言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2016/5/18
崖淵の国家
28・5・18
昨夜は、眠る前に目を閉じて居ると、瞼に60歳代の品格のある男性が一人、車を止めて私の所に訪ねて来る場面が映し出されて来た。
そして、眠ってからは、朝まで映像が続いていた。
今朝のメッセージの映像は、先ず・漢字の「厂・がんだれ」が映し出されて来て、其れが「国家」に関係有る事が示されて来た。
次に、玄関口の壁に取付けられている、呼び出しベルの装置の蓋が外れて、中の二個の電池が真っ赤に錆びている映像が映し出されて来た。
次に、泥が着いて汚れている、役人の制服が映し出されて来た。
次に、ピカピカに輝く電気炊飯器の中釜が映し出されて来た。
次に、日本建築様式の、木造の長い建物の側面が映し出されて来て、其の側面の長い廊下・縁側の部分が、PCのキーボードに成っていて、其のキーボードは長期間使用されていない為に、枯草が彼方此方に生えていた。
其処に40歳代の男性が、一人現れて、枯草を取り除き、先ず三ケ所・三部門が動く様に、手入れを始める様子が映し出されて来た。
次に、演劇の「言葉・台詞」の世界が映し出されて来て、其の世界で「強者」と「弱者」の差が生まれる理・ことが示されて来た。
そして、「シェイクスピア」と「蜷川幸雄」の存在が示されて来て、「マクベス」との言葉が告げられて来た。
今朝は起きて、PCを立ち上げると「騒がないで」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「騒がないで
貴方のする事は 他に有りますので
一時的な事に 騒ぐ必要はありません
今朝の映像は 一部の事であり
全体的な流れの 主流ではありません
其れに 演劇の世界に付いては 貴方は 素人なので
余計な事を 謂う必要がないからです
貴方は、全体的な流れを 観て行けば良いのです
其処に ディレクターの役割が 生まれて来るのです 」
「騒がないで」http://moon.ap.teacup.com/20060103/719.html
今朝は、先ず「マクベス」で検索すると「蜷川幸雄演出の舞台NINAGAWA・マクベス」が有り、今朝のメッセージは現実の世界に関係が有る事が判った。
『マクベス』(Macbeth)は、1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランド王マクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。
『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』と並ぶシェイクスピアの四大悲劇の1つで、その中では最も短い作品であり、最後に書かれたものと考えられる。
原典(編集)
史劇作品と同じく、出典は主にラファエル・ホリンシェッドの『年代記』(Chronicles of England, Scotland, and Ireland)第2版(1587年出版)である。ダンカン殺害の場面は「野心家の妻にそそのかされてダフ王を弑逆したドンワルド」のエピソードにもとづく[1]など、史劇に比べて自由な改変を加えている。
戯曲でのマクベスは、主君を殺して王位を奪い、暴政を行って短期間でその報いを受けて滅ぼされる悪人として描かれているが、実際のマクベスは17年間の長期にわたって王位にあり、また当時は下剋上がしばしば見られる時代であって、マクベスの行為も悪行とは言えず、統治の実績もあり、戯曲に見るような暴君ではなかった。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
此の「マクベス」の物語からも、今朝のメッセージは「国家」の運営か、行く末に付いて危機感が示されて来ており、其の事に「言葉の世界・情報の取り扱い」が重要である理・ことが、示されて来ているのであろう。
先ず、漢語林で「厂・がんだれ」を調べると次の様に載っている。
「厂・カン・ガン・がけ」【解字】象形。けずりとられた、がけの形にかたどり、がけの意味を表す。【字義】@がけ【字義】@がけ(崖)。Aきし(岸)B石。国語 @雁・鴈(かりの意)の略字。A歴・暦の略字。 漢語林より
此の「削り取られた崖」の意味からすると、現在の「国家」の在り方は、土台の部分が削り取られて、崩壊寸前状態に在ると言う事なのであろう。
次の、玄関口の壁に取付けられている、呼び出しベルの装置の蓋が外れて、中の二個の電池が真っ赤に錆びている映像が映し出されて来たのは、其の国家の崩壊に付いて、質問をしようと意っても、聴き取りをするべき役所である「聴(庁)舎」が不備であるとの事が、示されて来ているのであろう。
そして、次の映像の、泥が着いて汚れている役人の制服の存在は、其の原因が政府の役人が汚れてしまっているので、役所に本来の働きが無い理・ことが示されているのであろう。
