言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/5/23
瞳孔が開かないうちに
2・5・23
今朝のビジョンには、縁側の「沓脱石・靴脱石(くつぬぎいし)の横に、五色に煌めく「麻の葉模様」に透かし彫りされている「水晶・石英・大理石」製の様な四角の、美しい履物入れの器(籠)が置かれている場面が、映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は蘭科の植物が一株引き抜かれて、地面に置かれている場面が映し出されて来て、其の根株の中に、玉羊歯の様に、一個の白い鶉の卵の様な形の物が着いている映像が映し出されて来て、其の球は成分が「珪素・シリコン・シリカ」であり、中には人間の脳細胞の様な物が詰まっている事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は意識の中核(潜在意識)に「青紫・菖蒲色(しょうぶいろ)」の光体が籠っている映像場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は6時1分に成る所であった。
其れから再び眠ろうとすると、其の青紫の色彩・光体が意識から外れないので、起きて時計を見ると、時刻は6時13分であり、PCを立ち上げ昨年の6月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/6/1今朝のメッセージの映像には、「女神・観音菩薩」を一体含む九体程の神仏の「存在(働き)」が、一枚の紙か額の様な物に表現される場面が映し出されて来た。そして、其れが消えた後か、其の世界(額)の裏側なのかは判らないが、白い空間に、紅色系の牡丹(ぼたん)の様な花が、表現できない程の美しさで満開に咲いている場面が映し出されて来た。
そして、私は其の神仏・観音の働き・存在が表現される「曼荼羅・マンダラ」の様な世界が、私の意識を此処まで育てる為の背景に有った理・ことを、理解して居た。
其れで、其の存在に感謝の念が湧いて来て、其れを表現する言葉として「謝霊」との文字を考えて居ると、蚊の羽音が耳元で聴こえるので、右手で追い払おうとすると意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「6時53分・7時7分前」であった。
其れからPCを立ち上げて、「牡丹」と「曼陀羅華」を調べると、次の様に載っている。・・
此の説明からすると、昨日のメッセージで「ひこ 是で始める」と告げられて来た事と関係が有り、本日6月1日から、天界が「曼荼羅華」の様に開いた・開く事が示されて来ているのではないだろうか。
かい‐びゃく【開×闢】[名](スル)
1 《古くは「かいひゃく」とも》天と地が初めてできた時。世界の始まりの時。「開闢以来の出来事」
2 信仰の地としての山を開き、あるいは初めて寺院などをつくること。また、その人。開山。「高野山開闢」
3 荒れ地などが切り開かれること。
「土地、これに由 (よ) りて、次第に―し」〈中村訳・西国立志編〉
此の開闢の説明からすると、昨日のメッセージの映像に、大きな「招魂木・おがたま」が一本伐り出されて、其れを中央の柱として、三層・三階建ての施設を造る為の桁(けた)を嵌め込む切込みが為されている場面が、映し出されて来た事が関係有り、其れは、天界(宇宙)の「神霊・如来」の働きが、三層の舞台として、参集すると謂うか、動き出す事が示されて来ているのではないだろうか。
其れに今朝、蚊の羽音で起された時刻が「6時53分・7時7分前」であったのは、7月7日が七夕である事と関係が有り、天の川(銀河・星雲)の存在と「招魂木・おがたま」の概念が関係有るとの事なのではないだろうか。
其れは、御神木(ツリー)やトーテンポールの概念が世界中に存在する事と関係が有り、人間の意識を天神と結ぶ為には、重力(G)に逆らって天空に伸び上がる樹木の存在・姿が欠かせないとの理・ことにも成るのだろう。
「チベットマンダラ」の始まりは、大きな樹木の幹の中央に「釈迦牟尼世尊」が座って居る姿が描かれている物であり、次が、其の釈迦の左右に二体の如来・菩薩が座る構図と成り、現在の両部曼荼羅へと発展(複雑化)して来ている。
キー「木の上に釈迦仏陀」
其れに、私が屋久島から自分の荷物を全部、現在の自宅に運び込んだ日が2012年7月7日であるので、今年の7月7日で丸7年とも成る。
