言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/3/3
まかお・真顔
2・3・3
昨夜はゆっくりと入浴して居ると男性の声色で「明日から分かる」との言葉が一言告げられて来た。
本日3月3日は「桃の節句」であるが、其の元は「春の禊ぎ祓いの日」である。
今朝のビジョンには、其の「春の禊ぎ祓い」の事と関係が有るのか、人間の知識・情報が、四通りに分類されて、不必要な物が消去されて行く事・様子が映し出されて来た。
そして、其の事と関係が有るのか、コロナウイルス感染の舞台が、地球の自己浄化の手段である事が、イメージされて来た。
其れは、韓国で発生している新興宗教教団、大型クルーズ船、日本の夜景を観る屋形船、ライブハウス等の、多くの人々が集まる、人間の生活に直接必要が無い世界・場である。
次に、2m程の穴が地球の中心に向かって空いている映像が映し出されて来て、其の形状から、其の穴は地球のマグマが上昇して来た跡である事が、理解されて来た。
そして其の穴は、是以上人間の地表での「カルマ・業・欲」が増せば、其の圧力で自動的に、其れ等の原因である人間を滅ぼす為に、再びマグマが地表に噴出して来る物である事が理解されて来た。
そして、次に「まかお・真顔」との言葉が告げられて来て、其れは2006年8月18日のビジョンに登場した「ククルカン・ケツァルコアトル」の顔である事が理解されて来た。
其れから間もなく、地震が有り、其の地震の事が気に成り始めたので、起きて時計を見ると時刻は「8時18分」なので、地震が発生した時刻が気に成り、起きてPCを立ち上げ、天気・地震を調べると福岡地方を震源とする8時16分頃と載っている。
何故、私が8時18分に起きなければ成らないのかを考えると、「約束は守られる」と告げられ来た8月18日の日付が気になる。
2006/8/18今日は18・8・18で、「八・8」の左右に18が揃う日付である。
私は、新しい「十六の島・ウップルイ(我が水辺の道)」は、「2×9=18」に成る事を、22年前に聞いていた。本日の日付からすると、中の8は、メビウスの輪で「(9×2)8(9×2)」の幕が開いた事に成る。
此の日を、神霊界は、最初からセッティングしていた様である。
昨夜は、9時にベッドに就き目を閉じたら、行き成り、鮮やかな紅色やピンクの色をした、魚の尾頭付きが、ザルの様な皿に三匹揃えて乗せられ、私の目の前に奉納されて来た。
どうしたのだろうと思っていると、場面全体が黄土色掛かったコゲ茶色に成り、其の中央に、鳥居の様な物が立っている映像が映り出されて来た。
そして、其の鳥居から、左右に糸線で二本の道筋が延びている。
其の道筋の左側は、山の上に続いており、其の山には「ケツァルコアトル」らしき物の頭が一個在り、其の顔は鳥居の在る下の方を向いている。
一方、右側の道筋の端には、佛の両足が揃って鳥居の方に向いている。
どうやら、ケツァルコアトルの頭と、「仏陀・ブッダ」の足が、鳥居を挟んで向き合っているらしい。そして、其の仏足は、涅槃をしている仏陀の足らしいのだ。
其の映像を確認すると、其の茶色の場面が、パソコンのHPの画面に変わり、左側の上の端が捲れ、白地に成った。そして、其の捲れた部分に、リボンが結び着けられていて、其のリボンの形を良く見ると、ケツァルコアトルの顔形である。
そして、右側から言葉が有り、「約束は守られる」と告げられた。
どうやら、22年前に、私の頭を切り取り、其れを私の左手に乗せ、地球と入れ替えてから、「地球の管理を任せる」と示して来たのは、此のケツァルコアトルの意識だったらしい。
ケツァルコアトルの意識が、ホログラフィーの天幕を管理しているのだろう。
・・・
「約束は護られる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1.html
其れから台所に行き、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、パソコンの画面に、競売に掛けられた不動産情報のページが映し出されて来て、教会の施設の200万円が一番上にあったとの事である。