次の映像の、ピカピカに輝く電気炊飯器の中釜が映し出されて来たのは、主食が米である日本の文化が、新しく輝く文化(言葉・台詞)を、生み出す・創造する事が示されて来ているのであろう。
次の映像の、日本建築様式の建物側面の長い縁側・廊下の部分が、PCのキーボードに成っていて、其のキーボードを40歳代の男性が掃除をして、三ケ所が動く様に手入れを始める様子が映し出されて来たのは、「豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに」の文化が見直される事を示唆しており、此の日本の言霊の世界・文化が、新しい文明・文化の発信基地と成る理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして長い廊下は、情報の縁の多彩さを示しており、先ずは、基本的な三つの世界を新しく開かなければ成らない理・ことが示されており、其れは40歳代の働き盛りの男性の役割であると言う事なのであろう。
そして、其の情報発信の世界は、ハッキリと物を言う必要が有り、言葉に「真理」と「力強さ」がなければ成らないと言う事であり、是までの日本人の「どうも どうも」の様な好い加減な言葉使い・優柔不断な態度では、駄目であると言う理が、示されて来ているのであろう。
今朝は、其れ等の映像で、私は完全に演劇の世界に入らなければ成らないと考え、昨日のメッセージである「処理・100時間」は、其の演劇の事であると意って居たので、其の意いを訂正させる為に、女神が「騒がないで」と告げて来たのであろう。
私が、今朝考えなければ成らない事は、長い縁側がPCのキーボードと成っていた事と関係があり、物事の「因縁・基礎」と成っている情報を、再稼働させる必要があり、其れが、私のディレクター・監督としての役割であると言う事なのであろう。
「縁・エン」【解字】形声。「糸+彖」音符の彖・タン=エンは、転に通じ、めぐらすの意味。衣服のふちにめぐらせた装飾。ふちかざりの意味から、ふち・まつわるの意味を表す。
【字義】(一)ふち。へり。㋐衣服のふちかざり。㋑物のへり。まわり。
(二)@よる。Aえにし。ゆかり。つながり。かかわりあい。よすが。関係。「縁故」「由縁」Bまつわる。からむ。まとう。めぐらす。C仏。因によって果を生じる作用。めぐりあわせ。「因縁」国語。エン。えんがわ(縁側)漢語林より
2016/1/13・・次に、其の私が居る施設の他に、大きな施設(システム)が存在する事が示されて来て、「知縁二割」との言葉が告げられて来た。
其れは、私が是まで文章に書いて来た事と言うか、触れて来た世界が、全体の二割であり、他に、私が知らないと言うか、認識の無い世界・他縁が、存在すると言う理・ことである。
次に、記号・数字・文字等が二〜三文字組み合わされている、単語の様な物が、横書きで澤山並んでいる画面が映し出されて来て、其れは、是から始まる新しい世界の、課題・テーマの頭文字を意味している様であった。
先ず「縁」の漢字を検索すると、次の様に載っている。
えん【縁】
1《(梵)pratyayaの訳》仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。「前世からの―」
2 そのようになるめぐりあわせ。「一緒に仕事をするのも、何かの―だろう」
3 関係を作るきっかけ。「同宿したのが―で友人になる」
4 血縁的、家族的なつながり。親子・夫婦などの関係。「兄弟の―を切る」
5 人と人とのかかわりあい。また、物事とのかかわりあい。関係。「金の切れ目が―の切れ目」「遊びとは―のない生活」
6(「椽」とも書く)和風住宅で、座敷の外部に面した側に設ける板敷きの部分。雨戸・ガラス戸などの内側に設けるものを縁側、外側に設けるものを濡れ縁ということが多い。
国語辞典より
此の説明から、1「仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。」の他の説明は関係無い様であり、今朝のメッセージの「知縁二割」とは、私は未だ「結果を生じさせる条件や事情」に付いて、二割だけしか知らない・把握していないとの事なのであろう。
そして、今朝のメッセージで、私が、全く自分の知らない自分として登場し、新しい世界・未知の事を、文章にして居たのは、残りの八割の縁・世界に踏み込んで行かなければ成らないと言う事なのではないだろうか。・・
そして、其の私の行動・行為に合わせて、天神(てんのはたらき)も同調して動くと言う事なのかも知れない。
「そうよ 貴方の謂うとおりよ。
貴方自身が 新しい世界に向かって 動き出さなければ 此方も 次に進む事が出来ないのです。
其れは 現実界に存在する 現人神が 己の意識で 物事を進めなければ 其れに付随する 過去に生まれた意識は 寄りすがる物が無いからです。
其の事が 成り立たないので 是まで 八回も 事象のトンネル潜りが 上手く行かなかったのです。
