言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2017/1/17
大は小を兼ねる
29・1・17
本日1月17日は「阪神・淡路大震災」から22年目の日であるが、1994年1月17日にロスアンジェルス大地震が起きた日でもあり、私が屋久島に帰郷してから、2005年1月に「屋久島自適塾」を立ち上げて、事務所に電話が付いた日でもあり、当時、私の守護霊と成っていた「泊如竹翁」の生誕447年の日でもある。
2007/1/17「新しき概念を設定する」http://green.ap.teacup.com/20060818/158.html
2006/6/15「屋久島の神の働きが見えて来た」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/399.html
今朝は起きてPCを立ち上げると、「悠然」との言葉が聴こえて来たので、Wを立ち上げると続きの言葉が告げられて来た。
「悠然とは 貴方の 今後の生き方に関するテーマです
ですが 其れは内なるチカラであって 表に現しては成りません
何故なら 其の態度は 傲慢と受け取られる可能性が有るので
慈悲を貫かなければ成らない貴方の立場としては 都合が悪いからです
しかし 慈悲の世界を生きるには 悠然と生きて居なければ
チカラを発揮する事ができません
其れが 御稜威 を行う「霊止・ひと」の在り方なのですよ
貴方は 実質的には 其の立場を生きていますが
心の中にも 其の理を 自覚する必要があるのです
告げなくても良い事ですが 一応注意して措きますね 」
「悠然」http://moon.ap.teacup.com/20060103/792.html
昨夜は、眠る為に目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
其れは、初めに広い文房具店の店内が映し出されて来て、台の上に様々な文房具・商品が処狭しと並べられている場面である。
次に、広い台所・調理場の洗い場が映し出されて来て、其処に、様々な鍋と器が水洗いされて、澤山積み上げられている場面である。
眠ってからの映像には、生塵(排泄物)らしき物が入れられている、大きな鉄製のタンク内から、入れられていた物を全て取り出すと、底に無数の蛆虫が這い回っているので、其の蛆虫を一匹残らず水で洗い流して、綺麗に掃除をする場面が映し出されて来た。
そして、女性の方の施設(世界)も、同じ様な状態である事が示されて来た。
其れから「50%」との数値が示されて来てから、「大は小を兼ねる」との言葉が告げられて来た。
そして最後に、薄暗い場面に横書きの漢字が二行(二段)書かれているのが映し出されて来て、上の段の一行の文字は「ふじいばらきり」と読める物である事が示されて来たので、私は其の言葉を「富士居 薔薇切り」と解釈した。
だが、下の一行の漢字が何を意味しているのかは、まったく読み取る事ができなかった。
『其れは、貴方の役割に付いて記しているモノであり、貴方の今後の生き方に関する心構えを表すモノです。』
突然に、意識に介入して来た此の言葉からすると、其の下の一行は、今朝告げられて来た「悠然」との言葉に関係が有るようである。
今朝は、愉伽さんに夢を見なかったかと訊ねると「見た」との事であり、其れは次の様なモノである。
初めに、ゴリラの様な格好・姿をした、全身が黒い肌で、躰が筋肉質でぷりぷりとした、二歳くらいの黒人の女の子が、裸でダンスを踊る様に躰をくねらせているので、カメラで其の女の子の写真を、撮り始めたとの事である。
次に、同級生である「新山・幸治、涼子夫妻(旧姓藤本)」が登場して、10人程の男の子が産まれていたとの事であった。
其の愉伽さんのビジョンで、今朝のメッセージは、日本の「富士山」に関係が有る事は間違い無い様である。
本日は、「屋久島自適塾」の事務所に電話が引かれて、私が人間社会の中に21年振り(1984〜2005)に復活してから、12年目(一干支)の日である事に成る。
そうすると、2005年も「酉・鳥」年であった事に成り、12年前に電話が自適塾に引かれた事は、私の立場と言うか、言葉が、世の中に通じる事に成った事になる。
其れを考えると、今朝、女神が告げて来た「悠然」との言葉のメッセージは、私が雄鶏の役割である事が示唆されており、日本のお神輿の上の雄鶏(鳳凰)や、「時間の操縦士(チャックモール)」の臍から、天に伸びる時間の竿先に止まっている「雄鶏」とも、関係が有ると言う事に成りそうである。
2014/11/25「時間の操縦士」http://green.ap.teacup.com/20060818/3275.html
2012/6/12「鳳凰の活動開始か」http://green.ap.teacup.com/20060818/2338.html
2012/4/16「鳥神」http://star.ap.teacup.com/20121223/114.html
