言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2019/4/23
正しい者が少ない世の中
31・4・23
今朝のメッセージの映像は、昨日「何事も足元から興せ」と告げられて来た事の続きの様で、私が新しい事を始め様としているのだが、一緒に未来社会創造の為に行動をしようとする人間が、見付からない場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、高い岩の絶壁を登らなければ成らない場面が映し出されて来て、其の岩壁を直接に登る事ができないので、側に立つ高い木を登って、其の頂きの枝から岩山の方に移る為に、私が木を登り始めると、途中の枝が枯れており、足を乗せて重量が掛かると折れてしまった。
それで、元の地上には降りられないので、誰かが梯子を持って来てくれないかと思って地上を見ると、既に誰もいなく成ってしまっているので、私は仕方が無いので、一人で頂上まで登って行くと、崖の上に誰だか判らない男性が一人待って居て、私が崖の上に移動するのを手伝ってくれた。
私は其の場面から、「梯子を外される」との言葉を思い出し、現在の世の中では世直しが出来ない理・ことを感じて居た。
「梯子を外される」の意味(高い地位や主導的立場に座らされたあげく、仲間や味方が態度を変えたために孤立する。)
次の映像は、私が現在の人間社会に居て、買い物をすると、釣銭を誤魔化す男性や、私が食べている料理を、隙を見て盗む男性などの存在が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時32分・5時28分前」であった。
其れから再び眠ると、人間社会の改革が行われる場面が映し出されて来て、「先摩擦社」が必要である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は6時15分から16分に成る所であった。
今朝起こされた「5時28分前」と「6時15分・16分」の数字から、昨年の5月28日、6月15日・16日の文章を見てみると次の様に書いて有る。
2018/5/28今朝は一眠りすると、目覚めてしまったので照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時2分」であった。
其れから再び眠ると、私が、昔の便所の肥え汲みをしている場面が映し出されて来て、私が木製の肥え桶に杓で肥えを汲んで居ると、30歳代の飛脚の様な男性が走って来て、其の肥え桶に躓いた為に桶が倒れ、中に入っていた肥えが、台所の床下の方に流れ込んでしまった。
其れで、台所だけではなく、家中に悪臭が広がったので、食事だけではなく、寝泊りも出来ない状態になり、私はどうしたら良いかと考えあぐねて居た。
次の映像は、会館の様な建て物施設の中に、新しいパチンコ台の様な機械が並べられている場面が映し出されて来て、私が其の機械でゲームを始めると、夜中まで続けても、一個も玉が入らないので、私はお金を使い果たし、財布が空に成ってしまったので、其の機械は故障しているらしいから、帰りの旅費ぐらいは返してくれないだろうかと考えて居た。
其れ等の映像の意味に付いて考えて居ると、現在の世の中は、人間の生活が原因で、至る所が排泄物で汚れており、現代社会の仕組みは、殆どが詐欺師の様な人達の手中に落ちてしまっている事を思った。
其れを考えて居ると、道元禅師の「眼横鼻直・がんのうびちょく」の言葉が頭に浮かんで来たので、起きて時計を見ると時刻は5時30分であった。
其れで、起きて早速「眼横鼻直」で検索すると、次の文章が出て来た。
【質問】「眼横鼻直」という言葉について知りたい。誰の言葉でどのような意味か。また、出典となる文献も見たい。
【答え】「眼横鼻直」について、『例文仏教語大辞典』には「一切の事象は、眼が横に、鼻がまっすぐであるように、そのままが同一の真実(真如)を表している、ということ。」と説明されている。また、『大法輪 第79巻第6号』には、「眼横鼻直」について、「道元禅師が中国で修行し、師の如浄禅師の仏法を会得して返ってきた時の心境を示した言葉である」「どのような仏法を体得して帰ってきたかと言えば「眼横鼻直」すなわち眼は横に並び、鼻は縦についている≠ニいうような当たり前のことであり、仏法のさとり≠ニは特別な神秘体験をすることではなく、当たり前のことを当たり前に肯うことであることを示している。」と説明されている。・・・
国立国会図書館ホーム より
【眼横鼻直・がんのうびちょく】(永平広録)
『枯木再び花を生ず −禅語に学ぶ生き方−』
(細川景一著・2000.11禅文化研究所刊)より
一休禅師(1394〜1481)の話
(『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)
「臨黄ネット」より
この「臨黄ネット」の文章に「一休宗純禅師」の事が書いて有るのを見て、今朝のメッセージの映像は、其の一休さんの悪戯であるのだと思われて来た。
何故かと謂うと、其の一休宗純禅師は34年前、私に「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉を告げて来て、私と共に意識の旅を続けている御魂であるからである。・・
『何れの者が』10時32分 今、一言告げられて来た、此の男性の言葉は誰の物であろうか。
其れが、「眼横鼻直」の言葉を創った道元禅師のモノであれば、道元禅師が悟る要因と成った、老典座の僧侶の存在と関係が有るのかも知れない。
昨日は「弘法大師空海」と「虚空蔵菩薩求聞持法」の世界であったが、今朝は「道元禅師」と、悪戯好きな「一休宗純禅師」の世界の様である。
『何れの者が』と一言告げられて来た言葉が、道元禅師のモノであれば、「何時か 誰かが 何かを興さなければ」現在の世の中の無明が、まだまだ続いて行くとの理・ことが、示されて来ているのかも知れない。
「嚴は難しい」との言葉が告げられて来てから明後日で丸一年と成る。
昨日と今日のメッセージは、其の「嚴(口口+敢)口口は、きびしくつじつまを合わせる意味」と関係が有り、「御嚴・みいつ」の働きが本番と成っているとの事なのかも知れない。
「不自然な世の中」https://green.ap.teacup.com/20060818/4633.html
2018/6/15今朝のメッセージの映像は、先ず、二枚の郵便封筒の存在が映し出されて来て、其の封筒の中には、二枚のDVDが入っており、其れは私が是まで認識して来た情報が二部構成で収録されている物である事が理解されて来た。
そして次に、私が打ったらしき横書きの文章が映し出されて来て、其の文章の内容を理解する者と、理解しない者の存在が、有る事が示されて来た。そして、理解する者が少なければ、天神の意思が、此の世に実現できない理・ことが示されて来た。
其れから、「きょうそう・競争」との言葉と、「2008年4月14日」の日付が示されて来たので、意識が目覚め照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時45分・4時15分前」であった。
其れから再び眠ると、車がようやく走り上がれる様な急斜面の山肌が、段々の住宅地に開発されている場面が映し出されて来た。私は其の住宅地を視察しながら、其れは作物を栽培できる平地を潰して住宅地にする事よりも、良い手段ではあるが、自然の山林・景観を破壊する事に成るし、大雨が降った時に崩れないだろうかと、心配をして居た。
