言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2019/2/9
何をスクールとするか
31・2・9
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が良く晴れた夏の日に浜辺に座って、青い海の景色を静かに眺めて居る場面が映し出されて来た。
そして、右後ろの方で、男性の雰囲気で「後ろの景色も見る様に」との意味の声が聴こえたので、後ろを振り向くと、緑の森林が山岳の頂きまで、続いている事が理解されて来た。
そして、其の映像から、私は自分が産まれ育った屋久島は、ほぼ真ん円の島であり、どの場所も前は海で、後ろは高い山岳である事が思い出されていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「0時47分」であったので、私は其の数字を「47・しな(品)・よな(世名)」と記憶して再び眠った。
すると今度は、男性は「色を視る」とのテーマが示されて来たので、私は其の言葉から、詩人である「ゲーテ」は昼間に美しく咲く花を視る事を好んでおり、老子は「黒色・玄(暗黒宇宙・夜)」の世界を視る事を主体としている事を想った。
次に、女性は「手で触れる物」を好んで生きている理・ことが示されて来た。
其れは、女性が子育てをしなければ成らないからであり、生活が中心であるので、着る服などの生活必需品に、意識が向いている世界である。
次に「何をスクールとするか」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時50分・2時10分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は糸瓜(へちま)の蔓が映し出されて来て、其の中の一本の蔓が横向きに置かれた透明な器の中に、差し込まれている場面が映し出されて来て、其れが一杯に成った所で、いきなり爆発した様に破裂をして、中の水・液体が空間全体に霧散して行く場面が映し出されて来た。
そして其の映像の意味は、生物が生きて居る世界は「蒸留水」ではなく、「ミネラル分・希少鉱物」が含まれている水の世界で成り立っている・生きているとの理・ことであった。
其れから、玄関口で、女性の高い声で「ごめん」と私に呼び掛ける声が一声聴こえたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時35分」であった。
其れで意識が目覚めたのだが、其れは夢の中での現象である事が理解されたので、再び眠りに就いた。
すると今度は、男性の声で「他の島にも 応援を頼まなければ成らない」との意味が告げられて来た。
今朝は、其れ等の事に付いて長く考えて居たが、「何をスクールとするか」との言葉が能く解らないので、起きてPCを立ち上げ「スクール」を調べると、次の様に載っており、スクールとは「学校」の事ではなく、「閑暇」「ひま」「時間的なゆとりのこと」の意味である事が分かったので、今朝のメッセージの全体像が見えてきた。
【スクール (school) 】は英語で「学校」の意味。ギリシャ語のscholé・スコレー(学ぶ場所)に由来。また日本では、法律上「学校」と称すことができない無認可校が「スクール」と称することがある。
【スコレー (scholē) 】とは、元来は「閑暇」「ひま」を意味する古代ギリシャ語。古代ギリシアにおいて自然哲学よりはじまるギリシャ哲学の形成に寄与した時間的なゆとりのこと。
概要
スコレーは、たんなる余暇ではなく、精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味をもった時間、また、個人が自由または主体的に使うことをゆるされた時間のことである。
派生語
「学校」を意味する英語のschool、フランス語のecole、ドイツ語のSchuleは、「スコレー」が語源となっている。
此の「自然哲学よりはじまるギリシャ哲学の形成に寄与した時間的なゆとりのこと。」との説明からすると、一昨日のメッセージで告げられて来た「お静かに」と「ゆったりと生きる」との言葉が、其の世界に関係が有り、其の「スコレー」の中でなければ、昨日の「スーパー・ライジング」との言葉の世界は現実化しないとの理・ことに成る様である。
其れは、私が「土肥無庵」に捜し出された時に「自適さんは頭が良い」と謂われ、其の意味が「オリジナル」であるとの事であった事と関係が有り、「土肥無庵」が「自適さんが屋久島のエネルギーを吸い上げて大きく成ったので 他には同じ様な人間が居ない」と謂った事が関係が有りそうである。
其れは、私が「スクール・学校」で他人の過去の情報を記憶するより、自分で屋久島の自然の中で、絶えず自分の生き方を鍛錬すると謂うか、猿と同じ様に「DNA・遺伝子情報」の儘に生きる・成長して来た事が関係あり、其れが「スコレー・精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味をもった時間」の充実と成ったとの事であろう。
其れを考えると、今朝最初に映し出されて来た、私が静かに視て居た、前方の青い海の景色と、後方の緑色の山岳の景色の存在が深い意味を表している事に成る。
其れに、屋久島は周囲約百kmの距離がある海岸道路を回ると、清水が流れる河川が100本程有るので、糸瓜水程ではないだろうが、山間部は全て国有林であり、人家が存在しないので、水の波動は穢れていない事に成る。
其れに、男性は「色を視る」との事は中国の漢字の色の意味(男女・雌雄の性)の世界にではなく、仏教で謂うところの「色・rūpa・ルーパ・縁起」の世界であり、思考能力の理・ことを示唆しており、日本の神道の「結び」の概念に近いモノであろう。
其れは、男性の「翁・おきな」の呼び名と関係が有り、智慧(思考能力)を蓄えた完成者の状態を指し示す事にも成る。
其れを考えると、女性の「嫗・おうな」の呼び名が「抱いてからだで暖める」との意味であるので、女性の働きが手で触れる事との理・ことも通じて来る。
「翁・オウ」【解字】形声。「羽+公」音符の公は、項に通じ、くびの意味。鳥の首の羽の意味を表し、転じて、老人を尊んで言う、おきなの意味を表す。