其れを考えると、其の雄鶏は日本の国を象徴する「富士の山」の本に居ると言う事に成り、「薔薇を切る」とは、西洋の「薔薇十字の概念を切り取る」と言う事に成るのではないだろうか。
2011/8/22・・其の蜜蜂の映像は、現在世界経済をコントロールしている「薔薇十字」の組織のマークが、赤い薔薇の花に、一匹の蜜蜂が右側から左を向いて止まっている姿と関係が有り、其の蜜蜂には、天・神が蓋を閉めて、活動を止めてしまう事を意味し、別の蜂が、天地創造のアダムとイブに、使わされるとの意味を示して来ているのかも知れない。
其の蜂は、私が此の世界に入った時に、紫陽花の花に逆向きで止まっている姿で映されて来ている。
薔薇・バラは、西洋の花だが、紫陽花は日本原産の花である。
其の日本原産の紫陽花に、蜜蜂が逆向きに止まっていると言う事は、人間の意識が逆向きに成ると言うか、経済の仕組みが、西洋形から、日本形に変わるとの意味であろう。・・・
「古い形は閉じて行く」http://green.ap.teacup.com/20060818/2032.html
2017/1/1「魂の復活プロジェクト」http://green.ap.teacup.com/20060818/4102.html
其れは、1945年8月15日に昭和天皇の「玉音放送」の後に、奈良の「矢追日聖法主」に告げられて来た、天界からのメッセージと関係が有り、また「岡本天命」に下された「日月神示・天津日嗣神事」にも、関係が有ると言う事にもなる。
2003/4/7・・2、矢追日聖氏は、終戦の昭和20年8月15日に、大倭神宮で神に地球儀を見せられ、世界中に日の丸が立っており、新しい精神革命が、日本から起きる事を告げられている。
其れは、現代の価値観が行き詰まり、新しい価値観が日本から始まり、世界中に拡がる事を示唆している。
3、日本から、世界に拡がる価値観とは、紫陽花の花の如く一輪一輪が花開いて、其れが大きな花と成り、また花が沢山有る株と成り 根本は一ヶ所に集まっている。そんな紫陽花の花の形の様に、一人一人、一民族、一国家が、皆 独自の特長を生かし、それが大きな和になっていると言う、個々が花開いている社会である。
現在の様に、力の強い国が、自分の国の風習や価値観を、世界に押し付ける遣り方とは、反対の考え方である。・・・
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
「あじさいネットワーク」http://moon.ap.teacup.com/1493/
2014/12/29「黄金のサンダルと王様の杖」http://green.ap.teacup.com/20060818/3311.html
2014/11/26「順道」http://green.ap.teacup.com/20060818/3277.html
2015/8/3「直通」http://green.ap.teacup.com/20060818/3553.html
2002/2/27・・日月神示では、−上巻20P「岩戸開いて1つの王で治める。」
−上巻514P「たばねの人は後からじゃ、後から出るぞ。22年1月1日。」
−上巻225P「元の大和魂の誠の身魂揃ったら、人は澤山なくとも、この仕組成就すのざと申してあろうが、末代動かぬ世の元の元を礎づくのだから。」
などと、日本から新しい世が始まる事を伝えている。
天津日継とは、日本の国土に秘められている霊系の働きの事であろう。
私の18年間の旅は、その霊達との共同作業の旅でもあったのだ。
是から、日本で何が始まるのかハッキリとは分からないが、日継神示には「神一厘の仕組」「一人の目明きが火を着ける」ともある。
神の意識、天の霊(ひと)の継続が、人々に見える時が近づいているのだろう。
「私と日継神示(一)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/164.html
2002/2/28・・岡本天明氏の、「ひふみ(日継)神示」上巻の21年8月15日・479Pを見ると、「旧9月8日で一切(ひとくぎり)ぢゃ、これで一(はじめ)の御用は済みたぞ。八分通りは落第ぢゃぞ。次の御用改めて致さすから、今度は落第せん様心得なされよ。何も彼も神は見通しざぞ。神の仕組人民出おくれんよう、気付けて結構致して下れよ。二(つぎ)の仕組、御用は集団(まどい)作りてよいぞ。」と、載っている。・・
岡本天明氏の、8月15日の「世界の民の集団を作れ」のメッセージは、未だ現実化されてはいない。しかし「八分通りは落第ぢゃ」との事であるので、合格する者は少ないのであろう。其れから、既に55年が経っている。
どれだけの「集い・まどい」の仲間が地球に準備されているのか。
その人達の為に、今年は、何等かの印となる「纏い・まとい」を、立ち上げなければ成らないだろう。・・・
「私と日継神示(二)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/165.html