其れ等のメッセージから、私は人間の意識の有り方・構造の両面性に付いて考え始め、自分の人生は36歳までと、「土肥無庵」に捜し出されてから禊ぎ祓いをして、此の神(はたらき)の世界に入った37歳からの人生の違いを思った。
其れは、私は「土肥無庵」に捜し出されなければ、普通の人生と謂うか、一般的な人々と同じ三次元の世界を行き続けて居るか、躰を壊して死んで居たかの、どちらかであるので、人間の人生は、本人がその気に成りさえすれば、多様な可能性を秘めていると謂う理・ことに成る。
其れ等の事に付いて考えて居ると、「くろうたい・苦労鯛」との言葉が一言告げられて来たので、私は「めでたい・目出鯛」との同じ類いの言葉であると考え始めた所で、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、5時41分であったので、其の儘起きてパソコンを立ち上げ、先ず示されて来た2008年4月14日の文章に目を通すと次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容を考えると、今朝のメッセージで私が感じたと謂うか、考えていた事は、10年前に既に打たされていた事に成る。
其の事と、今朝のメッセージの内容を考えると、10年が経過しても、私への神(はたらき)のメッセージは、未だ、世間の人々が理解する段階には到ってはいない事に成る。其れは、神(はたらき)の意識・計画が、未だ人々に理解されていないと謂う事に成るのであろう。
今朝のメッセージに映し出されて来た、郵便の封筒に入れられた、私が認識した情報を入力した二部構成の二枚のDVDの存在は、天神(てんのはたらき)の存在を人々に理解する為に、何らかの方法・手段を図る必要が有る理・ことが示されて来ているのであろう。
今朝のメッセージには、「苦労鯛」と「競争」との言葉が告げられて来た。
競争との言葉は、「帝釈天の網」との文章と関係性が有る事が示されて来ているので、個人個人が自分の能力・ちからで解決しなければ成らないとの理・ことなのであろう。
そして「苦労鯛」との言葉は、「目出鯛」との言葉と関係が有り、競争を勝ち抜かなければ「くたびれ儲け」に成ってしまうので、そう成らない為に、私が34年間に亘って認識した事を、DVDに収録して郵便局から発送しなければ成らないとの事なのであろうか。
だが能く考えて見れば、私は是まで、自分が考えた事や、起きた出来事は、殆どブログで公開しているので、改めてDVDに収録する必要はなさそうである。其れを考えると、其のDVD(情報ソース)は、私に2000年7月21日に告げられて来た、「讜逓聖」との言葉と関係が有るのではないかと思える。
今朝の文章の題は「よしあしは表裏」とした、其れは全ての事柄は、自分の内側に存在し、自分が「よし・善し気(神・道・法に従う気持ち)」を抱くか、「あし・悪し気(エゴ・利己主義・神の意に反する行為)」を抱くかに因って、自分の人生だけではなく、社会環境全体が善にも悪にも成るとの考えからである。
其れは、自分自身が神(はたらき)と同じ力を秘めており、どちらの方を選択・チョイスするかで、自分の人生だけではなく、社会全体が変わると言う理・ことであり、何事も他人の所為にするのではなく、神(はたらき)の存在を信じて、正しく生き抜いて行く事が「永遠の命に入る為」の最良の人生を送ると謂う事だからである。そして、其の生き方を貫けば「苦労鯛」が、「目出鯛」と成ると謂う理・ことなのであろう。
其れに、今朝の映像で、DVDが二枚郵便封筒に入っていた事は、私が此の世界に飛び込んだ時に、「四次元プログラム」と「水素原子管理」の二つのアンテナ・世界が必要である理・ことが示されて来た事と関係が有り、「四次元世界・神の世界」と「三次元世界・人間の現実社会」の事は、分けて取り扱う必要が有る事が示されて来ているのではないだろうか。
「よしあしは表裏」https://green.ap.teacup.com/20060818/4651.html
2018/6/16今朝のメッセージには、私が自分の財産を盗んだ男性と、透明なガラス板を境にして向き合って居る、上半身の場面が映し出されて来た。
そして、其の悪い事を行う男性の方が、私より人気が有ると謂うか、仲間が多い事が示されて来た。
其れは、昨日の「よしあしは表裏」との事と関連しており、此の人間社会は善い事よりも、悪い事の方が、多くの人間に好まれる理・ことが示されて来ている様である。
其れは、「老子」や「釈迦牟尼世尊」其れに、「イエスキリスト」と同じ様な行為・行動をする者が少なく、其れ等の人々の教訓を利用して、人々を惑わし金品を集めたり、信者を増やして権力を得て居る人々が多い事でも、理解できる事である。
何故人々は、善良な道を選ばずに、悪い世界の方に憧れるのであろうか。
其れは、映画や漫画等でも、平和で静かな場面よりも、暴力行為や破壊行動の様な危険な場面の方が、多くの観客を集めている事でも同じ様に、此の人間社会は、善を求める事よりも、悪を求める意識・こころの方が、優勢を占めている様な感じが有る。
本日6月16日は、私が1998年6月16日に、奥出雲の横田町に有る「櫛稲田姫神社」で、其処が故郷である安部忠弘氏と一緒に「さいぐさまつり・三枝祭り・斎草祭り」を行ってから丸20年と成る日である。
其の斎草とは、白い「笹ゆり」の事であり、意識・こころを純白・無垢にする事をテーマとする祭祈儀式である。
其の事を考えると、今朝のメッセージは其の儀式の意味に関連している事に成る。・・
此の、昨年の6月16日の「平和は創らなければ実現しない」との題名からすると、今朝のメッセージには関連性が有り、人間は自分が内側に抱えている「なにもの」かと、向き合う必要が有ると言う事に成りそうである。
人間だけではなく、雌雄に分かれた多細胞生物は、根本の所で「雌雄・男女」が、御互いに求め合い・向き合う事で生命を維持している。
其れを基礎と謂うか、根本原理として、「食欲(生命維持)」「性欲(繁殖)」「所有欲・物質管理」「統率欲・権力・支配」「知識欲・情報」「縄張り・国」「経済活動」等々の世界に、エネルギーを費やしており、其れが止まる時は、夜間の「睡眠時」だけである。
そして、其れ等の世界から脱出(出家)して、真実の世界に目覚める理・ことを人々に説いたのが、釈迦牟尼世尊の存在なのである。
だが、現在の仏教は「出家・しゅっけ」ではなく、戒律に縛られている「入寺」の世界が根本であり、「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」と同じ修行をして居る人は、ナカナカ見受けられないご時勢である。
現代社会の宗教界は、自分の「ご利益信仰」や「罪業隠しの布施行為」等で繁盛しており、真実の「解脱・禅譲・三昧」を求めて、修行をしている人達を、殆ど見受けない。其れは、人間社会が無明に覆われているので、真の修行者を応援する人々が少ないからでもある。
現代社会は、世界中の政府が、精神性(魂魄)の世界を置き去りにして、経済(物質)優先で動いており、崩壊に向かってまっしぐらに暴走している。
此の儘の流れでは、平和で安らかな社会の到来は、望めない状況である。
其れを考えると、「さいぐさまつり・三枝祭り・斎草祭り」の儀式と謂うか、価値観は現在・いま最も必要とされる課題なのではないだろうか。・・
