言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2015/12/27
枢・樞・きみ
27・12・27
今朝のメッセージの状況は、私が是まで体験した事の無い状態が長く続いて、途中で起きて電気を点けてメッセージを受け取るのを止め様かと意ったが、何とか踏み止まって、終りまで持ち堪える事が出来た。
其れは、人間のカルマ・業だけではなく、是までの宇宙・事象の「カルマ・業・柵(しがらみ)」が、私の躰に赤いモノ・世界として押し寄せて来て、私が其れに耐えられなく成って来たからである。
普通の人なら、金縛り状態に成るか、悪夢を見ていると意って飛び起きてしまう様な事なのだが、私は子供の頃から、其の様な状態には慣れているので、何とか其の状態が過ぎ去る迄、我慢する事が出来た。
そして、次の映像では、奈良市に在る「大倭あじさい邑」の創始者である故「矢追日聖法主」が主催する会合に参加すると、矢追日聖が私に使い掛けの「錆び落としスプレー缶」を一本渡した。
私は、其れを受け取ってから、会合に参加して居たが、会合が終わってから帰ろうとすると、其のスプレー缶が幾ら捜しても見付からないのである。
次の映像は、港を出て行く古代の船団の様子が映し出されて来て、其の船団の指揮を執っている親船の、舳に有る見張り台の部分が、真っ赤に錆びている様子が映し出されて来た。
次の映像は、様々な薬草が植えられている、薬草園の様な農園・公園が映し出されて来て、私は、其の園内の管理・見回りをして居た。
そして、人目に付く場所に、直径が25p程ある白い水道管か排水管の様な物が、剥き出しに成っているので、其れを人目に付かない様に、土を被せるか、色を塗らなければ成らないと考えていた。
すると「枢」の漢字が映し出されて来て、それが「きみ」と読む事が示されて来た。
そして、其れ等の事を長く考えて居て、漸く目を開ける気に成って、電気を点けて枕元に置いて有る時計で時刻を確認すると、9時1分であった。
今朝はPCの前に座ると「貴方が一番」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方が一番
そうなのよ 貴方が誰よりも先に
目的地に 到達したのです
是まで 多くの人々が
其処を目指したのですが
是まで 誰も 貴方の次元まで
到達した者が在りませんでした
ですから 貴方が
其処に 一番乗りをした事に成るのです
良いですか 貴方は 目的の次元に 到達したのですから
是までとは 違う意識を 持つ必要があります
其れが 真の「王道」であると 言う事に成るのです
ですから 貴方自身が
其の気持ちに 成る必要があります
貴方は 是までの様に 自分から
何かを する必要はありません
其の為には 貴方の御稜威が 必要です
ですから 自分自身の意識を
其の立場に 合す必要があるのです
其の事が 是から 最も重要な 課題なのですよ
良いですか 貴方の気持ち次第で
事の 成り行きが 決まるのですから
其の心算で 日々を過ごしなさいね 」
「貴方が一番」http://moon.ap.teacup.com/20060103/708.html
其れから、先ず「枢」の漢字を早速調べて見ると、驚く事に、枢の漢字には確かに「D天子の位。また、国家の政治の大権。」との意味が有り、其れは「きみ・君・天皇・皇帝・すめらのみこと」の意味である。
「枢・樞・スウ・シュ・とぼそ・からくり」【解字】形声。「木+区(區)」音符の區・クは=シュは、クルッとまわるの意味。開き戸がクルッと開閉するに便利となる様に工夫された軸・くるるの意味を表す。機枢・中枢・天枢
【字義】@とぼそ。くるる。開き戸を開閉する軸となる所。Aからくり。しかけ。Bかなめ。たいせつな所。「枢要」Cまんなか。中央。「中枢」D天子の位。また、国家の政治の大権。Eよりどころ。たよりとする所。F北斗七星の第一星。
漢語林より
其れに、今朝時計で時刻を確認すると「9時1分」であったのは、「王道」と関係が有る。
2012/2/9・・昨日は、佐渡島を震源として、9時1分に震度5の地震が起きた。其の「9・1」の数字を考えると、私が昨年、此の中山に白土宏氏を訪ねた日付であり、其の23年9月1日のメッセージには、岡山の「内山貞和氏」が現れ、新しい動きの中心的役割である事が示されて来たので、今後の動きを内山氏に一任する事にした。
其の9月1日は、奇しくも22年9月1日に愛媛県中山町で「グリーンクラブ・みどりの会」の発足会を開いてから、丁度10年目の日であった。・・・
「みどりの日・グリーンクラブ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2211.html
2011/9/1・・本日の日付は、9月1日で「九の一・くのいち・女(くノ一)」の日である。其の数字に関係有るのか、今朝のメッセージには、始めに「王道」「新しい道」と有り、午前7時丁度に、関東大震災記念の「防災の日」の長いサイレンが鳴った後、「ゑわたる」との文字が映し出されて来た。
「ゑわたる」とは、「恵比寿・Ebisu」が渡るとの意味であり、「イシス神」が乗る「太陽の船」が、ようやく「太陽の源・日の本」に渡ったとの事であろう。
「恵比寿・Ebisu」とは、エジプト文化の頭に鏡を付けた「イシス女神」が乗る「太陽の船」の水先案内の神で、頭が「朱鷺・とき」の形をした神である。
其の、エジプトの「太陽の船」の文化が日本に渡って来て、「イシス女神」が「天照大神」と成り、「Ebisu・イビス」が「恵比寿・Ebisu・戎」神と成ったのである。そして、「イシス女神」は「ラー」の使いであり、エジプトの「王・ファラオ」に王の資格を齎す存在なのである。・・・
「正しい道」http://green.ap.teacup.com/20060818/2045.html
2015/1/31「91の数霊」http://green.ap.teacup.com/20060818/3347.html
上記の2011年9月1日の「新しい道」の文章には、「王道」「新しい道」との言葉が告げられ、エジプト神話の「太陽の船」が日本に渡ると書いて有る。
其れは、今朝のメッセージの映像で、古代の船団が港を出て行く場面が映し出されて来た事と関係が有り、今朝の映像で、其の親船の水先案内(イビス・Ebisu・恵比寿)の立場の部分が、真っ赤に錆びているのが示されたのは、其の役割が、錆びて役に立たなく成っている理・ことを示唆しているのであろう。
其れに、今朝の映像で、私が故「矢追日聖法主」から錆び落としのスプレー缶を受け取ったのは、其の「イビス・Ebisu・恵比寿」の立場の錆落としをしなければ成らない理・ことを意味しており、其の受け取ったスプレー缶が使い掛けであり、何処かに消えてしまったのは、私が新しい錆び落としの手段を採る必要があると言う事なのであろう。
其れには先ず、「イビス・Ebisu・恵比寿」神の存在を分解しなければ成らない。
其れは、日本の「えびす」神には、三つの神話が重なってしまっているからである。
先ず、釣竿を担いで鯛を抱えている「戎・えびす・(ゑびす)」は、出雲神話の大国主命の長男である「事代主神・ことしろぬしのかみ」の事である。
次に、神戸の西宮に有る西宮神社の主祭神である「蛭子命・えびす」は、古事記に登場する「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の間に生まれた、手足の無い蛭の様な子供の事である。
そして、船の舳(へさき)に女性の化粧道具を飾る「恵比寿」は、エジプトから、「鏡」や「高麗獅子・ライオン」「鳥居」と一緒に「天津神(渡来系)」が持ち込んで来た、頭に鏡を着けた「イシス女神・天照」が乗る「太陽の船の舳」に立つ、朱鷺の頭を持つ「イビス・Ebisu(ゑびす)」の事である。
