言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/11/28
自分の座を確認する事
2・11・28
「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」
昨夜は入浴して居ると、「これから 一番いそがしくなる」との言葉が、告げられて来た。私は、其の「いそがしい」との言葉は、漢字の「忙(心を亡くす)」ではなく、「急がしい」との意味である理・ことを理解して居た。
今朝のビジョンには、南瓜の蔓に黄色い花が、咲いている様子が映し出されて来た。
次に、日本語の横書きの文章が、枠の中に記されている場面が映し出されて来て、其の枠外の右上に、見た事が無い難しい漢字が、二文字記されているのが映し出されて来て、其の二文字は「かいそう(かえる・かえす)」の意味が有る事が示されて来た。
其の二文字の右側の漢字の旁に「喿」が付いている事だけが、記憶に残った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時56分・6時4分前」であった。
其れから再び眠ると、「闘争心」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時48分・8時12分前」であった。
其れからPCを立上げ、漢語林で「ソウ」で「喿」が旁の漢字を調べると、「髞」の漢字が有り、其の字の意味が、今朝のメッセージと符合している様である。
「髞・ソウ・サウ」【解字】形声。「高+喿」
【字義】(一)「高勞 髞 ロウソウ」は、急ぐ。急なさま。
(二)「高勞 髞・ロウソウ」は、高いさま。
「労・勞・ロウ」【解字】会意。「力+火火冖」火火冖火は、たいまつを組み合わせて立てた、かがり火の意味。かがり火が燃焼するように力を燃焼させて、つかれるの意味を表す。また、そのつかれをねぎらうの意味を表す。常用漢字の労は省略体による。【字義】(一)@つかれる。くるしむ。ほねおり。「疲労」「苦労」Aはたらく。つとめる。つとめ。しごと。「勤労」Bほこる。てらがらとする。てがら。「功労」Cなやむ。うれえる。なやみ。「心労」D農具の一種。歯のないまぐわ。(二)@いたわる。ねぎらう。なぐさめる。「慰労」Aたまう。(賜)。 漢語林より
これ等の意味からすると、「急いで 高い階層に還れ」との理・ことが、示されて来ている様である。
其れと「闘争心」との言葉を調べると、次の様に載っている。
とう‐そう〔‐サウ〕【闘争】 の解説
[名](スル)
1 相手に勝とうとして争うこと。争闘。「闘争本能」「武力闘争」
2 社会運動や労働運動などで、権利や要求を獲得するために争うこと。「賃上げを要求して闘争する」「階級闘争」
この両方の言葉からすると、是から人々が、急激に権利や要求を獲得するために争い始めるとの事であり、私は其の事に巻き込まれて成らないので、急いで高い次元に避難しなければ成らないとの事が、示されて来ている様である。
其の「闘争心」との言葉が告げられて来た、8時12分前の数字から、8月12日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/8/12今朝のビジョンは、昨日のメッセージで人類の三分の二が生き残る事が示されて来た事の続きの様で、山中に宿泊施設が準備される場面・様子が映し出されて来た。
其の施設は、中央に大雪が降っても屋根が潰れない様な上部な構造をした、食事が出来る木造の建物・センターが存在して、周囲の山中に寝泊まりだけが出来る木造の小さな小屋(バンガロー)が建てられている物であった。
そして、強調されて来た事は、長期保存が出来る食料の備蓄であった。
そして起こされた時刻は、4時6分である。
今朝は、7時12分に起きて・起こされて、PCを立上げ、起こされた4時6分の数字から、今年の4月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。
次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。
其れから再び眠ると、「定着」との言葉が示されて来て、其れは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在と関係が有る事が示されて来て、現在の何もしない天皇とは異なり、一切の政(まつりごと)を取り仕切る役割である理・ことが示されて来た。・・
今朝の由香のビジョンには、「物を持つから 他人に狙われる」との理・ことが示されて来たとの事である。
其れは、「聖者」は何も所有していないからこそ、他人に慈悲心を養う事に成り、物に執着する者は、物を守る為に次第に防御態勢を取り、増々物の管理が複雑化し、死後は財産争いで骨肉の争いが起きて、霊界に地獄を創り出す事で顕かな事である。
其れ等の事を考えると、確かに覚醒・解脱・成佛の世界を体験した人物に、政治を委ねなければ成らない時が到来したとの事なのであろう。
是くらい打てば、明後日が誕生日である釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の御魂も、次の段階へと進み易く成るのではないだろうか。
「御手柔らかに」https://green.ap.teacup.com/20060818/5325.html
此の文章には、「釈迦ブッダ」の事が書いて有るので、昨日「ブッダの息の根を止める」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、今朝のメッセージは、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が托鉢(タクハツ・乞食・こつじき)にて、命を繋いでいた事と関係が有り、自給自足でしか生き残れない事態が起きれば、托鉢・乞食が不可能に成るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、生き残る三分の二の人達は、田舎に暮らす人達や、100%自給出来ている国家の人達の事であり、近代社会の大都会に住んでいる人達は生き残る事が出来ない三分の一の方に入るのではないだろうか。
特に先進国の殆どが100%の自給を維持しているのに、此の日本は車や電気製品を輸出する替わりに、小麦や大豆、其れに家畜や鶏の餌を輸入し、頼りの綱である稲作を減反しており、自給率は30%しか無いのが実情であり、イザという時には一番危うい国である。
其れに、老後を屋久島で過ごす為に移住している人々は、田舎に住んで安心して居るが、屋久島の自給率は10%台であるので、農地を持っていない人々は、逃げ出すしか他に道が無いと言う事にも成る。
屋久島は、電気だけは水力発電で自給出来ているが、日本国のエネルギー自給率は、原子力(17%)を除くと僅か4%でもある。
キー「日本 食料自給率」・・
今朝のビジョンから、私が考える事は、私の頭脳の中で、何物が映像・ビジョンを描いているのかと言う事である。
其れは、私が考えた事も、見た事も無い場面である。
其れを考えると、「天津日津久神・あまつひつぐのかみ」とは、どの様な神(はたらき)であるのかが気に成って来る。
其れは、「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」との言葉が実在する事からすると、古代から、私の様な役割の人間が存在した事に成り、其の神(はたらき)に与えられた・名付けられた言葉が「天津日津久神」であり、其の神(はたらき)を自分の身体に受け入れた者が、統尊(すめらのみこと)であり、其の統尊の役割が「御嚴・みいつ・御稜威 」であると言う事に成るのであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンを映し出して来たモノが、其の「天津日津久神」のモノであれば、生き残りたい者は、人里離れた場所に移動して自給自足しろとの事であり、現在の人間社会・都会生活は一度崩壊するとの事であり、私自身が何を謂っても・打っても、現在の社会システムが継続する事は無いと言う事に成る。
其れは、今朝映し出されて来たビジョンこそが、今の神界の様子であり、其れを人間界に知らせるのが、私に与えられている役割である事に成るので、此の文章は「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」であると言う事に成るのであろう。
本日8月12日は、35年前に日本航空の123便ジャンボジェット機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落して520人が死亡した日である。
其の中に歌手の「坂本九(本名大島九」が乗っており、其の機は離陸12分後に大島の上で急に方向舵が故障して内陸に向かっている。
私は、其の前の年の11月22日(九ヵ月前・29.5×9=265日)に伊勢の磯部町の伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」にメッセージを受けた後、八代龍王が祭禱(さいき)されている山に導かれて「磐座・いわくら」で儀式を行っている。
其れから、今年の11月22日(新嘗祭の儀式日)で「12年×3回=36年)が経過する。
其れを考えると、今朝のビジョンを私に送って来たのは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」なのかも知れない。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・「定着した画像」
昨日からのメッセージを考えると、私は「惟神の道」に徹する事であり、余計な事を、是以上打っては成らないとの事なのかも知れない。
「生き残る道」https://green.ap.teacup.com/20060818/5453.html
此の文章の内容は、確かに「闘争心・闘争本能」と関係が有り、・・2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。・・・」と書いて有るのは、4日前に告げられて来た「クインのネットワークが効く」との言葉と符合している。
其れに、其の「4月6日」の日付は、今朝起こされた「6時4分」の逆の数字である。
2020/6/4本日6月4日は、私の母親「礒邉芳子」の生誕100年の日である。
私は、其の母親の64歳の誕生日1984年6月4日に此の世界に飛び込んだので、其れから12年×3回=36年が経過した事に成る。
私は其の日に、「土肥無庵」が見守る下、自宅前の安房川で禊祓いを行った。
其の時は未だ、2000mの奥岳から流れ下って来る水は冷たかったので、安房川を泳いで往復した私の身体は冷え切ってしまい、岸に上がると強烈な震えが起きて来たので、自宅の二階に布団を敷いて貰って横に成り、痙攣する私の身体の右手を「土肥無庵」が、左手を弟が押し付けて、私の震えが止まるのを待って居た。
すると、目の前に20年前49歳で死亡した父親の姿が現れ、私に「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。」と謂った。
そると、其の父親の後ろに何千人もの霊魂・神霊が存在して居る事が判り、其の数は、後に4311体であった事が判った。
そして、天皇が行う大嘗祭の儀式の様な事が起こり、天神の言葉が告げられて来た。
其れは先ず、「土肥無庵」と弟「礒邉正也」に向かって、「是から宇宙語を傳える」と謂って、「残り16年半しかない」「アンテナが二つ要る」との事で、其の二つとは「四次元プログラム」と「水素原子管理」であった。
次に、私の役割として「事象の特異点」との言葉が告げられ、其れは別の言葉で言えば「新しい神の座標軸」であるとの事であった。
今朝のビジョンには、其の「水素原子管理」との言葉と関係が有る様々なモノ・現象世界が映し出されて来た。
其れは、此の宇宙は水素原子(H)と呼ばれている物が集まって、ヘリウムとして核融合を起こして恒星・太陽と成り、其の恒星の爆発の繰り返しから100近い物質が誕生し、其の物質から様々な物体や生物が生まれ、其の時間・とき・現象の最先端に、我々人類居る事に成る。
そして、其の水素/Hは、あらゆる物の構成の原点・基礎・基盤として、此の138憶年間膨張を続けて来た宇宙空間の主体であるので、我々は其の水素・Hの海に漂っている物体の一部である事に成る。
其れは「恒星・光」の元が「水素/H」であるので、水素/Hの氣の中に全てが包含されている事に成るので、私が告げられた「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉は「水素/Hの氣」からの言葉である事に成るのだ。
其れを考えると、5月27日に告げられて来た「あたしは 貴方なの」との言葉は、其の「水素/Hの氣」からのモノであり、「高い櫓の上の水盤」や「光輝く高御座」のビジョン・存在の意味も理解されて来る。