2014/4/13「文化の再編成」http://green.ap.teacup.com/20060818/3024.html
今朝の私のメッセージには、タンクの中の生塵(排泄物)を取り出すと、底に数知れずの「蛆虫・うじむし」が存在して、私は其の蛆虫を一匹の残らず洗い流して、タンクの中を綺麗に掃除して居た。
其れは、女性の施設(世界)も同じ有り様である事が示されて来た。
其の場面の意味を考えると、現在の人間社会は塵溜と同じ状態であり、蛆虫の巣である理・ことが示唆されて来ているのであろう。
其れは、男性の世界だけではなく、女性の世界も其の様な有り様であると言う事である。
其処には、「霊止・ひと」としての尊厳は、何も無いと言う事に成る。
其れに、私に「50%」との数値が示されて来たのは、其の蛆虫の世界が人類の50%に達していると言う事であり、大都会の穢れた文明が、静かな田舎暮らしの人々にまで伝染し、人類の半数が「霊止・ひと」としての生き方から、外れてしまっていると言う理・ことなのではないだろうか。
そして、「大は小を兼ねる」との言葉は、其の様な事は小さな事であるので、私は其の様な次元(世界・立場)に関わって居ると、自分の役割が果たせないと言うか、立場が護れないと、言う事なのではないだろうか。
今朝の愉伽さんのビジョンの、元気な黒人の幼児の姿は、私の14日のメッセージの映像に登場した、未来の女性像を象徴する20歳代の東洋系の女性の存在と関係が有り、650万年前にアフリカの中央部で、類人猿から突然変異で誕生した、最初の人類(イブ・女性)の存在を示しており、人類の存在意義と言うか、定義に関する事が、未来まで直通に成ったと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れは、旧約聖書の記述や、日本の記紀に記されている世界が、人類の意識(記録)から削除されると言う事であり、人類全体に真実の御世が開闢すると言う事になる。
其処に「時告げ鳥(ほととぎす)の役割が有ると言う事に成り、お神輿の上の鳳凰の「神(はたらき)」が、明らかにされると言う事に成るのであろう。
其れに、愉伽さんのビジョンの、同級生である「新山」「幸治」と「藤本」「涼子」が結婚して、10人程の男の子が産まれていたとの事は、其の名前の意味が「新しい山 幸せに治める」と「富士の本から 清らかになる」に成り、其の夫婦から男子が10人程誕生(子沢山)しているのは、日本の未来(精神世界・たましい)が末長く繁栄する理・ことが、示されて来ているのであろう。
「涼・リョウ」【解字】形成。「氵(水)+京」音符の京は、良い通じ、よいの意味。良い水の意味から、転じて、すずしいの意味を表す。
【字義】@すずしい。ひややか。快い冷たさ。すがすがしくひややか。薄ら寒い。「涼秋」「荒涼」Cかなしむ。うれえる。国語@すずしい。清らかですずしそうな感じのすること。「目もとが涼しい」Aすずむ。すずみ。「夕涼み」
言偏の諒は次の様に有る。
「諒・リョウ」【解字】形成「言+京」音符の京は、量に通じ、はかるの意味。相手の心を思いはかる・まことの意味を表す。
【字義】(一)@まこと。㋐真実。いつわりがないこと。また、そういう人。㋑ちいさい義理。小さい徳義。Aまこととする。信じる。Bまことに。たしかに。本当に。Cしる(知)。明らかにする「諒解」D思いやる。「諒察」(二)@よい。=良。 現代表記では「了」に書き換える。
漢語林より
そして、其の事の為には、私が昨夜、眠る前に瞼に映し出されて来た映像が、関係が有るのだろう。
其れは文房具店の存在が、「教育」の充実を示唆しており、台所の鍋と器が「食事・食べ物」の世界の重要性を示唆しており、「教育」と「食事・食べ物」の世界が人類にとって、一番大事である理・ことが示されて来ている事に成る。
其れは、「薔薇。西洋の価値観」を切り取る為には、日本の「食国の政(おすくにのまつりごと)」の価値観が必要であると言う事であり、仏教の精進の訓えが日の目を見ると謂う事ではないだろうか。
其れは、愈々「聖徳太子」の意いや、「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の念いが現実化して来ると言う事であろう。
2006/2/22・・本日2月22日は、聖徳太子の命日で、没後1334年となる日だが、私には平成1年9月3日に、阿蘇郡蘇陽町の日の宮弊立神宮にて、夜中3時33分に聖徳太子の御霊が現われ「漸く、存在の源に辿り着いた。」「新しい世の中は 臨済から始める。」と有った。・・・
「動き出した聖徳太子」 http://star.ap.teacup.com/170606/772.html
2008/2/22「円卓会議」http://green.ap.teacup.com/20060818/650.html
2014/3/18「茶道」http://green.ap.teacup.com/20060818/2998.html