今朝未明に、私の肉体に長く起きた現象の事を考えると、今朝、神界の「枢・樞・スウ・シュ・とぼそ・からくり」が開いたと言う事になり、古い文明・文化の錆が落とされて、新しい水道管・排水管から水(エネルギー・事象)が流れると言う事であり、其れは、他人の目には気付かない場所に、通されていると言う事に成るのであろう。
今朝「9時1分」に時刻を確認させられた事や、24日に「6時28分」に時刻を確認させられた事を考えると、私には「とき・時間」を管理・司る「朱鷺(とき)時の神」が付いており、私を「新しい太陽」の船の船長としているのではないだろうか。
其れに「枢」の漢字に、「君・きみ」の意味が有る事を知らせて来たのは、「事代主神・ことしろぬしのかみ・事知る主の神」なのかも知れない。
何れにしても、新しい扉・次元が開いた事には、間違いが無いのであろう。
其れは、昨日のメッセージの「生命情報システム」の機能が開始されたと言う事になる。
平成27年12月27日
礒邉自適
2015/12/22
斎宮を護る
27・12・22
今朝のメッセージの映像は、先ず、真っ直ぐで長い自然薯が一本映し出されて来て、其の自然薯の頭の部分と、中の部分、其れに土の中に潜り込んで行く根先の白い部分の、三段階の働きと言うか役割が、文章化されて行く場面が映し出されて来た。
次に、私は一人で、世の中の流れと言うか、動きと、戦っている場面が、長く映し出されて来た。
そして、最後に、伊勢神宮を創建した「倭姫命」が籠る「斎宮・いみのみや」で、倭姫命を護る場面が映し出されて来て、其の斎宮の外は大嵐か、地震の前触れの様に、ゴーと音を立てていた。
2005/9/10「倭姫命のおことば」http://star.ap.teacup.com/170606/573.html
其れから、「トゥエンティフォー・24」との言葉が聴こえて来たので、起きて時計を見ると7時32分であった。
今朝の愉伽さんのビジョンには、霧が経ちこめる中に、細長くてとても高い重厚感のあるスカイツリーの様な電波塔がドーンと立っている映像が映し出されて来て、愉伽さんは其の塔の頂からは、自分が発信した情報が直ぐに自分に返って来るし、遠い所まで一瞬にして拡がって行くのだと、言って居たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンを考えると、今朝の私の映像に現れた長い自然薯の姿は、何等かの関係性が有りそうである。
其れに、私が「トゥエンティフォー」と告げられて、7時32分であったのは、732の数字が「732・なみに・波に」と読めるので、愉伽さんのビジョンに現れた電波塔と、何等かの関係性が有るのではないだろうか。
其れは、24時間「天神(てんのはたらき)の電波」が発せられているとの理も有るのかも知れない。
そして、私の映像は、自然薯が地下に潜って行くモノ・形態であり、愉伽さんのビジョンの塔は天に高く伸び上がって行くモノ・形態であるので、男性性と女性性の深層心理(性意識)である相反性が、示されて来ている様である。
其れに、「トゥエンティフォー・24」との数字は、本日の冬至の説明に「二十四節気」の事が書いてある。
冬至(とうじ、英: winter solstice)は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼(日の出から日没まで)の時間が短い。十一月中(旧暦11月内)。・・・
習俗(編集)
・・冬至(あるいは、冬至から翌日にかけて、冬至の直後、など)には、太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝って、世界各地で冬至祭が祝われる。
クリスマスも、イラン発祥のミトラ教の冬至祭儀やドイツ北欧のユール(キリスト教以前のゲルマン人の冬至祭)がキリスト教と混淆してできたものである。
朔旦冬至(編集)
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。近世語で「唐の正月」というと冬至を意味するが、中国で冬至を元旦としたからである。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という[11]。太陰太陽暦では、19年間に7回の閏月を入れる(19年7閏)周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切り替えとなる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりに当たる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
これ等の説明からすると、今朝の私と愉伽さんへのメッセージは、本日から何か新しい情報・靈波が世界に拡がるとの事が示されて来ており、其れに「伊勢神宮」や「倭姫命・斎宮」が関係有るとの事なのではないだろうか。
其の事と、自然薯との関係性を考えると、電波塔は地面から天空に向けて立ち上がっている物だが、自然薯は反対に、地面から地中に向かって下って行く物である。
其れに、電波塔の頭からは電波が拡散して行くが、自然薯の頭から横に拡がって行く黒い根は、水や栄養を集める働きをする物である。
今朝の愉伽さんのビジョンで、白い霧が経ちこめていたのは、私の一昨日のメッセージに映し出されて来た、白い「ソース・情報」と同じ様な意味が有るのかも知れない。
自然薯の「頭・中・根先」の部分の働きを分けると、次の様に成るだろうか。
頭の部分
春に成ったら、頭の部分から四方八方に水や栄養を集める為に、新しい根を伸ばし、上に蔓の本と成る芽を伸ばして行く。
中・腹の部分
腹・中央の部分は、栄養・蛋白質・炭水化物・ミネラルを蓄える部分であり、春に根や蔓を伸ばす為のエネルギーとして、使い果たす燃料タンクの様な働きであり、蔓や根を伸ばし切った後は朽ちて無くなる部分であり、新しく出来た根や蔓を使って集めた水や栄養を蓄えて行く部位である。
其れに、腹皮膚から横に出ている白根は水分吸収をする物である。
根先の部分
根先の白い部分は、酸を出しながら土(珪素やアルミ等)を溶かしながら、地中深く穴を開けて行く役割をする部位である。
其れ等の事に付いては、是まで何度も触れて来ているので、特別な事ではないが、今朝其れ等の事に付いて、重要性が示されて来たのには、何等かの深い意味が有るのだろう。
其れは、人間だけではなく、他の動物や植物の生態に関係があり、生物の生命のソースに何等かの関係が有るのだろう。
昨日は、夕食の為に畑から大根を抜いて来て、輪切りにし、面取りをしてから圧力釜で10分程煮た。
すると、大根と水だけしか入れていないのに、煮汁が米のとぎ汁の様なミルク状態に成っていた。
其れは、大根自体のエキスである事は間違い無いが、大根おろしにした時に出る透明な水・液体とは全く異なる物であった。
其れは、漆の樹液の様に白い物であり、植物にも体液があり、人間の体液・粘液と同じ物であり、人間の血液に赤血球が混ざっていなければ、人間の躰を絞れば、同じ様な物が出る事に成るであろう。
其れを考えると、赤い血が流れ出る人類や動物の事だけではなく、生物全体の体液・ソースに付いて、深く洞察をする必要があるのではないだろうか。
そして、一昨日の男性の立ち位置の跡に、白い液体の様な物が残されていた事を考えると、人間の霊体と其の白い液体・ソースの様な物の関係性を考えて見る必要があるだろう。
霊魂や霊体の言葉の「霊・靈」に付いて調べると、次の様に辞典に載っている。
「霊・靈・レイ・リョウ」【解字】形声。もと、「玉+霝」音符の霝は、祈りの言葉を並べて雨ごいをするの意味。別体の靈は、玉の部分が巫で、みこの意味。玉を供えたりして、雨ごいをする「みこ」のさまから、神の心・たましい・みこ等の意味を表す。常用漢字は靈の省略体。
