言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2014/9/26
涅槃・ねはん
26・9・26
本日の日付は「26・9・26」で、数字のバランスが良い。
今生天皇陛下の御世が、31年まで続けば「31・12・31」の最大数字が並ぶ事になる。
私は、今朝起きて時計を見ると、昨日と丁度同じ「6時25分」であり、外界は快晴で、太陽の朝日が差し始めていた。
どうやら、私の松果体は健全であり、メラトニンが順調に分泌されている様である。
・松果体(しょうかたい、英語:pineal body)は、脳にある小さな内分泌器。松果腺 (pineal gland) 、上生体 (epiphysis) とも呼ばれる。脳内の中央、2つの大脳半球の間に位置し、2つの視床体が結合する溝にはさみ込まれている。概日リズムを調節するホルモン、メラトニンを分泌することで知られる。
ウィキペディア辞典 現在記載
今朝のメッセージの映像は、私が何処かの山中に在る、木造造りのお寺の様な建物に居て、土間に在る竈・かまどで、食事の準備をしていた。
其の食事は、大鍋に野菜類を刻んで入れた味噌汁である。
どうやら、其の他には食べ物は無く、自給自足で生活をしているお寺の様であった。
上がり口の履物を見ると、履き潰された様な男性の靴が、数足有るだけだったので、数人の男性が住んでいるだけの様である。
其れから、部屋の中に入ると、30歳代の男性が二人居た。
其の人達と話して居ると、其処に「田中真海老師」が現れて、「涅槃」に付いて話し始めた。そして、その田中真海禅師が畳に横に成って、釈迦の涅槃姿の体制に成ると、本当に其のまま涅槃に入ってしまったのである。
私は、其の姿がとても気に入ったので、其の儘の方が良いと意い、身体を動かさずに其の儘にして、静寂が訪れた世界に、遠くから聞こえて来ているラジオ放送を、切る様に、一人の男性に頼んだ処で、今朝の映像は終わった。
今朝のメッセージの映像は、一昨日「オンリーワン」との言葉が告げられて来た事と、昨日「グリーンマン」が山に帰って行った事と、関係が有るのではないだろうか。
今朝、自給自足にて山中に暮らし、其のまま涅槃に入って行った「禅師・老師」は、自然を破壊する事無く、自分のカルマ・業を一切残さないで、彼の世に還って往く人間の在り様(大往生)を、示して来ているのであろう。
其れに、田中真海禅師は、私が日本一周の旅を終えて、最初に縁が結ばれた、京都府網野町の龍献寺住職「安井桂造禅師」に紹介されて、私の新しい人脈形成の基・はじまりに成った存在である。
其の田中真海禅師が、釈迦仏陀の様に涅槃に入ってしまうと言う事は、私の探索の旅が完了したのか、釈迦仏陀の長年の意いが完結した事を、意味しているのかも知れない。
「寶慶寺 初参詣」http://wave.ap.teacup.com/894019/2164.html
其の様に考えると、私自身の精神も、穏やかな気持ちに成って来た。
其れは、確かに、私が自分の人生の「分けを解いた」と言う様なモノ・状態であり、「自分」との言葉・単語を消化した事に成る。
・・・・・・「自分」との漢字単語の意味は、「自」が鼻の象形であり、「分」は「八+刀」の組み合わせで、「自分を 刀で左右に切り分けて 自分の存在理由を知る」との意味である。其の「自分」との言葉を考えると、私は、新たな自己分析を迫られているのかも知れない。・・・
「自分」http://wave.ap.teacup.com/20060106/477.html
「岩戸開きは自分」http://green.ap.teacup.com/20060818/2772.html
・・・其れで、日本一周の旅を終えた日に、宿泊した料理旅館の御主人の案内で、禅宗の龍献寺を訪問し、住職である「安井桂造禅師」と出会い、新しい「人脈」と「世界」に入る事に成ったのである。・・・
「7月2日」http://star.ap.teacup.com/170606/202.html
今朝の私の意識状態は、私が、本来の自分自身の人生・運命の処に、到達していると言うか、17歳の秋に父親を失って、一家の大黒柱として働かなくてはならなく成り、自分の人生の事を考える事が消失し、家族や社会の事だけに意識が向いていた私の意識が、50年振りに立ち戻って来たのかも知れない。
此れは、先日感じた、自分の安らぎの状態とは異なり、しっかりとした何かが、自分の精神の中に立ち戻って来ている感覚である。
其れは、私が男性としての67歳の年齢・年輪を重ねて来た結果と言うか、成果なのではないだろうか。
其の様に考えると、49歳で亡く成った父親や、60歳で亡く成った無庵師匠などの御魂の状態よりも、私の今の精神状態が「真実・シンジツ」との言葉・単語に近付いて居る事に成り、二人の意識を高みに導いた事に成るのではないだろうか。
其れは、自分の父親や無庵師匠だけではなく、釈迦や老子の笑顔を見る事であり、「イエスキリスト」や「一休宗純禅師」の苛立ちも、消化した事に成るのかも知れない。
「真・眞・シン」は「ヒ+鼎」の組み合わせで、「ヒ」は、さじの象形。鼎は、かなえの象形。かなえにさじで物をつめるさまから、つめるの意味を表す。なか身がいっぱいにつまっていてほんもの、まことの意味を表す。
【字義】@まこと。㋐いつわりでないこと。㋑かりものでないもの。㋒正しい。正しいもの。Aまことに。本当に。B自然のまま。「天真爛漫」Cうまれつき。天性。Dもと。本質。Eみち。自然の道。自然の妙理。F道家で、奥義をきわめた人。
