言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2016/6/29
意を同じくする者
28・6・29
今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、床の間に掛け軸の様な物が掛けられている感じで、其処には「意(い)を同じくする者」との意味の言葉が、存在する事が示されて来た。
其の「意・い」の漢字は、門構えの中に「意」が入っている物であった。
そして、其の掛け軸の有る上座の方に向かって、左右に三座が縦に並んでおり、左の三座には人の姿の背中が在り、右の三座の前から二座にも人の背中が在った。
どうやら、私の席は右側の後ろの席であり、其の場面を見ている私の意識は、その場の写真を撮影する様な感じで、全体を後ろから見て居た様である。
其れから、明け方の映像には、私の実家の裏山に住んで居る、70歳位の男性の存在が映し出されて来た。
私は、其の男性に案内されて、敷地の中を見て廻った。
其の男性の家は、山林の中の広い敷地に建っており、庭には大きな花崗岩を刳り抜いた露天風呂が存在した。
其の風呂の中央には石が丸く組んであり、其の丸い石組の中から、音楽の様なものが聞こえて来た。
其れは、ボイラーの蒸気を抜く為のパイプの出口が其処に有り、其の蒸気を使って、音楽が鳴る仕掛けが施されている物である事が判った。
其れから、自宅の方に引き返して家の中に入ると、奥には屋久杉の銘木をふんだんに使った座敷が有る事が判った。
私は、其の奥座敷が見える居間の席に座った。
左側には、風呂上りの男性が座って居り、私は右側から、其の男性の姿を観察した。
其の男性は、人間の様に座れないのか、背もたれに寄りかかって両足を投げ出して居り、何故か頭の方には髪の毛が見えないで、背が高く、色は白く、肌が艶々滑々している存在で、普通の人間ではない事が判った。
次の映像は、私が実家の南方に存在する婦人の家に招待されて、其の家の中に入ると、10名程の人達が既に来て席に座って居り、私だけが初参加なので、婦人が自己紹介をする様に云うので、私は立ったまま、私の自己紹介は長く掛かるし、分けが解からない様な内容である事を前置きして、話し始めた。
其の、私の自己紹介が終わった所で、今朝の映像は終わった。
そして、其の二つの場面の事を考えると、是までの夢の中に、私の実家の裏山が数回映し出されて来て、其処に、何者かの存在が有る事が示されて来ていたので、今朝登場した男性は、其の存在が、ようやく姿を現した物であり、其れが私の故郷の「産土神・うぶすなかみ(山の神)」である事が理解されて来た。
そして、私を自分の家に招待して、会合で自己紹介をさせた婦人は、私を此処まで育てて来た、「大地の女神」の存在を示唆して来ているものと思われる。
朝起きて、PCで「門・もんがまえ」の文字を調べると、闟・閟・閡・閊・聞・閼・閌・闇・閿・闃・關・闋・闓・闠が有るが、中が「意」の漢字は中国には有るのかも知れないが、私のPCには収蔵されてはいない。
だが、今朝の未明に示されて来た「意を同じくする者」の言葉には、「門+意」の字は「同門」の意味に、一番合っている事になる。
【同門】同じ師について学ぶこと。同じ流派に属すること。また,その人。あいでし。 「 −のよしみ」
其れに、「朋・とも」の漢字の象形は、今朝の六人の並び方と五人の数、其の物の様子である。
「朋・ホウ・ボウ」【解字】象形。甲骨文・金文は、数個の貝を糸でつらぬいて二列に並べた形にかたどり、なかまの意味を表す。
【字義】@とも。㋐ともだち。友人。㋑師を同じくする学友。同門の友。㋒なかま。たぐい。「朋党」Aたから。貨幣に用いた五個一組、または二個一組の貝。B対。組。Cおおとり。鳳凰。想像上の鳥の名。
漢語林より
同朋@ 友達。友人。朋友。同袍どうほう。 A 「 同朋衆 」に同じ。
其れに、「産土神・うぶすなかみ」を調べると、次の様に辞典には載っている。
【産土神】生まれた土地を守護する神。近世以降,氏神・鎮守の神と同一視されるようになった。うぶすな。うぶがみ。うぶすなのかみ。
大辞林 第三版
其れに、自分の以前の文章を「産土神」で検索すると次の様な物が有る。
2006/12/14・・今朝は、遂に、自分の夢の源に行き着いた。其れは、行き着いたと言うより、帰り着いたと言った方が、適切だと想われる。漸く、私のカルマ・業の源に辿り着き、自分の「いのち」の背景を観る事が出来たのである。 今朝の映像は、私の実家の裏山の「明星岳」の風景が映し出されて来て、私が其の映像を、何度クリックして消しても、又現れて来るのである。それで、私の意識は其れを消す事を諦めて、其の映像を見る事にすると、其の山の麓(矢本嶽)に在る私の実家へ、安房から続く道路が見えて来た。
そして、其の道路を、誰かが、私の右側から手を引く様にして、実家の方に向って歩いて居た。
そして、其のまま歩いていると、道路に銀色に光るパイプレンチが落ちているので、私は其れを拾って、また歩き出した。そして、行き着いた所は、私の実家の裏山である。何故か、私は、実家の正面玄関の方から入らずに、途中から、裏山の段々畑の方に回り、鬼門に当る方角から、敷地の中に入ったのである。其れと、今朝の場面で気付いた事は、其の女性が、私より前に、其の敷地の中に入ったのに、後に付いて入った私の顔の方に、張っていた蜘蛛の巣の糸が、掛ったのである。其れは、私の前に入った女性には肉体が無く、霊魂だけの存在だったので、蜘蛛の糸も、通り抜けた事を意味している。私は、蜘蛛の巣の糸を祓ってから、畑の中に入った。其処は、芋畑の跡で、既に芋が掘り取られて草が茂っていて、其の畑を見回すと、もう私を案内した女性の存在は、消えてしまっていた。 今朝の映像は、何者かが、私が子供の頃から、私を導いていた事を、示して来ている。
女性の名が「すみる」との名だったので、すみるの言葉を分析すると、「る」は助動詞の終止符なので、「る」を外すと「すみ」だけに成り、「すみ」は「済み」とある。「済み」であれば、総ての私の旅が終わり、生まれ育った故郷の、裏山の畑に帰り着いた事に成る。其れは、「済みる」が「帰る・終る・いのる」の意味を、含んでいる事に成る。 そして、私が途中で拾って手にしたパイプレンチは、大きな機具のナットやパイプを回す道具なので、昨日の夢に、最後に出て来た、温泉の湯送パイプの場面と繋がっている事にもなり、此処のところのメッセージは継続しており、一連の繋がりがあって伝えられて来ている事になる。其の繋がりは、此処数日の分ではなく、私の60年間の人生を操るもので、更に38億年の「命の鎖り・スサノオ」の存在に連携しており、更に138億年の宇宙の歴史にまで、繋がっていることになる。そして、其の存在こそが「産土神・うぶすなかみ」と呼ばれて、格部族毎に、村の中に鎮守の神として祀られて来た、信仰の原点なのではないだろうか。・・・
「ファイナル‐ファンタジー」http://green.ap.teacup.com/20060818/125.html
2008/7/13・・其の様に考えれば、言葉を司る蛇・大蛇が、奈良の三輪山等のピラミッド型の山に住み着いているので、「三室山・巳むろ山」とされるのは、当然の事として受け取る事が出来る。
そして、其の巳室山に住む蛇と仲良く成って、言葉・智慧を授かる者が「大己貴・おおなむち」と呼ばれるのである。
其れと、風水でも、王・大君が誕生する土地は、北方を山が塞ぎ、南になだらかに傾斜した土地で、東方に川が流れ、南方に池か海が有り、西方に道路が付いている場所だとされている。
そして、其の家の裏には、他人の家が存在してはならないのである。私が生まれ育った実家は、正に、其の様な風水の条件の場所であった。だから私には、言葉を扱う大蛇・大山祇神が付いているのは、当然の事なのかもしれない。そして、私の産土神山は「矢本嶽・やもとだけ」である。・・・
「黄金の舌」http://green.ap.teacup.com/20060818/815.html
此の、2006年12月14日の「ファイナル‐ファンタジー」の文章には、私が実家の近くで銀色のパイプレンチを拾った事が書いて有る。
其れは、今朝のメッセージの映像で、男性の家の庭に、花崗岩を刳り抜いた湯船の中に、パイプが通されていた事と関係が有り、昨日藤壺・富士壷の中から水蒸気が立ち上っていた事とも関係が有るのだろう。
其れは、湯船の中の石組みと、蒸気を噴出す出口が「富士壷」と関係が有り、其の噴出し口から音楽が奏でられていたのは、屋久島の山岳の神が、音楽の神「ピーコ ゴンドン」と言う名である事と関係が有り、花崗岩の湯船は花崗岩の秘密を示唆しているのであろう。
・・今に成って考えると、一番初めに私の身体を使い始めた精霊は、屋久島の山の神である「ピーコドンドン」だったのかもしれない。
其の日は、其れから、師と家族を自宅に送って、私は、師の自宅の庭の岩の上に暫らく静かに座って居た。すると、身体がまた勝手に動き出して、今度は、屋久島の山岳に向かい両手を広げて、力一杯 口笛を吹き出したのである。
其の口笛が、屋久島の山岳に届いて染み込んだ頃、今度は、庭に有ったバケツを、上下逆さまに地面に置いて、バケツの底を太鼓代りにして、二本の草刈鎌の柄で、山に向かって打ち始めたのである。そして夕方に成って、師が風呂に入った後、私も風呂に入っていると、身体を洗って流した水が、排水管の方に流れる時に、流しの蓋の間で共鳴して「ヒュル ヒュル」と音を立てた。私は、其の音を聞いたら、今度は、脱衣所の板場の上に、裸で上向きに成って、上向きのまま両手で小太鼓、両足で大太鼓のリズムを打ち出したのである。・・
原の鯛の川から、モッチョモ岳を経由して耳岳を通って、奥岳に通う神様も存在する。また、栗生の太鼓岳に関係が有る神様は、「ピーコドンドン」と呼ばれていて、音楽に関係が有る神様である。ピーは笛の音であり、ドンドンは太鼓の音である。其れを、漢字で表記すれば、「笛鼓・ピーコドンドン」と成る。
其の様に考えると、私が1984年6月4日に師の自宅の庭で執った、山に向かって口笛を鳴らし、太鼓・バケツを叩いた行動は、其のピーコドンドンの神様に、音楽奉納をした事に成るのではないだろうか。
屋久島は、1400万年前に浮上して来た、全島花崗岩の島で、中心の最高峰の宮之浦岳は1936mの高さが有り、普通の岩石より2・7%比重の軽い花崗岩の島は、現在も年間1mm、千年で1m上昇しつつある。屋久島は、石英の花崗岩の島だから、水晶と同じ六角形の形で、コップに入れた氷と同じく、2.7%地表に浮いているだけで、海中に立っている石英の柱なのである。其の花崗岩の山頂を舞台として、音楽を演じている神は、地球にどれだけの影響を与える事が、出来るのであろうか。・・・屋久島の音楽の神「ピーコドンドン」http://moon.ap.teacup.com/20061108/402.html
