言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/10/30
再録
2・10・30
今朝のビジョンは、私が全く会った事が無い40歳位の夫婦に、喫茶店の様な室内で、講演を依頼されている場面が映し出されて来た。
そして、お互いが合意できたので、広いレストランの様な会場で講演を行う事に成り、私が其の会場に早めに行くと、会場の床に丸い染みが彼方此方に有るので、私は其の床の染みを、ナイフかスプーンの様な器具で、削り始めた。
すると其れは染みではなく、着色の金属の床に貼られているシールの様な物であり、両手が接着剤でベトベトに粘着して来たので、手洗い場を捜していた。
其れから、客が集まり始めたので、私は着替えをしようとすると、私が持っている物は着古した藍木綿の作務衣の上着と、タオル一枚だけである事が判った。
そして、講演の準備が整って、私が会場を見渡して視ると、集まって居る人々は、皆薄暗い顔をしており、私の謂いたい事を理解できる様な人間が居ない様なので、私は話す気力を失ってしまい、講演を中止する事にした。
そして、其の建物から立ち去ろうとすると、私に講演を依頼した男性が「自適さんは 今日は何処に泊まるのですか。」と訊いて来たが、私は其の質問に応える事無く、其の場から去った。
そして、私は何も手にしておらず、ポケットに小銭も無いので、電話も掛けられない状態である事が判った。
其処で照明を点けて、其れが夢である事を確かめ、再び眠った。
すると今度は、「三つの重要事」を検討しなければ成らない事が示されて来た。
私は其れに対して、先ず「地球の自転」がなければ、暦・カレンダーが作れないし、地球の太陽光線が直射する場所は高熱と成り、裏側は凍りついてしまうので、生命が存続できない理・ことを考えた。
其れから幾つかの事を考えて居ると、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時41分・7時19分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は朝日が当たって逆光に成っている木々の枝に、雀の群れが戯れながら飛んでいる様子が映し出されて来て、雀の広げた羽根が白く透けて輝いて見えるので、私は其の美しい景色に見とれて居た。
そして、私は聖書に記されているイエスキリストの言葉(例え話)を、思い出していた。
すると、其の雀の様子を観て居る女性(女神)の右顔(モノクロのデッサンの様な感じ・60歳程)が、左側に在る事が示されて来た。
私が其の女性が誰なのかを想うと、其の女性は「白川家」の娘さんである事が示されて来た。
其れから「再録」との文字が映し出されて来た所で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「8時51分・9時9分前」であった。
私は其の「9時9分前」の数字から、「再録」との文字を示して来たのは「白山権現菊理姫」ではないかと意った。
其れからPCを立上げ、先ず、起こされた「7時19分前」の数字から、7月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/19今朝のビジョンは、先ず私が赤子のオムツを替えている場面が何回も繰り返し映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時37分・1時23分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が何処かの家庭の台所に居て、器をテーブルの上に並べて妻を待って居るのだが、暗く成っても其の妻が帰って来ないので、腹が空いた私は、妻の実家に電話を掛け様かと思ったのだが、他人が出て話をするのは億劫なので、外食(ガイショク)・外に食べに出掛けようと意い、玄関のドアを開けると外は闇であり、大粒の土砂降りなので、車が無い私は、食事・買い出しに出掛ける事も出来ないのである。
其の二つの映像は、私の中で、誰かが夢を見て居る様な感覚であり、意味が全く掴めないのである。
最初の場面は、子供や孫が身近に居ない私には縁の無いビジョンであり、後の場面も、両親が既に死亡している由香には関係が無いし、台所や器も私が見た事の無い世界である。
其れ等の事を考えて居ると「非常事態宣言」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「3時25分」であった。
其れでPCを寝室に持ち込み、起こされた「1時23分前」と「3時25分」の数字から、1月23日と3月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の二つの文章の内容から、今朝の訳の分からないビジョン・場面は、新型ウイルス感染が増々増加して、現代の世の中が崩壊して行く事を示唆しており、私自身には直接関係が無いとの事が判って来たので、再び眠れる様な気がして来た。
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すると今度は、正しい言葉(嘘が無い)で明るく生活して居る人達の町村の存在が映し出されて来て、其の町に有る学校の校舎の周囲には、美しい草花が咲き乱れていた。
其れは、子供達の学校教育に、自然を愛でる気持ち・情緒が重要視されている理・ことを示唆しており、生物の生命(いのち)の世界に付いても、憧憬を抱かせるものに成るとの事なのであろう。
しょう‐けい【憧憬】 の解説
[名](スル)《慣用読みで「どうけい」とも》あこがれること。あこがれの気持ち。「西欧の絵画に憧憬する」国語辞典
其れから「合わせ鏡」との言葉が告げられて来て意識が目覚め、起きて時計を見ると時刻は「7時44分・8時16分前」であった。
其れでPCを立ち上げ、昨年の8月16日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章に書いて有る、「・・私が用心しなければ成らない事は、女神・母神の満面の笑顔に騙されて、簡単に次の役割を引き受けては成らないと謂う事である。」との事は、「ワタシは貴方・貴方はワタシ」との言葉が告げられて来た事と関係があり、私の喜びは女神(万物の母)の喜びであり、私の悲しみは女神の悲しみである事に成り、今朝告げられて来た「合わせ鏡」との言葉は、私と万物の母が「対面」であるとの理・ことに成るので、其の様な言い方は間違いである事になり、此の「私」と「万物の母」は一心同体であり、区別が出来ないと言う事に成る。
其れを考えると、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に「自適さんは 何でも想った様に成るでしょう。ですから自適さんがおもえ(意念)ば良いのですよ。」と謂った事が、どう言う世界であるかが理解されて来るし、釈迦仏陀の言葉に有る「私は過去・現在・未来の三世に在り 衆生一切我が子」との言葉が、何を意味しているのかや、日本の統尊(すめらのみこと)の「御稜威 ・みいつ」との言葉の意味も能く理解されて来る。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私が赤子のオムツを何度も替えて居た場面は、私の意識のモノではなく、万物の母が何度も繰り返し人間の魂しいを産み育てている事を示唆している事に成り、起こされた時刻が1時23分であったのは、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界の「天津日嗣・あまつひつぎ・天の霊継」と関係が有り、過去に八回失敗して今回が九回目の最後であると言うのは、過去に八回失敗したと言うのは、私自身の事なのかも知れない。
其れを考えると、73歳の年齢に達している私には、残された時間は少ない・貴重であるとの事に成り、一日も無駄に出来ない事に成る。
其れを考えると、1月23日の「アゲイン(again)」との言葉を、もう一度深読みしなければ成らないと言う事になる。
其れに私が大雨の中、一人だけで腹を空かして居た場面は、私一人の問題ではなく、人類全体に迫っている危機を示唆しており、雨・気象を管理している「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の機嫌を損なわない間に、何らかの方針を打ち出さなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れを考えると、昨日は江藤敬介氏が、朝から肩が凝って動けないので、整体に行って解して貰ったと謂って居たが、私と由香も夜に急激に肩が、石の様に固く成り、痛くて堪らなく成って、是は「神凝り」現象だろうかとの話に成り、私は両肩に治療用のマットを貼って眠り、由香は眠ろうと横に成った時に、左上方から肩に、とても繊細な光・エネルギーが降り注いで来るのを感じ、目が覚めるとすっかり凝りが取れて居たとの事である。
其の効果で、私は肩の凝りを気にしなく成ったのだが、3時25分に起こされた後に、四国剣山の徳島県側の「コリトリ・垢離取り」上に存在する「剣山金剛院藤之池本坊・修験道根本道場」や、高知県の「神峰神社」、其れに奈良県吉野山 金峯山寺「脳天大神」の禊ぎ祓いが出来る施設の存在に付いて考え始め、全国の禊ぎ祓いの道場一覧表を作らなければ成らないのではないかと思って居た。
「コリトリ」に「垢離取り」との文字が使用されているが、其れは単なる「垢・あか」を除去するとの意味ではなく、阿波・徳島では御神体として「神を棲まわせた石」を「神石」と呼ぶのではなく「神凝り石」と呼ぶ事と関係が有り、神霊が憑依して来る・降臨して来ると、肩凝りに成る事と関係が有り、「こりとり」との言葉は、憑依して来た霊魂を禊ぎで洗い流す理・ことを意味しているのである。
其の事が、昨日我々三人に起きた事・現象を考えると、確かに何らかの変化が、四次元・神の世界で起きたとの事で有り、「神界」と「人間界」が「合わせ鏡」として、対面的に事象が変化を始めるとの事なのではないだろうか。
今日は過去の写真を調べて、「剣山龍光寺」の祭神が「八大龍神王」である事が判った。
其れを考えると、江藤敬介氏と出会った年の3月13日(江藤氏の誕生日)に阿蘇の「日の宮幣立神宮」に「九代龍王水神」の幟旗を立てて「瑞穂の国造り」の儀式を行った事が、昨日から動き出したと言う事であり、一昨日二人で話し合っている時に、二人とも自然に涙が流れ落ち始めたのは、其の龍神の涙であり、其の龍神の存在は、私に身体に巻き付いて来て、「地球の管理を頼む」を頼むと告げて来た「白山権現菊理姫」であるのではないだろうか。
何故なら、「剣山龍光寺」の境内には、其の龍神像が立てられているからである。
「非常事態宣言」https://green.ap.teacup.com/20060818/5429.html
何と此の文章には、2006年9月9日の「白山権現菊理姫」の文章のアドレスが貼り付けられている。
2006/9/9本日9月9日は「重陽の節句」である。其れに、「ククリの日」で「白山権現菊理姫」にも関係が有る。「ククリ」とは、神霊界と人間界が「結び合う・括り合う」との意味であろう。
昨日から、私の心身が変調を起して来て、具合が悪いと云うまでには至らないが、何だが落ち着かない。其れは、大本教の出口王仁三郎の謂う、「9月8日の12の秘密」が、表世界に現われ始めたからであろうか。
