言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2015/10/28
屋久島物語
27・10・28
本日は、「荒神様」の日であるので、どんなメッセージが来るかと意って居たら、ストーリー性の有る、長い映画の様な映像が映し出されて来た。
其れは、屋久島が舞台であり、先ず、四人兄弟が屋久島の深い森の中に遊びに行き、世界自然遺産登録区域ではないが、国定公園内で、蘭の一種である「屋久島報歳蘭」を100株程見付けて、自宅に持って帰り、植木鉢に植えている場面が映し出されて来た。
私は、小学生の時から自分で山中に遊びに行き、寒蘭を度々採取して来て、自宅で栽培しており、とても其の場面には実感が有るので、其の報歳蘭を見せて貰って居た。
実際に、私は、屋久島の平野地区の山中で採取されたと言う「屋久島報歳蘭」を株分けして貰い、栽培してもいたのである。
私が、分けて貰って栽培していた其の報歳蘭は、垂れ葉で背の低い物であったが、今朝の映像に映し出されて来た報歳蘭は、山川報歳蘭や台湾報歳蘭よりも背が高く、大きな物であった。
そして、報歳蘭が生えていた場所は、国定公園の地域であり国有林内であるので「森林管理署」の係官の知る所と成り、其の係官は没収するか、元の山中に植えさせるか、其れとも其れを屋久島の経済を支える為に、販売用に株分けして数を増やさせるかの判断を、決めかねて居た。
其れから、其の報歳蘭が生えていた場所の森が映し出されて来て、其の森に霧雲がかかり、其の霧雲の中に、曲がりを持った、屋久杉等の古木の姿が様々に現れて、其の姿がモノクロの写真集として載っている本が、映し出されて来た。
次に、其の写真集が棚に置かれている、展示室か土産販売店の様な施設が映し出されて来た。
そして其の施設は、ドーム型の建物であり、天井は木目の美しい屋久杉の板が張られており、天井を支える長い曲線の天井柱材は「ヒメシャラ」の半割り材であった。
そして、其のドーム型の施設に、屋久島に移住して来ている、芸術家やレストラン経営者や自然農法家達が集まって来て、屋久島の是からの在り方に付いて、話し合いが始まる場面が映し出されて来て、私の意識も、其の会合に参加する事に成った。
私は、其れ等の映像が余りにもリアルなので、其れ等の事を一冊の本に纏めなければ成らないと考えて居たのだが、朝、目が覚めて現実世界を見ると、其れは夢であり、自分は屋久島ではなく、田川の自宅に居るので、其のギャップに暫くたじろいで居た。
用語解説(ホウサイラン(報歳蘭)の意味・用語解説を検索)
ホウサイラン(報歳蘭)
ホウサイラン Cymbidium sinense
ラン科シュンラン属のランで,東アジアの温帯から亜熱帯にかけて広く分布する。東洋ランとして扱われるものの一つで,奄美大島や屋久島にも自生する。自生状態では葉の長さが 1mをこえることもある大型のランであるが,栽培下では 30〜60cm程度。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
「報・ホウ・むくいる」【解字】会意。「幸+つくり」幸は、手かせの象形。つくりは、従うの意味。罪人に刑に従わせる、さばくの意味を表す。転じて、むくいる・しらせるの意味を表す。
【字義】@むくいる。むくい。㋐かえす。おかえし。「報酬」㋑しかえしする。「吉報」「時報」Bさばく。C合わせる。重ねる。D新聞。
「歳・サイ・セイ」【解字】形声。「歩+戌」。歩は、あゆむの意味。音符の戌は、まさかりの象形。まさかりでいけにえを裂いて一年ごとに祭る儀式から、みのり・としの意味を表す。歩は、一年が終わって次の年へ歩むの意味から付された。常用漢字は省略形。
【字義】@星の名。木星。木星は天を一年に一次(十二次の一つ)ずつめぐり、十二年で天を一周する。「歳星」「太歳」Aとし。㋐年。一月一日から十二月三十一日まで。「歳末」㋑一か年。「歳入」㋒新年。元旦。㋓つきひ。年月。「歳月」㋔年齢。また、年齢を数える語。才を代用することがあるが不適。B穀物のできぐあい。Cとしごと。毎年。Dその年の運勢。としまわり。
漢語林
此の「報歳・ほうさい」の漢字の意味からすると、私の「歳・としまわり」は、是から、自然の恩恵に対する「報いる・おかえし」を、して行かなければ成らないとの事なのではないだろうか。
何故かと言うと、私は小学生の時から、屋久島の森林から寒蘭を多く採取し、海から澤山の魚介類を採取し、三十歳代には、不動産業にて宅地造成の為に、屋久島の森林を破壊して居たからである。
其れに、別の角度から見れば、私は37歳まで、世界自然遺産に登録された屋久島の山・川・海の自然を舞台として、様々な体験を積んで来たので、現在の様な思い出(脳内の景色・ビジョン)が有るからである。
今朝のメッセージの映像は、其れ等の私の認識を活かして、今後の文化と言うか、未来社会の創造に対して、努力をして行かなければ成らないと言う事なのであろう。
其の様に考えると、何故、私の両親が屋久島に渡って、私を産み育てなければ成らなかったのかの理由が明確に成って来るし、土肥無庵が私を捜し出して此の世界に入れたのかや、私の財産を池田保夫妻が横取りして、私が、仕事が出来ない様にしたのかも、理解されて来る。
其れから、31年が経過して、私は屋久島の存在を、島外から視る目を養って、今日に至っている。
其の、屋久島を外から見る目が、今朝は屋久島に再び還っていたのである。
其の事を考えると、やはり私は、屋久島の自然環境を土台にした意識の基で、何等かの考え・価値観を、生み出して行かなければ成らないと言う事であり、其の為に軍神が付いているとの事なのかも知れない。
今日は、11時49分に屋久島の西川良明氏より電話が掛かり、「今日は大山祇神の大祭で いま直会・なおらいが始まった処だ。」と知らせて来た。
其れで、本日は旧暦9月16日の「山の神まつり」の日である事が判った。
「山の神祭り(大山祇神祭り)」は全国で、年三回旧暦の1月・5月・9月の16日に行われる。
本日のメッセージは、荒神様と言うよりは「大山祇神・おおやまづみかみ」の働きの方が強かったのかも知れない。
何故なら、今朝の映像は、屋久島の山の事に関して映し出されて来たからである。
2012/7/5「大山祇神の祭り」http://wave.ap.teacup.com/894019/2108.html
11月1日まで、残り四日と成って来た。
何が、どう動き出すのか、静かに待っていようと意う。
平成27年10月28日
礒邉自適
2015/10/27
「軍神が付いて居ます」
27・10・27
今朝のメッセージの映像は、明日28日が台所の「竈の神」である「荒神様」の日である事と関係が有るのか、農業や食べ物の世界に関係が有る「セミナー・講習会」が、数カ所で開催されている場面が映し出されて来た。
そして最後の会場で、古い時代の服を着た30代半ばの丸顔の日本人の女性が、私の所に遣って来て、私に「軍神が付いて居ます」と云った。
「軍神」を検索すると、次の様に載っている。
【軍神】(ぐんじん、ぐんしん、いくさのかみ、いくさがみ)とは:
軍事・戦争を司る神。武神ともいう。(英: god of war, Mars)
壮烈な戦死を遂げて神格化された軍人。(英: war hero)
概要(編集)
軍神とは戦勝や武運長久を祈願し、聞き届けてくれるといわれる神を指す。
日本では、天照大神が皇孫瓊瓊杵尊を葦原中国に降されるにあたり、武甕槌神と経津主神が先発して平定したという故事が『日本書紀』に記されており、その二柱の神をそれぞれ祀った鹿島神宮、香取神宮は、古くから軍神として崇められた。
また平安時代後期から中世にかけて、武家の筆頭であった清和源氏が石清水八幡を氏神とし、鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ各地に勧請したことから、八幡神は広く武士達に軍神として崇拝されるようになった。
近代以降になると勇猛な戦死者の美称としても用いられるようになった。西住小次郎中尉以後は軍が公式に指定する事になる。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
だが、今朝のメッセージの映像では、戦争の事は全く関係が無いので、「軍」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「軍・グン」【解字】会意。「冖(勹)+車」。勹は包むで、かこむの意味。車は、戦車の意味。戦車で方位する、いくさの意味を表す。
【字義】@いくさ。㋐つわもの。兵士。㋑軍隊。㋒たたかい。戦争。Aたむろする。陣取る。B陣営。C軍隊の編成上の名。
漢語林
此の軍の意味からすると、今朝のメッセージは、食べ物の世界を護る為に、台所の神の陣営が、動くとの事なのではないだろうか。
荒神様の説明には、次の様に有る。
【荒神】・・御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
其れに、私に4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた時に、最初に姿を現したのが、マクロビオティックの世界を創出した「桜澤如一」であり、次が大本教の「出口王仁三郎」で、次が剣豪の「宮本武蔵」であった。
2009/12/30・・其の順番の意味は、「桜沢如一」は食の世界で、能く噛む事の修行。「出口王仁三郎」は足の世界で、正しく歩く修行。「宮本武蔵」は二刀流であり、左右の腕をバランス能く使う事で、左右の脳の働きを良くする修行だったのである。其の後にも、ゲーテや、ピカソや、一休禅師や、利休や、松尾芭蕉などの霊魂が、次々に私の身体を交代で使用し、其の有様を4311体の霊魂が、全部で見詰め、総合的な体験・智慧を積み上げて行ったのである。
そして、有る程度の修行が済んだら「猿田彦神」等の神霊が身体を使い始め、全国の旅が始まったのである。・・・
「除夜の鐘と初詣」http://green.ap.teacup.com/20060818/1388.html