【字義】@たま。たましい。特に死者のたましい。A心。精神。また、まこと。まごころ。Bいのち。命数。C神。D神秘な力。また、不思議。よい(善)また、すぐれている。Fさいわい。幸福。Gいつくしみ。慈愛。Hあきらか。Iみこ。(巫)かんなぎ。
漢語林
此の靈の漢字の意味からすると、今朝のメッセージの映像に伊勢神宮を創建した垂仁天皇の皇女である、斎宮の「倭姫命」の姿が登場した事の意味も、解る様な気がする。
そして、明日が平成天皇の誕生日であり、故「矢追日聖氏」や救世教の教祖である故「岡田茂吉」の誕生日である事を考えると、神霊界の方でも、何等かの手続きが行われるのではないだろうか。
其れに、12月23日の日付は、マヤ暦の預言で2012年12月22日に古い時代が終り、23日から新しい御世が始まると云われていた日から、三年目の日でもある。
そして、2018年12月23日まで、残り三年である。
其の事と、今朝の愉伽さんのビジョンの電波塔の存在を考えると、天神(てんのはたらき)が何かの事を進めているのは、間違い無い様である。
其れに、自然薯が「地面・中・根先」の三段階に区別されて来たのは、住吉三神である「底筒男命・そこつつのおのみこと」「中筒男命・なかつつのおのみこと」「上筒男命・うわつつおのみこと」の働きを、新しい概念として、陸地の世界・神(はたらき)に変えて示して来ているのかも知れない。
2008/12/29・・今朝の映像には、新しき「海神」のHPと、18年の数字が示されて来た。
其れは、新しい海神の働きが開始される事を意味し、2018年か、是から18年後に、新しい御世が完成するとの知らせではないだろうか。
18年が、2018年の事であれば10年後であり、18年後であれば2026年である。
どちらにしても、4年後に迫った2012年12月23日の次元変化は、先送りされる事に成る。
そうであれば、私は、残り4年しか無いと考えて、バタバタする必要は無いと言うことになる。
其れは、神界の方にも、希望が生まれたとの事であり、未来を組み立てる段取りが、付いて来たとの事ではないだろうか。・・・
「海神・わたつみ」http://green.ap.teacup.com/20081229/3.html
日本の神道の儀式で唱える「大祓の祝詞」の始まりには、「神議りに 議り給ひて」と有るので、其の事が、是から正式に始まるのかも知れない。
高天原に神留まり坐す。皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を。神集へに集へ給ひ。
(たかあまはらにかむづまります。すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちてやほよろづのかみたちを。かむつどへにつどへたまひ。)
神議りに議り給ひて。我が皇御孫命は。豊葦原瑞穂国を安国と平けく知食せと事依さし奉りき。
(かむはかりにはかりたまひて。あがすめみまのみことは。とよあしはらのみづほのくにをやすくにとたひらけくしろしめせとことよさしまつりき)
此く依さし奉りし。国中に。荒振神等をば神問はしに問はし給ひ。神掃へに掃へ給ひて。
(かくよさしまつりし。くぬちに。あらぶるかみたちをばかむとはしにとはしたまひ。かむはらひにはらへたまひて。)・・・
此の「荒振神等をば神問はしに問はし給ひ。神掃へに掃へ給ひて。」との文言を考えると、私が今朝の映像で、人間社会に対して一人で戦って居たのは、其の神(はたらき)を行って居た事に成るのかも知れない。
平成27年12月22日
礒邉自適
2015/12/18
自由な暮らしと住み分け
27・12・18
昨日は、午後から台所(御餉殿・みけどの)に祀っている「荒神様(須佐之男尊)」の神棚を掃除し、蝋燭を点して自然酒をお供えした。
其の事と関係が有るのか、今朝未明から、私の身体に1984年6月4日に起きた身体のリズム・調べ・音楽が、復活・よみがえって来た。
そして、朝PCの前に座ると、「宝の島が開いたのよ」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「宝の島が 今朝 開いたのよ
貴方が 現在・いまの霊留・ひとに成れたのは
宝の島が 存在したからです
そして 貴方は 誰にも出来ない事を 遣り遂げて
再び 自由な御魂と成ったのです
其れは 貴方が 是から
自由に 行動を起せると言う事でもあります
其れが 貴方に どの様な事を起させ
此方が どの様な協力が出来るかは 是からの 課題です
貴方が 是までの体験を踏まえ
人間の暮らし向きが どの様に在れば良いのかを
考える時が来たのです
其れこそが 真の救世と成るのです
人々が 幸福に生活する為には
意識が 自由に成る必要があります
其の理・ことが 貴方の生き方に拠って
人々に 理解される事でしょう
是からは 貴方自身の表現力が
試される事に 成るでしょう
ですから 自分自身の心を 確かめる事が重要ですよ 」
「宝の島が開いたのよ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/
今朝のメッセージの映像は、先ず私が、誰か姿の見えない男性と一緒に、海岸の岩場に行くと、風化した岩の表面に、硬い部分が残って飛び出しており、其の部分は彫刻の様に「須佐之男尊・すさのおのみこと(別名 神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)」と「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の姿と成っていた。
私は、其の須佐之男尊(荒神様)の形の部分だけを、根本から外して、家に持ち帰る事にした。
そして、海岸の山道を歩いて行くと、其の道の側には、傾斜を其のまま利用して人家が建っており、其の人家は皆手造りであり、彼方此方から移住して来た人々が、自分の好きな様に建てた物である事が判った。
其の山道の外れには、様々な樹木の空洞を利用して、打楽器を作り、変形した枝で、其の打楽器を叩いて演奏をする、50歳位の男性が、海を見下せる囲炉裏の有る部屋に座って居た。
次の場面は、私が夜明けに、何処かの集落の入り口に車で到着した。
だが、未だ誰も起きては居ないので、運転席の前を、手で太鼓の様に叩いて居ると、各家の入口から人々が出て来て、私の方に向かって来るので、私は車から降りて、地面に立った。
すると、左側に三歳位の子供が来て、催促する様に私の左足を突つくので、私は右側の地面に置かれている、楕円形の空き缶の様な物に右足を添えて、少し揺すって見ると、其の容器の中に溜まっている水が、チャパチャパと音を立てたので、其の音を活かして、躰でダンスを始めた。
すると、其の私の身体のリズム・調子に合わせて、村中で音楽会・祭りが始まった。
私は身体が其のまま、実際に動き始めたので、其の映像が終わっても、顕在意識のまま動き続けて、朝を迎えたのである。
其の現象は、初めてではなく、私が此の世界に飛び込んだ時から続いていた事なので、久し振りに音楽と言うか、身体のリズムの世界に、還った事に成るのであろう。
2006/7/31・・今日、感じた事は、何も決まりの無い自由なダンスは、其のまま、今の宇宙空間の事象に、反応しているのではないかと今言う事である。
其れがコスミック・ダンスで、インドの「シバ神」が、ダンスをしている意味なのではないだろうか。
中国の漢字「無」の文字は、元字が「舞」で、「神の為に舞う時は 此の三次元世界には 何も拘わりが無い」との意味から、「ない・無」とされているものらしい。