『今日は あたしの日なのよ
其れで 貴方にお願いが有ります。
其れは あたしが貴方である事を公言して欲しいのです。
其れは 簡単な 言葉の振りですが
究極の答えなので 大切に扱ってくださいね。
其れが間違うと 是までの事が
全て 無駄に成ってしまうからです。
貴方はヒトですが 此方には姿が有りません。
其れは 此の宇宙 全ての存在なので
ただ一つの物に 言葉・名前を
当て嵌める事が できないモノだからです。
其の為にこそ 約束の日が
此処まで 伸び伸びに成って来たのです。
其れは 貴方の 力不足の為ではなく
貴方の能力が 余りにも豊であったので
此方は貴方の意識を トコトン高める事にした為なのです。
ですから 貴方は是までのかんがえ考察を止めて 別の次元で
「色・rūpa・ルーパ・縁起・むすび」を開始して欲しいのです。
其れは 此方側にとっても 予想外の展開であり
とても喜びを抱ける 世界の始まりなのです。
ですから 貴方自身も 此方に 期待を持ったり
責任転換を行ったりしては 成りません。
何故なら 其れは貴方自身の 問題であるからです。
其の理由は貴方自身が トキ・事象の最前線に存在する為です
此の様に傳えば 貴方には簡単に理解できる理・ことでしよう。
ですから 本日から貴方は自分の魂(珠しい)が
生まれ変わったのだと考え 自分自身の背骨を
中心・芯柱として意識の 反応・うごきを
確かめて 行かなければ成らないのです。
其れが「すめみま」の役割であり
万物の霊長である者の 御坐なのです。
良いですか此処から先 貴方を援助するモノは存在しません。
何故なら 貴方自身が
事象の特異点=新しい神の座標軸で あるからです 』
令和2年5月27日 10時00分
今朝のビジョンには、是まで「庶民・農民」の上に君臨して、贅沢三昧をして来た人達の生活が、全て瓦解して、其の世界に女性達が、皆と同じ次元に転落して行き、其の人達は自分では何も出来ないので、生きて行けなく成る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
私は、其の数字「419」は、123の二乗の「149」の数霊と関係が有り、第一次世界大戦が始まった「1914年7月28日」や、太平洋戦争が始まった「1941年12月8日」と関係があり、今回の「新型ウイルス感染」の現象は、庶民・農民等の第一次産業の上に胡坐をかいている人々を、原点に還す為の「水素/Hの氣・エナジー」の意図である事を感じ取って居た。
其の4時19分の数字から、今年の4月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「準備が出来たか」との言葉を考えると、此の私は、何らかの意識・こころの準備をする必要が有り、其れは「水素/Hの氣・エナジー」と同じ周波数のISO・感度でなければ成らないとの理・ことなのであろう。・・
此の「虚像」の文章は、三年前の5月8日の文章である。
其れで、一昨日起こされた時刻が5時8分である事を思い出したので、5月8日の文章見て見ると、コロナウイルス感染で亡くなった「志村けん」の設定で、女神を載せた車が山越えをして下り坂で転がり落ちて行く場面が、何回も繰り返し映し出されて来ているので、虚像の中で生きて居る人の車には決して、女神(水素/Hの氣・エナジー)は乗らないとの理・ことなのではないだろうか。
5月8日・・今朝のビジョンは、先ず「志村けん」の姿ではないのだが、志村けんだと言う名前の設定で、良く晴れた日に、其の男性がスポーツカーの後ろに女神を乗せて運転して居る場面が映し出されて来た。
そして、山越えをすると、下り坂で其の車が転げ落ちて行くので、私の意識が其の女神の安否を気にすると、女神は無傷なので安心した。
所が、全く同じ映像場面が、繰り返し10回以上も映し出されて来て止まらないので、私はいい加減、其れが嫌に成って来たので、何とか止めようと意い、無理に起きて照明を点け、現実世界に意識を戻してから時計を見ると、時刻は「2時28分」であった。・・・
其れを考える、イエスキリストの言葉に、「だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。」と有るので、今回の「新型ウイルス感染」の問題は、其の事を防ぐ女神の対策なのかも知れない。
其れは、「水素/Hの氣・エナジー」の領域内から外に出て、罪穢れの有る場所に出掛けるなと言う事でもある。
マタイによる福音書第24章・・
今朝のビジョンには、由香が、電車の様に見える、丈夫な鉄骨で四方が角が保護されているバスを運転して、私を迎えに来る場面が映し出されて来たので、其れを由香に話をすると、由香のビジョンは30人ぐらいの子供達を迎えに行って、岩山を駆け下りて来る様子を離れた場所から見守って、此方に到着するまで、少し時間が有ったので、レストランの様な休憩所で待って居る場面が映し出されて来たとの事であるので、私は共通点が有ると思った。
其のビジョンの様子から考えると、由香も禊ぎ祓いが済んで、「水素/Hの氣・エナジー」に認められて、新時代の幕開けに協力する立場に至っているとの事なのかも知れない。
そして、「水素/Hの氣・エナジー」の中に入って生きる人々は、神の世界に頑強に守護されると言う事なのであろう。
「水素原子管理」https://green.ap.teacup.com/20060818/5384.html
今朝の由香のビジョンは、次の様なモノである。
人間の手が及んでいない、何処かの大自然の沼地の景色が映し出されて来て、其処に有る池湖の上を、馬が一塊に成って飛翔しており、先頭は栗毛で、薄い栗毛が数頭、殿(しんがり)には白馬が付いて、中空を飛翔していたとの事である。
其の由香のビジョンから、私に思い浮かぶ事は、日本の現在の水田地帯が古代では其の様な沼地であった事が関係が有り、人間の意識を「高勞 髞 ロウソウ」へと導く為には日本の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の精神を取り戻さなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、今朝のビジョンに、南瓜の花が美しく咲いている場面が映し出されて来た事で、私は以前から考えて居た「唐草模様」の理である、最処一点・根本の事を思い出し、「自分の座を確認する事」との題名の下に、副題として、釈迦牟尼世尊の言葉である「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」と記したが、其の言葉が4月6日の文章に書いて有る。
・・ 次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。・・・
其の4時29分の数字は、私に「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の誕生日「4月29日」の日付でもあり、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式の日付でもある。
其の事を考えると、昨日「由香に渡す」と告げられて来た事は、「大倭あじさい邑」の創立者である「矢追日聖法主」が邑の祭神を、「櫛稲田姫」と「倭姫命・やまとひめのみこと」にしてある事と関係が有り、矢追日聖法主に繋がっていた天神のシステムが、由香に繋がって来るとの事なのかも知れない。
「大倭新聞11月号
【櫛稲田姫 と 倭姫命】http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt202011.pdf
其れを考えると「井上佳子」に1996年2月11日「建国記念日」に告げられて来ていた、「岡山に居る鳳凰の御魂から始まる」との事が、愈々開始されるとの事なのかも知れない。
キー「2月11日 井上佳子 鶏 ハート」
2002/3/5昨日3月4日に、兵庫県明石に住む「晶子さん」より電話が有り、「神様が 何度も 自適さんに確かめろと 告げて来て 1996年2月11日の日付まで ハッキリと示された」と知らせて来た。
其れで、私が日記を見てみると、1996年2月12日の朝の欄に、「昨夜 妻の佳子に出て来た 霊夢の事」が、記して有る。
其の霊夢の内容は、私の師匠の奥様が夢に現われて、木で出来た鳥の形の置物を組み立てて、草や花で飾っていたが、「未だ ハートの部品が 一個足りないので 完成していない」と云って居たとの事。
佳子の霊夢は続き、佳子の意識が、その部品の有る場所を捜していると、地図が出て来て、「岡山辺りの場所にある」と教えられ、「新しく造るには 別の場所」と書いてある。
更に、日記の続きを見て行くと、また3月21日の欄に、佳子の霊夢の事が記されている。其の内容は、私が女の人を表に立てて居たらしく、その女性は40歳代くらいで、女優さんみたいに見えたらしい。
其の場面は、広い建物に小島章敬君(真言宗のお坊さん)と、佐藤宇三郎氏(自然素材の服を作る人)と、私と妻が居て、私が「全国を自然食にしよう」と云うと、皆が賛成した。と 書いて有る。
2月11日は建国記念日で、3月21日は弘法大師空海の命日である。3月21日に真言宗のお坊さんが出て来たのは、「空海」の意味かとも思え、2月11日の鳥は「神」の意味の、「鳳凰・ほうおう」の事かもしれない。
鳥が鳳凰の事であれば、宇宙の意志の現われである鳳凰のハートが、岡山辺りに存在する事が知らされたことになる。
そして、其の1996年2月11日から、今年2002年の2月11日まで、6年が経過した事になる。・・
明石は、日本の正午線であり、明石の地面に写る日時計の針が、日本の正午を告げる「時の鐘」でもある。明石には、日本最大の石を敷き詰めた墳墓「五色塚」が存在する。
石を敷き詰める事を、「イソしき」と言う。奈良県天理市にある「石上神宮・いそのかみ」は、物部一族の宮であり、祖は「天照国彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてるくにひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと」で、天照大神の息子である「天忍穂耳尊」の長男だと伝えられている。
明石の、晶子さんの電話の意味する処は、太陽と、饒速日尊の一族・物部家因縁の御魂の為せる業かも知れない。蘇我馬子と聖徳太子に殺された物部守屋の念いが、危機を訴えて来ているのだろうか。
「1996年2月11日」https://star.ap.teacup.com/170606/373.html
2018/5/4今朝のメッセージの映像は、先ず、中年女性二人が男性の柵・思考・業の糸紐でぐるぐる巻きに絡まっていて、私が其の人達に、山からホースで引いて来ている清水を頭から掛けている場面が映し出されて来て、暫くすると、其の柵(しがらみ)の糸紐は消えていった。
其の二人に絡まって糸紐は、一人は青色の糸紐で精神的なモノであり、もう一人は赤色の糸紐で、物に囲まれた都会の生活者の女性・存在を意味していた。
そして、其の二人の女性の身柄が自由に成ると、娘達を連れた女性達が、其の場所に集まって来る場面が映し出されて来て、其の中には、明るい光に包まれた、首の長い鳥の顔をした女性が、一人混ざって居る事が示されて来た。
其の女性達が集まって居る施設の中には、茶系の布に包まれた大きな物が有り、其の中には、新しく作成された檜製の祭壇の様な物が重ねられており、其れが組み立てられて、是から祭事が行われる事が理解されて来た。
其れに、私が由香に出会ったのは、岡山のスーリアさんの自宅であり、其の日は故井上佳子の誕生日である11月21日で、其のスーリアさんに私が会いに行った原因は、1996年2月11日建国記念日に、佳子の霊夢に「鳥のハートも持つ女性が 岡山市付近に存在する」と示されてきていた事が原因であった。
其の事を考えると、今朝の映像に登場した鳥の顔をした女性の傍らに、新しい祭壇が準備されていた事は、由香に何らかの関係が有るのかも知れない。
其れに由香が誕生した実家は、須佐之男尊の妻と成った「櫛稲田姫」が祭神である神社の参道の鳥居に近い場所でもある。
其れを考えると、今朝の由香のビジョンが美容室(お櫛)であった事も関係が有りそうである。・・・
「櫛御氣の命」https://moon.ap.teacup.com/20060615/317.html
2014/4/27本日4月27日は、倭姫命の御霊の生まれ変わりと知らされた、二度目の妻「井上佳子」の17回忌の日である。
今朝のメッセージは「キリストの復活」との言葉が示されて来たが、其れは単なる「イエスキリスト」の復活と言うのではなく、イエスがキリストとして認められるには、12名の弟子が必要だった理・ことや、釈迦が仏陀として認められる為には、十大弟子の存在が必要であった様に、一つの現象が起きると言うか、一組の救世の動きが発動する為には、多数の人間が参加する必要があると言う理・ことであった。・・