私の神事の始まりは、出口王仁三郎に下駄を履かされた事が切掛けだが、其れより前に、霊夢の中で、「白龍」が私の身体にトグロを巻いて来て、私の左手の掌の上に、丸い地球を乗せ、管理する様に云い、私の頭を切り離して地球と重ねてしまい、私の胴体の上には、龍神が自分の頭を据えてしまったのである。
其れは、身体は自分の物だが、其の胴体には「白龍」が巻き付いており、頭は龍の頭と取替えられ、自分の頭は、地球として左手の上に乗っていると言う、説明し難い有様である。
其れは、不思議な感覚で、自分の頭が地球で、身体とは分離されており、自分の意識は屋久島の岩山を通してでなければ、肉体に還れないのである。
私は、自分の意識に辿り着く為には、宇宙から地球に帰り、屋久島の花崗岩の岩を経由しなければ、手足の付いている肉体には帰れないのである。
其れは、自分の意識が自分ではなく、何か得体の知れないモノと掏り替っている事に成る。
今朝、明確に成って来たのは、其の得体の知れないモノとは「ククルカーン」なのである。ククルカーンとは、アステカの神で、8段積んだ石のピラミットの階段から、地上に降りて来る水を齎す大蛇である。
其の、8段の階段の段差に出来る隙間の三角部分が、蛇のトグロを巻く7つの空間なのである。
其れは、八段の又に住む「やまたのおろち・八又大蛇」なのである。私の身体に巻き付いて来たのは、其の「ククルカーン・括る神様(くくるかんさあー)」だったのである。
私は、1985年3月5日に、初めての全国の旅の途中で、島根県の出雲大社に参詣した。其の時、導かれる様にして、「大国主命」を祀る大社と、神楽殿の間に在る川筋の道を、山の方に向かって歩いて行った。
1km程坂道を登って行くと、其処にあまり大きくない社「大穴持御子神社(三歳社・みとせのやしろ)」が一つ在る。
私は、其の社にお参りし、其の夜は大社の参道の近くにある大島屋旅館に宿泊した。すると、夜中に、其の山の社から、女のコケシみたいな物がピョッコン・ピョッコン・ピョッコンと下りて来て、宿に寝て居る私の布団まで遣って来た。
すると、其れに対応する様に、私の身体から直径30センチくらいで、長さ2mくらいの白い蛇の様な物が抜け出し、コケシに導かれ大社の方に向かって進み始めた。私の意識は、其の白い大蛇と一体に成って、空中を移動して行った。
其の、コケシと白い蛇の様な物は、大社の表側から社の壁を抜け、後ろに在る「須佐之男尊・すさのおのみこと」を祀る社に行き、更に其の社も抜けて、後ろ側の岩板の土手に突き当った。
すると、其の途端、其の白い蛇の身体の様な物は、白い光りと成って爆発して消え去ってしまったのである。其の光りの現象の後、私の意識は又宿の布団の中に在った。
其の映像を、今朝思えば、屋久島で私に入り込んだ白龍が、出雲大社の裏山に住む「コケシ神(シャクジ神?)」に導かれて、大社の裏山の磐座に還った事に成る。
出雲大社の裏山は、「弥山」と呼ばれて居るが、地元では昔から蛇山と呼んでいるらしい。其れは、奈良県の三輪神社の三輪山(三室山)と、同じ言い伝えを含んでいるものである。
どうやら、出雲も三輪も白山も、同じオロチが関係している様である。
「大穴持御子神社(三歳社)」http://wave.ap.teacup.com/894019/2137.html
其のオロチを信仰する、古代の「国津神・祇(くにつかみ)」から「櫛稲田姫」を奪って妻にしたのが、渡来系の「素戔鳴尊・櫛御気命」なのであろう。
私の体に、トグロを巻いて来た龍神は、七回トグロを巻いて、頭を其の上に出している、祖母山の水神と同じモノだったのであろう。
今朝のメッセージの映像は、歌舞伎役者の大物が出て来て、様々な顔をしたり、身体を動かして、色々な動作を繰り返した。
其の役者の四方に、弟子らしき男性が現われると、其の舞台は水に覆われ、海中の舞台の様に成った。其の水の中で、五名が歌舞伎を演じ始めた。
其の様子は、無重力の中で手足をバタつかせている様な感じである。其の時、私の意識は、其の様子を見ながらエラブ(海蛇)の意識に成って居て、水中を揺ら揺ら漂いながら其の様子を眺めて居た。
そして、「大国主命」の名と、「瀬織津姫」の名が気に成っていた。其れは、先日現われた般若男が大国主で、お婆さんが瀬織津姫でコケシ神の様に想われるものである。
今朝、出雲の件を思い出したのは、日本の歌舞伎の始まりは、出雲のお国さんの河原芝居が基に成っているからである。出雲の「お国さん」を動かした本体こそ、弥山のオロチだったのかも知れない。
今朝、私が感じた事は、昨日「臭」がテーマで鼻の働きだったが、今朝は五感「視・聴・嗅・味・触」の内、物に触れる「触」の世界が現われて来た様である。
蛇は手足が無いので、臭いを嗅ぐ鼻の感覚の次は、身体が触れる物の感覚なのかも知れない。其れは、食欲を離れた処の性衝動の、触れ合いの出来事に関係があるのではないだろうか。
赤子が、母親の子宮の羊水の中から外に出て来て、水の肌触りからイキナリ接触するのは母親の肌である。羊水に浮かんで居た柔らかい肌が、イキナリ硬い母の手に抱き上げられるのである。
其の時に、感じた不安感がトラウマと成り、死ぬまで意識を左右していると考えても何等不思議な事ではない。
人間が、野生の猿と同じく、スキンシップを欲しがるのも、そこら辺りに原因が有るのではないだろうか。
蛇が、雌雄絡み合っている姿を、神の姿と重ね合わせて憧れる人間の意識は、多分この「触」の世界に、要因が隠れているのかも知れないのである。
そう言えば、歌舞伎役者が水中で行なっていた仕種は、産まれたばかりの赤子が、産湯のタライの中で、手足をバタつかせている様子にソックリであった。
現在、人気の有る歌舞伎役者の仕種と、タライの中の赤子の仕種を重ねて見れば、生命の基本原理は、赤子も大人も、あまり差が無いのではないかと想えて来る。
歌舞伎役者は、顔に隈を描き、特別に表情を引き立てているが、其の顔の表情の世界こそ「想」を現すことにある。
私は今朝、事務所の横に在る汲み取り便所が汚れていたので、水で洗いながら掃除をした。ホースで便器を洗っていると、勢い有るホースの水で、下の糞尿が攪拌され、臭いが立ち上って来た。其の時、顔をしかめた私の顔は、歌舞伎役者に負けないくらい良い演技をしていたかも知れない。
其の無意識の表情こそ、物と、人と、蛇が、括り合った瞬間ではないだろうか。
私の内に、存在するオロチの意識こそ、全ての生命の意識の源なのだろう。
万物の霊長とは、人間自身ではなく、人間の意識の中に住んで居て、時には答えが見付からず、手足をばたつかせ、身もだえしている「蛇・エラブ(選ぶ)」の事なのではないのだろうか。
何故、釈迦仏陀の背後の護り神が、七又頭のオロチなのか、其の答えも見えて来たようである。「白蛇・白龍」が分離して働く時、七色に別れるのである。其の時、プリズムの役割を果たすのが神社に備えられている鏡や、イシス神の頭上の鏡なのだ。
「鏡・かがみ」の名が、「カカチ・蛇」と「カガミソ・カガミッチョ・蜥蜴」の同語であり、正月に七段重ねられる「カガミ餅」は、其のまま「ククルカーン・括る神(はたらき)」のトグロを巻いた姿なのである。
其の「括る働き」が、「白山菊理姫」で、「瀬織津姫」の別の姿なのだろう。
「自分の中に住む白蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
此の両方の文章には「赤子の育て方」に付いて書いて有る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「再録」との言葉は、是からの人間の育て方を能く考えなければ成らないと言う事であり、其の事次第で、此の「生命の揺り籠」である地球の未来環境も菊理姫の手段でどうにでも変わると言う事なのかも知れない。
今朝は由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと、見たとの事であり、「以前、仕事でお世話に成って居た白川家の娘さん(当時60歳位)と、同級生の有〇智恵子さんが出て来た。」と謂うので、私が驚いて、「白川家の娘さんの名前は」と訊くと、「葉子」との事なので、其の二人の名は「言葉の智恵」との意味に成るので、白川家は、漢字の研究者である故「白川静」に関係が有るのだと意った。
「言葉の智恵袋」https://wave.ap.teacup.com/20060106/
其れに「再録」との言葉を考えると、旧約聖書に有る「蛇が勧める知恵の林檎」の例えや、釈迦牟尼世尊の「十二因縁起」の世界と関係が有り、人類の未来世界は「正しい言葉(真言・マントラ)」必要不可欠であり、神社が何の為に存在するのかを、もう一度真剣に考え直さなければ成らないと言う事にもなる。
2003/5/12・・今朝は「とりいも なかに」との言葉が遣って来た。
漢字を使用すると「鳥居も内(中)に」と成る。
鳥居は、神社に行けば、何処にでも建っている物なので、誰にでも直ぐに分かる物だが、それを「なかに」とは、どう言う意味なのか、私には良く解からない。
鳥居は、神社のヤシロや建物よりは、敷地の入口の場所に建っており、入口や参道の在り様を示す、役目を果たしている。
神社に依っては、神社の入口だけではなく、神社に通じる道路の入口や、最寄りの駅前など、数ヶ所に鳥居が建てられている所もある。
今朝の「とりいもなかに」とのメッセージは、外にある鳥居は止めて、やしろの有る敷地の中だけにしろとの事なのだろうか。駅前や、一般道路に建てられている鳥居は、神社の宣伝効果を狙って建てられたものであったり、道案内の意味を込めたりと、人間の思惑が有っての事だろう。
本来の、鳥居の意味や役割からは、現在の在り様は、逸脱していると言えるかも知れない。
「鳥居」を辞典で調べて見ると、次の様に載っている。
【鳥居】神社の参道入口に立てて神域を示す一種の門。左右二本の柱の上に笠木をわたし、その下に柱を連結する貫(ぬき)を入れたもの。伊勢神宮の神明鳥居を基本として、明神鳥居・山王鳥居・三輪鳥居・両部鳥居などがある。
広辞苑より
上記の様に載っているが、鳥居自体の持つ本来の意味の説明が無い。
これでは、答えが出せないので、私が自分の足で、全国を旅して研究した事柄から、今朝の言葉を解釈してみようと意う。
或る本に拠れば、鳥居の原形は中国の雲南省辺りの、魔物の侵入を防ぐ為の、結界の風習に源が有るとされている。
私が、出雲に生活している時、松江市大庭町にある「神魂(かもす)神社」に行ったら、鳥居の原形の様な物が、国宝の社の横に立てられていた。
「神魂神社」は、出雲地方でも一番古い神社とされ、「出雲大社(杵築大社)」の社は、神魂神社の社を真似て造られたとも伝えられている。
その「神魂神社」の敷地の左側の山に、直径1メートル50センチ程の洞窟が掘られており、その入口に、二本の木が左右に立てられ、上に横木が渡され、稲藁で作られた飾りが付けられている。
私は、其れを初めて見た時に、是が鳥居の原形だと感じたのである。
其れを、そう感じたのは、伊勢神宮の創建の原因と成った「倭姫命・やまとひめのみこと」の物語に出て来る内容が、それらの風習を感じさせるものだからである。
倭姫命は、奈良の地より、天照大神の神霊が鎮まる、新しい地を求めて旅を続けるのに、榊の木を二本用意し、それを二人の巫女に別々に持たせ、木綿の布きれを一本には左巻きに、一本には右巻きに巻き付け、前方の左右を歩かせ旅を続けたという事である。
目的地に着けば、その二本の榊の木は、地面に左右に立てられ、新しき神域の結界を示すものと成ったのであろう。
私の考えでは、其の二本の榊の木の棒に、巻き付けられた木綿の布きれは、蛇の代わりだったと想われる。
左巻きと、右巻きの螺旋は、世界中で古代神のシンボルマークとされている
