言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/2/18
窓口四面楚歌
2・2・18
今朝のビジョンは、先ず、私が家の前の庭門から外に出ると、狭い通路が左右に通っており、家の門から其の通路に降りる階段が、左右に設置されている場面が映し出されて来た。
そして其の狭い通路は、山岳から引かれて来た清水が流れて来ている水路であり、其の水路に鉄板が敷かれている物である事が理解されて来た。
次に、私の友人で北京大学国文科に推薦で入学した、気功家の「中健二郎君」と一緒に古文の研究を行っている大学教授の所を訪問し、私が右手に自分で書いた象形文字の漢字の紙面と、左手に、誰かが書いた古文書に有る、同じ漢字の使い方が、適切であるかを尋ねる場面が映し出されて来た。。
すると、其の教授は其の紙面を一瞥(べつ)しただけで、棚の上に置き、私達二人を車で連れ出して、山岳の方に向かい、先ず眺めの良い場所に立つ老舗の山荘・ホテルを見せてから、自分の先祖が地主であると言う、屋久島の原生林の様な奥深い山に案内し、其処に道路を通して、立派な山荘を建てたい旨を話し始め、私達に意見を求めるのである。
私達二人は、其の国定公園の様な手付かずの山岳・森林を見ながら、其の大学教授の様子に呆れて、何も応答する事が出来ないで居た。
次の映像は、私が長身の若い男性を弟子の様に従えて、小学生が歌う「仲良し小道」の歌を歌いながら、両手を大きく振って小道を歩いて居ると、左の道端の屈み込まなければ見えない位置に、未だ熟していない緑色の苺が一個下がっており、其の数歩先には、張られた蜘蛛の巣に、露が数滴着いてキラキラと輝いているので、私が立ち止まって後を振り向き、若者にカメラを渡す様に頼むと、若者は背負っていた黒いリュックを下ろし、中を確認して「カメラは無い」と答えた。
其れで、私は、大事なカメラを何処に置き忘れて来たかを考え始めた。
だが、何処に置き忘れたのかを思い出さないので、困った事に成ったと考え始め、是は夢ではないかと意ったところで意識が目覚め、夢である事が判ったので、ほっとした。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時10分」であった。
其れから再び眠ると、今度は真っ赤な実が澤山着いているピラカンサの木の存在が三回続けて映し出されて来た。
そして、「窓口四面楚歌」との文字が、映し出されて来たので、起きて時計を見ると時刻は「8時49分・9時11分前」であった。
其れから、縁側のカーテンを開けると、今冬期初の積雪が有るので、カメラを手にし、庭と畑の様子を撮影した。
今朝はPCを立ち上げ、先ず「四面楚歌」を調べると次の様に載っている。
しめん‐そか【四面×楚歌】 国語辞典
《楚の項羽が漢の高祖に敗れて、垓下 (がいか) で包囲されたとき、夜更けに四面の漢軍が盛んに楚の歌をうたうのを聞き、楚の民がすでに漢に降伏したと思い絶望したという、「史記」項羽本紀の故事から》敵に囲まれて孤立し、助けがないこと。周囲の者が反対者ばかりであること。
其れから、其の四面楚歌の言葉が告げられて来た「9時11分前」の数字から、昨年の9月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/9/11本日9月11日は、アメリカで2001年に起きた「911テロ事件」から丸19年の日であり、私の次女「悠美」の42歳の誕生日でも有る。
今朝のメッセージの映像は、先ず、釈迦仏陀の立ち姿がホルマリン漬けの様に、水が入った透明なガラス容器の中に在って、向こう向きの姿の左足から、黒い汁が少し流れ出し・染み出しており、其れは腐敗を起こし始めている証拠なので、直ぐに保存方法を変えなければ成らない事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時43分」であったので、私は其の数字を「243・にしみ 西見」と記憶して、再び眠った。
すると、今度は、「ビルマ(ミャンマー)」国の名前と、釈迦仏陀の遺体(存在)をビルマ国に移転しなければ成らない事が示されて来て、其れを行えば、日本に存在する私と「相乗効果」が起きて、新しい世界が始まる事が示されて来た。
次に、丸い緑色の「変圧器・トランス」が一個映し出されて来て、其れは2001年5月3日憲法記念日に、私に「地球憲法を引き受けてくれるか」との神のメッセージが有り、シールの絵もカラーで映って来た事と、関係が有る事が理解されて来た。
「グリーン・クラブ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/591.html
そして、其の管理に「藤井氏」が関係有る事が示されて来て、其の運動に「伊礽」と言う名前に関係有る事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時00分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、昨日隣の水田に、毀れ米を食べに来た伝書鳩約90羽の中に、一羽だけ白い鳩が混ざっており、私が写真に撮った其の白鳩の姿が、吉祥の証である事が示されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「6時33分」であり、長短の針が重なっていた。