次の場面は、自転車の車輪の心棒のナットが外れて、車輪が二つとも外れて下に転がって行ったので、車輪を拾ってから、民家の庭に止めさせてもらい、由香が修理をしようとすると、周りの蓮池で作業をしていた3、4人の男性が此方を向いて、「手伝いましょうか?」と身を乗り出して心配して声を掛けてくれたが、「やり方が判っているので、大丈夫です。ありがとうございます。」と謂って、自転車のナットをしっかりと嵌めてから、私と二人で仲良く一台の自転車を押しながら、田舎道を進み始めたとの事である。
其の由香のビジョンからも、今朝のメッセージは、現在の人間社会に存在する不要な物事が、是から浄化されると言うか、滅んで行く理・ことが示されて来ている様である。
其れに、自転車の車輪の心棒のナット・螺子を絞めて、二人で仲良く押して歩き出す場面は、私と由香が一緒に時間・トキである「転輪・チャク」を回す事を示唆しているのであろう。
そして其の事が、マヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」と関係が有り、其の「ククルカン・括る神」は、日本の白山権現白龍の神(はたらき)である「菊理姫・くくりひめ」と同じ物であり、是から地球の自己浄化作用が始まるとの事なのであろう。
2011/5/11・・そして、ユダヤ族や日本の神道では、神輿が、神の乗り物・移動手段とされているし、インドでは車輪が聖王の乗り物とされ、其れが日本に伝わって来て、祭りの時の「山車・だし」と成っている。
今朝のメッセージの意味は、人間の意識の在り方と言うか、思索の仕方を示して来ているのかも知れない。そして、最大の意識の乗り物が、「言葉」の世界であるとの理・ことではないだろうか。
其れを考えると、私も、自分の意識の立場・座を決めて、何処から、何を対象として、意識を組み立てるのかを、考えなければ成らないのかも知れない。
「三つの条件」https://green.ap.teacup.com/20060818/1925.html
2008/9/1今日から9月であり、9が重なる重陽の節句まで、残り8日である。
9月9日は数霊から「菊理姫・くくり神(ククルカーン)」の日ともされている。其れは、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の、縁結びをした神とされているからであろう。
其の菊理姫の本体は、北アルプスの白山に住み、日本列島を管理する白龍である。其の白龍が、私の身体に巻き付いて来て、地球を私の左手に乗せて「地球の管理を任す」と告げてから、既に24年が経過している。・・
其の映像から、私が思い当たる事は、アステカ文化の神の概念である。
アステカ文化には、其れを象徴する鏡が残されている。アステカ文化の鏡である、炎のリングの中心には太陽の神がいて、0時・12時の北の位置には「葦・ケイン」の芽が描かれている。
其れは、日本の熊本県の「葦北・あしきた」の地名に関係が有り、「葦北」とは「進む」の意味が有るらしい。
其の「葦北・進む」の言葉の意味は、今朝の私のビジョンとも合っている。
何故なら、北に通じる道に、葦の門が在ったからである。
そして、其のビジョンの意味は、北に進むには、葦の門を潜らなければ成らないと言う事である。
其の葦の門こそ、「瑞穂の国(シュメール)」のスメラ王が通過すべき道なのだ。
其の北への道は、宇宙の中心である「紫微垣・しびえん」に通じる道なのである。だから、其れを示す為に、道の基調が紫色だったのである。・・・
「洗心」https://green.ap.teacup.com/20060818/867.html
2009/11/22此の参考HPの説明に拠ると、釋迦牟尼佛の佛足の裏の模様は、中が「法輪」で、下が「後光」の印であるとの事。
是だと、昨夜現れたのは、法輪か後光の、どちらかの意味を持つのであろう。
其れとも、「ブッダ・仏陀」其の者の、着地を意味しているのであろうか。
だとすれば、足が揃ったので、ブッダが再び歩き出す事を、意味しているのかも知れない。
其れに、中国の老子の言葉にも「千里の道も 足下から」と有るので、両足の足跡が印されたのは、大事な意味が有るのだろう。
其のマークが「法輪」の方であれば、「ヴィシュヌ神」が右手で回している「法輪」の意味であり、左手に持っている螺旋の渦の象徴である「法螺貝」の働きが、機能し始めるとの意味にも受け取れる。