今朝の文章の題は「合わせ鏡」としたが、其れは鏡(相対世界)を除き込む自分が、どの次元に居るかで変化するモノ・世界であるので、私はもう一度「無(頭を真っ白)」にして、新たな世界を除き込む事にしなければ成らないのであろう。
そうすれば、神社に供えられている神鏡の存在意義や、エジプトの太陽の船に乗るイシス女神が頭に着けている鏡の意味も理解されて来るのではないだろうか。
「合わせ鏡」https://green.ap.teacup.com/20060818/4652.html
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、私が自分の想う事や、天神(てんのはたらき)の希望を適え様と考えても、同調すると謂うか付いて来る人間が、未だ殆ど居ないと謂う事である。
其れは、現在の教育制度や社会構造の有り方に原因が有るのだろうが、根本的な要因は、人間は自分の欲望に従って生きる事は、誰の協力が無くとも増強して行くのだが、自分を犠牲にしてまでも「正しい道・天道・神の為」に生き様とするのは、なかなか出来ないと謂う理・ことである。
其れを考えると、「何事も足元から興せ」と告げられて来ても、何をどの様に興したら良いのやら、検討が付かない。
其の事に今朝告げられて来た「先摩擦社」との言葉が関係有るのだろうか。
「先・セン・さき」【解字】会意。「儿+之」儿は、人の象形。之は、足あとの象形の変形したもの。人の頭部よりもさきに踏み出した足あとのさまから、人よりもさきにたつの意味を表す。先を音符に含む形声文字に詵・洗などがあり、洗うは、酒などに通じて「あらう」の意味を表す。
【字儀】@さき。㋐はじめ。第一。㋑まえ。先頭。㋒むかし。以前。㋓死んだ。亡くなった。「先君」㋔先祖。Aさきがけ。さきだち。㋐てびき。紹介。㋑さきぶれ。Bまず。さきに。㋐第一に。さきがけとなって。㋑あらかじめ。前もって。㋒さし当り。ひとまず。また、ともかくも。Cさきんずる。㋐さきにする。機先を制する。㋑たっとぶ。「優先」㋒すぐれる。㋓重んずる。D進む。進める。
ま‐さつ【摩擦】[名](スル) デジタル大辞泉の解説
1 物と物とがすれ合うこと。また、こすり合わせること。「肌を摩擦して暖をとる」「乾布摩擦」
2 人間の社会関係で、二者の間に意見や感情の食い違いによって起こる、不一致・不和・抵抗・紛争など。軋轢(あつれき)。「貿易摩擦」
3 互いに接触している二つの物体のうち、一方が運動しようとするとき、または運動しつつあるとき、その接触面に運動を妨げようとする力が働く現象。また、その力。相対速度により運動摩擦・静止摩擦に、運動状態により滑り摩擦・転がり摩擦などに分けられる。
「社・シャ」【解字】形声。「ネ(示)+土」音符の土は農民が共同で祭る農耕地の神の意味。土が、つちの意味に用いられるようになり、示すを付して、区別した。転じて、集合団体の意味を表す。
【字義】@くにつかみ。土地の神。土地の守護神。また、それを祭るほこら。やしろ。「神社」A祭りの名。土地の神を祭って豊作を祈る祭り。B立春・立秋後の第五の戊・つちのえの日。社日。C昔の社会制度の一つ。Dある目的・事業のために同志の者が作った集まり。団体。組合。「結社」
国語 @やしろ。ほこら。お宮。神社。Aシャ。会社の略。
漢語林より
是等の意味からすると「先摩擦社」とは、「先んじて 軋轢(あつれき)を起す 集合団体を作れ」との様な意味合いと成る。
私は是まで、数度それらしき動きを起した事は有るが、其れ等の事は殆ど立ち消えと成っているので、今朝は是以上の文章を書く気力が無い。
平成31年4月23日
礒邉自適
2019/4/20
過去・現在・未来
30・4・20
今朝のメッセージの場面は、三層・三段階に別れて映し出されて来たので、其の雰囲気から、題を摂り合えず「過去・現在・未来」とした。
其れは、釈迦仏陀の言葉に「私は 過去・現在・未来の三世に存在し 衆生一切わが子」と有るからである。
今朝は、8時25分に起きて・起こされて、PCを立ち上げると、「貴方が 未だ幼い頃」との女神の言葉が告げられて来たので、其れを題に打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方が 未だ幼い頃
此の世界・プログラムは 始まっていたのです。
ですから 今の状況に
意識が 囚われる事を 止めなければ成りません。
何故なら 此の世界・プログラムは
永遠性の中に 存在するモノだからです。
其れは 忽ちにの内に 起きる事ではなく
森羅万象の流転として 起きる物事なので
ある程度の時間・ときを 要します。
ですから 貴方の気持ちが急いても 上手く
事が運ばないので ゆったりと 事象の流れを
踏み締めて行かなければ 成らないのですよ。
其れが 王の御魂を維持する 極意なのですから」
「貴方が未だ幼い頃」https://moon.ap.teacup.com/20060103/934.html
其れで、起こされた時刻8時25分の数字から、昨年の8月25日の文章を見て見ると、次の様な事が書いて有る。
2018/8/25昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
其れは、私の意識が詰められていると思われる、一個の黒い壷が映し出されて来て、次に、横書きの日本語の文章が次々に映し出されて来たので、其れは私の文章かと思って、意識を近づけてよく見ると、其れは私の文章ではなく、全て他の人物の思考に拠って綴られている物であった。
其れから眠りに落ちると、私が小さな部屋の中に閉じ込められて居り、其の私を救い出す為に、窓の外からガラスを叩く男性が居るので、私は其のガラスを叩き割ろうとするのだが、私が手にしている棒状の物は、スポンジであり、窓を割って外に脱出する事は出来なかった。
次の映像は、私の弟「正也」がトラックで迎えに来て、私の家財道具を全てトラックに積み込み始めた。其の荷物の中には、二組の通信機器が有り、其の機器を使って情報発信を行うマイクが一本有る事が示されて来た。
其れは、自宅でもなく、屋久島に帰るという譯でも無かった。
次の映像には、野球場のベンチに黒い使用済みのグローブが、三個置かれている場面が映し出されて来た。そして、其のグローブの意味を考えて居ると、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時31分」であった。
今朝は7時過ぎに起きて、先ず起された時刻「3時31分」の数字から、今年の3月31日の文章を見ると、次の様に書いて有り、3月31日の日付は年度末の日であり、其の日のメッセージは、私の人生の締め括り・区切りを意味している様である。・・
此の「かんぱち鳥」の文章に有る・・「太母」に対する男性の「役割・立場」を意味するのか、「大人物・大物」の存在が示されて来て・・との言葉からすると、21日の「書の世界」の文章に書いた老子の言葉と関係が有り、私は「老子・道院殿老祖様」の世界に還らなければ成らないのかも知れない。
老子。五十二章「小知を捨てよ」
天下有始、以為天下母。既得其母。以知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。
塞其兌、閉其門、終身不勤。開其兌、済其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。