今朝のメッセージの内容から、私が直ぐに思い出した事は、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の御魂が、四国の金比羅山の頂上にある神社からネパールに派遣された「大物主神」であるとの事である。
其の「大物主神」とは、奈良の三輪山の神であり、本体は「蛇神」である。・・
此の二つの文章は、「沢山鍵の付いたキーホルダーが三組」と「きずな(絆・紲)」「コミュニケーション」の事が書いて有るので、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の教訓に有る「因縁(色・rūpa・ルーパ・縁起)」の世界と関係が有りそうである。
其れを考えると、今朝の映像に映し出されて来た、「腐敗が始まっている釈迦の姿を保存し直おせ」との事と、釈迦の存在を「ビルマ・ミャンマー」に設置すれば、日本に居る・在る私の肉体(はたらき)と「相乗効果」が起きるとの事は、イスラム教化している「ミャンマー」に隣接しているインドの仏教が、復活すると謂うか、私に示されて来ている・起きている現象が、真実の釈迦仏陀の教え(世界)として、蘇ると言う事なのかも知れない。
そして、其の事に「藤井氏」の存在が関係有るとの事は、藤井氏が日本語の「言霊研究者」である事と関係が有り、正しい日本語(大和言葉・マレー語)が復活するとの事なのかも知れない。
其れに、「伊祁・イキ」の名前・文字は漢語林に次の様に載っている。
*「伊・イ」【解字】形声。「人+尹」音符の尹は、おさめるの意味。治める人の意味を表したが、借りてかれ・これの意味を表す。
【字義】@これ(此)。この。Aかれ(彼)。かの。Bこれ。ただ。語調を整えるのに用いる。C河の名。→伊水。
*「祁・キ・ギ」【解字】形声。「阝(邑)+示」
【字義】@さかんに。はなはだ。A漢代の県名。 漢語林より
此の意味からすると、伊祁とは「さかんに・はなはだ 治める人」の意味に成る。・・
此の「言葉の無い世界」の文章には「・・何れにしても、何かが始まる事には間違いない様である。其の為には、正しい音源と成る言霊(ことだま)が必要であるとの理・ことであろう。」と書いて有るので、今朝「藤井氏」と「伊祁」の名前が告げられて来た事の意味が理解できる。
今朝のメッセージの内容は、私の認識と謂うか、知識の範疇を超えているので、能く理解できないのだが、インドからマレー半島に向けて長く繋がる「ミャンマー連邦共和国」は、マレー語の概念が水面下に残っているとの事であり、其の世界が復活できる最後のチャンスが、間も無く失われると言う事であり、其の復活が、私の言葉に掛かっているとの事なのかも知れない。・・
キー「マレー語 加治木義博氏」
此の「イソギンチャクが動物であり雌雄異体で体外受精する」との説明からすると、昨日の映像でチャックモールらしき人体の胸の部分に、イソギンチャクが寄生していたのは、生命プログラム情報の世界で、人間にも通じる何かのチャンネルを有しているとの理が、示されて来ていたのではないだとうか。
其れとも「磯巾着」の名前・言葉に関係が有り、私の名前の「いそべ・磯部・礒邉」に、何らかの意味を掛けてあるのだろうか。
其れは、磯巾着の筒状の形態と、人間の胃袋の消化機能に、何等かの関係性が有ると言う事である。・・
キー「胃袋 6億年前」
本日のメッセージは、太平洋戦争でイギリスの植民地であった「ビルマ」を解放する所まで進軍した日本軍の存在と関係が有り、大和の三輪山の「大物主神・蛇神」が、再び動き出す事が示されて来ているのかも知れない。
其れは19年前に起きた、アルカイダの血を流すテロ行動とは反対の、血(飯・米)を栽培し、胃袋を守る革命運動と謂う事である。
「釈迦仏陀との相乗効果」https://green.ap.teacup.com/20060818/5112.html
此の文章の内容からすると、「窓口四面楚歌」との言葉は、私が2001年2月9日に「グリーンクラブ」の名前を公に使用した事と関係が有り、「窓口」とは其のグリーンクラブの事を示唆しているのではないだろうか。
2012/2/9・・2002年2月9日に岡山市のホテルで、第一回の「みどりの会(グリーンクラブ)」を開催している。
其の「みどりの会(グリーンクラブ)」の名は、2001年2月9日に東京のキャピタルホテルで「財団法人緑進協会」の白土宏氏代表と、前林野庁長官で国会議員である「入澤肇氏」を引き会わす為に、食事会の予約には名前が必要であると言うので、急きょ「みどりの会」と命名した。
処が、其の日にハワイ沖で、愛媛県の練習船「えひめ丸」に、アメリカの潜水艦「グリンビル号」が衝突する事故が発生した。
だから、本日は「えひめ丸」が沈没してから11年目の日でもある。・・
「みどりの日・グリーンクラブ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2211.html