「転輪聖王・チャクラヴァルティン」https://green.ap.teacup.com/20060818/1348.html
キー「韓国語 菊理姫 くくり」
2019/9/9本日9月9日は、「重陽の節句」であり、白山大権現菊理姫の日でもある。
何故「菊理姫」を「くくりひめ」と発音するかと謂うと、朝鮮語で「菊」は「くく」と発音し、「奈良・なら」も朝鮮語で「良い都」の意味で有り、屋久島の一番古い民謡「まつばんだ」の掛け声である「チョイサヨ チョイサヨ」は、朝鮮語では「めでたいなー めでたいなー」の意味との事である。
其れを考えると、近江神宮の「天智天皇祭・1月10日」に「ひもろぎの よよのみだれを さかづきに きくいちりんと まわしのみ・神籬の 代々の乱れを 盃に 菊一輪と 輪廻飲み」と告げられて来た「盃に 菊一輪と 輪廻飲み」との言葉は、朝鮮の儀式の作法であるので、天智天皇や天武天皇の兄弟も朝鮮系である事が考えられる。
今朝のメッセージの映像は、私の母親の存在が映し出されて来て、其の母が女神の切り離された「右胸(胸・腕・肩)」部分を抱きかかえており、其の女神の右胸部分を、私が早く引き取って、私の右胸部分と融合しなければ、其の女神の右胸は枯れて収縮し消えてしまう事が示されて来た。
次に、私と、姿が見えない女性と一緒に船に乗って居た「若者(息子・従兄弟・弟子)」の具合が悪く成り、医者の所に連れて行かれ、港に到着してから、其の若者が下りて来るのを待って居ると、其の若者は松葉杖で降りて来て、傍らには、自分の左足が大腿骨まで含まれる部分から切り離されて、白いギターケースの様なボックスに入れられ、人工装置で血液循環が行われている物を置いており、其の切り話されている左足は、必要な時に再び元の様に取り付け可能である事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が「屋久島自適塾」の事務所に借りていた建物のオーナーである「西川良明氏」が登場して、私に、「昔の様に 屋久島の土地の売り買い・分譲に協力してくれ」との事を頼みに来た。
次の映像は、私が大都会の交差点に立って居て、自分が何処かに行かなければ成らないのだが、何処に向かえば良いのか、全く判らないで居た。
今朝起きた・起こされた時刻は「7時36分・8時24分前」であった。
PCを立ち上げて、起こされた「4時3分前」と「8時24分前」の数字から、今年の「4月3日」と「8月24日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章には、今朝のメッセージの登場した「西川良明氏」が出て来ており、京都御所・平安京の内裏にある紫宸殿の庭(階段の左右)に植えられている「右近橘」と「左近桜」の事が書いて有るので、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た「右胸」と「左足」の存在は、神に対する人間の働きに付いて、何らかの示唆が行われて来ているのであろう。
そして、其の事が「高ちゃん」に関係が有ると、謂う事なのではないだろうか。・・
此の「枕を高くしては寝られない」との言葉は、1984年6月4日に、私が此の世界に飛び込んだ時に、私の頭を切り離して、地球に変えてしまい、「地球の管理を任す」と告げて来た「菊理姫・くくりひめ」の存在が関係が有り、再び、私の意識の解体作業が始まるとの事なのかも知れない。
其れは、此の世界が「菊理・括り・結び・因縁・色・rūpa・ルーパ・縁起・ククルカン」で出来ているので、其の括り・結び・因縁・縁起が、解体(ほどく)されて、新しい仕組み・かたちに変わると言う事なのではないだろうか。
其れは、昨日のメッセージが「アドバルーンが揚げられる」であった事と関係が有り、日本の「白山権現菊理姫」と、マヤ・アステカの神である「ククルカン(括る神)・ケツァルコアトル」、及び「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」が、本格的に動き出すと言う事である。・・
