言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2017/8/23
須佐之男尊の意識
29・8・23
「弁財天・サラスヴァティー」が乗船した宝船が、出雲の「須佐之男尊・すさのおのみこと」がお手植えした御神木の所に辿り着く霊夢を見せられてから、本日で丸20年が経過する事に成り、「王道」のブログを作らされてから6年目の日である。
今朝のメッセージの映像には、其の須佐之男尊の存在と言うか、意識に関わる事・世界が次々に映し出されて来た。
先ず、イギリス王室の様な長い伝統を有する、人間社会で最高のレベルに位置する家系の中から、映画007の主人公である「ジェームズ・ボンド」の様な男性が登場して、憲法や法律、其れに思想や国境や人種の壁を超えて、既成概念を壊して行き、世の中を改革して行く場面が映し出されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「3時25分」であった。
再び眠ってからの映像は、大勢が集まるパーティー会場で、グラスが載ったステンレストレイを片手で持ち上げ、人々の間を縫う様にして、先に進んで行くボーイの動きの様に、人間の姿は見えないのだが、水物が並べて載せられている大型のステンレストレイが、竹林の中を縫う様に、先に進んで行く映像が映し出されて来た。
次の映像は、テーブルの向かい側に、ゴリラかチンパンジーの様な感じの人の形の生き物が、座って居る場面が映し出されて来て、其の生き物は口が利けないのか、言葉を知らないのかは判らないが、私に両手を大きく動かして、私にもどかしそうに、何かを必死に傳え様としているのだが、私は何一つ、其れを理解できない儘その場面は終わった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「4時25分」であり、丁度1時間が経過していた。
次に、横書きの日本語の文章が映し出されて来て、私は其の文章に目を通して居たが、其の文章は、私が自分で書いた文章ではなく、天意が記されている物なので、私は其の意味を読み取って、自分で文章にしなければ成らない事が示されて来た。
次の映像は、私が街中に必要な物を買出しに行き、頼んでいた車に其れ等の荷物を積み込んでから、助手席に乗り込もうとすると、運転手の家族か知り合いが座って居るので、私が運転手の男性に「私は何処に乗れば良いか」と訊ねると、運転手の男性は「人間を運ぶのは聞いていない」と謂って、出発してしまった。
次の映像は、私が田舎の山中に空き家を探しに行き、一軒の木造の日本家屋の中に入って行くと、其の家は長い間使用されていないし、家財道具や塵が其の儘散らかっているので、其れ等の物を処分して、人間が住める様にするには、手間とお金が掛かり過ぎるので、住むのは無理であると思って居た。
次の映像は、冷蔵庫の中に、スーパーに置いて有る買い物籠の様な物が、二つ重ねられて入っており、其の籠は色違いであり、入れる物は分別しなければ成らない理・ことが示されて来た。
今朝は起きて、先ず「3月25日」と「4月25日」の文章に目を通して見た。
2017/3/25・・昨夜は眠る為に眼を閉じていると、森に向かう道路の左側に、青く熟した木の実が沢山着いている様子が示されて来て、足を進めると、黄色・赤色・緑色の、様々な種類の木の実が着いている様子が、映し出されて来た。
そして、眠ってからの映像には、折り畳み式に成っている大きなハンガー(衣紋掛け)を拡げる様子が映し出されて来て、其れはアメリカの大きな翼を持つ軍用機の様な、役割と言うか、力を有する物である事が理解されて来た。
そして、其の意味は、私の今後の役割と言うか働きに関係が有る事が示されて来て、其の大きな両翼の働きを支える為に、私の両側に優秀な若者が二人補助(左翼・右翼)役として、登場して来る様子が示されて来た。
それから、大きな舞台が有る施設の存在が映し出されて来て、其の舞台の上にプラスチック製の様々な形の塵が大量に散らかっているので、三人で其の大量の塵を片付ける場面が映し出されて来た。
そして、掃除が済んで、三人が舞台の上で配置に着くと、画面(舞台)全体に、漢字の少ない横書きの易しい日本語の文章が、上から下に無限に流れ下って行く場面が、映し出されて来た。
次の場面は、ライブ活動をしながら、有機農産物や自然食の全国宅配を行なっている、熊本県葦北のどれみ村の村長である「天波博文氏」が、部屋の中に有る事務机に座って居て、照明を点ける為に立ち上がって、天井に吊るされている蛍光灯の紐を引きながら、奥さんに「皆の真実の願いは 何なのか」と尋ねる場面が映し出されて来た。
昨夜眠る前に映し出されて来た、様々な木の実が生っている場面は、此処のところ数日間映し出されて来た、大地に生える植物の新芽の世界が、成長して木の実(子孫)を残せる段階に至った理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、其れ等の熟した木の実を、横に視ている私の意識(御魂)は、人間の物ではなく、鳥(鳳凰)の目線であり、私の脳活動には「コスモス(宇宙・庭園・秩序)」の働きを司る鳳凰の意識が、写り込んでいるのであろう。
其の様に考えると、今朝のメッセージの大枠が理解されて来るので、特大のハンガーや大きな軍用機のイメージも、理解されて来る。
そして、其の鳳凰の働きに関して、私や天波博文氏が、利用されていると言う事である。
其れが、天波博文氏が電気照明を点けながら、「皆の真実の願いは 何なのか」と奥さんに訊く場面であり、私が登場する舞台で、天から沢山の文章・言葉が緞帳幕(どんちょうまく)として、下されて来る場面の意味なのであろう。・・・
「鳳凰の両翼」http://green.ap.teacup.com/20060818/4186.html
此の文章と、今朝のメッセージの共通点は、私が書いた物ではない、横書きの日本語文章が映し出されて来て、其れが天意であるとの事である。
そして、其の天意は、現在では私にしか理解されない事であるので、何とか人類全体に、天意・神意が傳わる様に、事を図らなければ成らないと言う事なのであろう。
2017/4/25・・今朝のメッセージには、先ず、人間なのか、「ゴリラ」なのか「熊」なのか判らない様な、黒い生き物の姿が、右側から左の方に歩いて行く映像が映し出されて来た。
次に、村の広場で、祭りの様な事が行われており、私は其の広場の垣根の外から、其の様子を一人で眺めて居た。
そして、人々の様子が楽しそうなので、私も其の雰囲気に思わずつられて、両手を上に挙げて踊りの様に動かし始めた。
すると、上天気で青空なのに、雨が降って来たので、私は不思議に思い手を休めると、其の雨は止んだ。其れで、私がもう一度両手を挙げて動かすと、再び雨が降って来たので、私は自分の手の動きと、雨が降って来る事に関係が有る事が判った。
集まって来て居た人々にも、其の出来事が見付かった様で、私の所に其の人達が集まって来た。
其れから、其の事の噂が村中に広まって行くと、私が此の世界に入る切っ掛けを作った「土肥無庵」が、奥さんと子供を連れて遣って来た。
私は、其の「土肥無庵」と久し振りに話を始めると、広場の中に集まって来ている人々の中に、運動用のジャージを来た大柄の40歳位の女性が、相撲の四股を踏む様な格好を始めたので、私は女性が解放される時代が来たのだと思った。
其れから、私は土肥無庵が故人であった事を思い出し、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は4時15分であった。
私は、其の数字を「415・世一期」と記憶して、再び眠った。
すると今度は、ジャマイカのレゲエミユージシャンの様な服装をした、45歳位の男性が一人登場して、金箔を作る叩き台を作っている様子が映し出されて来て、其の男性は、台の上に張る材料の硬さを整える為に、敷物の材料を取替えながら、金槌で叩いて、音で硬さが適しているかを確かめて居た。
私は、其の男性の様子から、人間にとって一番大事なことは、自分の手で音を確かめる事であり、其れは本を呼んだり、他人に訊ねたりしても、理解できない世界である理・ことを理解していた。・・・
「音と神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4219.html
此の文章の内容と、今朝のメッセージの共通点が、ゴリラの様な森で生活する生き物が、映し出されて来て来ている事である。
其の事から考えられる事は、ゴリラ、チンパンジーや熊は、森の生き物であり、其れ等の動物が、私に何かを必死に訴えるのは、人間が地球の森林を無制限に破壊する事で、森の生き物の生存が脅かされている理・ことが、示されて来ているのであろう。
今朝、最初に映し出されて来た、イギリス王室の様な長い伝統を有する、人間社会で最高のレベルに位置する家系の中から、映画007の主人公であるジェームズ・ボンドの様な男性が登場して、憲法や法律、其れに思想や国境や人種の壁を超えて、既成概念を壊して行き、世の中を改革して行く場面が映し出されて来た場面は、其の儘「須佐之男尊・すさのおのみこと」の働きを示唆しているのであろう。
須佐之男尊の別名は「荒神様」で、其れは名前の通り「荒ぶる神(はたらき)」であり、気に入らない事・世界を、破壊する働きである。
其の荒神には、「憲法・法律・思想・国境」の制約は一切関係の無い世界であり、男性の本分は、自分自身が気に入った様に生甲斐を求めて生きて行く事である理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れは、現代社会が国家の規制で雁字搦めに成っており、日本でも岩盤規制が問題に成り、規制融和が求められている事でも明らかな様に、男性の生き方が思う様に出来ない事と関係が有る。
其れに、神社庁の存在や、仏教界でも古い体制で縛られており、新しい段階に進み出す事は容易ではない。
其れは、宗教関係だけではなく、教育の世界や、マスコミの世界も、同じ様なモノである。
竹林の中を縫う様に、水物が並べて載せられている大型のステンレストレイが、先に進んで行く映像が映し出されて来たのは、私が此処の所、考えさせられている「水」に関わる情報は、岩盤に閉じ込められているモノではなく、エキスと言うか真理の基本が、何処にでも自由に移動できるモノであり、真理(未来)を必要としない人々の間を抜けて、必要とする人間の所に配達される理・ことを、示して来ているのであろう。
其れは「救」の漢字が「支+求」の組み合わせである事と関係が有り、人類を救済する為の情報が、一枚のトレイに載せられており、人々が意識(おもい)を一箇所・一点に纏めなければ成らない理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「救・キュウ・すくう」【解字】形声。「攵(支)+求」支は、うつの意味。音符の求は、一点を求めて分散していたものがあつまるの意味。無秩序に分散しようとするものに歯どめをかけておさめ、すくうの意味を表す。
【字義】@すくう。たすける。㋐力や物を貸して助ける。「救助」㋑守る。㋒悪事や過失をやめさせ、正しくしてやる。Aすくい。たすけ。
漢語林より
今朝の映像で、私が古い家を見に行く場面と、買い物の車に乗せて貰えなかった場面は、私にはもう、自分の住処を自分で探したり、重い荷物を自分で運んだりする事は、考えないで良いとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れ等の事は、古希・70歳と成った私は、現場に直接関わる段階を、終えたと言う事に成るのであろう。
其れ等の事が示されて来なければ、私は是から「須佐之男尊・すさのおのみこと」為に、「ジェームズ・ボンド」の様に、世界を駆け回らなければ成らないと、思い込む恐れが有るので、神々が気を使って来ているのであろう。
其の様に受け取ると、神々の配慮が行き届いている事が理解でき、何となく気持ちが楽に成って来る。
キー「須佐之男尊」
2005/9/3・・今朝のメッセージは、須佐之男尊・すさのおのみことの歌と、「力」の漢字が一字だけ出て来た。
出雲に、須佐之男尊が「稲田姫」と暮らした、新居の跡に「須賀神社」が在り、日本の和歌の発祥の地とされている。
其の歌は「やくも立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」で、須佐之男尊が妻の為に、吟じた歌とされている。
今朝は、其の歌の一部が二度出て来た。そして「力」の字が一文字現れた。
其の字は、コンピュターに打ち込まれている字で、其の字が現れる様に仕組まれている、基板の電子記号が、色着きで映されて来た。
須佐之男尊は、「天照大神」や「月調命」と違って、力の神とされている。
其の力が、今朝は、妻を想う愛情表現の言葉として、示されて来た。
須佐之男尊は、八頭の大蛇を退治して、稲田姫を救った事に成っている。
しかし、今朝のメッセージは、力の意味が腕力ではなく、コンピュターに記憶されている文字の、電子信号メモリーとして示されて来たのである。
其の意味する処は、何なのだろうか。
此れからの国造りは、腕力の力ではなく、言葉や文字が、力を持つとの事であり、其れもインターネットに打ち込まれる、情報に因るモノと成るとの事ではないだろうか。
肉体が移動するのには、時間とお金が掛かるが、インターネットでの情報は、時間も金も掛からず、おまけに世界中同時に、情報が伝えられるので、時間のロスもない。・・・