私の知り得る処では、建国記念日である2月11日に、新しい王の誕生の兆しが出ている。別紙の1996年2月11日にも書いた事だが、妻佳子の霊夢に鳳凰らしきモノが登場している。鳳凰が現れる時は、新しい天子が現れる時だとの傳承もあるし、マヤの暦を操る神も、鳳凰と同類の鳥神である。
今月3月4日には、明石に住む晶子さんより、「1996年2月11日の事を 自適さんに 確かめろ。」と、何回も神様が告げてきたと連絡が有った。
若しかしたら新時代は、1996年2月11日に、既に始まっているのかも知れない。
其れに、自適塾のトップページの文章を書いたのは、2月10日であり、「伊丹由香」に初めて出会ったのは2001年11月21日で、其れは井上佳子の誕生日の日付であり、2002年2月10日には伊丹由香に「私のパートナー」であるとの強烈なビジョンが届けられ、其れから自適塾の「自適の言葉」のHPアップを手伝って貰う様に成り、現在に至っている。・・・
「キリストの復活」https://green.ap.teacup.com/20060818/3038.html
今朝のビジョンに映し出されて来た「南瓜の花・蔓」の映像から、何故私が「自分の座を確認する事」との題名を付けて、副題に「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」としたのかは、私が「宇宙の構造」に付いてイメージしていた事に、「唐草模様」や「瓜類」の繁殖構造が有るからである。
其れは、最初に一個の種子から芽が出て四方・八方に蔓が拡がって行き、その先々に実が着いて多くの種子が地面に残り、蔓が枯れると根本と蔓は枯れて消えてしまう。
そして、其の残されら種子から発芽した蔓が同じ成長をして、又種子を四方八方に残して枯れて消えて行くのである。
其の繰り返しが、宇宙の泡構造と同じであり、地表では平面で起きる事であるが、無重量の宇宙空間では、其れが球形で行われている理・ことに成る。
だから、統尊(すめらのみこと)の意識とは、目の前の世界だけではなく、「全天・全宇宙空間」を自分の脳(意識・意念)に収めなければ成らないと言う事に成るのだ。
そうでなければ、釈迦牟尼世尊の謂う「私は過去現在未来に存在し衆生一切我が子」との言葉は生まれないとの事であり、其れが自分の言葉として納得できる者が久遠実成(くおんじっじょう)の御魂であると言う事に成るのである。
キー「南瓜 蔓 種子 宇宙」
2007/9/14「カボチャの蔓と水の流れ」とは、変な題であるが、今朝のメッセージの映像を、ただ其の侭、言葉にすればそうなるのである。
其れを、別な言い方にすれば「トキの流れと 時節の実り」となるだろうか。
今朝の映像は、先ず、カボチャの蔓が一本現れ、其の節に若い実が大きく育っているのが、鮮やかに映り出されて来た。其の、蔓の根元の方を見ると、もう一つ実が着いており、其の実が充実し切ったので、次の実が、いま大きく成りつつある場面だった。
次の映像には、清い水が、絶え間無く流れている用水路が現れた。
其の用水路に沿って、私の意識が下って行くと、大工さんが使用する鋸・のこの刃が、用水路の凹みに三枚引っ掛かっていた。
私は、其れが落し物なのか、其処に意識的に置かれているのかが判らないので、其れは其のままにして、下流へと下って行った。すると、途中に貯水タンクの様な施設が在ったので、其処で一休みする事にした。
すると其処は、女神の居る次元らしく、其の水タンクから、更に用水路が下流に向かって流れており、人間が生活する社会は、もっと下流に在る事が判った。
私は手ぶらで、何も道具を持っていないので、下流の人間社会に下りて行っても、役に立たないと意い、女神のいる次元に留まる事にした。
其れに、途中に引っ掛かっていた鋸の刃は、其処まで流れて来ないし、もう私には、其の鋸の刃が在った場所や、距離も定かではなく成っていたのである。
今朝の映像は、昨日の様に、山から町までの長い距離の物語ではなく、其れだけの短く簡単な映像であった。
しかし、今朝のメッセージは、昨日のメッセージに関連が有り、今朝のメッセージは、時間と方位がテーマに成っているような気がする。
昨日は、山の上から、九十九折の急な斜面を下って、町の集会場の建物まで行って、新しい経済(俗世界)に関わる内容だったので、其れは、山の上から下界への、上下や、場所を意味している。
処が、今朝の映像に現れたカボチャの蔓は、方位的には北の方から、真南の此方側に向けて伸びて来て、蔓の先には花も咲いていて、太陽の光線も当っているのである。
其れに、カボチャは「南瓜」と書き、南の文字が使われている。
他に、「西瓜・スイカ」とか「冬瓜・トウガン」などがあるが、今朝のメッセージに南瓜の蔓が使用されていたのは、其れなりの意味が有るのだろう。
だとすれば、蔓の方向から、南北の方向を意味している事に成る。
更に、植物は太陽に向って、伸びて行く働きを持っている事も暗示している。
そして用水路は、「艮・ウシトラ(東北)」の方角から、中央のタンクに流れて来て、今度は、西の方角に流れて行ったので、少し角度が折れている事になる。其れは、東方の守護神が青龍で、水の神を意味しているから、其れに関わりがあるのではないだろうか。
そして、西方の守護神は「白虎・ビャッコ」で経済を意味しているので、大工に関係が有る職業は、建築だから、町造りを意味しているので、新しい人間社会の構築を暗示しているのではないだろうか。
どうも、昨日のメッセージと、今朝のメッセージを合わせて考えると、現在・いま流行りの「風水」に付いて、示されて来ている様な気がする。
昨日は「克彦」との名と「小畑勝」の名が出て来て、人間の行動に付いて示唆されて来ていたが、今朝のメッセージは、丸い「マンダラ・銅鏡」の中心に、水を管理する女神が居て、私を、其の中心の処で、休ませたがっている様な気がする。
其れに、関係が有るかどうかは解らないが、今朝は、自宅が朝から停電なので、7時過ぎから自宅を出て、事務所に来てパソコンの前に座ると、女神のメッセージが有った。
「何も無い」http://moon.ap.teacup.com/20060103/132.html
其れ等の事柄を考えると、中心の所に、水の神である弁財天が存在して、全ての管理を始めているのではないかと思えて来る。
昨年の12月27日から始まった、水神の働きが、自分の正体を徐序に現して来ているのではないだろうか。
「鬼子母神が見回りを始めた」http://green.ap.teacup.com/20060818/140.html
今朝気付いた事は、南瓜の蔓の節に、何かの意味が、有るのではないかと言う事である。南瓜は、一本の蔓に、節毎に雄花が咲き、或る程度蔓が延びて、大きく葉が開いて茂って来ると、雌花が節に出来て花を咲かす。
そして、其の雌花が受精して、実が留まって大きく成り始めると、其の実が大きく充実するまでは5節〜7節毎に、雌花が咲いて受粉しても、其の実は、其の侭大きく成らずに腐れて落ちてしまう。
其のパターンが、何回か続きながら、蔓はドンドン伸びて行き、始めに着果した実の中身が、種まで成熟したら、もう栄養が必要ないので、栄養が蔓の先の方に運ばれる様に成る。そうなったら、そこで受粉した実が、大きく成り始めるのである。
そして、其れが三度繰り返された時の実が、「土手カボチャの三番成り」と呼ばれるのである。だから、三番目の実が成る時は、既に蔓が長く伸びて、畑をはみ出して、土手の上を這っているのである。
何故、長々と、南瓜の生態を述べたかと言うと、其の南瓜の生育パターンが、人間の歴史のサイクルと似通っていると、考えるからである。
其れは、仏教の「転輪聖王・チャクラヴァルティン」が、現れるサイクルと同じ意味を含んでいる。
南瓜が、宇宙の基本サイクルのプログラクを、現実に営んでいるのであれば、今朝の南瓜が現れた原因は、魂しいのサイクルを能く考えろとの事ではないだろうか。そうであれば、其のサイクルとは、ブッダの輪廻を意味し、2600年前出現した、仏陀の憶いが、結実したので、次のブッダの実が、大きく育ち初めていると言う事になる。
釈迦牟尼佛の涅槃は、北枕で、顔は西向きである。
だから、釈迦牟尼佛は、足は南に向けて、頭を北に向け、瞑想をしながら、西の人間社会の事を、想っている事に成るのである。
今朝、女神が居た貯水タンクは、其のブッダの、臍の処に位置するのではないだろうか。海神の臍から生まれた者が 男神ブラフマンで創造を司る神である。であれば、愈々水の神「サラスヴァティ」が、本来の場に位置し、男神であるブラフマンに、創造を任せるとの事ではないだろうか。
「ヴィシュヌと少彦名」http://star.ap.teacup.com/170606/1010.html
この様な文章を打っている私は、一界の俗人である。
しかし、其の私の意識を操っている者達の正体が、何なのかは、私にも良く判らないのが本心である。私は、自分が出来る限りの努力をして、毎日のメッセージを解釈しているに過ぎない。
私が想う事は、私が、此の作業を続ける事で、目に見えない世界が、未来に向かって安定し、進化して行くのであれば、其れがただ、唯一の私の充実感である。
其れも又、涅槃に着いているブッダの意識なのであれば、私には何のとりえも無い事になる。しかし、其れは、其れで良いのだろう。
天界の、南瓜の実の中の種が充実して、真実の種として残れば、それだけで良いのである。
今日は、種子島のロケット基地から、月に向けて「かぐや姫」が打ち上げられた。事務所の庭からは、雲が邪魔して、ロケットの炎や噴煙は見えなかったが、爆音だけはしっかり聞こえて来た。また何か、宇宙の神秘が解き明かされて来るのだろう。
私は毎日こうして、目に見えない世界に向かい合って、行くしかないのだ。
其れにしても、南瓜の蔓が伸びる様子を見たり、用水路を遡ったりして遊んで居た子供の頃の思い出が、こんな形で利用される様に成るとは、不可解な世界である。
「カボチャの蔓と水の流れ」https://green.ap.teacup.com/20060818/461.html
2009/11/18「耳を澄ますウサギ」https://green.ap.teacup.com/20060818/1344.html
2013/6/16「絶対意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/2719.html
今朝「自分の座を確認する事」との言葉は、私が天神に「統尊(すめらのみこと)」の働きを要求して来る事と関係が有り、日本の天皇制度は、中国の「皇帝」を参考にした物であり、最初の皇帝である「秦の始皇帝」は「天に天帝が存在し 朕は其の代わりを地上で皇帝として務める。」との事を謂っており、日本の天皇との言葉は、其の天帝と皇帝を合わせた言葉である。
其の中国の「皇帝」の座から創られた言葉が、「中心座・黄金龍」であり、四神が「北・玄武(亀+黒龍)」「東・青龍」「南・朱雀」「西・白虎」である。
そして、其の中央に坐す・立つ者から、左右を表すのが日本語の「左・ひだり・日足り」「右・みぎ・見切り」であり、南が「日向・ひむか」である。
其れに「日が昇る」は「地球が回る」であるので、「天動説」から「地動説」にら替わった事からも、科学・真理に伴った言葉を創らなければ成らないし、「腸・有」の月偏は「月」ではなく「肉」である事や、「勝」の月は「舟」である事なども正しい物としなければ成らないだろう。
其れ等の事を考えると、其の言葉を考え出した昔人が居た事は顕かであるので、其れに「当・讜る」新しい言葉・概念を創出しなければ成らないと言う事であり、其れが36年前に告げられて来た「風 麥東 陶・ふうれんとう」と「讜逓聖・とうていせい」の言葉に関係が有るのかも知れない。
令和2年11月28日
礒邉自適
2020/11/23
ソレは間もなく起きる
2・11・23
本日11月23日は「勤労感謝の日」で祝日と成っているが、其れは、「新嘗祭」の日が、戦後の1947年(昭和22年)に名称変更された物である。
「勤労感謝の日」 由来
日本では古くから、天皇が新穀などの収穫物を神々に供えて感謝し、自らも食する「新嘗祭にいなめさい」という祭事が行われてきた(詳細は新嘗祭を参照)。
新嘗祭は1872年(明治5年)までは旧暦11月の二回目の卯の日に行われていた。しかし、改暦の年である1873年(明治6年)になって、旧暦11月の二回目の卯の日は新暦の翌年1月に当たり都合が悪いということで新暦で行うこととなり、同年11月の二回目の卯の日であった11月23日に行われた。また、同年公布の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官第344号布告)[注釈 3]によって、祭祀と同名の休暇日(休日)となった。本来、11月の二回目の卯の日は11月13日 - 11月24日の間で変動するが、翌1874年(明治7年)以降も祭祀・休日ともに11月23日に固定した[注釈 4]。