これ等の事を考えると、今朝の映像に映し出されて来た、矢本嶽の山麓に住む男性は、髪の毛が無く、肌が白くツルツルであったので、其れは人間ではなく、水の世界に住む、人類の始まりである両生類の存在を示唆しており、両生類は蜥蜴の先祖であり、其の蜥蜴が9000万年前に両足を捨てたのが蛇であるので、蛇の化身である「大物主神」であったのではないだろうか。
2008/9/21「一番古い記憶」http://green.ap.teacup.com/20060818/889.html
其の様に考えると、2005年4月14日・16日に奥岳から下りて来た蛇神が、今朝初めて姿を現して来た事になり、今朝のメッセージは「新年・あらたまるとし」二日目に相応しい内容であると言う事に成る。
2005/4/18・・今日は、仲間とメッセージに出て来た山岳の峰の位置が、何処の山なのかを調べて見ると、15日に映っ た辺りの峰々は、屋久島の中心に在る奥岳で、宮之浦岳(1936m)栗生岳(1678m)翁岳(1860m)安房岳(1847m)の様であり、16日に 映って来た峰々は、右下の石塚山(1589m)花祈岳、太忠岳(1497m)の区域の様である。
若しかしたら、もう少し麓に近いノンキ岳(1370m)まで入っていたのかもしれない。ノンキ岳から、私の寝泊りしている事務所までは、雪岳(1256m)トイモ岳(1054m)高平岳(493m)と下れば、もう目の前に、その高平岳の峰は見える。高平岳は、高平区の岳参りの山で、山頂には神様「一宝珠大権現」が祭られている。山の峰々が、無線基地の様に磁気を出し合って繋がっているのなら、15日と16日に映って来た配線図の映像は、神山のネットワークと言える。これらの事を、昔の人達は「龍神」の通り道として捉え、風水の世界で考えていた様である。
石には、不思議な力が宿っているらしい。古い神社の御神体は、殆どが丸い形の石である。昔の人達には、石が神の存在に深く関わっている理・ことは、当たり前の事として受け取られていた様である。
私は、自宅に集めた石の中から、パワーの強い石を、島の峰のスポットに運んでセットして回った。その石の仕組みが、今、働き始めているのではないだろうか。人間が、自然と関わり合う最大の事が、石の塊である花崗岩の山との、繋がりではないだろうか。それが、一番大事な事であれば、屋久島に昔から伝わる「岳参り」の行事は、正しい風習であり、今後も、その伝統は続けて行かなければならない。 屋久島の山々が力を発揮し、地球の未来を、安定調和するのであれば、私もそんな嬉しい事は他に無いし、自分の21年間の努力も報われる事に成る。ともかく、何か、良い事が起きて来る様である。・・・
「動き出した御嶽の位置」http://moon.ap.teacup.com/20061108/337.html
其れに、其の男性が住む自宅の奥座敷が、屋久杉の銘木がふんだんに使われていたのは、何千年も生きて来た屋久杉の苔むした原始林の存在を示唆しており、其の男性が住む場所が、屋久島の奥岳である理・ことを示しているのであろう。
其の様に考えると、ケルト人の森の神である「グリーンマン」や、日本の植林の神である「須佐之男尊・すさのおのみこと」の事だけではなく、「大山祇神・おおやまづみかみ」の本体が姿を現したと言う事に成るのであろう。
平成28年6月29日
礒邉自適
2016/6/28
改まる一日目
28・6・28
昨夜から今朝に掛けては、メッセージらしきモノが何も無いので、私は明け方に成って、自分の意識を凝らして見た。
すると、目の前に、何か冠の様な物が有るような感じなので、私は其の物を意識を強めて、無理やり、左側に除けてみた。
すると、蓋が外れたような感じで、何かが目の前に映し出されて来た。
其れは、フジツボ・藤壺の様な形に、地面の上に、透明な形の物が有り、其の中心部分から、湯気の様な白い物が立ち上っていた。
其れから、竈戸の様な物が映し出されて来て、其の上に「蒸し器」の様な物が載せられていた。
次に、薄い和紙で出来た、白く四角い箱の様な物が映し出されて来て、其れは何かを入れる、入れ物である事が理解できた。
其れから、新しく書かれた文章が映し出されて来た。
そして、最後に「新年一日目」との言葉が告げられて来たので、朝PCを立ち上げて、題を「新年一日目」と打つと、其れでは文章を読む人が勘違いをするので、「あらたまる一日目」と読める様にしろとの指示があった。
本日は、4月25日に示されて来た「王降臨新制」の日付である「6月28日」である。
今朝のメッセージの内容からすると、確かに、此の世の変革が始まる事が示されて来ている様である。
しかし其れは、是までの様に、主権者が「王冠」の様な物を着けるのではなく、天界に対して、此の地上世界である現象界の有様を報告する事が、新しい王の役割・役目であると言う事に成るようである。
其れは、報告するだけではなく、天意を受け取る役割も果たさなければ成らないので、相互扶助の在り方と成るであろう。
其れは、中国の始皇帝の言葉に有る「天に天帝が存在し 其の天帝の意を受けて 朕が地上で皇帝として政治を行う」との事が、現実として始まると言う事に成るのであろう。
以前の文章を、「天帝 皇帝」で検索すると、次の様な物が有る。
2016/3/16・・今朝のメッセージの映像から、私が想った事は、其れ等の状況を改善・補正する為には、ハイレベルな御魂を持つ「王・すめらのみこと・賢者」の様な存在が現れなければ、現在の政治体制では解決出来ないと言う事である。 今朝の様な映像が、何故映し出されて来たのかを考えると、昨日のメッセージで「左右・表裏」が反転する様な内容が示されて来た事と関係があり、必然的に何等かの異変が起きて来ると言う事か、我々人類に何等かの価値判断・意識転換が求められて来ているのであろう。・・・
「二つの世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/3788.html
2015/8/20・・昨夜は、寝る為に床に就いて目を閉じて居ると、カラー印刷が為されている、ポスターの様な物が、何枚も重ねられている映像が映し出されて来た。そして、其の色付きのポスターの様な物が、何を意味しているのかと意って居ると、次に、水が入っている透明な容器が映し出されて来て、其の容器の中央に、 薄緑色の丸い錠剤の様な物が一個有り、其の丸い物から溶け出す様に、薄緑色の細い糸が、容器全体の水中に拡がりつつあった。 そして、眠ってからの映像は、地上から、細いガラス張りの丸いビルディングの様な物が、天まで伸びていて、其の最上階の情報管理室に私が一人で居て、全ての情報をチエックしており、其の情報の映像に、私自身が色を選んで「着色・いろづけ」を行っていた。 其れから、其の丸くて高い塔の様な物は、光ファイバーの様な役割をしている物で、世界中の情報を管理する情報が詰まっている物であり、其の塔の働きを地上に全て降ろすと、放射状の丸い円形の中央に管理室が存在する、円形の配置図に成る事が示されて来た。そして「ラージャ」との言葉が示されて来た後、私の以前の文章が二日分だけ、日付つきで、貼付けられているのが映し出されて来て、私の意識は、其の文章を校正していた。・・・
「ラージャ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3570.html
2008/8/11「満法」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/331.html
2009/7/31「神が色サイコロを転がす」http://green.ap.teacup.com/20060818/1223.html
2015/11/16「椎木柱」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3660.html
2014/2/24「造化三神の働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/2975.html
2015/5/23「カオスからコスモスへ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3473.html
2013/9/4「鳳凰の羽根」http://green.ap.teacup.com/20060818/2799.html
2015/1/8「究極のデザイン世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/3323.html
2013/1/15「乾杯」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2563.html
2014/8/19「器に入らない物」http://green.ap.teacup.com/20060818/3168.html
2015/1/26「六芒星」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3341.html
2012/1/31「いくいくは帝人」http://wave.ap.teacup.com/20060106/467.html
2015/2/5「釈迦如来の笑顔」http://green.ap.teacup.com/20060818/3352.html
2009/7/16「天津金木 二」http://green.ap.teacup.com/20060818/1208.html
2014/7/6「殖産の技」http://green.ap.teacup.com/20060818/3121.html
2015/11/22「神の手」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3667.html
2008/4/11・・此処数日の、ビジョンと言うかメッセージからは、私の意識が、天と地を上ったり下ったりしている事が、理解できる。其れは、天帝と皇帝の間を、私の意識が行ったり来たりしている感じが有る。 其の現象から、エジプト文化では、女神イシスが乗る「太陽の船」が考え出されたのではないだろうか。そうであれば、古代に、私の意識状態と同じレベルで、霊界の事を感じていた人間が存在したことになる。 其れは、大地の女神が、人間の霊魂・たましいの進化を促す為に、人間の男性に、イメージを送り込んで来ているのだとも考えられる。其の理由は、女性の遺伝子を進化させる事が、男性の役割であり、其れが「太陽」が宇宙の存在に、関係が有ると言う事である。・・・
「女神の願い」 http://green.ap.teacup.com/20071223/110.html
今朝の「愉伽・ゆかさん」のビジョンは、友人の「いづみ」さんと一緒に図書館のような建物の中に入ると、文字が書かれた和紙のようなものが一枚だけ、目の前に現れたとの事である。そして外に出ようとすると、靴箱の存在が強調されて来たとの事である。