ですが 今回ようやく 其の事象の脱皮・羽化が 成功する事に成りそうです。
其の為にも 貴方の意識の進化と言うか 新しい認識が どうしても必要なのです。
其の事が すめらみことの御稜威と言う事なのです。
良いですか 是からが 本番なので 精進にて 意識を集中するのですよ。」
突然に、女神の意識がチャンネルして、言葉が告げられて来たが、どうやら此の女神の言葉からも、私が新しい次元に踏み込まなければ、天界に組み上がっている新しい「縁・システム」も、三次元世界である此の人間社会に、現実化しないと言う事なのであろう。
だからこそ、此の日本国には「現人神・あらひとかみ」と言う「天皇・大君・すめらのみこと・帝・ミカド」の存在が、伝承されて来たのであろう。
そして、其の事が日本国の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」なので、岡本天明に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」で、6月10日「時の記念日」に「日月神示・日嗣神事」が開始され、「此の日本から 神一厘の仕組みが発動する」と、示されて来ているのであろう。・・・
「知縁二割」http://green.ap.teacup.com/20060818/3725.html
2007/5/3・・其の夢の内容は、天から紐が二本下りて来ており、其の紐の両端を引くと、根元の所に、私が居たと言うものである。
其れは、私が、結びの要に位置しているとの意味になる。
日本の、古神道の根本原理は「むすび」である。
だから、神社では注連縄を飾るのである。
其れは、英語の「リリジョン(再び神と結ばれる)・宗教」の意味と同じであり、仏教の「時節因縁(じせついんねん)・一大事因縁(いちだいじいんねん)」の概念とも通じるものである。
更に、インドの「ヨーガ」も、神と結ばれる為の修行の手段として、存在するものである。・・・
「時節因縁・一大事因縁」http://green.ap.teacup.com/20060818/274.html
此処まで打つて来たら、今朝のメッセージは、昨日のメッセージで、私が、娘「舞光・まいか」の学校で行われている文化祭を、校庭の柵の外に木に登って覗いて居た事と関係があり、今朝のメッセージに示されて来た演劇の「マクベス」「シェイクスピア」「蜷川幸雄」の事は、日本国の文化が、西洋文化の導入に因って、基礎部分が削り取られて、崖淵に立たされている理・ことが示唆されているのではないかと想われて来た。
其れを考えると、今朝の映像で政府の役人の制服が汚れていた事や、日本建築の建物縁側のPC機器が停止していた事の意味も、理解されてくる。
其れに、昨日舞光の学校の給食掛かりの婦人に、調理場の方に案内された事と、今朝の炊飯器の中釜が関係が有り、此の国の食事をパンや牛乳から本来の米食文化に返さなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。
何故なら、現在の学校給食のパンの材料である小麦粉は100%外国からの輸入であり、牛乳を生産する酪農牛の飼料も大部分が輸入であり、身土不二の基本から外れているからである。
日本が、穀物で100%自給できるのは稲作・米だけである。
其の主幹作物である稲作を疎かにしては、日本人の精神独立は無いのである。
一番問題なのは、味噌汁・魚・漬物が合うのは米食であり、パンと牛乳が合うのは肉食である事である。
其れは、牛肉1kgを生産するのに、穀物が7kg必要であると言うエネルギー消費に、力を貸すと言う事である。
戦後のアメリカの政策に拠って、当時アメリカで畑に山積みにされている小麦を、日本に売り付ける為に、子供の頃からパンを食べさせる事が始まり、其の事で、日本国の食文化の伝統が破壊されて来たのである。
其れも、今朝のメッセージの「厂・がんだれ」に、関係しているのであろう。
今朝のメッセージの内容を考えると、故「井上佳子」が1996年3月21日(弘法大師空海命日)に見せられた映像の事が思い出されて来た。
其の日の私に日記には、「井上佳子」が見た映像で、弘法大師空海が興した真言宗の僧侶である「章敬」氏が居る広い建物に、私と「佐藤宇三郎氏(自然素材の服)」と「井上佳子(倭姫命の御魂)」の三人が集まって話を始め、私が「全国を自然食にしよう」と言うと、皆が賛成する。
だが、其れでは何でも食べられる事に成るとの事で、佳子が「マクロビオティックが良い」と謂うと、二人とも其の方が良いと云った。と、記されている。
其の弘法大師空海の命日のメッセージと、今朝のメッセージの演劇の「言葉・台詞」の世界や、縁側からの情報発信の事を考えると、弘法大師空海が興した真言宗の「真言・マントラ」の世界が関係有り、日本(豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに)から「大和言葉」にて、情報発信を始めなければ成らない理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
