言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2015/5/10
新政は時が満ちている間に
27・5・10
本日5月10日は、私が、京都の大徳寺の横に住んで居る時に、「写真を撮れ」と太陽神に告げられて、大徳寺の境内で、杖を突いた写真を撮ってから18年目の日である。
2015/4/14・・私は、1997年5月10日に、神から「写真を撮れ」との言葉が告げられ、大徳寺の院内で杖を突いた写真を撮った事が有る。
其の事を考えると、其の事も「船岡山」や「大極殿」に、関係が有ったのかも知れない。・・・
「祭り事のレベルアップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3427.html
今朝のメッセージの映像は、先ず、長期に亘り屋久島の町長を務めており、今季の町長選挙で敗れた「日高十七郎」氏が、町長に復帰しており、私が新政に関する相談を受ける為に、町長室を訪れると、以前よりも若々しく元気な日高十七郎の姿が在った。
次の映像は、海の満潮時に、岸に泳いで来た「太刀魚」の姿が映し出されて来て、其の太刀魚は、海面から上に釣り上げて空気に触れると、身が酸化して融けて行き、骨だけに成ってしまうのである。
そして、潮が引いてしまうと、穴子の様に砂の中に潜り込んで、二度と出ては来なかった。
次の映像は、薄暗い世界に、建造物が何も無い、開けた土地が映し出されて来て、其の土地は、新しく都庁が建設される用地である事が示されて来た。
今朝は、其の映像の意味が判らないので、朝風呂に入ると、本日は5月10日で、私が大徳寺で写真を撮った日であり、出雲の「安部忠宏氏」の誕生日である事が、頭に浮かんで来た。
安部忠宏氏は、櫛稲田姫神社が在る奥出雲の横田町の生まれであり、私が其の年の10月16日に、広島でセミナーを行った時に、初めて出会った人物であり、其の日に私は出雲の安部宅を訪ねて、出雲の神々と接触する事に成った人物である。
今朝は、其れ等の事を考えて居ると、大徳寺が「大極殿・だいごくでん」の跡地に建っている事と、今朝のメッセージは関係があり、何処かに、新しい大極殿と成る「都・みやこ」の庁舎が、必要であると言う事なのであろう。
京都とは、「最大の都」との意味であり、東京とは、京都に対して「東の都・みやこ」との意味であり、「皇帝・天皇・大君」が政・まつりごとの中心に存在する事を意味しており、現在・いま「橋下市長」が唱えている「大阪都構想」とは、意味が違うのである。
「都・ト・ツ・みやこ」形声。「阝(邑)+者」音符の者は、台上にしばを集め重ねた形にかたどり、集まるの意味。多くの人の集まるみやこの意味を表す。
【字義】@みやこ。㋐天子の宮城のある地「京都」㋑諸侯の居城のある地。㋒先君の宗廟(みたまや)のある地。㋓周代の行政上の区域の名。Aみやこする。都を定める。Bおる(居)。Cあつまる(聚)。あつめる。Dすべる(統)。またすべて。みな。Eみやびやか。うつくしい。Fああ。嘆美の声。
漢語林
此の漢字の都の説明に拠ると、「音符の者は、台上にしばを集め重ねた形にかたどり、集まるの意味」とあるので、台の上で火を燃やす為に、皆が「Bおる(居)。Cあつまる(聚)。あつめる。Dすべる(統)。との事になる。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た土地が、暗い世界であった場面の意味が理解できてくる。
其れは、新政を行う為には、先ず、人々が集まり、台の上で「篝火・かがりび」を燃やす必要があると言う事である。
そして、太刀魚が水から上がると、身が酸化して融けてしまうとの事は、太刀魚の名は「太刀・剣・つるぎ」の名前なので、刃物が酸化して錆びる事と関係が有り、此の儘、世間の風に晒した儘にして措くと、使い物に成らなくなるとの理・ことなのかも知れない。
其れに、「鉄は熱い間に打て」との諺がある様に、時を逸しては成らない理・ことを示唆しており、満ちて来ている「時・タイミング」を外すと、二度とチャンスが無いと言う事である。
そして、「魚心あれば水心」との諺がある様に、水は「弁財天・サラスヴァティー」の世界や、「須佐之男・すさのお」の世界であり、宇宙の構成物質が水素原子であるので、水心とは「宇宙意識・神の心」を意味しており、神の御心の中で、「新政・あたらしいまつりごと」「都庁」を開く理・ことを、示唆しているのであろう。
