言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2016/10/17
夢を見ると言う事
28・10・17
今朝のメッセージは、言葉や文字は何も無く、三場面が映し出されて来た。
先ず、清水が流れる水路で、私が川エビを餌にして、魚釣りをしている場面が映し出されて来た。
次に、老子の様な、聖者を思わせる人物の存在が有る事が示されて来て、其の人物が休む寝台と言うか、寝床の様な物が映し出されて来た。
そして、其の寝台に敷かれている、シーツや布団や絨毯の様な物を次々に剥がして行き、床板を外すと、其の下は浅いプールの様に成っており、砂が敷かれた底の彼方此方に、変わった形の奇石が配置されており、其の石の配置に因って、寝ている時の夢の内容が、変化する事が示されて来た。
其の砂場に置かれている奇石は、龍や鳥や動物の形をした物が有ったので、私は中国の四神である「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」等の、神獣との配置関係性に付いて考えて居た。
次の映像は、私が自分の7〜8人の家族と、屋根壁が幕で覆われ、絨毯の様な敷物が敷かれたトラックの荷台(幌馬車)か、船室の様な、少し揺れる乗り物の部屋の中に居て、他の人間が皆横に成って眠って居り、後部の方に座って居た私も、眠く成って来たので、皆を起こさない様に気をつけて、隙間に身を横たえた。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなので、どう言う意味合いが有るのだろうかと考えて居ると、其れは、私が霊夢を見る事の仕組みが、示されて来ているのではないかと思われて来た。
夢の漢字の意味は、次の様に辞典に載っている。
「夢・ム・ゆめ」形声。【解字】「夕+暮」夕は夜の意味。〇は暮の省略形で、目がはっきりしないの意味。暗いの意味を表す。この字をゆめと訓ずるのは、〇の仮借。
本字。「宀+疒+暮」宀はおおう屋根の意味。爿厂は寝台の象形。音符の夢は、暗いの意味。人が屋内の寝台に寝て暗い中で見るもの、ゆめの意味を表す。
【字義】(一)@ゆめ。㋐眠っている間に見る心的現象。㋑はかない現象。また、ぼんやりしたさま。実在しないものを在るように思うこと。まぼろし。「夢幻」Aゆめみる。夢を見る。(二)くらい。あきらかでない。漢語林より
此の「夢」の漢字の意味には「宀はおおう屋根の意味」と有るので、今朝の映像場面で、私が覆われた寝室の中に身を横たえた事は、其の事と関係が有るのは間違い無いようである。
そして、其の寝室が、移動する乗り物の中であったのは、私が夢を見る場・寝室は移動する物である事を示唆しており、私の夢の舞台には、家族も関連している理・ことが示されて来ているのであろう。
其れから、最初の映像で、私が清水が流れる水路で、川エビを餌にして魚釣りをして居た場面は、私が産まれ育った故郷の環境と関係が有り、私が子供の頃から川で泳いだり、川エビを網で捕って魚釣りをしたりして居た体験が、心身に記憶されており、其の体験・経験の情報が、私の夢の土台に成っている理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れに、魚釣りの場所が河川や海岸ではなく、狭い水路であったのは、私の夢の舞台と言うか、筋書きが、水の流れの道筋と関係が有り、其れは水の世界を管理する「弁財天・サラスヴァティー」と関係が有ると言う事に成り、昨日のメッセージの映像に有った、水道パイプの連結部分と関係が有るのだろう。
2016/7/28「水の積指(ひご)」http://green.ap.teacup.com/20060818/3938.html
2010/3/26「水と観音様」http://green.ap.teacup.com/20060818/1483.html
2008/1/8「大日如来の節間」http://star.ap.teacup.com/2007313/287.html
2014/12/21「三次元世界の管理」http://green.ap.teacup.com/20060818/3303.html
