言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2015/8/13
源へ還る御魂
27・8・13
本日8月13日は、月遅れのお盆の始まりで、今日の夕方には、家の角口で迎え火が焚かれる。
今朝のメッセージの映像は、其のお盆の行事に関係があり、現在の世の中では、現在使用されている暦・カレンダーが、最も有効とされるらしい場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が少女の意識であり、海原の中にそびえ立つ岩場・島を渡ろうとすると、海原が怒っているかの様に、高い波が立ち、其の波頭には、鉄製の冠の様な物が垣間見えた。
それで、波が怒っているのは、自分が鉄製の装飾品の様な物を、持っている事に原因が有ると思って、其の品物を海に返すと、直ぐに海は穏やかになり、渡る事が出来た。
次の映像は、私の意識が海岸を歩いており、海岸の崖下に岩穴が有るのを見付けたので、其処を住いとする為に、中に詰まっている流木や砂利を取り除き始めた。
そして、空間が広く成ると、中に木製の細長い船に渡る桟橋の様な物が有るので、其れを外に引き出していた。
次の映像は、私が、天空に存在する丸い展望室の様な施設に居て、私は数人の人物が見ている前で、窓から外に出て、ナイフの「肥後の守」を出して切断した。
すると、其の綱は切断されたのだが、其の綱の中裏に隠されている細い糸が、何十本も繋がっており、少し下に位置がずれただけで、私の躰は地上には落ちて行かないのである。
次の映像は、屋久島の釣り仲間であった故「日高一典」が、釣竿で魚釣りをしており、私が見学して居ると、日高一典が別の手釣りの道具を出して、此の様にして釣れば「澤山釣れるよ」と謂って、大き目のサビキを魚群の中に沈めて、サビく(仕掛けなどを ゆっくり引くこと)と、サビキの数だけ魚が食い付いて来た。
私は、面白そうなので其の道具を借りて、釣りを始めると長い釣り糸が絡んでしまったので、其れを解いて居ると潮が満ちて来たので、岸の方に移動した。
すると、河口で「大山祇神・おおやまづみかみ」を祭祀している「大山邦博」氏が、釣竿で魚釣りをしており、大きな魚が食い付いて、引き揚げられなくて、困って居た。
次の映像は、左向きに停車している、大きな機関車が映し出されて来て、其の機関車は是から大勢の人々を乗せた列車を牽引して、出発する処である事が判った。
次の映像は、私が良く晴れた日に、海上の船上から、屋久島の山岳を眺めている場面が映し出されて来て、私の意識と言うか、御魂が、屋久島に帰って行く途中である事が解かった。
其れから、様々な生命に関する事が、映像にて映し出されて来て、其れ等の事柄を、文章に纏めなければ成らない様子が示されて来た。
そそて私の意識が、どの様に纏めて行ったら良いかを考えていると、「今回は 中国人の健闘を讃える」との意味の言葉が、告げられて来た。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージの続きの様で、昨日は左側から貨物列車が到着して、「自」の荷物が降ろされたが、今朝は大きな蒸気機関車が、大勢の乗客が乗り込んだ客車を、左側に向かって、力強く牽引して出発する場面である。
其れは、本日が「お盆の入り」である事と関係があり、故郷に向かう列車であるとの事なのであろう。
其れを考えると、最初の映像で、少女が、海原の中に聳え立つ岩場・島を渡ろうとすると、海原が怒っているかの様に、高い波が立ち、其の波頭には、鉄製の冠の様な物が垣間見えて、自分が持っている、鉄製の装飾品の様な物を海に返すと波が静まったのは、人類の誕生には、鉄が溶けていた原始の海が関係ある理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、人間の命の営みには、現在も「鉄・ヘモグロビン」が酸素を体内に運んでいる事と関係があり、我々人類は、27億年前にシアノバクテリアが大量発生して、酸素を吐き出した事に因って、海中に溶けていた鉄が酸化した事と関係があり、其の頃の次元が、我々の人体の構成に現在でも残っている事になる。
其れを考えると、昨日のメッセージの「自・鼻」は、臭覚の事だけではなく、其れ以前の呼吸のシステムと関係があり、酸素運動の事まで、遡って考えなければ成らないとの事なのであろう。