2018/2/9今朝のメッセージは、昨日のメッセージの続きの様で、先ず、パーティが終わった後のテーブル板が静かな海面に浮かんでいる映像が映し出されて来た。
そして、私の意識がテーブルの周りを泳ぎながら、其のテーブルの上に所狭しと並んでいるガラス(石英)製の器の片付けを、始める様子が映し出されて来た。其れは、害の無い食べ物の残りや、飲み物の残りを、海に捨てながら、器を海水で洗って片付ける場面である。
其れから、緑色の藻の様な物が、静かな湖の水面を覆っている映像が映し出されて来て、其の世界と「弁財天・サラスヴァティー」の働きが関係有る理・ことが示されて来た。
次に、ゴリラの様な顔形の人間の女性の顔が一つ、此方向きに映し出されて来て、其の顔は違う顔にドンドンと変化して行き、次第に顔頭の形だけではなく、瞳の色や形が変わり、類人猿の顔から、爬虫類や魚等の顔形に変化して行った。
そして、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると時刻は「5時31分」であった。
今朝メッセージの映像に、海面に浮かぶ食卓が映し出されて来た事と、緑色の藻の様な物が、静かな湖の水面を覆っている映像が映し出されて来て、「弁財天・サラスヴァティー」の働きが、其れに関係が有ると言うのは、インドで弁財天が水の神とされている事と関係が有り、水の世界は弁財天が管理していると言う理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、本日2月9日は、私が「グリーンクラブ」の名前を愛媛県で公に使用した事で、其の日に、ハワイ沖で日本の「えひめ丸」と、アメリカの「グリーンビル号」が海上で衝突する事故が発生した事が関係有り「言葉・弁」と「水」の世界を「弁財天・サラスヴァティー」が管理しているとの事は、間違い無いと言う事に成る。
其れに、其の弁財天・サラスヴァティーが乗った宝船が、1997年8月23日に辿り着いた先が、須佐之男命が手植えした御神木の所であった事を考えると、日本の「須佐之男命」とインドの「弁財天・サラスヴァティー」は「海・水・船」を通じて、直接関係が有ると言う事に成る。・・
「水の表」https://green.ap.teacup.com/20060818/4522.html
これ等の文章の内容から考えると、昨年の9月14日の、「天津系の遮断」「アリゾナ」との二つの言葉が告げられて来た事が、関係有りそうである。
何故かと謂うと、グリーンビル号が愛媛丸に衝突した現場はハワイ沖であり、「アリゾナ」とは、日本がハワイ真珠湾を奇襲攻撃して沈没し1102名が亡くなった「戦艦アリゾナ号」の名前であり、其の戦艦アリゾナは沈没した儘「アリゾナ記念公園」として残され、アメリカ人の日本に対する怨念の対象に成っている物であるからである。
其れ等の事を考えると「天津系の遮断」とは、他国を植民地化する「民族性・国民性」の事を示唆しており、其れに対する「人間性・精神性」として「釈迦牟尼世尊」の存在を、急いで、表に出さなければ成らないとの事なのかもしれない。
2019/9/14今朝のメッセージの映像は、此処数日のメッセージの続きの様で、新しい人間社会を構築する為の、人脈構成を図る場面が長い時間映し出されて来た。そして、其の事に、私の意識(存在)が中心的な役割を果たしており、一組(二人間)の組み合わせを図る・検討する時間は、30分間に限定されている事が示されて来た。
だが其の映像の、中間場面には、其の情報を盗みたい人間が現れて、私の上着のポケットや、私のカバンの中から、メモや書類を抜き取ろうとしている場面が映し出されて来た。
そして、画面一杯に、細糸を張っているかの様に見える、横書きの小さな日本語の文字文章が記されている場面が映し出されて来て、其れ等の人脈構成(縁組)の背景には、巨大な情報システムが存在する事が理解されて来た。
其れから再び眠ると、今度は「天津系の遮断」との言葉が告げられて来て、次に「アリゾナ」との地名が映し出されて来た。・・
天津系とは、日本の「祇神・くにつかみ」と対応する「天津神・渡来系」の事であり、日本の価値観で謂えば「ネィティブアメリカン」が祇神であり、西洋から乗り込んで原住民やバイソンなどを殺害して、国を奪った「スペイン人・イギリス人・フランス人」は天津神・渡来系であると謂う事に成る。
其の事を考えると、「天津系の遮断」との言葉は、西洋人の考え・行動様式を遮断しなければ成らないと言う事に成り、其れは、昨日までの「マレー語圏」の文化(言葉・宗教・生活)の復活とは、相反するモノ(世界)である理・ことが示唆されている事に成りそうである。
今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、新しい人間社会構築の背景に、日本語文章が蜘蛛の巣の様に張り巡らされていた場面は、日本語(マレー語)の言葉・概念が、神の計画と謂うか、宇宙意思の基盤であると言う事であり、其のマレー語圏の人間の暮らしでしか、人類の未来を救う手段が無いと言う理・ことではないだろうか。・・・