其れは「いづみ」が「泉・出・稜威(いづ)」などの言葉と関係が有り、今朝の私の映像に映し出されて来た、大地から立ち上る「水蒸気」の様な物と関連し、図書館は、文章・情報の簡素化の必要性が示唆されており、靴箱の存在が強調されて来たのは、人間の意識の基礎・乗り物の世界が、示されて来ているのであろう。
本日の6月28日の文章で、13年間メッセージが続いた事に成る。
是までの6月28日の文章を見ると、2010年には「新しい世界」、2011年には「未来を託す」とのタイトルが有るので、今朝のメッセージと連動している事に成る。
2010/6/28「新しい世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/1589.html
2011/6/28「未来を託す」http://green.ap.teacup.com/20060818/1973.html2013/6/28 「スメラミコトの働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/2731.html
其れに、今朝の映像に映し出されて来た「蒸し器」の様な物は、出雲の熊野大社で毎年「10月15日」に行われる餅奉納の「亀太夫神事」と関係が有りそうであり、「食国の政(おすくにのまつりごと)」の世界や、新嘗祭・大嘗祭の儀式の存在とも関係が有るのだろう。
2015/6/28「食国政事」http://green.ap.teacup.com/20060818/3512.html
2014/6/28「無銭飲食」http://green.ap.teacup.com/20060818/3113.html
2012/6/28「自然な食物の確保」http://green.ap.teacup.com/20060818/2355.html
「出雲の熊野大社・亀太夫神事」http://moon.ap.teacup.com/20051112/266.html
其れから、今朝のメッセージの映像の「和紙製の箱・ボックス」と文章の存在は、「言・ゲン・ゴン」の漢字の象形が「辛+口」の組み合わせで、「口」は言葉が記された札を天神に捧げる為に入れる器の意味なので、天に捧げる「マントラ・真言」や、臣民に伝える「詔勅・みことのり」の世界を、示唆しているのであろう。
2005/6/28「阿の字」http://star.ap.teacup.com/170606/523.html
2007/6/28「爆発的な人気」http://green.ap.teacup.com/20060818/340.html
そして、地上に藤壺の様な形の物が有り、其れから水蒸気の様な物が、空中に立ち上っていたのは「大地の氣」を示唆しており、其の大地の「氣」は物の形を生み出す「万物の母」の働きと、関係が有るのではないだろうか。
2006/6/28「万物の母」http://star.ap.teacup.com/170606/955.html
2009/6/28「冬虫夏草」http://green.ap.teacup.com/20060818/1190.html
2003/6/28「女と男」http://star.ap.teacup.com/170606/174.html
そして、2008年の「三つの基本方針」とのタイトルは、「Tritarte fur・トライタルト ファー」の「天蓋の内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠」の世界と関係が有り、人間が物事を考える土台と言うか基礎には、物事を三つに分離する手法が、有効であるとの理・ことに成るのではないだろうか。
2008/6/28「三つの基本方針」http://green.ap.teacup.com/20060818/797.html
今朝の映像に、最初に映し出されて来た「フジツボ(藤壺、富士壺)」の様な形の物は、其の名前が活火山である「富士山」の形に似ているからなので、日本国の象徴である「富士山」の事が示唆されており、富士山の噴火口と宇宙が氣に拠って結ばれる事の意味が有るのかも知れない。
【フジツボ(藤壺、富士壺)は富士山状の石灰質の殻をもつ固着動物である。大きさは数ミリから数センチ。甲殻類、フジツボ亜目に分類される。】
其れを考えると、日本の伝統である「皇帝・天皇・現人神」のシステムが、本格的に本日6月28日から、開始されると言う事なのではないだろうか。
そして、其れは、日本一国の事ではなく、世界人類を全て、新世界に導く動きに成ると言う事なのであろう。
「氣・気・キ・ケ」【解字】形声。「米+气」米は、こめ粒のように小さいものの意味。音符の气は、わきあがる上昇気流の意味。雲気・水蒸気の意味を表す。
【字義】@雲気。水蒸気。かすみ。A空気。大気。「気圧」B天地間の自然現象。風雨・寒暑などをいう。「天気」C元気。万物生成の根元力。身体の根元となる活動力。Dちから。いきおい。「活気」Eきだて。こころもち。「心気」Fうまれつき。もちまえ。「気質」G万物を生成する質料。Hにおい。かおり。においをかぐ。Iいき。また、息をふきかける。Jおもむき。ようす。感じ。「気運」
漢語林より
いま「上昇気流」と打った時(10時13分)に、左手の中指に強いカモ・(神の電気信号)が起きた。
其のカモの反応からすると、今朝の映像で藤壺の様な形から、水蒸気の様な物が天空に向かって立ち上がっていた場面は、非常に大事な意味を含んでいた事に成り、其の件が、最も重要であると言う事なのではないだろうか。
「件・ケン」【解字】会意。「人+牛」人や牛や個々の物として区別してかぞえる単位の量詞として用いられる。
【字義】@わける。区別する。Aくだり。箇条。「条件」Bことがら。もの。また、それを数えることば。「事件」「物件」
国語。くだん。くだりの音便。㋐前に書いた(言った)物事。㋑前に書いた文面。→如,件。㋒「くだんの」は、いつもの。例の。
漢語林より
此の「件」の漢字の意味からすると、私が是まで長年に亘り書かされた来た文章は、其の「件」の文字の意味である「人や牛や個々の物として区別」と関係が有り、後世の人達が、此の世界の有様・分けを知る為の手掛かりを、残す作業であったと言う事ではないだろうか。
そして、其の事の基本に、「万物生成の根元力。」の意味含む「氣・気・キ・ケ」の漢字が、有ると言う事なのであろう。
其れを考えると、私は「ブッダ」に当てられている「佛・仏」の漢字の字義が「@ほのか。かすか。」であり、解字では「それらしくありながら、はっきり見えないさまを表す擬態語として用いる。」との事なので、私は、日本の「現人神・あらひとかみ」の世界を、明らかにして行かなければ成らないと言う事なのかも知れない。
2008/3/17「現人神の記憶」http://star.ap.teacup.com/2007313/349.html
平成28年6月28日
礒邉自適
2016/6/25
さる人間
28・6・25
今朝のメッセージの映像は、一晩中、是までには無かった世界・場面が映し出されて来た。
其れは、私が是まで、自分の意識が「空白・無」に成ったと思っていた世界に、奥深い世界が存在し、其処に、こびり着いていたと言うか、日本酒の滓(おり)とも言える様に、漉し切れないで残っていた物(世界)が、次々に20項目程映し出されて来て、除去されると言うか、回収されて消えて行った。
【滓(おり)は、醪(もろみ)を細かい目の布などである程度絞った後に残る白い沈殿物。】
其れは、私の無意識の世界に、闇の貯蔵庫が存在して、子供の時から増やして来た知識の背景に、不必要な粕が、外に排出されないまま残留していたと言う事に成る。
其れは、科学的に謂えば、人間の大脳の仕組みである「海馬」は、不必要な情報であっても、本人が認識してしまった事柄は、記憶の貯蔵庫に収納してしまうと言う事である。
【海馬(かいば、英: hippocampus)は、大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。】
其れが、どう言う物であるかを、参考の為に数件書き出すと、次の様なモノである。
・人間社会で遭遇する、様々な不必要な出来事。
・自然の理に合わない、人間界の風習・慣習。
・学校で習った、+・−など数学の数字。(損得勘定の事か?)
・解釈の間違いで、使用できない言葉や文字。
・人間が創作する芸術。
・人間だけが考える、宗教や哲学などの世界の概念(理屈)の一部。
其れ等の映像が、一晩中映し出されて来た後に、「さるにんげん」との言葉が告げられて来た。
そして、最後に大きな河川の上流から、木造の船が下って来て、河口近くの白い砂が溜まっている中洲に停泊した。
其の船には、10名程の人達が乗船しており、其の中の一人が浅瀬を渡って、真っ直ぐに私の方に向かって歩いて来た。
其の男性は、スーツを着こなした現代人で、50歳位の年代でスラリとした長身の男性であった。
そして、朝起きてPCを立ち上げると、「愈々始まりだ」との意味合いが胸に響いて来た後に、「大祓祝詞(おほはらへのことば)」の文言が、脳内に聞こえて来た。
今朝告げられて来た「さるにんげん」との言葉は、寝床では「猿人間」で、其の意味は「人類の祖先である猿の様に、純粋無垢な状態に立ち返る必要がある。」との理・ことかと考えて居たが、朝起きてPCに向かって文章を打ち始めると、其れは「去る人間」で「人間界(世間)から去る」との意味ではないかと思えて来た。
其の様に考えると、山岳から河川を下って来た船と人物達は、私を迎えに来た事に成るのかも知れない。
そして、其の原因と言うか、理由は、私が昨夜から今朝に掛けて、私の人間界の「穢れ・カルマ・業・毒気」が、全て抜かれたからであると、言う事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、私は、真実の聖者か仙人の様な世界に入ると言うか、立場に立つと言う事に、成るのではないだろうか。
『そうではなくて 応援に降りて来たのである』
此の、いま告げられて来た男性の言葉からすると、日本の神事・儀式で唱えられる「大祓祝詞(おほはらへのことば)」の世界と関係が有り、本来の日本の神事が復活するとの事なのではないだろうか。
今朝の映像に、映し出されて来ないモノ・世界を、書き出して行くと、次の様な物が有る。
*宇宙・天体の仕組み。
*自然の風景や、生き物の世界。
*食べ物の世界。
*住居。生活道具。
*交通。*学校。*本・文房具・・・
書き出して行くと、人間の生活・くらしにとって必要なモノ・世界は、無数に存在し、今朝映し出されて来た20項目程の世界は、其の世界の一部の裏・影である事になる。
其の様に捉えると、今朝「大祓祝詞(おほはらへのことば)」が聴こえて来たのは、今朝のメッセージで示されて来た、影の世界・部分の除去が、本来の「禊ぎ祓い」の儀式の目的であり、人間の願望を増幅する為のモノではないと言う理・ことに成る。
其の様に考えると、現代社会に存在する神社や寺院の存在は、滓(おり)の部分を漉すどころか、増やしている事に成るであろう。