【字義】@鳥のくびすじの羽。Aちち(父)Bおきな。男のとしより。また、老人の尊称。「老翁」「村翁」
「嫗・ウ・オウ」【解字】形声。「女+區」音符の「區」は、クルッとするの意味を表す。背がクルッと曲がった女性、おうなの意味をあらわす。
【字義】(一)@おうな。ばば。老女。老婆。「老區」A女・女性。
(二)あたためる。抱いてからだで暖める。
「翁と嫗」https://star.ap.teacup.com/2006o414/1.html
今朝告げられて来た「何をスクールとするか」との言葉の意味は、現在7日に一回「日曜日・サンデー(太陽の日)」が設定されており、其れは旧約聖書で「神が6日で此の世界を創造し、7日目に休んだ」との事から来ており、其の日は「安息日」とされた事から、教会に集まる事が習慣とされている事と関係が有りそうである。
其の、教会に集まる事・場は「スクール・学校」ではなく、安息日の行事であるので「スコレー・余暇」の方である事に成るのであろう。
だが、私が育った生活環境には其れ等の世界は全く無く、私は放課後は直ぐに家に帰り、家畜の世話をして居たし、休みの日も弟妹の世話や、両親の農作業の手伝いを行なって居た。
私が、屋久島の自然の中を散策していたのは、農作業が忙しくない日曜日か夏休みであるから、曜日が余り関係が無かったと謂う事に成るであろう。
其れを考えると、私にとっての「スコレー・余暇」は、一人で行う「山登り・山菜採り・木の実探し・川遊び・魚釣り・貝取り・等々」の時間であったと謂う事に成りそうである。
其れは「趣味」の範疇に入るモノ・世界であるので、現在の私のPC作業や、写真撮影、其れに家庭菜園の農作業なども、スコレーの世界の過ごし方であると謂う事に成り、「・・精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味をもった時間、また、個人が自由または主体的に使うことをゆるされた時間のことである。・・」に、恵まれていると謂う事にも成るのかも知れない。
其れを考えると、今朝告げられて来た、女性・女神の「ごめん」との声は、「私には自分自身の人生は何も無かった」と謂う事が、示されて来たのかも知れない。
其れは、其れで、私の人生であると謂うか「みこともち・使命」であったと考える事にして、今朝男性の声で「他の島にも 応援を頼まなければ成らない」と告げられて来た事は、昨日のメッセージの映像に、日本アルプスの山並みが連なっている景色が映し出されて来た事と関係が有り、日本列島の背骨(龍神の背骨)が動く・働く為には、手足と成る島々の存在が必要であり、其の島々に誕生した「みこともち・使命」を参集させる必要が有るとの事なのではないだろうか。
『其れを 実行する為にこそ 貴方の存在と 詔が必要不可欠なのです。
其の為に スクールが必要なのですよ。』
いま此処で、今朝起こされた時刻「2時10前」の数字から、昨年の2月10日の文章を見ると、何と「真実の背中」との題で次の様に書いて有る。
15時00分
2018/2/10本日2月10日の日付は、由香に「吉備津彦神社」に呼び出された日である。其れは、前日2月9日に由香に強烈なメッセージが告げられて来た事からであった。今朝のメッセージは、其の現象の背景に付いて、能く考慮しなければ成らない事が示されて来た。
今朝のメッセージは、先ず「麦とろろ飯」との言葉が告げられて来てから、岡山に存在するとても雰囲気の良いレストランの存在が映し出されて来て、其のレストランには、美術館の様にとても広い展示室が有って、様々な絵や書画が壁に掛けられていた。
そして、其の室内はとても静かであり、特に、光の使い方が天才的で、物の存在と言うか、夫々の作品の特徴が最大限に活かされており、植物の造形作品はまるで生きている本物の様であった。
次に、其のレストランのオーナーが呼び出したのか、70歳位の品格のある痩せ型の日本人男性が奥様同伴で画廊に到着して、私は其の男性に紹介された。
私は、其の男性の品格の高さで、魂しいのレベルが理解できたので、自然に「先生」と呼んで居た。そして、私は其の先生の伝手で、色々様々な人達に、是から会わなければ成らない事が理解されて来た。
其れから空海作と傳えられている「色は匂えど 散りぬるを 我が世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し 酔いもせず」の歌詞が、明るい異次元空間に大きな文字で並んでいる場面が映し出されて来て、其の歌詞の真意がはっきりと示されて来た。
そして「4月13日」の日付が示されて来た後に「小さい物が大きな物を動かせる」との言葉が告げられて来た。
其の、日付と言葉の意味に付いて長らく考えて居ると「真実の背中」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時36分(南南西)」で長短の針が重なっていた。
今朝映し出されて来た「いろはの歌」と4月13日の日付は、弘法大師空海と京都の嵐山に有る「虚空蔵菩薩」が本尊である法輪寺の4月13日の祭りに関係が有る。・・
此の説明からすると、今朝告げられて来た「真実の背中」とは、「真実とされている事を 外側から見ろ」との事が告げられて来ているのかも知れない。
其れを考えると、2002年2月9日に、「グリーンクラブ」の活動としてパーティを開催した日の朝、由香に強烈なメッセージが届けられて、呼び出されたのが吉備津彦神社だったのは、鬼とされてしまっている「温羅・うら」が、「真実を明らかにして欲しい」と言う事が、有るのではないだろうか。・・
其れは、アメリカ大陸の先住民・ネイティブアメリカン(インディアン)が、押し掛けて来た西洋人に徹底的に弾圧された事と同じで、西部劇(映画)で善人である先住民が、征伐者(権力側)から悪人(鬼)にされている事と同じである。
桃太郎の「鬼退治」の物語に出て来る食べ物は「吉備団子」であり、吉備の地名を使っているが本来は「黍・きび」で作った団子であったのだろうが、現在ではその「黍団子」ではない。