・「鉄は熱いうちに打て」
1 鉄は、熱して軟らかいうちに鍛えよ。精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである、というたとえ。
2 物事は、関係者の熱意がある間に事を運ばないと、あとでは問題にされなくなるというたとえ。
今朝のメッセージの内容からすると、私が18年前の今日大極殿の跡地である大徳寺で、太陽神から「写真を撮れ」と告げられた事は、未だに、其の太陽神の計画は続いている事になり、私が、自宅の食卓の椅子に定席する事により、其のプログラムは、是からも続いて行くと言う事になるのであろう。
其の様に考えると、都の漢字に「Bおる(居)との意味がある事が、生きており、ITやPCが存在し、世界が一つの情報網で繋がっている時代・次元での、「すめらみこと・大君・天皇・皇帝・仏陀・義人」の在り方と言うか、「御稜威・みいつ」の働きが、どの様な物に成るのかを、考えなければ成らないのであろう。
そして、其れを考える事が、私の本来の役目であると言うか「さだめ・使命・運命・天命」なのであろう。
其れを、私が辞めてしまえば、「太刀魚」は「穴子・あなご」の様に穴に潜ってしまい、次に時節が満ちるまで、出て来ないと謂う理・ことである。
2012/9/13・・私は、1996年の10月から一年間、当時京都府大宮通りに事務所が有った「どれみ村」に世話に成っていた。そして、1997年の5月10日に「写真を撮れ」との言葉が告げられて来たので、何かと想っていると、朝から急激に気温が上昇して来て皆が「此れは何だろう」と云いながら、上着を脱ぎ始めた。
私は、此れはただ事ではないと想い、箪笥に収納していた白いインド綿の服を出して着て、杖を突いて近くの大徳寺に奥野氏と出掛け、奥野氏に撮影をして貰ったのが、私が杖を突いて歩いている写真である。・・・
「日輪」http://green.ap.teacup.com/20060818/2437.html
2007/5/10・・今朝は、部屋で朝風呂に入浴してから、本宅の方に来て、阿弥陀佛の仏壇の前に座ると、「アマテラス」との言葉が来て、「アレ 阿弥陀の前で 天照大神の名が出るのは 変いな?」と意うと、私の杖を付いた写真が脳裏に浮かんだ。
それで、本日5月10日は、京都の「大徳寺」で、太陽から写真を撮れと告げられ、白い服を着て杖を突いた写真を、ドレミ村の奥野君に撮って貰った日である事が判った。其れは、1997年の5月10日だったので、それから丸10年が経過した事に成る。・・・
「物の形と意識の始まり」http://green.ap.teacup.com/20060818/283.html
2008/5/10「新しきとくさのかんだから」http://green.ap.teacup.com/20060818/744.html
2006/5/3「123・国土交通省」http://star.ap.teacup.com/170606/882.html
2009/5/9・・今朝のメッセージで告げられて来た「晃光主義・コウコウシュギ」とは、「光」は「人+火」の組み合せで、字義は「人の上に 火が灯っている」象形で、「晃」は「光+日」の組み合せで、「あきらか」の意味を表わし、光元が太陽である理・ことを意味している。
だから「晃光主義」とは、「太陽の下で 光に満ち溢れて 生きる主義」との意味であろう。・・・
「お天道様と米の飯は付いて廻る」http://green.ap.teacup.com/20060818/1137.html
2006/10/28・・今日は、昼に、屋久島の屋久町町長「日高十七朗氏」が事務所に訪ねて来て、「屋久島は 今年 一度も台風が立ち寄らなかったので 雨が降らず、後一週間もすれば 水道が時間給水に成る地区が有るので 雨乞いをしてくれないか。」と、冗談交じりに云って来た。
私が、町長に26日と27日に書いた、水に関する文章を渡すとビックリしていた。・・・
「日高町長 来訪」http://wave.ap.teacup.com/894019/188.html
本日の天気も、18年前の時の様に、五月晴れである。
今日は、何処かの自然林の中に、散歩にでも行って見ようかとの、気分に成って来た。
平成27年5月10日
礒邉自適
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