だとすれば、現在の神社や寺院の存在は、殆どが、祓いの儀式を執り行う側から、祓いを受けなければ成らない側であり、逆の立場であると言う事に成るであろう。
特に、日本の神社に祭祈して有る祭神は「祟り神」の方が多いので、今朝のメッセージの内容からすると、神社で祓いの儀式を受けるのは、逆効果と成る可能性が高いと言う理・ことに成るであろう。
其れを考えると、今朝のメッセージは、6月19日のメッセージに関連しており、其の解決方は、「Tritarte fur・トライタルトファー」=「天蓋の内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠」の世界に、全てを切り替える必要があると、言う事に成るのではないだろうか。
私は「土肥無庵」に捜し出されて、訓えられた事は、自分の事は一切止め、「マクロビオティック・正食」の生活をしながら、自分の知識を全て吐き出して、空に成った頭脳に、土肥無庵の「脳波・意識・情報」を入力し、其れを享受する事であった。
【享受・きょうじゅ】とは。意味や解説、類語。[名](スル)受け入れて自分のものとすること。 受け入れて、味わい楽しむこと。「自由を―する」
私は、其の時に、完全に自分の脳・海馬が、空に成ったモノと思って居たが、実はそうではなく、深奥の底の部分には未だ「滓」が残っていたらしい。
「滓・シ・サイ」【解字】形声。「氵(水)+宰」音符の「宰」は、調理するの意味。調理のとき底に沈むかすの意味を表す。
【字義】@おり。沈殿物。「渣滓」Aかす。汁をしぼり取った残り物。Bくず。ちり。ごみ。Cけがれ。よごれ。にごり。また、けがす。よごす。
漢語林より
2003/2/7・・私に、何が起きたかを、一口で言えば、天皇家の伝統儀式である「大嘗祭・だいじょうさい」の秘儀と同類の事が、執り行われたとの事に成るだろう。
其れが、何故、私が今回捜し出されて、儀式を執り行う事に成ったかと言うと、現在の宮内庁に、秘儀をマスターしている人が存在しないので、天皇の「大嘗祭」が、正式に行われていないからである。・・
これ迄に、私に起きた事を、他人に理解して貰うには、とても大変な作業を要するであろう。私自身に理解出来た事は、神界が動くには、其の働きの受け皿に成る人間が、現実界に存在しなければ、手も足も出せないとの理・ことである。 何故かと言うと、三次元を動かすには、三次元に身を置く誰かが、それを受け取って認識(みとめる事)をしなければ、神の仕事(しわざ)が人間界に知られる事が無いからである。神の働きが、現実・事実として存在する事が、三次元に居る人間に認識されてこそ、宇宙の真理が全うされる事に成るのだ。 私の役目は、神の存在を証明する事であり、私に起きた様々な現象は、その為の「あかし」であろう。私も、18年前迄は、神の存在に対して、いま程の自信は持っていなかった。しかし、37歳で神の世界にどっぷりつかってから、初めて、自分が神に生かされていた理・ことに、気付いたのである。 私に起きた事を通して、此れから、どれだけの事を、人々に伝えて行けるのかは分からないが、出来るだけの努力は、して行きたいと意っている。何しろ、釈迦の2500年の憶いが、全地球に満ちているのだから、私達人間が、其れを素直に直接受け取って行けば、人類の「覚醒・めざめ」は、それ程不可能な事ではないのだ。・・・「私に何が起きたか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
此処まで打って来ると、今朝告げられて来た「さるにんげん」との言葉は「猿人間」と「去る人間」のどちらの意味も、含まれているのかも知れないと思えて来た。
「猿人間」猿の次元に帰る。
人類は650万年前に、アフリカ大陸の中央東地域のマグマ活動に因る、地殻変動で起きた気候変化で、森林生活から、草原生活に移行した類人猿の子孫であり、文明の発達に拠って大脳が拡大し、言葉や絵・文字の発達で知識を増やして来た。
そして、文化が発達し、社会制度が拡充されて、自然から遊離した生活・くらしが始まったのである。
其の弊害が、旧約聖書の「蛇の知恵(リンゴ)」の意味や、老子の謂う「賢しら」の教訓として示されており、釈迦牟尼佛の謂う法華経の「十二因縁起」の世界として、問題視されて来たのであろう。
「老子・賢しら」http://star.ap.teacup.com/170606/196.html
「十二因縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
「去る人間」人間社会からの離別。
「人間」との言葉は、人と人とが関係する社会生活の事である。
其処を去ると言う事は、釈迦牟尼佛の謂う「出家」や、イエスキリストの謂う「家族や仕事を捨てて 人類救済の旅に出る」事と同じ様な意味合いが有る。
【人間】(にんげん、英:human being[1], あるいは大文字で始まるMan[1])とは、人のすむところ。世の中[2]。世間。人が生きている人と人の関係の世界。またその中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。(社会的なありかた、人格を中心にとらえた)人。また、その全体[2]。ウィキペディアフリー百科辞典 2016/6/25現在
何れにしても、近代社会は、旧約聖書の「蛇の林檎を食べた世界」であり、老子の謂う「賢しらばかりの世界」であり、日本で謂う処の「罪穢れの世の中」である事は、間違い無いのである。
其れを正さなければ、人類は此のまま、自分達が出した「渣滓・サシ・残渣滓(ざんさかす)」の中に溺れて行き、不幸な末路をおくる事に成ると言う理・ことなのであろう。
其の為の救済として、是から私の存在が必要であると言う事であり、其の為に「Tritarte fur・トライタルトファー」=「天蓋に内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠」との世界が、示されて来たのであろう。
其れは、私を捜し出して此の世界に入れた「土肥無庵」が、私に謂った「其の時が来たら 自適さんが台の上に立って 人々を導かなければ成らない。」との事が、現実と成ると言う事なのかも知れない。
だが、其の時点では、現在のIT社会は存在しなかったので、其れは現状には合っていない事に成り、私は既に、其の件を実行している事に成るのだ。
平成28年6月25日
礒邉自適
2016/6/24
新規雑学
28・6・24
今朝のメッセージの映像は、昨日に続いて故「藤山幸彦」が登場し、農業の研修会を開いて居り、講習が七割済んだところで休憩と成った。
そして、残り三割の作業が始まると、田畑に引き込む水路の水が、溜まり水で汚いので、使用出来ないで居ると、喜劇俳優の故「伴 淳三郎」が「アジャパー」のポーズで登場した。
私は、何処かの森林から、生きた水を導入して来なければ、田畑の植え付けが出来ないと考えている処で、今朝の映像は終わった。
そして、今朝のメッセージの意味を考えて居ると、「新規雑学」との言葉が告げられて来たので、私は「一休宗純禅師」の御霊と交流する為に創った「面白雑学」のブログの事を考え、「藤山幸彦」の存在が、一休宗純禅師の頓知の所為であるのかを思うと、そうではなく「Tri tarte fur・トライタルトファー」の一部である事が示されて来た。
「面白雑学」http://moon.ap.teacup.com/26660606/
そして、其れ等の事を考えて居ると、時刻を確認させられたので、照明を点けて時計を見ると、6時59分であり、其れは7時1分前でもあると考えた。
其れに、昨日1時29分に起こされたのは、正確に言うと、1時28分40秒位の所であり、29分の20秒程前である。
そして、其れまで映し出されて来た映像は、男性の事に付いて、書かれている文章の存在であった事を思い出した。
其れは、私自身(本来の意識)の誕生日が間近である事を示唆しており、其れは男性の本質と言うか、役割が明確に成る事を示しているのであろう。
昨日から、今朝のメッセージのテーマには、故「藤山幸彦」の存在がキー・鍵に成っている様である。
其の故藤山幸彦は生前、私と同じ松峰区に生活しており、私より12歳年上の亥年の人物で、他人を苦しませる強引な生き方をして財産を築いたものの、最後には被害者の恨みに因って殺され、栃木県の廃校の井戸に投げ込まれた人物である。
其の藤山幸彦が、昨夜から、未来創造に関わる研修場の「オナー・責任者」として、登場して来ている。
其れは、一口に謂うと、死後の世界で心を入れ替えて、未来社会の役に立てる理・ことが、示されて来ている事になる。
其の藤山幸彦は、警察の犯人逮捕で死体が発見された丁度一年後の2011年1月15日に、長男の夢枕に現れて「是からの事は 全て 礒邉自適に相談しろ」と告げて来ている。
其れに、行方不明(死亡日)に成った5月29日から二ヶ月目の7月29日に「日高雲平」氏の夢に、杉の丸太を担いで登場し、山林を守ってくれと知らせて来ている。
其れは、藤山幸彦が生前、屋久島の山岳の樹木を、パルプ用に前面伐採する仕事をして居た行為の、反省を示すモノであった。
2011/1/16・・今朝の映像は、最初に、船で海岸近くを航行して居ると、海岸の岩場に、殆ど裸状態の若い男女が20人程居て、貝・蜷などの食料を捜している様子だった。其れから、何処かの学校の廃校に向かい、住まいの無い若者達が住める様に、手配をしていた。机や、椅子が無い、木造の校舎を見て歩いて、職員室の方に行くと、30代の男性が一人事務係りをして居て、学校の施設を、芸術家の人達に提供しているのだが、誰も申し込み者が居ないとの事であった。 其れから、周囲を見て歩き、貯水プールに溜まっている落ち葉を掻き出したり、畑の土手や、耕地に無造作に置かれている、刈り草を整理したりした。其れから、住宅の部屋が映し出されて来て、誰かが着替えの為に、部屋の中の方々に脱ぎ捨ててある服を、畳んで片づけ掃除を始めた。 其の後、教室の中に、黒板が有るのが映し出されて来て、其の黒板には、相談に来た人達に対する答えが、部分 部分の細切れで、文字にて現れるので、私は其の単語を繋いで、意味を見出し、相談者に伝えていた。 今朝のメッセージの映像は、若者達が、食料や住まいに困る事を示して来ており、其の対策を、私に考えろとの事なのであろうか。しかし、今朝の映像では、若者達が、直接に施設の手入れや、畑の準備をするのではなく、私自身が一人で、全部の事を行なっていた。其の意味は、現代社会の若者は、学校で、机上の勉強はしているが、生活に関わる作業体験が、何も出来ない理・ことを、示して来ているのではないだろうか。 確かに、現代では都会だけではなく、農村や漁村でも、子供達が、親の作業を手伝う事はなく、部屋の中で、勉強やゲームをしている。だから、現在の若者は、農林漁業の作業だけではなく、刃物を研いだり、火を熾したり、食事を作ったり、縫い物をしたり等の経験が無いので、貨幣経済が停止し、自分の力で生きて行かなければ成らなく成った時に、生きる術が無いと言う事に成るのだろう。 