2013/8/18・・夢の中の大田が、大田市の物部神社の事であれば、物部の神は大和朝廷の「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」と言う神職を司った神である。
新天皇が即位する時には、大嘗祭という儀式が行われる。其の大嘗祭での儀式は、新嘗の儀式であり、その新嘗の儀式こそ、石神神宮に伝わる「おすくにのまつりごと」の儀式である。
トンネルを潜り抜ける前に、大田に寄らなければならないのは、長い間「申食国政太夫」の役目が、果たされていないとの事だったのではないだろうか。私が、物部の霊を背負っているのであれば、其の「食国の政(まつりごと)」を復活しなければならない事になる。・・・
「まつり事の主」http://green.ap.teacup.com/20060818/2782.html
2001/6/21「大田に下車しろ」http://star.ap.teacup.com/170606/437.html
2015/7/4「身土不二と食国の政」http://green.ap.teacup.com/20060818/3518.html
今朝のメッセージに有った「大は小を兼ねる」との言葉と、「悠然」との言葉を考えると、私は「大いなる世界」に意識を向けるには、小さな出来事に関わらずに、悠然とした態度で、生きて行かなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
【大は小を兼ねる】
「大は小を兼ねるとは、大きいものは小さいもの代用として使える。小さいものより大きいもののほうが使い道が広く役に立つということ。」
其れは、人間の魂しいか器で考えると、「小人は 大きな世界・全体を把握する事は出来ないが、大人は 小人の事にまで意識が行き届く」の意味にも考えられる。
私は、残り12日で満70歳「古希」を迎える事に成る。
其れは、父親である「礒邉勲」より、20年も長生きした事に成り、現在の母親「芳子」の年齢まで生きるには、まだ26年間も長生きしなければならない。
其れを考えると、小さな出来事に関わって居れば、達成できないだろうから、確かに悠然と生きる事は、大事であると言う事に成るのであろう。
平成29年1月17日
礒邉自適
2017/1/16
「猨手(えんしゅ)大神」
29・1・16
今朝のメッセージの映像は、出雲の「安部忠弘氏」が、医療界のスーパースターである人物を、私に紹介する場面が映し出されて来た。
其の人物は、神の光と言うか、光輝くエネルギー体の様な存在で、姿は45歳位の男性であり、大きなクルーザーを操縦して、私が居る所に訪ねて来たらしいのである。
其の男性は、既に屋久島の薬草園を手中に納めたらしく、私が住んで居る土地にも癒しの里と言うか、医療の施設を建設したいとの事であり、私は自分が気に入っている場所・土地に案内する事にした。
そして、安部忠弘氏に「皆で出掛けるので マイクロバスを用意してくれ」と伝えると、奥さんが運転して自宅に向かったと謂うので、私は「引き返して来るように連絡してくれ」と頼んでいた。
今朝のメッセージの映像は、其れだけである。
今朝のメッセージは、人間の「心身」と言うか、「精神」と「肉体」を完全なモノに仕上げる為の医療と言うか、教育の世界が必要である理・ことが示されて来ている様である。
そして、今朝の映像で私を訪ねて来た人物の存在は、其の世界のスーパースターの様な存在であり、日本だけではなく、世界中に、其の世界と言うか仕事・事業を、拡げつつある事が示されている。
其れを、私の年代で説明すれば、映画・テレビドラマ・歌の世界のスーパースターで、大きなクルーザーを所有して、弟子の様な人達を多数従えて居た俳優の「石原裕次郎」が、不健康な生活で肉体を壊して死亡した事を反省して、心身医療の世界に乗り出して来た様なイメージであると謂えるだろうか。
そして、其の存在を私の所に連れて来たのが、出雲の安部忠弘氏であると言う事は、出雲の神である「須佐之男尊・すさのおのみこと」が、新時代の大人物を、私の所に案内して来て、私に協力を迫って来ている事になる。
今朝のビジョンの様子から考えられる事は、記紀に記されている物語が、新しい形で示されて来ている事に成り、私が「猨田彦大神」として、天照大神を迎えた事に成りそうなので、今朝の文章の題は「猨手(えんしゅ)大神」とした。
今朝の映像で、其の男性神を案内して来た出雲の安部忠弘氏が、須佐之男尊に関係が有るとするのは、是までの経緯からである。
2016/8/23・・本日8月23日は、「王道」のブログを開始してから丸5年目の日であり、1997年8月23日の夢に「弁財天・サラスヴァティー」が乗る宝船が辿り着いた岸に、「須佐之男尊」が手植えした「佐世神社」の御神木が存在する事が映し出されて来てから、19年目の日でもある。・・・
「ケツァルコアトルの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3964.html
2006/10/19・・今朝の映像は、長い物語に成っていた。