「新しい人間関係の始まり」https://green.ap.teacup.com/20060818/5115.html
此の文章に書いて有る「・・画面一杯に、細糸を張っているかの様に見える、横書きの小さな日本語の文字文章が記されている場面が映し出されて来て、其れ等の人脈構成(縁組)の背景には、巨大な情報システムが存在する事が理解されて来た。・・」との事は、今朝のビジョンに映し出されて来た、蜘蛛の巣に朝露の水玉が澤山着いてキラキラと輝いていた場面と関係が有り、其の水玉は、「日本語・マレー語」と「弁財天・サラスヴァティー」の世界に、関係が有るのではないだろうか。
其れに「青いイチゴ・苺」の意味は「苺」の漢字に、何かの意味が有るのではないだろうか。
「苺・ボウ・バイ・モ・マイ」【解字】形声。「艸+母」音符の母は、乳ぶさのあるははの意味。ちくびのような形の実のなる、いちごの意味を表す。
【字義】いちご。くさいちご。莓・バイは、俗字。
此の苺の意味からすると、「青い苺」の意味は、「白い乳」は「赤い血液」が変化した物であり、其の赤い血液は「緑の植物」が炭酸同化作用を行う事で出来る食物を食べる事で出来る物であり、其の植物は「大地・土」と「水・雨」から生まれる物なので、「生命・いのち」の存在・循環を示唆しており、地球環境の保全を示唆しているのではないだろうか。
其れを考えると、私が小学生の様に「仲良し小道」の歌を歌いながら、両手を振って小道を歩いて居て、「青い苺」と「水玉が着いた蜘蛛の巣」を発見した場面の意味が理解されて来るし、其れは「青い苺」は女性の「体・働き・役割」を示唆しており、「水玉が着いた蜘蛛の巣」は男性の「思考・働き・役割」を示唆している理・ことに成りそうである。
其れ等の事を考えると、今朝の映像で、私が、大きな木が繁る森の中で気功を行う事が好きな中健二郎君と一緒に、古典文字の解読の為に訪問した大学教授が、其の問に答えずに、自分に相続権が有る古代の森林に案内し、其の森に道路を通して山荘・ホテルを建設する事を、私達に相談した事は、現在の高等学問の世界が、自然保護の概念が消えて、金銭欲・物欲に溺れてしまっている理・ことが示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝の最初のビジョンで私が自分の家から、外に出ると、左右に降りる階段が設置されており、其の下には山岳から引かれて来た清い水が流れていた場面は、私の意識は、水を司る「弁財天・サラスヴァティー」のモノだったのかも知れない。
其れに、大学教授の質問に対して唖然として目覚めた「6時10分」の数字は、天智天皇が日本で初めて時を国民に知らせた事を記念する「時の記念日」であるが、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前で、昭和19年6月10日に岡元天明に「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が降り始めた日でもある。
其の事を考えると、「天之日津久神」の力も衰えて、立つ瀬が無いと言う事であり、「日本から始まる神一厘の仕組み」を表に出しても「四面楚歌」の状態で終わってしまうと言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、過去のお告げ・メッセージに拘るのを止めて、新規に何らかの事を打ち出す必要があるとの事なのかも知れない。
『其れが 何も無い所から始める との事なのです』13時52分
此の今告げられて来た女神の言葉からすると、一昨日告げられて来た「天国への切符」との言葉が、其のヒントに成ると言う事なのではないだろうか。
其れに「ピラカンサ」を調べると、ラテン語の「ピラカンタ・火と棘」であり、中国で「火棘・カキョク」、其れに日本では「トキワサンザシ」であるとの事である。
其の「ピラカンタ・火と棘」の名前の意味からすると、「窓口四面楚歌」との言葉は、窓口の周囲の環境が「火棘(赤い業の棘)」が満ちているので、迂闊に窓を開けると火傷をすると言うか、大変な身の上に成るとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
令和2年2月18日
礒邉自適
2020/2/12
腕の良い親子
2・2・12
昨夜は、入浴してマッコウ鯨瞑想をして居ると、男性の声色で「歩け 走り出せ 自分では何もしないで 」との言葉が告げられて来た。
今朝のビジョンは、先ず、「3人+3人=6人」のセットで、各地で選出された人々が、会議に集まって来る様子が映し出されて来た。
そして私の意識・存在は、議長の様な役割で有ったが、中にとても知識の有る50歳代の男性が居て、私の謂う事を訂正して来るので、私は其の会議を先に進める事が出来ずに、其の立場を降りる事にした。
次に、私は自由な身と成り、自宅に居ると、会議に参加して居た人々が、私の所に、次々に話を聞きに集まって来る様子が映し出されて来た。