用其光、復帰其明、無遺身殃。是為習常。
天下始め有り、以って天下の母たり。すでに其の母を得て、もって其の子を知り、すでに其の子を知りて、また其の母を守れば、身を没するまで殆(あや)うからず。其の兌を塞(ふさ)ぎ、其の門を閉じれば、終身勤せず。
其の兌を開き、其の事を済(な)せば、終身救われず。小を見るを明といい、柔を守るを強という。
其の光をもって、其の明に復帰せば、身の殃(わざわい)を残すこと無し。
是を常の習いと為す。
中国の思想 老子・列氏 徳間書店 奥平卓訳
今朝のメッセージの内容は、其の為の誘い水であるのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、次の様なことである。
○現在の人間社会では、正しい言葉(マントラ・真言)を使用できる者が存在しない。
○私が行っている作業は、地下室の中で行っている様なモノであり、日の目を見るのは未だ未だ先になる。
○現在・いまの(お告げを受け取り書き出す)作業を続けて居れば、自分自身の人生を生きる事には成らないので、現状から脱出しなければ成らない。
○荷物の中に二組の通信機器が有り、其の機器を使って情報発信を行うマイクが一本有る事が示されて来たのは、二組の通信機器とは、私が此の世界に飛び込んだ時に「アンテナが二つ必要」と告げられて来た事と関係が有り、其の「四次元プログラム」と「水素原子管理」の世界(情報網)の基礎的原理は一応解明・説明が出き、其れを扱うマイク(人間の思考体系)は、一人の「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」で行えるとの理・こと。
○野球場のベンチに、黒い使用済みのグーローブが三個置かれている場面が映し出されて来たのは、戦後アメリカが日本人に対して行った戦略「三S]の戦略が、成功を治めた理・ことを示唆している。・・
昨日の映像に映し出されて来た「ほおずき」は、「・・ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て・・・ 」と有るので、果実の中の「空気」とは、「霊魂」の存在を示唆していたのかも知れない。
其れを考えると、私は34年間「鬼灯・鬼燈」の中に閉じ込められていた事になり、其の「鬼灯・鬼燈・提灯」の中から、漸く外に出る・解放される時節が来たと謂う事に成るのかも知れない。其れは、漸く私の意識が、制約が掛かっていない、真実の世界・舞台に還ると謂う事でもある。・・
今朝の文章の題名は「あおだま・青魂」とした。
其れは「精神」との単語の「精・セイ」の漢字が、「精米された 混じりけの無い 真っ白な米」の意味だからである。・・
今日は文章を打ち終わって、11時から畑に下りて、大根の種子を播いてから草取りをして、家に帰ると、頭に「グレード」との言葉が一言告げられて来たので、時計を見ると12時6分であり、其の意味を考えて居ると、今度は私の右足の甲に、蜂に刺されたかの様な激しい痛みが来た。
其れで時計で時刻を確認すると、12時4分前である。
私は、其の12時6分前と、4分前の時間で、神武天皇の存在を思った。
何故かと謂うと、12時4分の数字は、私が此の神の世界に飛び込んだ1984年6月4日に「残り16年半しかない」と告げられて、其の月日は「2000年12月4日」であった事と、其の日迄に新しい御世が開闢しなかったので、2000年12月6日に「森の木」のHPを開設して、今日に至っているからである。
今「グレード」を検索すると、デジタル大辞泉に次の様に載っている。
「グレード」等級。階級。段階。「グレードが高い」
此の「等級。階級。段階。」の意味からすると、本日の正午(正しい午の刻)前の「カモ(神の電気信号)」の現象は、私に、日本の歴史の基に成っている「神武天皇」の「等級。階級。段階」で、右足を踏み出せとの事が、示されて来ているのではないだろうか。・・
今朝の正午前の出来事を考えると、私がPCの中で17年間、行なって来た事が、現象化して来ると言う事なのではないだろうか。
「あおだま・青魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/4722.html
此の文章に有る「・・日本の歴史の基に成っている神武天皇の等級。階級。段階で、右足を踏み出せとの事が、示されて来ているのではないだろうか。」との言葉からすると、今朝のメッセージは、インドの釈迦牟尼世尊の意識界と謂うよりも、日本の「統尊・すめらのみこと」の世界が示されて来ている事に成り、今朝のメッセージは、昨日の「貴方が王の御魂だから」の続きである事に成りそうである。
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の実家が有る地域が、川の氾濫による洪水で、大型のダンプカーが横向きに流されて来て、私の実家よりも川に近い三軒隣の家屋が押し倒され様としているので、私は、「自分の家にダンプカーが流されて来ない間に避難しなければ」と考えて居ると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時00分」であったので、私は其の数字から「四・し・死」の世界が示されて来ているのだと思った。
其れから再び眠ると、今度は、洪水の後なのか、日照りの天候の所為なのか、荒れた農地の様子が映し出されて来て、人々が生活に困っているので、私は摂り合えず、塩漬けの乾燥物である飛び魚を手に入れて来て、其の人々に配っている場面が映し出されて来た。
そして、其の後の状況を探って居ると、其の映像・情報が繰り上がって行き、最後の部分が途切れると、其の映像・情報の続きは、右枠の方に移動しており、其の枠の中には、明るい世界が縦横の棚段に区切られており、其の縦横の枠の中には、生きている海の烏賊や魚、陸の小鳥や小動物が、全て番(つがい)で詰められている事が示されて来て、最後に、人間の若い夫婦が布団に寝ている場面が映し出されて来た。
そして、其の下方の枠には赤薄紫のセロハン紙・幕の様な物が張られており、内容を確認する事は出来なかった。
其れ等の映像の意味に付いて、長らく考えて居ると、横書きの文章が記されている白い空間が映し出されて来て、其の中に「貴」の漢字が有る事が示されて来て「きき」との言葉が一言聞こえて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は8時25分であった。
今朝のメッセージの映像は、三段階に分けられているので、其れを簡単に訳すと、次の様な事が考えられる。
一. 大型のダンプカーは、大量の土砂を運搬する物なので、人間が行う土木工事で自然環境が破壊され、其れで自然災害が発生して、人間の生活基盤が失われ、食料難が起きる。
二. 多くの生き物が、番(つがい・雌雄)で集められている場面は、「ノアの箱舟」の物語と関係が有り、此の儘、人間の自然破壊が続けば、地球生命全体に未曾有の危機が訪れる。
三. 赤薄紫色のセロハン用紙の様な物が張られていて、情報が全く見られ無い場面は、今後・未来の様子は、まだ未定である理・ことを示唆しており、今後の人間の生き方次第で、どうにでも変化・決定する理・こと(自由選択)が示されて来ている。
四,最後に示されて来た、「貴・キ」の漢字を漢語林で調べると、次の様に載っている。
「貴・キ・たっとい・とうとい・たっとぶ・とうとぶ」