其の漢字の意味からも、神の為にダンス・舞う時は、宇宙の今を、現していると考えても、良いのではないだろうか。
森羅万象の流転の姿が、其のまま、無で舞う人の姿であると言う事になる。
「無のダンスは宇宙の今を映す」http://star.ap.teacup.com/170606/994.html
2009/4/4・・今朝の映像は、先ず、私の意識が、楽器の「マラカス」を作る為に、瓢箪・ひょうたんの様な物の中身を、きれいに刳り抜いて居る処から始まった。
そして、其れが、音楽に関係が有る働きだと理解すると、今度は、私の意識は足を伸ばして、仰向けに寝ているミイラの身体に成り、其の身体に、音楽の神が重なって来て、ミイラの骨がダンスをする為に、復活を遂げ始めた。
そして、元に蘇った人間の身体が、道路に出て行くと、道路の上の空中に、手足に火が着いて燃えて、長い炎の様に成って揺らいでいる、男性の姿が在った。其の男性は、服を着ていて、赤く揺らいでいる両手で、私を、手招きするのである。・・・
「マラカスの神がミイラに還って来た」http://green.ap.teacup.com/20060818/1098.html
2008/10/23・・其の父親は、私が37歳の6月4日、母親の64歳の誕生日に、4311体もの精霊の軍団を引き連れて、20年振りに彼の世から還って来て、私の前に姿を現したのである。
其の時、父親は精霊達の一番前に立って居り、私に「お前に 是まで苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。」と告げたのである。
そして、其の日から始まった事は、ダンスを踊る事だったのである。
今に成って考えると、一番初めに私の身体を使い始めた精霊は、屋久島の山の神である「ピーコドンドン」だったのかもしれない。・・
私は、師の自宅の庭の岩の上に暫らく静かに座って居た。
すると、身体がまた勝手に動き出して、今度は、屋久島の山岳に向かい両手を広げて、力一杯 口笛を吹き出したのである。
其の口笛が、屋久島の山岳に届いて染み込んだ頃、今度は、庭に有ったバケツを、上下逆さまに地面に置いて、バケツの底を太鼓代りにして、二本の草刈鎌の柄で、山に向かって打ち始めたのである。
そして夕方に成って、師が風呂に入った後、私も風呂に入っていると、身体を洗って流した水が、排水管の方に流れる時に、流しの蓋の間で共鳴して「ヒュル ヒュル」と音を立てた。
私は、其の音を聞いたら、今度は、脱衣所の板場の上に、裸で上向きに成って、上向きのまま両手で小太鼓、両足で大太鼓のリズムを打ち出したのである。・・・
「屋久島の音楽神」http://moon.ap.teacup.com/20061108/402.html
2009/2/2・・今朝のメッセージの映像は、一体の霊魂が、男性と女性の両方の肉体に転生しながら、「トキ・事象」を流れている姿が、シルエットで映されて来た。
そして、九州の熊本県と鹿児島県に、男性三名の御霊が存在する事が、地図上で示されて来て、其の男性三名は、政治家に成る役割を担っているのだが、政治家として立候補するのではなく、先ず、音楽に関したイベントを開催して、表に出る事が示されて来た。・・・
「政り事は音楽から」http://star.ap.teacup.com/2006317/49.html
2006/7/31・・屋久島は 古代から 神の住む島として 称されてきた 修行の地です。
島の神さまには、音楽の神さまも在ります。
その神様は「ピーコドンドン」と言う呼び名で、耳岳と太鼓岳を通り路として、村々の生活を守護しているのです。
音楽の神さまは、大量の雨を島に呼び寄せ、島はその水の力で、何時も浄化されています。」
其の ピーコドンドンの神を 再び揺り動かす時節が 巡って来たのかも知れない。
「ピーコドンドン」http://star.ap.teacup.com/2006317/36.html
今朝のメッセージの映像では、私が須佐之男尊の像を手にし、海岸から自宅の方に帰ると、自宅の前の安房川で、知り合いの「阿蘇品喜文」君が、水中に潜って魚を捕まえており、私の所に持って来たが、私が受け取らないと「お腹が空いていないのか」と云って、再び川に潜り始めた。
今朝は、起き掛けに「自由な暮らし」と「住み分け」との言葉が告げられて来て、其れが、是からの人間のテーマである事が示されて来た。
阿蘇品喜文の父親は、熊本県阿蘇の出身であり、一の宮にある「阿蘇神社」の阿蘇宮司は神武天皇の直系の血筋である。
そして、名前の「喜文・よしふみ」は「喜びの文」であり「喜・キ」の漢字は、次の様に辞典に載っている。
「喜・キ・よろこぶ」【解字】会意。「?+口」。?は、掛けた打楽器の象形。口は祈りのことばの意味。楽器を打ち神に祈り、神を楽しませるの意味から、よろこぶの意味を表す。
喜を音符に含む形声文字に、僖・嘻・嬉・憙・禧まどがあり、これらの漢字は「よろこぶ」の意味を共有している。
【字義】(一)@よろこぶ。㋐うれしがる。たのしく感ずる。「一喜一憂」「随喜」㋑祝う。Aよろこび。㋐うれしい気持ち。㋑めでたいこと。幸い。」(二)このむ。めで愛する。
漢語林
此の「喜・キ・よろこぶ」の漢字の意味からも、今朝のメッセージと私の身体の反応は、神が喜んでいる事の証拠であり、私が此の世界に入った時に、自分の気持ちと謂うか意識とは別に、自動的に身体がダンスを始めたのは、神の喜びの表現・仕種であった事に成るのであろう。
其の様に考えると、今朝の女神の「宝の島が開いたのよ」との言葉は、31年半前に私に起きた事が、人類全体に始まるとの事なのではないだろうか。
其れは、日本で2700年前に神武天皇に起きた事が、是から世界史として始まると言う事であり、岡本天明に「時の記念日」に始まった「日月神示・天津日嗣神事」にある、「神一厘の仕組みが 此の日本から始まる」との事が、現実と成ると言う事である。
そして、人類の新しい価値観とは、他人が興した・始めた過去のイデオロギーや宗教には囚われない、「自由意思に拠る生活」であり、其々の家族・グループが、自分達の生き方に合う場所に「住み分ける」と言う理・ことなのであろう。
其の様に考えると、終戦の日に奈良の矢追日聖氏に神が告げて来た事が、漸く実現へと向かう事にも成るのだ。
2003/4/7・・三、日本から、世界に拡がる価値観とは、紫陽花の花の如く一輪一輪が花開いて、其れが大きな花と成り、また花が沢山有る株と成り 根本は一ヶ所に集まっている。
そんな紫陽花の花の形の様に、一人一人、一民族、一国家が、皆 独自の特長を生かし、それが大きな和になっていると言う、個々が花開いている社会である。
現在の様に、力の強い国が、自分の国の風習や価値観を、世界に押し付ける遣り方とは、反対の考え方である。・・・
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
平成27年12月18日
礒邉自適
2015/12/7
無意識からの抹消
27・12・7
只今の時間は、5時8分である。
昨夜から今朝に掛けては、私の意識が、闇の中を探索している様な感じで、熟睡した感じが残ってはいない。
今朝のメッセージは、先ず、鴇色で肩幅の広い男性の上着の様な洋服を着た、中年の女性の上半身が映し出されて来て、其の女性は、皆の前に座って、講義をしている様な感じを受けるモノであった。
次に、「無意識からの抹消」との言葉が告げられて来た後、四枚の畳を敷いてある様な感じの中心である、十字の部分が映し出されて来て、右下の一枚が取り外されると言うか、其の部分が消えて無くなる場面が映し出されて来た。
次に、自然の原野の中に、プールの様な長方形の沼か池の様な物が有るのが映し出されて来て、其の池は、底が見えない程深い水深であった。