「須佐之男尊の記憶」http://star.ap.teacup.com/170606/568.html
2012/8/10・・須佐之男尊は、出雲に渡って来て「地祇・くにつかみ・国津神」である「大山祇神・おおやまつみかみ」系の娘である「櫛稲田姫・くしいなだひめ」と結婚して、雲南市須賀に心境を構え四人の子供が生まれている。
そして、子供達が成長してから、長男「湯山主命」に家を任せて、次男の「五十猛命・いそたけるのみこと」と大陸に渡って公孫樹などの苗木や木種子を持って帰り、娘二人「大屋津姫命」と「都麻津姫命」に育てさせながら、全国に植林をして回っている。
其の事から、全国の製材所の神様には「五十猛命」が選ばれており、二人の娘の行為は、宮崎県高千穂神社で行われる33番のお神楽の中でも演じられている。そして、和歌山県が「紀国・木のくに」と呼ばれるのも、須佐之男尊の親子が植林をした事が由縁であるとの事である。・・・
「須佐之男尊の世界」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54107459.html
2012/3/3・・何故なら、「すさのお」とは「苆の尾・穂」で「スサ・苆」とは「艸+切」で土壁にヒビが入って崩れない様に、藁や草を刻んで混ぜる物の意味であり、神社で使われる「御幣(ごへい)・紙垂(しで)」と同じ様な物であるからである。
「須佐之男尊、素戔嗚尊」は、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が小戸のあわぎ原で禊ぎ祓いをした時に、イザナギの鼻から生じた神・はたらきで、海原を治める役割を担っている。其の海の概念は、生物が「うみ・産み・海」から生み出された理・ことを意味し、「苆の尾・苆の穂」とは生物の拡散、生命の鎖の事を意味しているのである。だから、動物で言えば狐の「尻尾」の形態であり、植物でいえば「穂」の形状を言い表しているのである。
そして、神社の三種の神器で言えば、胎児の形を現す「勾玉・まがたま」に当たる。・・・
「すさの穂の働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/2234.html
2005/9/4・・今朝のメッセージは、人間の存在の基本の処から、改めて遣り直す事を伝えて来たのだろう。
其れは先ず、人間の存在も、地球の全生物と同じシステムを有しているので、其の基本の処から、認識し直さなければならないとの事である。
一番大事なことは、地球の生物は、雌の性が基本と成っているので、雌の本能を大事にし、其れが真っ当される社会システムを、創り上げなければならない。其れが、須佐之男尊の働きとして示されているのだ。
其の理を、皆で再認識する為に、此れから全てのシステムが、稼動を始めるのだろう。・・・
「スポットライトを浴びる一人の女性」http://star.ap.teacup.com/170606/569.html?rev=1
2011/8/23・・私には1997年8月23日の未明に、弁財天が宝船に乗り込んで出港する映像が現れて来て、其の船の行き先を確かめると、到着した所の土手の上に、大きな樹木が枝を広げて立っていたのである。そして、其の木は10月に出雲の安部忠弘氏を訪ねて、安部氏に近くに有る佐世神社を案内して貰うと、其の境内に御神木として実在したのである。
其の御神木は「椎の木」で、須佐之男尊が斐伊川の上流で櫛稲田姫と出会い、川を下って来て、佐世の岡で舞を舞い、其の時に手にしていた枝を地面に刺して、其の枝に根が生えて大きく成り、幹が年老いては、根株から出ていた芽が大きく伸びて大木と成って世代交代をし、現在の幹は六代目の物であるとの事である。
そして、地名の「佐世・させ」は、須佐之男尊が枝を「さした・させ」との云はれから来ているらしい。・・・
「王道」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2033.html
2000/11/16「意識の基点」http://moon.ap.teacup.com/20061108/15.html
2001/6/21「大田に下車せよ」http://star.ap.teacup.com/170606/437.html
2002/2/15「斎草・さいぐさ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/161.html
2002/11/18「静寂と動機」http://wave.ap.teacup.com/20060106/435.html
2003/5/28「樹木霊」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/473.html
2006/3/21「大山祇神発動」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/98.html
2006/9/9「自分の中に住む白蛇」http://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
2006/11/24「開門」http://moon.ap.teacup.com/20061124/2.html
2007/7/18「五十猛命」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3276.html
2007/8/25「大黒・荒神」http://green.ap.teacup.com/20060818/430.html
2007/9/11「生命の記憶2」http://green.ap.teacup.com/20060818/2962.html
2009/4/9「あけわたし」http://green.ap.teacup.com/20060818/1103.html
2010/4/30「126代」http://green.ap.teacup.com/20060818/1522.html
2011/12/23「見えて来た神一厘の仕組み」http://green.ap.teacup.com/20060818/2160.html
2012/1/30「月読み界」http://green.ap.teacup.com/20060818/2198.html
2012/6/29「御神木」http://green.ap.teacup.com/20060818/2356.html
2012/8/8「開発から保全へ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2398.html
2012/8/29「エジプト暦の元旦」http://green.ap.teacup.com/20060818/2422.html
2012/9/13「日輪」http://green.ap.teacup.com/20060818/2437.html
2012/12/10「キリスト意識 6」http://green.ap.teacup.com/20060818/2527.html
2012/12/20「須佐之男尊の善行」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2537.html
2013/1/14「言霊の会」http://green.ap.teacup.com/20060818/2562.html
2013/3/10「壽・みどり」http://wave.ap.teacup.com/20060106/506.html
2013/3/13「516」http://green.ap.teacup.com/20060818/2621.html
2013/12/21「同行」http://green.ap.teacup.com/20060818/2908.html
2014/5/3「人生は旅そのもの」http://green.ap.teacup.com/20060818/3044.html
2014/7/4「エホバの煙幕」http://green.ap.teacup.com/20060818/3119.html
2014/8/2「命蒔」http://wave.ap.teacup.com/20060106/552.html
2015/3/4「須佐之男尊&櫛稲田姫」http://green.ap.teacup.com/20060818/3381.html
2015/4/10「一位樫の御神木」http://green.ap.teacup.com/20060818/3422.html
2015/5/4「富士と鳴門の仕組み」http://green.ap.teacup.com/20060818/3454.html
2015/7/28「生命の歴史本」http://green.ap.teacup.com/20060818/3547.html
2015/7/31「天国と薬草」http://green.ap.teacup.com/20060818/3550.html
2015/8/2「到著」http://wave.ap.teacup.com/20060106/589.html
2015/8/23「結婚」http://green.ap.teacup.com/20060818/3573.html
2015/10/10「スサノオと神獣達」http://green.ap.teacup.com/20060818/3621.html
2015/12/18「自由な暮らしと住み分け」http://wave.ap.teacup.com/20060106/627.html?rev=1
2016/5/8「二回目の禊ぎ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3845.html
2016/8/23「ケツァルコアトルの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3964.html
2016/10/28「逆鉾・さかほこ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4035.html
2016/10/29「拈華微笑の記憶」http://green.ap.teacup.com/20060818/4036.html
2016/12/13「意味が解読出来た」http://green.ap.teacup.com/20060818/4082.html
2017/1/16「猨手(えんしゅ)大神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4117.html
2017/3/7「自由に生きる人々」http://angel.ap.teacup.com/20071208/852.html
本日の調べ 以上49件
平成29年8月23日
礒邉自適
2017/8/3
道路までは可い
29・8・3
本日8月3日は、私の両親が昭和22年(1946)8月3日に初めて屋久島に上陸した日であり、それから71年が経過する事に成る日である。
今朝は、2時頃に意識が目覚めて、自分が是から何をすれば良いかを想い始めた。
そして、人々に漢字の象形の意味を教えるイメージ・ビジョンが湧き出して来た。
私は、其の場面から「漢字一字の真実の意味が理解されば、後は一気に解けて来るのだ」と思った処で、時間が気に成ったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は丁度3時00分であった。
其れから、暫く瞑想して居ると、頭に男性の声で「道路まではよい」との言葉が一言告げられて来たので、其の意味を考えていると、次の様な事が理解できて来た。
・道路までは良いが 道路に出て歩き出すと 止まれなく成る。
・道を歩き始めれば 自分の立ち位置が無く成る。
其の理・ことを考えると、其れは「釈迦仏陀の十二因縁起」の訓えと、「老子の三宝」の訓えに通じる世界であると思った。
すると「面汚し」との言葉が告げられて来たので、起きてPCを3時47分に立ち上げて「面汚し」を調べると次の様に載っている。
「面汚し」
その人の属する社会や仲間の名誉を傷つけること。面目を失わせること。「旅の恥はかき捨てでは日本人の面汚しになる」
デジタル大辞泉
面汚し
不名誉なことをして、世間に対して体面をそこなうこと。その人の属している家や仲間の恥となること。顔汚し。 「仲間の−になる」
大辞林 第三版
此の面汚しの意味からすると、私が是から道路に出て歩き出せば、釈迦仏陀や老子の名を語って来た私が、彼等と言うか神霊・聖者の人達の面子を潰す事に成ると言う事であり、其れは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」や、人の前に立つ事をしなかった私の父親の意思を、無視する事に成るとの理・ことなのではないだろうか。
今朝は、文章の題を「道路まではよい」の「よい」を、どの漢字にすれば良いかを考えて、「可能」の漢字を調べて見た。
可能[名・形動]《「能(あた)う可(べ)き」の音読》
1 ある物事ができる見込みがあること。ありうること。また、そのさま。「現在可能な方法は限られている」「実現可能な(の)計画」
2 文法で、そうすることができるということを表す言い方。動詞の未然形 ...