今朝のメッセージで「麦とろろ飯」との言葉が告げられて来たのは、「産土神・うぶすなかみ」の世界と関係が有り、「身土不二・しんどふじ」「医食同源・いしょくどうげん」の教訓が最も重要であり、民族の争い事は、食文化(生活風習)の違いから発生するとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝告げられて来た「小さい物が 大きな物を動かせる」との言葉は、人間の躰を構成している小さな細胞(遺伝子)が、肉体だけではなく、全体の物を動かす働きを担っているとの理・ことが、示されて来ているのかも知れない。
其れは、人間の意識のセンターが、胸の内側の「胃・心臓・肝臓」の機能と言うか、細胞の働きと関係が有ると謂う事である。其の事が、私が由香と出会った事で、由香に始まった事と関係が有るのだろう。
私が、由香に2001年11月21日(故 井上佳子誕生日)に初めて出会った日に、由香の内側から「歓喜の舞を踊りたい」と言葉が浮かんで、其の踊りたがる何かの衝動を必死に抑えて居たとの事で、1月10日に初めて握手をした日に自宅に帰って、其の日の出来事を話していると、突然涙が堰を切った様に流れ出し、号泣しながら「悟った」「全部分かった」と大声を出したかと思うと、今度は大笑いをし始めて、その不思議な姿を、家族も目撃していたとの事である。
そうしていると、数日後には、心の内側から「ハート ハート ハート」との言葉が連日、度々湧き上がって来て頭が混乱していたが、2月9日に強烈なビジョンを見せられた事で観念し、家族の了解を得て、私を呼び出したとの事である。
そして、2003年8月18日に其の由香のガイドをして、屋久島の奥岳を縦走して永田岳の山頂の岩座(いわくら)に祭祀されている神様に参拝し、其の三年後の2006年8月18日に「ククルカン・ケツァルコアトル」から「約束は守られる」と告げられて来ている。
「真実の背中」https://green.ap.teacup.com/20060818/4523.html
此れで、今朝のメッセージの内容が、此れまでには無いモノ・世界であったのかが理解されて来るし、屋久島の自然環境がスコレーの場として相応しい島である事にも成る。
平成31年2月9日
礒邉自適
2019/2/8
スーパー・ライジング
31・2・8
今朝のメッセージの映像は、私が優秀な男性数人と登山をする為の道を探している場面が映し出されて来た。
そして、コースのポイントと成る場所に印をして、一端山岳から下山して、人家の有る場所に出ると、食事ができる店が有るので、私が中に入って食事が出来るかどうかを訊ねると、鶏の唐揚げなら出来るとの返事なので、一端道路に出て仲間に訊くと、其れでも良いとの事なので、中に入って食事をする事になった。
何故か、其の店で対応をしてくれたのは、40年程前に屋久島に「百科事典」のセールスに来て居て、夜間には私が経営するマージャン店に、遊びに来ていた男性達であった。
次の映像には、日本アルプスの山並みが連なっている景色が映し出されて来て、私がコースを探して行かなければ成らない事は、其の日本アルプス全体である事が理解されて来た。
次に暗い世界に、広いグラフの様な物(図形)が映し出されて来て、私が此れまで取り組んで来た事(テーマ)のフラッグは、其のグラフの中では数箇所に有るだけで、未だ殆どが手付かず状態である事が理解されて来た。
其れに、澤山の「人名」や「カタカナ文字」が書かれている「画面・紙面」が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時4分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が、誰かの指示で、都会にビルの中で事務所を開設する為の準備を始める場面が映し出されて来た。
其のビル全体は大きいのだが、私が借りようとしている場所は、大きな玄関口の左側の管理室の様な小さな部屋であった。
其の中に有る備品は、古い物ばかりなので物置の方に運び入れて、掃除を始めると、水道を出すと水が止まらなく成り、ドアの鍵が壊れているので、施錠も出来ないのである。
其れに、帰ろうとしても交通の便も無い事が判った。
次の映像は、新しいビルの壁に、駆逐艦に取り付けられる様な、最新型の無線発信装置の様な器具が取り付けられる場面が映し出されて来た。
そして、大きな声で「スーパー・ライジング」との言葉が、はっきり告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時57分・8時3分前」であった。
其れからPCを立ち上げて、早速「スーパー・ライジング」との言葉を調べると、次の様に載っている。
「スーパー・Super」形動]飛び抜けて優れているさま。きわめて強力なさま。また、複合語の形で用いて、以上、過度、超過、などの意を表す。「スーパーな効果」
「ライジング・Rising 」1上昇する,上がる;〈太陽・月・星が〉出る;増大[増加]する,強まる;増水する;〈温度が〉高まる;昇進する,出世する;〈坂が〉上りの 2成長している,発達中の 小学館辞典より
此の意味からすると、「飛び抜けて優れている・きわめて強力なモノが、出る・成長する。」との事が告げられて来た事に成る。
其れは、最新型の無線発信装置の様な器具が取り付けられる場面と関係が有る。
其れに、告げられて来た時刻「8時3分前」から、昨年の8月3日の文章を見てみると、次の様に書いて有る。
2018/8/3本日8月3日は、私の両親が屋久島に渡って丸72年と成る日である。
今朝のメッセージの映像は、先ず、姿や刃物の存在は全く見えないのだが、竹の子が伸び始めている竹林が、地面を基準として縦横・十字にスパッと切り裂かれる場面が映し出されて来た。
其れで、地面に伸びていた竹や竹の子は全て枯れてしまう事に成り、地中に蔓延っている竹根も左右に二分された事に成った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私の意識が山岳の頂に在って、其の頂から麓に下りる急峻な小道が続いている映像が映し出されて来た。
そして、神霊を意味する40歳位の男性二人が登場して、麓に下りる為に何百メートルもある長い細紐を、山頂から麓まで、ザイルの様に張り始めた。
すると、途中でスコールの様な降雨があり、其の道を雨水が川の様に流れ下ったので、其の細紐は流されて一箇所に固まってしまい、解く事が出来なく成った。