其れと、私が東京の「オオサワジャパン」の事務所を初めて訪問した時に、「此処がお前の仕事場だ」と、桜澤如一の言葉が告げられて来てもいる。
2006/12/15「シンクタンク・トップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
其れ等の事を考えると、昨日のメッセージに「萌・ミョウ」の文字が示されて来た事と、両目の瞳が無い男性が登場した事が関係有り、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという猿田彦神が、目の輝き・光を取り戻して、動き出すとの事なのかも知れない。
其れは、日本の伝統である「食国政事・おすくにのまつりことの」の復活であり、天皇家の一番重要な台所の「御餉殿・みけどの」の神(はたらき)が、力を取り戻すと言う事でもあるのだろう。
2005/10/29・・昨日10月28日は、阿蘇の山里で「荒神様」の儀式が行なわれる日である。
家の主人が、川に行って小石を拾って来て、屋敷の裏庭に積み上げ「荒神様」に祈りを捧げるのである。
荒神様は、カマドの神様で、奈良県の三輪山から奥に入った村に神社が有る。
広辞苑には、「かげにいて それぞれの人を保護すると信じられていた神、西日本で祭る屋敷神。同族祭祈のことが多い。」と 載っている。
「三宝荒神」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1062.html
今日は、1943年3月18日に私を捜し出して、屋久島に自宅を建てて引っ越して来て、1984年6月4日(旧暦5月5日)に私を此の世界に送り込んだ、土肥無庵の誕生前夜・イブの日である。
其の土肥無庵は、2001年11月7日に身罷って14年が経過しようとしている。
今朝のメッセージの内容から考えると、其の土肥無庵が、彼の世・四次元世界で「食国の政・おすくにのまつりごと」の復活に、動いている可能性が高い。
そうであれば、明日のメッセージで、其れらしき事が映し出されて来るかも知れない。
平成27年10月27日
礒邉自適
2015/10/26
萌・ミョウ
27・10・26
今朝のメッセージの映像には、海が見下せる海岸の丘の松林の中に、別荘な様な古い大きな日本建築の建物が存在し、其の建物内に50歳くらいの外人男性が、日本人の妻と子供二人で、暮らして居る場面が映し出されて来た。
其の建物は、以前は旅館の様に使用されていたらしく、別棟に調理場が付いた食堂の様な施設が有ったが、其の施設は、白蟻が繁殖して使い物には成らなく成っていた。
私は、其の外国人が住んでいる建物の部屋の中で、其の男性と話しを始めた。
其の男性は、ドイツの国籍ではあるが、先祖はヨーロッパの何処かの半島の出身であるとの事であった。
そして、其の男性と話しを始めて、良く顔を見ると、両目の瞳が無い事が判り、其の男性の正体は、普通の人間ではない事が理解されて来て、其の人物は「猿田彦神」の存在と、何等かの関係が有る事が理解されて来た。
其れから、「日本の国の起こりである2700年前の時代」の事と、「萌・ミョウ」の文字が示されて来た。
朝起きて、萌の漢字を検索すると、次の様に載っている。
【萌】[人名用漢字] [音]ホウ(ハウ)(慣) [訓]もえる きざす きざし草の芽が出はじめる。物事が起こりはじめる。きざす。きざし。「萌芽・萌生」[補説]「萠」は俗字・人名用漢字。[名のり]め・めぐみ・めぐむ・めみ・もえ[難読]萌... デジタル大辞泉
【萌】 発音
音読み
呉音: ミョウ(ミャウ)
漢音: モウ(マウ)
慣用音: ホウ(ハウ)、ボウ(バウ)
訓読み: も-える、きざ-す、めばえ、きざ-し、きざし、もえ
・本来の「萌え」
この節では、日本語の正しい文法・用法における「萌え」を解説する。
本来は、「萌え」は、ヤ行下二段活用の動詞である「萌える(萌ゆ)」の連用形である。また語義は「芽が出る」「きざす」「芽ぐむ」を示す。文学的な雅語の文脈などではこの用法で用いられる。
・古典における「萌え」の使用事例
石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
(『万葉集』より志貴皇子の歌)
春くれば雪の下草下にのみ萌え出づる恋を知る人ぞなき
(新勅撰和歌集、巻第十一「恋歌一」より前中納言匡房の歌)
春日野の下萌えわたる草の上につれなくみゆる春のあは雪
(『百人秀歌』より源国信の歌)
春雨に萌えし柳か梅の花 ともに後れぬ常の物かも(大伴書持)
また、「萌え出づ」、「萌え立つ」、「萌え渡る」、「若草萌ゆる」など、草木が芽吹く様を表現する際に用いられる場合が多い。萌黄色(もえぎいろ、萌葱色とも書く)と呼ばれる色は、葱(ネギ)の芽が出た時に見られる薄青と緑の中間色のことを指す。言い換えれば薄い緑に近い色である。
人名にも字が用いられることがあるが、この場合の意味はこの本来の用法としての「萌え」であり、オタク文化におけるスラングとしての「萌え」の意味ではない(ただし、おたく向けのアニメやゲームなどの登場人物の場合はこの限りではない)。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
今朝のメッセージの映像は、私にも不可解なモノであり、良くは判らないが、日本の神話で「天照大神・天津族」を出迎えた事に成っている「猿田彦」が、鼻の高い外国人の様な出で立ちである事と関係が有り、日本国の成立に外国人が関係している事を、示して来ているのかも知れない。
其の事と、「萌・ミョウ」の漢字の意味を考えると、再び、日本国の開闢・かいびゃくが始まる事を示唆しており、其の為には、外国人の登場が必要であるとの事なのではないだろうか。
何故なら、日本人が自分で、日本国の良さを表現しても、自画自賛と成ってしまい、外国人に広く知って貰う事が出来ないと意うからである。
其の様に考えると、昨日の文章の「王と藤花」の内容である藤棚の蔓の拡がりの事と関係があり、中心の「王・主体・理」の存在と、広く花を咲かす為の手段として、ドイツ人(猿田彦神)の感覚・働き・作用が、必要であるとの事なのかも知れない。
其れに、今朝の映像で調理場の付いた食堂の建物が、白蟻に喰われて使用不可能に成っていたのは、日本の伝統である食の文化が、外国の食文化に影響されて、本来のモノではなく成っている事を示唆しており、日本の食文化を建て直す必要があるとの事ではないだろうか。
其れは、現在の食の乱れや、食材の不自然化を正さなければ、「食国政事・おすくにのまつりごと」も、萌え出る事には成らないからである。
明後日10月28日は、荒神様の大祭日であり、私を捜し出して、此の世界に入れた土肥無庵の生誕74年の日でもある。
其れを考えると、今朝のメッセージは荒神様の存在が関係有り、両目の瞳が無かった男性神は其の荒神様の存在であり、人間が食文化を正して、両目が開く様にして遣らなければ成らないのではないだろうか。
*サルタヒコ、またはサルタヒコノカミは、日本神話に登場する神。『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神。『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。
神話での記述(編集)
邇邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来た。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
平成27年10月26日
礒邉自適
2015/10/21
ミネラルがまこと
27・10・21
今朝のメッセージの映像は、私の故郷である松峯区の、地図と自然環境を舞台にした場面であった。
最初に、私の実家が在る矢本嶽の麓に向かって、合同庁舎が有る三叉路から縦に走る道路の、舗装のやり直し工事が行われており、私は、其の舗装に使用する砂利を、磯辺の海岸にトラックで取りに向かった。
すると帰りには、屋久島を一周する横に走る県道が、基礎の部分から崩落していて、山に向かって縦に走る道路にまで帰れなく成り、トラックは借り物なので、其の持ち主に「実家に止めてある 私の車に乗って 帰ってくれ。」と電話を掛けた。
次の映像は、「磯辺 石」との文字が映し出されて来て、其の石は「まこと」と読み、「ミネラル」の事を意味していた。
次に、真っ直ぐに上に伸びる木の幹が映し出されて来て、其の幹には、緑の葉が着いた蔓が二本揃って、螺旋状に絡み着いて上に伸び上がっていた。
其れは、DNA・遺伝子の事を示唆している様であった。
私の実家の有る「松峯区」は、私の父親が、安房区から独立して松峯区を創り、ボランティアで区長の役割を勤めた物なので、今朝のメッセージの映像も4日続けて、父親の霊魂が関係している様である。
松峯区の名前は、私の父親が現在の合同庁舎から、安房港に伸びる岡に、昔し松の木が澤山生えていたので、其の土地の小字が「松峯」であった事から、名前を使用した物であり、今朝映し出されて来た道路の位置は、其の松峯の三叉路が基点に成っており、其の三叉路の角には、県の出先機関である合同庁舎が建っている。
其の、県道から山の方に縦に走る道路は、私の父親が開拓組合の理事を務めている時に、開拓道路として建設された物であり、実家から安房の方に走る道路や、松峯区の水道施設も、私の父親の発案で開拓事業として整備した物である。
今朝のメッセージは、其れ等の場面を使って、人間の體・身体の事を示して来ている様である。
磯辺の「石」が「まこと」であると言うのは、陸の生物が海から陸に上がって来た事と関係が有り、神社の拝殿の斎庭に海砂を撒いて、社に有る階段の一段目を「磯の段」と呼ぶ事に関係が有るのだろう。
そして、其れがミネラルと関係が有ると言うのは、動物が海から陸に上がる時に、ミネラルを骨に蓄える構造で上陸した理・ことと関係があり、陸に上がって3億6000万年が経過しても、ミネラルの存在が人間の體に最も重要である理を、示して来ているのであろう。
・4億2000年万前 - 植物の上陸。
・4億年前 - 節足動物の上陸 アンモナイトが現れる。
