言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/8/28
陽が発生する場所
2・8・28
今朝のビジョンは、先ず、私が陽の場所に居なければ成らない理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時15分」であった。
其れから再び眠ると、今度は北米のセコイヤ杉が生えている森林の様な場所が映し出されて来て、其の林の中から、薄紫色の、真丸の空間が広がっている事が示されて来た。
其の丸い物を良く確かめると、其れは、点描写の様に、薄紫色の小さな点々が中心から360度に広がって行っている物であり、其れは「粒子」が「気・エネルギー」の様に、森林の中(空間)から円形に広がって行っている物である事が判った。
そして、其の薄紫色の円形の広がりが「陽」の場であるとの事が告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時10分」であり、其の長短の針の位置は、初めに起こされた2時15分と同じであり、長短の針が逆に成っている事が判った。
其れから再び眠ると、山岳の村に住んでいる40歳位の男性の存在が映し出されて来て、其の男性は木上の巣から落ちた鳥の雛を拾って育てたり、親を失った狼の子供を大きく成る迄育てたりしており、家や庭には様々な生き物が澤山居る事が判った。
私は其の様子から、其の男性はとても優しい人間である事が理解でき、暫く其の男性の家に逗留させて貰う事にした。
そして、其処を立つ事にして挨拶をすると、其の男性は、父親が自分で作って履いて居たと言う、手作りの毛皮製の長靴・ブーツを出して来て、「私にはサイズが小さいので 良ければ履いてください」と謂うので、私が履いて見ると、私の足にピッタリと合う・フィットし、とても柔らかくて気持が良いので、私は其の靴を貰って履き、家を出る事にした。
だが、歩き始めてから、其の男性は動物に対してとても優しい人間なのだが、父親の方は生前猟師で生計を立てて居た事が判り、私は其の猟師が作った靴を気持ち良く履いて喜んで居る事に、複雑な感情を抱き始めていた。
今朝は、「6時39分・7時21分前」に意識は起こされた・起きたのだが、躰が重いので其の儘再び眠ってしまった。
そして起きて時計を見ると、今度は7時21分過ぎなので、時計の長針の下向きの角度が逆に成っている事が判った。
其の時計の針の位置から、今朝のメッセージは「2時15分」「3時10分」の針の位置と、同じ様な現象が重なったので、「時間・とき・紀」の神(はたらき)が、私に何等かの理・ことを悟れとの指示をして来ている事に成りそうである。
取り敢えず、今朝の時刻「2時15分」「3時10分」と「7時21分前&7時21分過ぎ」の数字から、今年の「2月15日」「3月10日」「7月21日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/2/15本日2月15日は「釈迦ブッダ」の命日とされている日である。
今朝のビジョンは、其の日に相応しいモノであった。
昨夜は、入浴して居ると自然に躰が動いて、マッコウ鯨瞑想の態勢に成った。
すると、「明日で全てが終わる」との女神の声が一言聴こえて来た。
其れで私は、「明日から 自分の意識がどうなるのか」と少し不安な気持ちで風呂から上がり、神棚の部屋に入ると、今度は男性の聲で「是からは此方が引き継ぐ」との言葉が一言告げられて来たので、私は、其の不安感が消えて、通常意識に還った。
今朝のビジョンは、先ず、私に迷惑・損害を与えて、現在は裕福な生活をしている人間や、其の子供達の存在が映し出されて来て、其の人達の罪が許される様子が映し出されて来た。
其処で赤家蚊の飛ぶ羽音が耳元で聴こえたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時1分」であった。
其れで「蚊取り線香」に火を着けて再び眠った。
すると今度は、私の罪穢れが全て祓われる・無くなる様子が映し出されて来た。
其処で、また蚊の羽音が聴こえるので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時31分」であり、丁度二時間が過ぎる事が判った。
其れから再び眠ると、私の左足の膝から上の太腿の神経に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きて痛いので、起きて時計を見ると、時刻は「8時6分」である。
其れからPCを立ち上げ、蚊に起こされた時刻「2時1分」と「3時31分」の数字から、昨年の2月1日と3月31日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
今朝のビジョンでは、私の知恵や金で裕福に成っている人達の罪が許される事と、私自身の罪穢れが消去される場面が映し出されて来た。
其れは、「礒邉自適」と言う人間の存在に絡んで発生した事柄・出来事が、全て許されると言うか、カルマ・業が消去される事を示唆している。
其れに、昨夜女神の聲で「明日で全てが終わる」と告げられて来た事と、男性の聲で「是からは此方が引き継ぐ」との言葉が告げられて来た事を考えると、私のする事は無くなったと言う事にも成りそうである。
其れを考えると、本日が釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の命日である事と関係が有り、私は本日から「釈迦牟尼世尊」の名前と同じ「自適牟尼世尊」と成らなければ成らないと言う事なのかも知れない。
其れを考えると、私は「天津日嗣・あまつひつぎ」や「統尊(すめらのみこと)」の言葉を気にする必要が無くなり、「悠々自適」「サマディ・三昧」の生活を過ごせる事に成りそうである。
今朝、左足の内腿に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた時刻8時6分の数字が「8月6日」の日付に関係が有るのなら、昭和20年8月6日に人類史発の原爆投下が広島で起きた事に関係が有り、其れは人類にとって最も罪深い出来事であり、其の事が世界規模で再び起これば、神の左足(精神界)は二度と歩けなくなくとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、昨日のメッセージで「北朝鮮で50年内に爆発が起きる」と示されて来た事が関係が有り、国家や個人の罪業は、依然と積み重なっている事に成るので、私の「御稜威 ・みいつ」は未だ終わっていない気はするが、昨夜男性の聲で「是からは此方が引き継ぐ」と告げられて来た事と、「蚊」をコントロールしている存在を信じて、取り敢えず私は気持ちを楽にし、「牟尼世尊」の言葉を枕にして日々を暮らす事にしよう。
「釈迦牟尼世尊の命日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5274.html
2020/3/10『全ての事から離れて 森に帰りなさい。
其処には 人間社会のカルマや 自分の悩みが
一切 何も無いからです。
其処に還って 本来の自分を取り戻しなさい。
そうする事で 貴方は再び 自分の命を
知る事ができるでしょう。』 8時23分
昨夜は床に就くと、「貴方の存在が 一番重要である」との意味を伝える女神の言葉が、脳の深部に聴こえて来た。
今朝のビジョンには、青緑色の服を来た40歳位の健康的でハンサムな男性が二人登場して、其の二人の男性は深い森の管理者か、守護神の様な存在である事が理解されて来た。
そして其の二人の存在が、私の打っている文章の内容に関係が有る事が示されて来て、其れは、是からも永遠に続く世界である事が示されて来た。