中国では、タオ・道のマークの二匹の陰陽の蛇として、西洋では神官の手にする神の杖に巻き付く、左巻きと右巻きの二匹の蛇として使用されている。
何故、中国でも西洋でも、二匹の陰陽の蛇がシンボルとされるのか。
日本の古事記の物語でも、「伊耶那岐命・いざなぎのみこと」と「伊耶那美命・いざなみのみこと」が、天の柱を左回りと右回りに回って、契りを結んだとある。
人間の意識の根底には、何かの二本の渦巻きが存在している様である。その、意識の奥に存在する二本の螺旋は、遥か昔から、人類に、永遠の謎を突き付け続けて来ている様である。
エジプトの神官が手にする杖は、握り手の所は鷹の姿で出来ている。
二匹の蛇の謎が解ければ、神の使いの鷹が、手に入る事を表しているものだろう。
鳥居に「鳥居」の文字が使われているのも、その意味が込められており、横に渡された木には、神の使いである鷹や鳶が降りて来るとの、願いがあるからなのだろう。
私には、18年前実際にその鳥の使いが訪れた。
其の鳥とは鷹で、私が、神社の鳥居に出向いたわけではなく、自宅の上空に毎日同じ鷹が迎えに来たのである。
私の、神の世界への旅立ちは、鳥に誘われて始まったと言っても良いだろう。
其の出来事は、私の心の中に、二匹の蛇が生じたから起きた事であろうか。
あれから、18年経過して、私の意識には、もう神社の鳥居は必要なくなり、心の中に、鳥居の仕組みが出来上がったとの事かも知れない。
そうであれば、私はもう、神社の鳥居を潜る必要は無く、意識の中の鳥居を見続けていれば良い、と言う事に成って来る。
私の父親は、子供達を、神社やお寺に一度も連れて行く事は無かった。その事が、私が迷い道に踏み込む事を、防いで来たのだろう。
私の意識の中の鳥居は、私一人が通る為の物ではなく、全ての人々の通る参門である。全ての人々が、私の建てる鳥居を通過する時、世界人類の意識は、同じ道に帰る事に成るだろう。
私の意識は、宇宙意識と繋がっている事はハッキリしているが、人類の何%が、同じ意識に至っているのかは、私にも未だ判らない。
今朝のメッセージは、私が何処かの、一つの鳥居に固執するのを、くい止める為のものだったのかも知れない。
日本の神社の鳥居を、世界中に建て、その門を、人類が全て潜る様にするのは、絶対に不可能な事であろう。
私に出来る事は、私の意識の中の鳥居を、全ての人々が潜って、幸福に成る事を念じる事だけである。
今朝のメッセージで、私の意識は、再び新しき段階へ、進み始める事に成りそうだ。私の意識が、私一人のものではない事を証明する為にも、私はこの道を進んで行くしかない。
「鳥居もなかに」http://wave.ap.teacup.com/20060106/53.html
さい‐ろく【再録】 の解説 [名](スル) 国語辞典より
1 すでに発表された記事などを、別の書物などにあらためて取り上げること。「受賞作品を本誌に再録する」
2 一度録音・録画したものから、また録音・録画しなおすこと。
今朝のメッセージは、私の身体に巻き付いて来て、「地球の管理を任す」と告げて来た白山権現菊理姫が、私に「地球」や「生命・いのち」の存在に付いて、新しい次元・舞台で解き明かせとの事を、告げて来ているのではないだろうか。
其れは、日本の首都である東京には皇居や国会が存在し、全国からエリートが集まって来て政(まつりごと)を行っているが、其の東京には地面(アース)が無く、森林や清い流れ・空気、小鳥の囀りなどの、人間の精神にとって最も大事・重要な自然環境が無いとの事であり、其の条件では「正しい言葉・真言・マントラ・神意」が、生じ無いと言う事なのであろう。
此処で「イエスキリスト 小鳥」で調べると、何と「母神の御手伝い」との文章が出て来た。
2018/6/27今朝のメッセージの映像は、先ず、人間が口にする食べ物一個の為に、どれだけの背景(システム・環境・エネルギー・時空)が存在するのかを示す為(私に記憶さす為)に、何度も同じ場面が映し出されて来た。
其処で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時15分」であった。
其れから、再び眠ると、今度は私が「お堂」の様な施設の室内に居る場面が映し出されて来て、私が誰だか分からない10名程の人に話をして居る場面が映し出されて来た。
そして、私の話が終わり、皆が帰った後に、大きめの茶封筒が残されており、其の茶封筒の中には、参加費が入っている事が分かった。
私は、其の封筒を集めて、何処に置いて帰れば良いかを考え始めて居た。
其処は、誰でも自由に出入り施設なので、其の儘置いて帰れば、誰かが持ち去ってしまう事は間違い無いからである。
すると其処に、人々が集まって私の話を聴く様に段取りをした、熊ほどの大きな女性の存在が現れ、其のお金を私に管理する様に指示するので、私は其の様な事をしたく無いので、どうしようかと思って居た。
次の映像には、果物が成る樹木が植えられている、果樹園の存在が映し出されて来た。其の樹木は、既に成木に育っており、深緑の細長い葉が美しく繁茂しているのだが、花や実が着いていないので、果樹の種類は判断できなかった。
しかし、其の意味は、家畜を飼う為の放牧地や、飼料を生産する農地の為に、森を破壊してしまう方法ではなく、食料と成る果樹・木の実を生産する事で、森林の保全が可能な理・ことを、私に知らして来ているモノである事が理解できた。
其処で起きて、PCを立ち上げると時刻は「5時43分」であった。
今此処で(6時17分)「さあ本番よ」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと続きの言葉が告げられて来た。
「さあ 本番よ
貴方には 是まで 何度も本番であるとの
意味の言葉を告げて来ましたが 其れは 此の世界は
何時も本番であると謂うか 臨界体制であるからです。
此方には 本番の舞台しか有りません。
ですから 何時も本番であり 架空の世界は無いのです。
何故 貴方に 本番であるかを示して来たのは
貴方の意識が 事象の流れから
一時でも離れる事を 防ぐ為であったのです。
ですが 貴方の意識が 収まるべき所に収まったので
漸く 事を動かす事ができる様に成ったのです。
其れは 貴方自身が 何かを始めると言う事ではなく
此方の動きを 人間界に
言葉で示す役割が 本格化すると言う事なのです。
其れが「統尊」の「御稜威 ・みいつ」なのです。
良いですか 一つのミスも 許されない世界ですので
其の理・ことを 心にしっかりと据え置いて掛かるのですよ。
良い子なのですから 素直に従い為さいね。
其れが 此処まで 34年間掛かった
貴方の 修行の成果なのですから。「さあ 本番よ」
いま告げられて来た、此の女神の言葉からすると、今朝のメッセージの映像は、天空に存在し、慈悲心を持って全てを管理している「宇宙神・母神・グレートマザー」が、自分の存在(すがた)を私に見せて、私の自覚を迫って来ている事が理解できる。
*「慈・ジ・いつくしむ」【解字】形声。「心+茲」音符の茲は、ふえるのいみ。子をふやし育てる心、いつくしみ・愛の意味を表す。【字儀】@いつくしむ。かわがる。情けをかける。「慈雨」Aいつくしみ。㋐あわれみ。情け。㋑父母の子に対する、また、子の父母に対する愛。Bはは(母)⇔厳(父)C衆生に楽しみを与えること。
*「悲・ヒ・かなしい・かなしむ」【解字】形声。「心+非」音符の非は、左右にわかれるの意味。心がひきちぎられ、いたみかなしむの意味を表す。【字義】@かなしむ。㋐なげきいたむ。㋑したいいたむ。Aかなしい。Bかなしみ。
*「持・ジ・もつ」【解字】形声。「扌(手)+寺」音符も寺は、止に通じ、たちどまるの意味。手の中にとどめおく、もつの意味を表す。【字儀】@もつ。手にとる。たずさえる。身につける。「所持」Aたもつ。もちこたえる。守る。「保持」「堅持」Bもちあう。つり合いがとれる。「持碁」Cさだめる。正す。Dもって(以)。
国語 @もつ。㋐所有する。㋑負担する。引き受ける。受け持つ。Aもち。㋐歌合わせや囲碁などの勝負ごとで、たがいに優劣のないこと。あいこ。引き分け。㋑所有。㋒負担。担当。 漢語林より・・
是等の今朝のメッセージは、昨日の「吹っ切れた」とのテーマの続きであり、其の吹っ切れた私の頭(脳・意識)に、新しい事象の風が吹き込んで来た事に成り、私は新しい次元に出発すると謂うか、未知の世界に足を踏み出す必要があるのだろう。
其れは、昨日の文章に小鳥の雀が「本能(遺伝子情報)に従って生きている」と書いた事と関係が有り、人間はイエスキリストが謂う「空の鳥をよく見なさい」の喩え話では駄目である理・ことが、示されて来ている事に成る。
何故かと謂うと、其のイエスキリストの言葉は、人々を煩悩の世界である人間社会から解き放つ・自由にする為の次元・世界で有り、私にとっても、其れは34年前には最も必要な言葉・世界であったのが、昨日、其の人間社会の柵(しがらみ)が払拭された事で、イエスキリストの30歳代の言葉はもう合わないと謂う理・ことであり、「大人(おとな・おてな)・翁(おきな)」の次元で物事が考える必要が求められて来ているからである。
{空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
マタイによる福音書第6章26〜28節}
考えて見れば、若し、其の時ユダヤ人がイエスを「イスラエルの新しい王」として受け入れていれば、イエスに何が出来たかと謂う事が有る。
イエスの其の時の言動は、「国・政府に税金を納めるな。」「建物には神は棲まない。参道で商いをするな。」など、当時の社会体制を壊すモノであるので、反対・逆にイエスが「王の立場・権力者」に成った時に、何ができたか疑問が湧いて来るからである。
其れは、イエスキリストの奇跡を信じた人々は、自分の生活を全て放棄しているので、国民全体が自分の持ち場を放棄してしまえば、人々は自由を得る事は出来るが、食料を生産する者が居なく成るし、物資の流通も停止してしまうので、無秩序の世の中と成り、人々は生活できなく成るからである。
其れは、釈迦牟尼世尊も出家を薦めているので、似た所が有り、現代社会で宗教に関わって生活して居る人々は、働いて居る人々からお金や物品を吸い上げている。
其の点に措いては、老子は全く別モノである。
老子は、王様の図書館に勤務して給料を貰って生活をしており、退職してからは国を一人で出て行方を晦ましている。
何故、老子は弟子や信者を一人も作らないで、一生を無事に過ごせたのか。
其れは、イエスや釈迦が生きた世の中・社会には、文字が発達していなかったので、書き物で教訓を伝播できなかったからである。
其れを考えると、現代社会は余程の未開地でない限り、学校・教育機関が有るので、自分自身で過去の聖者の教訓に触れる事が出来るので、古い体質での宗教は不必要(寧ろ害毒)と成るモノが多い事は明らかである。
其れ等の事柄を考えると、人類全体・社会機構が過去のシステムを払拭・一新して、新しい次元に進まなければ成らないと言う事に成る。・・・
「母神の御手伝い」https://wave.ap.teacup.com/20060106/830.html
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで美しく戯れる雀の様子・姿を私の左側で一緒に眺めて居た存在は万物の(母神」である事に成り、昨日「愛吉」との名前・言葉を告げて来たのは、其の母神で有り、私を海原が見える丘に案内した「愛吉おじー」の娘であるとの女性の設定は、今朝顔を見せた白川家の娘と同じ存在である事に成りそうである。