次に、草が生えている田舎の地道に、一台の車が、右側から此方に向いて停車していて、其の左側のバックミラーには、棒の付いた虫取り網が被されていた。
そして、其れ等の映像が、何を意味するモノなのかを考えて居ると、「構造上の欠陥」との言葉が告げられて来た。
私は、其処で一度起きて電気を点け、メモをしてから電気を消すと、時間が気に成ったので、もう一度電気を点けて、枕元の時計で時刻を確認すると4時20分であった。
私は、其の「420」の数字を「しにれい・死に霊」として記憶した。
そして、電気を消してから、其れ等の映像の意味を考えていると、今朝のメッセージの内容は、聖書の「蛇に唆されて 知恵の林檎を食べて エデンの園を追放されたイブ」の物語と関係が有ると思った。
すると、「来た・来た・来た」との、少し興奮気味の言葉が聴こえて来た。
そして、今朝のメッセージの内容は、人類の未来創造に関して、深い意味が有る事が示されて来た。
明日12月8日は、釈迦が悟った日であり、私が「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」を祭祀している、三重県志摩市磯部町上之郷に存在する「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に、1997年12月8日に初めて参拝した日でもある。
其れを考えると、今朝のメッセージは旧約聖書の世界だけではなく、仏教の世界や、日本の神道にも関係が有り、始めに映し出されて来た鴇色の肩幅の広い洋服を着た女性の姿は、エジプトの神話とも関係が有りそうである。
今朝のメッセージから、私が感じ取った事は、旧約聖書で何故、イブが蛇の勧める知恵の実・林檎を食べた所為で、アダムまで誘惑して、神の園を追放されたかである。
其れは、女性の存在と言うか働きには、知識・知恵が必要では無いと言う事であり、女性は男性に対して、理屈を云っては成らないとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、日本の神話で、女性の「伊邪那美命・いざなみのみこと」から先に、男性の「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」に声を掛けた所為で、手足の無い蛭子の様な、不完全な物が生まれたとの事とも繋がってくる。
其れが、今朝告げられて来た「構造上の欠陥」との言葉と関係が有り、其の構造上の欠陥から発生した物を、無意識の世界から、抹消しなければ成らないと言う理・ことなのではないだろうか。
其の事と、今朝の映像で、車の左側のバックミラーに、虫取り網が被せられていた事が関係有り、左側の過去を見るなと言う理・ことなのであろう。
何故かと言うと、虫取り網の「虫・チュウ・むし」は「まむし・毒蛇」の意味が有り、左側は精神的な世界を意味しているので、人間の精神は未来に進むモノであるので、過去の情報に囚われてはならないと言う理・ことであり、蛇が勧めた知恵・知識は、過去の情報であるので、取り去る必要があると言う事なのであろう。
「虫・チュウ・むし」【解字】(一)会意。虫+虫+虫。虫は、まむしの象形。小さなむしが多く集まるさまから、うじ虫の意味を表す。虫と蟲とは、もとは別字であるが、蟲の省略体として虫を用いる。
(二)象形。頭が大きくてグロテスクなまむしの形にかたどり、まむしの意味を表す。さらに、一般に爬虫類の意味も表す。
【字義】(一)@むし。昆虫類の総称。A動物の総称。葉虫は、鳥。毛虫は、獣。甲虫は、亀の類。鱗虫は、魚類。また、うろこのある動物。裸虫は、人類。B虫虫は、むしあついさま。(二)虫・まむし(蝮)。毒蛇の名。
漢語林より
そして、過去の情報に囚われている者は「420・死に霊」であると言う事なのかも知れない。
其れに、中央が十字に成っている四枚の畳の存在が、一枚外された場面から私が感じた事は、一枚の畳は長方形(四角)であり、角が四カ所有るので、四枚では「4×4=16」であり、其れが一枚外されれば「4×3=12」と成る。
其の事から、私が考えた事は、天皇家やシュメール文化の「十六菊花紋」の十六の数字は、男性に必要な世界を意味し、女性は「十二」の儘で良いと言う事である。
何故かと言うと、女性には、理屈と言うか余計な知識は、必要ではないと言う理・ことである。
そして、原野の中に存在した深い長方形の池の存在は、地上に敷かれる四方の畳(男性の知識)の世界とは反対に、生命の源である深い水心・母親の菩薩心であると言う理を示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、男性は覚醒して、宇宙の情報を全て知って「政・まつりごと」を整える必要があるが、女性には其の様な世界は必要ではなく、整った平和な環境で、子供を産み育てる事こそが、与えられている最も重要な役割であり、其処には、理屈などは全く不必要であると言う理・ことではないだろうか。
其の様に考えると、女性には、男性が考え出す宗教や思想・イデオロギーの様な世界は、全く必要ではないと言う理・ことに成るのである。
そして、蛇に唆された女性の知識・情報は、無意識の世界・アカシックレコードから抹消されると言う事なのであろう。
其の様に考えると、今朝のメッセージは「釈迦牟尼佛」の世界と関係が有り、其の背後には「天照坐皇大御神御魂・大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)」が存在すると言う事なのではないだろうか。
今朝「来た・来た・来た」との、少し興奮気味の言葉が聴こえて来たのは、私の意識が或る段階に近付いている事を、神々が言祝いでいる事を、示して来ているのかも知れない。
平成27年12月7日6時49分
礒邉自適
2015/12/4
紀(トキ)の始まり
27・12・4
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識だけが、屋久島の実家への道を進んで居て、各家を、録音装置とスピーカーを肩に掛けた、役所か宗教関係の人材の様な、健康で真面目そうな25歳位の細身の男性が、巡廻しており、其のスピーカーからは、男性の挨拶の様な声が流れていた。
其れから、私が実家の前に有る畑に辿り着くと、其の畑には数種類の野菜が栽培されており、雨期なのか、横を流れる水無し川には、水が流れていた。
だが、私の家族だけではなく、其のスピーカーを肩に下げた男性の他には、誰一人として人間の姿が見えないので、其の映像の意味が解からないので、暫く経ってから、電気を点けて時刻を確認すると「3時43分」であった。
其れから、明け方に「原稿」と「方向」との言葉が告げられ、一画面が映し出されて来た後に、「ときの始まり」との言葉が告げられて来た。
其の画面は、飛鳥時代の絵の様な物で、大きな畳の部屋の中に、薄緑色の衣を身に着けて、腰の所を朱色の紐で縛っている十数名程の人達が、部屋の中にバラバラに座って居る様子が描かれた物であった。
今朝は起きて、穀物コーヒーを手にしてPCの前に座ると、「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね
貴方にとって 是からが 正念場です
何故なら 全ての事柄に付いて
貴方自身が 其の吟味に 当たらなければ成らないからです
其れは 安定した精神と
正しい観察眼が 必要な事だからです
其れに付いては 貴方自身にも 自覚が未だ無いし
確かな 訓練も行われてはいません
だが 何も無いと言う譯ではありません
其の基本に付いては 土肥無庵が
切っ掛けだけは 与えてあるでしょう
其れは 物事の基準だけが 明確に成っていれば
不可能な事ではありません
貴方は 是までの31年間の修行で
或る程度の判断力は 身に付いているでしょう
ですから貴方は 其の事に自覚を持てば