【解字】会意。篆文は、「臾+貝」。臾は、両手で人に物をおくっているさまを表す。貝は、金品の意味。おくり物の意味から、とうといの意味を表す。常用漢字は、臾貝の省略体。貴を音符に含む形声文字に櫃・簣・饋などがある。
【字儀】@とうとい。たっとい。⇔賤。㋐値段が高い。㋑身分や位が高い。「高貴」㋒大切である。重要である。また、すぐれている。「貴重品」Aとうとくなる。栄える。高くなる。「騰貴」Bとうとぶ。たっとぶ。重んずる。大切にする。尊敬する。C尊敬の意味を表す接頭語。「貴国」「貴社」 漢語林より
其れに、「貴」を使った単語には「貴キ」が無いので、「キキ」とは、貴の世界が「危機・きき」に陥っているとの理・ことなのかも知れない。
其れは、現在の世の中には、「たっとい・とうとい・たっとぶ・とうとぶ」べき「貴人・人材・存在・御仁」「貴官・貴家・貴君・貴兄・貴公・貴公子・貴国・貴臣・貴族・貴殿・貴妃・貴門」が、希いと謂う理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、今朝告げられて来た「きき」とは、「貴希・キキ」の組み合わせで良いのではないだろうか。
「希・キ」【解字】会意。「メナ+巾」メナは、織り目の象形。巾は、ぬのきれの意味。織り目が少ない、まれの意味を表す。また、祈に通じ、のぞみをもとめるの意味をも表す。希の意味と音符を含む形声文字に、晞・睎・稀などがある。【字儀】@まれ。=稀。㋐すくない。㋑うとい。まどおい。Aかすか。声がないので聞くことができない。Bのぞむ(望)。あおぐ(仰)。Cこいねがう。もとめる。ねがう。「希望」Dかわく。=晞。 漢語林より
此の「貴・希」の漢字の意味からすると、今朝の文章の題は「貴希・きき」としても良いのではないかと意ったが、其の言葉の意味を考えると「貴濃」との意味が当て嵌まる第一の御仁が、「釈迦牟尼世尊」であるとも考えられるので、今朝の文章の題は其の儘にする。
キー「私は 過去・現在・未来の三世に存在し 衆生一切わが子」
2018/8/7・・是等の事柄を考えると、今朝のメッセージに映し出されて来た、竜舌蘭の花の様な形をした、茶色の金属製のアンテナは、釈迦仏陀が謂っている「過去・現在・未来に私は在り 衆生一切わが子」との言葉と関係が有り、森羅万象の流転の中に釈迦仏陀の意識・御魂が存在して、現在・いま全ての理・ことを文字に置き換えているとの事なのかも知れない。
何故かと謂うと、「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が生きた時代には文字が無かったので、方便(ほうべん)で説法した為に、自分の真意が傳っていないからである。
其れは、現代社会の仏教者の殆どが、釈迦牟尼世尊が謂った世界・理とは、逆の行為を行っており、「行ってはいけない」と謂った事ばかりをして、民衆の意識を無明の世界に引き込んでしまっているからである。
釈迦牟尼世尊の教訓は、真実に目覚める事(覚醒・成仏)であり、葬式をする事や、寺院を建設し信者を増やす事ではないのである。
其れを考えると、今朝の映像に映し出されて来た金属製の龍舌蘭の花の様なアンテナの存在は、第三の目とされている「松果体」が、純粋な珪素・シリコンの結晶が「松果・松傘・松毬・まつかさ」状である事と関係があり、其の松毬が大きなシステムに成長すると謂うか、置き換わった事が示されて来ているのかも知れない。・・・
「開かれた岩戸」https://green.ap.teacup.com/20060818/4704.html
2017/11/17今朝のメッセージの映像は、一昨日左手の小指を大きな「ムカデ・百足」に噛まれた毒の所為か、私の血管の中を、心臓の方に向かって流れる静脈の黒い血流の上に、百足の足跡の様に、何百もの白い点が付いている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「思考の罠」「思考の絡繰」との言葉が、上から縦に並んでいたが、二番目の言葉から下方の言葉は思い出せない。
だが私は、其の「思考の罠」「思考の絡繰」との言葉で、人間の意識の世界が透明化されると謂うか、謎が解けた様な気がしていた。
其れは、釈迦牟尼佛の謂う「十二因縁起」の内容や、日本の「惟神道・かんながらみち」の掟に通じるモノであり、旧約聖書の「禁断の実」の例えにも通じる世界である。・・
此の文章に書いて有る「・・宇宙の核心まで通じていた『節の有る竹筒の中に潜む蛇・巳の鱗(語)』と関係が有り、私が考えると言うか、使用する言葉・語に、人類の未来が委ねられると言う事に成るのであろう。」との事と、今回私が左手の小指を「ムカデ・百足」に噛まれた事が関係有り、其のムカデの毒が、哺乳類(脊椎動物)の子孫である私の「DNA・遺伝子」に、5億年前の多足類の記憶を齎しているのであろう。・・
此の二つの文章の対象性を考えると、2時1分に起こされたのは「未来世界」に付いてであり、「子(12時・0時)」の刻限から、25分前の「6月25日」の文章は、改革しなければ成らない過去の情報である事に成り、私の「意識(脳の絡繰)」には、釈迦牟尼佛の謂う「過去・現在・未来の三世に私は存在し 衆生一切我が子」との理・ことが、私の身体で、現実に起きていると謂う事に成るのであろう。
今朝示されて来た「思考の罠」と「思考の絡繰」との言葉は、我々人類の脳の仕組みに付いて示唆を与えて来ており、其れは今回の「百足事件」や、昨年11月9日に消防車と救急車にお世話に成る事に成った「スズメ蜂事件」は、人間の「意識(脳の絡繰)」の源には、「衆生一切我が子」との言葉を残した釈迦ブッダ」の意識と、共通する次元が、現在私の身体を使って、現象化している事の証明と成るのであろう。・・
今朝のメッセージに映し出されて来た「思考の罠」「思考の絡繰」との言葉は、文字を開発して来た人類独特のモノ・世界であり、百足の様な多足類や昆虫、其れに他の地球生物等には無い世界である。
其れに、「罠・わな」や「絡繰・からくり」等との言葉がなければ、私が今朝のメッセージを受け取る事が出来ない世界でもある。
其れを考えると、確かに故「白川静」が謂っている様に、「漢字」は中国人が「神(はたらき)」とのコミュニケーションを図る為に開発したモノであると謂う理・ことが、正しいと言う事に成って来るので、我々人類は嘘偽りの為に、言葉や文字を使用しては成らないと謂う理・ことに成る。
日本人が使用する言葉には「虫の知らせ」と有る。
今朝のメッセージは、確かに其の虫の知らせが、私の思考の中に罠を仕掛けて来ており、其の罠の世界の絡繰・からくりを能く考えろとの事なのであろう。
其れを考えると、私は是までの宗教家の様に、未来人に対して「思考の罠」を仕掛けては成らないと言う事であり、其の理・ことを熟知して居た昔の日本人が考えた「惟神道・かんながらみち」の伝統を守らなくては成らないと謂う事に成るのであろう。
『そうではなく 其の思考の罠を 取り外さなければ成らないのである。
其れが お前に与えられている命(みこと)であるのだ。』
此の、いま告げられて来た男性の言葉からすると、「食国の政・おすくにのまつりごと」とは、食べ物だけの世界だけではなく、虫の毒を含む他の物質も、人間の心身に多大な影響を与える物なので、「煙草」「酒・アルコール」「食品添加物」「化学物質的な飲料水」「薬品」「麻薬・覚せい剤」「空気汚染」などの害を与える物の世界を、徹底的に排除しなければ、我々は「万物の霊長」であるとの言葉を生み出した人間(霊止・ひと)の責任を果たせないと謂う事であり、人類の幸福な社会実現が不可能であると言う事だけではなく、此の地球号に乗船している全ての生命に対して、申し訳が立たないと言う事に成るのである。