其れは、未来への新しき道が切り開かれるもので、空には虹が掛かり、龍が、地上に水飲みに降りて来る映像も含まれていた。
其の動きを、地上でコントロールしているのが出雲の「安部忠宏氏」で、其の安部忠宏氏が主催する集いには、岡山の「スーリアさん」も参加しており、来賓の挨拶をして居た。
しかし、私の姿は、其の場にはなく、私の意識は、安部忠宏氏の背後霊と成って、安部氏のする事を認識しているだけなのである。
其れは、今朝の私の意識が、安部氏を動かしている霊魂の意識と、重なってしまっていたからであろう。
私が、安部氏に初めて出会ったのは、丁度10年前の10月16日で、其の日は伊勢神宮の「神嘗祭の日」である。
私は、其の日、広島の「渡邊さん」が主催するセミナーで、話しをする事に成って、京都の「京都ドレミ村」から広島に向った。
そして、セミナーが始まる時間が迫って来た頃、安部氏より電話が掛かり「少し遅れそうだ」との事である。
私は、神々の国である出雲から、ワザワザ来る方なので、到着する迄待つ事にしたのである。
安部氏は、車で15分程遅れて来たが、車には、水が沢山積まれていて、其れを皆で飲む事にも成った。
安部氏の背後には、出雲の偉い神々が付いている事が解った。
私は、その夜、安部氏の自宅に向う事に成ったのである。
そして、出雲には、日本に初めて国造りを行った神霊が、沢山住んでいる事を知ったのである。
今朝のメッセージは、其の時代の神々が、再び動き出す事を、見せられたのであろう。・・
其の新しき御代の創造が、2700年振りに、また出雲から始まるとの事であろう。其の為に、神々は、出雲の安部忠宏氏の心身を、使っているとの事なのである。
今朝は、其の安部氏が、出雲の地で皆を案内している映像が続いた。
皆が、最終的に、新しき世界に上る道は、須佐之男尊を祀る雲南市須賀に有る「須賀神社」の奥の宮である磐座に上る道である。
其の道の入り口には、実際には無い桑畑が広がっていた。
其の意味は、蚕の服を着て、出雲の浜に上陸して来た、知恵の神「少彦名神(すくなひこなのかみ)」の存在を、示すものであろう。
「大国主命」が、天津族が気に入る国を造り得たのは、少彦名神の智慧・情報が有ったからである。少彦名は、絹の衣を着て、医療技術を始め、様々な暮らしの手法も知っていたのである。
「少彦名・すくなひこな」の名は「宿禰彦の名」の意味で「貴人の男の名」の意味である。
其れは、「智慧の主である貴人が 大衆に身近に接する」時の、親しみを込めた呼び名、其のものであるのだ。其れは、古代の「武内宿禰」や「野見宿禰」等の名に使用されている、宿禰の元の意味であろう。
私は、全国を18年旅して来たが、其れは4311体の霊魂の中の、日本の神々の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の為の、鎮魂が主な目的であり、最後に神社の掘り起こしをさせられたのが、愛媛県大洲市に有る「少彦名神(すくなひこなのかみ)」の御陵である。・・
「九代龍王水神」の御旗が出来て立てられれば、愈々新しい次元の始まりである。其れは、強烈な人類全体の大禊ぎの幕開けでもある。
其れが始まれば、もう皆、自分や、自分の家族を守る事に精一杯で、他人の事に構って居られる者は、誰も居なく成るであろう。
全てが、其々の自己責任で、行なわなければ成らないのだ。
正に、サバイバルの始まりである。
しかし、其れは、厳しくて残酷な事に見えても、神が、地球全体の調和を図るもので、其の生存競争に生き残る力が無い者は、自然淘汰されて当たり前なのである。人間以外の全生命は、皆そうやって生きているのだから、人間だけの甘えは許されないのである。
自然の正しい「道・タオ・ダルマ」は、本来そう謂うものなのである。
其の理を忘れて、エゴ丸出しで生きて居て、最後に、変に成ったからと言って、神に文句を言うのは、お門違いなのである。・・・
「出雲の神々が動き出す」 http://green.ap.teacup.com/20060818/60.html
2016/12/25・・其の様に考えると、私は「土肥無庵」の訓えに従っている事に成り、釈迦牟尼佛やイザヤを初めとする預言者(未来察知者)の希望を、「天津日嗣・あまつひつぎ」している事に成り、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」も、其の結果が充たされたと言う事に成るのであろう。
今朝のメッセージの内容で、私は自分の人生で起きた様々な出来事が、全て消化されたと言うか、其の現象を生かし切ったと言う事であり、「霊止・ひと・人」として完成したと言う事に成るのではないだろうか。・・・
「結論」http://green.ap.teacup.com/20060818/4095.html
「奥出雲」http://moon.ap.teacup.com/20060505/
昨年の12月25日には、「結論」との文章を書いてある。
