言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2017/9/28
全ての事には原因が
29・9・27
今日は、午後に雑誌ニュートン読んで居ると、睡魔が襲って来たので床に付いて眠った。
すると、真黄色に熟したニガウリが蔓に下がっている場面が映し出されて来て、其のニガウリの下の部分が破けて、真っ赤な種子が幾つも拡大されて見えて来た。
私は、其の真っ赤なニガウリの種子で、完熟した二個のトマトの映像を思い出し、太陽の存在・はたらきと、三重県志摩市磯部町上之郷に在る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらします すめおおみかみ のみたま」の関係が気に成って来た。
其れに、二個のトマトではなく、澤山の種子が中に詰まっている「ニガウリ」が映し出されて来たのは、陰陽合体のシステムから、多くの子供が産まれるこ理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
そして、5月18日午後頭に浮かんで来た「全ての事には原因が」との文章を書かなければ成らないと思い、起きて時計を見ると時刻は「3時00分」であった。
其れに、9月8日にも睡魔が襲って来て昼寝をすると、「5月18日」の日付で書かなければ成らない文章が、何回も映し出されて来ている。
2017/9/8・・本日9月8日の日付は、8月23日に「残り15日」と告げられて来た日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り、是までには無かった世界が示されて来た。・・
そして、此処で、急に眠く成って来たので、昼寝をすると、5月18日の日付の文章が何回も、今書いている様に映し出されて来るので、起きて調べて見ると次の様に書いて有る。・・・
「靈文石・ひふみいし」http://green.ap.teacup.com/20060818/4362.html
29・5・18「全ての事には原因が」
今日は午後、頭に「全ての事には原因が」との言葉が浮かび上がって来た。
原因との言葉に付いては、次の様に載っている。
1原因 デジタル大辞泉
[名](スル)ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。また、その事柄。「失敗の原因をつきとめる」「不注意に原因する事故」「原因不明の病気」⇔結果。
2原因 大辞林 第三版
( 名 ) スル @ ある物事や状態を引き起こしたもとになった事・出来事。 ↔ 結果 「墜落事故の−を調査する」 「此処へ引越したのも、半なかばは僕の事に−して居る様に誤解して居たんだ/魔風恋風 天外」 A 〘哲〙 ある事物を成立させるもと ...
3自己原因 大辞林 第三版
他のものに制約されず、自らが自らの原因となって存在するもの。スコラ哲学では神が、スピノザでは実体が自己原因とされた。
「諸物ノ方則」
今の科学の最も大切な原則は「起きたことには必ず原因がある」ということだ。サクラの花が開けば、それは暖かくなったからだし、電車が故障すればそれは何かの部品が壊れたり、とか、事故が起きたり、という原因かも知れない。ともかく、物事には常に「原因」があるのであって、偶然に起きることは何も無い。勿論、そうは言っても偶然に起きるように見えることもある。例えば、サイコロをふってどの目がでるか、なんていうのは「偶然」で決まっているように見える。しかし、実際にはそんなことはなくて、サイコロをどのように投げたかということをくわしく調べれば、きっと、どの目がでるかは、サイコロを投げた瞬間に決まっているはずだ。ただ、その計算があまりにも複雑で微妙なのでなかなか予想できないだけなのである。
この「方則」には実のところ、なんの根拠も無い。いわば、人間の信念みたいなものだ。ちょっと前までは人間は全然別のことを信じていて、いつ花が咲くか、とか、明日は雨か、などということは神様とか、悪魔とか、魔女とか、そういう人知を越えた何ものかが決めているのだと、思っていた。それが今のように何ごとも「科学的に」決まっていると思い出してからほんの数百年しか経っていない。
どうして、そんな風に考え方が変わったのかと考えてみると、要するに、「神様が雨を降らした」と思うより「低気圧のせいだ」と思う方がもっともらしい、と思えるようになったからだ。神様は目に見えないが、低気圧なら目に見えないまでも、存在を確認できる。あるかないか解らないものより、あることが解っているものが原因の方が納得できる。で、みな、「起きたことには必ず原因がある」と信じている。