昨日告げられて来た「是で始める」との言葉は、愈々お膳立てが整ったとの事なのかも知れない。
其れを考えると、「招魂木・おがたま」の棚段の仕組みを、考える必要があるのかも知れない。
今朝の文章の題は「謝霊」にしようかと想ったが、美しい牡丹の花の様子から「曼荼羅華」とした。
「曼荼羅華」https://green.ap.teacup.com/20060818/5008.html
此の文章の内容から、私の意識に浮かんで来る物は、昨日の「水府」のメッセージと「椨・たぶ(木の府)」の文字の関係である。
何故かと謂うと、私を「須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした御神木が生えている出雲の「下佐世神社」に、霊夢で案内したのが宝船に乗る「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」であり、北海道の女性を屋久島の椨川神社に呼び出したのが、「須佐之男尊・すさのおのみこと」であるからである。
「生命・いのちの尊さ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2787.html
其れを考えると、今朝のビジョンで縁側の沓脱石の横に置かれていた、麻の葉模様に刳り抜かれている美しい「水晶・石英」の履物入れの存在は、「色・rūpa・ルーパ・縁起」の世界を示唆しており、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」と「須佐之男尊・すさのおのみこと・(スサ・苆の緒)」が縁(人脈)を招集するトキが来た事が示されて来ているのではないだろうか。
そして、私の意識の中核(潜在意識の奥)に「青紫・菖蒲色」の光体が籠っていたのは、中国の皇帝の背後である「北極星・玄武・妙見」や「紫微垣・しびえん」の世界に関係が有り、私の意識の集中(統尊の御嚴・御稜威 ・みいつ)が必要不可欠であるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝のビジョンに蘭科の植物の株の中に一個の鶉卵の様な球体が有り其の中には脳細胞の様な物が詰まっており、其れが「珪素・シリコン・シリカ」であるとの事は「ブッダ・覚醒者・成仏者」の第三の目(松果体)と関係が有りそうである。
何故、其の球が蘭科の植物の根株に着いていたのであろうか。
漢語林で「蘭」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「蘭・ラン(艸・草+闌)」。
「闌・ラン」【解字】形声。「門+東」音符の東は、袋に物をとじこめるさまにかたどる。門でさえぎりとじこめるの意味を表す。また爛に通じ、たけなわの意味をも表す。
【字義】@たけなわ。さかりの時。まっさかり。また、さかりを少し過ぎたころ。Aたける。さかりになる。Bてすり。欄干。Cさえぎる。また、防ぐ。Dつきる。終わる。すがれる。Eみだりに。勝ってに。Fものの形容。→欄干。 漢語林より
此の「闌・ラン」の漢字の説明からすると、現在の人間社会は宴・盛りが過ぎたとの事であり、其れを意味する為に、蘭の株が土中から引き抜かれていたのであろう。
そして、其の根株の中に、一個の鶉卵の様な形の球が有り、其の中身が人間の脳味噌の様な物で、其れが「珪素・シリコン・シリカ」が成分であると言うのは、第三の目が宇宙とチャネルした「ブッダ・覚醒者・成仏者」が、縁側で人材・仲間を集めるとの事であり、沓脱石の横に置かれていた麻葉模様に透かし彫りされた履物入れの籠は、様々な縁者・仕事・職種・技能者が招集される事が、示さされて来ているのであろう。
其の様に考えると、私は是まで以上に意識を集中する必要があり、「土肥無庵」に謂われた「低圧者不相手」の言葉を固く守る必要が有り、ISO・感度を高める為にトランスの電圧を高める必要があると言う事に成る。
其れを考えると「菖蒲・ショウブ」が日本語では「あやめ・文目・綾目」である事が関係が有り、私は自分の瞳孔を強く絞り込む必要がありそうである。
【瞳孔(どうこう)】または瞳(ひとみ)は、眼の虹彩によって囲まれた孔である。瞳孔は光量に応じて、その径を変化させる。瞳孔径の変化は、網膜に投射する光量の調整に寄与する。
*瞳孔の構造と肉眼像 「虹彩」も参照