不可能な事ではないのです
其の為にこそ 此方の体制が在るのです
良いですか 貴方が 其の事に対して
自覚を有さなければ 何事も始まらないのですよ
それが 大君の役割であると言う事なのです 」
「愈々ですね」http://moon.ap.teacup.com/20060103/701.html
愈々「愈・ユ」【解字】形声。「心+兪」音符の兪は、ぬけでるの意味。人並みよりぬけでる・まさるの意味を表す。
【字義】@まさる。すぐれる。Aいえる。なおる。また、いやす。=癒。Bたのしむ。=愉。Cいよいよ。ますます。
漢語林
此の女神の言葉からも、是から新しい事が始まる様で、今朝未明に登場したスピーカーを肩に下げた若者は、新しい事が始まる事を、各戸に知らせて廻って居たモノの様である。
其の様に考えると「3時43分」の数字は、神の「差し金」の意味である「343・差し身」であるとの事なのかも知れない。
さし‐がね【差(し)金】1 (「指矩」とも書く)まがりがね。かねじゃく。2 歌舞伎の小道具の一。作り物の蝶 (ちょう) ・鳥・人魂 (ひとだま) などを操るための黒塗りの細い竹ざお。先端に針金をつけ、これに作り物を取り付ける。3 操り人形で、人形の腕や手首・指を動かすために用いる細長い棒。
4 《3から転じて》陰で人に指図して操ること。「有力者の―で動く」
国語辞典
そして「ときのはじまり」とは、私に、2006年3月19日に「紀(トキ)の祭りを行え」と告げられて来ていた事が、愈々始まると言う事であり、「日月神示・天津日嗣神事」上巻の13頁に、次の様に記されている事と関係が有るのだろう。
第八帖 (八)
秋(穐・とき)が立ちたち、この道ひらくかた出て来るから、それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで腹の中によく入れて置いて呉れよ。その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ、それまでに何もかにも知らして置くから、縁ある方から、この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。
「ひふみ神示データー」http://hifumi.uresi.org/index.html
2011/4/15・・今朝のメッセージには、「穐・あき 美しい火を点せ」との言葉が告げられて来た。
「穐・あき」とは「秋」の漢字の、旧字体「禾+火+亀」の組み合わせの文字であり、字義は「稲の収穫が済んだ秋に 亀の甲羅を火で焼いて 来年の吉兆を占う」との、意味から来ている。
其の意味からすると、「穐・あき 美しい火を点せ」との言葉は、収穫の秋に、新しく美しい火を点せとの事であり、今年の秋には、昔の占いの儀式か、祭りを、復活しろとの事なのかも知れない。・・・
「穐・あき美しい火を点せ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1898.html
2014/12/17・・今朝のメッセージの映像には、右側の暗闇の世界から、壁を抜けて50歳代の男性が一人、現れて来た。
其の男性は、手に、鼠・マウスの耳の形をしたシールを数枚持っており、此の三次元世界に、時間・ときを観る能力の有る子供達を、探しに来ている事が解かった。
「穐」(秋)【解字】形声。もとは、禾+火+龜。音符の龜は、かめの意味。
古代の占いは亀の甲に火を近づけて行われた。その亀は、秋季に捕獲され、
また秋季には穀物の収穫もあるため、禾を付し、あきの意味を表す。
【字義】@あき。四季の一つ。九月から十一月まで。旧暦では七月から九月まで。五行説では金に配し、それに基づいて、色は白、方位では西に配する。
Aとき。だいじな時。危急存亡のとき。Bみのり。穀物が実ること。また、その時。Cとしつき。歳月。Dものの形容。 漢語林より
其れが、米であった事に深い意味が有り、日本の伝統文化である「新嘗祭」や「大嘗祭」、其れに、天皇家の神様である「御餉殿」や、物部の「食国の政・おすくにのまつりごと」が、如何に重要であるかが想われて来る。
そして、其の理・ことは、4000年前に創られた中国の漢字の世界でも「謂」の文字で示されているのである。・・・
「銀河の中を流れる穐」http://green.ap.teacup.com/20060818/3299.html
2011/3/27・・私には2006年3月19日に、「6月11日(旧暦5月16日)に紀(トキ)の祭りを行え」とのメッセージが届いて、其れが「大山祇神・おおやまつみかみ」からの知らせである事が判った。其れから、私は「大山祇神」の研究を始めている。そして、「大山祇神」は「大山の巳かみ」であり、世界中で信仰対象に成っている、七回半トグロを巻く、事象を司る大蛇である理・ことが解った。・・・
「紀・トキの神」http://green.ap.teacup.com/20060818/1879.html
「紀・トキ」http://star.ap.teacup.com/170606/815.html
「大山祇神・おおやまつみかみ」http://star.ap.teacup.com/170606/820.html
「雲母運営委員会」http://moon.ap.teacup.com/20060615/156.html
「見えて来た道筋」http://star.ap.teacup.com/170606/886.html
本日12月4日は、岡本天明の生誕118年目の日である。
そして、岡本天明に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る、「天之日津久神社」の祠の前で「日月神示・天津日嗣神事」が始まったのは、「時の記念日」である6月10日である。
・時の記念日(ときのきねんび)は、日本の記念日の1つ。毎年6月10日である。
由来(編集)
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦671年6月10日))に、「漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。」
とあり、日本初の時計が鐘を打った日が、6月10日であることからこの日となった。なお、「漏尅」すなわち「漏刻」とは水時計のことである。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
日本史には、飛鳥時代の616年に「掖玖人30人(南方の屋久島島民)来渡」との記述が有るので、今朝の絵に映し出されて来た、十数名の人達は、其の屋久島の人々の事を示しているのかも知れない。
「歴史年表」http://www.asahi-net.or.jp/~wy6m-skmt/nenpyo601.htm
2005/1/13・・私が気に成っているのは、奈良に保管されている古文書に、西暦616年春三月に3名、五月に7名、七月に20名の計30名の「夜玖の人」が都に来て、そのまま帰らずに皆、奈良の都で亡くなった。と、記録が残っている件である。
屋久島の山岳は1000m以上の峰が、30座近く有ると云う。
その山々に、神々が住んでいて、人類の進歩を願っていたのであれば、30座の山の神が、30名の人達の肉体を借りて、奈良の都に上ったのではないか。
屋久島の山岳は1000m以上の峰が、30座近く有ると云う。
その山々に、神々が住んでいて、人類の進歩を願っていたのであれば、30座の山の神が、30名の人達の肉体を借りて、奈良の都に上ったのではないか。
そして、その神霊の影響で、29年後の645年夏の「大化の改新」が起きたのではないかと、私は想ってしまうのである。