この「方則」にはたった一つだけ困ったことがある。それは「人間の自由意志」の問題だ。朝起きて何を飲むか、自分で決めている、とみな感じているだろう。ところが、この「方則」によると、人間の頭脳だってこの「方則」に従って動いている一種の機械には違いないから、朝何を飲むかはずっと前から決まっていたことになりかねない。ちょうど、コンピューターがプログラムされた以上のことは出来ないように。科学的であろうとすると、自分の自由意志を否定することになりかねない。この「矛盾」は今の科学の喉に刺さった一本の刺なのだ。
毎日中学生新聞連載 http://www.granular.com/shobutsu/index.html
【因果律】
アリストテレスの説
アリストテレスは、ものごとが存在する原因を以下の四種類に分類した(これを「四原因説」と言う)。
・素材因(質料因)・形相因・作用因(始動因)・目的因
たとえば、目前にひとつの木彫りの彫刻が存在する場合、これが存在するのは、誰かが木材という「素材」を用いて、何らかの表現をする「目的」で、彫るという「作用」を加え、なんらかの「形」を作り出したからである。このようにアリストテレスは、原因というものを四つに分類してみせた。
「四原因説」も参照
また、アリストテレスは、世界の様々なできごとの原因を、原因の原因、またさらにその原因…と遡ってゆくと、最終的に第一原因にたどりつく、とした。この第一原因を、別の文脈では「不動の動者」と呼んでおり、神とほぼ同じ意味で用いられた。
ヒュームの因果説
西洋近代ではデイヴィッド・ヒュームが、因果性とは、空間的に隣接し時間的に連続で、2 種類の出来事が伴って起きるとき、この 2 種類の出来事の間に人間が想像する(人間の心、精神の側に生まれる)必然的な結合関係のことである、とした。つまり、物事はたまたま一緒に起きているだけでも、人間が精神活動によって勝手に結びつきの設定をしている、という指摘を含んでいる。
ウィキペディアフリー百科辞典 2017/現在
此処から、本日9月27日の加筆。
今日は昼寝から起きて、先ず「原因」の漢字を調べて見た。
「原・ゲン・はら」【解字】会意。「厂+泉」「厂」は崖の意味。泉は、いずみの意味。崖下からわきはじめたばかりの、いずみの意味から、みなもと(水元)の意味を表わす。源の原字。
【字義】@もと。㋐みなもと。=源 ㋑はじめ。おこり。「原文」㋒もともと。元来。Aもとづく。Bたずねる。物の根本をたずねる。Cはら。広くて平な土地。「平原」Dゆるす。罪をゆるす。Eすなお。きまじめ。つつしむ。愿「郷原」
「因・イン・よる」【解字】会意。「囗+大」囗は、しとねの象形。大は、ひとの象形。人がしとねにふしたさまから、夜の意味を表す。因を音符に含む形声文字に、咽・姻・茵などがあり、これらの漢字は、「より親しむ」の意味を共有している。
【字義】@まわる。㋐めぐる。ふまえる。従う。「因襲」㋑たのむ。たよる。㋒つく(就)。Aおこり。(事のおこる)もと。原因⇔果。「起因」「勝因」Bちなむ。ゆかりを持つ。縁がある。Cよすが。わけ。理由。Dよって。よりて。それにつれて。それが原因で。そういうわけで。
漢語林より
此の「原因」の漢字の意味は、因=「囗+大」囗は、しとねの象形。大は、ひとの象形。人がしとねにふしたさま・・で、原=@もと。㋐みなもと。=源 ㋑はじめ。おこり・・であるので、正に私の「寝床・しとね」が物事の「源・みなもと」であると言う事に成って来る。
其れを考えると、統尊(すめらのみこと)の寝床が「天の御臥す間(あめのおふすま)真床襲衾(まとこおふすま)」と呼ばれていた事の謎が解けて来るし、大嘗祭の儀式の持つ意味も理解されて来る。
29・9・27
此処から28日加筆
其の事を考えると、9月20日に「見えない時の太陽」との言葉が告げられて来た事が関係有り、太陽は太陽系の中心に存在する物で、見え隠れする物ではなく常に一定している存在であるので、「見えない時の太陽」との言葉は、地球に立つ人間の位置が、太陽の反対側に有る時の言葉である事になる。
其れを考えると、因の漢字が「人がしとねにふしたさまから夜の意味を表す」との言葉と関係が有り、太陽側に居て、起きている人間とは関係が無いと言うことに成る。
だが、私が暗い寝室で昼寝をする時は、「人がしとねにふしたさま」であると言う事になり、昼間でも日が差さない暗い部屋で在れば、原の漢字の意味である「ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。」との事を発生させる原因であると言う事にも成る。
そして、其れが何を意味するかを考えると、2009年7月14日に示されて来た「白い太陽」の存在が関係有りそうである。
2017/9/20・・今朝のメッセージの映像は、私が白いワンボックスカーを運転して、山中に存在する建物に到着した。
すると、其の建物の背景の山は、真っ赤な紅葉で埋め尽くされていた。
其れから、白い服を着た60歳位の存在感の有る立派な男性が登場したので、私は其の男性に挨拶をしようとすると、自分の意識・こころが真っ白な空白に成っている事を理解した。