其の様に考えると、私が「再録」しなければ成らない事は「万物の母神(はたらき)」に付いて、考えを再構築しなければ成らないと謂う事に成るのであろう。
若しかしたら、今朝の母神の顔は、レオナルドダヴィンチが自分の顔を老人の様にデッサンした様に、モナリザの顔を老けさしたモノであった物なのかも知れない。
どうりで何処かで一度見た様な顔であった。
其れを考えると、神々には姿や顔が無いとの事であり、此の三次元世界に遣って来ている我々人間が、勝手に神々の姿を想像・創造し、其れに名前を与えている理・ことに成りそうである。
此処で、試しに「再録」との漢字を調べると、漢語林には次の様に載っている。
「再・サイ・サ・ふたたび」【解字】象形。一つを持ち上げることによって左右が同時にあがる形にかたどり、ある一つの事がらが起きて、それに重ねてもう一つの事がらが起こる・ふたたびの意味を表す。
【字義】@ふたたび。二度。また。「再会」Aふたたびする。二度くりかえす。Bふたつ。
此の「再」の説明には、今朝のメッセージに「三つの重要事」との事が示されて来て、私が地球の自転の事を考えた事が関係が有り、地球の自転の事を掬い上げると「暦・カレンダー」の事と「地球の気候・温度・生命の存在」の事が、頭・意識に上って来た事が関係が有りそうである。
「録・ロク」【解字】形声。「金+彔」音符の彔は、水をくみあげるの意味。重要なことをくみあげて金属にしるすの意味を表す。
【字義】(一)@しるす(記)㋐書きしるす。「記録」㋑心にしるす。記憶する。A書きつけ。書きしるしたもの。㋐書きぬき。うつし「抄録」㋑品物や書物などの名を書きならべたもの。「目録」Bうつす(写)。書きうつす。Cすべる(統)。㋐とりまとめる。しめくくる。㋑とりしまる。検束する。Dあらわす。明らかにする。E歴史。「実録」(二)禄禄。(三)しらべる。しらべ考える。
漢語林より
此の禄の【解字】には「重要なことをくみあげて金属にしるすの意味」と有るので、今朝のビジョンで茶色の金属の床にシールが貼られていた事が関係が有り、【字義】には「Cすべる(統)。㋐とりまとめる。しめくくる。㋑とりしまる。検束する。Dあらわす。明らかにする。」との事が書いて有るので、今朝の「再録」との言葉は「統尊・すめらのみこと」の「御嚴・みいつ・御稜威 」にも関係が有りそうである。
何だか、確かに次元が上がって来ている様な感じがする。
令和2年10月30日
礒邉自適
2020/10/29
愛吉おじー
2・10・29
今朝のビジョンには、私が農村を訪ねると、其処には故「愛吉おじー」の家族が農作業を行って居る姿が在ったので、愛吉おじーの農園である事が理解できた。
そして中年の娘さんが、私を海岸の方に案内してくれると、其処は広い海原が眺められる高い断崖の上の大地である事が判り、断崖の右側を見ると深い溝が連なっているので、其れは地殻変動で段差が生じた場所である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、人間の行為と言うか、創作・創造の世界が映し出されて来て、其の人間が創り出す世界が、左右に分けられる場面・様子が映し出されて来た。
其れは、右側が「三通り・三世界・三割」であり、左側が「七通り・七世界・七割」であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時31分」であった。
其れから再び眠ると、今度は日本語の横書きの文章が、縦画面に太目の文字で記されている場面が映し出されて来て、私が其の文章に目を通して行くと、私が知らない事が多く書かれているので、其れは、私の打った文章ではない事が判り、私が是まで認識して来た世界は、全体のほんの一部である事が理解されて来た。
次に、ヨチヨチ歩きが始まった初孫の男の子を見守っている夫婦の存在が映し出されて来て、私の意識は其の様子を眺めながら、人間の真の幸福がどう言う世界であるのかを、改めて考えさせられていた。
其れは、私自身には七人の子供が居るが、未だ体験が無い世界である。
今朝起きた・起こされた時刻は「8時15分」である。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた「4時1分」「5時31分」「8時15分」の数字から、今年の「4月1日」「5月31日」「8月15日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/4/1・・私が阿蘇の蘇陽町に住んで居る時に、近所の本田茶園の草刈りを手伝っていた本田亮輔氏の雰囲気を持つ神様が登場して、私の左腕に黒い軟膏の様な物を塗り込んでから、「是で昔の事は 全て忘れられる」との事を言った。
其の軟膏が塗られた所は、先日火傷をしてアロエを塗ったのと同じ所である。
其れから再び眠ると、565」の数字が映し出されて来て、其れは私の精神性を示唆しており、私は左右のバランスを計りながら、真っ直ぐに走らなければ・飛ばなければ成らない事が示されて来た。
そして其の為には、私は味噌汁を食べて、腸内細菌を養わなければ成らない事が示されて来て「養老」ではなく「養楽」との漢字が映し出されて来た。
次に、川底に水が流れている石積みの堤防が映し出されて来て、其の石垣を二匹の子猫が這い登って来るので、私が川の中を覗き込むと、後から三毛猫の母猫が登って来る姿が見えた。
次に、林の小枝に、数羽の小鳥が止まっている場面が映し出されて来て、其の中の一羽が、先に枝から飛んで、空中で止まり、後ろを振り返って、人間の様な雰囲気で、残りの数羽を促すと、残りの数羽も飛び立って、一緒に旅立って行く様子が映し出されて来た。
次に、私の「約束は護る」のブログの存在が映し出されて来て、短い単語の中に「慈」の漢字が含まれている事が示されて来た。
そして其の「慈」の漢字は、現在問題に成っているウイルスの広がりと関係が有り、人間の気付きの為に起きた現象であるが、何処まで広がるのかを天神が苦慮している事実を、私に知らせる為である事が理解されて来た。
そして、私の息子「嵩靖・しゅうせい」が4歳位の姿で登場したので、意識が目覚め起きて時計を見ると時刻は「5時21分」であった。
其れから、黒いFAXの機械が一台映し出されて来て、是からの私の情報の発信・発送の形態を変えなければ成らない事が示されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「7時37分・8時23分前」であった。
本日4月1日は「新年度」の始まり日であるが、今朝起こされた時刻は「1時1分」であり、其れは「1月1日・新年・元旦」の日付である。
其れで先ず、今年の1月1日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
驚いた事に、此の文章には、次の様に書いて有る。
・・由香のビジョンは、実家の東側に有る神社の参道側ではなく、西側のお寺に上がって行く側の参道が映し出されて来て、其の参道には一軒毎に、お揃いのセンスの良い看板が立てられており、夫々に地産地消の商店の屋号が記されており、実家の西の入り口には、其れらを纏めた看板が立って居たとの事である。・・・
何故、此の文章で私が驚くかと謂うと、今朝の由香のビジョンには、其の、由香の実家の西側の南北に通る道路が、家の敷地内を含んで、新しく舗装されて広く成っており、多くの人々が集まって来て、昨年5月に亡くなった由香の父親が、庭で人前で大きな鉄棒で大車輪の回転をしたり、曲芸をして、大喝采を浴びていたとの事だからである。
そして、家の中に入ると、東側に大きな浴場があり、その中には透き通った鯉やナマズ、ドジョウ、メダカ等の魚がたくさん泳いでいたとの事である。
其れが、東側を通る稲田姫神社の参道ではなく、真言宗のお寺に上がる西側の道路であると言うのは、此の1月1日の「政経は仏教に」との言葉と直接関係が有る事にも成る。
其れに、由香のビジョンには2019年8月27日に、「水門(みと)」との言葉が告げられて来て、実家の東側の稲田姫神社の参道から、竹藪を切り払って、新しい道路が真東に向かって走っている場面が映し出されて来て、次の日地図で調べると「高野山」に辿り着いく事が判ったのである。
今朝起こされた5時21分の数字から、昨年の5月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「丹(あか)き&東風」との文章からも、東方の事を考える必要が有りそうである。
其れに今朝起きた・起こされた「7時37分・8時23分前」の数字から、昨年の8月23日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る・・
今朝のメッセージは、本日4月1日・新年度を期して、私は過去の事を一切忘れ、新しい気持ち・精神で事に当たらなければ成らない理・ことが示されて来ており、其の為に「鳳凰・おおとり」が私の左手の腕に治療を施したと言う事に成りそうである。
キー「鳳凰 卵 情報」・・
今朝のビジョンで何故、白バイが後から来て「何故モールをつけて走っているのか」と咎めたのかを思い、いま「モール」を調べると、次の様に載っている。
此のモールの意味からすると、新しい御世を開く為に集う仲間は、何らかのモールを着ける必要が有るのかも知れない。
そして其の事で、神仏の「慈・ジ・いつくしみ」に繋がると言う事であり、其れ等の人々は「ウイルス」から守られるとの事なのかも知れない。
其れに、今朝示されて来た「養」と「楽」の漢字を検索すると、次の文章が出て来た。・・
此の二つの文章の内容からすると、今朝示されて来た「養楽・やしなうたのしみ」との言葉の意味が能く理解されて来る。
其れに、今朝の由香のビジョンに、昨年5月に彼の世に往った父親が登場して、人前で踊ったり、鉄棒で大車輪の技を披露して喝采を浴びて居た場面は、天国で神の計画を知って、由香の使命だけではなく、自分の人生の不可解さの謎が解け、此の人間社会の存在を言祝いで居るとの事なのではないだろうか。
何れにしても本日4月1日(新年度)は、天地の喜びの始まりであるとの事なのかも知れない。
「養楽」https://green.ap.teacup.com/20060818/5320.html
此の文章には「・・私は過去の事を一切忘れ、新しい気持ち・精神で事に当たらなければ成らない理・ことが示されて来ており、其の為に「鳳凰・おおとり」が私の左手の腕に治療を施したと言う事に成りそうである。・・」と書いて有るので、今朝のビジョン・メッセージは昨日の続きの様である。
2020/5/31本日で五月が終わり、明日から六月である。
今朝のメッセージは、其の事に関係が有りそうで、花崗岩製の長四角な「禱り台」が地面に一個だけ置かれている場面が、映し出されて来て、其の禱り台の上に赤い炎が燃え上がる場面が映し出されて来た。
私は、其の場面から、旧約聖書に記されている、モーゼがシナイ山で神の炎で刻まれた十戒の石板の存在を思い出していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時47分・2時13分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、幾つかの他人の人生の「幕・締めくくり」の「世界・様子」に付いて示されて来た。其れは、光の無い世界での物語であり、男性の葬式の場面や、業績を上げた人物の銅像の除幕式の様子等である。
