れは、新しい「くに」の形が、是まで続いて来た「国・國」の概念に合わない理・ことを意味しているのであろう。
今朝のメッセージには、最初に森の復活と、湿地の保存の映像が映し出されて来ている。其れは、日本の伝統文化と言うか「政・まつりごと」が、自然環境保護が重点に置かれていた理・ことを示して来ており、其の事が新しい国造りの基盤・指針と成っていなければ成らない事を、示唆しているのであろう。
二番目の映像には、神憑りの男子を抱えた家族が、現代社会の中で生き難い理・ことを示唆している。
だが、其の一族・家族は、「神の橋(鵲橋・かささぎばし)」を渡る時には、手ぶらであるが、全員晴れ晴れとした顔をしており、精神も充実していた。
処が、巧く世の中を渡って財産を築き、ブルジョア的な生活を送っていた一族・家族は、橋の袂で悲痛な表情にて、橋の欄干にしがみ付いて居た。
其れは、人間の存在が、本来どう在るべきかを示しており、精神的な生き方をして、魂しいの成長の為に努力をしない者は、生まれて来なかった方が、良いと言う事に成るのであろう。
何故なら、金儲けの為に何でもするとの行為は、自分の魂しいを汚して行くからである。
明け方の映像では、神社仏閣の建物に私が居て、建物の修理をボランティアで行っており、修理が済んだら、神官の様な白装束にて、文字を書く準備をして居た。
其の映像の意味は、宗教的な活動は、現在の宗教の様に、教団を創設して金集めや、教義の布教をする事ではなく、皆の協力にて施設を造り、其処で為す事は、神と一体と成った言葉を紡ぐ事であるとの理・ことではないだろうか。
其れは、本来の「天皇・すめらのみこと・大君」の役割が、どう言うモノであるかを示して来ているのであろう。
私は、是までに何度か、国造りの事に付いては、触れて来ている。
・・・今朝のメッセージは、新しい国の在り方を示すヒントが、与えられた様な気がする。
始めに、国の文字が出て来たが、枠が四角ではなくて○だった。
国の漢字は「囗+玉」の組み合わせで出来ているが、元々は「國・くに」で「囗+戈」の組み合わせである。國は、武器(戈)を持って、村の周りを固めるの意味である。別字に「口+王」の文字も有る。・・・
此の意味する処は、新しい社会は、武器を持って国を護る必要がなく、誰もが自由に、内外に出入りが出来る事を意味し、関所が取り払われている事を暗示している。
岡本天明氏の「日月神示・日嗣神事」には、「岩と開いて 一つの王で治める 神のまことの世に致すのであるから 神は心配ないなれど・・・」
「この神の国には 世の元からの生神が 水ももらさぬ仕組みしてあるから・・・」「よき言霊のれよ コト高くあげよ 富士晴れる迄コト高くあげてくれよ。」「日の光は 神のこころみいづぞ 神のやりかたは 日の光 臣民ばかりでなく 草木も喜ぶやり方ぞ。」 「ことごとくの道 みいづぞ。」
「スメラ神国と ユダヤ神国一つになされて 末代動かん光の世となす・・・・」
等と有り、日本から、新しい神の世界が始まる事が示されている。・・・
「新しい国」 http://star.ap.teacup.com/170606/640.html
「我々の使命」http://moon.ap.teacup.com/20061108/14.html
「72と国体」http://star.ap.teacup.com/170606/466.html
「物部に戻す」http://green.ap.teacup.com/20060818/995.html
今朝のメッセージの映像に登場した「商売人・財産家・ブルジョア」は、昨日のメッセージに有った「金閣寺」「銀閣寺」の説明内容を、私が書き直して居た事と関係が有り、人間社会の富の扱い方に付いて、私に考えろとの事ではないだろうか。
ブルジョアジー【bourgeoisie[フランス]】