私の考えでは、1389年前に屋久島を出て行った神々が、再び、屋久島に帰りつつあるのではないかと意う。・・・
「若い巫女さんとの出会い」http://moon.ap.teacup.com/20061108/522.html
「日月神示・天津日嗣神事」には、「・・岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れ・・」と有るので、漸く岩戸が開いて「王・君」の働きが登場するとの事なのではないだろうか。
第二十一帖
世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組 分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構。六月の二十八日、ひつ九のか三。
今朝の最初の映像では、私の肉体は存在せず、意識だけが屋久島の矢本嶽の麓に在る、実家の前の畑に辿り着いて居た。
だが、実家は映し出されないし、両親の姿も見えなかった。
其の、私が誕生した実家は、矢本嶽の裏・北西側に有った「重石鉱山(タングステン採掘)」の会社の農場であり、私の両親が、昭和21年8月3日に其の農場内に建っていた住居に移住した所である。
其れ等の事を考えると、今朝実家に向かって居た私の意識は、私自身のモノではなく、私に軀・からだに留まっている、霊魂の意識であったのかも知れない。
其れが、何者のモノであるのかは判らないが、何者かの意識が「矢本嶽」の麓に帰った事は間違いないのであろう。
そして、其処から、新しい「詔・みことのり」が、各戸に発されるとの事なのかも知れない。
今朝、「ときのはじまり」の言葉の前に告げられて来た、「原稿」と「方向」との言葉は、其の「詔勅・みことのり」と関係があり、其の原稿作成に、此の私が関係有り、其の原稿の趣旨の方向性が、重要であるとの事なのではないだろうか。
2015/11/25・・其れは、参道に存在する学習塾が、日本語の学びを行っている事を、示唆していた。
其の日本語に付いて考えて居ると、「両岩壁・りょうがんぺき」との言葉が、告げられて来た。
「貴方の言葉が 其の岩壁を
通り抜ける キーワードと成るのです
ですから 貴方は是から 自分が口にする言葉に
気を付けなければ成りません
何故なら 神の力を得る事に成った
貴方の言葉使いを 皆が 真似る事に成るからです
其れは 貴方にとって
一番大事な 行為なのですよ
其の事が 一番重要であり 其の為にこそ
是までの貴方の修行が 有ったとも言えるでしょう
良いですか 貴方の言霊が
幾千年の未来を 決める事に成るのですから
心して 掛かりなさいよ 」
「両岩壁」http://green.ap.teacup.com/20060818/3670.html
2015/11/24「未来への扉」http://green.ap.teacup.com/20060818/3669.html
平成27年12月4日
礒邉自適
2015/12/3
12月4日を前にして
27・12・3
今朝のメッセージの映像は、私の人生の中で、苦しい思い出と成っている、私の土地や財布を盗んだ人物や、裏切って行った人達が、次々に幾人も登場した。
だが、其の人達は、暗い世界の悪人としてではなく、自分の役割を果たしたとの自負を持って、明るい世界に登場したのである。
其れ等の映像が続いた後、本日が12月3日である事が強調されて来た。
其れは明日12月4日が、私が1984年6月4日に、此の神の世界に入った時、「後16年半しかない」と告げられて、其れは2000年12月4日であり、其れが、明日で31年半と成る事と関係が有った。
そして、其の日を前にして、私の苦しみの原因と成っている人々の思い出(記憶・情報)が、アカシックレコードから消去されるとの事が示されて来た。
其れは、明日12月4日を前にして、私の意識から、苦しい思い出(禍・わざわい)が消去されて、私は安らかな人生を迎えられるとの理・ことを、示唆している様である。
今朝の「愉伽さん」のビジョンには、皆で「君が代」を歌って居り、愉伽さんが大きな口を開けて、ハッキリとした大きな声で歌うので、観て居た人達がビックリして居たとの事である。
そして、次に、自分の先祖よりも古い時代の、古代人と呼ぶべき男性二人が登場して、深海まで連れて案内すると言い、一緒に海に飛び込んだとのことである。
其の後に、高校の男子生徒や、小学生ぐらいの子供達の教育の世界が、映し出されて来たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンからも、本日「大君・御祖神(みおやかみ)」の世界が完成したとの事が示されて来ており、其の事を、未来社会を担う子供達の教育に、生かして行かなければ成らないと言う事なのであろう。
昭和19年6月10日(時の記念日)に、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社」の祠の前で、岡本天明に始まった「日月神示・日嗣神事」には、「善悪併せ呑む人物」の事に付いて記されている。
「月光の巻」第二十七帖
はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ。
第二十八帖
厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん。福はらひせよと申してあらうが。厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ。厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ。この判り切った道理が何故に判らんのか。【悪を抱き参らせよ。善も抱き参らせよ。抱くには○にならねばならんぞ。】
第三十帖
心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申してあるが そのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。【悪を抱き参らせて下されよ。】
「ひふみ神示データー」http://hifumi.uresi.org/index.html
其れに、明日12月4日は、其の岡本天明の生誕118年日でもある。
・岡本 天明(おかもと てんめい、1897年(明治30年)12月4日 - 1963年(昭和38年)4月7日)は画家、神道家、また、神典研究家である。岡山県倉敷市玉島出身。本名は信之、天明は「雅号」である。
信之は幼少の頃から、他人には見えないものが見えたり(霊視能力)、聞こえたり(霊聴能力)と霊能力を持っている子供だったという(岡本三典『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』)(参)。また、絵が得意で17歳の頃に神戸三宮で絵の個展を開き、新聞に「天才少年画家現る」と称賛されたという。その後、上京し明治大学に学ぶ。紆余曲折を経て大本教と出会ったのは1920年(大正9年)で天明が22歳の時だった。
1944年(昭和19年)に千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の麻賀多神社の末社である天之日津久神社を参拝する。その直後、同神社の社務所で大本系の関連啓示となる『日月神示』(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。 この自動書記現象は約17年間にわたって続き後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