【ヘモグロビン(hemoglobin)】とは、ヒトを含む全ての脊椎動物や一部のその他の動物の血液中に存在する赤血球の中にあるタンパク質である。酸素分子と結合する性質を持ち、肺から全身へと酸素を運搬する役割を担っている。赤色素であるヘムをもっているため赤色を帯びている。
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
此の説明に拠ると、「ヒトを含む全ての脊椎動物・・」と有るので、其れは昨日の「海鞘・ほや」とも関係があり、海鞘は脊索動物(せきさくどうぶつ)の一種であり、脊索動物の発生は「約5億4200万年前から約4億8830万年前までとされる」との事なので、今朝のメッセージは約5億年前の次元と言うか、時間帯まで「いのちの舞台」が戻っている事になる。
其れに「ホヤ」の名は、「ランプシェードに当たる火屋(ほや)にかたちが似ている」からとの事なので、其の「火屋(ほや)」の名前からすると、一昨日の「火焔のリスマ」のメッセージから、要件が継続されている事にも成る様である。
今朝の二番目の映像で、私が海岸の崖に有る洞穴を、棲家にしようとしていたのは、人類が650年前にゴリラ族と分離し、アフリカの草原から出て各地を旅し、海岸に辿り着いた時代を意味し、其の空間から船に渡る「桟橋」の様な物が引き出されたのは、人類が再び、生まれ故郷である海に還って来た理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
・656万年前±26万年 - ヒト族とゴリラ族が分岐したとされている。
・487万年前±23万年 - ヒト亜族とチンパンジー亜族が分岐した。
猿人の出現。直立二足歩行の開始。
・約20万〜19万年前 - ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現。16±4万年前のミトコンドリア・イブの存在。
・約12万5千年前 - 初期のヒト属による火の利用
・約10万年前 - 現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て世界各地に拡がった(アフリカ単一起源説を裏付けるもの。)
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
そして、今朝、海原での私の意識が、自分のモノではなく、少女の意識であったのは、一昨日のメッセージ「火焔のリスマ」の映像で、私がオートバイに白襟のセーラー服を着た、三人の女学生を後ろに乗せ、山頂から、道なき道を麓に向かって下って行く場面が映し出されて来た事と関係があり、其の三人の女神が、私の躰に便乗しているとの事であろう。
今朝の少女が、孤島から孤島に海原を渡ろうとしていたのは、正に「宗像三女神」の一人であると言う事になる。
2007/11/8・・【宗像三女神】1、田島の辺津(へつ)宮 - 多岐都比売命(たぎつひめ) 2、大島の中津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ) 3、沖ノ島の沖津宮 -多紀理毘売命 (たぎりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ) 、の三島の三女神。
2、中脳は、馬や狐やカンガール等と同じ脳で、視覚感覚や聴覚が発達し感情が加わって発達したものである。
3、大脳は、音信号が発達し、言葉が組み込まれ、其れに拠って、絵や文字などが加わり、前頭葉が発達して、人間独自の脳が出来上がって来たものである。
だから、神の存在を認識し、其れを外側に表現して、意識を組み上げて来たのは、三段階目の人間の脳なのである。
其の大脳が集めた情報を、寝ている間に整理するのが中脳であろう。
だから、起きている間に、大脳の情報を整理しようとするのが、禊ぎ祓いの儀式なのであり、其れを行なう場所が、生命が38億年前に誕生した粘土(ミネラル)の海である「小戸・瀬戸」なのである。・・・
「三段階の神とは」http://green.ap.teacup.com/20060818/532.html
今朝のメッセージの少女は、「沖ノ島の沖津宮 -多紀理毘売命 (たぎりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)」なのではないだろうか。
何故なら、「たぎり」とは、「湯がたぎる」との言葉と関係があり、強い火焔が必要だからである。