そして、「腕の良い親子」との言葉が一言告げられて来て、私は自分は不特定多数の人々が参加する、公の会議に参加するのではなく、職人が自分の技を息子に伝授する様に、引き継いで行けば其れで良いのだと考えて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「ごせん」との言葉が告げられて来てから、市役所の様な建物の存在が映し出されて来た。
そして私が、其の敷地を見ると、全体の白い砂岩の中に、幅が2m程の黄土色の断層が、建物の中央を通っている事が判ったので、其の事を役所の職員ではなく、男性議員に知らせて、其処に緯度の数字を掘った石碑を立てる事を、勧めている場面が映し出されて来た。
『所で 貴方は 何をしたいのか。
此の儘では 此方は動き出す事は出来ない。』9時14分
此の、いま告げられて来た男性の言葉は、昨夜入浴中に男性の声で告げられて来た「歩け 走り出せ 自分では何もしないで」との言葉と関係が有り、私自身が歩き出さなければ、神霊界の人々は、此の人間社会に何も手を出せないとの事の様である。
其れを考えると、昨日が建国記念日であった事と関係が有り、新しい国造りは、私が自分で歩き出さなければ、何も始まらないとの事なのかも知れない。
だが私自身は、小学4年生の時に、父親が洗面器に喀血している赤い血を見た時から、父親を手助けしなければ成らないと考え、自分で何かを始める事は考えられない人間・性格と成り、他人から頼まれた事を熟(こな)すだけで、自己欲で何かを始める事は出来ないのである。
其れは仕事だけではなく、三回の結婚もそうであり、此の神(はたらき)世界に入ったのも「土肥無庵」に頼まれたからであり、其の結果4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が有り、其の後、昭和天皇の御霊の「我が身既に遠く 良き世を願い奉る」との頼みで、此処まで歩いて来ている。
其れに、神武天皇・天智天皇・後醍醐天皇の御霊も、同じ様に頼み事をして来ている。
天皇霊其の一「天智天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/67.html
天皇霊其の二「昭和天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
天皇霊其の三「後醍醐天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/91.html
天皇霊其の四「神武天皇」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
其れ等の事を考えると、一昨日のビジョンで、私が大王から「日本帝国印」の印鑑を手渡された事と関係が有り、私自身が何らかの行動を起こさなければ、何も動き出さないと言う事の様である。
其れを考えると、一昨日の夜「明日から幻滅が始まる」と告げられて来た事が関係が有り、現在の天皇家の親子の存在は、「腕が良くない」との事に成るのかも知れない。
其れで『所で 貴方は 何をしたいのか。此の儘では 此方は動き出す事は出来ない。』と告げられて来た、9時14分の数字から、昨年の9月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/9/14今朝のメッセージの映像は、此処数日のメッセージの続きの様で、新しい人間社会を構築する為の、人脈構成を図る場面が長い時間映し出されて来た。
そして、其の事に、私の意識(存在)が中心的な役割を果たしており、一組(二人間)の組み合わせを図る・検討する時間は、30分間に限定されている事が示されて来た。
だが其の映像の、中間場面には、其の情報を盗みたい人間が現れて、私の上着のポケットや、私のカバンの中から、メモや書類を抜き取ろうとしている場面が映し出されて来た。
そして、画面一杯に、細糸を張っているかの様に見える、横書きの小さな日本語の文字文章が記されている場面が映し出されて来て、其れ等の人脈構成(縁組)の背景には、巨大な情報システムが存在する事が理解されて来た。
其処で、耳元で赤家蚊の羽音が聞こえて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「天津系の遮断」との言葉が告げられて来て、次に「アリゾナ」との地名が映し出されて来た。
其れ等の事に付いて色々考えていると、携帯電話の呼び出し音が鳴ったので、起きて時計を見ると、時刻は「7時56分」であったので、私は其の数字を「756・なごむ・和む」と記憶した。
其の電話の相手は「松本 キリストの救済」に関わりの有る人物からである。・・・
「新しい人間関係の始まり」https://green.ap.teacup.com/20060818/5115.html
此の文章には、「新しい人間社会を構築する為の、人脈構成を図る」と書いて有るので、今朝のビジョンに会議が開催される場面が映し出されて来た事と関係が有ると言う事に成る。
だが今朝の会議の場面では、とても賢しらな男性が居て、私の話を遮るので、私は皆に話をする事が出来なくて止めてしまった。
其の事を考えると、誰か力の有る人間が、会議を取り仕切る必要が有ると言う事に成る。
其れを考えると、一昨日のビジョンで私の右横に座った様な男性の存在を、捜し出す必要が有ると言う事に成って来る。