瞳孔は虹彩によって周囲を囲まれた孔である。瞳孔は水晶体の前方に位置する。ヒトの瞳孔はほぼ正円形である。正常なヒトでは、両眼の瞳孔の大きさは、ほぼ等しい。
物体側から見た瞳孔の像は、角膜による屈折を受けた瞳孔の虚像である。この像を入射瞳と呼ぶ。入射瞳は実際の瞳孔よりも大きい。瞳孔径を計測するとき、入射瞳の径を瞳孔径として記載することがある。
瞳孔は黒く見える。これは、瞳孔よりも後方にある網膜色素上皮が光を反射しないためである。つまり、網膜色素上皮は光を吸収するため、瞳孔を通じて網膜へ入射した光が反射することはない。
*瞳孔の機能 「縮瞳」および「散瞳」も参照
ヒトの場合、瞳孔径は2mmから8mm程度の間で変化する。明所では縮瞳が生じ、瞳孔径は小さくなる。暗所では散瞳が生じ、瞳孔径は大きくなる。
瞳孔径の変化は、網膜に投射する光量の調整に寄与する。このことは、カメラの絞りに類似する。
瞳孔径は網膜像の質に影響する。瞳孔径が大きいと、収差により網膜像は劣化する。瞳孔径が小さいと、回折により網膜像は劣化する。このことは小絞りボケに類似する。瞳孔径が小さいほど、焦点深度は大きい。つまり、物体側での被写界深度は大きくなる。
*瞳孔径の調整「外眼筋」、「縮瞳」、および「散瞳」も参照
副交感神経系は瞳孔括約筋をコリン性に興奮させることで、縮瞳を生じる。交感神経系は瞳孔散大筋をアドレナリン性に興奮させることで、散瞳を生じる。ただし、瞳孔散大筋のコリン性の抑制が報告されている[1]。また、瞳孔括約筋のα受容体を介した興奮とβ受容体を介した抑制が報告されている[2]。
散瞳は交感神経系の作用による。散瞳に関連する交感神経中枢は視床または視床下部にあるとされる。中枢からの線維は、脊髄(C8-T1)の毛様体脊髄中枢に達する。その後、上頚神経節で節後ニューロンへ乗り換え、瞳孔散大筋を支配する。
散瞳は眼瞼裂の拡大とともに生じうる。
縮瞳は副交感神経系の作用による。網膜からの光刺激による求心性情報は、視蓋前域のPON(pretectal olivary nucleus)へと伝えられる。PONニューロンはエディンガー・ウェストファル核(EW核)に投射する。EW核からの遠心性線維は副交感神経性の節前線維である。節前線維は動眼神経とともに走行する。その後、動眼神経の下枝とともに走行して、毛様体神経節へ至る。その後、節後線維となり、瞳孔括約筋へ至る。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/05/現在
【文目(あやめ)】剣形の葉がきちんと並んで生える葉の様子から、文目(筋道、模様の意)の名がついたと言われる。
「綾目」とも書く。花弁の基の黄色部分の縞(しま)模様を「綾目」の字で
表現した。
其れに、今朝起こされた「2時13分」「4時13分」の数字から、今年の2月13日と4月13日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/2/13・・今朝のビジョンでは、人間の背丈の10倍以上有る皇帝ペンギンの様な巨人が前を歩き、其の後ろを、普通の人間が二人、男子・女子の順番でトボトボと歩いている場面が映し出されて来たので、其の場面に答えのヒントが有るのではないだろうか。
其れは、人間の男女とも、得体の知れない存在の後ろを付いて歩いて居るだけなので、其の巨大の存在の後ろ姿しか見えていないのだから、前方に何が有るのかは判らないし、其の巨人の顔さえ、どの様な物・姿であるかも、全く判断・理解できない儘で生きている事に成る。
其れは、例えて謂うならば、都会育ちの人間は、アライグマやヒヨドリは可愛いい写真の被写体であっても、農家にとっては作物に被害を与える存在であって死活問題であるので、自分の個人的な立場では、物事の全容を正しく認識できない理・ことと同じであり、我々は、個人的な立場でしか、物事を認識出来ていない事に成るからである。
其れ等の事を考えると、昨日のメッセージで「地球の緯度」の事と「役所」の存在が映し出されて来た事と関係が有り、我々は未来社会の創造を始めるには、先ず、現在の人間社会がどの様な様子・曼荼羅に成っているかを、知る・調べる必要が有り、其の事が上手く出来なければ、全人類が、平和で豊かな生活を送れるビジョンは描けないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。・・・