そして、次の映像で、故「日高一典」が海で魚釣りをして居たのは、名前の意味が「日高見の国(日本)が 唯一の典である」との意味であり、現在大山祇神を祭祀している「大山邦博」氏が、河口で魚釣りをしており大物の魚が掛かっていたのは、大山祇神が、時代・時の流れの中から、一番の大物を釣り上げる役割を果たす理・ことを、意味しているのではないだろうか。
「典・テン」【解字】会意。「冊+六」。冊は、書き物の象形。一ハは、物を乗せる台の象形。とうとい書き物の意味から、転じて、みち・のりの意味を表す。
【字義】@ふみ。㋐尊ぶべき書物。「経典」㋑書籍。「古典」Aのり。(法)法則。手本。Bみち(道)。おしえ(教)。つね(常)C礼。礼式。「祝典」Dよりどころ。しきたり。「出典」Eただしい。また、みやびやか。上品。「典雅」Fつかさどる(主) 漢語林
今朝の映像で、私が、日高一典の長い手釣りの仕掛けを借りて、其の仕掛けが絡んで解けなく成り、解こうとして居ると、潮が満ちて来たので、其のまま放置して、陸の方に向かった場面の意味は、其の「一典」を長い書き物にすると、絡み着いて利用出来なく成る事を示唆しており、潮が満ちる時に遅れるので、私には長い書き物にはタッチするなとの事を、示して来ているのではないだろうか。
今朝の映像では、私は天空に浮かぶ展望室の様な所に居て、自分の命綱を、ナイフ「肥後の守」を取り出して切断したが、中裏に隠されている細い糸が、何十本も繋がっており、私の躰は地上には落ちて行かなかった場面は、私の存在は、数多くの糸で天空に繋がっているので、もう地上に落ちる事は無いとの理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
そして、現れたナイフが、伝統的な「肥後の守」であったのは、「天が庇護する・守る」との意味が有るのだろうが、私が子供の頃から、「肥後の守」を使って工作をし、様々な遊びをして居たので、其の遊びも澤山の糸として、天空・天界に繋がる要素に成っているとの、事ではないだろうか。
次の映像には、大きな機関車が客車を牽引して、大勢の客を乗せて出発する場面と、私が故郷である山岳島の屋久島に帰る場面は、故郷は、人間の個人的な御魂の還る場所・グランドである事を、示しているのであろう。
そして、最後に情報を整理するに当たって、「今回は 中国人の健闘を讃える」との言葉が告げられて来たのは、私の書き物と言うか、頭の整理に、中国で開発された漢字が、非常に役立った事と関係があり、漢字がなければ、私の思索も此処まで達する事が出来なかった理・ことを示唆しており、中国の漢字文化に、感謝をしなければ成らないと言う事を示して来ているのであろう。
平成27年8月13日
礒邉自適
2015/8/5
神の名が消える
27・8・5
今朝のメッセージは、人間が、神の存在に名付けた名前が、一切消去された様で、其の代わりに、昨日のメッセージの映像に現れた、白い紙札に書かれる文言が映し出されて来た。
其れは、右から「GD・ゴールドディスク」、次が「ST・スピリュアルタイム」であり、次の二文はハッキリとは思い出せない。
次の映像には、私が現在行っている、以前の「自適随筆」文章の校正作業が、間もなく終わる場面が映し出されて来た。
そして、其れが終わると、私は、次の執筆に掛からなければ成らない事が、示されて来た。
そして、私が是から書かなければ成らない、長い文章が映し出されて来て、其の文章を視ていると「・・・神の 」処で、文字が消えて、真四角な箱が一個現れて来た。
其の箱は、20p角程の鉄製の様な、赤茶色の蓋の無い硬い箱で、人間が開ける事が出来ない物であり、「神の約束」と関係がある事が示されて来た。
今朝のメッセージで示されて来た、「GD・ゴールドディスク」とは、「黄金の記憶盤」との意味なので、宇宙に存在する「アカシックレーコード」の事であり、天の総合意識回路と言う事になり、其れが「神の意思」の存在と言う事に成るのであろう。
【ディスク】1円盤。円板。2レコード。音盤。また、コンパクトディスク・DVD・ブルーレイディスクなどの光ディスク。3⇒磁気ディスク記憶装置
デジタル大辞泉
次の「ST・スピリュアルタイム」とは、私が最初の頃、屋久島で天から告げられた言葉であり、其れは「魂しいの時」との意味だったので、其のテーマで、数回会合を開催した事がある。