何故、南米に「ククルカン(くくる神)」との言葉・概念が有るかと謂うと、「ネィティブ・アフリカン(インデアン)」は、氷河時代にベーリング地峡(のちのベーリング海峡)を歩いてアラスカに渡ったモンゴリアンであるが、南米に住み着いたのは、9000年前頃に筏に乗って黒潮の流れでバハ-カルフォルニア半島当たりに到着し、南米に広がった南アジア(マレー言語)系の人々であるので、日本と同じ山岳信仰・大蛇信仰の民族なのである。・・
・・・其れは、先日(8月31日発見)(中城海上保安部提供)で明らかに成った。中城(なかぐすく)海上保安部(沖縄市)は2日、2011年3月の東日本大震災による津波で流された岩手県釜石市の漁船が、約1900キロ離れた沖縄県金武(きん)町の海岸で8年半ぶりに見つかったと発表した。
毎日新聞2019年9月2日・・・
其れを考えると、私に地球の管理を頼んで来た「大蛇・白龍神」と、「約束は守られる」と告げて来た「ククルカン・ケツァルコアトル」は同じ系列の神である理・ことに成る。
だからこそ、七回半トグロを巻く大蛇の上に座り、七つの蛇頭に守護されている「釈迦仏陀」の足が、鳥居を挟んでケツァルコアトルの頭と、向き合っていたのであろう。・・
今朝のメッセージの映像に「西川良明氏」が登場して、「土地の売買に協力してくれ」との事を私に告げたのは、世界中の宗教の基盤と成っている「七回半トグロを巻く大蛇」の神(はたらき)が、本格的に動き出す事を示唆しており、「此処が旅人の最終地」であると告げられた高平岳の参道入り口の石碑の存在が、世界中に認知される時節が到来したとの事が示されて来ており、昨日アドバルーンが揚げられる映像が映し出されて来たのは、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神・白山権現菊理姫」の動きが、激しく成る理・ことを示して来ているのであろう。
其れに、今朝の映像で、私の母親が女神の右胸部分を抱きかかえて居た場面と、私と一緒に旅をする若者の左足が切り離されていた場面の事を考えると、35年前に私の頭が切り離される映像が映し出されて来た事た事や、マヤ・アステカ文化で、生きた人間の心臓が神(チャックモール)に捧げられていた事と関係が有り、「白山権現菊理姫・くくる神」は、其の神(はたらき)を「括り直す・再編」させる事を示して来ているのであろう。
そして、其の菊理姫の気持ちを汲み取らなければ、此の現在の近代文明は間も無く滅び去るとの事なのであろう。
キー「チョイサヨ チョイサヨ めでたいなー めでたいなー」
「菊理姫の解体作業」https://green.ap.teacup.com/20060818/5110.html
2006/9/9本日9月9日は「重陽の節句」である。其れに、「ククリの日」で「白山権現菊理姫」にも関係が有る。「ククリ」とは、神霊界と人間界が「結び合う・括り合う」との意味であろう。・・
霊夢の中で、「白龍」が私の身体にトグロを巻いて来て、私の左手の掌の上に、丸い地球を乗せ、管理する様に云い、私の頭を切り離して地球と重ねてしまい、私の胴体の上には、龍神が自分の頭を据えてしまったのである。
其れは、身体は自分の物だが、其の胴体には「白龍」が巻き付いており、頭は龍の頭と取替えられ、自分の頭は、地球として左手の上に乗っていると言う、説明し難い有様である。
其れは、不思議な感覚で、自分の頭が地球で、身体とは分離されており、自分の意識は屋久島の岩山を通してでなければ、肉体に還れないのである。
私は、自分の意識に辿り着く為には、宇宙から地球に帰り、屋久島の花崗岩の岩を経由しなければ、手足の付いている肉体には帰れないのである。
其れは、自分の意識が自分ではなく、何か得体の知れないモノと掏り替っている事に成る。
今朝、明確に成って来たのは、其の得体の知れないモノとは「ククルカーン」なのである。ククルカーンとは、アステカの神で、8段積んだ石のピラミットの階段から、地上に降りて来る水を齎す大蛇である。
其の、8段の階段の段差に出来る隙間の三角部分が、蛇のトグロを巻く7つの空間なのである。・・・
「自分の中に住む白蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
今朝のビジョンに、地球のマグマが上昇した穴の存在が映し出されて来た事は、天空の「空」の漢字が「穴+工」の組み合わせで、空に穴を開けるとの意味なので、天空の神(はたらき)に対する「地空の神(はたらき)」の存在が示されて来ているのではないだろうか。