昨夜、眠りに落ちる前に私を訪ねて来た一人の男性の姿は、其の「弘法大師空海」か「御祖神・みおやかみ」の存在だったのかも知れない。
其の様に考えると、天界の希望を、私一人が担っている事に成るのであろうか。
平成28年5月18日
礒邉自適
2016/5/16
48時間制度
28・5・16
今朝のメッセージの映像は、森林地帯をゆるやかに流れる、川の様子が映し出されて来て、其の川の左岸に有る道路を、一台の車が登って来る場面を、私は右岸の高台から眺めて居た。
そして、止まった車から、四角い緑の箱の様な物が降ろされ、二個は左岸の土地の上と下に少し離れて置かれ、二個は橋を渡って此方側(右岸)の上と下に離して置かれた。
其の緑の箱の様な物は、人間の姿が運ぶ物ではなく、其の箱自体が自分で動く物であり、其の四個の配置は、キャンプ用のテントの配置の様に想われる物である。
其れから、鍋容器の中に、白茄子が大切りされて入れられている場面が映し出されて来て、其の茄子の切り口には、成熟した種子が見えていた。
其れから、「48時間制度」との言葉が告げられて来た。
今朝は6時3分に起きて、穀物コーヒーを飲みながらPCを立ち上げると、「とまどうことなく」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「躊躇う事無く 次の段階に進みなさい
其処に 本当の貴方の姿が 現れます
貴方は あたしの事に付いて
どの様に 想っていますか
貴方は あたしの事を想う時
何を イメージしていますか
あたしには 何も決まった姿は 有りません
其れは 貴方が 自分の未来が 不確定である事と同じで
決まった形を 採っていないからです
ですから あたしにの存在には 限界が無いのです
現象界に存在する貴方が 新しい形をとれば
あたしも 其の貴方に対して
新しい 形へと 変化して行く事が 出来るのです
其れは 無の世界にこそ
有が 生まれる事と同じで
全てが 自由であると言う事です
其の自由を 人々は不安に感じて
閉じ籠って しまうのです
貴方は 其の壁を乗り越えて
此処まで 到達する事が出来ました
貴方は 此処からは
前人未到の世界に 踏み出す事に成りますが
何の心配を する必要も有りません
何故なら 其れは
自由な世界に 踏み出す事に成るので
未だ 敵対する物が 存在しないからです
貴方が 未来に向かって 歩き出す事
其れこそが 未来世界創造であり
無の世界に 意味を与える事に成るのです
其れは 神霊の働きだけではなく
あたし自身の未来を 創造する事に成るのですよ
そして 其処にこそ 貴方の真骨頂があるのです
【真骨頂】
そのものが本来もっている姿。真面目 (しんめんもく) 。「―を発揮する」
「躊躇う事無く」http://moon.ap.teacup.com/20060103/717.html
此の女神の言葉からすると、今朝のメッセージの映像は、私に新しい世界を創造する様に示唆しており、森林地帯を流れる清い水辺に何等かの意味が有り、川の左右上下の四カ所に、緑色の四角な物が配置されたのは、水の流に対して四つの場を形成すると言うか、四つのテーマ・部署を設置しなければ成らないと言う事なのであろう。
そして、其れは、緑色の世界であり、水の流れに関係が有ると言う事である。
其の事と、刻まれた「白茄子」と「48時間制度」との言葉にはどの様な意味合いが有るのだろうか。
48時間とは、二日間の時間であるので、鍋の中に入っていた刻まれた茄子の事を考えると、子供達に自然の河川の辺で、二日間のキャンプ体験をさせろとの事であろうか。
茄子の「茄」の漢字は、次の様に漢語林には載っており、茄子はトマト・ジャガイモと同種であるが、「蓮の茎・はす・はちす」の意味であるとの事。
其れに、「茄房・カボウ」との言葉が有り、其れは「はすの実。一説に、なすをいう。」との事なので、今朝の映像の茄子の切り口に成熟した種子が強調されていた事と、何等かの関係が有るのではないだろうか。
「茄・カ・キャ」【解字】形声。「艸+加」
【字義】(一)@はすのくき。Aはす。はちす。=荷。
(二)@なす。なすび。野菜の名。茄子。
「荷・カ・に」【解字】形声「艸+何」音符の何の甲骨文は、人が物を肩にかつぐ形にかたどり、になうの意味を表す。艸を付し、はすの意味も表す。
【字義】(一)@はす。はちす。多年草で沼地に産する。葉は大きくまるく、柄が長い。六、七月ごろ美しい大形の十六弁花を開く。その実と根茎は食用となる。Aわずらわしい。(二)@になう。㋐物を肩の上にのせて持つ。かつぐ。㋑ひきうける。「負荷」㋒身に受ける。いただく。「荷拳」Aに。になう物。持ち運ぶ物。荷物。「出荷」
国語@カ。荷物の数をかぞえることば。Aに。じゃまもの。やっかいもの。
漢語林より。