一般的には,富裕な商工業者や財産所有者で構成されている社会層をいい,有産者階級などと訳される。ブルジョアジーという語は,ブルジョアbourgeoisの集合名詞であり,ブルジョアというのは,もともと町の人(町人)とか市民とかいう意味であるから,ブルジョアジーは,町人身分とか市民階級とか訳される場合もある。そして,主としてマルクス主義の用語法においては,ブルジョアジーは,近代資本主義社会における資本の所有者という意味で用いられ,したがって資本家階級と訳され,労働者階級としてのプロレタリアートの反対語とされる。 〜引用終了〜ウィキペディア辞典
此処のところ、数日続いているメッセージは、国家の在り方がどう言う意味を持つのかを、私に考えさせる為の物の様である。
其れは、人類が定着して暮らす様に成ってから、縄張り争いの為に武器を持つ様に成って、其れが現在まで続いている事を、改めよと言う事であろう。
其れは、イエスキリストや、釈迦仏陀が説いた訓えを、新たな形で示す必要があるとの事なのかも知れない。
平成26年2月11日
礒邉自適
2014/2/6
漁師の田中将大
26・2・6
今朝のメッセージの映像には、野球選手の「田中将大投手(たなか まさひろ)」の姿が現れた。其れは、2月2日のメッセージの「田中案山子」に、関係が有る様である。
今朝のメッセージの映像には、田中将大投手が、海に付き出した堤防の上で、一人で魚釣りをしている場面が映し出されて来た。
其れは、リール竿を使った投げ釣りで、田中将大投手には、海の中の魚が全部見えており、狙った魚の前に、全てストライクで餌が届くので、百発百中で大物の魚が釣れるのである。
何故か、私の意識は、其の田中将大投手の助手をしており、釣れた魚を岸に運んだり、三枚に下したりしていた。
すると、田中将大投手が何匹目かに釣った魚に、珍しい品種の河豚・ふぐが有り、私が其の河豚を三枚に下していると、田中将大投手が遣って来て、「此の河豚には 特別な毒が有るが 美味しいので 所長が好きだから 届けなければ成らない」と云った。
そして、田中将大投手は、私が三枚に下している左右の身から、皮の部分に広がっている血管の一部に、血栓の様に有る毒血の部分を切り取った。
次の場面は、田中将大投手の自宅が映し出されて来て、其の自宅にはプールの様な大きな生簀が有り、様々な魚が泳いでいた。其の魚も、全て田中将大投手が釣った物であった。
其れから、「11月2日」と「11月11日」の日付が、大事である理・ことが示されて来て、澤山の新聞が雨に濡れない為のビニールに包まれて、床に並べられている場面が映し出されて来た。
私は、其の新聞の中から、「11月2日」と「11月11日」の日付の分を捜していた。
そして、最後に、満開の赤いダリアの様な花が咲いている、植物の枝が画面一杯に映し出されて来た。
朝、愉伽さんに今朝のビジョンを尋ねると、水族館の様な大きな生簀が有って、其の中に澤山の天然の魚が泳いでいたとの事である。
其の、愉伽さんのビジョンを聞いて、今朝のメッセージは、野球には関係が無く、「恵比寿様」とされている「事代主神・ことしろぬしのかみ」の世界に関係が有るのだと想った。
・事代主(ことしろぬし、言代主神)は、日本神話に登場する神。別名 八重言代主神、八重事代主神(ヤエコトシロヌシ)。
神話の記述[編集]
大国主とカムヤタテヒメとの間に生まれた。
葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。
解説[編集]
名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。言とも事とも書くのは、古代において「言(言葉)」と「事(出来事)」とを区別していなかったためである。
大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。
信仰[編集]
託宣神のほか、国譲り神話において釣りをしていたことから釣り好きとされ、海と関係の深いえびすと同一視され、海の神、商業の神としても信仰されている。七福神の中のえびすが大鯛を小脇に抱え釣竿を持っているのは、国譲り神話におけるこのエピソードによるものである。