・3億6000万年前 - 脊椎動物(両生類)の上陸。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
体の漢字は略字であり、元字は「體(骨+豊)」であり、「骨が 豊・密度が高い」である事が字義・概念である。
「體・テイ・タイ」形声。【解字】篆文は「骨+豊」。音符の豊は、珍(王無し)チンに通じ、多くのものが密度高く集まるの意味。多くの骨からなる、からだの意味を表す。常用漢字の体は、もと「人+本」の形声文字で、あらい・おとるの意味を表したが、中国でも古くから體の俗字として用いられたもの。
【字義】@からだ。み。首。胴。手。足。の総称。「身体」「肉体」Aてあし。四肢。「四体」Bかたち。㋐ありさま。すがた。状態。「形体」㋑かた。きまり。規格。「体裁」Cもちまえ。本性。物事の根本となるもの。⇔用。「本体」D身につける。自分自身で行う。「体験」・・・ 漢語林より
2009/2/23・・其の理由として、古代人のビジョンにも、今朝、私が霊夢で見せられた様な、小石ケ原の磯の風景が映されていたので、神霊が「磯辺」で働いていると考えたからではないだろうか。
其れは、海岸の磯辺だけではなく、河川の川原や、山岳の泉の近くに有る、砂場も同じである。
だからこそ、神社の参道には小石が敷き詰められ、拝殿の回りには石英の砂が撒かれ、16段の階段の踏み段は「磯の段」と呼ばれるのである。
そして、仏教の賽の河原の石積みにまで、影響を与えているのであろう。・・
其の様に考えると、漢字の「體・タイ・からだ」の文字の意味である「骨が豊な丈夫な肉体」でないと、確かな、神の働きが出来ないと謂う理・ことに成る。
「骨・カルシウム」は、カルシウムの含まれた食物を食べ、太陽光線に当って、能く運動をしなければ、身体に吸収されないのである。
其の理を考えると、私が、今朝の映像で海流に流されてしまい、泳いでも岸に還って来られなかったのは、三年間PC作業ばかりをして居るので、運動不足と成り、私の體が、駄目に成っている事を示唆しているのかも知れない。・・・
「磯部の血・霊」http://green.ap.teacup.com/20060818/1055.html
1993/9/30「食物と人」http://moon.ap.teacup.com/20061108/28.html
2014/2/18「生命力」http://green.ap.teacup.com/20060818/2969.html
2009/4/19「ただ見つめる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1113.html
2008/9/1「洗心」http://green.ap.teacup.com/20060818/867.html
2009/2/22「共生」http://moon.ap.teacup.com/20060505/16.html
今朝の映像では、真っ直ぐに上に伸びる木の幹が映し出されて来て、其の幹には緑の葉が着いた蔓が、二本揃って螺旋状に絡み着いて、上に伸び上がっていた。其の場面から、私が感じたのは、ヘルメースの杖である。
・ヘルメース(Hermēs)は、ギリシア神話に登場する青年神である[1]。長母音を省略してヘルメスとも表記される[1]。
オリュンポス十二神の一人。神々の伝令使、とりわけゼウスの使いであり、旅人、商人などの守護神である[1]。能弁、境界、体育技能、発明、策略、夢と眠りの神、死出の旅路の案内者などとも言われ、多面的な性格を持つ神である。その聖鳥は朱鷺および雄鶏。幸運と富を司り、狡知に富み詐術に長けた計略の神、早足で駆ける者、牧畜、盗人、賭博、商人、交易、交通、道路、市場、競技、体育などの神であるとともに、雄弁と音楽の神であり、竪琴、笛、数、アルファベット、天文学、度量衡などを発明し、火の起こし方を発見した知恵者とされた。プロメーテウスと並んでギリシア神話のトリックスター的存在であり、文化英雄としての面を有する。
・ケーリュケイオン( kērukeion)は、ギリシア神話における神々の伝令であるヘルメースの持物である。柄に2匹の蛇が巻きついている杖であり、その頭にはしばしばヘルメースの翼が飾られる。
カドゥケウス(ギリシア語のケーリュケイオン、伝令使の杖[2])はギリシア神話のヘルメース神の携える杖である。一般的に使者が手にする杖でもあり、例えばヘーラーの使者であるイーリスも同じ杖を持っていた。2匹の蛇が巻きついた短い杖であり、時には双翼を上部に戴いている。古代ローマの図像表現では、神々の使者であり、死者の導き手にして商人・羊飼い・博打打ち・嘘つき・盗人の守護者であるメルクリウスが左手に持っているさまが描かれることが多かった[3]。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
其のヘルメースの杖の構造・意味を分解して、建てられているのが日本の神社の鳥居であり、原点は左右に立てた木の棒に、蛇の代わりに木綿の布を巻き付けて、其の両方の棒の上に、鳥が来て止まる横棒を渡した物である。
だから、鳥居の文字が充てられており、天の使者としての聖鳥「朱鷺および雄鶏」が、西洋や東洋だけではなく、マヤ文化にまで広く流布されているのであろう。
其の二匹の蛇は、生命の存続を傳えているDNA・遺伝子の「二重螺旋構造」と関係が有り、其のDNAの存在には、ミネラルの存在が深く関係しているのである。
・ミネラル(mineral)は、一般的な有機物に含まれる4元素(炭素・水素・窒素・酸素)以外の必須元素である。無機質、灰分(かいぶん)などともいう。糖質、脂質、蛋白質、ビタミンと並び五大栄養素の1つとして数えられる。
日本では13元素(亜鉛・カリウム・カルシウム・クロム・セレン・鉄・銅・ナトリウム・マグネシウム・マンガン・モリブデン・ヨウ素・リン)が健康増進法に基づく食事摂取基準の対象として厚生労働省により定められている[1]。 生物の種類や性別、成長段階によって必要な種類や量は異なる。すべての要素は適度な量を摂る事が良く、欠乏症だけでなく過剰摂取も病気の原因ともなる。 ミネラルは人の体内で作ることは出来ないため、毎日の食事からとる必要がある。 ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
今朝の映像の場面から考えると、「石・ミネラル・體・磯辺」はグラフの横線であり、木に巻き着いて這い上がる二本の蔓はグラフの縦線であり、其の二つの方向性は「魂魄・こんぱく」の世界と関係が有り、磯に向かう道路・横線は「魄・ぱく」の世界で、海から上陸した肉体の強さ・健康度の事を意味し、矢本嶽に向かう道路・縦線は「魂・こん」の世界を意味し、精神の上昇度と関係が有るのではないだろうか。
そして、縦線の道路は古い路面(精神・情報)を剥がして、新しい舗装を行う事で再生出来るが、横線は土台から崩壊していたので、人間の存在は食生活が不自然な物に成れば、肉体が根本から崩れ・病むので、取り返しが付かなく成る理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、私が屋久島で育った事と関係があり、私の意識は、世界自然遺産に選ばれる様な自然環境の中で36年間生活した事で、其の縦横の度合いが、都会育ちに人間とは違い、体験に拠る映像情報を多く抱え込んでいるので、ヘルメースの神(はたらき)が出来ていると言う事なのかも知れない。
2006/8/27・・魂魄とは、「魂・コン」が霊魂の魂で「魂(たましい)・精神」を意味し、「魄・パク」は肉体のたましいだから、肉体の「DNA・遺伝子」の情報を意味している。
だから、先祖の霊や、釈迦牟尼佛の弟子である仏教伝承者達の流れは、霊魂の繋がりだから「魂・コン」の世界であり、親から子に伝わる血筋の流れや、其れに伴うDNAの情報の流れは「魄・パク」の世界と言う事に成る。
「魂・コン」の漢字は、「云+鬼」の組み合わせで、「鬼」は死者のたましいの意味。音符の「云・ウン・コン」はめぐるの意味。休まずにめぐるたましいの意味を表す。
【字義】@たましい。たま。ア人の精神をつかさどるもの。肉体をつかさどる「魄・はく」に対していう。生きている時は、この二つが宿っているが、死ねば離れるという。イ霊魂。⇔肉体。Aこころ。思い。
「魄・ハク・パク」は「白+鬼」の組み合わせで、「鬼」はたましいの意味。音符の「白」は、空白で何もないの意味。それがなくなると肉体のかたちだけになってしまい、精神活動の空白をもたらすたましいの意味を表し、また、中身を落とした輪郭・かたちの意味も表す。
【字義】一たましい。@肉体をつかさどるもの。⇔魂(精神をつかさどる)Aこころ。思い。Bからだ。かたち。Cすきま。D月。月の光。また、月の輪郭の光の無い部分。「死魄」E明らか。二@かす。粕。A旁魄・ぼうはくは、満ちふさがっているさま。B落魄は、おちぶれたさま。C魄然は、音声などの意味。
漢語林
簡単な例を挙げると、精神病の患者にも二通りある。
一つは、親から子に伝わる遺伝的な精神障害と、もう一つは霊魂に憑依されて変しく成る症状である。・・・
「魂魄・こんぱく」http://green.ap.teacup.com/20060818/2.html
2007/9/15・・だから、中国の「タオ・道」のシンボルマークは、雌雄の蛇(蜥蜴)なのである。其れに、エジプトのラーの神官が手にするヘルメスの杖にも、陰陽・雌雄の蛇が巻き付いている。其れらは、神の世界の入り口には「雌雄・陰陽」の蛇が、門番をしていると考えられていたからであろう。
其の蛇こそ、人間の身体の中に潜んでいる、意識の元の「DNA・遺伝子」の二重螺旋構造の情報なのである。其の、二重螺旋の記憶である情報が、全ての生命の道案内をしているのである。だからこそ、ラーの神官の杖には、陰陽の蛇が巻き付いているのである。・・・
「観極める」http://moon.ap.teacup.com/20061108/306.html
2008/1/22「白い螺旋階段のお城」http://green.ap.teacup.com/20060818/619.html