デジタル大辞泉
「可・カ」【解字】会意。「口+丁」口は、くち、丁は、口の奥の象形。口の奥から大きな声を出すさまから、転じて、よいの意味を表す。可を音符に含む形成文字に、何・河・呵・柯・歌・珂・苟・荷・軻・などがあり、これ等の漢字には基本文字・基本主義が表すある種の擬声語、呵・歌・軻・などのような「かぎがたに曲がる」の意味を共有するものが多い。
【字義】(一)@よい。まあよい。よいところ。美点。Aきく。きき入れる。してよいとする。B助字。1べし。㋐可能。・・・できる。㋑・・・するがよい。㋒・・・してよい。2ばかり。・・・ぐらい。(二)→可汗・
「能・ノウ・ドウ」【解字】象形。金文では、尾をふりあげ、大きな口をあけた「くま」の形にかたどり、くまの意味を表す。借りて、能力としてできるの意味を表す。
【字義】@あたう。できる。たえうる。Aよく。よくする。Bはたらき。ちから。才能。「有能」Cききめ。「効能」D才能にすぐれている。また、その人。
漢語林より
今朝は、「能」の漢字は以前に調べた事が有るので、検索して見ると、次の文章が出て来たので、今朝「道路まではよい」と告げて来たのは、記紀で天神を向かえに出たと傳えられている「猨田彦大神」であり、私に、道路まで出るのは良いが、決して歩き出しては成らないとの理・ことが、告げられて来ている様な気がする。
2015/9/11・・本日9月11日は、ニューヨークテロ事件から14年目と成る日である。
今朝のメッセージの内容は、其の様な事件とは反対に、人類に良き知らせと成る物であった。
先ず、様々な木の実が澤山採れて、食べ物として茶碗の様な器に入れられ、皆に配られる映像が映し出されて来た。
次に、岡山の「スーリアさん」が、妹さんや娘さん達と現れて、一緒に神社に参拝に行く事に成った。そして、スーリアさんが、私に、「参拝が終わってから 映画を観に行くので 余り時間が無い。」と謂ってから、「時間は 神様に訊いて」と云って、先に出発した。
私が、紙のテープの様な物を、前の地面の上に左右に拡げて、年月日や時間の数字が、テロップの様に映し出されて来るのを待って居た。
そして、示されて来た数字を書き留めると、次に「30億」との数字が告げられて来た。私は、其の30億の数字が、何を意味するのかを考えながら、神社の方に向かった。
私は、神社に到着して、一般の参拝者が通る所から左に折れて、奉納者・関係者だけが通る、竹柵が有る細い道を進んで行った。
すると、境内の庭で、頭から稲藁の簾(すだれ)の様な物を被っている、細身の30歳代の神官の恰好をした男性が、スマートフォンの様な物を見ている姿が見えた。
次に、私は、神社に何を奉納しに来たのかと意って、自分の手を見ると、私の手は人間の手ではなく、猿の両手と成っているのである。
私は、其の両手を視て、自分が「猿田彦神」に成っているのだと思った。
今朝は、最後に頭上で、落ち着いた年配の声で、「よくとれた」と謂う言葉が、一言だけ聴こえて来た。
今朝のビジョンで、自分の手が猿の両手と成っていたのは、「猿田彦神・さるたひこかみ」の「田・た」は、「手力男(たじからお)」「手綱(たずな)」「環(たまき)・手巻」と同じなので、田は手である事になり、猿田彦神は「猿手彦神」で、猿田彦神は「あの手 この手」を使って、神々や人間を、良き方向に導く神(はたらき)であると言う事に成るのであろう。
そして、今朝最後に、落ち着いた年配の声で「よくとれた・能く采れた」との言葉が一言頭上で聞こえたのは、其の猿田彦神の役割・はたらきが、巧く行った事を示して来ているのであろう。
其の様に考えると、今朝の映像で行く事に成った神社は、猿田彦神が主祭神である、出雲の「佐太神社」であるのだろう。
何故なら、佐太神社の主祭神は「猿田彦神」であり、左右に「須佐之男尊・すさのおのみこと」と「天照大神」が祭られており、右社の「天照大神」の神紋は「輪違い紋」で、スーリアさんの家の家紋と同じだからである。
今朝の映像で、スーリアさんが、私に「時間・ときは 神様に訊いて」と云ったのは、「スーリア」とはインドの言葉で「太陽」の事なので、年月や時間や季節は、太陽の存在にて、生じている理・ことを示唆しているのではないだろうか。
そして、今朝、私が参拝した神社の境内で、頭から稲藁の簾(すだれ)の様な物を被っている、細身の30歳代の神官の恰好をした男性が、スマートフォンの様な物を見ている姿が見えたのは、日本の神事は「稲作」を中心とした文化から生まれた事を示唆しており、其の神官が、スマートフォンの様な物を見ていたのは、現代の人間社会は情報システムの時代なので、古代の道案内の様な神(はたらき)は、スマートフォンで十分果たせる様に成っている理・ことを、示しているのではないだろうか。
其れに、年月・暦の事を考えると、1996年2月11日に私の妻であった故「井上佳子」の霊夢に「スーリアさん」の存在が示されて来た事が有り、其れは「建国記念日」の日であった。
其の出来事を考えると、「年月日・時間・暦」の管理は、猿田彦神が行っていると言う事なのかも知れない。
其れに、猿田彦神の神紋は「扇」なので、今朝の文章の題は、采配の「采・サイ」の漢字を使用して「能く采れた」とした。
能と采の漢字を今調べると、次の様に載っている。
*「能・ノウ・ドウ」【解字】象形。金文では、尾をふりあげ、大きな口をあけた「くま」の形にかたどり、くまの意味を表す。借りて、能力としてできるの意味を表す。
【字義】@あたう。できる。たえうる。Aよく。よくする。Bはたらき。ちから。才能。「有能」Cききめ。「効能」D才能にすぐれている。また、その人。
*「采・サイ」【解字】「木+爫」木は、甲骨文では、果につくるものもあり、木の実の意味。爫は、手の象形。果実を採取するの意味から、一般に、とるの意味をあらわす。采を音符に含む形声文字に、彩・採・菜・綵などがある。
【字義】(一)@とる。手にとる。えらびとる。=採。A知行所。領地。Bいろどり(彩)もよう。あや。Cすがた。かたち。「風采」Dつかさ。官職。Eみつぎ。みつぎもの。(二)@知行所。Aな(菜)野菜。国語 サイ。采配の略。昔、大将が軍を指揮するのに使った道具。
漢語林
此の「采」の漢字の説明には、「爫は、手の象形。果実を採取する・・」と有るので、今朝の最初の映像に器に木の実が盛られていた事と、私の両手が猿の手に成っていた事は、其の采の字義に合っている事になり、私にメッセージを送り着けて来る神霊は、猿田彦神である可能性が高く成って来た。
其の様に考えると、是まで数度、其の猿田彦神が祭祀されている神社で、不思議な事が起きた現象の謎も、解けて来ると言うものである。
猿田彦神が、実在した人物の御魂であるのなら、9月1日の映像に現れて、自分の著書を、私に手渡した弘法大師空海の存在に継いで、此の三次元世界の事に詳しい熟練者が、最後の締め括りをしている事になり、物事・物語は、最終章に差し掛かって来ている様である。
今朝の映像で、テロップの様に示されて来た「年月日・時間」の数字は、明確ではなかったので、記憶には残っていないが、30億の数字は金額ではなく、若しかしたら人間の数であり、現在の70億人が30億人まで救われる段取り、采配が、整って来たとの事なのかも知れない。
其れに、2008年9月15日のリーマンブラザーズ証券の倒産に因る世界同時金融危機の事が、2005年10月7日に「2008年9月15日から 具体的な事を 起す」と告げられて来た事も有るので、人間界の経済の動きにも、天神(てんのはたらき)が関わっている事は、間違い無い様である。
其の様に考えると、14年前の9月11日の出来事も、其の背景に付いて、深読みしなければ成らないのであろう。
「能く采れた」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/603.html
現在の時間は8月3日「5時10分」である。
71年前の今頃は、両親が乗った船が、一湊の港に入港して、父親が黒いシルエットに成っている屋久島の山岳を、デッキから眺めて居たのかも知れない。
船は一湊の港で荷物を降ろしてから、宮之浦港→安房港と廻り、私の両親が、沖合いに停泊した船から艀に乗り換えて、安房川の桟橋に降りるのは昼頃である。
先ほどから、雀や烏が鳴き始めた。間もなく蝉が鳴き始めるであろう。
5時17分
其れから、再び寝床に横に成って眠ると、次の様な映像が映し出されて来た。
私が自分の家に帰ると、部屋の中に、白い服を着た頭髪も白く顎髭も真っ白な60歳代の男性が、布団を敷いて横に成って居るので、私は驚いて「あんたは誰か」と訊ねると、起き上がって布団の上に座って「白髭」だと答えた。
「白髭様」とは、由香の母親の家である此の自宅に祭祈されている神様の事で、白髭様とは「猨田彦大神」との事の様なので、猨田彦大神が其の姿を現した事に成る。
次の映像は、私の自宅に50歳代の大学教授の様な男性が、30歳位の若者(弟子・研究生)を一人伴って訪れる場面が映し出されて来て、私が語る事を本に纏めるとの事なので、広間に机を幾つか合わせて、広いテーブルを用意し、澤山の書類・資料が広げられる様にしていた。
其れに、若者が音楽を聴く為の機器を持ち込んで来たので、私は掛ける音楽を指定して居た。
其れ等の事に付いて考えて居て、時間が気に成ったので起きて時計を見ると、時刻は6時36分で長短の針が重なるところであった。
今朝の由香が見た夢は、家の中に猫が侵入して来て、甘えて来るので、腕に抱いて撫でている場面と、私と一緒に居る部屋の中に、蜜蜂が巣を作っており、蜂蜜が澤山飛び回っていたとの事である。
今、其の由香から電話が掛かり、車に乗ったらカーナビの案内で、今日は「蜂蜜の日」だとの事で笑っていた。 8時50分
きー「猨田彦大神・猿田彦神・猿手彦神」
2002/10/24・・10月9日には、小田原氏に福岡市内に在る「熊野神社」に案内して貰い、社の前に立つと「名前を与える」と告げられ、私が怪訝(けげん)にしていると、「他の人間に 与える事は 出来ないから」と、重ねて告げられた。
私は、神名などを欲して、これ迄続けて来たのではなく、体を借りに来た4311体の霊界人が、早く成佛してくれれば良いと、それだけを想って来たので、今更、名前など貰っても全然嬉しくはない。
それでも、神社の祭神が困っている様なので、由緒書きを読んで見ると、熊野神社の祭神は「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」だが、合祀させられたのが「道祖神社」で、本々は道祖神が祭られていた場所らしい。祭神の名は「クナドの神」で、又の名を「道反大神」「黄泉大神」と言うと説明されている。
此の神は、現世と、あの世(黄泉の国)の間に存在する神らしい。
有名な「猿田彦神」も、高天原と現世の間に位置する神で、道祖神とされているので、同じ働きの者だろう。
由緒書きの中には、「此の神は 巨石を以って 象徴され、街路坐(みちにま)して悪霊を防ぐとされ、『船戸神』『久那斗神』とも呼ばれている」とある。
この神の働きは、この世とあの世の間を司るもので、サイの河原を牛耳るサイの神であり、名前を書き出すと「道祖神」「道反大神」「塞其黄泉大神(さいにますよみどのおおかみ)」「黄戸の大神」「岐神(ふなどのかみ)」「久那斗神」「船戸神」、そして、人間としては「猿田彦の神」と成るようである。・・・
「よみどの大神」http://star.ap.teacup.com/170606/303.html
2006/4/1・・1984年の夏には、小倉に有る「田川ホテル」から、朝「無庵師匠」の家に向かう途中、道を間違えて「瑜伽神社」の前に出たので、お参りをして「猿田彦神」と彫られている石に、清めの水を一度掛け、二度目を掛け様とすると、一番上に彫られている「猿」の文字の所に、新しい5円玉と1円玉が突然に現れた。
私は、其の二枚の硬貨を三途の川の渡し賃である「6文銭」だなと想い、其の6円を手に取り、前日に買ったばかりの、新しい車のキーホルダーの小銭入れに入れて、再び無庵師匠の家に向かった。
そして、其のキーホルダーを無庵師匠の自宅居間の応接台の上に置き、食堂のテーブルで朝食を摂っていると、又、目の前に5円玉が出て来た。
私が、変だなあーと想っていると、又、続いて1円玉がテーブルの上に出て来た。
私が、其の出来事に変だなと想い、襖を開けて、隣の部屋の応接台の上に置いて有る、キーホルダーの中を見ると、神社で入れたお金は消えて、ホルダーの小銭入れの中は、空に成っている。・・・
「猿田彦の神」 http://star.ap.teacup.com/170606/1079.html
2008/11/7・・今朝のメッセージは、端の方が見えない程大きな、新しき地図が広げられており、其の地図の上に、花崗岩の石塚の様な物が立っていて、其の石が、私の意識を導いていた。