そして、私が、自然農法の世界を創り上げた、愛媛の故「福岡正信」の奥さんと言う設定の老女の面倒を看なければ成らない事に成り、最後には「丸裸」との言葉通りの世界と成ってしまい、集金に来た男性が、私の財布を見付けて、中を確かめると、お札が二枚だけ入っており、其れを取り出そうとすると、其の二枚のお札は、財布の中の仕切りの幕に、お札の模様が印刷されている物であり、私には小銭も残っていない事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、昨日のビジョンに映し出されて来た、塔の上の「高御座(水が溜められている石板造りの迷路)」が、太陽よりも光の強い光線を全体から発しており、全体(周りの世界・環境)を照らしている様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時21分であった。
其れから台所に行き、穀物コーヒーを飲みながら蓬団子を食べ、PCを立ち上げて先ず、起こされた7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此処で、男性の聲で「先ず 段取りが」と伝えられて来た。
『先ず 段取りが有る
其れは 君の心・意識の準備であり
其の心構えが 決まらなければ
何事も 始める事はできない。』8時12分
此の今告げられて来た、男性の聲の主は、7月21日の文章の内容から、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)のモノの様である。
其れを考えると、昨日の天神の優しさが満ちた石板造りの水タンク(高御座)全体が、今朝光り輝いている様子が映し出されて来たのは、釈迦ブッダの世界である「慈悲・いつくしみ)が、全開したとの事なのではないだろうか。
其れに、葬式等の死後の世界が映し出されて来た6時13分の数字を、6月13日の日付で考えると、昨年「切り開く能力・ちから」との言葉が告げられて来た日であるので、今朝「先ず段取りが」と告げられて来た言葉と、関連している。・・
驚いた事に、此の6月13日には、10時00分に女神の言葉で「・・其れが「統尊・すめらのみこと」の「高御座・たかみくら」の意味なのです。」と告げられて来ているので、昨日の「優しさが満ちた水タンク」の存在は、私に「命を探せ」と告げて来た女神の意識体其のモノである様である。・・
此の文章を打ってから、既に32年半が経過しようとしている。
此の文章には、「左手に水を入れる水壷を持っている 観音菩薩」の事が書いて有るので、昨日の「優しい意識で 水を白い石板の迷路・迷宮に注ぎ込む神」の存在と合わさって来るので、今朝其の高御座が強い光を全体から放っていた場面の事を、能く考える必要が有るのだろう。
そして32年半前に、和歌の綴りで「いのちを探せ 云った声 ・・・?」の主の存在が、私の後頭部の右上の奥に出て来たとの事は、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」のチャンネルは、右後頭部の上部にある事にも成る。・・
今朝のメッセージは、自分の国・王宮・実家を失ってしまった釈迦(ガウタマ・シッダールタ)と、父親を支援しながら朝鮮半島を統一し505年間に亘り統治を続けた李王朝の立役者「李芳遠(イ・バンウォン、り・ほうえん)」の、対照的な人生を送った二人が登場した。
其の事は、今朝のビジョンに映し出されて来た太陽光線よりも強い・高い波長の高御座の光線の中では、一体のモノと成っており、釈迦(ガウタマ・シッダールタの世界である「久遠実成・くおんじつじょう」の世界・次元や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入っている御魂」であり、「土肥無庵」の守護霊である「御祖神・みおやかみ」の世界・神界である事に成るのであろう。
其れで本日の文章の題は「永遠の命魂」とした。
昨日の櫓塔の上の「白い石壁製の水タンク・迷宮」が、今朝は光輝いて映し出されて来た事は、過去の世界で、様々な生き方をした・幕引きをした人々の霊魂が、美しく優しい水の中に存在する花崗岩製の板壁の迷宮の通路で、カルマ・業・柵の情報が濾過され、神の光(エナジー)に復帰したとの理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、今朝の最初のビジョンに、花崗岩製の禱り台が登場して、其の台の上に赤い炎が立ち上がる・燃え上がった事と関係が有り、ユダヤの神・石工の神が動き出したと言う事に成りそうである。・・
此の文章の内容からすると、今朝の高御座が光輝いて場面は、私が新しい御世を創造する為に、高圧のトランス体として、何らかのイマジネーションを膨らませる必要があるとの事なのかも知れない。・・
今朝のビジョンには、他人の人生の幕切れが、光の無い暗い世界で映し出されて来た。
其の場面には、銅像が建てられる様な業績を上げた人物の存在や、自然農法の世界を広めた人物の存在が在ったのは、過去の世界で業績を上げた者でも、未来世界の創造は出来ないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、様々な世界を体験させられた私が、人類の未来や、地球全体の環境・バランスを能く考えて、何らかの世界を創造・イマジネーションしなければ成らないと言う事に成る。
其れは、お釈迦さんが成仏した日、真珠湾攻撃が行われた日である同じ12月8日に殺された、「イマジン」の曲を作った「ジョン・レノン」の御魂が、今朝の高御座の光の中に含まれている事を願いたい。
「永遠の命魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/5380.html
2020/8/15本日8月15日は終戦記念日であり、昭和天皇の玉音放送の後、奈良の「矢追日聖法主」に天神から新しい御世の始まりが告げられて来た日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の発動が要求されて来た。
今朝のビジョンには、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時14分」であった。
其れから再び眠ると、緑の梢の先に、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の雲の存在は、太陽光の熱エネルギーで水が蒸発して発生しているモノ・現象であり、其れに拠って、地上に生物が存在している理が示されて来た。
其れから、女神の聲で、「貴方の良くない事は 自分が何物であるかを はっきりしない事です」と告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時30分に成る所であった。
其れで、起こされた「5時14分」と「7時30分」の数字から、今年の5月14日と7月30日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の中には、「正傳矢追日聖法主」と「一休宗純禅師の悩み」の文章が貼り付けて有るので、一昨日の文章の末尾に「一休宗純禅師の悩みが晴れるのは、何時に成る事やら・・・。」と書いた事と関係が有り、一休さんが天皇の子供であった事と関係が有りそうである。・・
其れに、此の文章には、【私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として・・と打った所で、私の右手の中指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きる】10時16分「10月16日 伊勢神宮」と記して有るので、昨日の文章に書いた・・【江藤敬介氏が登場して、私に右足を見せると、其の中指が、歯が抜け替わる時の様に、新しい指が中から伸びて来て、其れまでの指が抜け落ちそうに成っているのである。そして「9月8日」の日付が示されて来た。】との事が関係が有り、私の右手と、江藤敬介氏の右足は、「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の神(はたらき)の部分を示唆している様である。
其れを考えると、24日後の9月8日から「天照坐皇大御神御魂」の神(はたらき)が発動するとの事なのかも知れない。
今朝のメッセージで、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来たのは、日本の「天照大神」の概念や、其のルーツであるエジプトの「ラー」と「イシス女神」の事を含め、太陽系の存在・仕組みと、神(はたらき)意識・情報の成り立ちを科学的に明確にしなければ成らないと言う事であり、其の作業に私が本格的に取り組む必要があるとの事ではないだろうか。
其れは、私が1984年3月13日の朝、太陽が半分顔を出している時に「土肥無庵が神だから守れ」と告げられて来た事や、昭和天皇の御魂の案内に拠って平成元年3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」に参拝する事に成り、参拝した時刻に太陽のコロナが異常現象を起こした事、其れに1997年5月10日に京都の大徳寺で、太陽から「写真を撮れ」と告げられて来て、杖を突いた写真を撮影した事等が関係が有り、私の意識・脳には太陽の意思が繋がっている事を、何らかの形で明らかにする必要があり、我々人間の存在は宇宙意識と密に繋がっている理・ことを、誰でも解る様に情報化しなければ成らないとの事なのであろう。
其れは、マヤ・アステカでも古代人が、日常的に自分の身体で感じ取っていた事であるから、人間社会で絡みついた柵(しがらみ)を、穢れの無い清水で禊ぎ祓いすれば、取り戻せる感覚である。
其の証として、此の私の存在と、36年間月日を重ねて来た、私の思考が役に立つとの事なのではないだろうか。・・
何れにしても、新しい御世は、人間が目に見えない神様を信仰する事を止めて、伝書バトや渡り鳥の様に、地球の磁気を自分の生体電気で捉えて、宇宙の波動と直接チャンネルし、他の生物の様に、潜在意識で自分自身の遺伝子・DNA情報を進化させて行く次元に入るとの事なのではないだろうか。
其れは伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の座が、自分の物・事と成ると言う事でもある。
「天照坐皇大御神御魂 」https://green.ap.teacup.com/20060818/5456.html
此の「永遠の命魂」と「天照坐皇大御神御魂 」の言葉・文章の内容からすると、今朝のメッセージで示されて来た、
・・人間の行為と言うか、創作・創造の世界が映し出されて来て、其の人間が創り出す世界が、左右に分けられる場面・様子が映し出されて来た。其れは、右側が「三通り・三世界・三割」であり、左側が「七通り・七世界・七割」であった。・・
との事は、次の様な事が考えられる。
右側の「三通り・三世界・三割」は、1、子供・子孫を作る事。2、食事を作る・食料の確保。3、家族を護る為に戦う事・住居を作る事。などの、「本能」の世界を示唆しているのではないだろうか。
そして、左側の「七通り・七世界・七割」は、一口に謂えば、他の動物とは異なる人間だけが行う事ができる「文化・文明」の世界の事であり、学問や芸術、政治や経済、精神活動・宗教、科学・化学、道具の開発・工業、等の世界を意味しているのではないだろうか。
そして、其の「三+七=十」の世界と「愛吉おじー」の名前に、何らかの事が関係有りそうである。