2010/9/8「ホルスの墓守」http://green.ap.teacup.com/20060818/1662.html
2015/2/27「総括・そうかつ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3375.html
2009/10/12「バス停「磯辺」http://green.ap.teacup.com/20060818/1302.html
父親の命日である10月23日まで、残り二日となった。
今朝のメッセージの映像では、私自身の姿は一度も登場せず、在ったのは私の意識だけである。
其の私の意識は、眠っている時のモノなので、誰・何者の意識なのかは、確定出来ない存在のモノである。
若しかしたら、其の意識は、私の潜在意識に棲み付いている何物かのモノであり、其の存在に、「夢と眠りの神、死出の旅路の案内者」の働きを持つ「ヘルメースの神」の名前が与えられているのかも知れない。
そして「磯辺 石」が、「まこと・真」であると言うのは、「石工・メイソン・石部」の石の事と関係があり、「大天使ルシフエル」の存在や、「子供達に岩のミネラルを溶かして飲ませろ」と告げて来た「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御魂が、関係して来ているのかも知れない。
諺に「健全な精神は 健全な肉体に宿る」と言う言葉が有るので、今朝のメッセージは「岩石」から溶け出しているミネラル分を多く摂取している體の人間が、精神レベルが高い理・ことを示して来ているのではないだろうか。
平成27年10月21日
礒邉自適
2015/10/15
リセット
27・10・15
今朝のメッセージの映像は、先ず、何処かの施設で研修が始まる事に成り、私は其の施設の正面入り口の所に立って居ると、何処かで会った様な見覚えの有る顔の人達が、次々に、手ぶらで坂道を上がって遣って来た。
私も施設の中に入り、一番奥の方の部屋に準備されている座布団に着席した。
そして、始まる時間が五分後と成った時に、私は手ぶらであり、筆記用具やカメラ等を持っていないのに気が付き、野外に出ようとしたが、40〜50名分程の履物が並んでいる玄関には、自分の履物が見付からないのである。
そして、私は玄関の外に裸足で出ると、車が到着したので、其の車を見ていると、小さな中年の女性が降りて来た。
すると、其の女性は右足が無いのである。
そして、其の女性の本体は、縄文の大地の女神「青森県亀ヶ岡遺跡出土(通称:遮光器土偶)」である事が判った。
其れで、私の意識が、女神の存在の方に向かうと、私の横書きの文章が映し出されて来て、其の文章には「こころのうち」と「こころのそと」の二つのページのアドレスが貼付けられていた。
しかし、其のアドレスの方には、未だ、文章が書き込まれてはいない様であった。
次に、私が通学していた小学校の正面玄関が映し出されて来て、其の入り口の左側に、捨てられている三本の蝙蝠傘が有って、私が其の三本の蝙蝠傘を使えないかと、三本の傘の部分と、持ち手の部分を、取り換えて見たが、どうしても使用出来ない事が判った。
そして「リセット」との言葉が告げられて来た。
今、此処まで打った時、8時31分に右手の人差し指に「カモ・(神の電気信号)」の反応が起きて来た。
今朝のメッセージは、私が本日の作業で、2005年12月12日・旧暦17年11月11日から始めた「つきさかき いつのみたま」の 文章の貼り換え作業が終了し、残すべきブログの整理が済む事と何等かの関係が有り、私の意識の旅が完了したと言うか、切り換えの時期・節目が来たとの事なのかも知れない。
「つきさかき稜威のみたま」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/
其の様に考えると、今朝の映像に、私が入学した小学校の玄関が映し出されて来た事の意味も、理解できそうな気がする。
何故かと言うと、蝙蝠傘は、晴れの時は地面に突く杖にもなり、天から雨が降って来たら、反対向きにして使う物だからである。
其れを考えると、私が31年前に此の世界に入ってから、持ち手の部分が「鳥」であり棒の部分に陰陽のヘビが巻き付く「ヘルメスの杖」の事を知って、意識が神社の鳥居を潜ってしまった事も、智慧の林檎を食べた事の意味になり、其れは小学校に入学して、他人の情報を入力する事から始まった事と、繋がるからである。
其れを考えると、文字や学校が無かった縄文時代の、「女神」が登場した事の意味も解かるし、女神に関する「こころのうち」と「こころのそと」の二つのアドレスが貼られていた事の意味も、理解されて来る。
其れは、「こころの内」とは自分自身の意識(情報・記憶)の世界を意味し、「こころの外」とは他人・社会から押し付けられたり、学習したりして積み上げて来た情報の世界の事を、意味しているのであろう。
其れを考えると、釈迦牟尼仏の「覚醒・成仏」の世界は、外側から与えられた意識・情報を全部排除して、内側の意識・生命記憶を思い出す事である事になり、其れは、日本の神道の「禊ぎ祓い」の概念と共通している事に成る。
そして、其の世界に「撞賢木巖之御魂天疎向津毘賣命(つきさかきいづのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」の神名が、関係有るのだろう。
其の様に考えると、私は土肥無庵に捜し出されて、三ヶ月間の「和法・正食・マクロビオティック」の生活を経て、1984年6月4日に神の世界に入り、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受けて、其の4311の思頼を浄化した事になり、其れ等の御霊は自分のカルマ・業を脱ぎ捨てて、今朝、生まれ変わった状態で、新しい情報を入力する為に、研修会場に手ぶら・無垢の儘で、集まって来て居たのではないだろうか。
そして、其の世界は、文字や学問の世界ではなく、土偶で生命の世界を表現していた、縄文時代の人々の精神と言うか、意識の処から、再び自分の意識を組み上げて、新しい御魂を築き上げる事である。
私は、今朝映し出されて来た研修場では、奥の部屋に居て、其の位置からは、研修が行われる部屋の様子や、講師の姿を見る事は出来かったので、どの様な学問の世界が始まるのかは判らないし、どの様な講師が教壇に立って、どの様な授業を行うのかも、全く判らなかった。
今朝のメッセージの内容から、私に考えられる事は、現在の人間社会の情報を一度全て消去して、「0・零」の状態に戻し、「一・初」から意識の組み立てを行う事である。
其の為には、自分が手にする蝙蝠傘(道具)を、「地」に向けて杖として使うか、「天」に向けて、傘に使うかを、能く心掛けなければ成らないと言う事に成る。
何故なら、人間は、自分が手にした物・道具に拠って、意識の向かう方向が決まるし、其の行為如何に因って、自分の「意識・こころ・魂」が、決定されて行くからである。
今朝のメッセージの状況から考えると、私自身の役割と言うか、天命・使命・運命も一応無事に果たす事が出来た事に成り、漸く自分が携えて来た「悠々自適」の名前の本筋の処に、立ち戻る事が出来るのかも知れない。
話しは余談と成るが、先日江藤敬介氏が「11月23日の新嘗祭の日には、新米を送れるので、其れまでに 昨年の米の残りは、誰かに差し上げてください。」との連絡が有ったので、手付かずの30kg入りの米袋を、屋久島の弟に送った。
すると、其の米が13日の夕方届いて、14日の朝には同級生の「東條」氏の有害動物駆除の檻罠に、見た事も無い様な大きな雄鹿が掛かって、昨日其の鹿肉が弟から届いたので、其の鹿肉を早速、江藤氏にも昨夕宅急便で送った。
そして、江藤氏と話して居ると、江藤氏のビジョンにも、古い概念や体制が終わる理・ことが、示されて来たとの事である。
私は、其れ等の事から、山の主の様な大きな雄鹿が檻の中に入り込んだのは、其の雄鹿自身の意識ではなく、屋久島の奥岳の神霊が人間に対するメッセージとして、其の雄鹿を使ったのではないかと想われる。
其の様に考えると、諏訪大社の前宮の「十間堂」施設で、鹿の頭を供える儀式の意味が思い出されて来る。
そして、今朝人々が集まって来ていた施設は、イスラエル民族の物部の幕屋(十間堂)を意味していたのではないだろうか。
2011/8/23「王道」http://green.ap.teacup.com/20060818/2033.html
そして「東條」との名前は、條が長い枝の象形で、伸びるとの意味なので、東條とは「東から 長く伸びる」との意味だから、日本の米文化・瑞穂の国の条理が長く伸びて、世界に拡がるとの意味が、含まれているのではないだろうか。
「條・チョウ・ジョウ」【解字】形声。「木+攸」音符の攸は、長いすじの意味。木の長いすじ、えだの意味を表す。
【字義】@えだ(枝)。こえだ。Aながい(長)Bのびる。のびのびする。「条
暢(ジョウチョ)」Cすじ。すじみち。また、すじみちをたてて述べる。「条理」Dくだり。箇条。箇条書き。「条文」E細長いものをかぞえる語。
漢語林
今朝の文章に「そして リセットとの言葉が告げられて来た。」と打った時に、右手の人差し指に「カモ・(神の電気信号)」の反応が起きたので、時刻を確認する8時31分だったので、今年の8月31日の文章を見てみると、次の様に書いてあり、今朝映し出されて来た小学校の校舎と、関係が有る様である。
2015/8/31・・今朝のメッセージは、昨日の「視覚」の世界の続きであり、「教育環境」の世界が映し出されて来て、現代社会の「知識の詰め込み教育の仕組み」が、最悪の教育環境である理・ことが示されて来た。
其れは、「視覚」の世界が、人間の脳に、一番強く影響を与えているので、真実の世界ではないモノ、法(ダルマ)や道(タオ)に則っていない世界を見せると、人道から外れてしまい、永遠の命(たましい)の世界には、復帰出来ないと言う理・ことである。・・・
「私を超えた者」http://green.ap.teacup.com/20060818/3581.html
此の文章の内容から考えても、我々人類は、是から新しい時代・世紀に向けて、新しい教育体制と言うか、ハイレベルな学習の場を、構築して行かなければ成らない様である。