其の日付が「イエスキリスト」の生誕祭日である事を考えると、今朝のスーパースターの登場は、「キリスト・メシヤ」の存在とも関係が有り、天界のプログラムの完成と、地上の受け入れ体制に付いて、示唆が為されて来ているのかも知れない。
其れを考えると、私は「猨手(えんしゅ)大神」として、新しい時代の「天津神・てんのかみ」を迎えなければ成らないのであろう。
其れは、人間が「霊止・ひと・人」として完成する事であり、其の為には「心(こころ・精神・たましい)」と「身(からだ・肉体・健康)」を鍛え上げなければ成らないと言う事であり、其の為には、現在の人間社会体制とは全く次元の異なる村と言うか、場・フイルドを、創設する必要があると言う事なのではないだろうか。
今朝の題は「援助」の援・エンを使って「援手(えんしゅ)大神」にしようかと意ったが、辞典を調べると援は「引き上げてやる手」の意味なので、神は上から降るモノなので、其の字は合わない事が判かり「猨手(えんしゅ)大神」とした。
「援・エン」形成。【解字】「扌(手)+爰」音符の爰・エンは、ひくの意味。手を付し、ひくの意味。
【字義】@ひく。㋐ひっぱる。また、引きよせる。㋑ひきあげる。ひきあげて用いる。登用する。㋒引用する。「援用」Aたすける。すくい助ける。「援助」「応援」「救援」Bたすけ。
漢語林より
此処まで打って来たら、今朝のメッセージの内容から、私は「前人未到の綱渡り」に成功しているのではないかと、思った。
平成29年1月16日
礒邉自適
2017/1/12
鏡開き
29・1・12
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識が山岳地帯の小道を登って行くと、山間に、深く水を貯えた大きな淵が存在し、其処から先には進めなく成った。
其の淵は、直径が50m程有りそうな丸い池の様な物であり、周囲が崖に成っており、水淵の周囲の壁は内側が深く抉れているので、落ちた物は絶対に這い上がる事が出来ない構造に成っていた。
私は、其の淵の様子を見て、自分も其れ以上は先に進めないし、他の人間も誰も寄り付けない状態なので、其の淵の水は、是まで人間の手で汚されていない事が判った。
次の映像は、大きな水瓶の様な物が映し出されて来て、其の中には透き通った水の中に、人間が使用する茶碗などの食器類が、数多く浸けられていた。
次の映像には、暦の干支の世界が映し出されて来て、今年が「う(鳥・鵜)年」であり、大きな変革が起きる事が示されて来て、大変な事態が起きるので、私は其れに対応する為に、大変な意いをして居ると、私は「酉(鳥)年」生まれではなく、「亥(猪)年」なので、関係無い事が判ってほっとして居た。
(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)
次の映像は、私が、木構造の横壁の無い吹き曝しの、大きな家畜小屋に居ると、激しく雷鳴が起こり、嵐が来そうなので、雷や風雨から身を護る為に、其の建物の屋根裏の「梁・はり」の上に登って、「束柱・つかばしら」にしがみ付くと、何と其の束柱は、屋根の「棟木・むなぎ」にホソや金具でしっかりと取り付けられていないので、上の部分が外れて、倒れてしまうのである。
私は、危うく落下しそうに成ったので、其の束柱から手を離して、梁の上に座った。
そして、強風が吹けば、屋根が持ち上がって飛んでしまうので、早急に何等かの方法で、棟木と束柱と梁を、固定しなければならないと考えて居た。
今朝は起きて、由香に今朝の霊夢の話をすると、水瓶の中に浸けられていた茶碗などの陶器は、昨日1月11日が「鏡開き」であった事と関係が有るのではないかと謂うので、私は今朝のメッセージが腑に落ちて来た。
其れに、由香のビジョンでは、平らな台の上に、大きな鯛や烏賊・蛸などの魚介が並べられており、私の指示により、周りを取り囲んでいた男性達が、鯛の目を抜き出したり、魚介類を取り分けたりして、皆に振る舞う準備をして居たとの理・ことで、1月10日の「戎(えびす)祭り」と関係が有るのではないかと謂った。
今朝のメッセージは、昨日の文章で触れた12年前の5月21日の「池の完成」と「弁財天・サラスヴァティー」、其れに今年が、同じ「酉・鳥」年である事に関係が有りそうである。
「鏡開き」と「酉年」に付いては次の様に載っている。
【鏡開き・かがみびらき】正月の鏡餅(かがみもち)を下げて食べる儀式。お供え開き、お供えくずし、鏡割りなどともいう。現在は1月11日、以前は20日が一般的であった。徳川の3代将軍家光(いえみつ)の忌日が20日であるため、11日に繰り上げられたという説がある。武家では具足(ぐそく)開きといい、鎧兜(よろいかぶと)に供えた具足餅を下ろして雑煮にして食べた。婦人は鏡台に供えた鏡餅を同様にして食べた。武士は刃柄(はつか)を、婦人は初顔(はつかお)というように、それぞれもっとも重視する道具と二十日(はつか)との語呂(ごろ)合せを祝った。近来は武道の寒稽古(かんげいこ)に引き継がれ、終わった日に鏡餅で汁粉をつくって食べることが多い。鏡餅は刃物で切ることを忌み、手で欠いたり槌(つち)でたたいたりして割る。開くというのは縁起を担いで、めでたいことばを使ったものである。鏡餅は本来、稲作に伴う儀礼で、農耕神としての歳神(年神)(としがみ)への供物であったろう。それを下ろして食べることは、正月の祭りの終わりを意味するものであったはずであるが、暦の混乱のためか、あるいは開くという語感から転じたものか、むしろ仕事始めの意味に解する場合が多く、期日も2日や4日に行う例がある。現在鏡開きの日とされている11日も、商家の仕事始めにあたる蔵開きの日と一致する。[井之口章次]