私は、其の自分の意識の空白感から、自分は「ブッダ」として完成した事を感じて、「ブッダ・メシヤ・キリスト・統尊・チャクラ-ヴルティーン・転輪聖王」と呼ばれて来た者の正体が、どう言う意味であるのかを理解して居た。
其れから再び眠ると、「見えないときの太陽」との言葉が一言告げられて来た。
「自分との答えはブッダ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4374.html
2009/7/14・・そして、場面が変わって、他に何も物が無い、薄暗い空間の中の見上げる様な高い位置に、強烈に白く輝く太陽の様な球体が一個だけ現れた。
しかし、其れは太陽ではなく、宇宙の中心核である様な感覚を受ける、球体(恒星?)であった。
其の白銀に輝く白い球体は、私が是まで、見た事の無いモノで、私の意識が、究極の世界に辿り着いた感覚があった。
其れは、物言わぬ存在であり、全ての中心であり、其の存在がなければ、此の宇宙も存在しない様に、想われるモノ・正体である。
若しかしたら、古代エジプトに、其の球体を見た者が居て、シリウス星を太陽としたのかも知れない。(シリウス星はナイル川の洪水の季節に出る星)
私は1986年に、高知県の桂浜に在るホテルに宿泊していて、突然夜中に、宇宙から遣って来た様な、銀色の粒子の渦の様な物に包まれ、身体の穢れが全部清められる様な、体験をした事がある。
そして、其れが沈静化してから、目を開けると、ホテルの窓からシリウス星が輝いているのが見え、其のシリウス星から、浄化のエネルギーが下りて来たのだと想った。しかし、其の時には、其の浄化のエネルギーを、送り出して来たエネルギーの元は、見せられてはいない。
今朝の球体は、其の根元であり、純粋を意味する源だったのかも知れない。
いま「ソース」と「セル」を検索して見ると、次の様に載っている。
・「ソース・source」 出どころ。 みなもと。
・「セル・cell」 小部屋の意
細胞。
スプレッドシート(表計算ソフト)の枡目の一つ。
携帯電話やPHSなどの移動体通信における、基地局の電波が届く範囲(通信可能エリア)のこと。また、利用者の移動に伴い、別の基地局のセルに変更することをハンドオーバーという。 大辞林より
私には、英語の意味は良く解からないが、今朝のメッセージは、我々の存在が何であるのかの、ヒントを示しているのではないだろうか。
今朝の映像では、我々の肉体が存在する背景に、電子記号の様な物が、無限に在るかの様に感じるぐらい存在する理・ことが示されたのである。
PC画面に、現れて来る文字や記号は、PCのチップの中に記録されている、電子記号の組み合わせに拠ってである。
其の電子記号が、文字や記号として現れて来ているのと同じく、人間の身体の部位も、背景にDNAが持つ、電子記号のシステムが存在する理・ことを、意味しているのではないだろうか。
何故、其の様に謂うかと言うと、今朝の映像には、人間の身体の爪・指・耳・鼻・唇等の部位が、バラバラに分かれて、絵文字情報の様に、縦に並んで流れ下って行ったからである。
其のバラバラの情景を見て、私は、ピカソの思考を理解出来た様な気がしていた。
この様に書いて行くと、今朝の映像に現れた白銀に輝く球体は、「ソース・source出どころ。みなもと。」であり、人間の肉体を創り上げている、其々の部位は、「セル・cell小部屋の意。細胞。」の積み重ねであるとの理・ことではないのだろうか。
そして、「セル・cell」細胞の源・みなもとは、今朝現れた、白銀の球体が放っている「ソース・source」のエネルギーであるとの理・ことなのかも知れない。
昨日のメッセージにも、金色の球体が現れた。
其の、昨日現れた球体は、地球上の生命情報の源であり、今朝現れた球体は、宇宙の情報・ソース・sourceだったのかも知れない。・・・
「白い太陽」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1206.html
此の白い太陽の文章を見ると、全ての原因の元は宇宙に存在する「白い球体・たま」と、人体の細胞「セル・cell 細胞の源・みなもと」が直結して、生じて来るモノであると言う事に成り、人間が昼夜を問わず「天の御臥す間(あめのおふすま)真床襲衾(まとこおふすま)」に因して、健在意識を消した時にチャンネルするモノ・世界であると言う事に成りそうである。
其れこそが、「原」や「因」の漢字を創り出した人物の次元・意識状態と関係が有り、古代の人々が其の世界と言うか、宇宙の真実に繋がっていた証拠と成るであろう。
是からも加筆予定
29・9・28・11・16
礒邉自適
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