此の「茄=荷」の意味からすると、今朝のメッセージの映像で、車から降ろされた、緑色の四角い物は、其の「荷・カ・に」の意味を表しており、私は水の流れの世界で、四つの荷を運ぶ・荷う必要が有ると言う事に、成るのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の女神のメッセージの内容が関係有り、私は「森の緑」と「川(水)の流」の世界で、四つの世界を、開拓しなければ成らないと言う事に成るのかも知れない。
其れは、「饒速日命・にぎはやひのみこと」「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」等の「物部の世界」から、新しい価値観の世界に、飛翔しなければ成らないと言う事になるのではないだろうか。
今朝告げられて来た「48時間」に付いては、以前にも告げられて来た事が有る。
2012/12/11・・今朝のメッセージの映像は、先ず、日本建築の建物の中で休んで居ると、電子機器のブザーの様な音が聞こえたので、其方の方に行って見ると、玄関内の大理石が敷かれた間に、簡単な作りの木造机が一個だけ有って、其の机の接着部分が力を失って、崩れ落ちそうに成っていた。
どうやら、ブザーの音は、其の机が崩れそうに成っているとの、合図の様であった。
そして、其の机は、男性二人が、先程まで使っていたのだが、其の二人が建物から去って行ったので、必要が無くなった物らしい。
私は、もう一人残っている人物と一緒に、其の机が崩れ落ちない様に、靴箱の横に押し付けて安定をさせた。
其のもう一人の人物とは、「もう一人の私」である潜在識の、自分の様な気がする。すると、「48時間」との言葉が告げられて来て、「次は36時間」との言葉が告げられて来た。・・
若草色の服を着ていた女神が、玄牝であれば、何故、若草色の服を着ていたのか、其の理由を探らなければ成らない。
若草色は、地球の大地に生える草原の色であり、季節は春を意味する。
其の色の服を着ている女神であれば、地球の春に関係が有り、地球の緑を司っている働きを示している。
緑とは、地球に存在する全生命の命の元である。
其れは、葉緑素の色であり、葉緑素が存在する植物細胞が、無機質である太陽光線を利用して植物を繁茂させ、酸素を排出している。
其の植物の存在で、全ての昆虫や、動物が生かされているのである。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像に登場した、若草色の女神は、地球全体の生命を、象徴しているのではないだろうか。
だとすれば、今朝のメッセージは、昨日のメッセージに有った「いのちのネット【生命ライフ】永遠の命」のテーマの続きであり、其の根元の有り様を、示して来ている事に成る。
だとすれば、今朝のメッセージは、人間にとって一番大事な理・ことを示して来ている事に成る。・・・
「48時間」http://green.ap.teacup.com/20060818/2528.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージの「緑色の物」の存在と、女神の言葉「躊躇う事無く」と関係が有り、「女神・玄牝」の存在が新しい世界の構築を私に知らせて来ている事に成るのではないだろうか。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージの「48時間制度」とは、自然豊かな環境の中で、子供達に二泊三日の生活体験をさせる必要が有り、自然の中で自分が地球生命体の一部である理・ことや、生命・いのちの大事さに付いて学ぶ必要があり、其れが理解されなければ、あらゆる教育が無駄であると言うか、人生の道を、踏み外す事に成ると言う理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、私の育ち方や、私が屋久島に帰って居る時に、子供達の野外教室の教師を務めた事の重要性が、改めて自覚されて来る。
「自然と子供達」http://green.ap.teacup.com/20060819/
其れは、昨日の文章に書いた「いのちの球・御魂」や、人間が生活する為に存在する大地の風景や、田園地帯が広がる風景、港町が有る海の風景などと関係が有り、今朝のメッセージは昨日の続きであると言う事に成るであろう。
其の世界に付いて、以前に書いて有るので「手塚治虫」「養老孟司先生」で検索すると、次の様な物が有る。
2016/4/12・・今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、小学生の息子達を連れて山にキャンプに出掛け、自然の木の実や山菜等を子供達に食べさせる、父親の行動が映し出されて来た。
そして、特に強調されたのが、生の葉緑素の存在であった。
次の映像は、自転車で、孫である男の子を二人連れて海に出掛け、魚や貝などを捕まえる遊びをさせる男性の姿が、映し出されて来た。