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
【酉(とり、ゆう)】は十二支のひとつ。通常十二支の中で第10番目に数えられる。前は申、次は戌である。
酉年は、西暦年を12で割って1が余る年が酉の年となる。
酉の月は旧暦8月(概ね新暦9月)
酉の刻は日暮れの18時を中心とする約2時間。=夕刻(ゆうこく)という。日暮れの18時(夕方6時)を正酉(しょうゆう)ということがある。
酉の方は西の方角である。
五行は金気 陰陽は陰である。
「酉」は「緧({糸酋})」(しゅう:「ちぢむ」の意味)で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされる。後に、覚え易くするために動物の鶏が割り当てられた。
毎年11月の酉の日は、「一の酉」・「二の酉」と呼ばれて酉の市という行事が執り行われる。
ウィキペディアフリー百科辞典 2017/1/4現在
今朝は起きてPCを立ち上げると「貴方には昔の事を」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方には 昔の事を
思い出させる 力が有ります
其れは 問題解決の糸口に成りますが
進歩を 妨げる要因にも成るのです
ですから 昔の事を追及するよりも
新しい思考を生み出す事が 大事なのです
ですから 余りに 昔の事に
意識を向ける事を止めなさいね
何故なら 貴方が 未来に意識向けて
動き出さないと 全てが 停滞してしまうからです
全てが 停滞して 未来が開かないのは
未来創造に意識を向けて 行動する者が居ないからです
其れは 遺伝子の働きを
超えて 行かなければ成らない事なので
通常の人々には 無理な働きなのです
其の意味でも 貴方の役割が
どの様な モノであるかが 理解できるでしょう
其処にこそ あたしが 貴方と
共に在る事の 原因があるのですよ
良いですか 其れが「事象の特異点」と
「新しい神の座標軸」であると 言う事なのですよ
ですから 貴方には 頭脳を休める余裕は無いのですよ
其れが 神(はたらき)の役割であると言う事に成るのです
何もかも 巧く行きますので 安心して先に進みなさいね
其処に あたしの神(はたらき)も 顕現するのですから 」
「貴方には昔の事を」http://moon.ap.teacup.com/20060103/790.html
此の女神の言葉を考えると、今朝のメッセージの解釈は、昔の生活文化には、あまり深入りはしない方が良いらしい。
だが、今朝のメッセージの内容からすると、現代の文化と言うか人々の生活・くらしの中には、昔の「概念(風習・習慣)」が深く根ざしており、其れ等の事柄・行事を全て取り去ってしまうと、人間社会の在り様は「風土記」が全て消え去るので、伽藍堂(がらんどう)に成ってしまう事に成る。
其れは、一昨日のメッセージに有った「ジオラマ」の世界と関係が有り、昔の物を全て捨て去った「歴史博物館」の展示場と同じで、人間意識から「昔話」が消え去る事になり、物語が全て消え去った人間の脳裏は、赤子と同じ状態に成ってしまうであろう。
其れ等の理・ことを考えると、今朝のメッセージは、「酉」の意味である【「緧({糸酋})」(しゅう:「ちぢむ」の意味)で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされる。】との事と関係が有り、変革の嵐が吹き捲くる前提として、物事が一旦「縮む」と言う事に成るのでは無いだろうか。
其の様に考えると、「鏡開き」の行事・儀式の意味が、息を吹き返す事になり、「酉・ちぢむ」の漢字と、夜明けを告げる「雄鶏」が「複合体」と成っている事も、間違いではないと言う事に成る。
其の様に考えると、今朝の映像で、私が誰も近付いた事の無い、山中に有る静かな淵に辿り着いた事の意味が、理解されて来る。
「淵・エン・ふち」【解字】形成。「氵(水)+エン」音符のエンは、両岸がせまり、間にふちのある形にかたどり、ふちの意味を表す。
【字義】@ふち。水を深くたたえている所。川などの、特に深くなって水をたたえている所。Aしずか。ひっそりしている。
漢語林より
今朝のメッセージの映像は、時間的に順番に並べると次の様に成る。
1、私が「@ふち。水を深くたたえている所。川などの、特に深くなって水をたたえている所。Aしずか。ひっそりしている。」所に、一人で辿り着く。
2、人間が物を食べる食器が、水瓶の中に沈められている。