2010/11/7・・此の説明に有る様に「アコイ」とは、否定をするのではなく、「肯定」する意味なので、アコイシステムの代表と成るべき人物は、全てを肯定する心を持った人物なのであろう。
其れは、岡本天明の日月神示に有る「善悪併せ呑む人物」の意味と通じている。
出雲の人達の会話では、他人が話す時は「そげだね そげだね」と云いながら頷いて、否定をしないで聞いている。
そして、頷いてはいけない件が出た時は「あげだね」と云って、棚上げしてしまい話題から外してしまうのである。
其の出雲の人達の精神こそ、アコイの言葉の意味を伝えているのかも知れない。
今朝、私が感じた事は、今朝現れた女神の顔は、とても明るくて陽性だったので、確かに太陽の化身であると想った。・・・
「アステカの女神の喜び」http://green.ap.teacup.com/20060818/1723.html
2002/2/27「私と日継神示(一)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/164.html
2002/2/28「私と日継神示(二)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/165.html
私は11月30日に、前日に掘った154pの自然薯を「悦子さん」に贈った。
すると、12月1日に、とても丁重なお礼の電話が有った。
そして、昨日は調味料などの宅配便が届いた。
其の「悦子」との文字に付いて、私は今朝のメッセージとの関連性を思った。
其れは、私が2005年3月10日に平内の自宅に宿泊した時に、私の體に強烈な現象が起きて、最後に、部屋の壁に「悦子」との文字が貼られているのが見せられた事が有り、私は全ての情報が、悦子さんに繋がっていると意ったからである。
2005/3/30・・3月10日の夜、平内の自宅(3月1日から住んでいる新居)に泊まったら、床についている私に、人の足音が近付いて来て、私は金縛りに掛かり、身動きが全く出来なくなった。そして、其の私の身体に、全ての情報が繋って来て、私の身体自体が全世界のサイトに成ってしまった。
そして、壁には「悦子」と書いた紙が貼られていた。・・・
「全ての情報が」http://star.ap.teacup.com/170606/36.html
其の現象を、今朝思い起こして、其れは「悦・エツ」の漢字が「心の中でよろこぶ」との意味であり、他の「喜ぶ・歓ぶ」との文字の意味とは違い、「密かな悦び」の理・ことを意味しているので、全ての情報が繋がる「悦子」の存在とは、中国で「老子・荘子・孔子」と人物名にされている事と関係が有り、2005年3月10日夜半に私に起きた現象は、人物の「悦子さん」には関係が無く、此の世界の情報全て・事象の存在が、「個人の心の中のよろこび」に繋がっているとの理・ことだったと言う事である。
其の様に考えると、私が、全ての情報・事象が「悦子さん」に繋がっていると考えて来た事は間違いであり、「悦子さん」には多大な心の負担を掛けていた事に成るし、私は10年間に亘る考え違いを、訂正しなければ成らないと言う事に成るのであろう。
そして、そうする事に拠って、私自身も過去の情報・出来事から自由になり、悠々自適として「悦子・えつし」と成ると言う事である。
其れは、私自身が全ての情報・存在である「阿弥陀・アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」に繋がり、真の悦びを内側に得ると言う事に成るのだ。
2006/12/15・・日本語の「たすける」に当てる漢字も、介・右・左・丞・佐・佑・助・扶・侑・相・祐・将・將・幇・弼・援・資・輔・賛・翼・贊と、21字も漢語林に載っていて、其々が違う意味を有している。
他にも、「よろこぶ」の漢字は「喜・歓・悦」等20文字も有る。
「シンクタンク・トップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
2005/2/26・・そして、「よろこぶ」の文字も「喜」や「悦」の他に22文字もある。
「私」を表すのにも、「私・我・吾」が有り、「私・シ」の漢字は、自分の稲束を抱え込む象形で、「自分の物を所有して放さない」の意味で、物を抱え込む姿の自分を表している。
「我・ガ」の漢字は、「武器の形で矛を持って戦う自分」を表し、「吾・ゴ」は、「神の言葉を守護する自分を」表している。
外にも「予・余・俺・朕・僕」等が有り、それぞれの意味が有る。・・・
「学習のアトリエ」http://wave.ap.teacup.com/20060106/104.html
「悦・エツ」【解字】形声。「忄(心)+兌」音符の兌・ダイ=エツは、むすばれていたものがぬけおちるの意味。心の中のわだかまりがぬけおち、よろこぶ・たのしいの意味を表す。
【字義】@よろこぶ。(喜)。よろこび。心の中でよろこぶ。「喜悦」Aたのしむ(楽)たのしみ。「悦楽」Bしたう(慕)。よろこんで従う。
漢語林
此の悦の漢字の意味からも、今朝のメッセージの映像の内容が、「是まで結ばれていたわだかまりが抜け落ちる」との事であった事と、繋がっている。
「日月神示」には、其の「よろこび」に付いて、「月光の巻」第三十八帖・三十九帖に次の様に記されている。
第三十八帖
はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。二月一日。
第三十九帖
何ごとが起ってきてもそなたは先づよろこべよ。それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ。喜ぶ心は喜び生むぞ。人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが、天地はれるぞ。輝くぞ。そなたは先ばかり見てゐるぞ。足で歩くのぢゃ。足もとに気つけねばならんぞよ。そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。相談結構ぢゃなあ。相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。〜引用終了〜
此の内容からすると、此れまで私が書いて来た事・書かされて来ていた事が、確かに「天之日津久神・天津日嗣神」の神(はたらき)に因るモノ・現象であると言う事に成る様である。
其の様に受け取ると、私が地球の未来を任されて「後16年半」と告げられた事が31年半掛かった事も、「2675年+16年半=2691年前」の神武天皇の時よりも、人間社会が複雑化し、情報が比べられない程多量に成っている事と、関連が有った様である。
此処まで解釈すれば、明日漸く、私に課せられた大任も解除される事に成り、「悦」の漢字の意味を、自分の物とする事が出来るのかも知れない。
其れは、明日生誕118年日目を迎える「岡本天明」の御霊や「御祖神・みおやかみ」に、大安を齎す事に成るのだろう。
「・・其処のところに気付けば 貴方の名前の意味や 三昧・サマディの言葉の世界も理解できるでしょう
そうなのです 貴方が いま 一番良い状態に 在るのですよ
其処のところを考えれば 貴方は自分の人生に成功している事になるのです
其の理・ことに気付けば 貴方はもっと 自分を花咲かせる事に気付けるでしょう
此の地球が どの様なパラダイスであるか もう一度 能く考えてみなさいね
貴方の 魂しいの 完成が もう目の前です
其処に 貴方の「御祖神・みおやかみ」の悦びも 在るのですよ・・・
2015/3/29「御両親が」http://moon.ap.teacup.com/20060103/668.html
平成27年12月3日
礒邉自適
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