昨夜は、17時28分に屋久島の藤山君より電話が有り、「今朝の夢に 自適さんが現れたので 何かと相談したい」との事であった。其の藤山君の父親は、屋久島のまつばんだ交通の社長で在ったのだが、2009年5月29日に、私が数年間、無料で提供を受けていた別荘から行方不明に成り、2010年1月15日に、栃木県鹿沼市の、廃校に成った小学校の古井戸から、遺体が発見されている。 昨日は、其の遺体発見日から、丸一年目の日なのである。何故、丸一年目の日に自分の父親ではなく、私の姿が、藤山君の夢に現れたのであろうか。其れは、私の意志は関係無いので、藤山君の父親の霊か、神霊が関わっているのであろう。其の藤山君の父親は、行方不明(死亡日)に成った5月29日から二ヶ月目の7月29日に、「日高雲平氏」の夢に現れており、其の事を日高雲平氏は、8月3日に私に報告に来ている。其の8月3日の日付は、私の両親と、母親のお腹の中に居た私が、屋久島に渡って64年目の記念日である。昨夜は、藤山君から電話が有った後、電話が有った事を「日高雲平氏」に知らせると、屋久島の共用林組合の会合が、いま終った処だと云うのである。 不思議な事に、「神籬と磐境」の文章に詳しく書いて有るが、藤山幸彦氏が日高雲平氏の夢に出て来た時には、杉山(共用林)の間伐材で作った丸太を、肩に担いで居て、「急いで 杉山の手入れをしてくれ」との意味を、伝えたとの事である。 何故、人工林の杉山の間伐を、急ぐ様に伝えて来たかを考えると、現在、温暖化に拠る大雨が降り、世界中で災害が多発している事と関係が有り、早く杉山の間 伐を進め、雑木の根が張る事を急がないと、大雨に拠る山崩れが頻繁に発生して、日本の国土は、大変な事に成るとの理・ことを、知らせて来ているのではない だろうか。日高雲平氏は、現在、安房地区共用林組合の会長で、屋久町の組合長の役職に就いている。其れに、安房出身の従兄弟である「岩川尚美氏」は、数年前まで「全国森林組合連合会」の代表理事でもあった。其れ等の関係を考えると、私の此れからの行動は、国土保全の事にまで、意識を配らなければ成らないのかも知れない。・・・
「若者の指導」http://green.ap.teacup.com/20060818/1804.html
2009/8/4・・今朝のメッセージの映像は、正に、其の自然の中に住む神の存在が、示されて来たモノ・現象ではないだろうか。其の様に考えると、今朝の映像で議長席に座っていた男性は、キリストを意味している事に成り、イエスの願いが成就する時節が近付いている事に成る。 不思議な事に、一昨日の昼間に、安房の日高雲平氏が事務所を訪ねて来て、「29日に とても不思議な夢を見たが 意味が判らないので 解釈を頼む」と云うのである。其の夢とは、現在行方不明に成っている藤山幸彦氏が、左肩に加工された杉の丸太を担いで現れて、額には「114」か「115」の数字が書かれていたとの事である。「114」の数字は、電話が通じない時の問い合わせ番号で、「115」は電報の番号である。其の番号が、額に書かれていたとの事は、人間界に対して、頭で考えている事を通信したい旨を示しているのだろう。藤山幸彦氏が行方不明に成ったのは、5月29日の事なので、7月29日は丁度二ヶ月目の日に当る。其れに、夢に出て来ると言う事は、既に彼の世の人間に成っている事を示唆している。 其れに、日高雲平氏は、屋久島の林業関係の会の役員でもあり、藤山幸彦氏は山岳信仰に熱心な方であり、以前は林業関係の仕事をして居た人間である。其の藤山幸彦氏が、日高雲平氏の夢に、加工された杉の丸太を担いで現れたと言う事は、杉の加工丸太は、間伐材を利用して作る物なので、日本の人口林を、どうにかしろとの事ではないだろうか。其れも、電報で知らせたいとの事であれば、緊急事態である事を示唆している。 価格が低迷して、間伐が成されていない人工林は、根の張りが無いので、多量に雨が降ると、土はとても崩れ易い状態に成る。今回、被害の有った山口県の水害も、其の杉の人工林が原因と成っている。是から、地球の温暖化が進んで多雨になれば、益々、杉の人工林は人間の暮らしに被害を齎すであろう。 其れに、昨日のNHKのニュースでは、反対にカナダでは空気が乾燥し、昨日500箇所もの山火事が発生しているとの事である。其れ等の事柄を考えると、今朝の映像で、森林の中を水が流れ下る風景は、人類に、森林の役割を良く考えろとの意味合いも、含まれているのかも知れない。 失われつつある、日本の伝統文化の「神籬」と「磐境」の価値観は、現在環境問題が盛んに叫ばれている世情で、世界に広めて良い、最大のテーマであると言う事に成る。縦書きの文章と、鶏の飼い方は、日本国内の問題であっても、地球の水の循環を護る事は、人類共通の問題である。其れを考えると、今朝の会議は「国際会議」であり、今回の大権は、地球全体に対してのモノであると言えるであろう。・・・
「神籬と磐境」http://green.ap.teacup.com/20060818/1228.html
2016/1/7・・其のうちに、同級生が十数名集まって来たので、記念写真を撮ろうと言う事になり、皆が土手の上に並び始めると、一巡り(12歳)上の故「藤山幸彦」が遣って来て、其の列に加わろうとするので、私は其の幸彦に「貴方は何しに来たのか」と質問して居た。そして、二人で少し離れた場所で話を始めると、其の横に棚が有って、其の棚の上には埃を被った「メジャー・巻尺・スケール」や「コンパス・方位磁針(ほういじしん)」などが、20個程置かれていた。そして、最後に「そうぞうしん・創造神」との言葉が告げられて来た。・・・
「創造神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3718.html
2010/1/28・・其れを、どの様にしたら、人間サイドが見える様に成るかが、「三うら純」との言葉ではないだろうか。「三うら」とは、此の現象世界と言うか、色・シキの世界には「三の裏」が有るとの理・ことだろう。
其れは、密教の「三密」の世界に関係が有るのではないだろうか。密教の三密とは、「身・口・意(仏語。動作を行う身と、言語表現を行う口と、精神作用をなす心。)」である。しかし、今朝は「三密」とは告げて来ないで、「三うら純」と告げて来たのだから、「純」なモノを、三つ考えなければ成らない。私に取って、「純」で有らなければ成らない三つの裏・浦とは、「純粋な魂」「純粋な情報」「純粋な物・肉体」である。其れ等の、純粋なモノが裏に三つ揃えば、此の表である現象世界は、レベルの高い神の世界と成るのではないだろうか。 しかし、其の磁気情報の土台には、138億年前に始まった「ビッグバン・阿弥陀」の情報が有り、其の情報は全宇宙に充満しているのである。そして、其の情報から籠目の目である「トカゲ」の目が、人間の意識の中に映されて来るのである。しかし、其の蜥蜴・トカゲの目は、宇宙意識が見せて来るのではなく、我々の肉体の中に在る、古皮質のトカゲ脳が、自分を思い出しているに過ぎないのだ。だからこそ、宇宙意識と合体して「悟る・差を取る・解脱」事を、「覚醒・覚者・ブッダ」と言うのである。其れは、此の我々が住む三次元世界は、現実と成る前に、宇宙の情報に前に組み込まれていると言う事である。其れが、人間の無意識に読み込まれて、意識に浮かび上がり、予言と成るのである。其の宇宙のシステムを考えると、未来世界は、現在を生きる我々が、原因を創っている事に成るのである。 今朝は、明け方に、此処のところ全国放送のニュースに報道されていた、屋久島の会社社長である「藤山幸彦氏」がメッセージに現れて来た。藤山幸彦氏は、私の実家近くの人間で、私より一巡り上の74歳であり、私が数年住んでいた平内の別荘の持ち主である。其の、藤山幸彦氏が殺害されたのは、本人の強引な手法に原因が有るので、或る面自業自得であるが、私は一昨年問題が発生した時に、「幸彦さん 神が最後に反省のチャンスを与えてくれているのだから 反省したらどうか」と注意したが、其の時には耳を貸さなかったのである。 其れが、葬式が終わって丁度一週間目の今朝現れて、安房弁で「わぁ(あなた)の為だった」云うのである。其れは、生前に何度も私に迷惑を掛けて来たので、其の言い訳をしに来たのであろう。しかし、確かに藤山幸彦氏は、私の反面教師を努めてくれた事は確かである。其れと反対に、私の精神レベルを上げくれた日吉眞夫氏は、一昨年の11月20日が葬式だったが、やはり一週間目に私の夢に現れて、未来の文化を頼むと告げて来た。・・・
「天津霊継ぎの文章」http://green.ap.teacup.com/20060818/1419.html
2013/12/19・・次の場面は、屋久島の私が育った村の風景であり、北(山の方)から、南(海の方)を見ている場面で、其処には縦3m、横6mくらいの黒い岩が立っており、其の岩は、同じ村に住んで居た、私より12歳上の藤山氏が立てた物である事が、左半分に彫刻されていた。そして、右半分は、少し角度が付いているので、右側に回り込んで見ると、何故か、右半分には私の名前である「礒邉自適」の名が有り、私の事や、私の言葉である四文字言葉などが刻まれていた。 今朝のメッセージの映像は、其れだけである。其の映像の意味は、私にも良くは判らないが、最初の場面は、南側・日の当たる側から見た世界「昼間・天照界」であり、後の場面は、北側・逆光で見る場面なので、「調読界・冥界」を意味している様な気がする。・・ 最初の映像は、血液の流の中の赤血球の様な物だったので、西洋の概念に有る「生命樹」の様なモノ・世界を意味し、「いのち・魂しい」の流と言うか、人類の歴史の様な意味が有るのではないだろうか。そして、其の球が部分的に集結するのは、「時代・とき」の節目と言うか、人間の精神が進化する時の「仏陀フィールド」を示唆しているのかも知れない。
次の男性二人の場面は、旧約聖書にある「アベル」と「カイン」の物語や、私と弟の関係性の様なモノを意味しており、同じ両親から生まれた兄弟であっても、性格や性質が異なる理・ことを示している様な気がする。其れに、今朝の兄弟の雰囲気(モチベーション)からすると、動と静の働きを対象として現している様に想える。 最後の岩の場面は、岩に刻まれている情報なので、アカシックレコードか冥界の情報を意味しているのではないだろうか。其れに、其の岩が、正面側に角度が有って、左右にずれていたのは、霊界にも、左右の局面が有る理・ことを示唆しているのであろう。其の石碑が、藤山氏が建立した事が記されていたのは、藤山氏が屋久島で事業を興し、一代で財を築いている事が、霊界でも認知済みである理・ことを示唆しているのであろう。そして、其の建て主である藤山氏が、右半分の方に私の事を刻んでいたのは、三次元世界・此の世で、事業で成功するよりも、精神世界で成功(自分の意識を完成する)方が、神の世界・冥界・絶対界では上位である理・ことを、示唆しているのであろう。・・・「相対的対象性」http://green.ap.teacup.com/20060818/2906.html