其れ等の映像は、私が是まで何度か触れて来ている、男子の潜在意識と言うか、物事の捉え方の基本には、人類の成長段階に組み込まれている自然法則を、子供の時から追体験する必要があると言う事である。
其の例として、顕著なのが、男性の成功者である故「手塚治虫」や「養老孟司先生」が、自然の中で昆虫採集をする事が、趣味である事で示されている。・・・
「色世界の認識」http://green.ap.teacup.com/20060818/3815.html
2015/10/6「神の秩序から外れた物」http://green.ap.teacup.com/20060818/3617.html
2014/2/8「シオンの子」http://green.ap.teacup.com/20060818/2958.html
2008/4/24「BC3500年前」http://green.ap.teacup.com/20060818/726.html
2008/6/26「うたい出す」http://angel.ap.teacup.com/20071208/131.html
2008/10/22「生命の源」http://green.ap.teacup.com/20060818/926.html
昨夜は21時から、NHKで「人工知能」に付いて放送されていた。
其の番組の内容からも、現代人はゲーム等の電子機器の中に、意識が埋没して行き、人間が自然の生き物であると言う理・ことが、気薄に成って行きつつある理・ことが明らかにされていた。
其れは、個人の意識・自己認識が亡失して行く事なので、昨日の「高階悟」の世界・テーマは、縁遠いモノと成って行く。
其れを防ぐ為にも、今朝のメッセージは重要な意味合いが有るのだろう。
明日5月17日は、私の娘「嬰・みどり」の23歳の誕生日でもあるが、「世界電気 通信日」の日でもある。
其れは、昨日の「宇摩志麻遅命の神剣」と関係が有り、何か新しい情報が発信される前触れと成るのかも知れない。
其れは、釈迦牟尼佛の蓮華台の蓮(茄・荷)が結実し、新しい種子が蒔かれる季節が到来したと言う事に成るのではないだろうか。
平成28年5月16日
礒邉自適
2016/5/9
刈り取りの時節
28・5・9
今朝のメッセージの映像には、私が忙しく働いて居た為に、水田の稲の様子を見に行くのが遅れて、他の水田は全て収穫を終えているのに、私の水田だけが残っている場面が映し出されて来た。
だが、稲穂の様子を詳しく調べると、丁度、実が完熟しており、来年用の種籾には適している理・ことが判った。
どうやら、他の人々は、出荷する為に刈り取りを急いだ様である。
次の映像は、漢字が幾つか、横に並んで書かれている紙面が映し出されて来た。其れは、各漢字の下に、其の漢字の象形が絵で描かれており、其の絵の下に、縦書きで漢字の意味が説明されている物であった。
そして、右側の始まりの一字は「早」の漢字である事が示され、其の絵は水色にて、河川を流れる水の様子が描かれている物であり「早川」の様子を表していた。
次に、バス路線の様子が映し出されて来て、田舎の年配の人達が荷物を持って、バス停にてバスが来るのを待って居る姿が在った。
私の意識は、其の人達の様子を右手に見ながら、近道をする為に、手ぶらで、岩崖を駆け降りながら、谷川も、岩の上を飛び跳ねて渡って行き、バスよりも早く目的地を目指して居た。
今朝は、時間が気に成ったので、照明を点けて時計を見ると、6時4分であった。
今朝のメッセージは、「早」との漢字が「キー・鍵」と成っている様なので、漢語林で調べると、次の様に載っている。
「早・ソウ・サツ・はやい・はやまる・はやめる」
【解字】会意。篆文は、「日+甲」。日は「ひ」の意味。甲は、人の頭の象形。人の頭上に太陽があがりはじめる朝まだきの意味から、はやいの意味を表す。常用漢字は、甲の部分を十に改めた。
【字義】@はやい。㋐時間的に初めの方。「早朝」㋑きまった時期よりも前。時期がまだ来ない。「時期尚早」㋒すみやか(速)。いそぐ。急である。㋓わかい(若)Aはやく。㋐つとに。朝はやく。㋑きまった時期よりも前に。前もって。㋒若いうちに。㋓すみやかに。急に。
漢語林
あさ‐まだき【朝まだき】夜の明けきらないころ。早朝。
「―より怒鳴り立つるに」〈柳浪・黒蜥蜴〉 国語辞典より
此の、「日(太陽)+甲(人の頭)」の組み合わせの漢字が、何故、今朝は「早川」の意味で示されて来たのであろうか。
其れに、私は、曲がりくねりながら走る自動車道路を使用せずに、手ぶらで崖を駆け下り、谷川を飛び跳ねながら近道をして、目的地に向かって居た。
其の事と、最初の完熟した稲の収穫の場面に、どの様な関係が有るのだろうか。
稲の刈り取りは、聖書に記されている「その時」や「刈り取り」の言葉に関係が有りそうだが、「早川」の絵は、日本の大祓祝詞の文句に関係が有りそうな気がする。