2014/11/13「意識の源へ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3260.html
2004/11/1「みそぎ(禊)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/507.html
其れから、老子の様な聖者の寝床が映し出されて来て、其の寝床の下が、風水を占う箱庭の様に成っていたのは、老子の謂う「道・タオ」の世界と関係が有り、私が産まれ育った屋久島の「寝床・大地(岩石)」の波動に付いて、深く考える必要がある理・ことが、示されて来ているのであろう。
これ等の事柄を考えると、今朝のメッセージは人間社会の営みには直接関係が無く、私の個人の世界に付いて示されて来ている事になり、私がビジョンを受け取る仕組みがどの様に成っているのかを、改めて、自覚しなければ成らないと言う事に成るのであろう。
2003/3/17・・今朝の夢は、「火」と、「風」と、「川(水)」と、「畑」と、「地図」と「道路」と「家」と「家族の写真」と「花木」、それに「母親」と「親友」と「一休さん」と、様々な物や風景や人物が現れた。
その映像の場所は、私の故郷である松峰区の景色で、村の真中を、海側から山へ向けて通じている、一本の道路を中心として映されて来た。
今朝の夢は、私の潜在意識の土台に成っている物が、示し出されて来た様な感じを受ける。「地・水・火・風・空・木」も揃っているし、大事な関係の人間も登場している。
私が、38年間生活した故郷は、私の意識の源と成っており、私の意識・たましいを育てて来ているのだ。
私の父親の仕事が、サラリーマンで転勤が多かったり、または、私が中学校を卒業してから、本土の高校や大学に進学したりしていれば、私の意識は現在のモノとは違うものに成り、夢の内容も、全く異なったモノと成ったであろう。・・・
「夢の材料」 http://star.ap.teacup.com/170606/223.html
2001/2/24・・今朝の私の夢に、両方に、立派な金具まで着いた床柱が出たと言う事は、私は物質的な支えの仕事をするのではなく、精神的な支えに成る事を、しなさいとの事ではないだろうか。
私の夢の土台は、37年間生まれ育った屋久島の自然である。
屋久島は、世界自然遺産に選ばれて、とても騒がしく成ったが、私が山の中を遊び回って居た頃は、屋久杉を伐採する「樵・きこり」と、時たま登山に訪れる学生ぐらいのもので、山中は静かなものであった。
屋久島の山の掟に、「山の峰で 眠ってはいけない」と云うのが有る。
其れは、何故かと謂うと、「山の峰から峰は 神様の通り道だから、眠っていると 神霊に依り憑かれる」と、されているからである。
処が、私は子供の頃から、山の峰の花崗岩の上で、昼寝をすると気持ちが良いので、昼寝をしに山に登っていたのである。
其の所為か、子供の頃から、他人とは違った夢を見て居たようだ。其の続きが、現在の私の人生であり、今朝の様な、夢を見る様に成ったのだろう。
私の夢は、殆ど、都会的な人間社会の「柵・しがらみ」は映っては来ない。
多くは、自然を舞台にしての場面だから、都会生まれの人の夢とは、異なっているだろうと想う。・・・
「梛・なぎ」 http://star.ap.teacup.com/170606/1091.html
2002/8/15・・私が、文章を本格的に書き始めて、丸2年が経過した。文章を書く切っ掛けは、夢の記録を続けた事にある。
私の手帳には、18年間の夢日記が記されており、その自分の夢分析みたいな事が、文章を書き始める切っ掛けと成ったのである。
私が、夢に付いて、深く考える様に成ったのは、ここ数年の事である。私は、小さい時より不思議な夢を良く見ていたが、夢がこんなに大事な事だとは知らなかったし、其れに、夢は人間の暮らしに大事なものだとは、誰も教えてもくれなかった。
処が、私が18年間、精神的な世界を研究して来て解ったのは、人間は夢の中で生きているのだと言う事である。人間は、自分の考えで、日常を過ごしていると思っているが、それは錯覚であり、私達の行動は過去の人達が積み上げた「文化」というイメージの中で、只 惰性で生きているに過ぎないのである。
つまり、他人の築き上げた業(カルマのイメージ)の中で、無駄に時間を過ごしていると言う事になる。