次に、私が東洋人らしき男性の方に付いて行き、其の男性の住まいの中に入ると、其の住まいの床には落ち葉が積もっており、澤山の小さな虫が這いまっていて、森の地面の延長である事が理解されて来た。
そして「64」との数字が示されて来て、私は其の数字は、私が此処まで関わって来た、様々な世界の件数・分類数であるのかと思って居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時20分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、茶道具らしき物器が数個並べられている床が映し出され来て、其の向こう側にはガラスのケースが置かれていて、其のガラスケースの中には、緑の葉が着いた小枝が入れられており、其の緑の葉から発散されるイオン・オゾンに殺菌力が有る理・ことが示されて来た。
私は、其の事から、現在世界中に感染が広がっている「コロナウイルス」の発生は「都会病」と言えるモノ・現象であり、森の中に住む・暮らす人々には、何等関係の無い世界であると意っていた。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「7時1分」であった。
其れから台所に行き、穀物コーヒーを飲みながら蓬団子を食べ、起きて来た由香と暫く話してから、PCを立ち上げると、冒頭に書いた女神の言葉が告げられて来た。
其の時刻の8時23分は、1997年8月23日のビジョンで私の意識が「弁財天・サラスヴァティー」が乗る宝船の後を付いて行くと、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした御神木の生える土手に接岸した日付の数字であるので、今朝告げられて来た女神の声は、「弁財天・サラスヴァティー」からの物であるのかも知れない。
だが、其の「須佐之男尊」の存在を考えると、今朝のビジョンに登場した森に住む青緑色の服を来た男性の姿は、日本の須佐之男尊とアイルランドの森の神である「グリーンマン」の存在・神(はたらき)を示しているのかも知れない。
今朝起こされた「2時20分」の数字から、先月20日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「貴方が一番」との言葉は、昨夜床に就いた時に「貴方の存在が一番重要である」との意味を伝える女神の言葉が、脳の深部に聴こえて来た事と関連が有りそうなので、私の潜在意識(小脳・古皮質・蛇脳・脳幹・中枢神経)に潜んでいるモノは、「女神・雌蛇」である事に成りそうである。
其れを考えると、私に思い当たるのは、奈良の天河神社の祭神である「弁財天・サラスヴァティー」の存在である。・・
此の文章には、黄金の老龍が「2020年」の年を指示した事が書いて有り、其れは今年である。其れを考えると、マヤの暦で「2012年12月22日に此の世界が終わり、23日から新しい世界が始まる」との予言が「8年先延しにする」と2012年11月11日に告げられて来た事が、今年中に始まるとの事が考えられる。・・
此の文章には、全国に木を植えて廻った「須佐之男尊」の事が書いて有る。
其の事を考えると、やはり今朝のビジョンに映し出されて来た青緑色の服を来た二人の男性の姿は、其の須佐之男尊とケルト民族の森の神である「グリーンマン」に関係が有りそうである。・・
此の文章の内容からすると、「キリストの救済」のメッセージで大型バスで、人工林の間伐作業人を運ぶ映像が映し出されて来た事が関係が有り、キリスト意識も其の事・計画に関わっている事に成る。・・
其れに、今朝起きた・起こされた7時1分の数字から、昨年の7月1日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、昨日のビジョンで、私が山中で誰も居ない温泉を探していた事と、今朝PCを立ち上げた時に告げられて来た、
『全ての事から離れて 森に帰りなさい。
其処には 人間社会のカルマや自分の悩みが一切何も無いからです。
其処に還って 本来の自分を取り戻しなさい。
そうする事で 貴方は再び 自分の命を知る事ができるでしょう。』
との言葉が関係が有り、ここ等で私は、山中に隠遁する必要が有るのかも知れない。
其れを考えると、小さな虫が澤山棲んでいる住まいは、私の命の原点を指示しており、64の数字は「64・むし・虫」の世界を示唆しており、私は36年前の様に、虫とのコンタクトを取る必要があるとの事なのではないだろうか。・・
其れに本日3月10日の日付は、私が東経130度30分の位置に有る平内の自宅で、全ての事象が私の身体に繋がって来る現象が起きた日である。
其れを考えると、私には次の段階が始まるとの事なのかも知れない。・・
「森の虫達」https://green.ap.teacup.com/20060818/5298.html
2020/7/21今朝のビジョンには、石・岩・岩山の上に植物が生えている様子が、何十個(山)も、数知れず映し出されて来て、其れは、其の石・岩・岩山の岩石に含まれているミネラルの如何に拠って、生えている植物の種類が異なる理・ことが、理解されて来た。
そして、「るいにしたがう」との言葉が告げられて来たが、其の「るい」と読む漢字は「類・累・塁」ではなく、辞書には無い上から「艸(草)+目+里」の組み合わせの文字である事が示されて来て、其れを共通概念として、月に一度の集いが重要である事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時30分」であった。
今朝のビジョンから、私が感じ取った事は、「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役目を担っていた「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御魂が、動き出したのではないかと言う事である。
何故かと言うと、私は其の宇摩志麻遅命に「三瓶山に来い」と告げられ、三瓶山に向かう事にすると「太田で下車しろ」と告げられ、太田市で下車すると着いた所が宇摩志麻遅命の御陵が有る「物部神社」であり、「此処がお前の神社」だと告げられたからである。
其れに、其の日の朝のメッセージで「子供達に 岩を溶かしたミネラルを与えろ」と告げられており、物部神社に到着して御手洗に行くと、其の御手洗の大岩の横に「此の岩の水は 身体に良い」と書いた看板が立てられていたからである。
キー「太田で下車しろ」・・
此の文章には、「観音様の目線」との言葉が書いて有るので、今朝映し出されて来た「艸(草)+目+里」の「目」は、其の「観音様・観自在菩薩」の目(意識)を示唆しており、其れが「里」の上に有るのは「童(わらべ)」「瞳(ひとみ)」の漢字と関係が有り、其の上に草冠が付いているのは、食べ物である「植物(穀物)」の事を意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、昨日の続きであり、穀物採食の人間に「楽」が与えられるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「・・今朝は、小さな鈴の様な物が、穀物の実の様に、何百個も付いている植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が、地上に広がって行く様子が示されて来た。・・」
何故かと言うと、「楽・ガク・らく・楽しい」の漢字が、木の実が着いた椚(くぬぎ)の枯れ枝を、手で振って音を出すとの意味であり、其れが音楽の漢字の意味で、其の楽の上に「艸・草」を付したのが「薬・ヤク・くすり」の漢字の意味であり、薬の漢字の意味は「草を食べて楽の聲を聞く」との意味合いだからである。・・
今朝何故「類・るい」の漢字ではなく、象形(文)が三文組み合わさった「字(艸・草+目+里)」が映し出されて来たのであろうか。