今朝起きた・起こされた時刻は8時17分であったので、昨年の8月17日の文章を視て見ると、次の様な事がが書いて有る。
2019/8/17今朝のメッセージの映像は、私が布団の上で目を覚まして動き出すと、其の動きは未だ四つん這いであり、立ち上がる事が出来ない幼児の姿である事が理解された。
そして、縁側の雨戸の隙間から、庭先にダチョウの様な大きな生き物(恐竜)が居る事が判り、私は其の生き物に見付かって、咥えられるのではないかと、怯えて居た。
次の映像は、私が小学生の年頃であり、友達と二人で庭に引かれているホースで水掛けをして楽しく遊んで居る場面が映し出されて来た。
次に、縁側に私の日本酒を飲む陶器のぐい飲みが置かれており、誰かと酒を酌み交わした事は理解できたが、其れが誰なのかは、思い出せないでいた。
次に、思想家の友人が訪ねて来て、部屋の中に上がって来たのだが、お互いが言葉を忘れており、一言もしゃべる事が出来ない場面が映し出されて来た。
其処で、今朝の映像場面では、一言も言葉が使用されていない事が理解され、其れは自分の頭脳から、文字が消えている為である事が分かった。
其の事から、其の状況は老人の「耄碌・もうろく」の世界と関係が有り、私は其の世界では、「おじいさんや」「うん なんだい ばあさん」との言葉も交わせない事が判ったので、私は釈迦仏陀の法華経の十二因縁起の世界に到達したのだと思い、「辿り着いた」のだと感じた所で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時20分」であった。
其れから、再び横に成り、今朝のメッセージの映像を思い浮かべながら、「言葉」と「文字」の存在に付いて考え始め、文字が無ければ人間の記憶は、消えて行く事が理解されて来た。
其れは、「釈迦ブッダ」と「イエスキリスト」は「文盲」であり、仏教経典は釈迦の死後500年頃に仏弟子が集まり、皆で文字化した物であり、キリスト教の聖書もイエスの例え話しを、弟子たちが口傳で伝えていた物が、後に文字化された物である事を考え、其の文字化した記録が、私達の知識として伝えられており、其れが文化とされている事を改めて認識した。
そして、其れ等の問題を解決する次元として、やはり漢字に精通していた老子の世界が、一番重要であり、老子の謂う「名を与えなければ 認識できないので 仕方なく『道』と名付けよう。だが 道と名付けたらすでに 道にあらず」との理・ことを思ったので、今朝の文章の題は「辿り着いた」に決めてから起きた。
そして、台所に行き時計を見ると、時刻は6時13分であったので、其のまま蓬・紫蘇の風呂に入浴すると、「駄目だ 何も分かっていない」との男性の言葉が一言告げられて来た。
私は其の言葉から、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の存在を思い出し、自分が今入浴している事から、土肥無庵の自宅の風呂に入浴している時に「宇宙船艦大和」の歌が聞こえて来た事を思い出した。
そして、今回、戦艦大和を造船した呉に、台風10号が上陸した動きが、「8月15日・旧暦7月15日・満月」である事を改めて考えると、昨日霊夢に登場した「女神・母神」の存在が重要であり、全ての出来事・事象が何物かに完璧に管理されている理・ことが能く解かる。
「駄目だ 何も分かっていない」との言葉から、6月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
2019/6/13・・今朝7時30分に告げられて来た、「切り開く能力・ちから」との言葉は、様々な意味合いが有り、簡単には片付けられない言葉・世界である。
何故かと謂うと、其れは、私が単独で森林を伐り開くとか、道路を通すとの事ではなく、人類の未来を切り開く・開拓するとの意味合いであるので、自分が刃物や重機を使って出来る事ではなく、意識での「意念力・創造力・持続力」を発揮する事であるので、自分の心身を極限まで集中する必要が迫られる世界であるからである。
其れは、昨日告げられて来た「何から形に」との言葉と関係が有り、一昨日のメッセージ「動かない者の手に紀」との言葉と関係が有るので、私は無一物の状態で意識を組み込む必要が有る事に成る。
其れこそが、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「過去・現在・未来に我は在り 衆生一切わが子」との世界であり、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉の世界を実行するとのなのである・・・「切り開く能力・ちから」
此の文章の内容からも、今朝風呂で告げられて来た「駄目だ 何も分かっていない」との言葉は「土肥無庵」のモノであり、私の役目・役割は、未だ全然終わっていないと言う事に成りそうである。
だが、今朝のメッセージの映像で、私の「存在・ありかた」が「赤子から 老人」まで、示されて来た事は、私が一応、人間と言う生き物の「分け・宿命(さだめ)・みこと」の「真髄・根源」を見せられた・確認された事には成るので、双六遊び・ゲームでは、一応の上がりは済んだと言う事には成るのであろう。