「思考の罠」https://green.ap.teacup.com/20060818/4436.html
2018/11/16・・*「642・むしに・虫に」
私が此の世界に飛び込んだ時は、鳥類や犬に導かれる事だけではなく、昆虫に世界にも意識が通じ、様々な現象が起きた。
・其れは、私が歩いて居て、持ち上げた足が突然下りなく成ったので、其の足を戻して、踏む事に成っていた足先の小石を持ち上げると、その石の下に虫が居り、私が足を下ろせば、其の虫が死んでしまうからであった。
其れに、自宅に帰って入口のドアに鍵を差し込もうとすると、「危ない」と謂うか、「死んでしまう」との気持ちが自分に生じるので、鍵穴を覗くと、中に留守の間に昆虫の幼虫が入り込んで蛹に成っているのである。
・其れに、草木を切っている場所を通ると、自分の躰に痛みを覚え、廃鶏を積んだトラックとすれ違うと、自分の躰の骨がギシギシと痛みを感じたのである。
・そして水が淀んでいるダムの側を通ると、自分の肉体が病に罹っている様な苦しみを感じとって居た。
其れに、私が旅に出た切っ掛けは、人間を救う為ではなく、小鳥や虫達を救う為に、人間の自然破壊を止める事が大きな目的だったのである。
其れは、私の躰が釈迦牟尼世尊の謂う「過去・現在・未来の三世に私は在り 衆生一切わが子である」との言葉と関係が有り、仏陀(覚醒者)に成った者の躰は、万物との総合周波数にチャンネルしているので、動物だけではなく、全ての物質の不調和に反応してしまうからである。・・・
「六時から」https://green.ap.teacup.com/20060818/4808.html
2003/7/1「ファーザー (Father)」https://star.ap.teacup.com/170606/173.html
2009/7/12「足を捨てた蛇」https://star.ap.teacup.com/20071015/24.html
今朝女神が告げて来た、「貴方が未だ幼い頃 此の世界・プログラムは始まっていたのです。」との言葉からすると、私の存在は、イエスキリストの謂う「永遠の命の世界に入る為には・・云々」との言葉と関係が有り、私は其の永遠の世界のプログラム・仕組みの中で、此の三次元世界に送られて来ており、其の本筋・目的が「御祖神・みおやかみ」の意識の成長と密接な関係に有って、私の霊夢の中に、誰だか判らない男性が師・朋として登場するのは、其の、成長を続けている御祖神(潜在意識の主)の、影なのかも知れない。
其れを考えると、今朝起された時刻が「4時00分」であったのは、私に告げられて来ている「四次元プログラム」の課題が「○○」と成ったとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
平成31年4月20日
礒邉自適
2019/4/17
渡来家の文書再考
30・4・17
今朝のメッセージの映像は、先ず、「河原柳」様な樹木の枝の挿し木から、芽が出ている場面が映し出されて来た。
次に、緑色の「蓬・よもぎ(ふつ)」の団子か「鰯のつみれ」の材料の様な、大きな塊りが置かれている場面が映し出されて来て、其の左側に大きな鍋で湯が沸かされており、其の鍋の中に、其の塊りを大匙・スプーンで削り取って、鍋の中に入れるタイミングが計られている様子が映し出されて来た。
其れから、脳内一杯・意識全体に「渡来家の文書再考」との文字が、大きく黒い影の様に広がって来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時25分」であった。
其れから、再び電気を消して目を閉じて居ると「明日から大事」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると「7時00分」であった。
其れからPCを立ち上げて、先ず、起された時刻「6時25分」の数字から、昨年の6月25日の文章を見てみると、次の様に書いて有る。
2018/6/25今朝のメッセージの映像は、一晩中、映像や文章の存在にて、繰り返し「種の保存」に付いて示されて来た。
其れは、特に、動物を狩る場合は、子供や雌を残すと言うか、守護しなければ成らない理・ことが強調されていた。そして、全ての生命の「元種・もとだね・原種」を大事にすると謂う理・ことである。
今朝のメッセージの内容から、私が想った事は、釈迦牟尼世尊の仏教は生命の世界を「精神的」に捉えているが、大山祇神(祇神・くに つかみ)の民族が暮らして居た、此の日本列島に渡来して来た「天津系(ユダヤ・イスラエル)」の民族、思考体系と謂うか文化は、物の世界を科学的に考え様としていると謂う事である。
特に「ノアの箱舟」や「バベルの塔」の物語は、西方(オリエント)的であると謂えるのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージの内容は「ノアの箱舟」的考え・思考のモノであり、日本に最初に渡来して来た「須佐之男尊・すさのをのみこと」に関係が有り、古事記や日本書紀の物語も、大山祇神系の物語・伝説ではなく、ユダヤ・イスラエル系民族のモノである事に成るのであろう。
ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される[1]。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/6/25現在
特に、釈迦牟尼世尊の教えには星座的な喩えは無いが、西方(オリエント)の考えには星座(宇宙)的な価値観と謂うか、考え方が含まれている気がするので、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊耶那美命・いざなみのみこと」が、天に架かる橋を渡って来て、島々を生み出したと謂う話や、目と鼻から三貴神が誕生したとの話も、エジプトの神話と類似しているので、モーゼに先導されてエジプトを脱出したユダヤ人が、エジプト文化を日本に持ち込んで、現在の神社や神道の世界が有ると謂う理・ことにも成る。
そして、其の接点に「須佐之男尊・すさのをのみこと」が出雲に渡って来て、大山祇神系の娘である「櫛稲田姫」を娶って、須賀で生活を始めた出来事が有るのだろう。
そして、須佐之男尊から六代目に当たる「大国主命・おおくにぬしのみこと」が「少彦名命」の協力を得て国造り行い、其の後に「饒速日尊・にぎはやひのみこと」を中心とする「天照神(イシス女神)」を崇拝する天津系が次々に渡って来て、現在の日本の政治体制が生まれた事に成るのである。・・
今朝の由香のビジョンには、自分が何故かトイレで食事をして居る場面と、タレントの「香取慎吾」の存在が示されて来たとの事である。
其の「香取」の名は、上に記した「香取神宮」の名前と同じ物である。
其れに、トイレで食事をすると言うのは、私が1984年6月4日に安房川の岸辺で禊ぎ祓いを行ってから、部屋に帰った時に20年前に死んだ父親が4311体の聖霊を連れて帰って来る場面が映し出されて来て、父親が「お前に難儀をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に躰を貸せ。だが 仕事だと思うな 遊びだ 遊びだと意って行け。」と告げられた後に、私が弟に「握り飯を作ってくれ」と頼んで、握り飯ができて来たら、私は其の握り飯を持ってトイレに隠れて食べた事と関係が有りそうである。