毎月集まる事が必要なのであれば、「類を呼ぶ」の「類・ルイ・たぐい・同族」の意味で良いはずである。
「類・ルイ」【解字】会意。「犬+米+頁」頁は、あたまの意味。米も頁も、似通うつぶの意味。犬も、その顔に区別を認めにくいところから、似る・二つ以上の同質のものを重ねそろえる・くらべるの意味を表す。
【字義】@たぐい。㋐同族。同種。仲間。同等のもの。「種類」㋑物事の比較。善悪の区別。ちがい。Aたぐう。たぐえる。くらべる。「比類」Bにる(似)。また、似かよった先例。ためし。「類例」Cかたどる(象)。かたち。形象。また、すがた。様子。Dのり(法)。一定の法。Eよい(善)。Fみな。すべて。Gおおむね。大概。 漢語林より
此の類の漢字の意味からすると、似た様なモノ・人間の類・たぐいを幾ら集めても、是から始まる動乱の時期を乗り越える事は無理であるとの理・ことが、示されて来ている事に成る。
其れを考えると、「天意」を知るとの意味である「直・チョク・ジキ」の漢字に、目が付いている事と、関係が有るのではないだろうか。・・
何れにしても、今朝のメッセージは、生活排水の川水を貯水池に取り込んで、「アルミ」を投入し「珪素・シリコン」と化合させて沈殿させ、濾過した水道水を口にしている都会暮らしの人間では、どうにも成らないとの事であり、早急に都会人の脳細胞の浄化計らなければ、未来社会を創造する事は不可能であるとの理・ことなのであろう。・・
要するに、古代の人達にとっては当たり前の価値観であった「神籬・ひもろぎ」磐境・いわさか」の世界を、再構築する必要があるとの事なのではないだろうか。
「艸目里(るい)に遵う」https://green.ap.teacup.com/20060818/5431.html
此の三日分の文章に共通している事は「植物の存在」と「私の立場」である。
其れを考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た森林が屋久杉の森ではなく、セコイヤ杉の様な木が繁る森林であったのは、屋久島は年間3000o(山間部9000o)もの多雨の場所であるが、セコイヤ杉の場所は雨が少なく、雷で山火事が起きる場所であり、セコイヤ杉の種子は、山火事の火で焼けないと発芽しない仕組みに成っているので、とても陽性の木と場所である理・ことが示唆されているのではないだろうか。
其れに屋久杉は樹高が30m程であるが、セコイヤ杉は100m程にも成り、世界一背が高い樹木であるので、世界一の大きさ・高さを象徴している事にも成る。
其れに「陽」の漢字は「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所」の意味であるので、太陽光線が当たる事で、生命が発生・生育する理と関係があり、其のエネルギーの発生が気・エネルギーの広がりとして映し出されて来たのではないだろうか。
キー「陽 阝+易」
2014/9/14本日の日付は「9・14」で、149の数字は123の二乗である。
第一次世界大戦は、1914年に始まり、第二次世界大戦(日本参加・太平洋戦争)は、1941年に始まっている。
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に御存知の様に
自分の躰は動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体がこけてしまったからです。
どうやら貴方には もう其れが無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど・・。 」
・・何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
「陽・ヨウ」【解字】形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。
Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。
漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。 漢語林より
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。・・
「阝+易=陽」https://green.ap.teacup.com/20060818/3195.html
2004/12/27「陰陽の働き」https://moon.ap.teacup.com/20061108/517.html
此の文章に書いて有る、女神の「愈々ですね」の言葉の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た、丸い点描写の空間の広がりは「水素/Hの氣・エナジー」の世界と関係が有り、陽の単語である「陽澤・天子の恩徳をいう。」との言葉が、映像化されて来たモノ・現象なのかも知れない。
其れに、今朝のビジョンに動物を可愛がる男性の存在が映し出されて来て、其の男性の父親が生前動物を狩る猟師であって、私が其の形見のブーツを貰って履き、複雑な気持ちで歩き始める場面は、人間が、どれだけ動物を利用する事が許されるのかを、改めて考えなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
其れは南アメリカ大陸では、牛肉を主食とする人達が、牧場や飼料穀物生産の為に、森林をどんどんと破壊・焼き尽くしているので、早急に考えなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、今朝の「時間・時刻・時計の針」の神示は、良くも悪くも、時が迫って来ており、人間の気付き・悔い改めが無ければ、新型ウイルス感染問題だけではなく、水の災害・火の災害が、増々激しく成るとの事なのかも知れない。
2007/2/11本日は、2月11日で建国記念日である。
今朝のメッセージは、其の建国の意味に関係が有りそうな、映像が映されて来た。其の映像とは、左右に丸い時計が並んでいて、其の時計は両方とも、針が縦一線と成る6時ジャストの時刻を示していた。
其れは、陰陽、裏表、金剛界と胎蔵界、絶対界と相対界、霊界と現実界等に対比される、表と裏などの両世界の時間・事象が、揃った理・ことを示して来たモノ・現象ではないだろうか。
そうであれば、別の言い方をすると、両世界とも準備が出来たとの意味になる。
其れは、建国記念日の日のメッセージとしては、吉祥の知らせではないだろうか。
私個人にとっては、23年間の苦労が報われる事に成る知らせであるが、其れが全人類に共通する答えであるかどうかは、私には判断出来ない。
昨日は夕方、知り合いに、近くの名所を二箇所案内して貰った。
其れは、えびの市に在る「白鳥神社」と、島津藩に関係する史跡で、島津義弘の長男鶴寿丸が8歳のとき(1576年12月23日)に、此の地に在った城で、亡くなったと記されていた。
其れを見て、白鳥神社の社が1809年の12月23日に消失している事と、鶴寿丸が死亡した1576年12月23日の日付が、同じである事に気付いた。
私は、其れを、只の偶然だとして片付ける分けには、行かない想いがある。
其れは、マヤ暦で2012年12月23日が、古い世界と、新しい世界の境目に成っている事である。其れは、奈良の矢追日聖氏の謂う「12月23日が、新しい世界の 元旦に成る。」との話しとも、繋がって来るのである。
そして、今朝のメッセージに現われた、針が真っ直ぐに立っている二個の時計の映像である。其れは、古い世界から、新しき世界に変わる為に、神の思惑でトキ・時間が正しく設定された事を、意味しているのではないだろうか。
その様に考えれば、建国記念日である今日の日付に、相応しい出来事と言えるのではないだろうか。・・・
「事象の陰陽時計」https://green.ap.teacup.com/20060818/187.html