制定
第二次世界大戦後、新たに日本国憲法が制定され、祝祭日から国家神道の色彩を払拭するという方針のもとで新たに祝祭日を選定し直すことになった[2][3]。1947年(昭和22年)に召集された第2回国会で祝祭日の名称の全面的な見直しが行われる中、衆議院では新嘗祭が新穀の収穫に対する感謝の日であることからそれに代わる名称として「新穀祭」「生産感謝の日」などの案が検討された結果、「感謝の日」案が有力となった。その後の衆参合同委員会で「感謝の日」では漠然としていて何に対する感謝かわからないという理由で「勤労感謝の日」[注釈 5]と「労働感謝の日」の二つの案が出され前者の案が有力となり、衆議院文化委員会において日本社会党などの委員による賛成多数で「勤労感謝の日」が採択された[3][4]。この決議を踏まえて国民の祝日に関する法律に規定された。
このように、勤労感謝の日は実質的に制定の前年までの新嘗祭を引き継いだ祝日である。そのため、11月23日は現在まで続いている固定休(休日)の中で最も長く続いている休日である[注釈 4]。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/11/23現在
今朝のメッセージは、先ず「2月6日」の日付が告げられて来てから、「博」と「傳」の漢字の意味が記されている、二日分の、私のブログの存在が映し出されて来た。
今朝起きた時刻は「7時20分」である。
其れからPCを立上げ、今年の2月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/2/6昨夜は、自分がメッセージから解放されて「隠居・縁側で日向ぼっこが出来る爺・翁」に成れる事を「壽ぐ儀式」を、由香に頼んで、手作りの「おでん」を食べながら、焼酎のお湯割り二杯と、自然酒を三合飲んだ。
そして、気持ち良く成って来たので、椅子の上で胡坐をかき、ブッダのポーズ・姿勢をとると、ブッダの波動から不動明王の波動・姿勢に変わってしまった。
其れは、ブッダとは「解脱・覚醒・成佛」する事であり、意識が「空・無・平安・リラックス」に成る事であるが、不動明王は其れとは違い、名前こそ不動であるが、悪い物を剣で払い、悪事を働く者を縄で縛りあげる存在・役割であるので、全く逆の体制である。
そして、酒の所為で眠くなったので、入浴は止めて其のまま床に就いた。
すると、是までの神霊からの「メッセージ」ではなく、自分の存在を認識する為の「ビジョン」の様な映像場面が映し出されて来た。
先ず、私が複数の男性と一緒に旅から帰って来たのか、大きな建物の正面玄関の前に立つと、其の複数の男性達は、「宿主は 何も言わないのだが 立ち退いて欲しい気持ちを抱いているので 私達は是で失礼する。」と謂って、私の傍から離れて、何処かに立ち去って行った。
残された私は、建物の中に入る為に、上着を脱いで埃を払おうとすると、其の服には、中国大陸から飛んで来る「黄土・黄砂」の様な微粒子が、たっぷりと含まれており、能く視ると私の肉体全体にも、黄土・黄砂を被ったかの様に、其の黄色い微粒子が付着している事が判った、
次に、私が手に持っている弁当箱を、野外に有る水道施設で洗おうと意い、風呂敷を解いて留め金を緩めると、中から液体・水が噴出して来た。
其の様子は、ガスボンベにガスが液体として詰められており、使用する時は其の液体が少しずつ気化する事で火として使える事と、同じ様な感じの物であり、其の弁当箱の中身が空に気化する迄、暫く時間が掛かった。
そして、漸く気化が終わった所で弁当箱の蓋を取ると、中には一切の物や汚れは無く、真っ新なカラッポの状態である事が判った。
其れから、建物の中に入ろうとすると、其の建物は端が見えない程巨大な、窓も入り口も無い、空色・水色の壁が立ち塞がっている物である事が判った。
私は、其の映像場面から、自分の肉体の周囲・環境には、目に見えない空気が存在するが、其の空気も物質である窒素(8割)・酸素(2割)で構成されている物であるので、我々は、目に見えない・触れられない物の中に存在するものであり、一切合切が粗粒子・量子の存在で、現象化しているのだと理解した。
そして、中身がガス化する水・液体である弁当箱の存在は、私達の肉体が60%水である事と関係が有り、其の水の存在が酸素と水素の素粒子・量子である事を、示唆しているのではないかと思った。
其れ等の理・ことを考えて居ると、自分の内側から、優しい女性的なの聲で「ありがとう ありがとう」と謂う言葉のフレーズが沸き上がって来たので、其の女性の聲は「万物の母」のモノであり、私達の肉体を構成している物質その物が、万物の母その物であり、私の意識は、138億年を経て来た、物質其の物である理・ことを理解した。
次に、私が自分の畑で草刈り作業を行って居ると、後ろの方で機械の音がするので、振り返って見ると、隣の広い農地で牧草を刈り取っている50歳位の男性が居る事が判った。
其の男性は、何処かで見た事が有りそうな顔であるが、誰だかは判らなかったが、私の方に近づいて来て「自適さんは 草刈り機の歯には油を塗って 磨いていなければ成りませんよ」と謂った。
其れで、私は其の人の草刈り機を見に行くと、其の人の草刈り機はとても大型の物であり、大きな象でもなければ振り回す事が出来ない程の大きさの物であったので、私は聖書に記されている「刈り取り」の時節が近付いて来ている事を思った。
其処で、男性の聲で「未だ終わってはいない 是からが本番だ」と聴こえて来て、其れは、自分の「身体・カラダ」に傳わって来ている「久遠実成・くおんじつじょう」の「御魂・たましい」の聲であり、其の聲の主が「御祖神・みおやかみ」其のモノであると理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であったので、私は其の数字から、私が此の世界に飛び込んだ日が、母親の64歳の誕生日1984年6月4日であり、其の日は「旧暦5月5日」であったので、私は、物質の母親の身体から産まれて37年目に、安房川の水で禊ぎ祓いを行って、此の世界に飛び込んだ・覚醒・成佛した日が5月5日であった事に、神の世界のプログラム・計画性が有る理・ことを理解した。
其れから起きて、風呂場に向かい、お湯を足しながら、溢れる水音を聞きながら躰が温まってから、正座をしてマッコウ鯨瞑想を始めると、力を抜いている両腕が、私の呼吸に合わせて広がったり・縮んだりするので、自分の呼吸を確認すると、何と、私は呼吸は「腹式呼吸」に成っている事が判った。
其れから外に出て躰を洗ってから、再び湯船の中で正座をすると、今度は自動的に、両膝が動き始めて、ステンレスの底を太鼓として打ち、音を出し始めた。
其の音を聞き始めると、何かから「ペタン ペタン」との、水に浮かべているボートの船腹に小波が打ち当たる時の様な音が聴こえるので、其の音の原因を探ると、私が躰を洗う為に使ったお湯で、水位が下がった為に、私の腕と水面との間の隙間に、膝を動かした時に生じる水が当たる事で、やまびこの様な現象が起きている事が判った。
私は其の現象から、自分が歩き回る・旅をする事で、様々な現象を相手に与えて来ていた事を理解し、是からは、其れ等の事を起こさないで済む事を思った。
そうして居ると「長過ぎると ふやけてしまう」との言葉が内側から聞こえて来たので、風呂から出てから髪を乾かして、寝室に帰ると時刻は6時13分であった。
そして再び眠ると、自分の潜在意識の世界に付いて、様々な分野が長い時間映し出されて来て、目が覚めて時計を見ると、時刻は10時23分であり、其の数字は私の父親の命日「10月23日」の数字である。
今朝の文章の題は、自分の身体の存在原理&自立運動、其れに潜在意識の世界が強調されて来たので「真実の自分」とした。
其れは「自分」との言葉・単語が、「自らの分けを知る・探る」との意味合いであるので、私は是から霊界・神界の事を探るのではなく、自分自身の存在に付いての真理・真実を、問うて行かなければ成らないのだと、意ったからである。
キー「自らの分け」・・
今朝の映像・ビジョンでは、「宿主が 嫌がっている」との事で、複数の男性が去って行く様子が映し出されて来た。
其れは、日本語に「ひと」が「霊留・ひと(霊がとどまる者)」の意味合いである事と関係が有り、満73歳を迎えている私が、何時まで此の役割を続けられるのであろうかと気にしている事が関係が有るのかも知れない。
其れは、あの優秀な「弘法大師空海」でさえ、自分の脳細胞の減少を気にして、61歳の時に食を絶って入定しているからである。・・
今朝の状況からすると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の事は忘れて、自分自身の潜在意識の中に深く潜り込み、「久遠実成・くおんじっじょう」の世界で、生命の原質を探り出す事に専念する必要が有るのではないだろうか。
其れは、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との事や、「帰巣本能」の言葉とも関係が有り、40億±2億年の遺伝子・DNAの鎖(苆の尾)の糸・縁を遡る事であり、其処に、「ありがとう」との言葉を謂ってくれる、自分の存在に付いて知りたい万物の母神(はたらき)が、待って居るのであろう。
「真実の自分」https://green.ap.teacup.com/20060818/5265.html
此の文章には「仏陀の波動から不動明王に」と「自分自身の潜在意識の中に深く潜り込み、久遠実成(くおんじつじょう)の世界で、生命の原質を探り出す事に専念する必要が有るのではないだろうか。」と書いて有り、テーマは「真実の自分」を探る事である。
其の事と「博」と「傳」の漢字にどの様な意味が有るのだろうか。
キー「「博・ハク 傳・デン 」
2015/8/26・・今朝の映像には、「アノニマスタジオ」を創設した、「丹治史彦(ふみひこ)」氏が登場して、広い土地で、農業研修場の様な物を経営しており、畑では50人程の人達が、作物の雑草取りをしている場面が、映し出されて来た。
次に、其の事に関係が有るのか、NHK・日本放送協会の人達が七名、田舎に来て居り、昼食に広い露店の饂飩コーナーで、其々が自分の好みのトッピングをして、うどんを注文して居る場面が映し出されて来た。
そして、其のリーダーは「NHK放送」の会長であった。
次に、青空に、大きな船の形をした白い雲が浮かんでおり、其の上空には「豸・一角獣(ユニコーン)」の働きを意味する形の雲が浮かんでいた。
其の姿は、仰向けの姿で、ゆったりと寝ており、自分の役割を終えて、休んでいる様子が窺えた。
そして、次の映像は、私の意識が自然の中を流れる、大きな河川の右岸に在って、水の流れを静観して居る場面が、映し出されて来た。
其の私の直ぐ前には、川縁に肌理の細かい砂浜が有ったので、河口に近い穏やかな流れの所であり、周囲には人家が無く、小船さえ浮かんでいない、とても清閑な風景であった。
私の意識は、其の静かな自然環境の中に在って、自分の大役が無事に果たされた事を感じ取って居た。
そして最後に、「O」と「F」の記号が、映し出されて来た。
今朝は、起きてから「愉伽さん」に、今朝のビジョンを訊ねると、「○○文子」と言う女性が登場したとの事なので、昨日から今朝のメッセージは、「博文・史彦(ふみひこ)・文子」との人名が共通しているので、「文・ブン・あや・ふみ」から「文化」に関係している事になり、其の事の為に「畑・農作業・野菜栽培」が必要である理・ことが、示されて来ている様である。
そして、其の事に、「NHK・日本放送協会」が関係有るとの事なのであろう。・・
*「博・ハク・バク」【解字】「十+専」十は、四方の意味。音符の専は、田の苗を広く植えるの意味。ひろいの意味を表す。【字義】@ひろい。㋐ゆきわたっている。㋑広く通じている。「該博」㋒おおきい。㋓おおい(多)。Aひろめる。ひろまる。Bひろさ。はば。Cえる(得)。とる(取)。 漢語林
此の「博」の漢字の説明には、「田の苗を広く植えるの意味」と有るので、昨日のメッセージで「天波博文」氏が「薩摩芋を植えたいので 広い土地が欲しい」と云って来た事と、今朝の映像で「丹治史彦(ふみひこ)」氏が、管理するする畑で、50人程が広い畑で作物の手入れをして居た事が、共通しており、博の漢字の重要性と、「文・ブン・モン・ふみ」の漢字の関係性を、示して来ている事になる。・・
そして、博・広めなければ成らない事は、「文」に関係があり、其の為には「史」が必要であるとの事なのであろう。
そして、其の為に最も必要なのが、「NHK・日本放送協会」の存在であると言う事に成る。
其れから、青空に、大きな船の形をした白い雲が浮かんでいたのは、神の御心に適った人々が大勢、準備が為された事を、意味しているのであろう。