私の意識は、其の石塚に引かれながら、是が「猿田彦神」の働きだと感じていた。そして、「猿田彦」とは「去る手彦」で「過去から 未来に去る為に 新しき旅人が歩き出すのを 手で引いて導く男」の意味である理・ことを理解した。
猿田彦神は「久那斗神・くなどのかみ」で、石をもって街路坐(みちにま)して悪霊を防ぐとある。
其の意味からしても、今朝の石の塚が、私の意識を導いていた事の理由も納得が行く。・・・
「新しき道」 http://green.ap.teacup.com/20060818/942.html
2014/3/30・・4月1日は、新年度の始まりの日である。
確かに、新しい事象の扉が開かれると言うか、正しい「紀(トキ)の祭り」が始まるのではないだろうか。
そして、其処に、私も重計の姿で、磐座・岩戸の前に立つ事に成るのであろう。
其れが、「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」の役割を果たす事であり、自分の血筋である「礒邉・磯部・石部・石工・メイソン・石屋・148」が、復活するとの事でもあるのだ。
「重計」http://green.ap.teacup.com/20060818/3010.html
2017/1/15・・昨日は、八幡神信仰の始まりの地とされる築上町に存在する「金富八幡神社」に、初めて参拝した。
其の説明書きの中に、宇佐八幡宮創建の為に榊山に仮殿を造り「斧立て」の行事を行ったと書いて有るので、昨日のメッセージの映像の、私が寝かした木を斧で切る場面と、関係が有る事が判り、私が急に参拝を思い立ったのは、其の「ヤハタの神(ヤマトヨ・ヤバタ)」に、呼ばれたらしい事が判った。
其れに、古い方の参道には13基の「猨田彦大神」「庚申」「賽神」が並んでいた。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有る様である。
昨夜は、眠る為に目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
其れは、私が一人で、細い地道を歩いて進んで行く場面であり、人家が途切れた所から、山麓の通じている坂道を登って行くと、右側に石造りの建物らしき物が一棟だけ存在した。
其の建物を通り過ぎて、更に登って行くと、少し開けた場所が有って、其処からは下界が望める事が判った。
私の意識は、更に頂上を目指そうとしたが、其れから上は木立に成って繁っており、道らしき物は何も見当たらないのである。
其れに、私は腰鉈(刃物)も提げていないので、道を切り開く事が出来ないので、どうしようかと意って居るところで、其の映像は終わった。・・・
「前人未到の綱渡り」http://green.ap.teacup.com/20060818/4116.html
2017/1/16・・其れを考えると、私は「猨手(えんしゅ)大神」として、新しい時代の「天津神・てんのかみ」を迎えなければ成らないのであろう。
其れは、人間が「霊止・ひと・人」として完成する事であり、其の為には「心(こころ・精神・たましい)」と「身(からだ・肉体・健康)」を鍛え上げなければ成らないと言う事であり、其の為には、現在の人間社会体制とは全く次元の異なる村と言うか、場・フイルドを、創設する必要があると言う事なのではないだろうか。
今朝の題は「援助」の援・エンを使って「援手(えんしゅ)大神」にしようかと意ったが、辞典を調べると援は「引き上げてやる手」の意味なので、神は上から降るモノなので、其の字は合わない事が判かり「猨手(えんしゅ)大神」とした。
「援・エン」形成。【解字】「扌(手)+爰」音符の爰・エンは、ひくの意味。手を付し、ひくの意味。
【字義】@ひく。㋐ひっぱる。また、引きよせる。㋑ひきあげる。ひきあげて用いる。登用する。㋒引用する。「援用」Aたすける。すくい助ける。「援助」「応援」「救援」Bたすけ。 漢語林より
此処まで打って来たら、今朝のメッセージの内容から、私は「前人未到の綱渡り」に成功しているのではないかと、思った。
「猨手(えんしゅ)大神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4117.html
今朝のメッセージの映像から私が考える事は、私自身が家離・たびをする事は終わっている理・ことが示されて来ており、私は自宅から出ずとも「猨田彦大神」が神霊界で働いて、他の「神(はたらき)」を、私の下に、案内して来る時節が到来した事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、私は「魯迅」の謂う「誰かが歩いた跡が 道に成る」との理・ことを、遣り遂げたと謂う事に成るのではないだろうか。
キー「魯迅」
2007/12/8・・今朝は、深い森の中に入って行くと、途中に熊野古道の様な、大きな杉が生えている並木道の、旧街道が横に走っており、私は其の道を、横切って進んで行った。
其れは、昔の人が歩いた道を、進んでは成らない事を意味しているのであろう。既に、昔の人が道を整えているから歩き易いと言って、其の道を歩く事は、未来を切り開く事には成らないと言う事である。
屋久島の山岳には、峰から峰へ続く山道が有り、其の道筋には、立ち木に斧で削った道標(栞・木に付けた切り傷の意味)が刻まれている。
しかし、今朝私が進んで行く森の中には、其の栞・しおりも無いのである。
其れは、魯迅の謂う「誰かが歩いた跡が 道に成る」との世界を、実行する事である。其れは、単なる自分の個人的な人生コースの事を謂っているのではなく、人類全体の思索の方向性を謂っているのである。
何時の時代も、誰かが新しい思索の道を切り開く為に、社会全体が其れに股肱・ここうして、其の作業を進めているのである。
其れこそが、釈迦牟尼佛の謂う「ダルマ・法」の世界であり、老子の謂う「タオ・道」の世界ではないだろうか。其の様に考えれば、今朝、私が観た世界は、老子の謂う「道」其のモノと言えるのではないだろうか。・・・
「新しきライフスタイル」 http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1032.html
2012/3/22・・私が、今朝の映像から考えるのは、私は、何時も他人より、一歩先を歩いて来たと言う事である。其の行動と言うか癖が、現在まで続いているので、いまの私の人生が有るのだろう。訊いた事が有る、中国の文学者「魯迅・ろじん」の言葉「道」に付いて、ITで検索すると次の様にある。「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」訳例1、希望とは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。 2、思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。最初はどんな世界でも道なんてない。いばらの中を必死に歩き続けるからこそ、あぜ道となり、やがてそれが道として認められる誰かが歩いた後には、道ができる。・・・
「絶えず一歩先へ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2253.html
2015/7/16・・今朝の映像の場面には、私自身は何も関わりが無く、其れ等の事・情報を、唯見ているだけであった。
其れは、昨日のメッセージの映像で、私自身が、人間社会の活動・葛藤に巻き込まれる事とは、反対の世界である。
其れを考えると、私は三次元である人間社会に、此れ以上、関わる事は必要ではなく、矢追日聖氏に告げられた「黎明は訪れたり東方の光、大法は立てり大倭太加天腹」との言葉の続きに付いて、取り組んで行く必要があるのかも知れない。・・・
「幸福な社会創造」http://green.ap.teacup.com/20060818/
2016/6/7・・今朝のメッセージは、昨日の続きの様であり、昨日映し出されて来た「額縁・絵殿・エデン」の中に、人々を送り込むサポートの必要性が示されて来た。
其れは、昨日の映像に映し出されて来た「葱の茎」と関係が有り、其処に至る通路は「ぬるぬる」「つるりつるり」であり、手掛りが何も無いので、何物かの「手助け・サポート」が必要であると言う理・ことであった。
昨夜は、眠る前に目を閉じて居ると、瞼に、斜めに伸びている生きた樹木枝が映し出されて来て、私の意識は「猿」の様に、其の枝先の方に向かって居た。
次に、薄暗い世界に、全て同じ形の黒い骨壷の様な物が、高速道路のジャンクションに車が延滞・渋滞している様に、方々から数限り無く、ぎっしりと隙間無く並んでおり、其れ等の壷は「御霊」を意味しており、私が存在する所に、押し寄せて来ようとしている意味である事が理解されて来た。
昨夜から今朝に掛けてのメッセージ映像は、人類の先祖である類人猿が木に登って生活して居た時点から始まり、是までの「骨壷・御霊」が、全て、或る所に集まろうとしている理・ことが示されて来ており、其の事に、私の存在が関係有る事が示されて来ているのであろう。
其れは、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、「閉じた幕壁」と「開かれた黄金比の額縁」に関係が有り、全ての御霊・御魂が、私の開いた次元に押しかけて来ると言う事であり、其れは、凄い渋滞をすると言う理・ことなのであろう。
其れは、是まで、葬式に関わりを持って来た「僧侶」や「神父」が、正しい御霊送りをしていなかった所為であり、神社の神官・神主が正しい儀式を行って来なかった所為なのであろう。
其の様に考えると、昨夜、高速道路のジャンクションの様な所に、数限り無く延滞・渋滞していた骨壷の様な物は、「エデン(絵殿・笑田)」に帰りたくて、先を急ぐ「御霊」の存在を示していたのであろう。・・・
「未来へのサポート」http://green.ap.teacup.com/20060818/3878.html
2017/4/23・・「善人は山に登り 悪人は地下に潜る」
今朝のメッセージの映像は、少し風変わりのモノであった。
其れは、簡単に説明すると、次の様な場面である。
先ず、私が山に登って居ると、登山道の最も重要な曲がり角の所の「目印・標識」を、誰かが抜き捨てているので、私は、道を知らない初めての人が登って来れば、其処で迷ってしまい、頂上に向かえなく成ってしまうと思った。
其の登山道に慣れている私は、近くに存在する基準点の石柱の在りかを知っているので、測量機器が有れば測量をし、元の標識の位置を割り出して、復元出来る事を思って居た。
そして、私は、誰が其の標識を抜き捨てたのかと思って、下の方を捜して見ると、其の抜き捨てた標識の根本が転がっていたので、其れを拾い上げて見ると、其れは、枯れてしまっている植物のウドの塊根(かいこん)であった。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は大量の情報の中から、最も重要な核心部分の情報が、拡大されて来た。
其れは、万民が生活する為の、基本方針に付いての情報部分である。
そして、其の情報は、田舎暮らしをする夫婦と、都会暮らしをする夫婦とでは、活用する部分がある程度、違いが有る事が示されて来た。
其れから、其の事は、4月18日のメッセージに映し出されて来た、三個の〇の一つと関係が有る事が示されて来た。
18日・・次に、満月の様な感じの三個の〇が、横に並んでいる場面が映し出されて来て、其の三個の〇は、右上頭の部分が同じ様に少し欠けていた。・・
「山に登る意識」http://angel.ap.teacup.com/20071208/899.html
今朝の由香の夢は、自宅に「入り猫」と、蜂蜜を澤山貯えている「蜜蜂」の存在が映し出されて来ている。其れは、どちらも吉兆を示唆する場面であり、本日が「蜂蜜の日」である事とも連動している。
蜂に付いては、昨年の11月9日(救急車の電話番号)に、私がスズメバチに頭頂を二回刺されて救急車で病院に運ばれる事件が有ったが、先月22日には由香が畑の道路で、ブロックの穴に巣を架けていた足長蜂に右足首を刺される事件が有り、私は頭の頂点で、由香は足首なので、上下の端が蜂の神(はたらき)を受けた事に成るので、考え様に因っては「夫婦・ペアー」で天地が通じた事に成る。
本日8月3日が、私の両親が屋久島に渡ってから71年目の日である事を考えると、私の両親が果たした役目と言うか、天神(てんのはたらき)のプログラムも、取り敢えず一段階を完了したと言う事に成るのではないだろうか。
そして是から始まる事は、人類全体を「コスモスの神額・絵殿の園」に導く、大往生の道を整えると言う事なのであろう。