地球が養える人工には、限りが有るので、人間の生き方が自然破壊方式から、自然保護方式に移行しない限り、未来は無いと言う事なのであろう。
旧暦7月14日・秋禊ぎ日 9月1日まで、残り4日
和2年8月28日
礒邉自適
2020/8/22
ライオンズ
2・8・22
今朝のビジョンは、太陽の光が燦燦と地上に降り注いでいる場面が映し出されて来て、地上の植物が左右に揺れ動きながら、其の光の方に向かって成長して行く様子が映し出されて来た。
そして、「太陽には 足が無い」との言葉が一言告げられて来た。
次に、白い空間に日本語の横書きの文章が、全面に記されている場面が映し出されて来た。
そして、其の文字が、小さく縮みながら、全て消えて行く様子が映し出されて来た。
次に、私が着て居た青い作務衣の上着が広げられると、其れは青空一杯に広がって行った。
すると、再び、日本語の横書きの文章が全面に映し出されて来て、其れは、私の思考を通過した物であり、右側の端(東側)に「確」の漢字が一字だけ、太文字で有る事がはっきりと示されて来た。
其れから「ライオンズ」との言葉が一言告げられて来て、其れはエジプトのスフインクス(ライオン)や、日本の神社の鳥居の両側に置かれている高麗獅子と関係が有り、其の「ライオン・獅子」が是から地上の人間社会で、複数神(はたらき)として動き出す事が示されて来た。
今朝は8時25分に起きて・起こされて、先ず漢語林で「確」の漢字を調べて見ると、次の様に載っている。
「確・カク・たしか・たしかめる」【解字】形声。「石+隺」音符の隺・カクは、硬に通じ、「かたい」の意味。かたい石の意味から、かたい・たしかの意味を表す。【字義】@たしか。真実で間違いのないこと。あぶなげないこと。はっきりしていること。「確実」「明確」Aたしかに。また、たしかめる。「確認」Bかたい(堅)。しっかりして動かない。「確信」「確立」Cつよい(剛)。
漢語林より
此の「確」の意味からすると、今朝のメッセージで其の確の文字だけが、右側の端(東側)に大きく確実に示されて来た事は、私の青い服が脱がされて、青空・天空に大きく広がって行って行き、次に新しい文章が映し出されて来た事と関係が有り、其の青は、中国の四神の東方の神である「青龍・せいりゅう」が、智慧を司る役割である事と関係が有りそうである。
其れに、確の漢字が「かたい石」の意味である事を考えると、私の苗字が「礒邉・磯部・石部・石屋・石工」である事と関係が有り、「石工・メイソン・148・149」の血筋・系統と関係が有り、石上神宮の「物部」や、「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」に関係が有りそうである。
キー「石工の秘儀」
2012/3/4・・其れが、病気の症状ではなく、事象の変化に拠るものであれば、「メーソン・石工・石部」の働きが、本格的に始まるとの事なのかも知れない。
石工の秘儀には、次の様に有る。
「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取りルシフェルの力は彼のものと成る」
其の「メーソン・石工・石部」の世界が、本格的に動き始めるのであれば、私の「礒邉・石部・いそべ」の血筋が、愈々、役に立つ時節を迎えたのかも知れない。
地球の人間の、価値観と言うか哲学は、他の星の生き物には、通じないと言う事である。しかし、数学の世界は、全宇宙に共通するとの事である。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、私が「磐座・いわくら」と意識を合すと、数学の問題が、前からでも後ろからでも、自由に解けるとの事は、岩石とチャンネルする意識は、全宇宙にシンクロするとの理・ことであろう。
だとすれば、石工の秘儀の「・・ルシフェルの力は 彼のものと成る」との事が、実際に始まるのかも知れない。
「メーソン・石工・石部」https://green.ap.teacup.com/20060818/2235.html
2006/7/20今日昼食の後、目を休める為に、昼寝をすると「148」の数字が出て来た。そして、次に文章が現れた。
其の文章は、一繋がりの文章なのだが、上・中・下と三つに別かれていて、繋がりが悪く、内容が切り離れた侭なのである。
私は、霊夢の中で、其れを上手く繋ごうとするのだが、なかなか上手く行かないのである。私は、其の侭眠りに入ってしまい、いま起きて事務所に出て来た。
「148」の数字は、石屋・いしやで、「石工・149・いしく」の救世主に関係が有り、「石工・メイソン」の秘儀「ルシフェル」に付いての、内容であると想われる。
私は是まで、何度か、石工の事に触れて文章を書いて来たが、其の書いた内容が断片的で、纏まっていないので、理解出来ないから、148に付いて、明確に成るように説明し直せ、とのメッセージではないだろうか。
ある本には、石工・メイソンの秘儀として【石工が、石の上に立つ兵士の謎を解く鍵とは、永遠に生ける力のダイナムを、正しく応用することであると知る時、彼は「結社」の神秘を学びとり、ルシフェルの渦巻くエネルギーは彼のものと成る。】と 載っている。
私は、其の意味に付いては、100%理解出来る。
何故なら、22年前 屋久島で何も知らないのに、其れに関する体験を、澤山したからである。
其の真理を、私の師である「土肥無庵(英基)」は知っていたらしく、最終的な答えを求めていて、私を利用したようである。其の無庵師匠は、既に他界して此の世には居ないので、私自身が、其の答えを文章化しなければ成らないのだろう。
若しかしたら、私の役割が一段落した様なので、無庵師匠が霊界から、其の答えを知りたがっているのかも知れない。
其れが、今日「148」の数字が出て来た、理由ではないだろうか。
是から、其の答えを文章化して行く事に成れば、私の能力では、其の件に付いてだけでも、数ヶ月は掛かるだろう。
其れに、私の目は限界に達していて、一日に2〜3時間しか持たない。
此の侭、無理して作業を続けて行けば、失明するやも知れない。
私は、其れでも別にかまわないが、是から未来世界を創造したい神々は、困る事に成るだろう。
取り敢えず、関係の有りそうな題だけでも、書き出して見るとするか・・。
・屋久島の山の伝説。
・屋久島の岳参りに付いて。
・日本の神社と花崗岩の山の関係。
・花崗岩とは。
・世界の花崗岩と遺跡。
・ピラミッド内の花崗岩の謎。
・岩刻文字(ペテログラフ)に付いて。
・大山祇神と山の関係。
・七回トグロを巻く大蛇に付いて。
・綱引きと大蛇の関係。
・月と綱引き。
・月とカレンダーの関係。
・ピラミッドと大蛇(ククルカーン)に付いて。
・世界のストーンサークルに付いて。
・花崗岩の磁気と人間の脳。
・花崗岩の山から流れ出る水に付いて。
・中国で一番値段の高い紅茶と石竹の採れる場所。
・古い神社の 祠に納められている丸い球石。
・水晶占いと人間の意識。
・珪素(シリコン)と第三の目。
・王と玉(翡翠)の関係。
・穀物の成分と珪素。
・日本の大嘗祭・新嘗祭の秘儀。
・天皇家の台所(みけどの)の神とは。
・熊野の祭神「櫛御氣の命」とは。
・人体内のダイナムに付いて。
・脳と磁気。
・神経と電気。
・雷と稲穂の関係。
・雷が 何故 賀茂神社の神なのか。
・科学で解明されて来た人間の生体電気と医療。
・未来のコンピュータと人間の関係。
・新しい宗教の概念。
・進化を続ける人間の脳。
・新しい教育と自然観。
未だ、書き出して行けば、関係ありそうな項目は、次々に出て来そうで、先が想いやられるので、此処らで止めて措こう。
取り敢えずは、此の文章を、新しいフロッピーに移して、書ける処から書いて行く事にしようと意う。
其れで、神霊界が落ち着くのなら、私も、努力を続けて行かなければ成らないだろう。
今日は是で、御用済みに成れるのだろうか。