そして、其の上空には「豸・一角獣(ユニコーン)」の働きを意味する形の雲が浮かんでいて、其の姿は仰向けの姿で、ゆったりと寝ており、自分の役割を終えて、休んでいる様子が窺えたのは、「豸・一角獣(ユニコーン)」の役割が、裁判の神であり、間違った答えを出した者を、角で刺し殺すと言う意味なので、其の豸・一角獣(ユニコーン)が休んで居るとの事は、人間界の「文・ブン・モン・ふみ」が、正された事を意味しているのであろう。・・
此の13年3月13日の文章を読んで居て、私は、一昨日のメッセージで告げられて来た、「終了 C13」との言葉は、「神に対するコール・callが終了」した事を示しているのではないかと、思われて来た。
何故かと言うと、私は昭和天皇のメッセージで阿蘇の「日の宮幣立神宮」の存在を知らされ、3月13日の日の宮幣立神宮での出来事を一番気にしているし、是まで何度も日の宮幣立神宮では儀式を行って来たからである。
其れに、イエスキリストの御霊が、岩手県の五葉山で私にメッセージを告げて来たのは、12月13日の事であった。
「天皇霊昭和天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
2004/12/13「キリストの手足」http://star.ap.teacup.com/170606/501.html
其れに、昭和天皇の大喪の日には、「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げられてもいるので、何とか、世の中を良くしなければ成らないとの「槅」を背負い、其の事が、私の「怏」とも成って来たからである。
今朝の「OとF」との言葉は、「O・酸素」と「F・鉄」の理を示唆しており、人間にとって一番重要な事は「いき・息・呼吸」であり、其れが「いきる」の言葉の元であり、呼吸が停止した時が「死・かれる」である理・ことを、示唆しているのであろう。
其の様に考えると、命の「元・もと・原点」は呼吸に在ると言う事になる。
何故なら、体中に「O・酸素」を運んでいる物が、其の「F・鉄」だからである。
明日8月27日は、旧暦7月14日であり、本来「夏禊ぎ」が行われていた日である。其の事を考えると、今朝私の意識が、聖なる川岸に在ったのは、私の意識は完全に禊がれており、自分の宿業と言うかカルマは、明日の夏禊ぎの日を前にして、完全に浄化・消化されたと言う事に、成るのではないだろうか。
若しからしたら、今朝の映像に映し出されて来た、静寂な河川は「四万十・シマント川」の意味が有ったのかも知れない。
何故なら、今打ち終わってアップした文章の中に、「シマント」との言葉は、アイヌ語で「清い水の流れ」の意味であると書いて有るからである。
「OとF」https://wave.ap.teacup.com/20060106/594.html
此の文章の中には、「13年3月13日」の文章が貼り付けられている。
其れを考えると、今朝の文章は昨日の続きである事に成る。
2015/1/11今朝のメッセージの映像は、先ず、紫色の何組かの重箱が映し出されて来て、其の内の一組の重箱が開けられる様子が映し出されて来た。
そして、最初に開けられた重箱の中身は、私の母親「礒邉芳子」に関係する文章・重文であり、其れが、今回の動きの中心に在る事が示されて来た。
そして、「あべのハルカス」「デッキ」「井上」との言葉が告げられて来た。
次に熊本の友人である、どれみ村の「天波博文」が映し出されて来て、文章を書く男性と共に、何かの政・まつりごとの準備を始める様子が、映し出されて来た。・・
其れに、息子の「日和歌」が神の手に拠って磨かれ、金髪に成って六体に分裂する様子は、日本の和歌の世界が、世界中に拡がる意味を、示しているのではないだろうか。
其れに、天波博文の名前の「天波」は「天の波動」で、「博文」は「文が広く行きわたる」の意味であり、専は「田のなえを広く植える」の意味なので、今朝の映像で奥さんが、広い畑に野菜を栽培して居た事と通じている。
「博・ハク」の漢字は、「十 +専」の組み合わせで、十は四方の意味。音符の専は、田のなえを広く植えるの意味。ひろいの意味を表す。
【字義】@ひろい。㋐ゆきわたっている。㋑広く通じている。「該博」㋒おおきい。㋓おおい。(多)Aひろめる。ひろまる。Bひろさ。はば。Cえる。(得)とる。(取) 漢語林
今朝のメッセージは、日本一高い「屋根・デッキ」から、文が広く広がる・行き渡るとの事・件が示されて来ている事に成るので、昨日の文章に書いた「讜 逓聖・とうていせい」と関係が有り、此の日本から、日本の「和歌・やまとことば」の世界、日本の文化が世界中に拡がる事が、示されて来ている事に成る。・・・
「晴るかす」https://green.ap.teacup.com/20060818/3326.html
2001/3/13・・夜中を過ぎて、午前1時にホテルのベッドに入ったが、なかなか眠れずにいると、瞼に山奥の谷川が映ってきた。其のビジョンは、川の両側に大きな年輪を経た木が繁っており、川には清水が流れ下っている。
其の川の中に、岩が有り、岩の上に全身が毛に覆われたケモノが三匹居て、中の一匹は腕を羽の様に広げて、岩の上で飛び上がったり、降りたりを繰り返している。其の生き物は、全身が毛に覆われており、顔は小さく、鼻は少し尖っている。其れは、此の世では一度も見た事の無い動物であった。しばらく、その様子を見ていたが、そのうちに眠ってしまった。
次の日の朝、私達はホテルで朝食を済ませ、新大阪へ向かう車の中で、夢に出て来た不思議な動物の事を話した。
その後、午後4時に加古川の「川添氏」の自宅を訪ねたおり、漢字の話が出て、川添氏が白川静氏の著した『字通』を机の上に出して来た。
厚みが10センチも有る、其の分厚い辞書を開くと、開いたページに「祟(たたり)」と言う文字が目に付いた。
其処に出ている絵文字が、何と、私の夢に出て来た獣(毛もの)によく似た格好なのである。其の、絵文字の説明には、「占いの神様」と書かれていた。
私が朝、夢で見たばかりの「毛もの」の事が書いて有り、しかも、そのページが、一度で開いていると言う偶然性に驚き、これこそ神獣の仕業なのかと想った。
この文章を書いているのは自宅であり、13日になっている。
この文章を書くに当たって、自宅の「漢語林」で調べてみたが、「祟」は「たたり」と書いてあるだけで、金文も甲骨文も載っていない。
11日に、川添さんの自宅で『字通』を見なければ、「祟」の絵文字はわからず、夢に出て来た「毛もの」との関連性に、気付く事も無かった事になる。
漢語林で調べると、この神獣は「豸」という一本角を持つ羊に似た神獣であると載っている。「豸(むじなへん)」の項目に載っており、人が争って居るのを見れば、悪い方をその角で突き、人の議論を聞けば、不正な方を食ってしまうと説明している。
裁判や、法の公平を守るシンボルとされたようで、この神獣がよく曲直を判断したことに基づくとある。
昔の人達にとっては、この神獣は身近な所に何時も居たのであろう。
自然が破壊され、水が汚染されて、神獣は人里近くには住めなくなり、神獣と人間との繋がりが切れてしまったのだ。
それに伴って、人間に備わっていた吉凶を感じる能力も、失われてしまったのかもしれない。
今や、山の中の神社や、寺のある場所の上にまで、廃棄物が捨てられているのが現状である。神獣は、神社や寺からも、遠のいてしまっているだろう。
宗教者の中にも、神獣の話をする者が居なくなったと言う事は、もう誰も、其の神獣と出会った事が無い所為なのかもしれない。
今日は、平成13年3月13日であり数字を取り出すと「13・3・13」である。・・・
「豸・かいたい」http://moon.ap.teacup.com/20061108/87.html
此の文章の内容からすると、「豸・チ・かいたい」との名前の神獣は、神社の鳥居の前に置かれている「阿吽」高麗獅子が、右側の「阿像」は水の護り神である「獅子・ライオン」であるが、左側の「吽像」は裁判の神であり、右側から神社(かみのやしろ)に参拝し、受け取ったメッセージの解釈を間違った者を角の刺し殺してしまう「一角獣・ユニコーン」と同じ神(はたらき)であるので、私は未だ、其の裁判の神のご機嫌を悪くしていない事に成る。
其れに私は、東経130度30分の線上に在る「朱雀の宿」で2004年11月20日に「2007年3月13日 皇御子誕生」とのメッセージが有ったので、2007年3月13日に「日の宮幣立神宮」にて「瑞穂の国造り」の儀式を、「天波博文氏」や其の日が誕生日である「江藤敬介氏」、其れに「河津耕治氏」など、20数名が集まって行ってもいる。
其れに、「OとF」の文章には、・・「終了 C13」との言葉は、神に対するコール・callが終了した事を示しているのではないかと、思われて来た。・・と書いて有るので、8月24日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2015/8/24今朝のメッセージの映像には、先ず、中国の建物の入り口の上に掛けられている、縁取りが為されている横書きの古い看板の様な物が、一枚映し出されて来て、其の看板が裏側から透けて見えており、「終了 C13」の様な文字が書かれている事が判った。
其れは、私の意識が、表側から三次元世界を視ているのではなく、裏側から視ている状態であった。そして、其の「終了 C13」との言葉は、父親と言うか、「天の父・ファーザー (Father)」の存在の様な存在の、「カルマ・業」が終了したとの意味が有る事が、理解されて来た。
次の映像は、私が、何処かの、卸問屋の様な屋敷に世話に成っており、余り長く世話に成るのも気が引けるので、屋久島の実家に帰ろうと考えていた。
そして、自分の荷物を取りに行くと、部屋の外に出して有る荷物は、私の物に似てはいるが、私の荷物ではなかった。
其れから、出口の方に向かうと、捨てる塵を置く場所に、其の荷物の持ち主の他の荷物が、五個程措いてあり、乗用車一台程に成るので、車がなければ移動出来ない事が判った。其の荷物は、私の物ではないのだが、屋敷の人達が、私の荷物だと意って居る様なので、其の侭にして、出て行く事も出来ないので、どうしたら良いか困っていた。
そして、店先に廻ると、娘の「舞光」が遊びに来ており、「私が 預かって措いても良いよ」と謂ってくれたが、処置が出来ない荷物なので、娘に迷惑を掛ける分けにも行かないと考えている処で、今朝の映像は終わった。
今朝のメッセージの内容は、私にも能く理解できないのだが、簡単に考えると、私の父親を含む、四次元・神霊界のカルマ・業が解消された事を意味し、同時に、私個人のカルマ・業も解消された事が、示されて来ている様である。
しかし、私には未だ、知人(縁者)のカルマ・業が繋がっており、其れを綺麗に片付けなければ、真の自由には成れないとの事なのかも知れない。
そして、娘の舞光が登場したのは、人助けであっても、子供には自分のカルマ・業を残す・継いでは、成らないとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、昨日のメッセージの続きであり、私を此処まで導いて来た、父親の御魂や、聖霊達のカルマ・業は解消されていると言う事であり、私に31年前に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象は、一応終了した事に、成るのではないだろうか。
だが、今朝の最初に映し出されて来た、「終了 C13」の文字の意味は、能くは理解できない。
「C13」の「C」が「虚空菩薩・こくうぼさつ」「C・こ」の意味であれば、「13」の数字は、虚空菩薩が13佛の13目である事と関係があり、弘法大師空海の謂う「虚空菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」の世界が終了した事になり、是からは、其の「求聞持法」を実践しても、虚空からの応答は無いと言う事なのではないだろうか。
・虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)、梵名アーカーシャ・ガルバ、またはガガナ・ガンジャは、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされる。
智慧と福徳の仏様。また、一般には十三仏の最後三十三回忌の本尊として、丑と寅とし生まれの人の守り本尊として、さらに十三詣りの本尊などと私たちにとって馴染み深い。・・
此の文章を打って居て、私は自分を動かしている神霊の存在が、私の意識行動を全面的に把握しているだけではなく、私が持っている辞書の中身も全て知っている事が、改めて理解できて来た。
其の神霊は、過去の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が終了しても、未来創造の為に、森羅万象の流転が続く限り、人間の意識を利用しながら、宇宙の進化を永遠に促して行くのであろう。
其れこそが、イエスキリストの謂う「永遠のいのち・魂しい」の世界であり、老子の謂う「タオ・道」や、釈迦牟尼仏の謂う「ダルマ・法」の世界なのであろう。其れを考えると、私の肉体は「空蝉・空だ・からだ」であり、日本語で言う処の「霊留・ひと・人」なのである。