「愛・アイ」【解字】形声。「旡(頭)+心+足」「旡・キ・ケ」は頭をめぐらせふりかえる人の象形。ふりむき見る心のさまから、いつくしむの意味。夂は、足の象形で、いつくしむ心がおもむき及ぶの意味を表す。
【字義】@アイする。㋐いつくしむ。かわいがる。「溺愛」⇔憎。㋑こいしたう。「恋愛」㋒親しむ。Aめでる。好む。また、ほめる。賞美する。「愛読」Bおしむ。㋐大切にして手離さない。㋑物惜しみする。けちけちする。Cおしい。心残りである。残念。D「仏」異性や物をむさぼり求めること。十二縁起の一つ。Eキリスト教で、神が人類に幸福を与えること。また、人類をすべて兄弟としていつくしむこと。Fアイ。㋐愛情。㋑生きがいと考え考えて全てを打ち込む心。「学問への愛」
「吉・キチ・キツ」【解字】会意。士+口 士は、甲骨文・金文では、おの(斧)などの刃物の象形。口は、めでたいことを祈る言葉の意味。のりとのうえに、その内容を確保するための刃物を、まじないとして置くさまから、めでたいの意味を表す。吉を音符に含む形声文字は「固くひきしめる」の意味を共有し、姞・拮・硈・結・詰・・などがある。
【字義】@よい。㋐すぐれている。りっぱ。善。「吉士」㋑めでたい。⇔凶。「大吉」Aさち。さいわい。しあわせ。Bついたち。「吉月」C吉札。五札の一つ。四時の祭り。 漢語林より
此の「愛・@アイする。㋐いつくしむ。かわいがる。」と、「吉・めでたいことを祈る言葉の意味。@よい。㋐すぐれている。りっぱ。善。」の意味からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「初孫を見て居る祖父母」の存在や、4月1日の「養楽」の文章に書いて有る、「神仏の慈・ジ・いつくしみに繋がると言う事。自分の人生の不可解さの謎が解け、此の人間社会の存在を言祝いで居るとの事なのではないだろうか。何れにしても本日4月1日(新年度)は、天地の喜びの始まりであるとの事なのかも知れない。」との事と、関係が有りそうである。
2013/7/16・・ハートは、「心臓」の事である。其れは、漢字の「愛・エ」が「旡(頭)+心(心臓)+夂(足)」の組み合わせで出来ている事と関係が有り、「心・シン」の漢字が「心臓」の象形である事と通じている。
是までにも、心臓の事に付いては何回か触れている。・・・
「ハートが基本」https://green.ap.teacup.com/20060818/2749.html
今朝のビジョンには、日本語の長い文章の存在が有る事が映し出されて来て、其の文章の全体の様子から、私が此処まで取り組んで来た世界・探索・創造の作品は、全体の一部である事が理解されて来たのは、私の役割が統尊(すめらのみこと)であり、全体的な「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」を、必要と考え続けて来た事が、終わりを迎えた事を示唆している様である。
其れを考えると、確かに私は「養楽」の事を、真剣に考えなければ成らないとの事なのではないだろうか。。
其の様に考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、孫のヨチヨチ歩きを楽しむ祖父母の姿・様子は、此の私を、其処へ導く為の誘い水なのかも知れない。
其の様に考えると、今年の12月23日の日付は、私自身には左程関係が無いと言う事であり、余り真剣に考える・取り組む必要は、無いと言う事にも成りそうである。
其れは、神界・霊界・四次元世界に、其れなりの準備が整ったとの事であり、此の私(礒邉自適)は他人には出来ない部分・分野を担っていた事に成り、其れを無事に果たした事にも成るのではないだろうか。
令和2年10月29日
礒邉自適
2020/10/9
敬虔なクリスチャン
2・10・9
昨夜は10時過ぎに睡魔が襲って来て、どうにも成らないので、着替えだけして布団に潜り込んだ。
今朝のビジョンは、先ず私が、何処かの・誰かの邸宅に、厄介になって居る場面が映し出されて来た。
私は、胡瓜を収穫したりする農作業は誰にも負けない能力を有して居たが、主人を訪ねて来る客人に対して、お絞りを出したり、飲み物を用意して出す事が出来なかった。
其の理由は、厨房が広くて大きく、何処に何が収納されているのか全く判らないし、ボイラーなどの機械・装備の取り扱いなども全く判らないのである。
其れで、自由(幸)に生きて来た私には「執事」の役は務まらないと考えて居た。
「霊留・ひとの在り方」https://wave.ap.teacup.com/20060106/492.html
其れで立ち往生していると、鹿児島のジャングルパークのレストランで社長の秘書を務めていた「図師サキさん」が登場して、全てを引き受けてくれたので、私は其処から外に出て裏手に回ると、其処には、山岳から流れて来る川の水を引き込んで、人間が泳ぐ事が出来る細長い池・プールが存在するのが映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時54分・4時6分前」であった。
私は其の「執事」の様子から、昨日の棘の有る「橘」の事から、イエスキリストが磔に成った時に棘の有る「茨の冠」を被された事を思い出し、眠れ無く成ったので、入浴する事にした。
そして目を閉じて居ると「敬虔なクリスチャン」との言葉が一言告げられて来たので、風呂から出て時計を見ると、時刻は4時15分であった。
其れからPCの前に座って見たが、手・思考が動かないので、寝室に向かい横に成って目を閉じて居ると、直ぐに「邪(よこしま)な考えを捨てる」との言葉が告げられて来た。
私は其の言葉で、矢追日聖法主が夢に現れて「順道」との掛け軸を見せた事を思い出し、「敬虔なクリスチャン」とは、其の「順道」の言葉と関係が有るのだと意った。
「順道・じゅんどう」https://green.ap.teacup.com/20060818/3277.html
そして、其の事を考えて居ると、「何も為さざるな」との言葉が脳裏の中に居座っている感覚が湧き上がって来たので、其の言葉を書いて渡した「土肥無庵」が、私の中に居座って居るのだと意い、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」であったので、私は其の数字が昭和天皇の誕生日である事を思い出し「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」との言葉を思い出した。
「神情朗達」https://green.ap.teacup.com/20060818/2863.html
「天皇霊 昭和天皇」https://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
そして、電気を消して再び横に成って居ると、今度は「他人が考えた道・法に絶対に触れるな」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時14分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「人間」と「自然」との関係性に関して、様々な映像が次々に映し出されて来た。
そして起きて時計を見ると、時刻は6時28分から29分に成る所であった。
今朝はPCを立上げ、先ず「敬虔なクリスチャン」との言葉を調べると、次の様に載っている。
「クリスチャンとは、キリスト教の信徒のこと。」
けい‐けん【敬×虔】 の解説
[形動][文][ナリ]うやまいつつしむ気持ちの深いさま。特に、神仏を深くうやまい仕えるさま。「敬虔な祈り」「敬虔の念が深い」
「敬・ケイ・うやまう」【解字】形声「攵(攴)+苟」音符の苟・キョクは、髪を特別な形にして、身体を曲げ神に祈るさまにかたどる。攴は、ある動作をするの意味。つつしむ・うやまうの意味を表す。敬・を含む形声文字に、儆・警・驚などがある。
【字義】@うやまう。たっとんで礼をつくす。うやまい。「崇敬」「尊敬」Aつつしむ。真心をこめてつとめる。つつしむ。「篤敬」Bうやうやしい。
「虔・ケン・ゲン」【解字】金文。会意。「虎+文」
【字義】@つつしむ(謹)。おごそかにつつしむ。「恭虔」Aただしいさま。Bかたい(固)。Cころす(殺)。損なう。
漢語林より
其れから、起こされた時刻「4時6分前」の数字から今年の4月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。
次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。
其れから再び眠ると、「定着」との言葉が示されて来て、其れは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在と関係が有る事が示されて来て、現在の何もしない天皇とは異なり、一切の政(まつりごと)を取り仕切る役割である理・ことが示されて来た。
其処で、赤家蚊の羽音が耳元で聴こえ来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時29分」であり、丁度二時間が経過している事が判った。
其れから再び眠ると、「御手柔らかに」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時11分前であった。
今朝のビジョンには、クレオパトラ風の褐色の肌色をした女性を妃に迎える場面や、釈迦が実家に帰り政治を始める場面等が映し出されて来たので、顕かに政治の世界に付いて、考える必要が有る理・ことが示されて来ている事に成る。
今朝はPCを立ち上げ、起こされた時刻から、昨年の「4月29日」「6月29日」「7月11日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
「4月29日」「塵と一緒に嫁を貰った」https://green.ap.teacup.com/20060818/4975.html
「6月29日」「組合長」https://green.ap.teacup.com/20060818/5037.html
此の、『貴方を 此処まで導いて来る為に どれだけのエネルギーが必要であったかを 能く考えなさいね。其れを考えれば 必然的に貴方が是から何を行えば良いかが 理解されて来るでしょう。其の理・ことが貴方にしっかりと自覚されたときにソレが始まります。』
との言葉からすると、私が是から思考しなければ成らない事は、「紀(とき)のまつり」を具体的に考える事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝告げられて来た「定着」との言葉は、私が伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の事に付いて書いて有る「定着した画像」との文章に書いて有る事が、此の三次元世界に現実の事として、定着する時節が巡って来たとの事なのではないだろうか。
其れは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在と関係が有り、私に「石工・石部・磯部」の神(はたらき)である「天照坐皇大御神」の役割が始まると言う事であるのかも知れない。
其れを考えると、今朝7時11分に告げられて来た「御手柔らかに」との言葉は、是から本番が始まるとの事であり、其れは激しいモノ・現象である理・ことを示唆している。