其の為には、現在の教育体制や、商売中心の経済仕組みを、改革する必要がある。
現在のユダヤ資本主義体制は、グローバル化に因って、増々富の格差が広がり、不平等が拡大し、真実の民主主義の価値観からは、大きく一脱してしまっている。
其処には、本来の人間の「幸福・しあわせ」は無い。
全ての人々が、真実の世界に辿り着かなくては、社会全体が幸福感に満たされる事は決して無いのである。
其れに、現在の宗教界には、真実の教訓が実行されてもいないので、宗教の世界にも期待する事は出来ない。
今朝のメッセージは、昨日の「転輪の管理」のメッセージの続きのようである。
平成27年10月15日
礒邉自適
2015/10/12
ダッシュ・ハーバー
27・10・12
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が街中に出て行くと、踊りの世界の女性がお金に困っていると言うので、一万円を渡した。
次に、昔の仕事仲間の男性と、16時頃に出会って、一緒に食事をしながら長時間話して、割り勘で数千円を支払った。
其れから、帰路の途中で知り合いの若者数人に出会ったので、一緒に酒場で22時まで遊んで、自宅に帰って来ると、財布の中には二千円しか残っていなかった。
次に、自分の車を取りに行くと、事故を起こした憶えも無いのに、其の車はガラス窓だけではなく、屋根やドアがバラバラに壊れて、丸裸の状態に成っており、私は其の車を運転して、実家の方に向かって居た。
其処までで、私の意識は目覚めて来て、何故、其の様な映像を見たのかを考え始めた。
そして、其れは、全て現実ではなく、私は自宅に居て一歩も外に出ていないのだから、「留まって居るからこそ 其の様な映像を見るのだ。」と思ったので、今朝の文章の題は「留まっているからこそ見る」としようと意っていた。
何故なら、以前の様に都会に出て、旅を続けて居れば、其れは当たり前の事・通常なので、自分の行動を意識する事が出来ないからである。
其れから再び眠ると、私が「饒速日命」を意味する前田氏の会社に行くと、建物の中の吹き抜けの部屋に置かれていた、屋久杉のモニュメントが撤去されて、其の址には、広葉樹の苗が一本植えられている場面が映し出された。
其の建物は、神の御力に満たされているのか、とても明るい雰囲気であり、隣の部屋を覗いて見ると、広い事務所に、優秀な若者の男女が次々に集まって来ており、左側に45歳位のリーダーらしき男性が椅子に座って、此方を見て居た。
其の事務所の様子からすると、其の部屋は、出版関係の仕事をする部署である事が理解された。
次に、大きな建物の中央部分を見ると、二階に続く階段が有り、其の階段を同じ様な年代の人々が上がって居り、其の人達は、人間の生活に必要な物の、デザインをする関係者の様に見受けられた。
そして、一階の右側の方にも、各部署の部屋が存在する事が理解できた。
そして、其の建物から、一度外に出ると、左側の方に屋根続きの、レストランの施設が有る事が判った。
其れから、様々テーマに付いて、横書きで書かれている日本語の文章が、次々に映し出されて来た。
其の文章には、日付がまったく記されていないので、過去の事ではなく、是から人間が考えて行かなければ成らない、未来世界の課題の様である。
そして、最後に「ダッシュ・ハーバー」との言葉が力強く告げられて来て、今朝のメッセージは終わった。
朝「ダッシュ・ハーバー」を検索して見ると、次の様に載っている。
・「ダッシュ・DASH(dash)」勢いよく走ること。
・「ハーバー・harbor」
@ 港 《【解説】 避難・保護のイメージをもつ【類語】 harbor は自然の地形によって波風を避けるに適した港,port は商船などの出入りする商港》.
用例a natural harbor 天然港.
A 避難所,隠れ場,潜伏所.用例give harbor to〈罪人など〉をかくまう。
英和辞典より
「湊・ソウ・みなと」【解字】形声。「氵(水)+奏」音符の奏は、両手を寄せて物をおしすすめるの意味。水が寄ってくる所、みなとのいみ。
【字義】@あつまる。水があつまる。A物や人が集まる所。Bみなと。舟の集まる所。舟着き場。C清く澄んでいるさま。C積み重なっているさま。D深いさま。E水流の激しい音の形容。
漢語林
今朝のメッセージの映像で、人々が急いで集まって来て居た会社は、其の「harbor・港・湊」を意味しており、其の施設が必要である理・ことと、急いで其の湊に集合する必要がある理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
最初の場面で、私がお金を使っていた場所は、繁華街であったので、「街・巷・ちまた」の意味の場所であり、其の様な世界に、決して関わっては成らないとの理・ことなのであろう。
そして、私が丸裸の車に乗って、実家の方に向かって居たのは、私は自分の物を、既に全て失っているので、過去の世界に引き返せない理・ことを示唆しており、未来創造に取り組む事しか、道が無い理・ことが示されて来ているのであろう。
今朝のメッセージの映像は、此処数日のメッセージの続きであり、現在の世の中の有り様は、人間の意識を堕落させる「街・巷・ちまた」の世界なので、其の世界から早く脱出しなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
現在の日本の社会状況は、ゲームの世界にお金が撒き上げられており、子供達の意識はゲームやスポーツ、其れに歌やダンスの世界に向いており、人間が人間として、精神的に成長する方には、向いてはいない。
其れは、戦後に、アメリカ文化に影響されて来た流れが、増々、日本人を無明の世界に取り込んでいる事になる。
其のアメリカ文化は、御先真っ暗の状態に成りつつあり、其れは世界中の経済が、アメリカ国が発行する紙幣中心で動いているので、アメリカと日本国だけの問題ではなく、全世界に関係する事でもある。
今朝の映像で、何千年も経った屋久杉のモニュメントが撤去されて、広葉樹の苗が一本植えられていたのは、古い歴史が閉じられて、新しい歴史・紀(とき)が始まる理・ことを、示唆しているのであろう。
今朝のメッセージの内容から、私が考えられる事は、宗教の大事な概念である「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」の世界が、いま非常に大事な意味を持って来ているとの事である。
其れは、神仏に向かって祷る事ではなく、自分自身が人間の生命の原点(みなもと)に「帰命・ナーム・リリジョン」する事である。
其れを実行する事しか、近代社会の有り様を救う方法は無いのである。
其の様に考えると、私が屋久島の山中に有る「大山祇神・おおやまづみかみ」の祠の前で、「此処が 旅人の終着駅である」と告げられ、「調栄気稜威の御魂天盛る向津霊目の命(つきさかきいづのみたまあまさかるむかつひのみこと)」の名前が告げられた出来事等が、改めて重要であると想われる。
其れは、大山祇神は「国津神・地祇・くにつかみ」であり、渡来系の「天津神」ではないので、本来の日本人の生活に帰らなくては、日本人の幸福感は達成されないと想われるからである。
2014/10/17・・其れを考えると、私に「紀(トキ)の祭りを行え」と告げて来た神が「大山祇神・おおやまづみかみ」である事が、何故だったのかが、能く理解出来る。
そして、其の祠の前で、「此処が旅人の終着駅」との言葉と、「調栄気稜威の御魂天盛る向津霊目の命(つきさかきいづのみたまあまさかるむかつひのみこと)の神名が告げられて来た事の意味も理解出来そうな気がする。・・・
「2700年振り」http://green.ap.teacup.com/20060818/3232.html
2006/7/2・・今日、雨上がりの午後、麦生地区に在る「大山祇神」の祠に、東京の客人を案内すると、祠の前で「此処は 旅人にとって終着のところ」と、頭に出て来た。
其れを、私なりに考えると「全ての人の 意識の原点である」との意味に捉えることが出来る。と言うのは、私が聖霊に満たされてから、22年間日本全国を旅し、辿り着いた所が、此の大山祇神の祠だからである。
そして、大山祇神とは、世界の神事・かみごとの原点なのである。
大山祇神とは、地球の大地と、水の循環を管理統率している、エネルギーの総元の意識体のことなのである。其れが、一品宝珠大権現の働きでもあるのだ。
「旅人の終着駅」http://star.ap.teacup.com/170606/959.html
愉伽さんの一昨日のビジョンにも、同じ様な場面が映し出されて来ているので、事態は確かに変化して来ている様である。
「一人前の船出」http://taijinkouka.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-88fa.html
平成27年10月12日
礒邉自適
2015/10/11
最強の武器
27・10・11
今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、私が打った文章らしき、横書きの文章が、日付つきで次々に映し出されて来た。
だが、其の文章は、私の三次元的な現実世界・顕在意識で書いた物ではなく、神霊界からのメッセージを、書き留めた文章でもないのである。
其れは、別の空間に書き留められている、文章の様であった。
そして、其の文章の意味を考えていると、「最強の武器」との言葉が告げられて来て、増々判らなく成った。
そうして居ると、強い雨音が聴こえて来たので、一度起きて、庭の軒下に干してある椎茸を室内に取り込んでから、再び眠った。
すると明け方に、再び、日付つきの横書きの文章が、次々映し出されて来て、最初の文章は、1984年2月8日の日付が記されており、其れは、私が此の世界に入る前の文章である事が判った。
其の日付で、私は、今朝映し出されて来た文章は、自分自身が書いた物ではなく、私の行動を何者かが、書き留めている物である事が判った。