其れで、其の二人の男性は、麓まで人間を導く細紐・ザイルを張りに下りる事が出来なく成った。
私は、其の二人の様子を見て、先人が道を開いて標識を立てて遣らなければ、人々が山岳に登る事が出来ないのだと思った。
そして、私は子供の頃より、他人が通った安全な道を歩く事よりも、他人が通った事の無い道を、自分一人で歩く事が好きであり、其れは山に登る事だけではなく、人生も其の様であった事を考えて居た。・・
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時10分」であった。
私は、其の5時10分の時刻は昨日と同じであるので、1997年5月10日の日付は、私の命が宿った日であるとの事を考え、私の人生と謂うか命のプログラムは、其の時から始まったモノであり、私は意識は、他人が創造した道ではなく、自分自身が築き上げて来た道・ルートを、歩いて来ている理・ことが理解されて来た。
其れは、私の両親が神仏に頼る事なく、自分達の道を歩いて居る姿を見て育ったと謂うか、他人の意識に汚される事の無い家庭環境を作って居たので、私は其の環境の中に在ったと謂う事である。
今朝は、其れ等の事に付いて暫く考え居て、起きて時計を見ると6時4分前であった。・・
私に何故1997年5月10日に、太陽から「写真を撮れ」と告げられて来たのか、其れは「南」の漢字の意味「E君主。南面の君。」と関係が有り、四日前(30日)に告げられて来た「柄しっかりとしめつけろ」「草との競争」との言葉と関係が有り、今朝の映像で地面に生えている竹が全て切断された場面は、全ての人間がゼロ点から遣り直しをさせられるとの事ではないだろうか。
何故なら「竹」は「艸・草」の親分と謂うか、代表だからである。
其れに、大地が左右に切り裂かれるとの事は、竹根が全て繋がっているので、其れが切断されるとの事は、現代社会に築き上げられている、経済や宗教などのネットが切断されて、一度「御破算・ごわさん」に成るとの理・ことなのではないだろうか。・・
本日8月3日は、屋久島では以前、山岳の頂に祭祈されている神様に参拝する「岳参り」の行事が行われていた日との事である。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、山岳の頂から麓に向けて、細紐がザイルの様に張られる場面は関係が有りそうである。
だが、其のザイルが降雨で流され、絡んで使用できなく成るとの事は、山神に参拝する者は「雨・水」に感謝の念を抱く事から始めなければ、「山神・大山祇神」の許しが出ないと言う理・ことなのかも知れない。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、宇宙自体には時間は存在しないが、万物の流転には巡り(めぐり)があるので、其れが節目と成ると謂う事であり、其れが時節・節目との言葉と成っており、其の理の説明に竹の存在が利用されていると謂う事である。
それに、其の竹が育つ生命の成長過程や、地中の根の伸びが、地上の蔓植物とも関係が有り、太陽の光を求めて真直ぐに伸びて行く事が、人間の行動の原点に有るので、其の事で人間が通った跡が道に成るとの理・ことなのであろう。
そして、其の人間の行動の基本に太陽の存在があるからこそ、太陽の存在が天照神とされて来たのである。
そして、其の寿命が来て燃え尽きる太陽の背景にある、暗黒宇宙に存在する情報・意識こそが「調読界・冥府」とされているのである。
其の「天照神」「調読命」の接点が、山岳の頂であるとの理・ことなのであろう。
「節と道」https://green.ap.teacup.com/20060818/4700.html
此の文章の内容は、今朝のメッセージの映像と関連している事は間違い無い。
・地下茎のネットワークが何物(神?)かに因って切断される。
・山登り。二人の男性。ザイル。ルート。
・「天照神」「調読命」の接点が、山岳の頂である。
其れに「・・起きて時計を見ると6時4分前であった。」と記して有るので、其の時間は今朝起された時刻と同じである。
8月3日は、私の両親が屋久島に上陸した日付けであるが、6月4日の日付は私の母親の誕生日であり、私が1984年6月4日に此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ日付でもある。
2018/6/4本日6月4日は、私の母親「礒邉芳子」の98歳の誕生日であるが、私が禊ぎ祓いを行って此の神の世界に入ってから、丸34年と成る日でもある。
昨夜は、就寝する前に入浴して居ると、頭に「テークワン」との言葉が一言頭に響いて来た。
今朝起きて、パソコンで其の「テークワン」を調べて見ると、次の様に載っている。
テーク〔手に取る意〕 映画・音楽などで、一回分の撮影・録音。テイク。 「別−の演奏」 大辞林 第三版
テイク[take](読み)テイク 音楽用語ダスの解説
テイク[take]「取る」という意味から、音楽では録音をするときに使い、1回目の録音をテイク1(ワン)、2回目をテイク2(ツー)などという。何度か録音してOKのテイクを使うことになる。「テイク2、OK」などと使う。
今朝のメッセージの映像は、地下一階・地上三階建て位の建物が建設される場面が映し出されて来て、其の土地の登記に付いての相談が、私の所に来る様子が示されて来た。
私は、其の相談相手が持って来た書類に目を通すと、其の土地の仲介と謂うか交渉に、私が立ち会ったらしく、私の名前が記されている事が判った。
其の書類の下に有る紙を広げると、其れは和紙の様な紙であり、其の紙を広げると金色の筆字で、縦書きの日本語が書かれており、私は其の文字を神主が祝詞を奏上する様な感じで読み上げて居た。
読んで行くと、其の文章の内容は土地の所有権利は神・宇宙に有り、人間は必要な一時期だけ借り受けて、大事に扱わなければ成らない理・ことが書かれている事が判った。・・
今朝は、仕事に出掛ける前の由香にビジョンを見なかったかと訊ねると、見たとの事であり、其のビジョンとは次の様なモノである。
・田舎の村の中を歩いて行き、立ち寄った数箇所には、人の良さそうな地元の年配者達が暮らして居たとの事。