「触れていない世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/5272.html
2020/4/13今朝のビジョンは、先ず、牧場等の人間が自然破壊をした土地に、杉や檜などの針葉樹だけではなく、様々な木々の苗が植え付けられている様子が映し出されて来た。
次に、屋久島の西部の村である「栗生」集落に住んで居ると言う、60歳位のの大人物の存在が登場して、私が其の人物に会うと、私の気持ちとしても、其の男性なら、親分として世に出しても良いと意い、新しい御世創りをする為の資金を、どの様にして集めれば良いかを考え始めていた。
そして、其の大人物の顔が、下から見上げる様な感じで瞬間だけ覗き見えた。
其の顔はアジア人の顔ではなく、面長の顔で堀の深いアラブの王族の様な顔であり、年齢を重ねているせいか頬が少し欠けた感じに見えた。
是で私は、老子・釈迦・イエスに続いて、写真の無い「須佐之男」の顔を見せて貰った事に成る。
そして、其の西部の栗生集落の事を考えて居ると、屋久島の東西南北の集落に、同じ様に、未来創造の為の人材が居るのではないかと想い始めて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が由香と二人で、姉妹らしき女性が経営する喫茶店に着席して居る場面が映し出されて来て、店のカウンターの横に、サトウキビの汁を煮詰めて、ザラメ状にしている機器が動いているので、私は自分の実家が製糖工場であった事から、其れを懐かしく思い、其のザラメの様な物を注文をして居た。
そして、今朝起きた時刻は7時22分であった。
今朝のメッセージは、私にも能く判らないモノであるが、屋久島の西方の集落に住む大人物と、新しい御世創りの資金の必要性を考えると、中国の四神の西方の守護神が「白虎・びゃっこ」であり、「道路・経済・商売」に関する神(はたらき)なので、先ず、新しい経済の道筋を開く必要性が有るとの事なのかも知れない。
其れに、起こされた時刻が6時13分であるのは、昨年の6月13日のメッセージのテーマが「切り開く能力・ちから」であるので、此の私が、何らかの事を考え出す・創出する必要があるとの事なのかも知れない。・・
此の文章の内容から考えると、是までの出来事が、全て腑に落ちる様な気がして来た。其れが、36年前に別れた儘一度も会っていない、息子・長男の誕生日である事を考えると、「約束は守られる」と告げて来た「ククルカン・ケツァルコアトル」の言葉も信じられる様な気がする。
其れに、今朝のビジョンで、私と由香が二人で喫茶店に親しく座って居り、砂糖キビを煮詰めた物を注文して居た場面は、私が子供の頃から、砂糖キビを煮詰める為の薪を集める、父親の作業を手伝って居た事と関係が有り、其の姉妹は木の苗を育てる作業を手伝って居た「須佐之男尊」の娘二人「大屋津姫命・おおやつひめのみこと」「都麻津姫命・つまつひめのみこと」を登場させて来た事に成りそうである。
其の様に考えると、親しくして居た場面は、由香の実家が、母親である櫛稲田姫が祭神である稲田姫神社の参道沿いに有る事と関係があり、2700年の時空を超えて、物語・ストーリが復活して来ている事にも成りそうである。
其れを考えると、今朝のビジョンは、矢張り「宇宙・虚空」の世界が開いて来たモノ・現象であると、言う事に成るのではないだろうか。・
「虚空菩薩の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5332.html
此の文章には「須佐之男尊・すさのおのみこと」と「起こされた時刻が6時13分である」と書いて有るので、今朝のメッセージは、やはり「スサ・苆の緒の尊」に関係が有りそうである。
其れに、今朝起こされた時刻が「2時13分・4時13分・6時13分」であったのは、昨日起こされた「2時19分」「4時19分」「6時19分」から、6分早い時刻と成り、19の数字は「いく・行・幾」と読めたが、13の数字は「13・いみ・意味」と読めるし、13も素数である。
其れを考えると、私は「麻の葉模様」に透かし彫りされた履物入れが置いて有る縁側が有る建物施設の存在を、捜し出す必要があるのではないだろうか。
令和2年5月23日
礒邉自適
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