2011/8/22・・其の蜜蜂の映像は、現在世界経済をコントロールしている「薔薇十字」の組織のマークが、赤い薔薇の花に、一匹の蜜蜂が右側から左を向いて止まっている姿と関係が有り、其の蜜蜂には、天・神が蓋を閉めて、活動を止めてしまう事を意味し、別の蜂が、天地創造のアダムとイブに、使わされるとの意味を示して来ているのかも知れない。
其の蜂は、私が此の世界に入った時に、紫陽花の花に逆向きで止まっている姿で映されて来ている。
薔薇は、西洋の花だが、紫陽花は日本原産の花である。
其の日本原産の紫陽花に、蜜蜂が逆向きに止まっていると言う事は、人間の意識が逆向きに成ると言うか、経済の仕組みが、西洋形から、日本形に変わるとの意味であろう。・・・
「古い形は閉じて行く」http://green.ap.teacup.com/20060818/2032.html
2016/1/17・・其れは、此の世の代表として、男性の「長・おさ」がテーブルに着いて、其の「客・キリスト・メシヤ」を迎える場面であり、其のセッティング【setting】をするのが、私の役割であると言う事に成る。
其れは、讃美歌の「主は来ませり」の言葉に有っているが、今朝の言葉は「主は在りませる」だったので、テーブルで客人を迎える場面ではなく、建物の木の中や地面の中で働いている生き物の方が、「主は在りませる」の言葉と合っている事に成るであろう。
其れは、木の中で働いている生き物は「白蟻」であり、地面の中で働いている生き物は、普通の蟻類である。
何故、其の蟻類の生き物が、神の光に満ちた世界で働いて居たのかを考えると、蟻は「蜂類」と同じ仲間であり、其の生態・生き方が殆ど同じであるからであろう。
其の違いは、蟻類は地面を這って餌を集めるが、蜂類は空を飛んで餌を集めるだけの違いであり、一匹の女王を中心として巣を造り、働いて居るのは皆雌であり、雄は分蜂の時に、生殖の為に一時的にしか誕生しない仕組みも同じである。
其れを考えると、ユダヤ・イスラエルの薔薇十字のマークの、バラの花に止まる一匹の蜜蜂や、私のビジョンに映し出されて来た紫陽花の花に止まって居た蜜蜂の事と、今朝の映像は関係が有り、「主は在りませる」との言葉は、蜂や蟻の生態の仕組みの中に、「神・主」の存在・はたらきが在ると言う理・ことが、示されて来ているのであろう。・・・
「主は在りませる」http://green.ap.teacup.com/20060818/3729.html
2017/1/1・・今朝のメッセージの内容は、全体的に考えると、人類と謂うか、人間の「精神・たましい」の復活に付いて、指示が為されて来ている様である。
最初の、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の映画造りの場面は、アメリカ先住民が、ヨーロッパからの移住者の手に因って、無闇に殺された事と関係が有り、其のネイティブ・アメリカンの御魂の復活が、必要不可欠である理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れは、現在のアメリカの経済システムや軍事力などの、生き方・生活手段が、地球の為にも、人類の為にも良くない理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして其の事には、女性の存在と言うか、子(人)を産み育てる母親達の存在を忘れては成らないと言う理・ことが、「図師サキ(図の師が先)」との名前で示されて来ているのであろう。
「師」の漢字は、軍隊を表すものであり、殺し合いや略奪をする様な戦いではなく、魂をたかめるための戦いは、女性にも共感できるものであるが、今の戦争や軍の有り方では、女性の存在を無視しているものであるという事を、謂いたかったのであろう。
「魂の復活プロジェクト」 http://green.ap.teacup.com/20060818/4102.html
唯今(ただいま)の時間 11時23分(新嘗祭)
「帰命・ナーム・リリジョン・religion」
平成29年8月3日
礒邉自適
2017/8/1
分別
29・8・1
昨日は、午後に雷雨が発生して、自宅の上空で激しい雷鳴が始まったので、コンセントを抜いて、PC作業を止めた。
そして、降雨で涼しく成って来た縁側で、雑誌ニュートンの8月号に目を通して居ると、眠気が襲って来たので、目を閉じて眠ると、現実感を伴って、私の意識はPC作業を始める映像が、長らく映し出されて来た。
其れは、天意から与えられた三つの世界を、夫々文章表現して行く作業である。
しかし、其の三つの世界は、是までに誰かが作成した事が無い、概念と言うか内容に付いてであるので、三つの世界が漠然とした物であり、闇の中を手探りする感じであった。
そして、その場面が繰り返し映し出されて来て、事態が一向に進展しないので、私は意識が疲れると言うか、其れ以上、其の状態が続けられなく成り、目を開くと其れは現実では無い事が判り、其れが夢であった事を確認して、「何であったのだろうか」と思った。
其の後、意識が疲れて居るので、再び眠り込んでしまった。
すると今度は、7〜8名の人々が、山道を登って来る場面が映し出されて来た。
其れは、古代の人達が、神輿を担いで山に登って来る様子が映し出されて来た物であり、私は其の様子を坂の上から見下ろして居り、其の道路は、山の中腹を削って造った物であり、右側は木々が茂った森で、左側は視界が開けており、木々の隙間から太陽光線が射して、絵画の様な雰囲気の場面である。
そして、登って来る人達が一列に重なって居るので、先頭の男性の姿は全身が見えているのだが、後ろの人達の顔は歩いて居る為に揺れるので、見え隠れしていた。
そして、判明した事は、中間の男性達が杖を突きながら、棒に通した棺の様な物を担いでおり、何かが入った棺・箱を、山の上の方に運んでいる事が理解された。
私の意識は、其の様子から、ユダヤ、イスラエルの物語である「アーク・聖櫃」の世界を想っていた。
・預言者[エレミア]は彼に与えられた託宣(注:ソロモン寺院の破壊が差し迫っているという内容)に従って、幕屋と契約の箱を携えて山へ出かけたという。モーセが神から約束の地を示された所である。そこに到着したエレミヤは、人の住むことのできる洞穴を見つけ、そこに幕屋と契約の箱と香壇を運び込み、入り口をふさいだ。一行の中の何人かが、道標を作ろうとして戻ってみたが、もはや洞穴を見つけることはできなかった。このことを知ったエレミヤは、彼らを叱責してこう言った。『神が民の集会を召集し、憐れみを下されるときまで、その場所は知られずにいるだろう。そのときになれば、主はそこに運び入れたものを再び示してくださり、主の栄光が雲とともに現れるだろう。モーセに現れたように、また、ソロモンが神殿の聖別式を厳かに行ったとき現れたように。 - マカバイ記二 2:4-8(紀元前100年-紀元前70年の間に書かれた)
ウィキペディアフリー百科辞典 2017/8/1現在
今朝のメッセージの映像は、私が真言宗の様な寺院に行き、其の建物の広間で、館長の様な人物と面会する場面が映し出されて来た。
私は、其の建物に到着した時は素っ裸であったので、入り口で躰に巻き付ける布を借りて躰を覆い、王座が有る伽藍の前の低い位置に立った。
そして、館長らしき男性が登場すると、私は挨拶をする為に床に跪いて頭を下げてた。
其れから座り直して「結跏趺坐・けっかふざ」の姿勢を採り、印を結んで両手を動かすと、皆が驚く様な現象が始まった。
其れで、館長らしき男性が私の事を認めて、其の寺院の首座を私に禅譲する事に成り、私は奥の部屋に案内されて、其の部屋に置いて有る衣服で、身支度を整える事に成った。
すると、其の様子を、黒い服を着た12歳位の女の子が覗き見て居る事に気付いた。
私が其の子の方を見ると、其の子は私が視線を向けた事に気付いたので、奥の広間の方に駆けて行った。
私は、身支度を整えてから、其の部屋に居た60歳位の女性に許可を受けてから、其の奥の方の広間に向かうと、部屋の入り口に置かれている大きな植木鉢の木々が、一斉に真っ白な花を咲かせ始めた。
今朝は、7時頃起きて洗面を済ませ、穀物コーヒを飲みながら、蓬団子を食べて、PCを立ち上げて文章の題を何にしようかと考えて居ると「分別」との言葉が告げられて来たので、其れを題とした。
分別の言葉を調べると、次の様に載っている。
ふんべつ【分別】 国語辞典
1 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「分別のないことを言う」「よく分別して態度を決める」
2 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。
ふんべつ【分別】( 名 ) スル
@物事の是非・道理を判断すること。わきまえること。また、そのような能力。 「事態を−する」 「思慮−がある」
A〘仏〙 虚妄である自他の区別を前提として思考すること。転じて、我がにとらわれた意識。 「 −みだりに起こりて、得失止む時なし/徒然 75」 → ぶんべつ(分別) 大辞林 第三版の解説
分別 ふんべつ vikalpa
仏教用語。思惟 (しゆい) ,計度 (けたく) とも訳される。『阿毘達磨倶舎論』では,(1) 自性分別,すなわち直覚作用のこと,(2) 計度分別,すなわち判断推理作用のこと,(3) 随念分別,すなわち過去のことを心に銘記する追想記憶作用のことの3種に分けて説明し,また意識は,三分別すべてを有しているので有分別であると説明している。大乗仏教では,凡夫の分別は,真実のものではなく妄分別であるとしており,正しい真如の理を悟ることは,無分別智を得なければならないとしている。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
「分・ブン・わけ」【解字】甲骨文。会意。八+刀。八は、二つに分かれるの意味。刀で切りわけるの意味を表す。
【字義】(一)「@わける。わかつ。わかれる。㋐二つにわける。さく。さける。㋑はなす。はなれる。へだたる。㋒わけ与える。くばる。㋓明らかにする。見わける。Aちがい。差異。Bなかば。C一部分。D二十四気の一つ。E度合い。F尺度・重量・角度・時間・面積・貨幣・小数の単位の一つ。」
(二)「@さだめ。きまり。㋐人倫上のけじめ。㋑つとめ。義務。当然行うべきこと。㋒もちまえ。才能。㋓運命。境遇。Aさかい(界)。かぎり。B分とする。あまんじる。」
(国)「@わかる、理解する。Aぶん。㋐わりあて。㋑そうある状態。様子。
㋒人間関係。Bぶ。㋐度合。㋑小数・尺度・温度など、および昔の貨幣の単位の一つ。」
「別・ベツ・わかれる」【解字】会意。「口(冎)+リ(刀)」冎は、ほねの象形。骨から肉をわけとるの意味から、わけるの意味を表す。
【字義】@わける。わかつ。わかれる。はなす(離)区別がある。区別する。はなれる。Aわかれ。支流。子孫。分岐。Bわかち。けじめ。ちがい。Cべつ。ほか。「特別」Dとりわけ。とくに。「格別」 漢語林より
2012/5/22「自分」http://wave.ap.teacup.com/20060106/477.html
これ等の「分別」の言葉の意味からすると、昨日の昼間に映し出されて来た「棺・ひつぎ」と関係があり、今朝のメッセージの映像が真言宗(密教)の寺院であるので、両部曼荼羅図の区分とも関係が有るのだろう。
其れは、人間の知識が、「わけをしる」との言葉に集約されると言う事ではないだろうか。
そして、モーゼの「十戒」も人間の行為を、分けて認識する事である。
1主が唯一の神であること。
2偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)。
3神の名をみだりに唱えてはならないこと。
4安息日を守ること。
5父母を敬うこと。
6殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)。
7姦淫をしてはいけないこと。
8盗んではいけないこと。
9偽証してはいけないこと。
10隣人の家をむさぼってはいけないこと。
其れに「アーク・聖櫃」の上に飾られている鳥「ケルビム」は、次の様に記されている。
「命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する剣の炎を置いた」
旧約聖書『創世記』によると、アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムが作られた時にはエデンの園の外には野の木も草も生えていなかった。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。その後、女(エバ)が創造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという[2]。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す[3]。アダムが女をエバと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する剣の炎を置いた[4]。