「実・實・ジツ」は、「宀+貝+周」の組み合わせで、周は、いきわたるの意味。屋内に財貨がいきわたるの意味から、みちるの意味を表す。
【字義】@みちる。㋐一杯になる。充実する。㋑さかえる。また、さかん。㋒そなわる。足りる。富む。㋓伸びる。育つ。Aみたす。㋐一杯にする。㋑もる。(盛)。㋒実行する。Bみのる。また、みのり。Cみ。㋐くだもの。また、穀物。「果実」㋑たね。種子。さね。㋒なかみ。内室。実質。㋓たち。素質。本質。Dとみ。たから。Dまこと。㋐まごころ。「誠実」㋑真なるもの。ほんとう。真実。 漢語林
此の「真・眞」の、「ヒ」は、さじの象形の説明からすると、私の9月19日のメッセージに現れた、極小と極大の匙・スプーンの存在は、真実を鼎に詰める匙を意味しており、私が真実を統合しなければ成らないとの事を、示して来ていた様である。
其れは、私が「屋久島自適塾」を始めるに当たり、一番重要なテーマと考え、其の「真実」との言葉を英語にてHPを創ろうと考えた事が、宇宙意志と言うか、神界の統合意識で目標と言うか、目的とされていたと言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の私の精神状態を計ると、其の「鼎・かなえ」が私自身の「躰・空蝉」に実・みちている事に成るのかも知れない。
だとすれば、私は真実の「霊留・ひと」として「完成・実った」事に成るのだ。
本日9月26日は、旧暦の9月3日である。
其れを考えると、今朝のメッセージに禅宗のお寺と、竈の鍋料理が映し出されて来たのは、平成元年9月3日に有った、聖徳太子の「ようやく高天原に達した 臨済から始める」とのメッセージも、旧暦の日付に移ったとの事なのではないだろうか。
「動き出した聖徳太子」http://star.ap.teacup.com/170606/772.html
平成26年9月26日
礒邉自適
2014/9/14
陰陽
26・9・14
本日の日付は「9・14」で、149の数字は123の二乗である。
第一次世界大戦は、1914年に始まり、第二次世界大戦(日本参加・太平洋戦争)は、1941年に始まっている。
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね
貴方の本番が 近付いています
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は 動かさなくても 事は 順調に 進んでいます
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に 生かされているのです
ですから 此方の準備も 順調に 整っているのですよ
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです
何故なら 皆に自由が 生まれるからです
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです
どうやら 貴方には もう 其れが 無いようですね
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ
貴方は 良く解かっていると 想いますけど 」
「愈々ですね」http://moon.ap.teacup.com/20060103/636.html
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の続きの様で、神の光の中で、人間の躰の五臓六府の仕組みや、五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」などの働きが、全てバラバラにされて、其の働きを、明確に認識する必要がある事が示されて来た。
其れは、男女の肉体の仕組みの違いや、五体の骨組・筋肉組織・神経組織・血管網などや、爪・髪・髭・歯、其れに脳の働きなど迄、全てを認識する事である。
次の映像は、雪が降っている真冬の天候の中に、私が歩いて居り、途中で数人の女性が、氷が張る湖の側の土地で、食べられる野草を雪の下から捜し出して、摘み採って居るのに出会った。
其の中の一人が、私が普通の服装をしているので、自分の黒い毛皮のコートと、帽子と手袋を貸してくれた。
私は、其れを着て、自分も野草摘みを手伝っていた。
すると、誰かが、車で私を迎えて来たので、借りて着ていた物を脱いで、其の女性に返した。
すると、其の女性が、心配そうに「大丈夫ですか」と、私に問うた。
私は、其の慈愛に満ちた女性の顔を見て、何処かで会った事のある、懐かしい顔であると思った。
だが、其れが、誰だか判らないでいると、映画で観た事のある、イエスキリストの母親「マリア」ではないかと想えて来た。
其処で一度目覚めて、トイレに行き、再び眠った。
すると、木造の古い田舎の家屋の中に、私は居て、他にも数人の同じ年代の男性が居て、土間で薪ストーブ焚いて暖を取っていた。
そして、私が外に出て見ると、30代後半の男性が三人来て居て、巻尺で屋敷の周囲を計測して居るので、私が「貴方達は 何をして居るのか」と厳しく尋ねると、責任者の男性が「貴方が 代金を払わないので 利息が膨らんで300万円を超えたので 屋敷を競売にかけるのだ」と言うのである。
私は、物を買って代金を払っていない覚えも無いし、屋敷を抵当に入れた覚えも無いので、其の男性に「会社と自分の名前を云え」と言ったのだが、其れに対して何も返答をしないのである。