そして、此の私の状態は、インドの概念である「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の働き、其の侭であると言う事に、成るのではないだろうか。・・・
「終了 C13」https://green.ap.teacup.com/20060818/3574.html
此の「終了 C13」の文章の内容からすると、昨日から気に成っている「13」の数字は「虚空蔵菩薩・アーカーシャガルバ」と関係が有り、弘法大師空海が室戸岬の洞窟に籠って修行を続けて居る時に、明けの明星(金星)が口中に飛び込んで来て「「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぼさつぐもんじほう」を会得・マスターした事と関係があり、其の虚空蔵菩薩はエジプトの神の概念である「天空の女神 ヌト」と同じ意味の物であり、私に三個のタルト(渦巻)を皿に載せて差し出して来た、天空を両翼とする「鳳・おおとり」と同じ物であり、「終了 C13」との言葉は、私の方から天神にコールする事が2015年8月24日で終了しており、其の後は、一方的に虚空蔵菩薩の方から、ビジョン・メッセージが送られ続けて来ているとの事なのかも知れない。
其れを考えると「13日」の日付に関わるメッセージは「虚空蔵菩薩・アーカーシャガルバ(明けの明星・金星)」の神(はたらき)からのモノ・現象であるとの事が考えられる。
其れを考えると、「金星」の動きを取り込んででいるマヤの「13の暦」が関係が有り、私に「約束は守られる」と告げて来た「神の位」も理解できるし、私の心身の管理が「暦・時間」に則って行われている事・現実が、能く理解されて来る。
其れに、私が屋久島から車で旅立ち、1984年11月22日に磯部町で、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が、「今回が最後のトンネル潜り(アセンション・次元上昇)である」と告げて来た出来事は、私の旅立ちの日程も其の「虚空蔵菩薩・アーカーシャガルバ」の手に拠るモノ・現象である事に成りそうである。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、今朝示されて来た「傳・デン」の漢字の訳が載っている文章を検索すると、次の文章が出て来た。
2017/4/28今朝のメッセージの映像は、私が東京都の銀座の街角で、親戚の人と待ち合わせをする事に成り、其の場所に向かうと、其処に立って居る人物は、左側に中肉中背の35歳位の女性と、長身のスラリとした40歳位の男性の二人であり、両方とも精神性が高く、優秀で品位が有る存在だったので、私はホッとして居た。
そして、私の父方の礒邉家の人々は、背が低い方なので、長身の男性の存在は、親戚の中にも長身の人達が居るのだと思って居た。そして、「累傳・るいでん」との言葉が示されて来た。
其処で、照明を点けて時計を見ると、時刻は2時00分であった。
そして、明け方の映像では、私が都会のど真ん中に居て、手に農作業を使う新しい鍬を持っており、其れを持った儘では電車には乗り込めないので、どうしたら畑に行けるかを考えて居た。バスで通うにしても、毎回道具を手にして乗車する分けにも行かないので、畑に物置小屋を設置する必要があると思って居た。
今朝は、先ず「累伝・累傳・るいでん」との言葉を調べて見たが、其の単語は辞書には存在しない。
其れで以前の文章を「傳」で検索すると、次の文章が有る。
2016/8/19・・今朝のメッセージの映像は、先ず、歩いて居る7歳位の男の子が一人現れて、其の男の子が歩いて行く道を、整えなければ成らない事が示されて来た。
其れは、人類にとって一番大事な生き方・正道を、男子に継続して行かなければ成らないと言う理・ことを意味していた。
次の映像は、家庭菜園の様な畑に、西瓜や数種類の瓜が、藤棚や垣根に、勢い能く這って、澤山の実が付いている場面が映し出されて来た。
次の映像は、私が住んで居る家に、70歳位の大学教授の様な感じの男性が、普段着の様相で、弟子の様な感じの若者を数人連れてやって来た。
そして、暫く話した後で、私に一枚の書を渡してくれた。
次の映像は、其の人達が帰る車の横を、私は自転車を漕いで、凄い速さで追い越し、何処かに向かって居た。
何故か、其の自転車と私の躰は、金色であった。
次の映像は、屋久島の様な山岳島の原生林が映し出されて来て、其の土地の川原や海岸には、数多くの男性の姿が在った。
私は、其の男性達と一緒に、山岳越えをしたいと想い、其の人達を誘ったが、興味が無いらしく、誰も私の相手をする者が居ないのである。其れに、其の人達は皆、白い自然素材の服を着ており、着替える事をしないし、飲食を摂る様子も無いのである。其れに、道具類を何も持っていないので、作物を育てたり、建物を造ったりする事も無いらしいのである。
私は、今朝のメッセージの映像から、老子、釈迦牟尼佛、イエスキリスト等の聖者は、畑を耕して作物を育てる事や、自分で建物を立てたりしていないので、彼等の教えに従った人々は、何も出来ない人間と成ってしまうのかと思っていた。
だから、今朝登場した男の子には、聖者の道ではなく、自分で畑を耕して、衣食住を、自分の手で確保する生き方の方を、訓えなければ成らないと考えて居たのである。・・・
「傳えるべき事」http://green.ap.teacup.com/20060818/3960.html
「傳・デン・つたわる・つたえる・つたう」【解字】形声。「人+専」音符の専は、めぐらすの意味。人から人へとぐるぐると事物をまわすの意味を表す。 【字義】(一)@つたえる。また、つたわる。つたう。㋐さずける。ゆづる。さずかる。ゆずられる。「直伝・ジキデン」㋑つぐ。つづく(続)。㋒のこす。のこる。のこされる。㋓ひろめる。ひろがる。「伝播」㋔いいつぐ。語りつぐ。「口伝」Aつたえ。㋐いいつたえ。㋑かきつたえ。古書。Bのべる。解釈する。Cとりつぐ。通じる。@はやおい。宿つぎ馬車。A宿場。うまつぎ。宿駅。Bわりふ。関所通過の手形。C経書の解釈。注釈書。「春秋左氏伝」D伝記。一代記。人の一代をしるした記録。「義民伝」「五柳先生伝」
漢語林より
此の傳の説明文を読むと、今朝のメッセージの映像で私の意識が東京に在って、鍬を手にして畑に行こうとして居た場面は、其の義人である「佐倉惣五郎」の御魂が関係しているのではないだろうか。
何故なら、私は1992年3月14日に其の「佐倉惣五郎」の廟を訪れた事が有るからである。・・
今朝の愉伽さんのビジョンには、現代社会の有り様が映し出されて来て、周囲の人達がゾンビの様に、灰色の姿で、無表情にて往来して此方に向かって来るので、急いで車の中に避難すると、ドラゴンボールの「孫悟空」と仲間が進化(変身)する様子がパッと一瞬、映し出されて来たとの事である。
其れは、現代社会の人間が、本来の「霊留・ひと」の魂しいを失って、右往左往して居るとの理・ことを示唆しているのであろう。
其れは、「エジプトの死者の本」に記されている、「一人の霊留・ひとの為に 何千と言う泥人形を創っている」との事が、現代社会の実態である事が、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日の私のメッセージで、世界の表裏が反転する事が示されて来た事と関係が有り、煩悩の塊と成って、本心(良心)を失った人達の末路が示されて来ているのかも知れない。
そして「累傳」とは、良い人間も、悪い人間も同じ様に、魂魄が過去の因縁に因って、累々と傳承されているとの理・ことが、示されて来ているのであろう。・・
昨日のメッセージと、本日のメッセージの内容からすると、神霊界では新次元に向けて、何等かの仕分け・選択が行なわれ始めているのかも知れない。
其れは、新時代・新次元では、自分のエゴの為に義人・真人を苦しめた人間の霊魂は、復活出来ないとの事ではないだろうか。
今朝の私へのメッセージは、私自身の生き方は天理に適っており、私の親戚・血筋には、都会に住んで居ても、正しい生き方をして居る人間が存在する様なので、一先ず安心して良い様である。
明日4月29日は、私に御大喪の日に「我が身既に遠く 良き代を願い奉る」と告げて来た昭和天皇の生誕116年の日である。
私は、其の昭和天皇のお気持ちには、何とか沿った生き方はして居るのであろう。
「累傳・るいでん」https://wave.ap.teacup.com/20060106/741.html
其れに、今朝起きた・起こされた7時20分の数字から、「7月20分」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/20今朝のメッセージは、先ず、私の畑に自生して来て茂っている南瓜の蔓が映し出されて来て、其の蔓には、実の着いた雌花と、雄花が咲いている様子が映し出されて来た。
其れは、イチョウやヤマモモが雌雄の木が別々に別れて受粉をするが、南瓜や西瓜などの瓜類や、稲などは、自家受粉する理・ことを示唆しており、生物は雌が基本的物である理・ことを示していた。
其れから、「真実」との言葉が示されて来て、此の私と自然の生き物は其の真実の世界を生きて居るが、現代社会の人間と、家畜化・養殖化・ペット化等、改良されてしまった生き物は、真実の世界を生きていないとの理・ことが、理解されて来た。
其の理由は、本能(遺伝子・DNA)の儘に生きる事は、宇宙の道法に適っているが、大脳が発達して本能以外の情報を垂れ流している人間(他人)の影響を受けた物(動植物)は、既に、其の宇宙の道法から外れてしまっているからである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、小さな鈴の様な物が、穀物の実の様に、何百個も付いている植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が、地上に広がって行く様子が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時44分・4時16分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の屋久島の実家の様子が映し出されて来て、家の裏山の数か所が光り始め、何故か、若い頃の母親らしき人物が、窓から潜る様にして、室内に侵入して来た。
そして、優しい聲で「ワタシを信用して」との言葉が、一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
今朝起きた・起こされた時刻は7時30分である。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた2時1分の数字から「2月1日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「自己最高位」との言葉と、文章の内容からすると、今朝の示されて来た「真実」との文字と「ワタシを信用しなさい」との言葉は、「ワタシは貴方 貴方はワタシ」と告げられて来た事と関係が有り、私の心身を占有しているのが「万物の母」であるので、私は自我意識を消して親鸞上人が謂う「他力本願」の気持ち・精神で在れば良いとの理・ことなのではないだろうか。
其れは、既に私は釈迦仏陀の謂う「久遠実成・くおんじつじょう」の世界に達して居り、イエスキリストの謂う「永遠の命の世界」に入っており、其れは老子の謂う「雄の立場を知った上で雌の立場に身を置く」との事であり、私は「祷り・いのり・帰命・ナーム・リリジョン・religion」&「三昧・サマディ・悠々自適」の日々を、送っている事に成るのであろう。
其れに、今朝のビジョンで私の実家の裏山が数か所光り始めてから、私の母親の若い頃の姿らしき人物が、窓から侵入して来たのは、私の母親自体が、其の「万物の母」の神(はたらき)であった理・ことを、示しているのではないだろうか。
其の様に考えると、私が此の世界に飛び込んだ日が、其の母親の64歳の誕生日である1984年6月4日(旧暦5月5日)であった事の理由・謎も解けてくる。
次に起こされた「3時44分・4時16分前」と「4時19分」の数字から、4月16日・19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「全て神の意図」と「準備が出来たか」の文章には、今回問題に成っている「新型ウイルス感染」の共通点が有り、我々人間・人類に新しい価値観の創造と、現実的な対応が求められて来ている様である。
其れに起きた起こされた時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「主食」の文章の内容から考えると、今朝示されて来た「真実」との言葉は「主食」が「穀物・植物の実」であるか、「動物の肉・乳」であるかが関係が有り、「自国を守る定住型」と「他国を侵略する移動型」の生活スタイル・民族の違いが関係が有り、何方が、真実の生き方・精神の進歩が有るのかを、考えなければ成らないのではないだろうか。