其の、他人の夢の世界から抜け出すには、自分自身の夢を持つしかないのだ。
自分の夢には、大きく分けて二種類の夢がある理・ことも解かって来た。
一つはクラーク博士の言う「少年よ、夢(大志)をいだけ」の夢の意味で、自分の希望や願望をイメージ・デザインして、念いとして努力を続ける事である。別の言い方をすれば、目的を持って生活するとの事だろうか。
其の夢は、人間の生活が中心であり、現代社会では「お金を沢山手に入れたい」「自分の家を建てたい」「美しい妻を持ちたい」等の願いで、この想いも強いと、自分の眠っている時の夢にまで影響を与えてくる。だから、願望が強い人の夢は、現代社会を写す鏡だと言う事も理解出来る。
其れらの夢は、人間が勝手に見る夢で、神仏とは関係が無い次元である。
もう一つの夢は、「不思議な夢を見た」の夢で、一見して自分には関係なさそうだが、何故かハッキリと記憶に残される、眠りの中での夢である。
其れ等の夢は、予知夢とも言われ、人間の生活ではなく、自然災害迄をも含む全体的な内容を持つもので、自分一人の個人的な願望とは、余り関係が無い。
其れは、大きな神の世界からのメッセージが含まれているものだ。個人は、関係が全く無いと言うのは、本当は正しくないだろう。関係が、何かしら有るので、其の人に出て来るのであるが、其れは神の世界、全体的な世界から、神の一部である人間に対して、その関係性の上で出て来るのである。
この、二番目の夢の世界の方が、人類の永遠のテーマである。
【世界で、信者人口が一番多いキリスト教や、イスラム教の元に成った、ユダヤ人の旧約聖書を読んでも、聖書の始まりは、誰かが夢で見た事が、其の内容と成っており、予知夢が文言の原因と成っている。
日本の歴史を見ても、奈良の三輪神社の由来や、神宮皇后の朝鮮出兵も、夢が原因となった事が伝えられている。
宗教を起した人達の多くも、神仏が夢枕に立ったとか、夢のお告げで知らされたとかの話しが多い。】
其れ等の夢は、一体全体何処から遣って来るのだろうか。
私の場合は、初めて出会った人に「貴男は 私の夢に出て来た人だ」と多くの人に言われる。外国の人までもが、私を夢で見たと言う。私が、意識して他人の夢に出て行く訳ではないので、何者かが私の姿を使用しているのである。其れが、何者であるかは、私には未だ説明が出来ないが、何かのシステムが見えない世界には存在するらしい。
これ等の夢は、人間が自分の行為を休んでいる時に見る夢である。
一方、一つめの夢の方は、人間が自分の欲望の為に、自分の大脳を使って色々と作戦を立て、企画をし、行動する事が土台になっているので、一時の休みも無く突き進んで行かなければならない世界のものである。・・
子供の内に見る夢と、聖者や仙人の夢は、神の世界に通じるものである。これらの者の夢は、神と通じているので、力を持つ事が出来る。
自分が大人に成って、この夢を見る事が出来ない者は、せめて子供達の夢を壊さない様にしなければならない。・・・
「夢見の力」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/191.html
2002/12/25・・仏教で言う「精進する」とは、優秀な霊魂に住んで貰う事なのだろうか。精進出来ていない人間が、いくら神社やお寺にお参りしても、我欲が有る身体は空体ではないので、善神は入ってくれないのであろう。
欲望が詰まった身体には、同じ願望の霊が喜んで憑く事になり、自分ではない行動に突き進んで行く事になってしまう。其の時に見る夢も、自分の醜い姿が自分では見えないので、悪い夢ばかりを見せられるのであろう。
其の点、私は、他人の夢に出て行っても、殺されたり、殺したりしてはいないので、気が楽である。私は、自分の姿が、静かに、布団に寝て瞑想をしているだけと言うので、安心していられるのである。
私は、夢を視て居るのが、神に仕える仕事であれば、今は、其の事で十分に役に立っているだろう。益々私は、精進を続けなければ成らない様である。
「自分の夢では 自分の姿が見えない」http://moon.ap.teacup.com/20061108/222.html
2002/3/20「壊死した踵」 http://star.ap.teacup.com/170606/364.html