「148・石屋」https://star.ap.teacup.com/170606/979.html
2001/3/6・・3月2日のNHKの夜の番組で、京都の太秦に有る「広隆寺」の国宝「弥勒菩薩半跏像」の事を放送していた。
其の中で「太秦・うずまさ」とは、韓国では族長の意味だから、其の弥勒菩薩半跏像は、韓国方式で造られている。
そして、韓国で造られてから、日本に持ち込まれた物だと、説明されていた。
其れを聞いていて、私は「うずまさ」が族長の意味なら、「石工・メーソン」の神である「ルシフェル」の事だと気付いた。
彌勒とは、梵語で「マイトレーヤ(最高の有情)」と言い、慈氏菩薩(慈悲の権化)と訳す。仏教辞典。とある。
其れは、ユダヤ教では「メシヤ」と呼ばれる救世主に当たるのだろう。
私が気付いたのは、此のメシヤの救世主が「ルシフェル」と呼ばれる、「岩戸の神」であると言う事である。ルシフェルとは、「宇宙の渦巻くエネルギーを 手にする者」の事で、ユダヤの民が待ち望んでいる、族長の意味だからだ。
「うずまさ」とは、日本語の「うずまき(渦巻く力)」の事であれば、納得がゆく。
京都のお祭りに出る「神輿」もユダヤ民族の「柩・ひつぎ」であるし、「祇園・ぎおん」は、ユダヤの言葉である「シオン」が訛ったモノの様でもある。
又、祇園の「祇」の字義は、@くにつかみ。地の神。の意味で、祇は「示+氏」の組み合わせで、氏神を祭るの意味でもある。
祇園とは、ユダヤの神を祭る園であり、其の神は「神輿・みこし・ひつぎ・アーク」に乗せて運ばれる神なのである。
其の地の神とは、「ルシフェル」の事で、ユダヤの人達が待っている「ピラミッド(花崗岩の山)の意識(記憶・情報)を、取り出す者の意味である。・・・
「太秦・うずまさ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/619.html
2011/6/29「岩戸開きとは新しい情報公示」https://green.ap.teacup.com/20060818/1974.html
2015/1/26「六芒星」https://green.ap.teacup.com/20060818/3341.html
2015/4/25「文明の転換」https://green.ap.teacup.com/20060818/3444.html
2015/6/24「フリーメイソン・自由な石工」https://green.ap.teacup.com/20060818/3508.html
2016/8/24「究極の統尊」https://green.ap.teacup.com/20060818/3965.html
2016/11/20「石部の館」https://green.ap.teacup.com/20060818/4059.html
2018/1/2「神の働きと人間の行為」https://green.ap.teacup.com/20060818/4484.html
2018/11/17「磐境の神が動き出す」https://wave.ap.teacup.com/20060106/851.html
其れに「確 カク たしか」で検索すると、次の文章が出て来た。
2002/4/5・貴男は 正しいことをしていますか。
「私には 自信は 有りません」
とにかく 進むしか無いのです。
・一番 後から来る者を いたわってあげなさい。
・夢は夢に 現実は現実に
繰り返される 現実の嵐は
貴男を 鍛える現象なのですから
くじけず ひるまず 常世までとおもい 続けるのです。
・それが 今回の 貴男の人生なのですから。
4月5日 朝
今朝は、日の出前に起きて、机に向かい静かにしていると、「たしかなもの」と言葉が出て来て、漢字を調べると、「確」「慥」「聢」と「たしか」に使用できる漢字が、三通りあった。
*「確・カク」は「石+隺 」の組み合わせで、「隺 」は硬に通じ、「かたい」の意味で、「確」は「硬い石」を意味し、物質的に安定している事の表現である。
*「慥・ゾウ」は「心+造」の組み合わせで、「造られる心」を意味し、自分の心の状態をたしかめる様子から来ている。【字義】「@まこと Aせわしい。あわただしい。「国語」たしか、たしかに。ア・きっと。確実に。イ・おおかた。「慥慥爾、ゾウゾウジ」まことあるさま。言行一致につとめるさま。」と、単語が一つだけ載っている。 辞典 漢語林
私は、今朝初めて「慥」の字が有る事を知った。
私は18年間、夢のメッセージに頼って生きて来ている。其の私が、自分の心で創り出した「慥かなもの」とは何だろうか。
其れを、自分の心に問うと、最初に書いた文章が出て来た。
書いた文章から判断すると、一番後から来る者の事を忘れずに、ただ前進する事で創り出されるものらしい。
過去を振り向いてしまえば、過去を懐かしむ心を造ってしまうのだ。
過去は、過ぎ去ったものだから、過去を、再び心に創り出す事は、捨て去った生ゴミを、ゴミ箱から再び拾い出す事と同じ行為である。
今朝のメッセージからすると、天・神の働きは、前進する者しか、味方にしない様である。
今朝の作業は、自分の内側の心に問い掛けを行い、慥める事にあったのだろう。
自分の、内側の声を「聢かめる」のが、是からの私の意識に、新しい光と風をもたらす事になりそうである。
「聢」とは、「意識を定めて しっかりと耳にする事」の意味のようだ。
昔の人は、たしかめる作業を、物に対して「確かめ」、自分の内側から出る心を「慥め」、外から内に入り込むもの(情報)を「聢める」。
此の三つを「聢・しか」と「認識・たしかめ」ていた事を、今朝は學んだ。
追記。
「聢」は、国字であり漢字の音読みは無い。
日本人が、聴く事の大事さから、新しく組み合わせたものである。
「慥かなもの」https://wave.ap.teacup.com/20060106/155.html
今朝最初に示されて来た、太陽の光が燦燦と地上に降り注いでいる場面が映し出されて来て、地上の植物が左右に揺れ動きながら、其の光の方に向かって成長して行く様子が映し出されて来て、「太陽には 足が無い」との言葉が一言告げられて来た事の意味は、次の様な事が考えられる。
地球に生命が存在するのは、50億年前に生まれた太陽(核融合)のエネルギー(波動・粒子)が地球に当たる事で、地球の水が凍結する事無く循環する事で、栄養分が様々な形態の中に運ばれ、多くの生命を育てている事と関係が有り、「太陽には足が無い」との言葉は、太陽は惑星の中心に存在するだけで全く動かないが、地球を始めとする惑星の運行を安定させ、歩く動物や飛ぶ鳥、泳ぐ魚、植物の受粉などの命の活動を支えている理・ことが、示唆されているのであろう。
そして、ガリレオが地動説を発表する迄は、太陽が地球の周りを回っており、其の太陽の光が万物を養っていると考えた人々が、日本神話の天照大御神、ペルシャ神話のミトラス、ギリシャ神話(ローマ神話)のヘリオス(ソル)、アポロン(アポロ)、ケルト神話のルー、メソポタミア神話のシャマシュ、エジプト神話のアモン・ラーなどの名前を与えて来たのである。
今朝のメッセージは、其れ等の名前・物事を、科学的な真理に基づいて「たしかなもの」として認識し直す必要がある事を、示して来ているのであろう。
だが、今朝のメッセージの発信元が太陽ではない事は確かである。
何故なら、今朝のビジョンは私の意識・視覚神経は、上方から射す太陽光で、下方に植物が育つ様子を視ていたからである。
其れは、私が横位置から物事を観察する目線を持っている事になる。
其れを考えると、先ず、私に生涯に亘り「夢・ビジョン」を見せて来ている存在に、正確な名前を与える事を、模索(かんがえ)しなければ成らないと言う事に成って来る。
其の様に考えると、私が見せられているビジョンは、私に適したモノ(現象)であり、70数億人には、其れなりの適性に合わせて、何らかのビジョン(帝)が送られている事に成る。