と言う事は、私が此の世界に入る前から、私の存在を、何者かが見ていた事になり、其の者は、私を管理していた事になる。
其の文章の内容は、私の行動を記録している物であるから、親の様な存在が、私の毎日の行動を、日記の様に書き留めていた事に成るのである。
其の事と、「最強の武器」との言葉の関係を考えると、私の強みは、様々な体験を三次元世界の現場で積み上げて来た事にあり、机上の空論や、他人から受けた教育・情報で、自分の意識を組み上げて来たモノではない事が判る。
其れは、イエスキリストが旧約聖書の情報を土台にして行動している事や、孔子が過去の文献を参考にして、理論を組み上げた事とは異なり、私は自分自身で、自分の意識を組み上げて来ている事に成るのである。
そして、其の背景に、私の観察者が存在する事と、今朝示された2月8日の日付の事を考えると、「2×8=16」の数字が、日本の神名である「陰陽×八段階=16」の数字と同じであり、天皇家の家紋やシュメール文化の「十六菊花紋」の数字と同じである事になり、私は天神(てんのはたらき)に拠って、此処まで育て上げられて来た事に成るとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、「修行」との言葉の意味が、理解できる様な気がする。
「修・シュウ・シュ・おさめる・おさまる」
【解字】形声。彡+攸。彡は、あやの意味。音符の攸は、洗い清めるの意味。清めてかざるの意味から、おさめるの意味を表す。また、攸に長いすじとなって流れる水の意味があり、通じて、ながいの意味をも表す。」
【字義】@おさめる。㋐ただしくする。ただしくととのえる。「修養」「修己」㋑学ぶ。習う。「必修」「自修」㋒かざる。模様をつける。「修飾」「修辞」㋓つくろう。なおす。「改修」「修正」㋔行う。儀式を行う。「修法」㋕書物を編む。「修史」「監修」Aおさまる。㋐正しくなる。ととのう。りっぱになる。備わる。㋑ゆきとどく。B長い。=脩。「修竹」Cよい。すぐれている。」
漢語林
今朝の「最強の武器」との言葉と、「十六菊花紋」の世界を合わせて考えると、一昨日のメッセージに有った「菊永正武」との名前が、今朝の修の「ながいの意味」と関係が有り、日本の「菊の世界は永く 正しい(修)の武である」との意味になり、岡本天明の「日月神示・天津日嗣神事」に、「日本から 神一厘の仕組みが出る」との事は、其の事に関係が有るのではないだろうか。
そして、昨日の「泊輝男」との名前は、「すめみまのみこと」は留まる事で「御稜威・みいつ(天皇の威光)」の役割を果たせる事に成るとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、私が、中国の王様の針師の子孫である「清水先生」に捜し出されて、六回に亘り、王様の針治療を受けた事の意味も、能く理解できて来る。
2007/2/26・・しかし、今、私の頭は真っ白で、なんにも考えられない状態である。
私は、1995年の8月に東京都調布にお住まいの針師である「清水先生」に探し出されて、中国の王様が受ける針の治療を二ヶ月に亘り、六回受けた事が有る。
其の時に、針師に云われた事は「北を背にし 南を向いて椅子に正しく座り 呼吸を整え 頭に一切の言葉を 想い浮かべては成らない」との理であった。
其の事が、今の私に、現実として起きて来ているのだ。
其の時の日記の内容(東京都目黒から通う8月19日・21日・23日 9月5日夜中に阿蘇の自宅で寝て居る時に、鼻の下に遠隔針を打たれ「9月13日までに来い」と告げられたので、7日の11時30分の飛行機で羽田に向かう。9月14日5時清水先生宅。24日日曜日11時〜3時まで。)
其れ等の事柄を考えると、今朝の状況こそ、神々と精霊達が此処まで私を導いて来た事が完成したことを意味し、23年前に私を探し出した無庵師匠の云った事が、現実と成った事を証明しているのではないだろうか。・・・
「平らかに成った世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/200.html
2014/5/30「自我意識が消えた時に其れが」http://green.ap.teacup.com/20060818/3084.html
そして、スメミマの条件として、三次元の現場を体験・修行していなければ、天神(てんのはたらき)とのコミュニケーションを図る為の、現場映像画面が少ないと言う事であり、文字や言葉の世界も、実質的ではないと言う事なのであろう。
今朝のメッセージの内容から、私は自分の存在に、少し自信を持てる気持ちが湧いて来ている。
其れは、私の意識が、私自身のモノではなく、目に見えない総合的な神(はたらき)で生み出されている現象であり、私自身には、大きな責任や義務が無いのだから、自分はもっと自由な気持ちで、起きて来る物事に対して、対処して行けば良いと思われるからである。
其の様に考えると、やはり「自適」の名前を持って、此の世に遣って来た私と言う人間は、土肥無庵が私に謂った様な役割を、担っている様な気がする。
若しかしたら、「最強の武器」とは、天神(てんのはたらき)にとって、私の存在が、新しい御世創りの最大の武器に成るとの事なのかも知れない。
平成27年10月11日
礒邉自適
2015/10/10
スサノオと神獣達
27・10・10
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識の中で「須佐之男尊・すさのおのみこと」の世界が、二つに分類されて、文章に纏め上げられる場面が映し出されて来た。
そして、其の一部の文章が、高級なワインかブランデーの様な酒瓶の、レッテルに貼られる様子が示されて来た。
其れから、「命の祭り」に参加した様な、人々のリーダーの男性の存在が示されて来て、其々が、自分の命(みこと)に合った神獣の面倒を、看なければ成らない事が示されて来た。
其の人達の中に、「泊輝男」との名前の男性が居た。
今朝のメッセージの映像は、私が此の世界に入った時に、龍神だけではなく、狼や馬や虎・熊・狐・亀などの動物の霊が、私に依り憑いて来て、其々の特徴を示した事と関係が有り、再び、人間が「万物の霊長」であるとの世界が、蘇って来る事を示して来ている様である。
2011/8/8「いのちの祭り」http://green.ap.teacup.com/20060818/2017.html
其れは、シャーマニズムの世界が復活すると言う事であり、人類が、自分の「脳・たましい」だけで、存続している譯・わけではない理・ことを、再認識しなければ成らないと言う事なのかも知れない。
今朝のメッセージで、須佐之男尊の世界が二つの世界に分類されて、文章に纏め上げられる場面は、スサノオの名前が「苆の尾・穂」であり、其れは「海・うみ・産み」から生まれた、全生物の「生命の鎖・分裂・拡散・DNA」の事を意味しているので、其の世界が二分割されるとの事は、植物と動物の「生態系・いのちのシステム」の違いを意味しているのかも知れない。
2002/3/14「亀甲紋」http://star.ap.teacup.com/170606/369.html
2009/7/7「二極の元」http://green.ap.teacup.com/20060818/1199.html
2006/1/28「DNAの道筋」http://star.ap.teacup.com/170606/742.html
そして、其の文章の一部が、酒瓶のレッテルに貼られると言う事は、人間が行う「お神楽」の様な祭り事の世界を、示唆しており、人間は、他の生き物の魂しいを、自分と一体の世界として、考えなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、何故、人間が、様々な動物の姿を現した「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(16面獣鏡)」を創ったり、「十二干支」の世界を創ったりした理由も、理解出来てくると言うものである。
「泊輝男」の名前の「泊」は、辞典に次の様に載っている。
「泊・ハク・ちまる。とめる。」【解字】形声。「氵(水)+白」音符の白は迫に通じ、ぴったり近づくの意味。舟がぴったり近づいてとまる水辺のさまから、とまるの意味を表す。
【字義】@とまる。㋐船が岸についてとまる。「停泊」㋑とどまる。停止する。㋒宿る。旅の途中で宿る。また、その回数を数えることば。「三泊」㋓身を寄せる。寓居。㋔いこう。休息する。Aとめる。「泊船」Bとまり。㋐船着場。みなと。㋑宿屋。旅館。C湖や沼。Dしずか。(静)心が静かであっさりしていること。さっぱりしている。「淡泊」Eうすい。(薄)また、浅い。
漢語林。
此の泊の漢字の意味には、「㋑とどまる。停止する。Dしずか。(静)心が静かであっさりしていること。」と有るので、7日のメッセージに、停泊している事を表示する、船のマストに付ける黒い形象物が映し出されて来た事と、昨日の映像に「静子」の顔が映し出されて来た事が、関係有りそうである。
そうすると、泊輝男との名前は「静かに留まる 輝く男」の意味に成り、留まって静かにしていなければ成らないと言う事に成る。
そして、今朝二分割されていた文章の、もう一つの世界は、人間の死後の魂しいが、御神木などを「神籬・ひもろぎ」として、宿る事などが含まれているのかも知れない。
其れも考えて見れば、霊魂が一カ所に固定している物に宿る事を意味するので、何等かの関係性が有るのではないのだろうか。
2001/2/21「神籬(ひもろぎ)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/70.html
2003/5/28「樹木霊」http://moon.ap.teacup.com/20061108/473.html
2001/2/21「磐境・いわさか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/564.html
今朝の愉伽さんのビジョンにも、私と同じく、港に船が停泊する場面が映し出されて来て、他の人々は港で一泊し、船で出発して何処かに向かうのだが、私は其処に留まって見送り、自宅に帰るとの内容だったとの事である。