其れは、マヤの暦で2012年12月23日から始まるとされていた事が、「8年先延ばし」と成り、今年が其の年である事と関係が有り、人類全体に激しい禊ぎ祓いの現象が始まると言う理・ことなのであろう。・・
今朝のメッセージで、釈迦牟尼世尊が実家である王家に帰還して、王様・キングの役割を始めるとの事は、「聖者」は四次元的な世界である宗教的(精神)世界の指導者であり、三次元の戦争を伴う政治には関わりを持たない役目の者であるが、此処から先は其の聖者が政治の柱・中心と成らなければ成らないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、今回の新型コロナウイルスの問題は、世界全体で協力しながら対応をする必要が有る出来事なので、正に天神・宇宙意思が人類に与えた課題・試練である事に成るのであろう。
何故なら、今回の出来事は、国家間の戦争や地震などの天災ではないので、我々人間の努力で解決可能な物事だからである。
其れに、私に考えれられる事は、2008年9月15日に起きたリーマンブラザーズ証券の倒産に因る、世界同時金融危機の出来事が無ければ、今回の各国の財政発動が為されてないので、どうする事もできないパニックが起きて、手の打ち所が無くなる可能性が有った事が考えられる。
其れを考えると、リーマンブラザーズ証券の倒産劇も神(はたらき)が仕掛けたと謂うか、人間に金銭の世界を学ばさせる為の手法であった事に成りそうである。・・
今朝の由香のビジョンには、「物を持つから 他人に狙われる」との理・ことが示されて来たとの事である。
其れは、「聖者」は何も所有していないからこそ、他人に慈悲心を養う事に成り、物に執着する者は、物を守る為に次第に防御態勢を取り、増々物の管理が複雑化し、死後は財産争いで骨肉の争いが起きて、霊界に地獄を創り出す事で顕かな事である。
其れ等の事を考えると、確かに覚醒・解脱・成佛の世界を体験した人物に、政治を委ねなければ成らない時が到来したとの事なのであろう。
是くらい打てば、明後日が誕生日である釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の御魂も、次の段階へと進み易く成るのではないだろうか。
「御手柔らかに」https://green.ap.teacup.com/20060818/5325.html
此の文章に書いて有る、・・起こされた時刻が「4時29分」「6時29分」で丁度二時間が経過している事が判った。・・との事は、今朝起こされた時刻が「4時29分」「6時29分」であるので、此の4月6日の「御手柔らかに」との言葉は、非常に重要であるとの事なのではないだろうか。
【いま此処で 私の右手の中指の指紋の左側にカモ(神の電気信号)の反応が起きた。11時45分 】
此のカモの反応からすると、「4月6日」の日付が、「6月4日」と逆である事が関係が有り、私に「1984年6月4日(旧暦5月5日)母親の64歳の誕生日」に起きた出来事が、反対・逆向きに起きる・始まると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、「5時14分」に告げられて来た、「他人が考えた道・法に絶対に触れるな」との言葉が関係が有りそうである。
其れは「道・タオ」が老子の世界であり、「ダルマ・法」が釈迦牟尼世尊の世界であるので、是からは、老子や釈迦牟尼世尊の言葉を参考にしたり、引用したりする事を、絶対に行っては成らないと言う事に成る。
其の様に考えると、私は36年四ヵ月前に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」の現象を、全て忘れて、新しい生き方・考え方をしなければ成らないと言う事であり、そうしなければ、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が1984年11月22日の朝告げて来た、最後のチャンスである九回目のトンネル潜りが出来ないと言う理・ことなのではないだろうか。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れを考えると、今年の11月22日に行われる新嘗祭が非常に大事であり、其の新嘗祭が上手く行かなければ12月23日の矢追日聖法主誕生日・元旦祭が、此の三次元世界に定着・現実化しないとの事なのではないだろうか。
『そうではなく 貴方の存在が 実在のモノと
成らなければ 成らないと 言う事なのです。
ですから 貴方は 其の事 此の事を
真剣に受け止めて 向日葵の種子の中心にての
誕生を 実行しなければ成らないのですよ。』 12時23分
是はどう言う事であろうか。
今朝私は、天気が良いので、昨日植えた野菜の苗が心配に成って、畑に下りて水掛けを行ってから、草花の写真を暫く撮影し終えて、再びPCに向かって居るのである。
此の、時間・トキの一致・現象を考えると、私の意識は自分の物ではなく、操り人形と同等の物である事に成り、【一挙手一投足・いっきょしゅ‐いっとうそく】が自分の物ではなく、天神の代わりである理・ことに成る。
其れを考えると、私は完全に「霊留まる」の「ひと・空蝉」である事に成るので、是こそ・此の状態こそが「現人神・あらひとかみ」との言葉に讜・当たり「讜逓聖・とうていせい」其の者であるとの事なのかも知れない。
其れを考えると起こされた時刻が4時6分であり、其の日付の文章が「御手柔らかに」の題である事が最も重要である事に成り、私が昨夜10時過ぎに睡魔が襲って来て其の儘布団に潜り込んだ・潜り込まされた現象も神(はたらき)の仕業であった事に成る。
「他人が考えた道・法に絶対に触れるな」との言葉が告げられて来た「5時14分」の数字から、5月14分の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/5/14今朝のビジョンには、痩せ型の白髪の年配男性が登場し、私は其の男性の家の建築や庭造りを、楽しみながら手伝って居た。
そして、其の場所は朝鮮半島である事が判り、其の男性は「中国(唐)」が敵であった事を話して居た。
私は其の事から、其の男性は唐と手を組んで百済を滅ぼした「李芳遠・イ・バンウォン」ではなく、滅ぼされた側の百済の人間である事を理解していた。
今朝目覚めた時刻は、1時26分と3時15分であり、起きた時刻は7時26分である。・・
此の三日分の文章の内容から考えると、今朝私が考えなければ成らない事は、自分自身が楽しめる「人生」「国造り」「人間世界」の創造・創出であり、其れが無ければ、神々が動き出せないとの事である。
其れを考えると、一昨日のビジョンに濃紺のスーツ姿の矍鑠とした人物が、山岳から麓に下りて来た事と関係が有り、其の人物・男性の姿は、「土肥無庵」の精神が加味された「御祖神・みおやかみ」の存在であり、私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として立ち上がると謂うか、行動・言動・詔(みことのり)を始める必要があるのかも知れない。
【私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として・・と打った所で、私の右手の中指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きる】
10時16分
キー「10月16日 伊勢神宮」・・
先程の10時16分の「カモ(加茂神・雷神)」の現象と、此の検索に掛かって来た「一休禅師の悩み」の文章から考えると、私は自分の屋号として来た「風餐水宿」との言葉の呪縛から離れて、新しい屋号を考える必要があるのかも知れない。
「男性の喜びとは何」https://green.ap.teacup.com/20060818/5363.html
此の最後の部分の・・私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として・・と打った所で、私の右手の中指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きる。・・との事は、本日11時45分に、私の右手の中指の指紋にカモ(神の電気信号)の反応が起きた事と、直接関係が有り、今朝の「事象・霊留まる現象」で「土肥無庵」が、私の中に居座って居ると感じた事も、符合している事にも成る。
其れを考えると、「男性の喜びとは何」との言葉は、老子や釈迦牟尼世尊の教訓に捕らわれる事を止めて、自分自身が喜び・歓喜を覚える世界を構築しなければ成らないと言う事に成る。
其れは「土肥無庵」が、「ナニモナサザルナ」と書いたメモを私に渡した事を卒業(深読み)して、次の段階に進まなければ成らないと言う事であり、小学4年生の時に父親が喀血した洗面器の中を見た時に、閉じてしまった自分の個人世界を、蘇させる必要があるのかも知れない。
今朝のビジョンで私が厄介に成って居た邸宅の敷地の裏手に、山から清水が引かれて来て人間が泳げる細長い池・プールに成っていた場面は、4月29日が伊勢神宮を創建した皇女・斎宮である「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式の日なので、私が是から居住する建物が、今朝映し出されて来た様な条件の環境でなければ成らないと言う事であり、私は野菜の収穫は自分で行って良いが、執事の様な行いは、しては成らないとの理・ことなのではないだろうか。
「倭姫命のお言葉」https://wave.ap.teacup.com/20060106/373.html
其れに昨日のビジョンに、上向きに咲いている向日葵の黒い種子の真ん中に一個の白い卵が載せられていた事を考えると、
キー「太陽神 長い舌 炎のリング」
2016/6/22今朝のメッセージの映像は、とても険しい岩山の山頂に、十人程の男性が泊り込みで参籠する様子が示されて来た。
私も其の中の一人で、参加者は全て私と同年代の男性ばかりであり、中心的な人物が存在するわけではなく、夫々が自主的に参加した様な感じであった。
其の岩山に登る交通手段は、バスの様な乗り物が、ケーブルで狭い岩の通路を引き上げられる様な形式で、山頂には駐車場やUターンする場所も無いので、ケーブルカーの様に、引き上げられた儘の形で、下に降ろされる仕組みの様な物であろう。
そして、泊った施設は、床が斜めであり、布団は山の傾斜に合わせて敷かれてあったので、山頂を平らにするのではなく、傾斜に合わせた儘施設を建設している物である事が理解できた。・・
今朝のメッセージの映像から、私が感じるのは、岩山の山頂に存在する「神(はたらき)」に関係が有ると言う事である。
其れは、マヤ・アステカの神である、ピラミッドの山頂に存在する神「ククルカン・ケツァルコアトル」であり「羽毛の生えた蛇」と関係が有るのだろう。・・
私に其の「ケツァルコアトル・ククルカン」が、平成18年8月18日のメッセージに登場して「約束は守られる」との言葉を告げて来たので、其の日から「約束を護る」とのブログを立ち上げて、是まで文章を載せ続けて来た。
其れから、今年の8月18日で丸10年が経過する事に成る。
昨日は未明に起きてから、直ぐに、其の「約束を護る」のブログのトップに記載していた、島根県太田市に有る物部神社の「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御陵で撮影した神霊写真と、6月23日の文章の抜粋を削除した。
其れは、宇摩志麻遅命が人格霊であるので、次元切り替えの為に、必要では無くなったと考えたからである。