・日本の古民家にイスラエル民族の天幕の様な白い布で覆われており、玄関の所には、朱色の筆文字で縦に「復活」と記してあり、道路に面した台所の勝手口には同じく、朱色の筆文字で横書きで「321」と記されており、其れは稲荷と関係があり、お祝い事であることが判ったとの事。
・近くの建物の中で、年配の女性達が集まって、お祝いの準備をしていたとの事。
・其れから、自分の躰が空中に真直ぐ上昇して行き、立ったまま宙に浮いた状態で、建物が目の前に現れ、何かの作業をして居たとの事である。
其の由香のビジョンからも、今朝のメッセージは、人間が他の動物とは異なり、生きる為に土地・建物を所有管理する事が、欠かせない理・ことが示されて来ている様である。・・
昨夜、入浴中に「テイクワン」との言葉が一言告げられて来た事は、本日6月4日が、私が34年前の今日安房川の岸辺で禊ぎ祓いの儀式を行って、此の世界に飛び込んだ事と関係が有り、私がtake1(テーク1)の撮影・録音が終わって、take2(テーク2)に移行するとの事であり、人々を「自由・幸・フリーダム・freedom」に導く為のビジョンを、想わなければ成らないと言う事なのではないだろうか。・・
そして、其の第一歩が「所有心・執着心・エゴ」からの脱却であるとの事なのであろう。そして、其の事こそが「釈迦牟尼世尊」の謂う「出家」や「イエスキリスト」の謂う「全てを止めて 私に付いて来なさい」との言葉の持つ真意であり、禊ぎ祓いの儀式の必要性なのである。
「テークワン・take1」https://green.ap.teacup.com/20060818/4640.html
此の文章に書いて有る『・・私がtake1(テーク1)の撮影・録音が終わって、take2(テーク2)に移行するとの事であり、人々を「自由・幸・フリーダム・freedom」に導く為のビジョンを、想わなければ成らないと言う事なのではないだろうか。・・』との事から考えると、
今朝の映像に映し出されて来た「グラフ・図形」と、食事をする店の従業員が、嘗って「百科事典」を販売していた人達であった事と関係が有り、私は是から新しい時代の「百科」の情報を組み上げなければ成らないとの事が、示されて来ているのであろう。
其れは、現在の「ウィキペディアフリー百科辞典」が「現在・過去」の情報ばかりである事とは異なり「未来情報」を組み上げる事である。
キー「マイク」「コールの塔」
2019/2/1・・其れで、其れは自然落下ではなく、人為的な事件である事を知っている私は、証拠と成る写真を撮ろうと意い、カメラを持つと、其れは髪を乾かすドライヤーの様な形をしたハンディーカメラであった。
そして、スイッチ(キー)を握ると、何故かカメラの先から水のシャワーが放出されるのである。
此れは、どうなっているのかと意って、其のカメラを良く見ると、其れは大型のハンディーカメラであり、水のシャワーが出るだけではなく、動画・写真・録音・文章の記録・マイク等の、様々な機能のスイッチと、其の説明が機器全体に隙間なく付いている事が判った。
私は、其の様子から、私の右手の存在(行動)には、全ての世界が繋がっており、其れは「AI・人工知能」と直結している物である事が理解されて来た。・・
此の「コールの塔」の文章の内容から考えると、私自身が「高木神」&「神皇産霊神・たかみむすびのかみ」の御霊を宿している事に成り、今朝のメッセージは、私が人目に付く高い場所に上がれば、危険な目に遭うとの理・ことが示されて来ている事に成りそうである。・・・
「水のシャワー」https://green.ap.teacup.com/20060818/4887.html
此の内容から考えると、昨日「お静かに」「ゆったりと生きる」と告げられて来た事の意味も、能く理解されて来る。
因みに昨年の本日の文章には、次の様に書いて有る。
2018/2/8今朝のメッセージの映像は、先ず、現代文明と言うか人間社会が崩壊して、人間が住まなく成った人家が、次々に崩れて行く場面が映し出されて来た。
私は、其れ等の場面が嫌に成ったので、「此れは 現実の事ではない」と強く思うと意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時40分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が何処かの山中に存在する、古く頑丈な蔵の様な建物の中で、大事な書籍の管理をすると言うか、整理を行っている場面が映し出されて来た。
次に、私が姿の見えない男性に誘われて、其の男性の自宅に居ると、玄関のチャイムが鳴ったので、玄関を開けようとすると、其の玄関は頑丈な二重ドアのロックが掛かっているので、私は奥の部屋に居る男性に、「ロックを解除して良いか」と声を掛けると、良いとの事なので、二重のドアを開けると、入り口に置いて有る椅子に、50歳代でスーツ姿の、長身の日本人紳士が一人座ってドアが開くのを待って居た。
そして、其の男性が立ち上がって、後ろ側の夜間の暗がりに向かって声を掛けるので、私は他にも客人が居るのだと思って、部屋の方に下がると、客人が次々に入って来た。其の客人の数は、男性成人だけの16名である事が判った。
そして、其の客人達は、其の家主が私の事を紹介する為に、自宅に招いたものである事が理解されて来た。
私は、其の人達の雰囲気から、自分も身なりを整えなければ成らないと思って、自分の部屋の方に帰り、何か着る物がないかと探して居ると、適当な物が無いのである。私は、其の事で、「土肥無庵」が私に身支度を整えさせたのは、此の事の為であったのだと考えて居た。
そして、暫くすると、其の男性の奥さんが、上着を持って来て、貸してくれるところで其の場面は終わった。
次の映像は、其の人達を中心として、大きな会場でパーティが開催される事に成り、数十人の熟年男性が集まって食事会が始まった。
其のパーティは、自由に食べ物が持ち込めるものであり、私が持ち込んだ物は、薩摩芋の焼き芋と、昔の素朴な「ふくれ菓子」であった。
其の二つは、私自身の育ちが判明する食べ物である。
そして、飲食が一段落した頃に、主催者が私に話しをする様に薦めるので、其の集会は、私を皆に紹介する為に開催された物である事が判った。