2008/10/26「鳳凰の子供」 http://green.ap.teacup.com/20060818/930.html
今朝は、起きてPCを立ち上げると、「貴方には とんでもない事が」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方には とんでもない事が起きます
其れは 貴方には 吉祥であっても
他の人達にとっては 災難と言える物事です
ですから 貴方は 何が起きても
泰然自若として やり過ごすのですよ
何故なら 其処に未来が 発生して来るのですから
貴方が 此処まで 遣り遂げて来た事は
何の無駄も無いことが はっきりして来ます
其れが 歴史を綴る者の 本当の姿であることが
皆に 認識される事に成るでしょう
ですから 貴方は 何も騒がず
是までの様に 静かに過ごしなさいね 」
「貴方にはとんでもない事が」 http://moon.ap.teacup.com/20060103/761.html
此の女神の言葉からすると、私は是までの様に、自分に送られて来るメッセージを、書き留める作業を続けて行けば良いのであろう。
私が此処まで、夢分析を続けて来て、理解出来てきた事は、私が家離・たびを始めて出合った人や、泊った家の霊魂の影響を受けて、其れが霊夢に現れていたが、此処数年は家から出る事も少なく、必要以上に人に会う事が無くなり、他からの影響を受けなく成ったので、現在は、純粋な宇宙からの情報を受け取る状況が与えられていると言う事である。
平成28年10月17日
礒邉自適
2016/10/10
神の光の柱
28・10・10
今朝のメッセージの映像は、先ず、縦に一列に並んでいる、横書きの日本人名の名簿の存在が映し出されて来て、私は、其の名簿の一番目から、確認を取り始めていた。
そして、一番目の名前の人物と言うか存在は、関西で大規模な農業をしている男性であり、書面にて其の男性に付いて確認し始めると、其処に書き出されて来た名前と捺印は、本人の物ではなく、両親の両親(祖父母)の名前であり、既に、此の世に存在しない人物名であるので、私は其の作業を中断した。
そして、名前の下の方が、どう成っているのかと意い、スコップで掘り起こしてみなければ成らないと思って居た。
すると、其処に、朝野家の娘である「千代子」さんが遣って来て、「我が家には 自然薯が有り過ぎて 箱のまま捨てている」と云った。
私は、其の「朝野千代子」の言葉を聞いて、自分は食料生産の事を心配して、「何かをしなければ成らない」と考えている事を、止めなければ成らないと思って居た。
すると、其の縦書きの名前が消えてしまい、其処に天地を貫く白い光の柱が立って、次に、真っ白い陶磁器の丸い器が一個映し出されて来た。
其の光の白い柱の色は、薄い青色が含まれており、真っ白な陶磁器の方も、縁の輪郭に青い色が着いているのが見えた。
其れから、私の自宅の裏口・勝手口の中が映し出されて来て、其処に置いてある、空き缶入れのゴミ箱や、畑用の作業着・帽子などが、一切無く成っている場面が映し出されて来た。
次に、縁側の外の庭が映し出されて来て、其処に配置されている水晶や奇石、其れに花壇の石組などが全て消えており、植わっている植物等も、一切無くなっているのである。
其処で起きて、照明を点けて時計を見ると、「6時6分」であった。
其れから、照明を消して再び眠ると、今度はとても明るく、広いキッチンが映し出されて来て、私の左側や向かいには、姿は確認できないのだが、数名の客人が来て居る様であり、私の右隣りには由香が居て、其の先のテーブル面に「神野浩史」君らしき男性が立って居た。
私は、右側の方に乾杯用の酒瓶を渡してから、自分で一本の小瓶の栓を抜き、由香のコップには多く注いで、神野君のグラスには「貴方は 運転をしなければならないから」と謂って、ほんの少しだけ注いでいた。
其の、酒は有機栽培の原料で醸造した、無添加のお酒であり、グラスに注いだ時には薄い紅茶の様な色で、シャンパンの様な液体であった。
今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージで、私の最後のカルマ・業と言うか、意識の土台・潜在意識が、消去される内容が示されて来た事の続きであり、今朝のメッセージは、現在の私の考え・顕在意識の浄化と言うか、意識の切り替えに付いて示されて来ているようである。