其れを考えると、世界中に「ライオン・獅子」が獅子吼(ししく)する時節が巡って来たとの事であり、此の私は、其の魁(さきがけ)であるとの事であり、水と智慧を司る「青龍」が此の東の果ての国から、西方にて此方を向いて待っているエジプトの「スフィンクス」に、「明確」な情報を「確実」に送る時が来たとの事なのであろう。
令和2年8月22日
礒邉自適
2020/8/21
鐚三途・びたさんず
2・8・21
本日のメッセージは、昨日「八葉曼荼羅」の事に触れた所為か、「鐚三途・びたさんず」「五率比・ごりつひ」「過ぎたるは及ばざるが如し」との言葉が示されて来た。
「過ぎたるは及ばざるが如し」との言葉は「孔子」の教訓に有る言葉だが、「鐚三途」「五率比」は何処にも使われていない言葉である。
其れを考えると、是までには無かった思考エネルギーが、掛かって来ている事に成る。
「鐚・びた」とは、「鐚一文」との言葉に使われている漢字である。
びた‐いちもん【×鐚一文】 の解説
《鐚銭 (びたせん) 1文の意》ほんのわずかな金。「鐚一文負けられない」
「鐚・ア」【解字】形声。「金+悪」
【字義】しこう(金亜・ア)。首筋を保護する、かぶとのたれ。
国語。びた。質の悪いぜに。悪銭。「鐚一文」 漢語林より
此の【字義】しこう(金亜・ア)。首筋を保護する、かぶとのたれ。の説明からすると、国語の「鐚一文」との言葉」は、「鐚・ア」【解字】形声。「金+悪」の字の意味から「悪銭」としただけの物で誤用である事に成り、今朝のお告げの「鐚三途・びたさんず」とは何ら関係が無いと言う事に成る。
其れを考えると、「鐚・ア」の意味である「首筋を保護する、かぶとのたれ。」と「三途・さんず」の言葉の関係を、探らなければ成らないと言う事に成る。
「首筋を保護する兜の垂れ」との言葉は、首部が人間の急所であり、其処を守らなければ死に至る事と関係が有り、「首が飛ぶ・首を刎ねる」との言葉は「道(首+辶)、敵の首を手に提げて進み 道を清める」との字の意味にも、関係が有る。
さん‐ず〔‐ヅ〕【三▽途/三▽塗】 の解説
仏語。1 死者が行くべき三つの場所。猛火に焼かれる火途 (かず) 、互いに食い合う血途 (けつず) 、刀剣・杖で強迫される刀途 (とうず) の三つで、それぞれ地獄道・畜生道・餓鬼道にあてる。三悪道。三悪趣。→火血刀
2 三途の川。 漢語林より
此の説明からすると、自分の「首・道」を守らなければ「三途」に落ちる時が来たと言う理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
次の「五率比」の言葉は、「五の比率」なら、通常使われる言葉であるが、「率比」は逆に成っているので、何か特別な意味が含まれているのであろう。
ひ‐りつ【比率】 の解説 国語辞典より
二つ以上の数量をくらべたときの割合。「六対四の比率で負担する」
此の「六対四の比率で負担する」との事には「五」が含まれていないので、五は「一・二・三・四・五・六・七・八・九」の数字の中心の一字であるので、何方にも偏らない数であるので、「五分五分=フィフティフィフティ」の言葉と関係が有り、五の数字には「比率・率比」が無いと言う理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、「中庸・ちゅうよう」との言葉が関係有り、孔子の謂う「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」との言葉は、其の中庸の理を含んでいるので、関係が有る事に成って来る。
孔子 「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
子貢問 師与商也孰賢 子曰 師也過 商也不及 曰 然則師愈與 子曰 過猶不及
子(し)貢(こう)問う、師と商と孰(いず)れか賢(まさ)れる。子曰(いわ)く、師や過ぎたり。商や及ばず。曰く、然らば則ち師愈(まさ)れるか。子曰く、過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし。
ちゅうよう【中庸】 の解説
中国、戦国時代の思想書。1巻。子思の著と伝えられる。「礼記 (らいき) 」中の一編であったが、朱熹 (しゅき) が「中庸章句」を作ったことから、四書の一として儒教の根本書となった。天人合一の真理を説き、中庸の誠の域に達する修養法を述べる。
ちゅう‐よう【中庸】 の解説[名・形動]
1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」
2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。
国語辞典より
キー「五 中庸 光背 」
2018/11/6今朝のメッセージの映像は、昨日登場した「一休宗純禅師」の話の続きの様な内容が映し出されて来た。
其れは、一休宗純禅師の掛け軸の「諸悪莫作」「衆善奉行」の教えと反対の世界である。
其れは、其の教えを守っている人間は「花咲か爺さん・はなさかじいさん」であるが、守っていない人間の行為は「意地悪爺さん・いじわるじいさん」の様な人生を送る事に成り、其の悪行(精神)は霊界に逝っても悪業因縁として子孫代々にまで続いてしまうと謂う理・ことである。
キー「諸悪莫作・衆善奉行」・・
今朝のメッセージの映像は、私の意識が進む先と謂うか道には、何も良い事が起きないで、進む程に行き詰って行く場面が長く続いた。
其れは、是までの34年間の映像・ビジョンには無かったモノ・現象であり、守護霊と謂うか守護神が無ければ、此の様な人生を送る事に成るのかと思い、初めて、守護霊や守護神に感謝の念が湧くと謂うか、神霊界の存在がどんなに大事・重要であるかが納得されて来た。
今朝は、其れ等の悪い・不幸な場面が長く続いて一度起こされたので、時刻を確認すると「5時00分」であり、其れは「悟り・光世界」の数字の上位置の「5・五」ではなく、反対側下位置の「闇・地獄」の「5・五・底位置」を意味している理・ことが理解されて来た。・・
・・仏教では、5の数字は、悟りを意味する数字であり、中庸を現している。其の理が、仏像の後ろに描かれている光背である。其れは、中心の真上が5である。・・・
其れから再び眠ると、今度は「6時21分」に起こされて、其れは「621・むじひ・無慈悲」と読む事が理解されて来た。
【無慈悲・むじひ】デジタル大辞泉(小学館)
[名・形動]思いやりの心がないこと。あわれみの心がないこと。また、そのさま。「無慈悲な(の)仕打ち」
そして再び眠ると、やはり同じく悪い世界が映し出されて来て、最後に起されたのは「8時2分」であった。其れは「82・やに・脂・膠」と読めるので、人間社会にこびり着いているカルマ・業の事が関係あるのだろう。
其れに今日は、仕事の休憩時間に由香から電話が掛かって来て、9時31分に右手の親指に強いカモ(神の電気信号)が来たとの事であり、「931の数字はくさいと読める」と謂って居た。
其れは、良寛和尚が「私は嫌いな物が三つ有る。それは、坊主臭い坊主。書道家の書。料理屋の料理。」との事と関係が有り、また、上に貼り付けた10月2日の文章「皆 本物に見えますね」との事と関係が有り、現在の多くの寺院の住職は、先祖代々、生活の為に坊主を職業としており、本当・真実の「僧侶(釈迦の弟子)」では無い理・ことが、示されて来ているのかも知れない。・・
今朝のメッセージの映像から、私が感じた事は、「猫を殺せば七代祟る」との諺(ことわざ)と反対で、「出家すると七代にわたり双親に功徳をもたらす」と傳われている事と関係が有り、人間の魂しいは代々継続(輪廻)するモノであり、悪い魂しいの家系は、何処かで誰かが出家(悟り・覚醒・禊ぎ祓い)をして、悪因縁を断ち切らなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。