「空・クウ・そら・あく・あける・から」【解字】形声。「穴+工」音符の工は、のみなどの工具でつらぬくの意味。つらぬいた穴の意味から、むなしいの意味を表し、転じて、そらの意味を表す。また、工は広いの意味。広い穴、そらの意味とも考えられる。
【字義】@そら。おおぞら。「天空」Aむなしい。㋐ない。㋑何もない。つきる(尽)。とぼしい。㋒うそ。実がない。「架空」㋓さびしい。ひっそりする。㋔かいがない。無駄である。Bむなしく。むだに。いたずらに。Cむなしくする。㋐からにする。㋑うつろにする。Dから。うろ。からっぽなこと。Eおおきい。Fひろい。G道家思想でいう虚無。H虚心のさま。I仏。世の中のすべての物事は因縁によって生じる仮のすがたで、実体がないということ。⇔有。「色即是空」国語。@あく。すく。また、あける。からになる(する)。Aそら。いつわり。「空涙」 漢語林より
今朝、地球の穴が映し出されて来た事と、8時16分頃に地震が発生し、私が時刻を確認した時の時間が8時18分であったのは、私が時刻・数字を確認する時に合わせて、地球が自分の身・巳を震わせている事に成る。
何故かと謂うと、是まで私の動きと地震の発生が同調・シンクロしているので、確かに私の身体は、白山権現菊理姫が管理していると言う事に成るからである。
2003/4/7・・私が、日聖氏に「私が大事な人に出会うと 地球が喜んで 何かを起こすのです」と謂うと、突然、日聖氏が「あんた 今日の新聞を読んだか」と訊くので、私が「いいえ」と応えると、「今日の新聞に 昨日 長野で山崩れが起きた記事が載っている」と謂う。
時間を聞くと、其れは、私が気に成って、時計を見た頃の時刻であった。
その事で、私は、石垣さんと矢追日聖氏が、神にとって大事な存在である事が判かったので、一目置く様に成ったのである。・・・
「正傳矢追日聖」https://star.ap.teacup.com/170606/210.html
2016/10/2・・私が、1987年10月1日に、「スピリチュアルタイム」の会合を11月21日に開催する事を意い付いてから、昨日で、丸29年が経過した事に成る。
「一世一代」の言葉に使用されている「世」は、「三十 三廿」の意味であり、人生50年の時代では、男の働き盛りは「三十年間」であると考えられていたのであろう。其れを考えると、「スピリチュアルタイム」の世界と言うか、動きは、其の一世を迎えている事に成る。
其の「スピリチュアルタイム」を決めた切っ掛けは、私達二人が29日には町田市の「山川拡矢・亜希子」夫妻の御自宅に泊めて貰い、30日は埼玉県熊谷市に泊り、1日は前橋の石垣氏の友人の家に止めて貰う事に成り、布団も敷いていたのだが、私に危機感が襲って来たので、石垣氏に「此処には泊まれない」と謂って、其の家を飛び出して赤城山に向かった時である。
其の危機感は、アメリカの大都市「ロサンゼルス(ロスアンジェルス・男の天使達)」で1987年10月1日に、16年ぶりに起きた大地震の波動に因るモノである事が判った。
其れを考えると、一昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、地中に存在するマグマの存在が、とても重要な物である理・ことが示されて来た事と関係が有り、人間の精神・意識(スピリチュアル)と「時間・タイム」に、地球の「マグマ・核」が関係が有ると言う事になる。・・・
「酉の時・トリのトキ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4006.html
2019/9/30「素足で地球にアース」https://green.ap.teacup.com/20060818/5131.html
これ等の事柄を考えると、今朝の地球の内部に通じる穴の存在は、昨日強く示されて来た「123」の数字が、私が平内の自宅で1時23分に起こされた事と関係が有り、其の自宅が東経130度30分の線上に近い事と関係が有り、私と由香が二人で、其の東経130度30分の位置線である屋久島奥岳の縦断を、2003年8月18日に行った事が有り、三年後の8月18日に「ククルカン・ケツァルコアトル」の顔と、釈迦ブッダの涅槃の足が映し出されて来た事が関係有るのだろう。