其の時の言葉が、今朝、再び示されて来たと言う事は、「GD・ゴールドディスク」が回転すると言うか、機能する為には「時間・とき(森羅万象の流転)」が先に進む必要があり、其の為にこそ「万物の霊長」とされる人類が存在し、此の三次元世界で、精神的な活動を続ける必要があると言う理・ことなのであろう。
2002/2/28・・「スピリチュアルタイム」の言葉は、私が屋久島で1985年か86年に、天からのメッセージとして受け取ったものである。
其れは、日本語では「魂しいの時」と言う様な意味合いであり、精神的な時代の訪れを感じたメッセージであった。
その時は、未だ、私は「日月神示(天津日嗣神事)」とかが、存在する事も知らなかったのである。
第一回目の「スピリチュアルタイム1987・昭和62年11月21・22日」には、全国から70名程が奈良市の「大倭あじさい邑」に集った。
古神道研究家の「菅田正昭氏」、マンガ家の「真崎守氏」、シャーリー・マクレーンの本を訳している「山川亜紀子さん」、学校給食問題や沖縄のサンゴ礁の海の保全運動をしている「山田征さん」等が参加された。
其れに、未だ世に知られる前の「川口由一氏」も参加した。・・・
「私と日継神示 二」http://moon.ap.teacup.com/20061108/165.html
今朝のメッセージに現れた「神の箱」は、「神の契約の箱」の意味合いがあり、昨日愉伽さんのメッセージで、私が高い崖の上の岩穴から、年配の修行者を差し置いて「宝箱」を捜し出した事と関係があり、此の私が、誰も出来なかった事を遣り遂げて、神の真意を汲み取ると言うか、捜し当てた事を意味しているのであろう。
そして其れは、屋久島の山岳の頂上に有る「磐座・いわくら」に、祭祀されている「一品宝珠大権現神・いっぽんほうじゅだいごんげんかみ」の働きを意味する「宝珠」の事にも、関係があるのだろう。
2008/8/3「一品宝珠大権現1」http://green.ap.teacup.com/20060818/837.html
2011/11/25「一品宝珠大権現2」http://green.ap.teacup.com/20060818/2132.html
今朝のメッセージのテーマは「神の名が消える」としたが、其れは、神の漢字は「示+申」の組み合わせで、「示・祭壇の前で、申・神のメッセージを受け取る」の意味であり、日本の記・紀では、其の神の漢字を「はたらき」の意味に使用しているので、日本人の神とは「宇宙・上・かみの働き」と言う事であり、其処には、神の本体の名前は無いからである。
2015/3/2・・「神・シン・ジン・かん・こう」【解字】形声。「示+申」の組み合わせ。音符の「申」は、いなびかりの象形で、天の神の意味。示を付し、一般に、かみの意味を表す。
【字義】@かみ。㋐天の神。宇宙萬物の主催者。⇔祇。「天神地祇」㋑かみの総称。Aたましい。霊魂。Bこころ。精神。C霊妙ではかり知れない働き。理性でははかり知れない不思議な働き。Dきわめて尊くて、侵すことのできないこと。「神聖」 漢語林
今朝のメッセージの映像にも、私は殆ど記憶に残っていないが、様々な現場の様子が映し出されて来て、次々に消えて行った。
其れは、私の本体が現場を回らなくても、私の躰を使って・通して、電気的に情報が流れ、三次元の現場が変化している事を、示して来ているのであろう。それこそが、本来の「すめらのみこと・天皇・大君・皇帝・ミカド」の役割である「御稜威・みいつ」の働きなのであろう。
そして、其の事が、漢字の「神・シン・ジン・かみ」の本来の意味なのであろう。
「御稜威・みいつと」は、「厳・いつ」の頭に御が付いた言葉で、意味は
A 厳な威光,威勢の鋭いこと。 A植物等が威勢良く繁茂すること。
A (い)み浄められていること。祝詞、神賀詞。と 載っている。
広辞苑
【御稜威】「厳(いつ)」を敬っていう語。天皇や神などの威光。「―津々浦々に及ぶ」 国語辞典
「事象のシンクロニシティ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3378.html
・・・「神・シン」の漢字は、「示+申」の組み合わせで、「示」は祭壇の象形であり、「申」は雷の稲光の象形である。其れは「祭壇の前で 神・天界の磁気信号情報を 受けとる」との意味である。そして、「聖者」の「聖・セイ」は「耳+口+王」の組み合わせで、字義は「耳を澄まして 神の言葉を受け取る人が 首を長くして座って居る」との意味である。