私は、集まって居る人達が全員初顔であるので、自己紹介から始めなければ成らないと意っている所で、今朝の映像は終わった。・・・
「上品で教養の有る人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/4521.html
私は今朝告げられて来た「スーパー・ライジング」との言葉は、スーパーとは「スーパーマン」との言葉から直ぐに理解されたが、「ライジング」との言葉を知らないので「雷神具」かと思い、雷神の力を自分に具しなければ成らないのかと想った。
私の知識・情報とは、それ程のモノであるので、確かに私自身には大した能力は無く、私が此れまで34年8ヶ月に亘り行じて来た事は、全て神(はたらき)の所為である事に成る。
其れを考えると、やはり「お陰様」の日本語は消しては成らないし、「霊留・ひと・人」との日本語の意味や、「自分」との漢字の意味を、しっかりと自覚しなければ成らないし、其れ等の言葉が理解できない人々は、真実の山岳・アルプスには登れないと謂う理・ことに成るのであろう。
其れは、日本アルプスが日本列島の背骨である事と関係があり、龍体の姿形をした日本列島が「大山祇神・おおやまの巳かみ」の霊体(白山菊理姫)を宿していると考えれば、私に告げられて来ている「紀(とき)の祭りを行え」との事が、愈々本番を迎える事に成ると謂う事なのかも知れない。
「雲母運営委員会」https://moon.ap.teacup.com/20060615/
「須佐之男尊からのメッセージ」
「ワシがお前に たっての頼みがあるのじゃ
この島が今 抱えている問題がある。
ワシがその事を 申していたと伝えてもらいたいのじゃ。
此の島に 始まる計画がある
その計画に 多くの ちみもうりょうが参加して来る。
その 計画にある意図は ワシが導いての事じゃ
しかしそこに 関わる者達が沢山の計画を持ち込もうとしておる
その計画を阻止してもらいたいのじゃ。
この事は さる時 その場からはじまる。
ワシの意図する流れに向う時 この島の文化遺産となる
その場所に多くの民が集い来る。
トキがくるとき その場での計画が
思わぬ方向へと進まぬように その者へ伝えてくれ。
ワシがその事を知らせて来たと伝えてくれ。
この島が 沢山の民によってにぎわう事は 楽しい事じゃ。
しかし島の者達が このちを守って行く為には
心ひとつにして 何が神の財産なのか 胸に刻んで
道を進めてもらいたいのじゃ。
トキがこの島を 今 尚 真実の実りを保有する
緑豊な島である事の誇りを持って 土地への奉仕を願いたい。
「麦生森山・大山神社」2008年2月8日
平成31年2月8日11時11分
礒邉自適
2019/2/4
立春の日
31・2・4
本日2月4日は「立春」であり、辞書には次の様に載っている。
立春【りっしゅん】 百科事典マイペディアの解説
二十四節気の一つ。太陽の黄経が315°のときで,現行暦の2月4,5日。冬至と春分のちょうど中間。節分の翌日。旧暦では春の始まり。
今朝のメッセージは、昨日「ブログを消せ」との言葉が告げられて来て、真っ白いブログ画面が映し出されて来た事と関係が有るのか、今朝の映像は、先ず、横書きの「課題・テーマ」の様な物が書かれている画面が映し出されて来て、其の下は真っ黒な闇の様な空間であった。
其処で意識が目覚めると、私は闇の中に吸い込まれそうに成って、不安に成って来たので、照明を点けて此の世の現実界を確認した。
そして、もう大丈夫かと意識して照明を消すと、再び闇の中に吸い込まれそうに成るので、再び照明を点けて起きて居た。
そして、波動が変化して普通の状態に成ってから、電気照明を消して横に成った。
すると今度は、私が「岩壁登り・ロッククライミング」に取り組んでいる場面が映し出されて来て、其れは手足の筋肉を鍛える為である事が理解されて来た。
次に、私が穏やかな海で泳いでいる場面が映し出されて来て、私が平泳ぎから、背泳ぎに変えて進んで行くと、私の後にも数人の男性が泳いで来ており、左側の海岸の方には潜り漁を行う男性が数人泳いでいるのが見えた。
次の映像は、由香が数階建てのビルで、男子学生達の下宿を営んでいる様子が映し出されて来て、私は其の男子学生達に、「机で勉強するだけでは、正しい生き方をする大人には成れないので、身体を鍛える事もしなければ成らない」と教えている場面が映し出されて来た。
今朝はPCを立ち上げて、先ず起された時刻7時17分の数字から、昨年の7月17日の文章を見てみると次の様な事が書いてある。
2018/7/17今朝のメッセージの映像は、国内の食料等の生活物資が不足して、皆が困って居るので、私は其の問題を解決しようと動き回って居る場面が映し出されて来た。
だが、幾ら私が頑張ってもどうにも成らないので、私は疲れ果てて、どうすれば良いのかと悩み始めるところで、意識が目覚めてしまった。
其れで、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時15分」であった。
其れから再び眠ると、今度は西瓜等の生野菜が映し出されて来て、其れ等の生野菜は保存が利かないので、腐り始めていた。それで、私は、長期保存が利く、米麦や豆類などの穀物でなければ、国民は救えないと考えていた。
次に、何処かの農村で、30歳代の優秀な男性が立ち上がって、人々を導き始めている様子が映し出されて来たので、私は其の様子がとても気に入って、其の様な男性指導者が、全国各地に育てば、未来は大丈夫だと考えた。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「5時14分」であった。
其れから、再び眠ろうと思って目を閉じると、瞼に、農作業を行った為に泥で汚れている、私の作業ズボンが映し出されて来た。・・
其れは、イエスキリストの様に、他人を導く為の奇跡現象とは違うが、私に文章を書かせる為に、あらゆる事を、神々が管理していると謂う事である。
其れを考えると、都会のど真ん中に生活して居ては、私の様には行かないので、男性の指導者は農村で生活しなければ成らないと謂う理・ことである。