2003/8/22今月18日の朝、7時に自宅を出発して、19日の午後4時半に、永田集落のバス停が有る永田橋に下山した。
お盆を含め一週間悪かった天候が、18日に回復したので、岡山の伊丹さんと二人で、島を縦断する為に出発した。
淀河登山口を8時に出発し、花之江河〜 黒味岳〜 宮之浦岳〜 永田岳(一泊)〜 鹿之沢〜 永田バス停の行程である。
私の登山歴は、宮之浦岳に中学一年14歳の時、学校の遠足で小杉谷の分校に一泊して登り、次は昭和35年・16歳。
花之江河は、昭和48年夏・26歳が最後である。
だから、宮之浦岳には42年振りに登った事になる。
17歳の秋に、父親が亡くなって農業を継いだので、遊んでいる余裕が無くなってしまったのである。
長年、屋久島の地図を見ながら、一度だけでも、自分の生れた島を、安房から永田まで縦走して見たいと念っていたのである。
私は、日本国中は旅をしたが、自分の生れた島の、中心を貫いた事が無いのである。島に生れ育った人でも、年配の人達は、縄文杉に行った事の有る人は少ないし、まして、奥岳を縦走した事が有る人は稀である。
東京生まれの人が、東京タワーに上った事が無いと言うのと同じ事で、地元の人間は、いつでも行けるのだから、其の内にと想っている間に、月日が経ってしまうのである。
私も今回も、伊丹さんが「縦走したいので 案内してくれ」と、云って来なければ、一生、念いが叶う事は、無かったかも知れない。
山中で一泊する事になるので、食料と寝袋と雨合羽をリュックに詰め、記録を撮る為にビデオカメラとカメラを準備した。淀河・黒味岳・宮之浦岳と、写真を撮ったりビデオを回したりしながら歩いたので、永田岳に着いたのは、夕方5時過ぎに成った。其れで、初めての道なので、暗く成ったら危険だと意い、永田岳頂上の岩窟にて一泊する事にした。
岩窟には、永田の住民がお祭りしている山の神様の祠があり、その祠の横の平らな部分で、寝る事に決め、夕食を済ませた。
午前中青空で、見通しも良かった山頂も、黒味岳を過ぎ、宮之浦岳に差し掛かる頃には、南の方から、山の斜面を上って来たガスで被われ、周りの景色が見えなくなった。其のガスも、夕食が済む頃には、空気が冷えて来て、風の強さで何処かに消えてしまい、眼下に、永田の集落が見え、街灯の灯りが光り出した。
海上には、口永良部島を土台にして、雲が立ち上がっており、その雲の上は夕日に染まり、紅色に光り輝いている。
足元の切り立った岩壁の下は、黄昏の空とは対照的に仄暗く、岩肌には白い靄(もや)が棚引き、木々のシルエットが浮かび上がっている。
1886メートルの山頂から、一気に駆け下る視界は、屋久島でも永田岳一ヶ所だけである。その神秘的なパノラマに、意識を奪われていると、Tシャツの上に合羽を着ただけの身に震えが来たので、慌てて岩穴に帰り、寝袋に潜り込んだ。
岩窟の中が暗くなるほど、頭上の岩の隙間から見える「北斗七星」の光が輝き出し、6万年振りに近付いた、火星のある満天の星空を、見たいとの気持ちはあるのだが、ヒューヒュー鳴っている風の音を聞いていると、身体の震えの事を思い、外に出て行く勇気の無いまま眠ってしまった。
朝6時頃、外に出て見ると、屋久鹿の家族が、目の前で、屋久笹の葉を食べており、太陽は既に雲の上に昇り、島の峰々は、朝の光に照らされていた。
東の方を見ると、私の産れた松峰の裏山である「明星岳(ボツタケ)」651メートルも、斜め向うに小さく眺められる。
子供の頃から、明星岳にはよく登り、山頂から島の奥岳を眺めていた。
今回は、子供の頃とは反対に、永田岳から、朝日に照らされてキラキラ波頭が光る海原を背景に、黒いシルエットで浮かび上がる、明星岳を眺める事となった。
16歳の夏、宮之浦岳山頂から眺めた明星岳と、40年経って、56歳の夏に眺める故郷の明星岳は、その佇まいを、何も変えてはいないだろう。
今朝、40年前のその時、山頂の岩に座っている写真を、アルバムを取り出して見ると、未だ、あどけなさの残る16歳の少年である。
一年後父親が亡くなって、責任重大に成る事の予感も、無かったであろう。
今回、永田岳の山頂から40年振りに、自分の意識のフィールドの中に立つ、シンボルの山を視ながら、何も変化していない自分を感じた。