2009/4/26・・其の理・ことを考えると、今朝現れた「生命認識バロメーター」の映像は、人間の生命だけではなく、40億年前±2億年に「ミネラルの海(粘土水)」から誕生した、微生物から「枝分かれ(スサの尾・穂)」している、地球生命全体から齎された、危険シグナルだったのではないだろうか。其の様に考えると、4月24日から始まった「道場」のイメージは、人間だけのものではなく、地球生命全体の「タオ-ステージ」であると言う事になって来る。其の様に考えると、老子の謂う「タオ・道」や、釈迦牟尼佛の謂う「ダルマ・法」や、イエスキリストの謂う「永遠のいのち」の世界が、三日前から本格的に始動している事に成る。
しかし、今朝のメッセージの映像に現れた「生命認識メーター ?」は、簡単な内容のモノではないだろう。何故なら、25年もの歳月を掛けて、神霊が此処まで持ち込んで来た、私の意識に告げられて来たモノである。 其れは、中国の老子の存在から始まった、陰陽を表わす二元論の「タオ・道」のマークの様に、単純なモノではない。其れは、シュメール文化のマークである、16菊花紋の理よりも、更に意味深いモノであり、しかも固定している物ではなく、メーターが付いて「トキ・事象」の動きが伴っているモノである。・・・
「道場(タオ-ステージ)3」http://green.ap.teacup.com/20060818/1121.html
2005/5/3・・私は、現在平内に住んでいる。その家は、屋久島の「まつばんだ交通」の社長の持ち家で、朝日が昇る景色と、夕陽が沈む景色を眺められる、海岸の高台に有る。 私が、その家を始めて見たのは2003年1月3日である。其の日、安房の自宅に居ると、まつばんだ交通社長「藤山幸彦氏」が遣って来て、話をしている間に、「平内に別荘を買ったので 見に行こう」と言うので、一緒に社長の車で見に行く事に成った。そして、別荘に着いて部屋に入り、備えられていた台の上に有る蝋燭に火を灯し、線香を焚いて手を合わすと、いきなり【此処から佛が出る】と、言葉が告げられて来た。私は、その事を、藤山氏に告げずに黙っていた。其れは、私自身にも何の事か、その時点では判らなかったからである。それが今年になって、2月27日に、久し振りに安房の自宅に帰っていると、藤山氏が遣って来て、話をしている間に「平内の家に住んでも良い」と言ってくださり、直ぐに車から鍵を持って来て渡してくれた。そして、私は3月1日から、其の家を正式に借りる事に成ったのである。・・・「新しきすまい」http://moon.ap.teacup.com/20061108/410.html
此の文章の「此処から佛が出る」との事が、是から本番に成ると言う事であり、其れは新次元の「ブッダ・仏陀・ほとけ」が登場するとの事であり、其の新次元の「政・まつりごと」に此の私の存在が、関わりを持っている事に成るのであろう。
其れに、此の文章を書いた日が2005年5月3日である事を考えると、其の5月3日は「憲法記念日」であり、私の息子「崇靖・しゅうせい(高き所に立ち 国をやすらかにするの意)」の16歳の誕生日でもあるので、国家の行く末にも関係が有るのだろう。
其れに、今朝のメッセージの映像で藤山幸彦が七割の下準備の為に、田畑を耕して居たのは、「耕・コウ」英語が「カルチ・cultivator」の意味であるので、「文化・カルチャー(culture)」と関係があるのだろう。
2012/7/4・・今朝のテーマを、英語に言い換えると「カルチ(cultivator )・イベント(event)」と成るであろう。其れは、新しい文化・カルチャーを興すイベントを、企画する必要が有る理・ことを、示して来ているのではないだろうか。其れも、漏れなく、深く、隅々まで、丁寧に行う事である。そして、古い根株を粉々に砕き、新しい苗を植える事である。 其の意味は、是までの社会文化の有り様を、根本の所から粉砕して、深く耕したグランドに、新しい苗を植えて、新芽・ニューカルチャーを、育てなければ成らない理・ことを意味している。・・・
「耕耘と祭り」http://green.ap.teacup.com/20060818/
そして、仕上げの三割に関して喜劇役者の「伴 淳三郎」が登場したので、調べると次の様に載っている。
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、本名:鈴木 寛定(すずき ひろさだ)、1908年1月10日 - 1981年10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。息子はスタイリストの山本康一郎。ウィキペディアフリー百科辞典2016/6/24現在
本名「寛定・ひろさだ」の漢字を調べると次の様に載っている。
「寛・カン」【解字】形声。「宀+莧」音符の莧・カンは、角と目とを強調した、やぎの象形。小屋の中にゆったりとしているやぎのさまから、ひろいの意味を表す。
【字義】@ひろい。㋐家などが広い。㋑心がゆったりしてゆとりがある。度量がゆたか。㋒ゆるい。ゆるやか。また、また、のびやか。おだやか。Aゆるやかにする。ゆるめる。ゆるす。Bくつろぐ。のんびりする。
「定・テイ・ジョウ」【解字】形声。「宀+正」音符の正は、まっすぐの意味。のちに、少し変形した。家屋がまっすぐに建つ、さだまるの意味を表す。
【字義】@さだまる。㋐安らかになる。静まる。落ち着く。「安定」㋑止まる。
㋒成る。できあがる。㋓まとまる。帰着する。Aさだめる。㋐安らかにする。治める。㋑整える。正す。また、きめる。㋒平らげる。「平定」㋓やめる。Bさだめ。㋐きまり。規則。㋑運命。Cさだめて。必ず。
D仏教。雑念を去って無念夢想の境地に入る。「禅定」
国語。@さだめ。㋐決定。 ㋑約束。Aさだか。たしかである。はっきり。
漢語林より
此の「寛・定」の漢字の意味からすると、私が其の「寛定」の漢字の意味の様に、在らなければ成らないと言う事なのであろう。
昨日と今朝のメッセージに、嫌われ者であった故藤山幸彦が登場した事を考えると、「日月神示・天津日嗣神事」に、日本から今回登場する「148の救世主」の存在は「善悪併せ呑む」働きをするとの理・ことが記されている事と関係が有り、新時代の仏陀とは、善悪の世界を統合する能力を、有している存在であると言う事に成るのであろう。
「天津霊継ぎの文章」2010年1月28日の、1月28日の数字は、昨日未明に私が起こされた時間とも同じであり、其の日のメッセージの「純で有らなければ成らない三つの裏・浦」は、21日の三つの「タルト・トルクウェーレ torquēre (捩る、丸める)」と関係が有りそうである。
其れに、其の文章には、・・藤山幸彦が葬式が終わって、丁度一週間目の今朝現れて、安房弁で「わぁ(あなた)の為だった」と私に告げた。・・との事が書いて有る。
其れは、「Tri・tarte・fur・トライ タルト ファー」の世界の真実が示されて来ており、悪い人間(ばか者)の行いは「死んでも直らない」との諺を、変える必要があるとの事になる。
其の事を考えると、今朝告げられて来た「新規雑学」との言葉は、私が是から「寛定・カンジョウ」の精神にて、様々な物事を処して行かなければ成らないと言う事であり、是までの様に、神霊のメッセージに頼るのではなく、自分の考えで、事に当たって行く必要があると言う事ではないだろうか。
其れは「新しい寛定奉行」に成らなければ成らないと、言う事に成るのではないだろうか。 「アジャパー」
平成28年6月24日
礒邉自適
2016/6/14
グレート・ストーリー・オープン
28・6・14
昨夜は、眠る為に目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
其れは、私が何処かの地下室に居る男性達の所に、自分が書いた文章を届けなければ成らない場面であった。
眠ってからの映像は、何処かに大きな配送センターの様な建物が有って、其の広い施設の中を覗くと、アラブ人の様な男性が働いており、自然素材で作られたTシャツなどの生活必需品が、澤山ストックされており、其処から各地に配送される事が判った。
其して、明け方には「ヒスボラ」との言葉が告げられて来て、次に「アクドラ」との言葉が告げられて来た。
そして、起こされた時間を確認すると「5時23分」であり、私は其の数字を「523・いつふみ 何時文」と記憶し、其れは「ゴー兄さん」とも読めると思った。
今朝はPCを立ち上げると「宝の島発動」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「宝の島が 発動します
其れは 貴方の準備が出来たからです
物事には 段取りが必要です
其の事で 16年半が倍の長さに 伸びて来たのです
貴方自身も 2000年の頃の認識と
現在の 其れが 違っている事は 自覚できるでしょう
貴方に 間違いが有れば
全ての事が 崩れ去ってしまいます
ですから 此方も
慎重に成らざるを 得なかったのです
時が 満ちたと言うよりも
貴方の認識が 深まったと言う事であり
此処から先は 貴方自身の考えが 必要に成って来るのです
其れは 貴方の是までの 32年間の体験学習で
何をどうすれば良いかが 判るでしょう
貴方の 是からの言葉が 此方を動かす事に成るので
其処のところを 十二分に考慮して 意識を動かしなさいね
其の事 次第で 屋久島のみやしろ(御社)も
動き出す事に 成ります
良いですか 落ち着いて 考えるのですよ
2016/6/14「宝の島発動」http://moon.ap.teacup.com/20060103/721.html
其れで、女神のブログにアップする写真を必要としたので、調べると次の文章が出て来て、其の題が「グレート・ソーイング」で、内容が今朝の女神のメッセージと関係が有りそうである。