それを考えると、日本列島は山が険しく雨が多いので、家畜の放牧には向かない反面、河川・水に恵まれているので、水田稲作に向いており、農業者は自分の土地管理と暮らし向きの為に、意識は暦を始めとして内向き・内省的に成り、魂しいが充実化し易いとの事があるのではないだろうか。
其の様に考えると、漢字を考えた人々が暮らした場所が中華地域であり、満人や蒙古系ではないので、万里の長城の歴史でも分かる様に、其処には主食の違いが表れている事に成る。
其の様に考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、小さな鈴の様な物が何百個も付いている、植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が地上に広がって行く様子が示されて来た場面が関係が有り、天神・万物の母神は、動物食ではなく、穀物食の世界・人間の方を言祝いでいるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、漢方やドイツ医学ではなく、「和方」の御殿医の家系であった事と関係が有り、私は其の無庵師匠に「三ヵ月間私の謂う通りにすれば 体の細胞が入れ替わるので 自適さんは本来の宿命が現れる」と謂われ、三ヵ月間の治療受けた末に覚醒・成仏を体験する事が出来た事が、「天神・万物の母」の意図であった事に成り、其れが2月1日に告げられて来た「自己最高位」との言葉と関係が有り、其れは自分の心身を「万物の母」と一体化させた事に有るのだろう。
其れは諺に有る「人間は万物の長」であるとの事を、私は現実としてモノにしたと言う事に成り、「土肥無庵」の教えを「真実の物」にしたと言う事にも成るのだろう。
今朝のビジョンに、雌花の雄花が咲いている南瓜の蔓が映し出されて来たのは、生命の仕組み・基礎が、雌が土台である理・ことを示唆しており、私の魂しいは「万物の母」の懐に里帰りをしており、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との理・ことが、現実の事として、起きており、其れが生命の営みの真実であるとの事なのではないだろうか。
其の様に考える・捉えると、私は他人の謂う事に耳を貸さず、ただ万物の母(女神・宇宙意思)に心身を預けて居れば良いとの事なのであろう。
「真実を生きている物」https://green.ap.teacup.com/20060818/5430.html
此の「真実を生きている物」の文章の書き出しは、
「先ず、私の畑に自生して来て茂っている南瓜の蔓が映し出されて来て、其の蔓には、実の着いた雌花と、雄花が咲いている様子が映し出されて来た。其れは、イチョウやヤマモモが雌雄の木が別々に別れて受粉をするが、南瓜や西瓜などの瓜類や、稲などは、自家受粉する理・ことを示唆しており、生物は雌が基本的物である理・ことを示していた。其れから、「真実」との言葉が示されて来て、・・云々」である。
其れは「雌雄・男女(♂・♀)・陰陽・±・」の理に付いてであるので、三日前のビジョンに「色・シキ・いろ」の漢字の象形が映し出されて来た事と関係が有りそうである。
其れに、2月6日の「真実の自分」の文章には「畑の草刈り作業」と老子の「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」が記されおり、「博」・ハク」デン」で検索して出て来た文章「OとF」「傳えるべき事」「累傳・るいでん」「晴るかす」には、農業の事に付いて書いて有る。
其の事を考えると、今朝示されて来た「博・傳」の漢字の訳が記されたブログの存在は、私が是から「博(ひろく)傳(つたえ)」なければ成らない事は、農業に関する教訓・理論に付いてであり、其れは「雌雄・男女・陰陽・±」の理(ことわり)をしっかりと理解しなければ、人間が此の世に存在する意味・真実が理解出来ないし、何回此の世に生まれ変わってきても「自分・自の分け」は絶対に解けないとの理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。
其れを考えると、「土肥無庵」が私に「自適さんの事は誰も理解できない。自適さんは頭が一番良い。其れはオリジナルであるから。」と謂った事が関係が有り、私の様な環境で育たなければ、生命の「真実・原理原則」は理解できないとの事なのであろう。
其れは、一部分の事であれば、此の私より卓越した人物は無数に存在するが、総合的に判断が出来、また総合的に森羅万象に接続が可能な者は、私しか居ないと言う事に成り、其れは私が自然豊かな屋久島で産まれ育ち、37歳まで生活した事が関係が有り、「土肥無庵」に找し出されてから、意識の大海原に漕ぎ出して遭難する事なく、本日11月23日を迎える事に成ったと言う事である。
今朝の由香のビジョンでは、電話越しに「ヨルイル」との言葉が告げられて来たとの事で、意味が分からないので、調べて見ると、韓国語で「烈日/激しい勢い」「万事」、最近では「ヨルシミ イルハダの略で、一生懸命に働いている」との意味で使われているとの事なので、勤労感謝の日に合わせて傳えられて来たメッセージであると謂えるだろう。
其れを考えると、本日は「勤労感謝の日」であるが、私は、自分を労っても良いのかも知れない。
其れにしても、此処まで「年・月・日・時・分・秒」と、私の文章内容を管理出来ている物の存在は、一体何物なのであろうか。
其の事を考えると、5000年前に存在したエジプトのトト神の「書記官」が、私の前の赴任者であったのかも知れない。
そして、其の事・存在が、中国で4000年前「帝」の漢字と成ったのであろう。
今朝の文章の題は、昨日告げられて来た「起きるのには間がない」との言葉が「間もなく起きる」との事である様なので、イエスキリストの予言である「その時」を絡めて「ソレは間もなく起きる」とした。
令和2年11月23日
礒邉自適
2020/11/20
次世代の活動が始まる
2・11・20
今朝のビジョンには、先ず、三人の若者が新時代の生活・暮らしの現場を立ち上げる場面様子が映し出されて来た。
そして、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た。
次に、同じく三人の若者が、電子機器を使って、新しい情報の枠組みの構築を始めて居る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時21分」であったので、私は弘法大師空海の事を思って再び眠った。
すると今度は、私が何処かの建物に宿泊して居ると、「色」の漢字の象形が示されて来た後に、部屋の入口のドアが開いて、斎宮・皇女「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」が、出会った時の姿(30歳・同じ服装)で、中に入って来る場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時19分」であった。
其れから再び眠ると、今度は30代の男性が大きな箱を背負って、山岳から下って来る・帰って来る場面が映し出されて来て、私に其の箱の蓋を開けて中を見せると、食べられる茸類が、20種類以上程入っていた。
そして、其の箱の中に、私が食料として渡した「伸し餅」が入っており、其の餅は手付かずの儘、私に返還される様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時12分であった。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた「3時21分」の数字から、3月21日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/3/21本日3月21日は、弘法大師空海の1187回目の命日である。
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
今朝のビジョンには、私が玄関口に置いてある数鉢の皐月(さつき)の盆栽が、増水した水に流されて無くなっている場面が映し出されて来た。
其れで、皐月を置いている場所を見に行ってみると、誰かが全部倉庫の中に移しているので、私は其の儘では、降雨が無く、日光の当たらない場所では枯れてしまうので、早く外に持ち出さなければ成らないと考えて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時22分」であった。
其れから再び眠ると、窓が一つも無い、人工的な壁の部屋が映し出されて来て、私は其の部屋に住んで居ては、死んでしまうと意い、庭や縁側の有る南向きの日本建築の家に住まなければ成らないと考えて居た。
次に、昔の天才であった60歳代の男性の存在が映し出されて来て、其の男性が、仕切り・壁の無い、陽炎(かげろう)の様な空間を通り抜けて、此方側の世界に生まれ変わって来て、成長すると、過去の記憶・潜在意識が作用しているのか、乗馬の練習を始める様子が映し出されて来た。
其れから「いいかたち」との言葉が一言告げられて来たので、私は其の言葉を「良い」「善い」と「形・型・容・象・方向」等のどの漢字を当てて良いのか、考えあぐねていた。
すると、私の末娘である「最明・もあ(11月2日生)」の名前が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
今朝初めに起こされた4時22分の数字は、新暦での弘法大師空海の命日で、本日3月21日は旧暦の命日であるので、空海の存在が関係有りそうである。
昨年の4月22日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私が南向きで、縁側や庭の有る家に住まなければ成らないと考えて居た事や、大雨で倉庫の中に移動した皐月を、早く野外に出さなければ成らないと考えていた事と関係が有り、太陽活動に接した生活を始める事が、最も重要事であるとの理・ことが示されて来ている様である。
次に、起きた7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の二つの文章は、両方とも仏教に関係が有り、弘法大師空海は真言宗の開祖であるが、釈迦ブッダは仏教自体の開祖である。
其の仏教には、「王様・皇帝・天皇・大統領」などの権力者に成る事は、一言も無く、自分自身が人間の本質に目覚めて、正しい生き方をする理が、中心課題である。
其れを考えると、今朝告げられて来た「いいかたち」との言葉は、物品の「かたち・形状」よりも、政(まつりごと)の「形態」に関係が有るのかも知れない。其れを考えると、今現在、私の意識に浮かぶモノは、以前に書いた二つの文章である。・・
何と此の「我々の使命」の文章は26年前の「7月21日」の物である。
其れを考えると、今朝末娘の名前「最明・もあ(11月2日生)」が告げられて来た時刻が7時21分であった事と関係が有り、私が自分の子供達の為にも、真剣に取り組む必要があるとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、昨日告げられて来た「コロナはアイドリング中」との言葉は、私自身にも直接関係が有り、私が真剣に此の事に取り組まなければ、アイドリング状態から、ギアが入れられ、アクセルが踏まれるとの事なのではないだろうか。
其れに、マヤ暦の2012年12月23日のプログラムは「8年先伸ばしする」と告げられて来て、其れは、今年の12月23日である。
其れを考えると、現在重要なポストに付いて居る者達は、7月14日迄に「禊ぎ祓い」をする事を、真剣に考える必要が有ると言う事に成り、其の認識が起きなければ、最悪の状態が始まるとの事なのではないだろうか。
私が、此の世界に入った切っ掛けは、一人息子である「海生」が、原爆に拠る第三次世界大戦の放射能汚染で死亡し、私は泣きながら其の亡骸を抱いて葬式をする場面・映像を見せられ、私が神の計画・プログラムを引き受ければ、平和な未来社会が来る事の約束が為されたからである。
其れから、36年が経過したが、事態(人間の業)は増々悪い方向に進んでいるので、神(はたらき)の辛抱・我慢も限界に達したとの事なのであろう。
2006/6/3「神との約束」https://star.ap.teacup.com/170606/923.html
今朝、7時21分に告げられて来た「いいかたち」との言葉は、「天神・宇宙意思」が人間に妥協と言うか、協力を要請している言葉で有り、其の事に11月2日に南アルプスの山中で「最明」との言葉が告げられて来た言葉が関係有るのなら、其の宇宙意思を受け入れれば、「最も明るい」世界が到来するとの事であり、新しい文化の日である11月3日を、迎えられるとの事なのではないだろうか。