其の握り飯を食べる行為が、後に、天皇の代替わりに行われる大嘗祭(だいじょうさい)おおにえのまつり」と関係が有る事が判明した。
其の出来事を考えると、香取神宮の祭神が上に記した 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)である事と関係が有り、其の神の別名が「伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)」であり、其の「ふつぬし」との名前は、昨日のメッセージの映像で、天空に存在する大きな男性が左手を伸ばして来て、私に「もぐさ」を手渡した事と関係が有り、其の男性神は須佐之男尊・すさのをのみこと」ではなく、 「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)(いわいぬしのかみ)」であったのかも知れない。
是等の事柄から考えると、本日の「種の保存」とのテーマは、神々の役割や概念(命・みこと)を超えて、人類の事だけではなく、地球の環境を含め、全生命の保全及び継続を考えなければ成らない理・ことが示されて来ており、其れが「経津主大神(ふつぬしのおおかみ) ・伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)・斎之大人(いはひのうし)。」との名前・名称にて表されていると謂う事なのではないだろうか。
何れにしても、誰かが新しい考えを打ち出さなければ、時代は此の儘末法の時代へと、突き進んでしまう事に成り、人間だけが自滅するのであれば「自業自得」であるが、他の生き物達にとっては、甚だしい迷惑であると謂う理・ことである。
「種の保存」https://green.ap.teacup.com/20060818/4661.html
此の文章の内容からすると、今朝私の脳内・意識一杯に「渡来家の文書再考」との文字が黒く影の様に拡がって来た現象は、伊勢外宮の神官であった「渡会家の文書」を再考しなければ成らない理・ことが、示されて来ている事に成る。
キー「渡来家の文書」
2014/4/30昨夜は、PCの写真の整理をしていると、10時27分に左手の人差し指に、久し振りにカモ・(神の電気信号)の反応が有った。
そして、眠る為にベッドに就いて目を閉じて居ると、目の前に、1リットル位の日本酒の瓶を手にした50〜60歳の男性が現れて、私の盃に酒を注いで来た。
今朝のメッセージの映像は、私が、姿の見えない人を、「オートバイ・自動二輪車」の後ろに乗せて、自分の帰るべき山岳の方に向かった。
最初は、真っ直ぐに、其の山の方に向かおうと意ったが、連休で道が混雑しているだろうと考えて、左の方から迂回して行く事にした。
そして、走り始めると、オートバイのアクセルが、元に戻らないで、凄いスピードで走るのである。
何とか、転倒しない様に運転していると、ようやくアクセルのワイヤーが弛んで来て、スピードが落ちて来た。そして、広場で止まると、数人の人達が騒いでいるので、私も其方に行って見た。
其処は、海を見渡せる海岸の崖の上であり、海上には近代都市の蜃気楼が、はっきりと現れていた。其処から、少し進むと、蜃気楼は全て消えて、青い海と空が、何処までも広がっていた。
其れから、昼食の弁当を開くと、一度蒸した魚の片身を、醪漬け(もろみつけ)にした物がオカズであった。そして、到着した建物には、最終的な答えと成る文章が、納められており、其れは「度会家・わたらいけ(渡部家)」に伝わる古文書である事が判った。
今朝のメッセージの映像は、次の様な事を、告げて来ているのであろう。
一、人間の意識は、帰るべき所を持っている。
「帰省本能」「祷り・帰命・ナーム」「リリジョン・religion」
二、人間の人生・旅には、目に見えない「先祖霊」や「御祖神・みおやかみ」が付いている。
三、人間は、現在の世の中に生まれた時から、暴走している社会の中で生きるので、自動二輪車に乗っている様な物であり、自分では立ち止まる事が出来ない。
四、都市の建物や施設は、蜃気楼の様な物で、何時かは消えて無くなる。
エジプトや、マヤ・アステカの古代都市。「形有る物は 何れ必ず壊れる」
五、私の意識は、何処までも青い海を眺めて居た記憶がある。
六、弁当のおかずが、一度蒸した魚の片身を醪漬け(もろみつけ)した物であるのは、日本の伝統的な食べ物を意味している。
七、到着した建物に、「度会家(渡部家)」に伝わる古文書が保存されていたのは、伊勢神宮外宮の神官をしていた度会家の神事が、一番正しい物である理・ことを示している。
其れに、昨夜10時27分にカモ・(神の電気信号)の反応が左手の人差し指に来たのは、無庵師匠の生誕前夜・イヴであり、左手の人差し指は、精神的な指導者を意味しているので、無庵師匠が自分の願いが叶った事を、知らせて来たのであろう。
其れから、私に酒を注いで来た男性は、昭和61年(1986)1月10日近江神宮の天智天皇祭に、私に「神籬の代々の乱れを盃に菊一輪と輪廻飲み(ひもろぎの よよのみだれを さかづきに きくいちりんと まわしのみ)」と告げて来た、天智天皇の御霊だったのではないだろうか。
其れに、昨日4月29日は昭和天皇の誕生日であり、昭和天皇は大喪の日に「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と、私に伝えて来た。
其れに、昨日4月29日は、私の二度目の妻「井上佳子」の葬式が1997年に行われた日であり、其の井上佳子の御魂は、伊勢神宮を創建した倭姫命であると、観音様のお堂で告げられている。
そして、其の倭姫命の御霊は、1987年5月4日〜5日に、井上佳子の肉体を御杖にして、創建当時とは逆に辿って、伊勢から奈良に石垣雅設氏や川口由一氏の家族と一緒に、連れ帰っている。
伊勢神宮の土地は、倭姫命に当時其の地を治めていた「磯部族」が提供した物であり、「度会家(渡部家)」は磯部の民の子孫である。
其の事を考えると、昨日昭和天皇の誕生日に、全ての「神霊の思頼・みたまのふゆ」が終了したと言うか、完成したのかも知れない。
其の様に考えると、大喪の日に「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の念いや、天智天皇の「神籬の代々の乱れを盃に菊一輪と輪廻飲み」との言葉も、解決の目途が立ったと言う事ではないだろうか。
【度会神道・外宮神道】
伊勢神道(いせしんとう)とは、伊勢神宮で生まれた神道の説。外宮の神職(度会氏)の間で唱えられるようになった。このため、度会神道・外宮神道ともいう。・・
今朝のメッセージの内容は、単なる私の血筋である「磯部・礒邉・石部」の事だけではなく、人類全体の精神構造と言うか、御霊・御魂の世界に付いて示して来ているのであろう。其れは、世界中に存在するどの宗教よりも、日本の伝統である「禊ぎ祓い」と「神惟道・かんながらのみち」が、天の理に適っている理・ことを示して来ているのであろう。
そして、其の理が、私の「肉体・からだ・空蝉」を使って、蘇ったとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、私の30年一世に亘る努力が実ったと言うか、今世に降臨した自分の御魂の役割が、無事に果たせた事に成るのであろう。