その後、アダムは930歳で死んだとされるが、エバの死については記述がない[5]。また、「善悪の知識の木」の実(禁断の果実)はよく絵画などにリンゴとして描かれているが、『創世記』には何の果実であるかという記述はない。
ウィキペディアフリー百科辞典 2017/8/1現在
此の説明に拠ると、人間の意識の目が目覚めた事で、自分が裸である事を知ったと有り、人間は自分の意識が目覚めなければ、エデン・神の園に暮らせたと言う事になる。
そして、ケルビムが生命の木を守る存在であるとの事である。
其れを考えると、私に生命の樹木が映し出されて来るのは、私の潜在意識の中に其の鳥であるケルビムが、存在する事に成りそうである。
其れに、アダムが置かれた「エデンの園」には、「あらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。」と記されているので、今朝の映像で私が寺院の建物に到着した時に裸であったので、アダムが神の家に帰った事を示唆しており、少女の様な無垢な存在と成ったので、生命の木々が一気に開花したと言う事に成るのかも知れない。
其れに、今朝の映像で私が真言宗の寺院の様な建物に着いたと意った事は、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の存在と関係が有り、昨日の昼間の夢で私が三つの世界の表現(解釈)に長い間戸惑っていた事とも、関係が有るのではないだろうか。
其れは、密教の教えである大日如来の「三蜜、身・口・意」の他、私が是まで書き続けて文章のテーマには、幾つもの「三つの事分」の世界が有る。
其れも、今朝の分別の言葉と関係が有るのではないだろうか。
2002/4/11・・朝起きて、辞典・漢語林で、早速「倫令」調べてみると「倫」は「人+侖」で、「人の ふみ守るべき 道の意味」と有り、「令」は「命ずる。みことのり。のり。おきて等の意味」
「倫・リン」の「侖」は「△+冊 」で「△」は「三直線が合う様を示す。
「冊 」は文字を書きつける竹ふだの意味。すじみちをたてて 考えをまとめる意味を表す。」と 載っている。
「倫・リン」【解字】形声。「人+命」音符の命は、すじみちをたてるの意味。すじみちのたどれるともがらの意味や、すじみちの意味を表す。
【字義】@みち。㋐人のふみ守るべき道「人倫」㋑すじみち。道理。Aともがら。なかま。たぐい(類)。「倫類」Bしな。等級。順序。Cもくめ(木目)。Dならべる。また、くらべる。 漢語林
「令・レイ」は、「人の ひざまづく形どり。人が ひざまづいて神意をきくさまから、いいつけるの意味を表す。」と 載っている。
「倫令・リンレイ」とは、人の守るべき道の、法令の意味との事であろうか。
新しい「△・三直線」が合う、真理を組み立てて、記さなければならない様だ。
三方向の組み合わせは、「天地人」とか「身口意」とか「父母子」とか、関係性の上で様々な事に使用されている。
神社の、お供えの台も、三方と呼んでいるので、古代から三方向の認識法が存在したのだろう。西洋でも、「三位一体」とかの言葉もあるし、日本の古神道でも、天照神、月読命、須佐之男の、三つの働きとして、区別されて来た。
人間の意識は、大脳生理学からも、二方向よりは三方向の方が、記憶され易いようである。
新しい価値観を創造するのに、三方向・三つの意味が結ばれる事が、重要だとの理・ことだろう。
「侖」も「令」も、上には「△」が付いている。
その「△」の意味が解けなければ、倫令の理解が出来ない。
普通に考えれば、政治・経済・教育と、社会システムでの基本となるべき事にもなりそうだが、「令」は「神より受け取る命令」の意味があるので、人間が勝手に決定できる事でもなさそうである。・・・
「倫令・リンレイ」 http://star.ap.teacup.com/170606/351.html
2005/12/8・・神の世界は「三」で動くとの話も有り、老子は三から全てが生まれるとも謂っている。イエスは三日後に蘇ったと有り、釈迦は悟ってから立って三歩あるいて立ち止まり「天上天下唯我独尊」と云ったとある。其れに「三顧の礼」とか「三宝」「三位一体」「三本の矢」「三人寄れば」等、挙げて行けば三が使われている言葉は沢山出てくる。宇宙のシステムは、三が基本数で出来ているかの様である。・・・
「天界の一年」http://star.ap.teacup.com/170606/664.html
2006/8/18・・昨夜は、9時にベッドに就き目を閉じたら、行き成り、鮮やかな紅色やピンクの色をした、魚の尾頭付きが、ザルの様な皿に三匹揃えて乗せられ、私の目の前に奉納されて来た。
どうしたのだろうと思っていると、場面全体が黄土色掛かったコゲ茶色に成り、其の中央に、鳥居の様な物が立っている映像が映り出されて来た。
そして、其の鳥居から、左右に糸線で二本の道筋が延びている。
其の道筋の左側は、山の上に続いており、其の山には「ケツァルコアトル」らしき物の頭が一個在り、其の顔は鳥居の在る下の方を向いている。
一方、右側の道筋の端には、佛の両足が揃って鳥居の方に向いている。
どうやら、ケツァルコアトルの頭と、「仏陀・ブッダ」の足が、鳥居を挟んで向き合っているらしい。そして、其の仏足は、涅槃をしている仏陀の足らしいのだ。・・・
「約束は護られる」 http://star.ap.teacup.com/170606/1013.html?rev=1
2007/9/3・・私が今日、瞑想をして居て気付いた事は、太陽には、神の使いとして、三本足の烏が住んで居ると考えられ、密教の護符にも三本足の烏の絵が書かれたり、神社に三本足の鳥居が建てられたりしている。
其れは、男性の創造性が生み出した、人間の脳の創作物であり、現実には存在しない物である。・・・
「三本足の烏と創造性」http://green.ap.teacup.com/20060818/444.html
2009/10/19 ・・私は、昨日の「三つの輪」の「輪・リン」の事かと思って、今朝事務所に出て来て、漢語林で「リン」を調べると、一番前に「侖・リン」の漢字が有り、次の様に載っている。
「侖・リン」は、「△+冊」の組み合わせで、「△」は、三直線が合うさまを示す。「冊」は、文字を書きつける竹ふだの意味。すじみちをたてて考えをまとめるの意味をあらわす。
侖・リンを音符に含む形声文字に、倫・掄・論・輪・錀などがあり、これらの漢字は「筋道が立つ」の意味を共有している。
【字義】@おもう。A順序だてる。すじみちをたてる。
此の内容からすると、今朝のメッセージは、私に「筋道を立てろ」と告げて来ている様である。
其れを考えると、昨日のメッセージに現れた、燃えていた「流」の炎の文字は、新しい流れが「育・生まれる」と言うか、新しい「流儀」を打ち立てろとの事の様である。
其れは、私に「一流」の倫理を、打ち立てろとの事なのであろう。
是は、中学校しか卒業していない私には、大変な難題である。
今朝、告げられて来た「侖・リン」の文字は、「三直線が合うさまを示す」と有るので、三つの考えが合うと言うか、三人の意見が合う事を意味している。
其の様に考えると、昨日、炎から生まれた三つの輪は、横に「○○○」と並べるのではなく、△・三角に結ぶ必要があると言う理・ことに成って来る。
其の並べ方は、政治の「三権分立」の形と同じ関係性であるし、ネィティブ-アメリカンの「長老」「酋長」「シャーマン・占い師」の、三角関係とも通じている。
其れは、全体が纏まると言うか、同じ方向に、人間が進む為に、必要な手段であると言えるだろう。
其れに付いては、「参加」の「参・サン」の漢字が有る。
「参・サン」【解字】「晶+大彡」の組み合わせで、「晶」は、頭上に輝く三星の象形。音符の「大彡・シン」は密度が高いの意味を表す。みつ・多い・多くなる・多くのものを照らし合わせる・多くの物の中に入る・まいるの意味を表す。
【字義】(一)@みつ。みっつ。三。 Aみたび。三度。三回。Bみっつにする。㋐三分する。㋑三つに合わせる。Cならぶ。ならんで三つになる。
(二)@まじわる。まじる。組み合わさる。Aあずかる。加わる。かかわる。連なる。「参加」「参与」Bまいる。もうでる。行く。宮中などに行く。Cまみえる。君主や目上の人にお目にかかる。5同じにする。等しくする。Eはかる。くらべあわせる。Fのぞむ。あおぎみる。
(三)@からすき・つづみ。星座の名。三宿。オリオン座。 漢語林
此の様に調べて行くと、エジプト文化だけではなく、漢字が生まれた中国文化でも、オリオン座の三ツ星が気にされており、人間の意識行動に影響を与えていた事が判る。
何故、三つ並んだ星が、人間の意識にとって、一番大事であるとされたかを考えると、昨日、私の意識に現れた様な現象が、古代から、有ったからではないだろうか。
其れに、日本の古事記の神話にも、「伊耶那岐命・いざなぎのみこと」の左右の目と、真ん中に有る鼻から、三神が生まれたとされているし、インドの宗教でも、左右の目の上に、第三の目が有るとされている。
其れ等の事柄を考えると、確かに、中国の老子が謂う様に、「三から全てが生まれた」との理が、的を射ていると謂えるだろう。・・・
「侖・リン」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1310.html
2006/8/28・・始めの映像に、パソコンの画面が現れ、横向きに小さな小窓が三つ並んでいて、左から一・二・三の番の順位が付いていた。私は、先ず、一番右側の小窓をクイックすると、人間の名簿や、集会所のリストや、必要な物の資料が出て来た。 次に、中の窓をクイックすると、狭い戸から、自転車を外に出す場面が現れた。無事に、自転車を外に出したので、最後に、左側の小窓をクイックすると「f」の文字が一つだけ現れた。そして、「f分の1」の言葉が頭に浮かんだ。朝起きて、其れ等の意味を考えると、老子の言葉を思い出した。老子の「初めに 一が有り 其の一から二が生まれ 其の二から三が生まれ 其の三から 全てが生まれた」と言うものである。其れに、照らし合わせて考えれば、初めに開けた、右側の三番目の世界が老子の謂う「全てが生まれる」世界で、人や社会や物が動く世界である。・・・
「三つの窓」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/467.html
2007/9/4・・今朝の映像で、三つの紙箱が届けられ、新しき苗か種子が植えられると言う事は、其の大日如来の身体に、三つの阿弥陀の力が籠った苗が植えられ、新しい働きを始めるとの理・ことではないだろうか。・・・
「三つのボックス」 http://green.ap.teacup.com/20060818/445.html
2007/9/5・・先ず始めに、姿は見えないのだが、中年の女性らしき雰囲気の霊が管理するHPが、三つ有る事が判り、其の三つに私がアクセスをしようとするのだが、検索に使う言葉もアドレスも分からないので、其のページを開ける事がどうしても出来ないのである。
私には、其れが「弁財天・サラスヴァティ」の様な気がするのだが、水が有る様な気配はなく、薄紫の光線が交差しながら描き出す模様の中に、其の女性の、正面向きの顔の雰囲気だけが、薄く浮かび上がっているのである。
其の女性が、三つのHPを開設している事は、其の女性の働きが、三つに分かれて存在すると言う事を示しているのだろう。
女神の三人と云えば、宗像神社の祭神である三女神を思い出す。
(此処で 右手の親指と人差し指に強いカモ・(神の電気信号)が来る)。・・・
「三つの要点とは」 http://green.ap.teacup.com/20060818/446.html
2008/1/29・・其れに、昨日の映像には紫色の茄子が三個出て来ていた。
吉夢は、「1・富士(山)。2・鷹。3・なすび。」とされている。
茄子が、目出度いとされているのは、茄子は、花が咲いた数だけ結実し、スカが無いからである。
昨日、紫色の茄子が現れたのは、是から咲かす花が、皆、結実するとの意味ではないだろうか。
其れに、其の数が三個だったのは、神の数字を現してもいる。
昨日の、ルシフェルの左手に持つ「三つ又鉾」や、弘法大師空海の手にする「三鉾」など、「神事・かみごと」に使用する道具は、三の数字が多い。
其れは、老子の謂う「三は 全てを生み出す元である。」との言葉にも表れている。
神社で、神に御供えをする台の「三方」や、「三種の神器」または、「住吉三神」「宗像三女神」其れに「出羽三山」「日本三景」等、三の数字は、或る決りを表す数霊のようである。