今朝は、7時27分に起きてPCを立ち上げると、「宝の島発動」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々 宝の島が発動します
其れは 貴方には 関係なく
大和の国のプログラムが 動き出すと言う事です
其れに 対して 貴方の役割が必要です
ですから 貴方自身が 何かを 考える必要は有りません
貴方は 今のまま 静寂を護っていればよいのです
其の事で 貴方に お願いが有ります
其れは 必要以上の事を I・Tで 公表しない事です
何故なら 表立って 流言が広がれば
コントロールが効かなく成るからです
其の為に 予備のブログを作りなさい
其れは その時 その場で
検索を掛けて 皆に公表する為です
其の為には 時間と場所を 明確にして措く必要が有ります
何故なら 日付・時間と場所が 最重要だからです
良いですか 意識を真っ白にして
日々の知を 神返(かんがえ)るのですよ
其れが 豊受けの御魂と言う事です 」
「宝の島発動」http://moon.ap.teacup.com/20060103/756.html
此の女神の言葉からすると、今朝のメッセージの映像で、私の自宅の裏口に置いてあるゴミ箱や農作業用の着衣や帽子などが、一切消えていたのは、私に塵捨てやリサイクル、其れに農作業の事を考えるなと言う事であり、庭の草花や石組が消えていたのは、庭の事なども、考えるなと言う理・ことが示されて来ている様である。
其れに「朝野千代子」が現れて、私に「我が家には 自然薯が有り過ぎて 箱のまま捨てている」と云ったのは、「朝野」が「朝廷の」の意味であるので、其の家に「自然薯が有り過ぎて 箱のまま捨てている」と言うのは、私が昨年から自然薯堀りに熱中しており、今年の冬期も、其の自然薯堀りに取り組もうと考えている事を、止めさせようとしているのであろう。
其れは、朝廷の存在が「千代に 八千代」に存在しなければ成らないので、私の意識が、何ヶ月間も自然薯堀りの方に向いて居れば、天神(てんのはたらき)が困るとの事なのであろう。
そして、乾杯の席に「神野浩史君」らしき男性が運転手として参加して居たのは、此の流れは「神野(神の)」乗り物にて動かされている理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れに「浩史」の文字の意味は次の様にあるので、神に禱る言葉が、豊かに満たされる・広がるとの意味になる。
「浩・コウ・ゴウ」【解字】形声。「氵(水)+告」音符の告は、好に通じ、このましいの意味。心が満たされるような豊かな水の意味を表す。」
【字義】@水の広々としたさま。大水のさま。Aひろい。大きい。また、大いに。Bゆたか。多い。」
「史・シ」【解字】会意。「中+又」中は、神への祈りのことばを書きつけ、木の枝などに結び付けた形にかたどる。又は、手の意味。祭事にたずさわる者、ふびとの意味を表す。
【字義】@ふびと。主君や国の記録をつかさどる役人。史官。御史。太史。Aふみ。歴史の書。B天文をつかさどる役人。また、裁判や占いをつかさどる役人。Cさかん。長官に従属する役人。属官。書記官。Dはでやか。かざりがあって美しいが誠実さに乏しい。」
漢語林より
其れに、其の食卓は、日本の天皇家・朝廷のしきたりである「御饌殿・みけどの」の世界と関係が有り、イエスキリストの食卓・晩餐とも関係が有るのであろう。
今朝のメッセージの内容からすると、私は自分自身で食料生産の事や資源のリサイクル、其れに、自然環境の事や、石組に拠る禱りや儀式の事などに付いて、考えを巡らすのではなく、天神(てんのはたらき)の光の柱だけに意識を向けて、真っ白な磁器(磁気)の器で、神のお告げを、受け取らなければ成らないと言う事の様である。
其れを考えると、やはり私の役割は、故「井上佳子」や「愉伽さん」のビジョンに映し出されて来た、こじんまりとした日本建築の建物に一人で住み、布団に横に成って瞑想を続けて居る状態に、入る必要があると言う事に成るのであろう。
其れこそが、日本の朝廷の伝統である「天御臥間・ あめのおふすま」の存在であり、「天津日嗣・あまつひつぎ」の世界なのであろう。