だが「駄目だ 何も分かっていない」との言葉からすると、私はもう一度原点に帰って、サイコロを振り出さなければ成らないと謂う事になるのであろう。
「土肥無庵」が持っていた能力は、私の非ではない事は充分に理解しているので、其の土肥無庵の御魂が「駄目だ 何も分かっていない」と怒った様に告げて来るのは、未だ私の意識が土肥無庵のレベルに達していないと言うか、土肥無庵の私に対する期待・思頼の解決は、未だまだ道半ばであると謂う事に成る。
其の土肥無庵の一挙手一投足は、最長28日間も断食状態で、仕事を一日も休まず続ける事で習得した能力であり、図書館の本は全部読んだと謂い、私の質問には何でも即答していたので、私の能力では絶対に追い付けない世界である。
其の土肥無庵が、「駄目だ 何も分かっていない」と告げて来る理由は、過去の世界を生きた「釈迦」や「イエス」の御魂のレベルでは、解決しない世界が、私の目の前に存在していると言う事であり、私は其の世界の扉を開けて、先・前に進んで行かなければ成らないと言う事なのであろう。
「辿り着いた」と考えた5時20分の時間から、5月20日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、昨日の文章「彼岸から此岸に渡って来る御魂」に書いた、「・・私が座っている川縁の向こう岸に、青い服を着た、真っ白い顔の女性(女神・母神)が登場して、私に満面の笑顔で接しながら、後ろに右手で合図を送ると、其の女性の後ろ側から、数十体の透けた黄金色の人体・人型が右側に出て、少し上流の方に架かっている橋を渡って、私の左側の方に遣って来る様子が示されて来た。・・」との事と関係が有り、其の事が、此れから具体的に動き出す・始まるとの事なのではないだろうか。
昨日は、生塵を畑に持って行き、地面に埋めた後に、土手を見ると、蔓に下がっている二番生りの、西瓜の生り口に付いている髭が、茶色に成っているので、熟れているのかと意って収穫して帰り、台所で割って見ると、未だ種子が白い未熟な物である事が判った。
私は、其の青臭い西瓜を捨てる分けにも行かないので、食べながら、日付を記した竹札を立てていなかった事を後悔し、西瓜の生態反応・状況だけに頼っていては、判断を誤る理・ことを強く認識し、年月日を表す暦・カレンダーの存在が如何に大事・重要であるかを悟った。
今朝は、庭を眺めると、庭木の枝先に花が咲いており、其の下に枇杷の葉が有るので、枇杷の葉の上に餌の米を置けば、花の下で餌を啄ばむ雀の姿を撮影できると意い、餌を枇杷の葉の上に撒くと、直ぐに雀が飛んで来て、意い通りに撮影する理・ことが出来たので、其の自然状況の様子・ありかたと、私の感覚判断、其れに雀が登場したタイミングから、私は、眺める事だけで出来る和歌詠みの世界とは、別の世界を認識する事が出来た。
其の出来事から、私が感じた理・ことは、人間の意識や文化は、人間が行動をする事で発生して来たモノ・世界であるので、人間が行動を止めれば、人間の文化は消えてしまうと言う事である。
其れを考えると、今朝のメッセージは、新しい文化(神と人間との新しい繋がり・結び)を創出する為には、此の私は、動きを停止する分けには行かないと言う理・ことに成る。
其の事を理解すれば、昨日のメッセージに登場した、女神・母神の存在の意味が理解できるし、私が、彼岸から此岸に渡って来る御魂の存在を受け入れて、其の活動を支えなければ、せっかく見せられた女神・母神の満面の笑顔が、消えてしまうと謂う事に成るのだろう。
今回の台風10号が、呉に上陸した日付が「8月15日・旧暦7月15日・満月」である事考えると、私が2006年3月19日に「みいつ建国 6月11日」と告げられて来て、其れが「満月」の日の「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭典日であった事に関係が有り、「月読み界・調読界命」の世界が動いている事にも成るのであろう。・・
此の「女神の下へ」の文章の内容からも、私の意識が、今朝、赤子の「意識・頭脳」に還っていた事が関係有ると謂うか、其の理由が理解されて来る。・・・
「駄目だ何も分かってない」https://green.ap.teacup.com/20060818/5087.html
其れに、始めに起こされた「4時13分」の数字は、虚空蔵菩薩の大祭日4月13日の日付ではあるが、私の長男「名越海生」の誕生日でもある。
其れを考えると、創価学会の会員である息子「海生」も、宗教世界に「幻滅」を覚えて、自分なりの生き方を始めるとの事が、示唆されているのかも知れない。
今朝のビジョンでは、「ごせん・御線」との言葉が一言告げられて来てから、市役所の様な建物敷地の中心を幅の狭い地層が通っており、私は其処に緯度を刻んだ石碑を立てる事を、議員の男性に勧めて居た。
其の場面から、私に考えられる事は、「子午線・経度」は縦・南北の位置を示す物であり、縦線の認識世界で有るが、「緯度」は横線で有り、季節・気温の移り変わり・地域性が認識できる世界であるので、緯度を認識する事で、世界中の人間に横繋がりの感覚・認知が起こり、織物の世界の様に、人間の意識に「人間曼荼羅(文化・風習・民族性)が描ける事に成り、人類に新しい世界が開闢する事に繋がりそうな気がする。