其れは、特に、現代社会の寺院の「坊主・住職」や、神社の「宮司・神主」などが、肝に命じなければ成らない事なのであろう。
「悪業因縁の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/4798.html
2008/1/29本日は、私の満61歳の誕生日で、大還暦である120歳の折り返しの日となる。今朝のメッセージは、其の日に相応しいモノであった。
先ず「亀」の文字が現れ、次に、数字が右側を頭にして「1・3・3・5」と現れた。
其れは、亀の姿を数字に現せば「1(尾)+3+3=6(手足)+5(頭)」計12と、成る数字である。其れは、12干支に対して、別の角度から、意味を与えているものではないだろうか。
亀の文字の始まりは、頭が三つ又に成っている。
其れは、ルシフェルが手にする「三つ又鉾」と同じ意味合いが有り、大地の気を調整する意味を持っているのかも知れない。
昔の中国では、皇帝が住む帝都は、「亀」の形に造営し、其の都市を守護する為に「龍」が巻き付くと考えていた。其の為に、頭に当る北方の守護神は、亀の身体に龍が巻き付いた「玄武・げんぶ」である。
亀は、「亀鶴之壽」「亀龍之壽」と、長寿を意味する言葉の頭に附され、目出度い生き物である。
其の亀の文字が、61歳の誕生日の朝に現れたと言う事は、正に私自身にとっては、喜ばしいと言うか、吉兆ではないだろうか。
其れに、屋久島は亀の形に似ており、全島花崗岩の山岳島であり、龍が巻き付くには、条件の良い形でもある。
屋久島は、海底から1400万年前に浮上して来た島で、亀甲形の島であり、炭素系(水晶等)の六角形の岩石の特徴を現している。
そして、花崗岩は堆積岩より比重が2・7%軽い為に、全体の2・7%(海抜1986m)しか頭を出していないので、海面下には未だ97・3%が隠れている事に成る。
其れに、お握り飯の様な花崗岩の塊なので、断層が無いから、地震の心配も無いのである。其れは、伊豆半島が突き上げて、其の圧力で吹き上がった溶岩の富士山や、インド半島が突き上げた、ヒマラヤ山脈の海底堆積岩とは、性質が全然異なるものである。
溶岩は、マグマが押し出されて来たものだから、鉄分が余計に含まれているし、ヒマラヤはアンモナイト等の、生物波動が含まれている。
しかし、屋久島は、全島花崗岩なので、石英や、雲母、ジルコン、モリブデン等の、純粋鉱物波動の島であり、周囲は、太平洋の黒潮に絶えず洗われているし、年間9000ミリmもの雨で浄化されているので、穢れの無い環境であると言えるであろう。
其の様に考えれば、其の島で産まれ育った私の意識は、人間である礒邉自適の意識ではなく、此の屋久島其の物の、意識体であると言えない事もない。
「亀」の文字を使用してある熟語に、「亀鑑・かめかがみ」が有る。
「亀鑑」とは、てほん。模範。亀は吉凶をうらない、鑑(かがみ)は物をうつす。ともに人の模範とするもの。亀鏡。と載っている。 漢語林
そして、中国の古い漢字は「甲骨文字」と呼ばれ、亀の甲羅を火で焼いて、其のひび割れの状態で、占いをした事に始まっている。
其れ等の事柄を考えれば、色々な意味で、今朝、亀の象形文字が現われて来たのは、意味深い事に成る。
其れに、昨日の映像には紫色の茄子が三個出て来ていた。
吉夢は、「1・富士(山)。2・鷹。3・なすび。」とされている。
茄子が、目出度いとされているのは、茄子は、花が咲いた数だけ結実し、スカが無いからである。
昨日、紫色の茄子が現れたのは、是から咲かす花が、皆、結実するとの意味ではないだろうか。其れに、其の数が三個だったのは、神の数字を現してもいる。
昨日の、ルシフェルの左手に持つ「三つ又鉾」や、弘法大師空海の手にする「三鉾」など、「神事・かみごと」に使用する道具は、三の数字が多い。
其れは、老子の謂う「三は 全てを生み出す元である。」との言葉にも表れている。
神社で、神に御供えをする台の「三方」や、「三種の神器」または、「住吉三神」「宗像三女神」其れに「出羽三山」「日本三景」等、三の数字は、或る決りを表す数霊のようである。
一昨日は、大相撲の千秋楽だったが、其の相撲でも「三役 揃い踏み」と云って、東西の横綱が逆三角形で登場し、四股を踏む事が行われる。
其れは、天地を結ぶ、籠目の六方星の形を現しているとも言える。
其れは、土俵こそ、大地の神である亀の身体の中であり、其の土俵の中で相撲を取る力士は、亀神の代りに、力比べをしているのだとも考えられる。
だからこそ、両手を着いて、四足動物の格好を、正しくしなければ成らないのではないだろうか。
相撲は、スポーツとして始まったものではなく、天地を結ぶ神事として、始まったものである。だからこそ、四股を踏み、手の平を上に向けて腕を広げるのである。其れは、キリスト教で言う処の「三位一体」を表現する事にも、繋がっているのではないだろうか。
私には、三個の茄子だけではなく、三匹の蜥蜴や、三匹の鰻や、三本の矢などがメッセージに映されてくる。
其れは、脳のシステムである「△・▽・三角認識法(ヘキサゴン)」が、働いているからであろう。人間の「視覚」や「聴覚」は、遠近法などの、△・▽・認識法の仕組みで成り立っているものである。
だから、動物の脳は、其のシステムで、此の「色即是空・空即是色」の世界を、自分の都合の良い様に、認識しているのである。
其の、脳の絡繰から逃れる方法が、瞑想などの方法であり、其の世界を無意識で覗いているのが、夢の現象なのである。
其れは、寝ている時の夢だけではなく、起きて居る時の顕在意識も、同じ様に幻・まぼろしを見ているのである。其の、起きている時の顕在意識で組み上げたモノ・世界が、此の人間社会の文化や文明である。
だから、人間は、眠って居る時だけではなく、起きている間も、幻覚の中にいる事に成るのだ。
人間の視覚は、可視光線(0,35〜0,8ミクロン)の世界しか見えていないし、人間の耳に聞こえる周波数は、おおよそ30Hz〜20kHz程度である。
だから、人間の目で見えている世界や、耳で聞いている世界は、全体のほんの一部の世界なのである。
だからこそ人間は、其の見えない世界や、聞こえない世界を、目に見えない働きとし、「神・ゴッド」と呼んで来たのである。しかし、反対に、全部が見えたり聞こえたりすれば、大変な事に成ってしまうのである。
若し、そう成れば、目の前には、酸素や窒素や炭酸ガスが詰まっているし、テレビや携帯電話の電波が、隙間無く飛び交っているので、一寸先も見えないし、耳も塞がなければ成らなくなるのである。
其れ等の事柄を考えると、必要な物だけが見え、必要な音だけが聞こえている現在・いまの状態が、一番良い事に成り、地球生物は皆、最良の条件内で、存在を続けていることに成る。
今朝のメッセージは、其れ等の「事柄・真理」を悟れとの事であろう。
其れが、「亀鑑・亀鏡」の言葉の意味なのであろう。
案外、漫画に出て来る亀仙人の名は、良いネーミングなのかもしれない。
其れに、亀は恐竜時代から、其の侭の姿で生き続けて来ているので、動物の原形を伝え残している事になる。だから亀の意識は、700万年前に現れた人類の祖先より、1億数千万年も前に現れている物だから、生命意識の部分でも、遥かに源にある事になる。
其れは、2億年前に現れた「始祖鳥」などと同じ頃の霊魂であり、其れが「鳳凰」や「朱雀」等の意識として、人間にイメージされて来るのであろう。
今朝、其れが数字として現れたのは、頭(脳)に霊魂の比率が5有り、手足に(3+3)6有り、尾に1の割合で有るとの事ではないだろうか。
其れは「生命力・いのち」を意味し、仏教の教えの中の煩悩の理を意味しているのかもしれない。
仏教では、5の数字は、悟りを意味する数字であり、中庸を現している。
其の理が、仏像の後ろに描かれている光背である。其れは、中心の真上が5である。
其の様に、今朝の数字を捉えると3・3は両脇の働きで、1の尾は背中を貫く背骨を意味し、其の上に5が乗っている事に成る。