2004/12/9 昨日は、20年振りに、屋久島の「太忠岳(1497m)」に登った。20年前に登った時は、時間に余裕が有ったので、峰伝いに隣の「花折岳」まで足を伸ばし、頂上の岩の上で暫く瞑想をして帰った。そして、其の日の夜中に、突然「石塚の 四方の山にたずねても 答へかえらじ 我が身に聴けよ」と、告げられた事が有った。 其れから長年、石塚山の神社に参拝したいと想って居たので、今回は「石塚岳(1589m)」にまで足を伸ばし、岩座・いわくらに祭られている「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」「伊邪那美命・いざなみのみこと」の二神を祭る、祠に参拝する事が出来た。 私は、石塚山の岩座を初めて見て、驚きを覚えた。私は、18年間全国を旅をして、各地の岩座を見て来たが、大きさと云い、造形と云い、是以上の岩座を見た事が無い。 大きさを競うだけなら、他にも其れ以上の磐座が在るだろうし、高さだけなら太忠岳の天柱石の方が高い。石塚の岩座は、何者かの意思が働いて、造られた様な感じを受ける程の、不思議さが在る。縦横十数メートルの大きな岩が、真二つに割れ、中心に1メートルくらいの隙間が開いて、上部には屋根が残され、祠を祭っている奥には、丈夫な壁までもが備わっているのである。 昨日も、山に登るに先立って、未明にメッセージが有った。霊夢に、広い畑が映って来て、土地がトラクターで柔らかく耕されている。そして、其の畑の一面に条畝が立てられ、麦の種蒔きが始まった。何十畝を、一遍に種蒔き出来る機械が来て、私が、其の機械の左端を持ってコントロールする事に成った。他の人が、右端と中間にも付いて、回転しながら進む機械が播種を続け、畑の端まで辿り着いた。すると、年輩の男性が現れて、私の所に遣って来た。 そして、種子が撒かれた畝を見て、「途中で 貴方が曲がったので、全部が同じ様に曲がって 種子が撒かれてしまった」と云う。私は、そう云われて、後を見ると、確かに、全体が私の曲がった所で、曲がってしまい、条畝から外れてしまっている。其の事で、私は、自分が曲がって進むと、全体もまた曲がってしまう理を知らされた。そして、私の役目の位置は、一番左側である事も知った。左側を進むとは、左大臣と同じ役目だから、精神的な役割を意味している。 昨日のメッセージは、映像の後に「グレート・ソーイング」と言葉が有って、「ソーイング」のスペルである「Sewing」が映って来た。朝出発の前に、辞典で「ソーイング」を調べると、「縫うこと。裁縫。」と載っている。「グレート」は、「great」で、「大きいさま。偉大なさま。」の意味なので、「グレート・ソーイング」とは、「偉大な裁縫」との意味であり、其の意味なら、条畝を一遍に何十条も回転しながら、種蒔きした映像は、合致している事にも成る。昨日のメッセージは、私の役割が、偉大な裁縫のコントロールを左端でする事であることを、告げて来ていると想われる。
石塚岳に参詣する朝、何故、この様なメッセージが有ったのだろうか。石塚に祭られている、神の動きが関係有るのだろうか。「ソーイング」が縫う事であるなら、日本の惟神の道の「むすび」と、佛教の教えの「縁」の概念と同じ様な気もして来る。・・・
「グレート・ソーイング」http://star.ap.teacup.com/170606/1113.html
今朝は、先ず「ヒズボラ」を調べると、「日本の報道機関ではヒズボラと表記される事が多いが、アラビア語の発音ではヒズブッラー、ヒズボッラー。アラビア語で【神の党】を意味する。」と、載っている。
此の「ヒズブッラー」が「神の党」の意味である事を考えると、昨夜のビジョンで、私が何処かの地下室に居る男性達に自分の文章を届ける場面は、其の「ヒズブッラー・神の党」を名乗る組織の人達に、真実の神の意思を伝えなければ成らない事を、意味している事に成りそうである。
そして、其の私の文章の内容には、自然素材で出来ている生活物資の流通が必要である事が記されており、其れに拠って、神の意思が人間社会に実現されると言う事なのではないだろうか。
其れは、4月9日に告げられて来た「改革」とのメッセージと関係が有り、今朝告げられて来たもう一つの言葉「アクドラ」が、「開くドラマ(新しい神の脚本)」を意味し、私の言葉によって「グレート・ストーリー」が始まるという事に成るのではないだろうか。
2016/4/9・・其れは、人間には覚醒・さとりは重要な事ではあるが、現実世界である人間社会の整理や仕組みの編成が、もっと大事であるとの理・ことの様である。 今朝のメッセージの映像には、室内には何も無い、鉄筋コンクリート造りの二階建ての建物が映し出されて来て、其の室内に、事務所や会議室や応接間に使用する、様々な備品・機器が持ち込まれる場面が映し出されて来た。其の人達の中に私も加わって居り、私は、其の備品の配置を話し合いながら決めていた。そして、ある程度の設備が整うと、20名程の働き盛りの男性達が集まって来て、仕事が始まる様子が示されて来た。 次の映像には、土地の分布の映像が映し出されて来て、其の土地が、部族毎の規模に合わせて、分割・割り当てられる様子が示されて来た。其れは、現在の中国の様に、主義・イデオロギーに拠って、国家が編成・統一されるのではなく、其々の部族毎に「くに・国・州・郷」が運営されると言う理・ことである・・・
「改革の指示」http://green.ap.teacup.com/20060818/3812.html
昨日の夕刻に、前日の昼寝の時に映し出されて来た、文章の書き出しに「尊」に似た漢字が有って、其の文字は、角が生えた人物の象形の様であった事が気に成ったので、漢語林で「尊」を調べると、尊の漢字は「神に捧げる酒樽を 両手で捧げている人物」の象形である事が判り、其の差し上げた両手が、頭から生えている角の様に見えた物である事が理解されて来た。
どうやら、一昨日の昼寝の時に映し出されて来た、私が書いた物ではない文章の存在と、其の文章の書き出しの「尊」の漢字の意味を考えると、昨日のメッセージの映像で、私と一緒に「日本語・大和言葉」の情報発信基地に赴任した男性は、「○○尊」と呼ばれる存在であった事に成るのではないだろうか。
其れが、阿吽の「吽・ユニコーン」であり、私が其の存在と対等に扱われて居たのは、私も同じ様な立場に至った事に成るのであろう。
其れは、私の言葉が正しく成ったと言うか、過ちが無くなって来たと言う事であり、其の所為で、今朝の女神の言葉が告げられて来たモノと思える。
今朝は「尊」の漢字を検索すると、昨年の11月27日の文章が出て来た。
2015/11/27・・「尊・ソン・たっとい・とうとい」【解字】形声。「酋+寸」音符の寸は、ずんぐりとした親指の象形。酋は、酒樽の象形。ずんぐりとした酒だるの意味を表す。篆文は、酋+廾の会意。廾は、両手の象形。両手で酒だるをささげて、たっとぶの意味を表す。【字義】@たっとい。とうとい。身分・価値・品位が高く近寄りがたい。⇔卑。Aたかい。また、重い。Bたっとぶ。とうとぶ。うやまう。重んずる。「尊重」Cたかぶる。「尊大」D敬称の一つ。他人に関する事物の上につけて敬意を表す。「尊顔」Eたる(樽)。酒だる。(国)みこと。神や貴人の敬称。「日本武尊・・・」 漢語林
今朝のメッセージの映像は、大地が存在しなければ作物・食べ物が造れない事や、車が走れない事。其れに、縁側で暖かい太陽の光りを浴びながら生活を楽しむ事が出来ない理・こと等が、示されて来ている様である。 其れは、一昨日の文章に書いた、「何れにしても、私は、屋久島に生まれ育って居なければ、現在・いまの自分は存在しない事は顕かである。其れを考えると、 我々人間は環境の産物である事は間違い無い。」との事と関係が有り、此の地球の大地が存在するからこそ、我々は生きる事が出来るし、人間の意識が組み込ま れ、精神が養われている事にも成るのである。 其れを考えると、確かに我々は目に見えない神仏の存在を崇めるよりも、此の地球の大地に対して、「Bたっとぶ。とうとぶ。うやまう。重んずる。」気持ちを持たなければ成らないと言う事になる。其れは、ネイティブ・アメリカンの考えや、世界中の古代人の価値観に通じるモノであるので、人類の意識の原点でもあると謂えるだろう。 其れを考えると、私は、其の世界に通じていると言うか、「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」している事に成り、世界自然遺産に登録され る様な自然環境に恵まれた屋久島に産まれ育った事に、感謝をしなければ成らないと言う事に成り、幸せな人間であると言う事に成る。
「陸尊」http://green.ap.teacup.com/20060818/3672.html
今朝の女神の言葉からすると、私の意識と言うか、物事に対する私の認識・判断に、過ちが無くなって来たので、ようやく本番に入れると言う事であり、是からは、私の価値判断で神々が動くので、私は落ち着いて物事を考えなければ成らないと言う事になる。
其れは、是までは、何事も「天神・てんのはたらき」の所為にして責任逃れ出来た事が、一切出来ないと言う事であり、私が自分で責任を持てる言葉しか、言葉や文章に出来ないと言う事に成るのであろう。
其れこそが、「天津日嗣の詔勅(みことのり)」の世界であると言う事に、成るのではないだろうか。
そして、其の言葉の背景に、屋久島の山岳と、其処を「神籬・ひもろぎ」「磐境・いわさか」とする神々が存在すると言う事に、成るのではないだろうか。
2001/2/21「神籬(ひもろぎ)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/70.html
2001/2/21「磐境・いわさか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/564.html
平成28年6月14日
礒邉自適
2016/6/11
三つの重要事
28・6・11
今朝のメッセージは、昨日、シリウス粒子の禊ぎが行われた所為か、今朝は其の続きの様な世界が映し出されて来た。
今朝は、先ず、昨日の銀色の粒子が、暗い(玄)世界で渦巻いている様子が映し出されて来て、其の粒子の渦の中から「三つの重要素」を取り出さなければ成らない事が示されて来た。
それで、私は、老子の謂う「三宝」や仏教の「三宝(仏・法・僧)」、其れに政治の「三権分立(立法・行政・司法)」等の事を思ったが、其れ等の物とは一切関係が無く、全く新しい分野を、考えなければ成らない事が理解されて来た。
老子「我に三宝有り」http://moon.ap.teacup.com/20061108/150.html
其れから、次々に映像場面が映し出されて来た。
先ず、人間が品種改良を続けて来た、輓馬競技(ばんばきょうぎ )に出場する様な大きな馬が一頭、不必要に成ったので、野に放たれている場面が映し出されて来て、其の馬は、子馬の時から是まで人間に飼われていたので、野に放たれて自由に成っても、草を食べようとはしないし、自分で歩き出そうともしないのである。
私は、其の馬が其の儘では死んでしまうので、手綱を付けて家に連れて帰り、桶の中に餌を入れて、水を混ぜて与えた。
処が、其の馬は、私が桶に入れた餌の内容が悪いのか、水分の量が多すぎる所為か判らないが、餌を全く食べないのである。
其れで私は、以前の飼い主が、どの様な餌を与えていたのかを考えていた。
次の映像は、私が鶏舎の前の地面に、鶏用の配合飼料を一回に多く撒くと、残っている地面の餌が、雨が降って来て濡れてしまった。
すると、一度濡れてしまった餌は、鶏が食べないのである。
其の原因は、餌の穀物が粒ではなく、粉末状態である為に、粒状態の物は選んで食べてしまった後なので、残っている粉末状態の物は、べと着いたり固まっている為に、嘴で食べ難い為である事が判った。
次の映像は、人間の食べ物であるジャガイモが、収穫されている場面が映し出されて来た。