其れで、「宇摩志麻遅命」と「物部」の事が消えたので「約束を護る」のブログは、純粋な「ケツァルコアトル・ククルカン」の物と成った。
其の私の行動が、今朝の映像の、岩山の参籠と成って現れたのではないだろうか。
其の、平成18年8月18日のメッセージの映像では、「ククルカン・括る神」は巻物の様に巻かれた物を、一皮剥いだ時に、顔を出した物なので、其れは、6月19日の「タルト・トルクウェーレ torquēre (捩る、丸める)」と関連が有り、私が昨日の文章に「意識の成り立ちが哺乳類から」と書いた事が間違いであり、其れを1億2400万年前の「羽毛恐竜・羽毛が生えた蛇」の時点まで、遡らなければ成らないと言う事なのではないだろうか。・・
6000万年前の哺乳類の記憶から、1億2400万年前の羽毛恐竜「羽毛の生えた蛇」の記憶まで遡る為には、時間・トキを更に深く、螺旋の中を潜って行く必要がある。・・・
「羽毛の生えた蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/3894.html
2008/9/21・・其れは、アステカ文化の暦である岩に刻まれている「鏡・炎のリング」の、「真北・0時・12時」の所に有る「ケイン・葦の芽・葦北」に関係が有り、日本を「豊葦原瑞穂の国」と呼ぶ事と、「スメラのみこと・皇命」が国を「スメル・総める」とのシュメール文化の概念である事と、パスカルの「人間は考える葦である」とのイメージに、繋がる世界である。
其れは、湖や池の「葦原・よしはら」に、人間の記憶が繋がっている理・ことを示唆している。其処には、全ての動物の記憶の源が、潜んでいるのだ。
しかし、アステカの暦(太陽の暦石)炎のリングの北の中心には、葦の葉が刻まれていて「ケイン」と呼ばれている。・・
今朝の映像の意味は、言葉や数学は、人間の顕在意識の世界のモノであるから、其の思索の方法では、神の奥義である神秘の扉は、開かないとの事であろう。
其の様に考えると、「真言・マントラ」を使い、また書の達人であった空海でも、神の神秘の扉は開けていない事に成る。
そして其れは、パスカルでも不可能だったので、自分の心象風景を、一本の葦に例えて表現したのであろう。
其れは、アステカの人には、其の神秘が解明されていた事を証明している。
其の事実は、人間は文字を開発した為に、其の文字に意識が捉えられて、神秘の扉を潜れなく成った理・ことを意味している。・・・
「一番古い記憶」http://green.ap.teacup.com/20060818/889.html
2008/7/13・・其の、グリーンマンの顔から連想するのは、アステカの暦の真ん中に有る太陽神の顔である。
其の太陽神の口からは、長い舌が伸びている。そして、其の舌の真ん中には、籠目のマークが付いている。其の籠目のマークは、言霊の「あ」に当り「あ・阿」は大日如来の印でもある。
其の太陽神の舌と、今朝ビジョンに現れた、太陽の光が当っていた黄色い木の葉は、関係が深い様である。
何故なら、木の葉は、太陽の光を受けて生きている物であるし、其の木の葉の存在の御陰で、地球上の生物は皆、生かされているからのである。
其の理を考えると、スコットランドのグリーンマンと、アステカの太陽神は無縁ではない。
何故なら、アステカの暦の「0時・12時・北」の位置には、草の葦芽が伸びる姿が描かれており、植物の葉が、一番大事な物と考えられているからである。
そして、グリーンマンの髭は、伸びて行く植物である。
其れは、顔の図柄は違っても、同じ自然の働きを、意味しているのである。
其れを考えると、6500年ほど前には、アステカ人と、スコットランドの原住民であるピクト人との間には、何等かの繋がりが有った事に成る。・・・
「黄金の舌」https://wave.ap.teacup.com/20060106/329.html
2016/5/26「神の意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/3865.html
2017/1/1今朝のメッセージの映像は、先ず、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の人達の存在が映し出されて来て、シリーズ物で、映画の撮影が始まる場面が映し出されて来た。
其れは、アメリカ先住民の部族間の戦いが、殺し合いが目的ではなく、精神(たましい)の成長(たかまり)の為であって、女性も積極的に応援しているとの内容を、各部族が住んで居た地域を巡回しながら、シリーズで映画(物語)にして行く場面である。
其の撮影と言うか、番組造りに私の意識も参加して居り、私は自分のカメラ等が、リュックから落ちない様に、しっかりと紐を括って居た。
次の映像は、大きな温泉旅館に宿泊して居ると、其処の女将が知り合いの「図師サキさん」であり、私に「自適さんは 近頃女性の存在を避けているね」と謂った。
次の映像は、誰かが運転する車の後部座席に、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」がやつれた姿で座って居り、其の横には埃り塗れに成った一歳くらいの男の子が寝かされて居た。
そして私の意識が、後部窓から外を見ると、車の後ろには岩壁が有って、其の岩壁の中央に、20センチ程の穴を塞ぐ為の、丸太が差し込まれていた。
其れから、何処かの建物に到着すると、其処に知り合いの「河合養治」氏が先に到着して、私達が到着するのを待って居た。
そして、「KTC」と一言告げられて来た。
今朝は、其れ等の事に付いて考えて居て、時間が気に成ったので照明を点けて時計を見ると、時計の針は6時30分の位置で長短が重なっていた。
今朝のメッセージの内容は、全体的に考えると、人類と謂うか、人間の「精神・たましい」の復活に付いて、指示が為されて来ている様である。
最初の、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の映画造りの場面は、アメリカ先住民が、ヨーロッパからの移住者の手に因って、無闇に殺された事と関係が有り、其のネイティブ・アメリカンの御魂の復活が、必要不可欠である理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れは、現在のアメリカの経済システムや軍事力などの、生き方・生活手段が、地球の為にも、人類の為にも良くない理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして其の事には、女性の存在と言うか、子(人)を産み育てる母親達の存在を忘れては成らないと言う理・ことが、「図師サキ(図の師が先)」との名前で示されて来ているのであろう。
「師」の漢字は、軍隊を表すものであり、殺し合いや略奪をする様な戦いではなく、魂をたかめるための戦いは、女性にも共感できるものであるが、今の戦争や軍の有り方では、女性の存在を無視しているものであるという事を、謂いたかったのであろう。・・
次の、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」がやつれた姿で座って居り、其の横には埃り塗れに成った一歳くらいの男の子が寝かされて居たのは、倭姫命は伊勢神宮を創建した斎宮であるので、其の斎宮がやつれて居り、其の息子が埃り塗れと成って居たのは、「伊勢神宮」や「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらします すめおおみかみ のみたま」が、更新(復活)されていない理・ことが示されて来ているのであろう。
そして、車の後ろには岩壁が有って、其の岩壁の中央に、20センチ程の穴を塞ぐ為の丸太が差し込まれていたのは、「如意宝珠」が岩壁・岩戸に閉じ込められた儘である理・ことが、示されて来ているのであろう。
「魂の復活プロジェクト」https://green.ap.teacup.com/20060818/4102.html
此の「魂の復活プロジェクト」の文章には、驚いた事に今朝のビジョンに登場した「図師サキ」の名前が有り、名前の漢字の意味が、貼り付けられている。
2016/3/25・・今朝登場した「図師サキ」との名前に付いては、図・師の漢字が辞典に次の様に載っている。
*「図・圖・ズ・ト・はかる」【解字】会意。「囗+啚」囗は、かこむの意味。啚は、米倉の象形で、耕作地のある境界区域の意味を表す。境界などをはっきりさせるための縮図・地図の意味を表す。また、度に通じて、はかるの意味をも表す。
【字義】@はかる。㋐くわだてる。計画する。「企画」㋑工夫する。検討する。㋒考える。Aはかりごと。くわだて。計画。「壮図」Bズ。物の形状を描いたもの。絵・地図の類。また、描くこと。「縮図」C書籍。本。「図書」
*「師・シ」【解字】形声。金文は、「 +辛」音符の辛・シンは、刃物の象形で、つみするの意味。追は、大きな切り肉の象形。敵を処罰するという目的で祭肉を奉じて出発する軍隊の意味を表す。甲骨文と早期の金文では、追のみで音符はまだついていなかった。転じて、指導者の意味をも表す。
【字義】@軍隊。A易の六十四卦の一つ。多くの人を統率する人君・将軍を表す。Bかしら。おさ。長官。C人を教え導く人。先生。また、先生と仰ぐこと。師とする。手本とする。「恩師」D天子の最高の補佐官。大師。E音楽や礼儀の専門家。また、一般に技芸のすぐれた人。「医師」「技師」F役人。官吏。G風や雨をつかさどる神。「雨師」「風師」Hもろもろ。多くの人。衆人。また多いこと。「京師」 漢語林より
此の意味からすると、図師サキとは、師が図した事が「サキ・以前」に有るか、師が図する事で「サキ・先」に進むと言う事に成り、イエスキリストが意図した事が、是から始まると言う事か、是から「キリスト,メシヤ,救世主」が登場し、Hもろもろ。多くの人。衆人を統率すると言う意味に成って来る。・・・
「社会構造の変化」http://green.ap.teacup.com/20060818/3797.html
此の「社会構造の変化」との言葉からすると、昨日の向日葵の黒い種子の中に一個の卵が有った事は、其の卵が孵化すれば、社会構造に変化を齎すとの事なのであろう。
これ等の事からすると、昨日の文章に書いた、・・私の頭の上空部分が、電気・ライトが点灯しているかの様に明るく成って来て「チャンピオン」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、長短の針が12の所に重なっており、「12時・0時・子の刻」である事が判った。・・
チャンピオン【champion】 の解説
1 スポーツなどの優勝者。選手権保持者。「チャンピオンフラッグ」「チャンピオンベルト」2 ある分野の第一人者。「流通業界のチャンピオン」
3 (主義・主張の)擁護者。 国語辞典より
との事は、アステカの暦の「0時・12時・北」の葦の芽・ケインに直接関係が有り、一昨日の由香のビジョンで祖母が家中に灯り・火を灯していた事と関係が有り、昨日12時・0時・子の刻」から「炎のリング」が回転し始めている事に成る。
其れに、江藤敬介氏の一昨日のビジョンで、「羽毛の生えた蛇」が自分に懐いて来て、顔を長い舌で嘗めた事も、其れを裏付けている。
これ等の事を考えると、確かに今年の12月23日は、「予言の日」と成る事は、間違いが無い様である。
令和2年10月9日
礒邉自適
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