40年の歳月には、説明し難き、様々な事柄が詰まっている筈である。
其れが、熊笹だけが広がる、山頂の岩の上に座って、景色を眺めていると、何も浮かんで来ないのである。
人間にとって、山の存在とは何なのであろうか。
古代から、山の峰は、信仰の対象とされ続けて来た。
其れは、何かが在るからなのか、何も無いからなのかが、良く解からなく成って来た。何も、無いからこそ、人間が神の叢祠を設置する事が、許されて来たのだろうか。山の存在とは、人間に、何かを齎(もたら)すものではなく、人間の魂を空白にして、源点に返すものなのかも知れない。
自然の営みから外れてしまった人間社会は、人間が、脳で生み出した現象ばかりの世界である。其の中で、生れ育った人間は、頭がゼロ(空白)に成る事は無い。
男性が、神社で白装束に身を包んでも、女性が結婚式で白無垢の花嫁衣裳を身に着けても、今や其れは、恰好だけで、意義の伝承が守られていない。
白い布に身を包むとは、自分の魂を一度空白にして、純粋な気持ちに返って、新しい現象を受け入れて行く事である。
私は今回の山登りで、16歳の私と、40年経過した56歳の私は、根本的な処は、何も変わっていない事を自覚することとなった。人間の意識の構造は、情報を記憶する仕組みと、絶えず、真白の空白に保つ仕組みが、両方完備されているらしい。
普通の人達は、詰め込む事を善とし、空白になる事を、良くない事としているのだ。昔の人は、自分を空白にする事で、神意が、自分の内に入り込んで来ると考えていた様である。
私には、永田岳頂上の岩倉の中で、漢字二文字が現れたが、その漢字自体も忘れて思い出さない。
今日で、山から下りて三日目と成るが、意識は未だ、空白のままである。
思い出すのは、淀河から、縄文杉への整備された歩道ではなく、その道から外れて永田岳へ続く道と、永田岳から鹿之沢へ続く荒れた山道である。
熊笹に被われた道には、雨水で洗い流された、深さ2〜3メートルの穴が至る所に開いている。一人で落ち込んだら、這い上がる事が出来ない所もある。
宮之浦岳を後にし、永田の村側に下るまで、誰一人も出会う事は無かった。
同行者の伊丹さんも、私が話し掛けなければ、自分から、何も言い出さない方だったので、前を歩く私は、自分の思考だけで、進んでいく事が出来たのである。誰とも会わず、何も話さず、初めての道を歩くその行為は、自分の意識を浄化するのに役に立ったのだろう。
沢の水を、ペットボトルに汲み換えながら、進んで行くのだが、幾等飲んでも汗に成って出るので、トイレに行く必要も無い。それだけ飲む、水の量の多さも、身の穢れを浄化してくれたのであろう。
何度も、山道で出会す屋久鹿も、互いが気付いてから、顔を見合わせて、見詰め合っていた。人間が、次に動き出さなければ、しばらくは目の前に立って、此方をジィーと見ている。
永田岳を7時17分に出発して、永田橋のバス停に着いたのは16時47分だったので、丁度9時間半掛かった事に成るが、途中の川で、一時間程水遊びを楽しんだので、8時間ぐらいの道程だろうか。
私は、荷物を背負っての、登山は始めてである。弁当だけを持って登り、帰りは手ぶらで走り下る登山とは、三倍程の時間差が在る。
今回は、特に撮影が有ったので、景色もゆっくりと眺めながらの、行程と成った。下山して、バスが発車するまで、一時間程時間があったので、酒屋でビールを買って、永田の村の中を流れる冷たい用水路に、登山靴を脱いで、熱った足を浸しながら飲んでいると、雲が掛かっていた永田岳の山頂の雲が切れ始め、全体が現れて来て、9時間半の道程の距離が把握出来た。
私は、此れから、島内一周の案内をする時に、永田岳に登った体験を話す事が出来ると思った。
島の奥岳が、直接里から望めるのは、この永田地区だけである。
山頂が隠れない内にと意い、ビデオと写真を撮った処で、丁度バスの発射時間となり、他には誰も居ないバスに二人で乗り込み、車中の人と成った。
「念願の屋久島縦断」https://moon.ap.teacup.com/20061108/444.html
此の文章を今読み返して見ると、其れから16年半が経っている事が判り、其の頃の意識状態は、現在の私には無い。