其れを考えると、私は一カ所に留まって居た方が、良いと言うか、其の方が役割を果たせる事に成る様である。
平成27年10月10日
礒邉自適
2015/10/7
「あきらかにせよ」
27・
10・7
今朝のメッセージの映像は、私が、森の中に建っている建物に居て、客人数人を送る為に外に出ると、其処は地上三階建て程の高さが有る高殿で、帰る人々は梯子で降りて、地上で履物を履いて居るのが見えた。
私も、地上に降りようと意ったが、自分の履物が見当たらないので、何故かと其の理由を考えると、其の建物は山の傾斜の所に建っており、建物の裏側は、普通の高さの入り口に成っており、私自身は、其の普通の高さの入り口に、履物を置いている事が判った。
次の映像は、漁船が、昼間停泊して操業している時に、マストに掲げる黒い標識「形象物」が映し出されて来て、其の標識は、「累」の文字の形にデザインされており、其の累の文字は、「あきらか」との意味がある事が示されて来た。
そして、3月13日の日付が示されて来た。
其れで、私は3月13日の日付に関する事を考えて居ると、「あきらかにせよ」との言葉が聞こえたので、電気を点けて、時計で時刻を確かめると、5時55分(6時5分前)であった。
其の時間は、一週間前の10月1日に、昔の固定電話の呼び出しベルの音が聞こえて起こされた時間と、全く同じ時刻である。
朝起きて、漢字の「累」を調べると、次の様に載っている。
「累・ルイ」【解字】形声。「糸+田(ルイ)」音符のルイ(田の象形)は、かさなるの意味を表す。糸を順序よくかさねるの意味。
【字義】(一)つなぐ。しばる。
(二)@かさなる。かさねる。つみかさなる。「累積」Aしきりに。つづいて。次々に。「累戦」
(三)@わずらわす。㋐関係を及ぼす。手数をかける。㋑たのむ。ゆだねる。まかせる。Aわずらう。また、わずらい。㋐うれえ。(憂)心配。また、めいわく。㋑かかりあい。まきぞえ。「累坐」㋒あしでまとい。やから。みうち。「系累」
此の累の漢字の意味からすると、私は「停泊・繋留」しては居るが、操業中である事を、明らかにしなければ成らない様である。
そして、其の事が3月13日の日付と関係が有るのなら、私が2007年3月13日に阿蘇に存在する「日の宮幣立神宮」にて、18方位菊花紋の幟旗を立てて、儀式を行った事と関係が有るのではないだろうか。
其れに、私が、平成元年1月7日の夜中の昭和天皇からのメッセージに因って、日の宮幣立神宮に初めて参拝したのも3月13日である。
2015/2/20・・其れに、3月13日の日付は、私にとってとても大事な日と成っている。
1984年3月13日 屋久島の自宅にて、朝日が太平洋の水平線に顔を出した時に、起こされて「土肥無庵が神だから守れ」と告げられる。
1989年3月13日 阿蘇に在る日の宮幣立神宮に初めて参拝。
1990年3月13日 昭和天皇の息子「国仁殿下」が死亡。
2007年3月13日 日の宮幣立神宮にて「我らが皇御子」の儀式を行う。
2010年3月13日 日の宮幣立神宮にて前田氏・武富氏ら15名で正式参拝。・・・
「つなぎめ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3367.html
2015年3月13日・・本日は、私が太陽から「神を護れ」と告げられてから、32年目である。今朝は5時半頃から起き、PC作業を行って居ると外が明るく成って来たので、ホテルの五階の窓から、朝日が上がって来るのを撮影した。
現場に9時頃到着し、小林竜也君と江藤敬介氏が「神憑り石」設置の仕上げを行い、前田氏が10時頃から儀式を行った。
先ず前田氏が、山手に生えている御神木に向かい、磐座・いわくらの前に立つと、神のエネルギーが私の足から前身に流れ込んで来て、其の事を言うと、江藤氏は左手の親指に、由香は両手にカモ・(神の電気信号)の反応が有ったとの事であった。・・・
「神憑り石設置」http://wave.ap.teacup.com/894019/2962.html
2001/2/10・・昭和64年(1989)1月7日の夜、私はいきなり、ドカンと心臓に強い衝撃を受けて、飛び起きた。それで、私は、昭和天皇の死に何か関係が有るのかと考えながら、再び眠りに付いた。
その後は、何事も無いまま過ぎたが、元号が代わり平成元年2月18日になって、今度は妻の「佳子」の夢に、昭和天皇の御影・写真が出て来た。
更に2月24日の未明、私の夢に光り輝く平仮名文字が現れた。其れは、初めに「けいとく」と現れ、次は「あまぎ」であった。
私は、余りにも、其の文字の映像が印象深いモノ・現象だったので、朝起きてから、其れを手帳に書き留めようと、ペンを持ったとたんに、自分の手が勝手に動き出し、「わが身すでにとおく、よき世を 願い奉る」と、書かされたのである。
この日は、昭和天皇の大喪の礼が行われる日であったので、私は「けいとく」と「あまぎ」は、昭和天皇に関係の有る事だと考え、調べて見る事にした。・・
更に、其の時、吉田氏が幣立神宮で貰って来ていたパンフレットの由来の中に、「天城彦」と言う名前を見付けた。
何と、「けいとく」と「あまぎ」が、同じ蘇陽町と言う土地に纏わる人名であった事が判明したので、私は直ぐにでも、蘇陽町を訪ねたいと思った。
そして、吉田氏が3月13日に、蘇陽町へ案内してくれる事に成り、其の日は小倉の自宅へ引き上げた。
それで3月13日に、吉田氏と私を含め、六人が車に乗り込み、午前10時に福岡天神を出発した。そして「日の宮幣立神宮」に到着したのは、午後1時過ぎであった。
そして、話を始めると、間も無く、私の身体に強烈な霊が懸かって来た。
時計を見ると、時刻は午後3時33分であり、佐藤氏にお願いして蝋燭を神棚に灯してもらい、神前に、新しい水と、米と、塩をお供えして貰った。・・・
「天皇霊 昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
2002/3/13「太陽の心」http://star.ap.teacup.com/170606/370.html
2006/3/12「迫って来た神の計画」http://star.ap.teacup.com/170606/804.html
2006/10/18「新しい錦の御旗」http://star.ap.teacup.com/170606/
2007/3/14「無事に儀式が済みました」http://green.ap.teacup.com/20060818/209.html
2014/3/13「帰命から政へ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2993.html
今朝の「愉伽さん」のビジョンには、岡山の吉備津彦神社の磐座が存在する神山が映し出されて来て、其の山には左側に黄金の鳥居が存在して、私が居る神社と、他の人々が参拝する神社は、別であったとの事である。
そして、黒住教の存在が示されて来たとの事である。
其の愉伽さんのメッセージも、太陽の存在と関係が有りそうである。
何故かと謂うと、吉備津彦神社の磐座は「太陽神」を祭祀しており、黒住教の開祖である黒住宗忠は、ある朝、縁側で、自分の口中に太陽が飛び込んで来てから、神通力が付いて信者が増えた人物だからである。
其の愉伽さんのビジョンと、私の今朝の最初の映像を考えると、今朝は太陽神が関わって来ている様である。
其れは、私が太陽を祭祀する「日の宮幣立神宮」に初めて参拝した時に、太陽が異常反応を起した事と、1984年11月21日に伊勢神宮に初めて参拝した日の夜・22日の明け方に、「天照坐皇大御神御魂・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が姿を現して、私に「八回トンネル潜りに失敗した 今回が九回目で最後のチャンスである」と告げて来た事とも、関係が有るのではないだろうか。
其の様に考えると、天照坐皇大御神御魂が本格的に動き出すと言う事であり、私は其の神(はたらき)を助ける為に、自分だけが住む山中の建物が必要であり、其の施設は人間界に対しては、高殿でなければ成らないとの理・ことなのかも知れない。
そして、其の場での私の役割は、一カ所に停泊しては居るが、操業中である事を、明らかに示さなければ成らないとの事の様である。
其れが、私が新しい幟を立てさせられた理由なのであろう。
本日10月7日の日付は、2005年10月7日に「2008年9月15日までに 具体的な事を起す」とのメッセージが示されて来て、其の9月15日にアメリカ国の「リーマンブラザーズ証券」が倒産して、世界中に金融パニックが起きた。
何故、三年も前に、其の事が示されて来たのかを考えると、人間が自分で行っていると意っている事の背景には、天神(てんのはたらき)の存在があると言う事に成る。
「情報の管理と発信」http://star.ap.teacup.com/170606/597.html
「提出せよ・10・6」http://star.ap.teacup.com/170606/310.html
今朝の「累」の漢字は、「糸を順序よくかさねるの意味。」の意味が有り、単語に「累加」が有り、意味は「重なり加わること。また、重ね加えること。」とある。
其の意味を考えると、4日のメッセージの「緒」が、「@いとぐち。糸の先端。また、糸。Aはじめ。おこり。発端」との意味だったので、今朝のメッセージは、私の働きを明らかにして、糸を、順序よく重ねて行かなければ成らない事が、示されて来ている事になるのであろう。
平成27年10月7日
礒邉自適
2015/10/4
アカシックレコードのバージョンアップ
27・10・4
今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージで、人間の平和な「生活・ライフスタイル」が構築された事が、示されて来た事と関係が有り、次なるステップに進み出す為の段階が、示されて来た様である。
其れを、どの様に説明すれば良いかを考えて、今朝は、取り敢えず「アカシックレコードのバージョンアップ」とした。