次に、其のジャガイモが料理されて、食べ残されていた鍋の蓋を私が開けると、凄い腐敗臭がするので、私は急いで蓋を閉じた。
そして、食べ物の残債が澤山容器の中に溜まっており、何処かに捨てに行かなければ成らない様子が示されて来た。
其れから、建物が映し出されて来て、其の建物の室内は、荷物の整理や掃除が出来ていないので、足の踏み場も無い状態であった。
次に、人間の会議の様子が映し出されて来たが、嘘が多い為に何等良い結論が見出せない儘、其の会議は終わってしまった。
其れから、「レイアウト」との言葉が告げられて来た。
其れから、仕事仲間の様な雰囲気の人達が、横に並んで居る集合写真が映し出されて来たが、其の人達の関係には、仲が悪い間柄の人間が居るのだが、お金を貰う為に、仕方なく一緒に働いている事が示されて来た。
次に、仲の良い家族の集合写真が一枚映し出されて来て、今朝の映像は終わった。
今朝、早速「レイアウト」を調べると、次の様に辞典に載っている。
「レイアウトlayout」
地取り、配置、割付けなどと訳される。デザイン活動一般においては、特定の平面上に構成要素の個々を美的かつ効果的に配列し配置するという行為を意味する。建築設計、造園設計、インテリア・デザイン、ディスプレー・デザインなどの領域において用いられる際のレイアウトという概念は、おおむねこれにあたる。グラフィック・デザインにおいては、レイアウトという作業が、その中枢をなす。グラフィック・デザインのレイアウト作業は、特定の紙面上に、文字群と画像群とを、完成時の仕上がりを想定しつつ美的かつ効果的に配置することである。具体的には、各種の図版原稿の配列を考え、大小関係を勘案しつつ個々の位置関係を定め、見出し、小見出し、本文などの文字の大小関係や位置関係をも定めてゆく。その際、全体的に有機的な連関を形づくるよう配慮することも不可欠である。レイアウトでは、タイポグラフィやイラストレーションに関する理解力が必須(ひっす)であるが、また、版下、製版、印刷、製本、断截(だんさい)などについての技術的知識も看過しえない。[武井邦彦]
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
今朝のメッセージの映像から、私が感じる事を書き出して行くと、次の様な事になる。
・人間が飼いならして、家畜化した動物は、元の自然に返しても、情報が再生出来ないので、生きて行けない。
・「馬」は、両生類から2億2500万年前に派生した、原始哺乳類のネズミの様な「アデロバシレウス」から進化して来た哺乳動物である。
・「鳥」は、2億5000万年前に誕生した恐竜の子孫である。
・作物を自分で栽培し、貯蔵するのは人類だけであり、調理や煮炊きをするのも人間だけであり、故に、食べ物を無駄に腐らすのも人間だけである。
そして、生ごみを発生するのも人間だけである。
・生活の為に、住居を建てたり、家具類を整えるのは人間だけであり、物の整理整頓が必要なのも人間だけである。
・話し合いの場である会議を必要とし、言葉に拠る嘘をつくのも人間だけである。
・動物は、嫌な相手が存在する場を避けるが、人間は嫌な相手が傍に居ても、お金の為や生きる為に我慢をする。
・人間は、家族を大切にして数を増やし、一族を形成して、村落を造って行く。
今朝の「愉伽さん」のビジョンも、私と連動しているのか、人間社会の事に付いて、映し出されて来たとの事である。
其れは、次の様な場面である。
・風呂に入る、歯磨きをする。手芸など趣味を楽しむ。髪を結う(髪型を変える)。流れ作業をする人達の場面。
其して、様々な色の刺繍糸が出てきて、其れを人の手によって、織物が編み上げられている様子が、映し出されて来たと言う事である。
これ等の事柄から、今朝最初に示されて来た「三つの重要事」を、どの様に導き出せば良いのであろうか。
思い付く事を書き出すと、次の様な項目と成る。
・生命の仕組み。生命の歴史。生命の進化。生命への尊厳。
・人間の生活。人間の社会性。人間の精神。
・自然の仕組み。地球環境。
考えて見れば、今朝のメッセージには、近代社会的な言葉である、政治・宗教・思想・教育・学問・文化・文明・芸術・経済・流通・運輸・金融・医療・健康・保険・マスコミ出版・等々の世界は、何も示されて来ていないので、人間の存在と言うか、生存に付いて、原点の所(源)に付いて、示唆されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝のメッセージでの指示は、昨日の「天津日嗣の完成」の事と関係が有り、「一・元・はじめ」から、人類全体が共有できる価値観と言うか、認識パターンを組み上げろと言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝告げられて来た唯一の単語である「レイアウト」との言葉が意味を持って来るし、其の事を私自身が考えると言うか、新しい認識パターンを創造しなければ成らないと言う事に成って来る。
私は、1997年11月1日に京都市から出雲に引越して、安部忠弘氏と一緒に「出雲学びの家」を開設し、学びのノーハウを創った。
其れは、中心の丸を「霊完」として、其の外側の丸を「精神・知識・肉体」に三分割したカリキュラムである。
「自適塾」http://jite-jyu.main.jp/yjj.html
其れから、既に19年が経過しているが、今朝のメッセージの内容は、以前にイメージした「霊留・ひと・人」の完成との世界ではなく、宇宙レベルと言うか、森羅万象の流転に関わりを持つ世界が、始まっている様な気がする。
其れを考えると、「人間は 万物の霊長である」との言葉を再認識して、責任有る行動を、始めなければならないと言う事に成るのであろう。
そして、老子の謂う「玄」から生じた「道・タオ」の世界を、三分割して行かなければ成らないのであろう。
2006/8/28・・始めの映像に、パソコンの画面が現れ、横向きに小さな小窓が三つ並んでいて、左から一・二・三の番の順位が付いていた。私は、先ず、一番右側の小窓をクイックすると、人間の名簿や、集会所のリストや、必要な物の資料が出て来た。 次に、中の窓をクイックすると、狭い戸から、自転車を外に出す場面が現れた。無事に、自転車を外に出したので、最後に、左側の小窓をクイックすると「f」の文字が一つだけ現れた。そして、「f分の1」の言葉が頭に浮かんだ。朝起きて、其れ等の意味を考えると、老子の言葉を思い出した。老子の「初めに 一が有り 其の一から二が生まれ 其の二から三が生まれ 其の三から 全てが生まれた」と言うものである。其れに、照らし合わせて考えれば、初めに開けた、右側の三番目の世界が老子の謂う「全てが生まれる」世界で、人や社会や物が動く世界である。・・・
「三つの窓」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/467.html
2011/12/1・・今朝のメッセージは、三日続けて、三つが一組に成っている物が、映し出されて来た。今朝の映像には、奈良の国宝に成っている阿修羅像の様に、顔が三面に成っている人物の顔が、映し出されて来た。
其の事を考えると、今朝のメッセージに「三面宿儺」が現れたのは、人類が進む道を、選択しなければ成らない時節を、迎えている事を示唆しているのではないだろうか。・・
仕事を全て止めて、家族とも別れ、自分の持ち物を全て整理した。其れから、新しい自分の世界が始まったのである。其の、私の行動と同じ事が、是から、皆に必要な時代を迎えるのではないだろうか。其れは、アマゾンの奥地や、アフリカの草原や、アメリカのホピ族や、蒙古の草原などに暮らす人々には関係無いが、近代社会である都会に住んで居る人々は、何等かの手段をとる必要があるだろう。今日で、「3・三・参」の数に関わる世界が三日続けて示されて来た。3の数字は、一人歩きするとの云われも有るし、中国の老子の言葉には「初めに一が有り 一から二が生まれ 二から三が生まれ 三から全てが生まれた」と有る。・・・
「三面宿儺・さんめんすくな」http://green.ap.teacup.com/20060818/2138.html
今朝のメッセージは、どうやら老子と関係が有り、新しい「道・タオ」の世界を、玄(くら)い銀色の粒子の中から、取り出さなければ成らないとの事の様である。
老子第一章「真理は固定したものではない」
道可道、非常道 名可名、非常名無名天地之始 有名万物之母 故常無欲以観其妙 常有欲以観其徼 此両者同出而異名 同謂之玄 玄之又玄衆妙之門
現代語訳
道の道とすべきは、常の道にあらず。 名の名とすべきは、常の名にあらず無は天地の始に名づけ有は万物の母に名づく故に常に無は以ってその妙を観(シメ)さんと欲し、常に有は以ってその徼(キョウ)を観(シメ)さんと欲すこの両者は同出にして、名を異にする同じく之を玄と謂う 玄の又玄、衆妙の門なり
解釈
これこそ真の道(原理)であるといえる「道」は、絶対不変の固定した道ではない。これこそ真の名(ことば)であるといえる「名」は、絶対不変の固定した名ではない。
「無」とは天地の始め、つまり物が現象する以前の状態を指すことばであり、「有」とは万物の母、つまり万物が万物として現象する状態を指すことばである。
「無」はつねに現象(有)として現れようとし、「有」はつねに現象以前の状態(無)に帰ろうとする。
「無」と「有」とは、つまり同じものなのだが、われわれの知覚に上る場合を異にすることによって、違った名が与えられているのである。
「無」と「有」、この両者の対立と転化の動きを含んで、止むことなく運行する根源的なもの、そのもの自体は奥深くて測り知れないから、「玄」としか形容することができない。その根元的な玄なるものから、森羅万象が現れるのである。
徳間書店 中国の思想「老子・列子」奥平卓訳
此の「常に 有は以って その徼(キョウ)を観(シメ)さんと欲す」との文章からすると、正に、今朝私が見せられて居た世界は、其の「有」の現場であったと謂う事に成り、私は2600年前に老子が観た世界を、観て居た事に成る。
「徼・キョウ」【解字】形声。「行+敫」音符の敫・キョウは、白い光が流れていくさま。光が流れていく・めぐるの意味を表す。
【字義】(一)@めぐる。見まわる。Aもとめる。Bうかがう。Cさえぎる。(二)めぐる。Aみまわりの兵。Bみち。こみち。C国境。
漢語林より
私が、「出雲学びの家」で始めた学びは「昡学・ひがく」であった。
今日は、其のテーマが正しかったと言う事に成り、19年振りに、私の本分が復帰して来た事に成る様である。
1998/6/16「昡学セミナー」http://moon.ap.teacup.com/199966/96.html
やはり、岡本天命の「日月神示・天津日嗣神事」に「老子だけを中に祀り、他の神は外に祀れ」と記されている事は、正しい様である。
平成28年6月11日
礒邉自適
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