其れが、人間の頭脳の仕組みを表しており、人間の脳はPCの仕組みと同じであり、生活の場である環境が変われば過去が消えて行くモノ(仕組み)であり、時々過去を思い出して情報を上書きしなければ、自分が何物であるかが定かではなく成って行く物である理・ことは顕である。
其の仕組みを、良いモノとする事が禊ぎ祓いの儀式・世界であり、其れを行って覚醒・成仏に成功したのが釈迦ブッダや、イエスキリストである。
しかし、本日が三月の上の「巳」の日に行われていた「春禊ぎ」の日である事を考えると、中国の誰かが、其の理に気付いていた事に成り、春の禊ぎ祓いと、7月14日の「秋禊ぎ」の日を決めた事に成る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「まかお・真顔」とは、「春」の漢字の象形が「日(太陽)+艸(草)+屯(むらがる)」である事と関係が有り、其れは「春に太陽光が強くなり艸・草が群がり生える」との意味であるので、今朝告げられて来た真顔とは、丸い太陽の顔を示唆しており、「向日葵・炎のリング・ククルカンの顔」を示唆しており、夜明けを知らせる雄鶏や朱雀・鳳凰の概念とも通じている事になる。
2019/9/30・・此の文章には、「・・私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まった・・」と書いて有るので、今朝「地球にアース」との言葉が告げられて来たので、起きてPCを立ち上げると時刻が9時1分であった事と関係が有りそうである。・・
此の二つの文章のテーマを繋ぎ合わせると、「初めての事を 切り開く能力・ちから」と成るので、12日に告げられて来た「セット・レバー」との言葉と関係が有り、明日10月1日から、何かの神事が開始されると言う事なのではないだろうか。・・
其の映像は、玉突き台の数倍有る広さの台に、赤い火星を思わせる様な色の「ピンポン玉・ゴルフボール」位の大きさの球が、何千個も隙間無く並んでおり、隙間は手前の穴の周囲だけで、残り10個程が枠内に入れば、自動的に、増えた分だけ穴の中に落ち込んで行く事が理解されて来た。
昨日は、其の映像が何を示唆しているのかを考え続けていた。
そして、今朝のメッセージの映像は、私がトイレの便器の下を見ると、其の下は糞尿が満杯に溜まっており、お釣りが跳ね返る事が判ったので、外に出て様子を確かめると、其れは学校のプール程の大きさが有るコンクリート製のタンクであり、少しでも雨が降れば、降った分だけ溢れ出す事が判った。・・
其れに、其の祖母は1999年5月3日(103歳4ヶ月)で亡く成っており、其の命日「5月3日」は憲法記念日であるので、今朝の映像で其の祖母の棺が台の上から床に傾いて落ちていた場面は、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」が地に落ちる寸前である事を、示唆しているのであろう。
其れを考えると、憲法で「政・まつりごと」に天皇の「詔勅・みことのり」が禁止されている事を取り消し、本来の天皇の役割を復活させるか、「政教分離」に従い、国政から天皇家を分離して、民間の神社庁で「伊勢神宮」及び「天皇家」の面倒を見る体制に変革する必要が有る事に成る。
其の様にすれば、現在年間170億円(プラス大嘗祭の経費)も掛かっている・使っている「天皇家」と「宮内庁」の税金も必要では無くなる事に成る。
今朝のメッセージの映像で、私が体験していた世界こそが、本来の「現人神(あらひとかみ)・統尊(すめらのみこと)・大君」の神界(はたらき)を示しており、其れが「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の神事の真実である事に成る。・・・
「素足で地球にアース」https://green.ap.teacup.com/20060818/5131.html
何れにしても、今朝のメッセージは、昨夜風呂で告げられて来た「明日から分かる」と告げられて来た事と関係が有り、人間と神(はたらき)の真実関係が示されて来た事に成り、昨日告げられて来た「関欠」の部分が、是から補われるとの事なのではないのだろうか。
令和2年3月3日
礒邉自適
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