2003/7/4・・亡くなった、私の妻の井上佳子や、岡山の由香さんは、私が人里離れた日本家屋に、人々に護られながら暮らして居て、布団に横になって瞑想している処を視せられている。
私の告げる事で、人間社会が動く事を、二人とも同じ様に霊夢で視せられているのである。
亡くなった妻の霊夢には、奈良の平城京跡の広場に、世界中から何万人もの人達が集まり、儀式をしている様子が現れている。
御輿も出ているその会場には、私の姿は無く、私は何処かの建物に、ただ一人布団に横になって、瞑想を続けて居たとの事である。
そして、神が、私はキリストだと教えてくれたとの事。
是は、1986年12月31日の朝の事だから、もう17年も前の事である。岡山の由香さんに出て来た映像では、私の住む家には「飲酒者 立ち入り禁止」の張り紙が玄関にされていたとの事。此の由香さんのビジョンは、昨年の12月7日だから、神の計画は引き続き行われているとの事だろう。・・・
「あわじ・スピーカー」http://star.ap.teacup.com/170606/170.html
2015/3/28・・どうやら、一昨日のメッセージの「おこして」との言葉は、「真っ白の糸道をおこして」との事の様であり、昨日の男性の声「立って居てください」とは、政(まつりごと)の為の御稜威(みいつ)の立場を意味していた様である。
そして、今朝のメッセージからは、「壺にはまる」との言葉が、脳裏に浮かんで来た。其れは、私の立場が御稜威の働きの壺にはまり、政・まつりごとを興すとの事に、成るのかも知れない。
今朝のメッセージの映像では、私の立場に合わせて行動する人達は、全て、物事が上手く運ぶ様子が映し出されて来た。
だが、私が自分の立場を離れて、他の現場に出掛けると、若い人達の方が新しい情報を持っており、仕事の方は、本職にしている年配の人達の方が、熟練しているので、私の出る幕が無い事が解かった。
朝起きて、早速「壺にはまる」を検索すると、次の様に載っている。
・つぼにはまる【壺にはまる】
1 〔要点を心得る〕彼はつぼにはまった見方をする
2 〔見込み通りになる〕
此の、「壺にはまる」との言葉からすると、私が「要点を心得て」自分の立場に立って居れば、事は「見込み通りになる」との事に成ってくる。
其れは、私の人生にとって、最終的な立場が明確に成って来たと言うか、自分の「みこともち・使命・御言持ち」が、動き出すとの事なのかも知れない。
其れこそが、私を捜し出して、此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に云った事が、現実に成ると言う事なのではないだろうか。・・・
「壺にはまる」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3408.html
2002/12/25「自分の見る夢では 自分の姿が見えない」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/222.html
2015/10/18「心の戸締り」http://green.ap.teacup.com/20060818/3630.html
2015/6/27「お見事」http://green.ap.teacup.com/20060818/3511.html
2016/6/7「未来へのサポート」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3878.html
2014/12/13「行為はカルマ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3295.html
私が起こされた6時6分は、「10月10日6時6分」であり、其の数字・数霊は「とうとう無無」と読める。
其れに、朝起きた時間が7時27分であったのは「727・なにな・何名」とも読めるので、今朝の「天地を貫く光の柱」の存在や、「真っ白い器」を何と呼べば良いのか、其れ等に何等かの、名前を与えなければ成らないとの事なのかも知れない。
平成28年10月10日
礒邉自適
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