・アカシックレコード(英: Akashic Records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い。アカシャ年代記(独: Akasha-Chronik、英: Akashic chronicles、アーカシャ記録、アカシアの記録)とも・・・
神智学協会に属し、のちに人智学を提唱したルドルフ・シュタイナー(1861年 - 1925年)が作った言葉と言われる。シュタイナーは、透視能力のある意識のみが近づくことができる宇宙の超感覚的な歴史、「世界で起こったあらゆることが記録されている」「巨大な霊的パノラマ」を「アカシャ年代記」「アカシアの記録」と呼んだ・・・
アカシックレコードは、心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した心理学の概念である「集合的無意識」と同一視または類比されることもあり、「神の無限の記録または図書館」という意味でも使われ[注釈 3]、「世界のすべての現象を記録した霊界のスーパー・コンピューター」とも喩えられる・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
今朝のメッセージの映像では、世界中のハイクラスな人々である、王族や貴族の様な人々が集まるパーティ会場の様なモノが映し出されて来て、私も其の会場に居た。
私は、作務衣のズボンにTシャツ姿であり、カジュアルな上着を手にしており、車に置いて有るスーツに、着替えに戻る間が無い儘、パーティが始まってしまった。
私は、自分の姿が場違いな様なので、奥の方に向かうと部屋があり、入って見ると、其処はピンク色の基調で、女性用の美容室のようであった。
そして、其処で待って居た姿のハッキリしない女性・女神が、私を便器の有る狭い部屋の中に通した。
すると、其の部屋は、回転式の洗濯機の様な仕組みに成っており、身体の内部や意識を全て洗浄する機能を有しており、私は其の機械の中で、何もかも洗浄・浄化・クリーニングされてしまった。
次の映像は、出雲の「安部忠宏」氏が運転する、箱バン車の後ろに、私は座っており、狭い山道を登って居た。
すると、運転をしている安部忠宏氏が、居眠り運転をしているので、私は声を掛けて運転を交代して、先に進み始めた。
暫く進むと、道路が草木に蔽われていて、進めなく成ったので、私は後ろに居る安部忠宏氏に「此の車は 空を飛べるロケット装置は 着いていないのか。」と訊ねると、「着いていない」との事なので、其処で車から降りて、徒歩で進む事にした。
そして、峰の所に出ると、向こうに見える山頂にまで、山道が続いており、其の山道は、「緒方真一」がリーダーを務める森林管理の林班が、草木を払って整備作業をして居るとの事が示されて来て、道路の横には、新品の柄の長い造林鎌が一つ置いて有った。
今朝のメッセージの映像は、複雑で他にも有ったのだが、簡単に説明すると、其の様な内容であり、今朝のメッセージは、私が31年前に体験した「天界の仕組み」と、2003年1月17日に事務所を開設して、「P・C」と「I・T」の電磁気情報を通して「神界の情報システム」に関わりを持って来た事が、昨日で一応完結し、本日から、新しいバージョンアップの作業が始まる事に成るらしい。
其れは、9月30日の「岳入り」から始まって、10月1日の「電話のベル音」2日の「カルチャー・文化の始まり」と示されて来たメッセージが、其の前触れであった事になる。
其の「岳入り・嶽入り」との言葉は、是まで散々触れて来た事だが、私が海抜2000mの花崗岩の屋久島で産まれ育って来た過程が、其の儘、其の世界であり、屋久島の伝統文化である「岳参り」の世界が基本に有る。
其れは、「大山祇神・おおやまづみかみ」の信仰・価値観であり、「大物主神」「大巳貴神・おおなむちかみ」「白山菊理姫」等の「神・はたらき」や、世界中の「山岳信仰」や「ピラミッド建設」の基盤の概念と成って来た世界である。
其の元には、花崗岩の成分である「珪素・(シリコン)・石英・雲母」等の、「振動・周波数・チャンネル」と、人間の額の奥に有る「第三の目・松果体(シリコン結晶)」がチャンネルして、アカシックレコードと呼ばれている「アーカシャ記録、アカシアの記録」を、書き換えて行くと言うか、上書きし、バージョンアップして行く作業・はたらきが存在するのである。
そして、其の作業を任されていたのが、エジプトの「トト神」の化身である「書記長」の役割や、「ブッダ」の世界であるのだ。
今朝、車を運転して、私を山に案内していた出雲の安部忠宏氏は、現実に、私に家を一軒与えて、出雲の神々を祭る神社を全て案内してくれた人物であり、出身は奥出雲の横田町で、横田町は「須佐之男尊・すさのおのみこと」と「櫛稲田姫」が出会った場所であり、「櫛稲田姫神社」と、次男の「五十猛命・いそたけるのみこと」を祭祀する「伊我多気神社・いがたけじんじゃ」が存在する。
其れに、奥岳は「伊邪那美命・いざなみのみこと」の御陵が有る、比婆山である。
其れを考えると、今朝私が安部忠宏氏と向かって居た山頂は「比婆山」であり、私を洗濯機に掛けた女性・女神は「伊邪那美命」だったのかも知れない。
そうであれば、是までの日本の神話である古事記や、日本書紀の記述も、全て頭から消去して、新しい「レコード・記憶版」を、作製して行かなければ成らないのであろう。
其れは、日本の古い価値観だけではなく、世界中の神話・伝説を全て消去して、新しい人類の「生命の書」を作製する事である。
そして、山道に置かれていた新品の「造林鎌」の存在は、禊ぎ祓いの「切り払い」を意味していたのであろう。
・現時点において、再現性のある実用的なアカシックレコードへのアクセス方法の実績例はなく、科学的根拠もないが、リーディングを主観的に表現した例がエドガー・ケイシーの記録に示されている。ケイシーは、到達不可能ではあるが、信仰によって達し得る境地の一つと考え、次のように説明している。物質世界の出来事は魂(創造主)の世界[要追加記述]が投影されたものであって、目に見える世界にとらわれた世俗的な心が、魂(創造主)の世界から自らを隔てている。キリストを通じた無限に対する調和によって、これと合一することが可能である。精神が肉体を離れているときに精神世界を視覚化することで[要追加記述]、潜在意識であるアカシックレコードにアクセスできるとしている。
ケイシーのリーディングでは、個人の魂の記録は「生命の書」といい、ヨハネの黙示録における「天にある、あかしの幕屋の聖所」がアカシックレコードまたは「生命の書」と同一のものと位置づけられている・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
其れ等の世界は、現代科学の発展で138億年の「宇宙歴」や、40億年前(±2億年)の「DNAの生命史」、其れに650万年前の「人類史」までが明らかに成っており、人体の肉体の仕組みも電子顕微鏡の存在で、明らかに成って来ている。
私は、1983年3月18日に故「土肥無庵」に捜し出されて、翌年の3月5日からマクロビオティックの世界に入り、三ヶ月間土肥無庵の下で身心浄化を行い、6月4日に此の世界に入って、本日まで11444日が経過している。
(誕生してから25085日)
是から、残りの人生で、私が何処まで認識を深めて、アカシックレコードのバージョンアップに務められるかは判らないが、伊邪那美命が私の躰を使用しているのであれば、全てを生み出した、伊邪那美命の「神・はたらき」をカバー出来るのではないだろうか。
其れは、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が生み出した、「天照神(太陽の熱・光)昼間」、「月讀命(情報・波動)(夜間・闇空間)」、「須佐之男尊(地球生命・DNAの鎖)海原・水」の理論的な仕組みの名前・名詞ではなく、此の現象世界である「物の実在」を確かめて行く事なのであろう。
其処には、空理・空論は必要ではなく、自分自身の存在理由を確かめて行く事である。
其の過程を終えなければ、アカシックレコードに接続する事は出来ないし、まして自分の魂魄を進化させる事は出来ないのである。
其れは、峰に上がってから、山頂に続く山道・神道を整備して居ると言う「緒方真一」の名前の意味が、「緒の方向は 真(まこと)一(はじめ・一番)」である事で示されている。
「緒・ショ・お」【解字】形声。「糸+者」音符の者は、煮るの意味。まゆ(繭)を煮て糸を引きだすの意味から、いとぐちの意味を表す。
【字義】@いとぐち。糸の先端。また、糸。Aはじめ。おこり。発端。「端緒」Bのこり。あまり。「緒余」Cすじ。つづき。系統。D順序。次第。「諸次」Dこと。仕事。事業。「遺緒」Fこころ(心)。「情緒」Gたずねる(尋)。
国語 お。@糸。A紐。B履物のはなお。C長く続くもの。玉の緒(いのち)
漢語林
今朝の愉伽さんのビジョンには、産まれたばかりのとても可愛い「白虎・びゃっこ」の赤ちゃんが腹ばいで床に寝て居る姿が現れて、抱き上げてベッドに寝かせたら、目を覚まし、抱っこをせがんで来たので、自分の懐に抱こうとする場面だったとの事である。
白虎は、中国の四神の西方の守護神で、「道路・交通・経済」を司る神・はたらきとされている。
其れが、赤子であったとの事は、新しい道が開かれるとの意味であり、今朝の私の映像で「緒方真一」が、新しい道を切り開いていた事と関係が有る。
其の、新しい糸口を引き出す為に、私の是までの11444日の取り組みが必要であったとすれば、是から私は、新しい歴史の糸を紡いで行かなければ成らないと言う事であり、其れがアステカの神である「ククルカン・括る神」が、平成18年8月18日に「約束は守られる」と告げて来た事が、是から始まるのであろう。
其の様に考えれば、私の是までの苦労も報われる事になり、自分の子供や孫達の未来を守った事にも成るのであろう。
そして、其れは、花崗岩の聖地である故郷の、屋久島の伝統文化も護る事にも成るのである。
平成27年10月4日
礒邉自適
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