其の様な問答をして居ると、其の男性の仲間が二人・三人と次々に遣って来て、段々の数が増えて来たので、私は其の人達に、日本語の「ひと」との言葉は、「霊留・ひと」で「霊が留まる」との意味であり、霊魂が留まって居無い人間は、「只の空だ・ただの肉体だ・殻」と、説教を始めた。
すると、段々の人数が増えて来て、屋敷内に入り切れなく成って来て、近所迷惑に成るので、観覧席の在る競技場の様な所に移動した。
そして、其の競技上の様な場所も一杯に成って来た。其れは、男性ばかりなのだが、中に三人だけ女性が並んで座っていた。
其れから、自宅に帰って居ると、大きな車の後部座席に、60歳位の立派な男性が三人乗って、私を訪ねて来た。
そして、其の三人の男性を家に通すと、私の書いた文章が、長々と映し出されて来て、其の文章の中に「阝」と「易」の文字が有る事が、強調されて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなのだが、全体的な繋がりが、私にも良く解からない。
今朝の映像で、雪の中で野草を摘んで居た、数人の女性の他は、私の所に集まって来たのは全て男性だったのだが、観覧席に三人だけ女性が居た。
其の三人の女性は、姉妹の様だったので、「宗像三女神」を意味していたのかも知れない。
そうすると、最後に、私の家に訪ねて来た立派な三人の男性は、「造化三神」だったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に登場した人物は、全て現実界の人々ではなく、神界か霊界の人々であったと言う事に成って来る。
何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。
其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
「陽・ヨウ」形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。」
【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。
Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。
漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。
【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝PCに向かった時に、先ず、女神の言葉で「愈々ですね」と告げられて来た事が、信憑性を持つと言うか、天神・宇宙意識の働きの大きさが、能く理解されて来る。
老子の「タオ・道」の世界は「陰陽」がテーマであるが、弘法大師空海も「乾坤は 経籍の箱なり」と謂っているので、私は、其の二人が謂う世界に、入り込んで行く事に成り、其れが、「愈々私の本番である」と言う事なのかも知れない。
・・・其れは、老子の「タオ・道」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」の捉え方ではなく、西洋式の相対的な物の考え方と言うか、弘法大師空海の謂う「乾坤は教籍の箱なり」の思索方法に近いのかも知れない。
・「乾坤」易(えき)の卦(け)の乾と坤。
・乾[常用漢字] [音]カン(呉)(漢) ケン(漢) [訓]かわく かわかす ほす いぬい
【カン】@かわく。かわかす。「乾期・乾湿・乾燥・乾物・乾電池」
A空にする。「乾杯」
【ケン】
@天。「乾坤(けんこん)」
A天子・君主・男を表す。「乾徳」
B いぬい。北西。「乾坤(けんこん)」
[名のり]きみ・すすむ・たけし・つとむ・ふ
[難読]乾鮭(からざけ)・乾児(こぶん)・乾葉(ひば)
・けん 【▽乾】
易の八卦(はっけ)の一。で表す。陽の卦で、天や男にかたどり、方位では、戌(いぬ)と亥(い)との間、北西に配する。⇔坤(こん)。
・坤こん 【×坤】
[音]コン(呉)(漢) [訓]ひつじさる
@地。大地。「坤輿(こんよ)/乾坤(けんこん)」
A皇后・女性を表す。「坤道・坤徳」
こん 【×坤】易の八卦(はっけ)の一。で表す。陰の卦で、地にかたどり、柔順で物を成長させる徳を表す。方位では南西に配する。⇔乾(けん)。
デジタル辞典より
「正負2」http://green.ap.teacup.com/20060818/3078.html
・・・今朝は「坤」の文字が出て来て、私にフローピーデスクを濡らすなと有った。
「坤・コン」とは、八卦の「乾坤・けんこん」の坤で、意味は【陰の卦で、地をかたどり。柔順で 物を成長させる徳を表わす。方位は南西(ひつじさる)に配する。坤徳。】と、広辞苑には 載っている。
「坤・こん」http://star.ap.teacup.com/170606/800.html
・・・人間の、身体や意識には、宇宙のリズム・サイクルが組み込まれていて、人間の顕在意識では、どうにも成らない部分がある。
男性の厄年が、7×6=42や、人生49歳と云われるのは7×7=49で、其のサイクルに無意識にて気付いていたからである。
老子の言葉に、「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く。」とある。
漸く、老子の其の言葉を、理解出来る者が、現われたと言う意味だろうか。
「花言葉」http://star.ap.teacup.com/170606/797.html
平成26年9月14日
礒邉自適
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