十二支の「酉・鳥」の年が巡って来た。
4、雷雨と暴風雨が襲って来るので、建物の屋根が飛ばない様に「棟木」と「束柱」と「梁」を、しっかりと固定しなければ成らない。
今朝のメッセージは、Bの「暦」「酉・鳥」の他は、全て水の世界に関係する事なので、昨日の文章に書いた、水素原子管理の世界に関係が有りそうである
・・12年目に「弁財天・サラスヴァティー」の働きを映す池(アンテナ)が完成する事に成り、今年の5月21日には、私が此の世界に飛び込んだ時に、「アンテナが二つ要る 其れは『四次元プログラム』と『水素原子管理』の仕組みである」と告げられた事が、両方完成するとの意味なのかも知れない。・・・
其れを考えると、Bの「暦」「酉・鳥」は『四次元プログラム』の事と関係が有り、@ACが、『水素原子管理』の事と関係が有ると、言う事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、私の意識(霊夢)を操るモノの正体が、何で在るのかが気に成って来る。
其れは、「水」の世界を管理し、「暦・カレンダー」で「年月日」を操り、「雄鶏」で人間を動かす存在である。
2003/9/6・・中国の古典にも、宇宙の気が変化する時は、先ず禽鳥(猛禽類)がそれを受け、鳥から人間の意識に、移譲されて来ると伝えられている。
私にも、19年前にそれが始まり、神の世界に引き込まれて行った。
そして、今日再び、鳥神が先導する「神の船」が、映り始めたのである。
日本の神社の「鳥居・とりい」も、神の使いの鳥が、門の上に来て止まる事を願うものである。・・・
「天の鳥船」 http://star.ap.teacup.com/170606/131.html
2012/4/16「鳥神」http://star.ap.teacup.com/20121223/114.html
其処に、立ち現れて来る物こそ、マヤ・アステカの神である「羽毛を生やした蛇」である「ククルカン・ケツァルコアトル」と「時間の操縦士」の関係性である。
2016/8/23「ケツァルコアトルの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3964.html
2016/6/22「羽毛の生えた蛇」http://green.ap.teacup.com/20060818/3894.html
2016/3/11「チャック」http://green.ap.teacup.com/20060818/3783.html
其の「羽毛を生やした蛇」の存在は、現在化石の発掘で明らかに成って来ている、鳥の先祖が1億2500万年頃に存在した「羽毛恐竜」であるとの事で、現実の物と成って来ており、我々の脳裏に潜んでいる潜在意識の中の飛翔するモノの正体が何であるかも、想像が付く様に成って来た。
其れは、タイムトラベルで時空間を旅しなくても、我々のDNA・遺伝子の記憶の中に、其の時空を旅するセンサーが存在して、チャンネルを合わす事が出来れば、何時でも自由に「ククルカン・ケツァルコアトル」の意識と接触が出来ると言う事であり、其の世界をジオラマとして展示している物が「時間の操縦士」の姿なのであろう。
今朝のメッセージの映像から、私が意識できるのは、今朝私が辿り着いた山中の淵には辿り着けなくても、自分が物を食べる器を、清水を溜めた水瓶の中に沈めて、水の波動をチャージする事は誰にも可能な事である。
先ずは、其の世界に挑戦する事が、来る事象の嵐から、自分の心身を護る事に繋がり、未来世界に一歩足を進める事に成るであろう。
其れは、私が、現実として通って来た道筋なので、不可能な世界ではないのである。
其の様に考えると、私の最大の功績とは、其の私が体験した事を、現実の事として人々に傳えられる事なのかも知れない。
其れこそが「KTC(知識と体験のコラボレーション)」の結果であると言う事に成るのであろう。
「KTC」Knowiedje Treining Collaborationの略
「Knowiedje 知識」と「Treining トレーニング」の「Collaboration コラボレーション」
だが、私の場合は、順番が「KTC」ではなく「TKC」であったので、他の人達とは、修行の段階・順番が違う事だけは補足して措きたいと意う。
其れに、今朝のメッセージで示されて来た「酉年」は、「う年(鵜)」との事であった。
其れは、太陽と関係の有る「エビス(イビス・Ebisu)朱鷺神」や「朱雀」「鳳凰」ではなく、水の中に潜って魚を捕らえる「鵜・う」の存在として示されて来たので、「女神石素(イシス)・天照大神」が乗る「太陽の船」に乗船するのではなく、自分自身が浦島太郎の様に、助けた亀(生き物の魂)の背に乗って、海中に住む「龍宮乙姫」の所に潜って行かなければ、時間・ときの秘密が納められた玉手箱を、貰う事は出来ないと言う事なのかも知れない。
平成29年1月12日
礒邉自適
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