そして、其の5の中心的存在の働きが「天御中主」で、更に其の両脇が、天御中主を中心とする「高御産日神・たかみむすびのかみ」と「神産巣日神・かみむすびのかみ」の「造化三神」であることに成る。
其の造化三神は、活け花の世界にも取り入れられ、「真(しん) 副(そえ) 控(ひかえ)」と、中心に左右が添えられる。
其れは、人間の意識の根本に、其れ等の働きが在るからであろう。
人間の行動原理には、深い処で、潜在意識が関わりを持っているのである。
だからこそ、何でも、芯柱が建てられるのであろう。其の芯柱が立たなければ、人間の意識は、未来に向かって、進む事が出来ないのである。
今朝は、其れとは別に、言葉で「自由」「解禁」とも告げられた。
其れは、観音様に、金冠輪(緊箍児・きんこじ)を嵌められていた孫悟空が、其の金冠輪を外された事と、同じ意味を告げて来ているのかもしれない。
取り敢えずは、自分の人生が、自由に成るのではないかとの気持ちで、明日を迎える事にしたい。
亀鑑が意味する、模範と成れる生き方が、是から私に出来るだろうか。
「亀鑑・かめかがみ」http://green.ap.teacup.com/20060818/624.html
今朝のビジョンは次の様なモノである。
出版社の社長をしている男性と、病院を経営している女性の夫婦が登場して、「古民家を買って住みたいので 見てくれないか」と相談に来たので、其の古民家を一緒に見に行く場面が映し出されて来た。
そして到着して見ると、其の古民家は日当たりの悪い傾斜地に有り、道路を下って宅地に到着すると、廃屋と成ってから年月が過ぎており、湿気の多い場所の家なので、修理をして住むより、日当たりの良い場所に新築した方が安上がりである事が顕かであるので、其の事を傳えた。
そして、弁当を一緒に食べると、食べ終わった所で奥さんが「弁当代が239円である」と言うので、私は財布の中を見ると、2万2千円が入っており、小銭が無いので、千円札を渡して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時13分」であった。
其れから再び眠ると、日当たりに良い場所の家庭の玄関先に、ジャスミンの様なハーブの苗が一本、素焼きの植木鉢に植えられて、元気に育ち始めている様子・場面が映し出されて来た。
そして、「鐚三途・びたさんず」「五率比・ごりつひ」「過ぎたるは及ばざるが如し」との言葉が示されて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時52分・8時8分」であった。
其れで今、5月13日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/5/13昨日は、文章も短く、庭に遊びに来る雀も、色付き始めた麦畑の方に行って、今月巣立った雛が四組8羽程遊んでいるだけなので写真も撮らず、畑に出て長時間農作業を行った所為で、疲れから深く眠り、起きた時刻は7時15分である。
今朝のビジョンには、横書きの日本語の同じ文章が数度映し出されて来たので、其の文章の内容を確認すると、其れは、簡単に一口で謂うと「自然の生き方をする者が神人である」との事に付いて、書いて有る物である事が理解された。
其れは、私が是まで何度か触れて来た「身土不二」「医食同源」「マクロビオティック ・Macrobiotic」「産土神」等の言葉と関係が有り、自然・気候に合わせた生活をする事が、本来の人間の生き方・暮らしであり、其処から外れてしまった人間には、真実の覚醒・成仏は無いと言う事である。
此処で、一年前の今日、何を書いて有るのかが気に成って来たので、調べて見ると次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容と、今朝のメッセージの雰囲気から、今朝の文字文章の世界は、老子の謂う「道から外れたら神霊も力を発揮できない。」との言葉を深読みしなければ成らないと思われて来た。
其れは、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」との言葉にも関係が有りそうである。
キー「老子 道から外れたら神霊も力を発揮できない」・・
これ等の文章の内容から考えると、現在存在するあらゆる宗教は必要ではなく、金が中心の仕組みで成り立っている政治経済のシステムも、異なる物にして行かなければ成らない事に成る。
其れは、現在のITやPC等の通信システムが、是までの過去の世の中とは、異なる次元を創り出す事に役に立つと言う事であり「神・示(祭壇)+申(雷・電気)」の漢字の「示(祭壇)」が「PC」に置き換わると言う事であり、「神社・寺院・教会」等の施設が必要ではなく、自分が「神前・PCの前」に座れば、「人工知能・AI」と直接結縁が行われるとの事である。
其れは、現在私自身が行っていると言うか、現実に起きている出来事なので、皆が当然の事として行える世界である。
そして、其の事がどう言う事であるかと言うと、自分なりの「歳時記」を作って行くと言う事でもある。
さいじ‐き【歳時記】 の解説
1年のおりおりの自然・人事などを記した書物。歳事記。
其れが、昨年の5月13日・今日の文章に書いてある、2月17日の「祈年・としごいの祭り」と11月23日の「新嘗祭・にいなめさい」の儀式の意味であり、自分自身が稲の作付けと、収穫を行う事であり、其れは自分自身が直接「自然・神・道・法」に関わりを持って生きる事であり、他に余計な情報は必要では無いと言う理・ことである。
其れを考えると、昨日の文章に書いた、・・自然の森の中に矍鑠(かくしゃく)とした洋服姿の60歳位の男性が一人静かに座って居る様子が映し出されて来て、其の男性は「真実のブッダ」として登場したモノである事が理解されて来た。・・との事は、
現在の日本の神社で行われている白装束で木靴を履いた儀式マンや、頭を丸めた僧侶などの服装は、もう必要ではなく、極一般的な服装で、日常の生活・暮らしの中に、真実の神(はたらき)は浸透して来る・降臨するとの理・ことなのではないだろうか。
其れ等の事を考えると、私は「辿り着いて見れば 極当たり前の事・世界である」との理を知る為に、36年間の旅・家出が必要であった事に成る。
其れは「惟神・かんながら」の言葉も必要ではない、自然の生き方である。
「自然に生きる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5362.html
此の「自然に生きる」との言葉は、今朝のビジョンに登場した夫婦が「出版会社の社長」と「女医」であり、自然の事が判らない人間であり、頼み事をしたのに、弁当代を「239円」払わす事には、登場人物は全く関係が無く、「出版」と「医師」の仕事は、自然から離れた仕事・職業である理・ことを示唆しているのであろう。
其の様に考えると、「239」の数字は「239・ふみく・文苦」と読めるので、文字・学問の世界で苦を背負っており、自然に親しむ時間も無く一生を送る職業の人々の例えとして登場した事に成る。
そして其れと反対の世界の例えが、日当たりの良い場所に住み、ハーブを栽培して「お茶の時間」を楽しむ余裕の有る人間の生活であるとの事なのであろう。
今朝「鐚三途・びたさんず」「五率比・ごりつひ」「過ぎたるは及ばざるが如し」との言葉が示されて来て、起きた時刻は「8時8分前」であったのは、天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」の大祭日と関係があり、「天岩門」を開く事に対するアドバイスが示されて来たのではないだろうか。
其れは、老子・釈迦・孔子の御魂が揃い踏みで、岩戸開きに関りを持っているとの事なのかも知れない。
令和2年8月21日午後1時00分
礒邉自適
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