【緯度】(いど、英語: Latitude, ドイツ語: Breite)とは、経緯度(=経度・緯度。すなわち天体表面上の位置を示す座標)の一つである。以下特に断らない限り、地球の緯度について述べる。余緯度とは緯度の余角。
概要
緯度は、その地点における天頂の方向と赤道面とのなす角度で表される。赤道が緯度0度となり北を北緯、南を南緯といい北極・南極が90度となる。また北緯に+(プラス)、南緯に-(マイナス)を付けて表す場合もある。1度よりも細かい緯度は、1度=60分=3600秒と分割して表現する(0.1度は6分となる)。
同じ緯度の点を結んだ線を緯線という。「緯」とは織物の横糸の意味で、経緯線を織物に見立てたものである。メルカトル図法の地図では、緯線は赤道に平行な直線となる。経線を子午線というのに対し、子午線の対義語として卯(東)と酉(西)とを結ぶ線を卯酉線(ぼうゆうせん)というが、緯線とは異なる概念を指す。
太陽は地上から見て赤道直上を中心に南北に往復しているがその範囲は緯度23度27分までであり、この緯線を回帰線(北回帰線・南回帰線)と言う。また、緯度が66度33分よりも高い地域を極圏(北極圏・南極圏)という。
1海里は緯度1分の地球表面上の距離を元に作られており、ほぼそれに等しい。
緯度の種類
地球は完全な球ではなく回転楕円体(扁球)で近似する(しかし実際にはそれからもわずかにずれている)。そのため、完全な球であれば同義である[1]以下の定義にも差異が生じる。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/2/12現在
此処数日のメッセージの内容からすると、私が何らかの事・世界を模索・創造・決定しなければ、事は何も始まらないとの理・ことの様であるが「無・空」の修行を続けて来た私自身には、是とした考えは浮かんでは来ない。
やはり、私は「天神・宇宙意思」が何を望んでいるのかを、探るしか他に道が無い様である。
其れは、「日本帝国」の言葉の「帝・テイ・みかど」の文字が、「木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。」との意味であるので、其処から一歩も踏み出せないからである。
キー「帝・テイ・みかど」
2012/1/31・・「帝・テイ」の漢字は、【解字】甲骨文でもわかるように、木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。
帝を音符に含む形声文字に、締・諦・蹄などがあり、これ等の漢字は「しめくくる」の意味を共有している。
【字義】@みかど。きみ。天子。「帝王」「皇帝」Aあまつかみ。天の神。「天帝」「上帝」Bかみ。五行の神。C大きい。 漢語林より・・・
「行く行くは帝人」http://green.ap.teacup.com/20060818/2199.html
2016/4/19・・「路・ロ・じ」【解字】形声。「足+各」音符の各は、いたるの意味。人があるきいたるときの道の意味を表す。
【字義】@みち。じ(ぢ)。㋐人や車が往来する道「道路」㋑人がふみ行うべき道。「正路」㋒てずる。たより。方法。㋓くらい。地位。「要路」㋔すじみち。条理。「理路整然」A旅。旅する。また、みずから。途上。Bおおきい。また、正しい。Cつかれる。やぶれる。Dあらわす。表れる。=裸。E車。天子の車。=輅。
「適・テキ」【解字】形声。「辶(辵)+啇(啻)」音符の啻・シは、中心の一点に寄るの意味。ある事柄が、目的とする一点に寄って行く・かなうの意味を表す。
【字義】(一) @ゆく。(往)㋐おもむく。思う所に行く。㋑いたる。(至)㋒とつぐ。嫁にゆく。Aかなう。㋐よい。よろしい。㋑うまくあてはまる。㋒つり合う。ほどよい。㋓心のどかに楽しむ。「快適」㋔思いどおりになる。また、心の向くままにする。「自適」㋕道理に合っている。Bあう。出会う。Cまさに。まさしく。ちょうど。Dたまたま。ちょうどそこへ。偶然。
漢語林より
「適 帝 路」https://wave.ap.teacup.com/20060106/651.html
2013/4/24「帝京」https://wave.ap.teacup.com/20060106/516.html
2016/7/9「示・宗・帝」https://wave.ap.teacup.com/20060106/676.html
2016/7/19「庶民の暮らしと皇統」https://wave.ap.teacup.com/20060106/677.html
2017/2/2「善良な車(みこし)」https://green.ap.teacup.com/20060818/4134.html
2019/6/27「帝意識の育成」https://green.ap.teacup.com/20060818/5035.html
令和2年2月12日
礒邉自適
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