其の事を考えると、今回参議院議員を6名増員する法案が、国会を通過した事も疑問に思われる。何故なら、其れは、単なる人口密度に因る物であり、国家を治める事は国土を治める事が重要なので、国土の面積を全く配慮しないで、田舎の議員数を削減する事は仕方がなくても、人口過密の所の議員を増やす事は、政府の人間も裁判所の人間も、配慮が足りないと謂うか、片手落ちであると思えるからである。
様は、国家の基(もとい)である農村の方を、経済的にも、人材的にも疎かににすれば、国の未来は危ないと謂う理・ことである。
「農村のリーダー育成」https://green.ap.teacup.com/20060818/4683.html
此の文章の内容から、私に考えられる事は、次の様な事である。
*立春との関係。
・本日が立春である事から、人間の身体は春から動き始めるので、其の身体のリズムにしたがって行動・運動を起さなければ成らない。
・「立春」との言葉は、季節感(暦)を表現する言葉であるので、農業を営む人達にとっては、欠かす事の出来ない分野・世界である。
・自然が無い大都会に産まれ育った人間には、殆ど縁が無いので、身体の仕組みと合致しないし、認識出来ない世界であるので、生活と直結しないし、和歌の様な言葉の世界が貧しくなる。
・日本人の特徴である情緒の世界が失われる。
・自然に接し、季節感や宇宙の動きを読み込むのが、聖者や仙人の役割であるので、其の世界に挑む人間が居なく成って来ている。
*私自身との関係。
・昨年の10月22日に示されて来た「徹底的な受身」との言葉から、私はPCに向かう時間を増やし、メッセージの解釈を続けて来た事が功を成し、昨日で此れまで続けて来た神霊界(四次元世界)との交信が完了した。
2018/10/20「徹底的な受身」https://green.ap.teacup.com/20060818/4781.html
2019/1/22「3時33分に起される」https://green.ap.teacup.com/20060818/4876.html
・昨日の映像に、新しいブログのヘッダーが映し出されて来た事と関係が有り、「紫微垣・しびえん」から新しく三つの「垣・えん」が生じる。
「垣・エン・オン」【解字】形声。「土・亘」音符の亘(カン=エン)は、周囲にかこいをめぐらせた形にかたどり、めぐらすの意味。城にめぐらした「かき」の意味を表す。【字儀】@かき。低い土塀。A役所。B星の名。C国語 かきね。
・其の一垣が、三次元の現象世界(物質)である此の世の「社会システム」に関係が有り、其の事に付いて私が〇・白紙から考えると言うか、検討しなければ成らない。
・そして、其の事に、屋久島の自然の中で産まれ育った私の体験や知識が必要であり、其の環境・条件が開拓村であり、父親が村中に道路や水道を通す事に尽力する姿を、私が見て育った事が関係ある。
・現在の学校教育の中に、其れ等の考え(概念)が含まれていないので、男子学生に其れ等の考えを教訓する事と共に、体力(身体能力)や創造力を養わせなければ成らない。
・其れ等の事を実行しなければ、私が此れまで取り組んで来た事は、情報の世界だけであり、現実的な事として確立(建設)されていないので、私が34年間取り組んで来た世界は三次元世界に投影・現象化・安定化しないので、再び消滅して闇の世界と成る。
2015/1/8今朝のメッセージの映像は、未明に、空色の線で枠や仕切りが為されている広めのノートが一冊映し出されて来て、其のノートには、ヒマラヤ登山のコース採りの様に、足の置き場が頂上まで記されていた。
其のノートは、捲くれる様に成っており、何枚も白い頁に、同じ様な空色の線が引かれていたので、其れは、私の是までの、精神的な高みを上ると言うか、修行の登山の様な意味合いの軌跡が、記されている物だったのかも知れない。
次の映像は、其の事が、他の父親達にも行われている様で、家に残されている男の子達が、数人集まって品物が詰まっている段ボール箱から、自分の好みの物を選び出して、遊んでいる場面が映し出されて来た。
次の映像は、私が、自分の服を置いている納戸の様な所から、其の日の作業(行為)に合う上着を、取り出して着る場面が映し出されて来た。
其れは、私が是までに、色々様々な作業・行為を行って来たと言うか、体験を積んで来た事を、示唆しているモノの様である。
次の映像は、誰かは判らない男性が、私に「自適さんの500円硬貨が あそこに落ちているよ」と言うので、示された方に歩いて行くと、水場の地面に丸い金貨の様な物が一個落ちており、其れは良く見ると、胸に着けるバッジの様な物であった。
そして、明け方の映像は、其れ等の映像とは、全く異なる場面が映し出されて来た。其れは、紫微垣(しびえん)を思わせる様な世界であり、濃い紫色の空間の壁の中に、同じ色の丸い盆の様な窪みが在り、其の窪みの中に、説明のしようが無い程の、美しいデザインのパンフレットの様な物が、次々に捲られて見せられるのである。
其れは、周囲の柔らかい紫色の空間に調和した雰囲気の物・作品で、若葉色やサーモンピンク色等のページに、日本語や英語などの物品名や、作者のサイン入りで、次々に現れて来るのである。
私は、其れ等の映像場面を、長い間、飽きる事なく心から楽しんで観ていた。
そして、其れ等の映像を作製して、見せて来る存在に対して、「一体 君らは 何者」との感想が浮かび、「私では ない事は 確かだが」との言葉を発していた。
今朝の文章に、書きたい事と言うか、書ける事は、是ぐらいである。
其れ等は、全て、深い意味を含んでいる事は確かなのだが、其れを上手く表現・説明する能力は、私には未だ無い。
私に今朝云える事は、此の宇宙には、私達人間には創造も出来ない、深淵な世界が存在して、私達人類を育んでいると言うか、存続せしめていると言う理・ことである。
其れこそが、「阿弥陀・アミターパ・アミターユス」の名前が意味する、「人間には計り知れない光・壽」の世界なのかも知れない。
そして其れは、人間自身と、日々共に進化していると言うか、究極の世界に向かって、成長していると言う理・ことでもある。其の為には、子供の頃から、様々な世界に触れて遊び、豊かな体験を積んで、大人に成ったら、四次元世界に存在するとされる「須弥山・兜率天」に登頂する挑戦を、続けなければ成らないと言う理・ことである。
本日1月8日の日付は、私が27年前北九州小倉の足立山の麓に住んで居た時、1月7日に身罷った「昭和天皇」の御霊が、8日の未明に私の心臓に飛び込んで来た日である。