是で、愈々、群馬県甘楽郡南北村黒滝山の黒滝不動尊に伝えられている「先代旧事本記大成経」が、世に出る体制が整ったとの事に成るのかも知れない。
「度会家の文書」https://star.ap.teacup.com/20060505/95.html
此の「度会(わたらい)家の文書」文章の内容から考えると、今朝の映像に映し出されて来た、「蓬・よもぎ(ふつ)」の団子の様な食べ物が、沸騰した大きな鍋の中に投入されるタイミングが計られていた場面は、物部代々の御霊を祭祈している石上神宮の祭神である「経津主神(ふつぬしのかみ)」の発動のタイミングが計られている事に成りそうである。
今朝の由香のビジョンには、森の映像が映し出されて来て、其の森の中に、西洋人の若い男女が各三人ずつ計六名居る姿と、エンヤの曲(Wild child)が流れて来たので、其れはアイルランドであると解ったとの事である。
其の、由香のビジョンの場面から考えると、アイルランドの森の聖霊である「グリーンマン」の存在が関係が有り、今朝の私の映像に「河原柳(かわらやなぎ)・別名(ねこやなぎ)」の挿し木から芽が出ていた場面が関係有って、アイルランドの「グリーンマン」や、日本の「須佐之男尊・すさのをのみこと」の神(はたらき)を、世に出さなければ成らないとの事なのではないだろうか。
2011/8/23・・私には1997年8月23日の未明に、弁財天が宝船に乗り込んで出港する映像が現れて来て、其の船の行き先を確かめると、到着した所の土手の上に、大きな樹木が枝を広げて立っていたのである。そして、其の木は10月に出雲の安部忠弘氏を訪ねて、安部氏に近くに有る佐世神社を案内して貰うと、其の境内に御神木として実在したのである。
其の御神木は「椎の木」で、須佐之男尊が斐伊川の上流で櫛稲田姫と出会い、川を下って来て、佐世の岡で舞を舞い、其の時に手にしていた枝を地面に挿して、其の枝に根が生えて大きく成り、幹が年老いては、根株から出ていた芽が大きく伸びて大木と成って世代交代をし、現在の幹は六代目の物であるとの事である。
そして、地名の「佐世・させ」は、須佐之男尊が枝を「さした・させ」との云われから来ているらしい。・・・
「王道」https://green.ap.teacup.com/20060818/2033.html
此の文章の中に有る「・・手にしていた枝を地面に挿して・・・」との事は、今朝の映像に映し出されて来た河原柳の「挿し木」と関係が有るのではないだろうか。
「柳・リュウ・やなぎ」【解字】形声。「木+卯」音符の卯(リュウ)は、流に通じ、ながれるの意味。長い枝がながれるような形の木、しだれやなぎの意味を表す。【字儀】@やなぎ。㋐しだれやなぎ。枝が細長く下に垂れる種類のもの。中国の原産。㋑やなぎの総称。Aぬりこ。星宿の名。二十八宿の一つ。
漢語林より
此の柳が「中国の原産」である事を考えると、同じ中国が原産である「公孫樹・いちょう」と一緒に、須佐之男尊が大陸から持ち帰った樹木の一部である事に成りそうである。
其れに、河原柳(かわらやなぎ)の別名が「猫柳・ねこやなぎ」である事を考えると、「招き猫」と関係が有り、アイルランドの森の文化を日本に招き入れて、「須佐之男尊・すさのをのみこと」の植林の歴史文化に付いて、情報交換を行なっていく必要が有るのかも知れない。
2008/7/18「素戔鳴尊はグリーンマン」https://green.ap.teacup.com/20060818/821.html
キー「須佐之男尊 五十猛命 娘二人」
2006/10/9今朝のメッセージの映像には、人間が削り取った山の修復を、どうするかがテーマとして映し出されて来た。
山は、昔から神の住まいであり、敬う事の対象だったのである。
それが現代では、何の恐れも無く削り取ったり、穴を開けたりしている。
其れは、地球に意思が有るとすれば、痛みを伴っている事だろう。
何故、私に其の様なイメージが映されて来るのか。
其の要因は、出雲には「須佐之男尊・すさのおのみこと」と、須佐之男尊の次男「五十猛命・いそたけるのみこと」や、娘二人「大屋津姫命・おおやつひめ」「都麻津姫命・つまつひめ」が全国に公孫樹などの樹木を植林して、環境保全に勤めた事の情報が、自然環境の中に記憶されているからではないだろうか。
私が、出雲の地に縁が出来たのも、やはり須佐之男尊と五十猛神の霊魂の為せる業・わざであった。
私が、京都の大徳寺の近くに住んでいた1996年8月23日には、安部忠宏氏の住む雲南市下佐世の「下佐世神社」に生えている須佐之男尊が植えた木が霊夢に現れ、9月11日には安部忠宏氏が生まれた横田町の五十猛神が祭神の「伊我多氣神社」の境内に生えている御神木が霊夢に現れた。
其の二本の御神木の事は、見た事も、聞いた事も無い神社の御神木で、其の年の11月に安部忠宏氏に出雲を案内されている時に、実在する事が初めて判った物である。
何故、其の様な現象が起きたのか。
其の出来事こそ、霊魂が不滅である証拠と成るものである。
だから、樹木に神霊が宿ると考えられ、神籬・ひもろぎとして、神社に樹木が植えられ杜・もりが造られたのである。
日本の天皇陛下が、何故自分の手で植林をするのか。
其れは、2700年にも亘り、須佐之男尊と五十猛命の行為が、伝え続けられているからである。・・・
「自然との共生」https://moon.ap.teacup.com/20061108/384.html
2007/7/18「五十猛命」https://green.ap.teacup.com/20060818/3276.html
2013/6/28「スメラミコトの働き」https://green.ap.teacup.com/20060818/2731.html
2018/6/8「天津日嗣の復活」https://green.ap.teacup.com/20060818/4644.html
「迎・ゲイ・むかえる」【解字】形声。「辶(辵)+卯」音符の卯は、仰の原字で、あおぐの意味。道に出てむかえるの意味を表す。
【字儀】(一)@むかえる。㋐待ち受ける。㋑他人の心をおしはかって、それに従う。「迎合」㋒前もってかぞえる。推算する。「迎日」㋓出むかえて会う。「歓迎」㋔もてなす。接待する。Aむかえ。出むかえ。(二)むかえる。まだ来ないものを、むかえに行って連れて来る。花嫁を向かえに行って連れて来る。またでむかえ。 漢語林より
今朝のメッセージの最後には、「明日から大事」との言葉が告げられて来たので、明日から何かの出来事が始まる・起きるとの事かも知れない。
其れが何なのかを考えると、14日のメッセージに登場した故「日吉眞夫」が大きな建物の二階で、多くの男性が参集する会合を行う場面が映し出されて来た事と関係が有り、新しい文化の創造は、現在の人間社会の文化程度よりも、一段上の舞台・世界で始めなければ成らないとの事であり、其の為に、高いビルの壁に「Daichi (だいち・大地)」との名が大きく記されている映像が映し出されて来たのではないだろうか。
其の様に考えると、新しい価値観を求めている若者を焦点とする企画を、立ち上げなければ成らないと言う事に成りそうである。
平成31年4月17日
礒邉自適
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