其れに「知・チ」の漢字は、「矢+口」の組み合わせで、「矢を祭壇に捧げて 手ぶらに成って 神の言葉を待つ」の意味で、神から知らされる理・ことを意味している。そして知らされた事を、口を開いて他人に知らせる事が「知+曰」の組み合わせの、智慧の「智」の漢字である。
其の、「天→ 神→ 聖→ 知→ 智→ 民衆」の順番からすると、今朝映されて来た天幕は、祭壇の代わりと成る物ではないだろうか。其の様に考えると、今朝のメッセージは、昨日の映像に現れた電子画面に関係が有り、昨日のメッセージの続きであると言う事に成って来る。昨日現れた、部屋の壁一杯の電子画面は、神が地上に降ろした天幕であった事に成る。・・・
「天幕を張る」http://green.ap.teacup.com/20060818/1346.html
其の事を考えると、私にメッセージを伝えて来る女神は、自分の名前を決して名乗らないし、ユダヤの「エホバ、ヤハウェ」も「有る時から在るモノ」の意味であり、其の神(はたらき)も「神の名前を呼んでは成らない」と訓えている。
そして、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」は「宇宙の真理の本体」の意味であり、「阿弥陀如来」は「アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」の意味で、「人間には 計りしれない光・寿」との意味であるので、其れも神の名前ではないのである。
だから、元々、神には名前が無いと言う事になり、其れ等の名前を唱えて「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」の儀式を行っている人々は、無知と言うか、宗教家を名乗る詐欺師に、騙されている事に成るのだ。
其れは、「天照大神(昼間を治めるはたらき)」や「月讀尊(夜を治めるはたらき)」其れに、須佐之男尊(海原を治めるはたらき)を、神として礼拝する事も間違いであると言う事になる。
其れは、イスラム教で神仏の偶像を礼拝する事を禁じている事と同じで、日蓮上人が「仏像を礼拝する事を戒めて、釈迦牟尼仏の訓えである法華経に帰依しなさい」と謂っている事と同じであり、釈迦牟尼仏は「一切の儀式を止めて 己の真実・生命に目覚めなさい」と謂っている事が正しいのである。
今朝の愉伽さんのビジョンには、「倫・リン」の字が名前に使用されている知人が登場したとの事である。倫の漢字は、次の様に載っている。
「倫・リン」【解字】形声。「人+命」音符の命は、すじみちをたてるの意味。すじみちのたどれるともがらの意味や、すじみちの意味を表す。
【字義】@みち。㋐人のふみ守るべき道「人倫」㋑すじみち。道理。Aともがら。なかま。たぐい(類)。「倫類」Bしな。等級。順序。Cもくめ(木目)。Dならべる。また、くらべる。
漢語林
此の「倫」の意味からすると、昨日の私のメッセージの映像に現れた、四枚の紙札は、倫の字義である「Dならべる。また、くらべる。」と関係があり、私と愉伽さんは「Aともがら。なかま。たぐい(類)。「倫類」」であり、二人で「㋐人のふみ守るべき道「人倫」㋑すじみち。道理。」を、探っている事に成る。
今朝のメッセージの内容からすると、私は、以前の文章の校正が一応終われば、次のステージが待っている事になり、其のステージで行う事は、新しい神との「契約・ちぎり」の文章を書かなければ成らないと言うか、人のふみ守るべき道「人倫」に付いて、新しい一歩を踏み出して行かなければ成らないと言う事なのであろう。
其れは、誰かが、宇宙の進化、時間・ときの流に乗って、思考を進めて行かなければ、天神(てんのはたらき)の世界に存在する「GD・ゴールドディスク」の機能が、無駄に成ると言うか、役に立たなく成るとの事なのであろう。
そして、其れが黄金の光を失えば、人類は過去の情報や柵・しがらみの海に溺れた侭、無明の世界を生きて行くしか、他に道が無いと言う事になる。
其の様に考えると、やはり釈迦牟尼仏が2600年前に預言した、「弥勒菩薩・マイトレーヤ」が此の世に登場しなければ、問題は解決しないと言う事であり、其の「有情の菩薩」の働きは、此の私の手腕に任されていると言う事なのかも知れない。
平成27年8月5日
礒邉自適
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