ウィキペディア辞典
2月2日のメッセージで、私の父親が現在「田中」の名字に関係が有ると示されて来て、私は其の田中の下に付く名前を出せず、取り敢えず「田中の案山子」とする事で、一応の解釈を済ませていたが、「事代主神」も元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになったと記されているので、「田中将大」の名前も当たっているのかも知れない。
田中将大の名前は、反対にすると「大将」であり、「将・ショウ」の漢字は、台の上で肉を切り分けるとの意味だから、私が今朝のメッセージの映像の中で、魚を三枚に下していたのは、其の「将」の意味を表していたのではないだろうか。
「将・ショウ」の漢字は、「寸+月(肉)+爿」の組み合わせで、音符の「爿・ショウ」は長い調理台の象形。寸は、手の象形。肉を調理してささげるの意味を表し、神に肉をささげる人、統率者の意味を表す。
【字義】一@ひきいる。従える。A軍隊をひきいる人。将軍。二@助字。Aまさに。今にも。Bと。Cほとんど。Dもつ。(持)Eおくる。(送)Fねがう。こう(請)Gたすける。Hすすむ。(進)ゆく。Iすすめる。Jたてまつる。献上する。贈る。また、申し上げる。Kおこなう。Lしたがう。Mととのえる。Nおおきい。さかん。長い。 漢語林
今朝の映像で、私が切り分けた「河豚・ふぐ(福・ふく)」を、田中将大投手は何処かに居る「所長」に持って行かなければ成らないと云っていた。
其の所長とは、新聞発行の会社・機関に関係が有る、責任者を意味しているのではないだろうか。其の様に考えると、事代主神が「ご託宣の神」である事との繋がりが見えて来る。
其れに、11月2日は、11月3日「文化の日」の前日であるので、文化の日である3日の新聞が、2日に印刷されて配られる事と、関係が有る事が見えて来る。
11月11日で検索すると、2006年10月31日の文章が有り、是までの11月11日の日付の文章を検索して見た。
・・・・これ等の文章を読むと、今朝のメッセージとの共通点が有る事が、理解されて来た。其れは、日本から新しい文化を、世界に拡げる事である。
其れは、「正しい日本語を」「新しい言葉」との題が有り、「讜逓聖・とうていせい」と「天津日嗣・あまつひつぎ」は正しい言葉を伝える者の立場を意味し、「事示しで人々が動き出す」と「さ迷える子羊達 」は、其れに拠って導かれる人達の事である。
其れに、「黄色いシャツ」と「最後に残った文学博士」「整理・整頓・掃除」の内容も、言葉に関係が有る。
其れに、「事代主神」の説明には、「船を踏み傾け、手を逆さに打って『青柴垣』に変えて、その中に隠れてしまった。」と有り、其の中には「青柴垣」との言葉が有り、モーゼがシナイ山で赤く燃え上がった柴の神から、十戒の言葉を授かった事とも関係が有り、インドのサドゥーが進行する「シヴァ神」との関連も見えて来る。
其れに、今朝の私のメッセージの映像には、赤いダリアの様な花が咲いている植物の枝が、画面一杯に映し出されて来た。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージに出て来た新聞は、神の「メッセージ・言の葉」を拡げるモノ・世界を意味し、「黄色いシャツ」の文章の「国造りのポスター」とも関係が有り、いよいよ「讜逓聖・とうていせい」が現実化するとの事なのかも知れない。
田中将大投手の活躍は、多くの人々の賞賛を浴びている。今朝のメッセージの映像では、田中将大投手が遠投する魚釣りの餌は、全て狙った魚の頭の前に届き、全てストライクで全ての魚が釣れたのである。そして、其の中でも「河豚・ふぐ・福」は、所長の所に届けられる事に成った。
其れは、世界の人々が、日本から発信される情報に拠って、幸福に成る事を示唆しているのであろう。
平成26年2月6日
礒邉自適
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