・・遺(のこ)れる罪は不在(あらし)と、祓(はら)ひ賜(たま)ひ、清(きよ)め賜ふ事を、高山の末(すゑ)、短山(ひきやま)の末より、佐久那太理(さくなだり)に落瀧(おちたぎ)つ速川(はやかは)の瀬に坐す瀬織津比めといふ神、大海原に持出(もちいたし)なん。・・・
其れに、私は手ぶらで、近道をして、目的地に向かって居たので、荷物を抱えて遠回りをしている者は、時間に遅れてしまう理・ことが、示されているのではないだろうか。
今朝、私が時計で時刻を確認させられた時間は「6時4分」であった。
其の数字は、私が1984年6月4日に、此の世界に入った日付であり、来月6月4日で丸32年が経過する事になる。
其れに、私は此の世界に入った時に、「残り16年半」と告げられて、其れは2000年12月4日であり、私は其の日付を目的として、旅を続けたのである。
だが、其の2000年12月4日が過ぎた12月5日迄には、新しい御世の開闢は起きなかったので、12月6日に「森の木」のHPを開設して、是までメッセージの発信を続けて来た。
処が、現象界で目だった動きも無い儘、昨日の映像では、私は先代である人物の横で、安楽風呂に入浴してしまったのである。
其の映像の理由を考えると、何時の間にか、私は其の役割を果たして居た事に成りそうである。
其の事を昨日考えて居て、私が「16年半」と告げられて言葉は、「16年半」であって「2000年12月4日」ではなかったと言う事である。
其れを考えると、「天智天皇」の息子である「大友皇子(弘文天皇)」が672年12月5日に即位した事や、御醍醐天皇の曾孫である「自天親王」が11457年12月2日に殺された事に、意識を向けていた私は、余計な事を考えて居たと言う事に成る。
今朝のメッセージで、私が手ぶらで岩崖を下り、谷川を飛び跳ねて、目的地を目指して居た場面は、一切の事は止めて、完熟した稲穂を、早急に収穫・刈り入れしなければ成らないと言う事に、成るのではないだろうか。
私が、昨日から考えている事は、故「井上佳子」が生前に見たビジョンで、「茶色のカバンを抱えた 私より背の高いスラリとした男性が登場して 其の男性が私の謂う事を 全て理解して居た」と謂っていた事が、今回出会った「原田氏」の存在であるのではないかと言う事である。
何故、其の様に考えるかと言うと、原田氏は私の謂う事を、殆ど正しく理解してくれるので、私が是まで一人で抱えて来た情報を、「話す・離す・渡す」事が出来るからである。
其の原田氏が登場しなければ、今回の、私のリラックス感が無い事は顕かであり、私が先代(天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)の横に並ぶ映像が、映し出されて来る事は無かったと言う事になる。
其れを考えると、虚空蔵菩薩の大祭の日に、原田氏と出会ったと言うか、出会わされた事こそが、神図りと言うか、天神(てんのはたらき)のプログラムであると言う事に成るのであろう。
其れに、昨日のメッセージの映像に、台所の土間に設置されている「三つの竈」から、湯煙・水蒸気が立ち上っていた場面は、「饒速日命・にぎはやひのみこと」の長男である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の働きである、「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」と関係が有り、其の昨日の映像場面の続きとして、今朝の完熟した水田の様子が、映し出されて来たモノなのかも知れない。
2006/12/4・・私は、昨日の、周りの状況から徳島県穴吹町に有る古代斎祈遺跡「五社三門」をブログにアップしたが、其の作業の中で、其の「五社三門」が、私の旅の最後の参拝の場であり、其の日付も、丁度私が入神して丸18年目の6月4日である事が分かった。
そして、明日12月5日は、天智天皇の息子の「大友皇子(弘文天皇)」が、天智天皇10年年12月5日(672年1月9日)に即位した日であり、其の弘文天皇は叔父である「天武天皇」に天武天皇元年7月23日(672年8月21日)に殺されている。
其れに、後醍醐天皇の曾孫である「自天親王」が、足利の家来である播磨の赤松氏の遺臣の手に因って11457年12月2日に殺され、正式な系統で在った南朝が滅んでもいる。
これ等の事柄を考えると、どうやら明日から、本格的に、神霊界が本来の働きを復活させるのではないだろうか。
私は、周囲の人達には、何も云ってはいないのだが、明日12月5日に、今年6月11日に行なわれた「大山祇神」の祭りに参加したメンバーで、忘年会が行なわれる事に成っている。其れも、お陰様の働きなのかも知れない。
神霊界の準備が出来て、明日から新しい「惟神・かんながら」の世界が、スタートするのだろうか。
私の肉体を、宮として使っている神霊達が、何を企んでいるのかは、私には未だ見えない。
しかし、確かに22年掛かって積み上げて来た、私の情報や意識は、是からの社会を組み立てて行く為に、役に立つ事だけは間違いないだろう。