其れは、キリスト教で言う処の「三位一体」を表現する事にも、繋がっているのではないだろうか。
私には、三個の茄子だけではなく、三匹の蜥蜴や、三匹の鰻や、三本の矢などがメッセージに映されてくる。
其れは、脳のシステムである「△・▽・三角認識法(ヘキサゴン)」が、働いているからであろう。
人間の「視覚」や「聴覚」は、遠近法などの、△・▽・認識法の仕組みで成り立っているものである。・・・
「亀鑑・かめかがみ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/624.html
2008/3/9・・其の映像から、私が考える事は、積み上げられて来た「文章」か「価値観」かの頂点は、「1・いち」の状態ではなく、「3」であるとの理・ことではないだろうか。
其れは、日本の神道で、神社の「社・やしろ」が三社横並びで設置される事や、お寺の仏像も「月光菩薩・釈迦如来・日光菩薩」と三身が並べられる様に、物ごとが三つ並ぶ事で、一つの働きが完成するとの意味が、有るのではないだろうか。
其れに、古事記で「伊邪那岐・いざなぎ」の禊から生まれた神名も、「天照大神」「調読の命」「素戔鳴尊」の三神と成っている。
今朝の映像では、積み上げられた文章の上に、並んでいる三つの言葉が、皆「全くの白」と成っていたのは、最後に頂点に上り詰めた世界が三つに成っていて、其のどれもが真っ白の状態に成った事を、示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えれば、伊邪那岐から生まれた三神の世界が、真っ白の状態に成ったとの意味に、受け取って良いのかも知れない。・・・
「白い三つのコード」http://green.ap.teacup.com/20060818/664.html
2008/11/2・・其の、三の数の世界を考えると、キリスト教の「三位一体」、仏教の「三仏」・「三宝に帰依」、老子の「我に三宝有り」、日本の「三種の神器」「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の禊ぎから生まれた三貴神「天照大神・調読命・素戔鳴尊」等が有る。
更に、日本には「上・下・横」の方角を示す為に、神名が有る。
其れは、山の神には、「辺津(へつ)磐座」「中津(なかつ)磐座」「奥津磐座(おきついわくら)」と、上・高い方に向う三神の働きが有る。
海の神には、「住吉三神」の「上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)」「中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)」「底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)」の下・低い方に向う三神が有る。
島の神には、「宗像三女神」の「田島・辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)」「大島・中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)「沖ノ島・沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)」 の横に広がる三神が有る。・・・
「四段目の神」http://green.ap.teacup.com/20060818/937.html
2009/3/31・・今朝のメッセージの映像は、水の世界が、三つに別れている「理・ことわり」が、文章の説明として示されて来た。
今朝の映像に現れた本は、内容の前半3分の1は、光が当っている、色着きの世界の出来事を記録した物で、後半の3分の2は、光の無い闇の世界の出来事を、記録している物の様である。
そして、其の「3・3・3」の割合こそ、宇宙が存在している理・ことわりを、示して来ているのだろう。
其の、「3・3・3」の割合の世界こそ、密教の「三密」の世界であり、日本の古事記に有る「天照界」「月読み界」「素戔鳴界」の分類の要因なのであろう。
古事記の分類からすると、「天照神」の世界の3分の1が、今朝の本のカラーの世界であり、「月読命」と「素戔鳴尊」が、影の部分と謂うか、土台の部分である理・ことを、示しているのではないだろうか。・・・
「罔象女神」http://wave.ap.teacup.com/20060106/364.html
2009/5/4・・今朝の映像は、人間が生活する為の「道具・ひれ」が、3つの世界と成って現れ、其の3つの世界には、其々また3つの世界が含まれている理・ことが見せられた。
其れは、1昨日のメッセージで告げられて来た、「分離」と「管理」の言葉に関するモノであるのだろう。・・
先ず、老子の謂う「三宝」を、大事な人間の「精神的(教育)」な一つの世界とし、政治の「三権分立」を一組とすれば、もう一つは、経済的な世界の仕組みの事に成って来る。
日本の神社の、三種の神器である「鏡・勾玉・剣」は、「鏡」が四次元の神の世界とのコミュニケーションを意味し、「勾玉・まがたま」は、卵中や胎内の胎児の形を意味し、生命の世界を意味している。
そして「剣・つるぎ」、は武器を意味し、軍隊を意味しているのであろう。・・・
「仕分け・3×3」 http://moon.ap.teacup.com/20061116/27.html
2009/10/10・・其の手立ては、3つの方向性や「3・三」の数字に有るのだろう。三は、「三宝」や「三身一体」や「三権分立」「三顧の礼」等の事柄に使われ、「住吉三神」や「宗像三女神」などの神の名にも使われている。そして、中国の老子の言葉には「始めに一が有り 一から二が生まれ 其の二から三が生まれ 三から全てが生まれた」と有る。・・・
「大日如来を育てる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1300.html
2010/3/11・・今朝も、意識が目覚めて、宇宙の情報を探り始めると、意識が、全ての現象を三段階に分けて、認識しようとしていた。
どうやら、神仏の姿が三体祭られる事や、三身一体とか言われる言葉の元は、人間の意識が、物事を三つに分ける事で、成り立っているからの様である。
其れを考えると、政治の世界が「三権分立」とかの仕組みに成っている事の理由も、解かる様な気がする。
其れに、今朝の私の意識は、最後に「エホバ・ヤハウェ」の存在を、三つに分けて認識しようとしていた。
其れは、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」が、「宇宙の真実の本体」との意味で、「身・意・口」の三つに分けられている事と、関係が有るのかも知れない。其れは、此の宇宙のあらゆる物質・物は、大日如来の「身・体」であり、其の身体は存在するのだから「意・情報」を持っている。
だから、其の一部である人間は、其の意を「口・言葉」に変換出来るとの考えである。
逆に、宇宙の一部である人間は、言葉に拠って、宇宙の物質(事象)に、影響を与える事が出来ると言うのが、真言密教の考えであり、其の言葉が「マントラ・真言」との意味でもある。・・・
「人間に任された未来」http://green.ap.teacup.com/20060818/1467.html
2009/11/10・・其れから、透明なラップに、一緒に包まれて冷凍されていた、三匹の秋刀魚が現れた。私の意識が、其の三匹の秋刀魚のラップを剥がして、解凍されるまで、手に持っている所で、今朝のメッセージの映像は終った。
秋刀魚とは、「秋の刀の魚」と書き、銀色の光沢が有る物である。
銀色は、シリウス星の色であり、三匹は神の数を意味している。
其れに、岡本天命氏に降りた日月神示の中には、「あき立ちたら いよいよ本番」との言葉も有る。
其の意味からすると、三匹の銀色に光る「秋の刀のさかな」は、意味が深いのかも知れない。
(若しかしたら シヴァが右手に持つ「三叉の槍(トゥルシー)」の意味か。)
「成熟が必要」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1335.html
2010/6/4・・そうしている間に、其の箱の中が、銀河が浮かぶ、宇宙の場面に変わって行き、其の中心に、小さな中心が存在する事が判った。
私の意識が、其の宇宙の中心に近づいて行くと、其の小さな中心は、三つ葉の様な形に成っているのが判明した。・・・
「三ツ葉の神」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1563.html
2011/5/11・・今朝のメッセージの映像には、物事の捉え方に、三つの条件と言うか、場が必要である理・ことが示されて来た。
其れは老子の謂う「三から全てが生まれる」との理・ことや、釈迦牟尼仏の謂う「三世」や、イエスキリストの謂う「三位一体」等に、関係が有るのかも知れない。
仏教では、人間の意識は「見る者」と「見られる物」と「其の関係性」で成り立っていると言うか、生じていると云われているので、其の事に付いて、思考するよう促して来たモノではないだろうか。
今朝のメッセージの映像は、先ず、過去の物事・概念を検証する自分を生じさせて、其の上で、自分の考えと言うか価値観を創造し、其れを現場と言うか、此の地球の三次現世界に、定着させなければ成らないと言う理・ことである。・・・
「三つの条件」http://green.ap.teacup.com/20060818/1925.html
2011/11/30・・次の映像は、私の左側から、黒いスーツ姿の男性が、三人揃って飛び出して、何処かに、立ち姿で飛んで行く場面が映し出されて来た。
其の場面で、私は、イエスキリストが、ヨルダン川でヨハネに「パプテスマ・禊ぎ」を受けた時に、「三羽の鳩が飛ぶのを見た」と聖書に書かれている事を思い出した。
と言うのは、私も無庵師匠の下で、安房川の川岸で禊ぎを受けた時に、三羽の鳩の様な物が飛ぶのを見たからである。
其れは、羽根を広げた鳩の様な形の物が三体、頭の中から、意識・視覚神経の中に、飛び出す現象である。・・・
「三羽の鳩」http://green.ap.teacup.com/20060818/2137.html
2011/11/29・・次の映像には、暗い背景の中に、屋久島の自然界に、澤山自生している「ツワブキ」の花が、三株横に並んで咲いていた。
其の意味は、屋久島では、ツワブキの花が「お釈迦さん」の「縁日(大悟・成仏・12月8日)」頃に咲く花なので、「お香花」と呼ばれている。
其の「ツワブキ(石路)の花が三株並んで咲いていたのは、「釈迦三尊」を意味しているのではないだろうか。・・・
「白い大皿」http://green.ap.teacup.com/20060818/2136.html
2011/12/1・・今朝のメッセージは、三日続けて、三つが一組に成っている物が、映し出されて来た。今朝の映像には、奈良の国宝に成っている阿修羅像の様に、顔が三面に成っている人物の顔が、映し出されて来た。
其の事を考えると、今朝のメッセージに「三面宿儺」が現れたのは、人類が進む道を、選択しなければ成らない時節を、迎えている事を示唆しているのではないだろうか。
今日で、「3・三・参」の数に関わる世界が三日続けて示されて来た。3の数字は、一人歩きするとの云われも有るし、中国の老子の言葉には「初めに一が有り 一から二が生まれ 二から三が生まれ 三から全てが生まれた」と有る。・・・
「三面宿儺・さんめんすくな」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2138.html
2012/7/21・・其の数字の時間に、若い女性の声で「起きて」と伝えて来るのは、空海が信仰していた「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真実の本体)」の世代交代が起きた事を意味し、其の新しい次元・事象に、私も意識を合わせろ・興せとの事なのであろう。
其れから、次の映像には、ウナギの蒲焼の様に、長い魚である「ダツ・ダース」が開かれているのが三匹現れて、其れを三等分(3×3=9切れ)にして、九画形のパイの様な料理が作られ、皿の上に置かれた。
其れから、暫くすると、其の九画形の料理は消えてしまい、白い無地のお皿の上には、黒○の形だけが残った。
そして、「革命・かくめい」との言葉が聞こえて来た。
其の映像の意味は、神の数字が三であり、其れを三等分して九の数字に成った物が、宇宙の仕組み・働き(十一面観音菩薩)であり、其れで「○・真円・完成・調和」が為されているとの理・ことではないだろうか。
そして、其の理・道・法の認識に因って、新しい御世が、起きるとの事なのかも知れない。・・・