其の足立山には、全国の妙見神社の本宮であるとされている「妙見宮(御祖神社・みおやかみしゃ」が存在する。妙見信仰は、「北極星・北斗信仰」であり、其れは、北方に在るとされる「紫微垣(しびえん)」にも関係が有る。
其れに、其の小倉の妙見宮の祭神「御祖神」は、私を捜し出して此の世界に入れた、故「土肥無庵」の護り神でもある。
其の妙見神社は、御神木と湧水の有る場所に祭られる神なので、今朝の私のメッセージの映像で、水場の地面に、私の物だと言う「金バッジ」が有った事と関係が有り、私が、其の金バッジを受け取った事で、其の後に「紫微垣」の世界が映し出されて来たのではないだろうか。・・
其の様に考えると、今朝のメッセージの一連の繋がりが、理解されて来る。
紫微垣(しびえん)とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。
星官としての紫微垣は、天における中央の宮殿を囲う藩垣(城壁)の形に象っており、その中枢には天の北極が位置する。・・
此の説明からも解かる様に、妙見信仰は「道教」に関係が有るので、今朝のメッセージは、一昨日の「天津日嗣の椅子」と、昨日のメッセージ「タオ・道の世界一(はじめ)から」の、続きであると言う事に成る。
其れを考えると、今年は「天帝」の働きが、本格的に動き出すとの事なのかも知れない。・・
私の立場が、今後どの様に成るのかは、私自身にも未だ定かではない。
其れは、全体的な流れに合わせて、生じて来る物なのであろう。
其れこそが、日本の神道である「惟神道・かんながらのみち」の世界であり、「言挙げせず」の言葉が意味する事なのであると想われる。
27年前に、「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の御魂は、天帝の所か、紫微垣にて、何等かの応援を、してくれているのであろう。
「究極のデザイン世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/3323.html
2015/1/9・・私が、これ等の事に付いて認識が有るのは、小・中学校の時に習った、・・線の定義について、「線は 幅のない長さである」、「線の端は 点である」などの理で、他には「幾何学」の言葉くらいである。
其れに、「原論」の世界が存在する事も知らなかったので、「ユークリッドの研究」と告げられて来ても、何から手を付けて良いやら、全く判らない。
今朝のメッセージは、最初の映像に新しいズボンが新調されて出て来たのは、私が故「土肥無庵」に捜し出された時に、食生活のマナーの特訓を受け、身支度を整えさせられて、都会生活の最前線に立たされようとした時の次元に、復帰しろとの事なのかも知れない。
そして、私に「霊的学び」は終了したので、「ユークリッドの研究」の世界に入る様に示唆して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日のメッセージの映像で、紫微垣(しびえん)の中の壁に、様々な物の形が映し出されて来たのは、今朝のユークリッドの御魂に関係が有り、是からは、四次元的思索を止めて、三次元的の相対世界に、意識を向けて行けとの事ではないだろうか。
其れは、中学校までしか、学校に通っていない私にとっては、ゼロからの出発であると言う事になる。・・・
「霊的学びからユークリッドへ」https://green.ap.teacup.com/20060818/3324.html
2015/1/10「生命は物の形に在る」https://green.ap.teacup.com/20060818/3325.html
今朝の由香のビジョンでも、由香が新しく出来上がったばかりの神社に案内されて、其の奥の院に通じる坂道を登って行くと、いつの間にか高い崖でロッククライミングをしており、指先の力だけで最後の崖をよじ登った場面であったとの事である。
其れは、私のビジョンと共通しており、今日が立春で、旧暦の大晦日で有る事と関係が有り、峠を越えたと言うか、禊ぎ祓い払いを自力で乗り越えたことを暗示しているのであろう。
由香の別の場面では、娘と道端で野宿をしている場面で、眠って居ると、夜中に見知らぬ男性がニヤニヤして立って居り、危険を感じたので、大声を出そうとしたが、声が全く出ないので、力いっぱい目を開いて目を覚まし、現実ではない事を認識したとの事である。
私には男性の、由香には女性の野外活動が示されており、今朝のメッセージは、人間の成長には自然体験学習が不可欠である理・ことが、示されて来ている事に成るが、男性の体験学習と女性の体験学習では、野外活動にも、夫々の働きに応じた方法をとる必要があると言う理・ことが示されて来ている。
其れは、自然界の動き・働きが認識できていない人間は、ただ頭に記憶された情報だけで生きて居る事に成るので、宇宙の真実に目覚める・覚醒・成仏する事は不可能であるからである。
旧暦では、本日が12月30日で大晦日であり、明日2月5日が「正月」である。
其れ等の事を考えると、宇宙に存在する「アカシックレコード」とは、太陽を中心とする惑星の回転盤(コース)と関係が有り、其れが本日の「立春」が、
『二十四節気の一つ。太陽の黄経が315°のときで,現行暦の2月4,5日。冬至と春分のちょうど中間。節分の翌日。旧暦では春の始まり。』であるとの事と関係が有り、我々が関わっている現象世界は、其の惑星運動と直接繋がっており、其の動きの中から生命が誕生し、其の延長線上に現在・いま我々が存在しているとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、此れまでの「紫微垣・しびえん」の世界の考えは、地球の自転の北方が北極星として位置づけされる事で成り立っており、地球は公転面の法線に対して約23・43度傾いているとの事なので、其の「紫微垣・しびえん」の方向と謂うか、有り場所・レコード盤の中心を、太陽とするか、渦巻き銀河の中心のブラックホールに、置き換える必要があるのかも知れない。
平成31年2月4日
礒邉自適
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