其れを、どう役に立てるのか、私自身が、勝手に判断できる体制には、未だ成ってはいない。
是から、其れが、順次に示されて来るのではないだろうか。
「宮中八神」http://green.ap.teacup.com/20060818/113.html
2006/12/4「古代遺跡 五社三門」http://green.ap.teacup.com/20060818/112.html
「宮中八神」 参考:堀書店発行「神道辞典」
「宮中八神」とは、@神祇官ジンギカン八神ハッシンとは、神祇官の八神殿に奉斎の八柱の神を云う。A古語拾遺には高皇産霊・神皇産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神とあり、延喜神名式には神祇官の西院に坐す御巫等の祭る神として、神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神とする。
御神格については種々の説があるが、高御産日神、神産日神は天御中主神と共に造化主宰の神で、天地間の万物を生々化育するのはこの神の霊徳であり、玉積産日以下三神は霊魂主宰の神で、就中玉積産日神は浮かれゆく魂を身体の中府に鎮め留むることを掌り、生産日神は活動して止まざることを、足産日神は不足することなくして豊かに充足することを掌り給う神であり、大宮売神は天照大御神の御前に近侍した神で、君臣の間を和し宸襟シンキンを安んじ悦ばしめ給う神、御食津神は天皇の日々の供御の事を、事代主神は忠孝兼備・朝廷守護の神と窺われる。
以上八神は何れも玉体(天皇の大御身)守護の神々として奉斎され、毎年の鎮魂祭には特に宮内省に招じ、その前にて鎮魂行事が行われた。八神殿に奉仕の御巫は庶女の事に堪えた者から選任する(臨時祭式)とあるので、門地系譜は問わなかったらしいが、その待遇には時服の外、屋一宇と食田一町を給うた(延喜式)。
またその選替のときには八神殿の社宇の造営が行われ、神座を始め殿内装飾一切は新任の御巫の手で供された。日常の奉仕については資料を欠くが、十一月の鎮魂祭には御巫が神祇官斎院(西院)で稲を舂炊し、藺笥に盛り祭所(宮内省)に向かって供した。この舂炊は同院柏殿で行われたものであろうから、このことは日々の奉仕の延長でもあったと推察される。鎮魂斎戸イハヒベ祭(祝詞式)とも関係があろう。
八神殿の大きさは、神殿各一宇長一丈七尺広一丈二尺五寸とあり、神座その他の殿内装飾品も臨時祭式に見える。神祇官は平安季世安元三年焼亡後は形ばかりの復興であったらしいが(伯家部類)応仁の乱後は全く荒廃に帰した結果、その後は吉田家では吉田神社内に、白川伯家では自邸に於いて八神殿を建てて奉斎するに至った。吉田の斎場所は神祇官代として勅使発遣等の儀に用いられ、白川邸の八神殿は宮内省代として鎮魂祭の斎場とされた。明治二年、二重橋前の広場に神祇官が建設され、宮内に八神殿(単に神殿とも云う)がその十二月七日改めて鎮祭された。この八神殿には、八神に併せて天神地祇、御代々皇霊の三座が奉斎された。これが、現在の宮中皇霊殿の起因をなすものである。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/78/7851/s7851/s785103.htm
【御食津神(みけつかみ)(ウカノミタマ)】
ウカノミタマは、日本神話に登場する神。『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた[1][2]。
伏見稲荷大社の主祭神であり[3]、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。
ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである(後述)。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
今朝の映像で私が、目的地に向かって急いで居たのは、此の「宮中八神」の事に関係が有り、皇室の「政・まつりごと」を、早急に復活しなければ成らないと言う事なのであろう。
今朝は、10時57分に前田氏より電話が有り、是からの事を聞いた。
そして、11時54分に原田氏より電話が有ったので、茶色のカバンの事を訊ねると、イギリス製のカバンを長い間使っており、金具が壊れて使えなく成っているが、今でも大事に身近に置いてあるとの事であった。
此れで、私は是から「宮中八神の復活」に付いて、意識を集中して行かなければ成らないのであろう。
其れは、世界に誇れる日本の伝統である「国体」の中心軸に触れる事であり、其の復活がなければ、世界に「神一厘の仕組み」を認識させる事が、出来ないからである。
平成28年5月9日
礒邉自適
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