「革命」http://green.ap.teacup.com/20060818/2378.html
2012/10/8・・其れは、粘菌の様な糸を引く生命情報は、三系列が一つに統合されてしまう場面であり、もう一つの場面は三つの象形文が一つに組み合わされて、一字と成る場面であった。
其れは、両方とも、三つの物が一つに統合される場面である。
其の、両方の場面から考えられる事は、キリスト教の「三位一体」とか、仏教の「三宝」との言葉と、日本の神道の「造化三神」等の言葉である。
特に、日本の神道の「造化三神」とは、「天御中主神」と「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」の三つの働きは、両結びの神と中心の神が合体して、一つの働きを行う意味を持っている。
其れを考えると、昨日のメッセージは、神の創造した生命情報の世界と、文字の概念を創造した人間の意識の世界の、両方ともが、統合された事に成る。
其れは、日本の伝統文化である「むすび」の世界が、統合されたか、元に返ったかを示して来ているのであろう。
其れは、新しい世界を生み出す為の、準備であるのかも知れない。・・・
「造化三神」http://green.ap.teacup.com/20060818/2463.html
2013/4/12・・昨日のメッセージの映像には、「弁財天・サラスヴァティー」の船を意味するボートが映し出されて来たが、一昨日の映像には、男性の右腕に三種類の電子機器が装備されていた。其の三種類の電子機器は、三本足鳥居の働きと関係が有るのではないだろうか。
明日4月13日は、「虚空蔵菩薩」の大祭日である。其れを前にして、今朝のメッセージが告げられて来たのは、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を信仰する弘法大師空海にも関係が有るのではないだろうか。・・・
「あすかプロジェクト」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2652.html
2013/11/26・・処が、10を3で割ると、333333・・・で何処までも割り切れないし、20を3で割ると、666666・・・で何処まで行っても割り切れない。しかし、30を3で割ると、答えは10であり、一度で割り切れてしまう。
其の数字を考えると、此の世界・宇宙の絡繰・からくりは、在るべき状態が三・3方向に分裂して行く事で、膨張を続けており、其れは「3×3=9999・・・」で無限に拡大している事に成る。
処が、其れに「0、・・・・1」を何処かで加えると、此の宇宙は瞬間に消えてしまうと言うか、将棋倒しが起きて閉じてしまう理・ことに成る。
其れが「無」の世界であり「空」の概念なのである。
「30を3で割ると、答えは10」との事は、10は完数なので、悟りに関係があり、人間の行為を閉じ「空・無」の状態に成れば「三十・30」を「三・3」で割り切れるのであろう。
そして、其処に、「自分」に成功した事になり、「空・無」が生じ、「自由」な精神が訪れるのである。・・・
「大君の役割」http://green.ap.teacup.com/20060818/2883.html
2014/8/15・・今朝の愉伽さんのビジョンには、村を見下せる眺めの良い丘の上に、愉伽さんが立って居り、ふと後ろを振り返ると、枝がバランス良く広がっている大きな木が立っていて、其の枝に美しい鳥が三羽止まっていたとの事である。そして、其の鳥を良く見ると、三羽とも、顔が人間の顔をしていたとの事である。
私は、其の愉伽さんのビジョンを訊いて、其の三羽の鳥は、昨日の私のメッセージと関係が有り、三本足の鳥居や、三本足の烏が意味する、神の世界の働きを示唆しているのだと思った。・・・
「新しい神仕組み」http://moon.ap.teacup.com/20060109/43.html
2015/4/17・・すると、其の女性はとても学識が高い様で、其の資料の中の数字と言うか、方程式が変しいとの事を云うと、男性の方が、「3」の数字が一個加わっているからだとの事に、気付いた様であった。
今朝の映像で、旅を続けて情報・資料を集めている夫婦が、「3」の数字が加わっている所為であると云って居たのは、「3」の数字が、神の存在を意味している事は、間違い無いであろう。・・・
「オーロラの詩」http://green.ap.teacup.com/20060818/3435.html
2015/9/20・・今朝のメッセージの映像には、先ず未明に、上質な土で焼かれた縄文土器の様な、丸型の大きな陶器が一個現れた。
其れは、火焔が吹き出る聖火台の機器の様な形であり、其の噴出口の内側の三方に、燃料のガスが噴き出す様な突起が有った。
其の突起は、三段に成っており、三段の穴から燃料が噴き出すので、三段×三方なので、九個の穴から火が噴き出す事に成る。
其れは、今朝の他の場面から考えると、スポーツ用の聖火台の様な意味を持つ物ではなく、大地を器として、生命の火が燃え出す事の在り様を、示して来ている物の様である。
其れは、全体の存在が、三の法則に拠って成り立っている理を示唆しており、何事の存在も「一・全体・始め・元」から、「三方×三段=九九九・・・」と拡散して行く理・ことを頭に置いて、物事を考えなければ成らないと言う事なのであろう。・・・
「新時代へ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3601.html
2015/12/31・・次の映像は、私が自分の好物である、豆腐の「厚揚げ」の売り出し方法を考えて居て、三個が一組に成った容器に、三個の厚揚げを入れ、其々に薬味や醤油タレを付けて、切り離せる様にした物であり、本人が一個食べても、二個は土産に持って行ける物であった。
今朝のメッセージは、其れだけであるので、物事は三個一組で考えろとの事の様である。・・・
「三個一組み」http://green.ap.teacup.com/20060818/3710.html
2016/6/11・・今朝は、先ず、昨日の銀色の粒子が、暗い(玄)世界で渦巻いている様子が映し出されて来て、其の粒子の渦の中から「三つの重要素」を取り出さなければ成らない事が示されて来た。
それで、私は、老子の謂う「三宝」や仏教の「三宝(仏・法・僧)」、其れに政治の「三権分立(立法・行政・司法)」等の事を思ったが、其れ等の物とは一切関係が無く、全く新しい分野を、考えなければ成らない事が理解されて来た。・・
・・・
「三つの重要事」 http://moon.ap.teacup.com/20061116/46.html
2016/6/19・・其の状況の中で、はっきりと記憶に残されたのは、「ファー」と言う言葉が、「天界・天蓋」を意味し、其のファーを背景(子宮壁)として、「后・きさき・母神」の姿(其の顔は人類が其の次元まで進化する象徴)が神々しく現れ、「タルト」との言葉が告げられて来てから、「栗たると」の様な丸い形の物を三個、私の前に差し出した。
私は、其の三個のタルトを、自分の刀で切ろうとしたのだが、其れは、私が手にする刃物では、絶対に切れないモノであり、その三個のタルトから、地上に、神の意思と言うか、プログラムが、降ろされて行く理・ことが示されて来た。
「自らの仕掛けで滅びる」http://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html
2016/7/7・・今朝のメッセージの映像は、先ず、未明に、水が入った、透明な水色系のガラスコップが三個、横に並んでいる場面が映し出されて来た。
其れから、明け方に、私は、高校生位の年頃の男子が、多数集まって居る、研修所か、キャンプ場の様な所に、教師の役割で居る場面が映し出されて来た。
そして、其処で、食事に出されている食べ物が一皿、映し出されて来た。
其れは、水色系の細長い平皿に、料理が三品並べられている物であった。
其れから、連絡が有って、何処かに呼び出され行くと、其処には姿の見えない女神の存在が有り、テーブルの上に、私への食べ物が一皿置かれていた。
其の食べ物を確認すると、其の食べ物は、若者達に出されている物と、全く同じ皿と料理なのである。
私が、何故、女神が私に用意してある食べ物と、多数の若者達が食べる食物が、全く同じ物であるのかを考えて居ると、其の皿が、空中に浮かんで、暗黒宇宙の中に飛んで行った。
そして、其の三品が載った皿が、一個の銀河と成り、次々に分裂拡大して行き、現在の天文学で映像化されている、全宇宙に散らばっている数千億個と言う銀河の存在その物と成った。・・・
「神は見給う」http://green.ap.teacup.com/20060818/3913.html
2016/8/23・・其れから、ザル皿の様な物に、紫の茄子が三本の載せられている映像が、映し出されて来た。・・・
「ケツァルコアトルの正体」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3964.html
2016/9/10・・・「SA(あ)SA(あ)SA(あ)]とはスペシャルな「言葉・A・あ・阿」が三言の意味を示しているとの事は、人間自身の「身体」レベルと、「言葉・真言・御魂」レベルの二極を意味しており、両方とも、其れを「三」の世界に別けて考えなければ成らないと言う事であり、其れは、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、海岸に打ち寄せられていた、柔らかく曲げられた三角の形の、長い木枠と関係が有るのだろう。
其れは、人間の心身の世界と、言葉・意識の世界を、三分割して物事を捉えると言うか考えて行かなければ成らないと言う事である。
其れは、日本の神の世界である「造化三神」「住吉三神」「宗像三女神」や、キリスト教で言う処の「三位一体」説や、密教で言う処の「三密(大日如来・マハーヴァイローチャナの身・口・意)」説などと同じく、其れ等の方法で、新しい概念での物事の考え方を、確立すると言う事である。・・・
「物の形とアイデンティティ」http://wave.ap.teacup.com/20060106/690.html
2017/3/27・・今朝の映像で、岩壁に美しい三色の苔が生えている、三角点・中央に何か赤い物が有ったのは、日本の国歌である「君が代」の台詞の「磐おと成りて 苔の生すまで」に、関係が有るのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝最初に記した、天皇家の菊の家紋が以前「三方」であった事と、繋がりが見えて来る。・・・
「変わり目」 http://green.ap.teacup.com/20060818/4188.html
2017/4/16・・今朝最初に示されて来た、「30%」の率と「30×11=330」の数字に深い謎が有るとの事は、三分の一の法則と関係が有り、昨日仏陀釈迦の御霊が降りた世界は、全体の三分の一の世界と言うか、役割の部分であり、残りの三分の二の世界が、是から本番を迎えるとの事ではないだろうか。・・・
「熟練」 http://angel.ap.teacup.com/20071208/892.html
2017/4/18・・朝のメッセージは、先ず、天界から三匹の回遊魚らしき「魚」が、横に並んだセットとして、人間界に降ろされる映像が映し出されて来て、其の右端の一匹・一体が、背中の方からメスが入れられて、皮が捲られ、解体される場面が映し出されて来た。
そして、其の事が、天皇陛下の存在を管理する宮内庁と関係が有り、天皇陛下の「玉体・御身・みま」が、不明確・不完全である理・ことが示されて来た。
「人が霊止である理の確認」 http://angel.ap.teacup.com/20071208/894.html
2017/5/5・・今朝のメッセージの映像には、先ず、全面が深緑色の場面が映し出されて来て、其の中に、「三つ葉葵」の形の様に、三方向に丸い形が有る事が示されて来た。
そして、其の三個の「〇・葉」は、人間の存在に関係が有る事が示されて来た。
其れは、人間の存在が、三つの世界が組み合わされる事で成り立っていると言う理・ことであった。・・・
「東の茅一本」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/745.html
三の数字に付いて調べると、取り敢えず是だけの文章が出て来た。
これ等の事が、情報センターの分別に関係が有るのなら、明日も又続きが示されて来るのではないだろうか。
平成29年8月1日
礒邉自適
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