キー「文化を頼む」
2014/11/2・・本日11月2日は、私の五女「最明・もあ」の19歳の誕生日でもあるが、明日11月3日は「文化の日」でもある。
今朝のメッセージは、其の文化の日に合わせてのモノ・現象ではないだろうか。
其の様に考えると、神の世界は、全ての事を管理運営している事に成り、私は其の「神・はたらき」の手伝いをしている事に成る。
其れに付いては、私が信頼していた故「日吉眞夫氏」の存在がある。
日吉眞夫氏は、静岡県出身で東京大学が卒業して、東京で広告会社を経営していたが、其れを閉鎖して屋久島に移住して来て、屋久島の有志と「屋久島産業文化研究所」を創設して、季刊誌である「生命の島」を発行していた方である。
其の日吉眞夫氏は、2008年11月20日に死亡して、初七日に私の霊夢に現れて「文化を頼む」と告げて来た。
今朝登場した男性は、其の日吉眞夫氏の姿ではなかったが、神界では何等かの繋がりが有るのだろう。・・・
「全てに優しい男性」http://green.ap.teacup.com/20060818/3249.html
其れに、其れ等の事が現実と成れば、昔し活躍した天才達が此の世に転生して来るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「いいかたち」https://green.ap.teacup.com/20060818/5309.html
何と、此の文章に貼り付けられている「全てに優しい男性」の文章には、本日11月20日が、私に「文化を頼む」と告げて来た故「日吉眞夫氏」の死亡日である事が書いて有るので、本日は其の日吉眞夫の13回忌の日である事に成るので、今朝のビジョンは「屋久島産業文化研究所」を創設した日吉眞夫の御魂が関わりを持って来ているのではないだろうか。
其れに、貼り付けて有る2006/6/3「神との約束」の6月3日の日付は、私が1986年6月3日に「井上佳子」と始めて高知で出会った日であり、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の事を書いた「定着した画像」の文章も同じく6月3日の日付であるので、伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」も直接に関わって来ているのではないだろうか。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
キー「井上佳子 室戸岬 やまとひめ」
2013/12/18・・次の映像は、街中に出ると、1997年4月27日に亡く成った妻「井上佳子」が、元気な姿で立って居て、事は順調に進んでいるとの事で、先に進むと、何かの催しが有るらしく、多くの人達が黒い服を着て、列を成して何処かに向かっている場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の世界に入ってからの動き・働きが、総決算されて、物事が動き出す事が示されている様な気がする。
私は、1984年6月4日に此の世界に入って、来年の6月4日に丸30年・一世を迎える事に成る。
「在位・ざいい」とは、私が其の日に、安房川の岸辺で無庵師匠が見守る中、禊ぎ祓いの儀式を終えて、4311体の聖霊に満たされ、二階の部屋で握り飯を要求し、「大嘗祭・だいじょうさい」の儀式に代る物を行い、数日後に竹山に出掛けて、杖を手にした事と関係が有り、私が「大君・すめらみこと」の役割を任じられた事と関係が有るのだろう。
私は、其の時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「新しい御世創造の為の神の座標軸」である事を示され、地球の管理を任されるビジョンを見せられている。
其れから旅に出て、丁度二年後の1986年6月3日に高知で「井上佳子」と出会った。其の佳子は、伊勢神宮を創建した皇女「倭姫命」の生まれ変わりである事を、室戸に行く途中に有る「観音堂」で告げられた。
そして、倭姫の霊魂が「奈良に帰りたい」と、私に告げて来たので、翌87年5月5日に、井上佳子の肉体を御杖に使って、伊勢から奈良に倭姫の御霊を連れ帰った事が有る。・・
「在位・ざいい」https://green.ap.teacup.com/20060818/2905.html
2013/4/28・・井上佳子は、伊勢神宮創建の基と成っている皇女「倭姫・やまとひめ」の生まれ変わりであると告げられていたので、神霊界でも大きな力を有しているのであろう。
其れに、阿蘇に引っ越す事に成ったのは、昭和天皇の大喪の日のメッセージに因るもので、佳子の葬式は昭和天皇の誕生日である「4月29日」だったのである。其の事でも、井上佳子が天皇家と縁が深い理・ことが解る。
・・それから2年後の、1986年6月3日に高知県の女性と出会い、観音様を祭る社の前で、其の女性が「倭姫命の霊の 生まれ変わりだから護れ」と云われ、1988年11月21日に式を挙げ、2回目の結婚をして井上佳子と暮らす様に成った。其の二度目の妻佳子は、1998年4月27日に癌で亡く成り、29日に葬式を執り行って、その後四名の子供とも一度も会っていないのである。
昭和天皇の大葬の日(1989年2月24日)に、昭和天皇霊に阿蘇の「日の宮弊立神宮」の事を知らされて、蘇陽町に引っ越す事に成り、それから丁度10年後の、昭和天皇の誕生日の日に葬式をして、子供達は高知に皆引き取られて別れ、私も蘇陽を去る事となった。まるで昭和天皇の霊に操られているかの様である。・・・
・・私が、伊丹由香に出会ったのは、2001年の11月21日に岡山で開かれたスーリアサロンの会場である。其の日は、私の亡く成った妻「井上佳子(1998年4月27日死亡)」の誕生日であった。
其の井上佳子は、出会った時に「倭姫(伊勢神宮創建をした斎宮)」の生まれ変わりと言うか、倭姫の御霊を宿している理・ことを知らされた相手である。・・
・「斎宮(さいぐう/さいくう[1]/いつきのみや/いわいのみや)」は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所であるが、平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指すようになった。後者は伊勢斎王や伊勢斎宮とも称する。・・・
「やる気満々」https://green.ap.teacup.com/20060818/2669.html
これ等の事を考えると、今朝のメッセージは、伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」と「屋久島産業文化研究所」を創設し「生命の島」を創刊した「日吉眞夫」の御魂から、「よいかたち」の新しい文化社会を構築しろとの事が、示されて来ている事に成りそうである。
次に起こされた「6時19分」の数字から、6月19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/19今朝のビジョンには、先ず、私が指導している農村の生活・活動グループが、「コンクール(競争)」で一位に成る場面が映し出されて来た。
其れから再び眠ると、今度は私が1985年7月2日に日本一周の旅が終わり、宿の主人の紹介で翌日3日に出会った「田中真海禅師」が登場して、私を一人の禅僧の所に案内する場面が映し出されて来た。
何故か其の禅僧は、趣味で天然塩を作っているとの設定であった。
私を、其の禅僧の前に連れて行った真海禅師は、其の儘、何も謂わず帰って行った。其の禅僧は座った儘何も謂う事なく、私の顔を一瞥してから、自分の顔の表情を変化し始めた。
私は其の態度や、顔の表情から、其の禅僧はナカナカの人物である事が判った。
私の方も挨拶もせず、其の禅僧の前に座り、唯、其の禅僧の顔を視て居ると、「熱血漢」との文字が頭に映し出されて来た後に「明日 冷たいスプーンが届く」との言葉が一言告げられて来た。
私は、其の言葉の意味が分からないので、其の事を考えて居ると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分前」であった。
其れから再び眠ると、フライパンで出汁巻卵の料理が作られている場面が映し出されて来た。
今朝は、起きた時刻は7時23分である。
今朝のメッセージは、私が「農村の暮らし・田舎暮らし・自然生活」に付いては、プロのレベルに達しているとの事であり、次は「禅」の世界を本格的に学習・修練する必要がある事が、示されて来ている様な気がする。
其れは、昨日、私が「風 麥東 陶・ふうれんとう」との言葉を告げて来た、深い山岳の大木・巨木・古木の伸びた枝の下に有る、岩上に白い服装で座って居た男性の事を書いた・イメージした事と関係が有り、男性が孤独で単座する事の意味・真意を、しっかりと認識する必要があるとの事なのかも知れない。
『だが 其れも 一時的な事であり
長い事では ありませんよ』9時32分
今朝起こされた4時3分前の数字から、今年の4月3日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「自食」文章の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「天然塩を趣味で作っている禅僧」の存在と、「熱血漢」「冷たいスプーンが届く」「フライパンで作る出汁巻卵」との事は、「塩・ナトリウム・陽性」の「作用・効能・使用方」に付いて、「考察・配慮・深識」を始めろとの事なのかも知れない。
其の事が、明日届く「冷たいスプーン・匙」に有るとの事なのであろう。
さじ‐かげん【×匙加減】 の解説 国語辞典より
1 さじに物を盛る加減。特に、薬を調合するときの分量の加減。
2 料理の味つけの程度・ぐあい。「ちょうどよい匙加減」
3 手加減。手ごころ。「上役の匙加減ひとつでどうにでもなる」「匙加減を誤る」
和食の基本は、最初に出される「吸い物お椀・箸洗い」の塩加減に有る。
だが、今朝のビジョンには、其の「吸い物椀」ではなく、フライパンでの「出汁巻卵」であったので、日本食に拘るのではなく、人類全体の食事・食べ物の世界に付いて洞察しろとの事なのであろう。
其れに「自食」の文章には、江藤敬介氏が「子牛が抽選で当たる」夢を見たと書いて有り、今朝も其の江藤敬介氏に出会った1月13日を示唆する「1時13分前」に起こされている。
其れを考えると、やはり「マルチンルター・イエスキリスト」「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」と、「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食・精進」、「女性や子供達が楽しく暮らせる社会。養楽」の関係を、能く考えなければ成らないと言う事に成る。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージには「土肥無庵」の御魂が絡んで居る様な気がする。
キー「無庵師匠 塩梅」・・
此の「特別傳授」の文章には、「猛々しい」の「猛」も当てる事ができる。其の「猛・たけ」には、「勇猛・ゆうもう」との単語があり、勇猛な「性格・振る舞い」には、塩気が必要であり、塩気が抜けた人間は戦う・働く事が出来なく成るので、「敵に塩を贈る」の諺の世界と関係が有る。・・・と書いて有るので、今朝私が禅僧と向かって居る時に「熱血漢・ねっけつかん」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、塩気が効いた人間の性質が示唆されている様である。
其れが禅僧であったのは、達磨禅師が1987年の8月1日に「お前にしか分からない 動と静」と告げて来た事と、関係が有るのかも知れない。・・
今朝の「冷たいスプーンが明日届く」との言葉は、本日が「自からの仕掛けで滅びる」との言葉が告げられて来てから丸四年の日であるので、明日、塩気の効いた熱血漢の度肝を冷やす、凍らせる、何かの知らせが届くとの事なのかも知れない。
其れに「ヒトの仕種を身に付ける」の文章には、・・今朝は、例のミズのオモテの時間軸の竜巻が現れ、其の中心に、女神のエネルギー体である光りのエナジーが現れた。そして、其のエナジーは破裂して飛び散ってしまった。
そして、其の後方には、新しい女神(万象の母)が立ち現れて来る姿が見えた。
其れは、宇宙の森羅万象が、新しい世紀を迎える準備をしていると言うか、始めていると言える現象を、見せられたという事に成る。・・・」と書いて有る。
此の文章からすると、此処のところ告げられて来ているメッセージは、14年前に告げられて来ていた理・こと・件が、復唱されている事に成る様である。
「冷たいスプーンが明日届く」https://green.ap.teacup.com/20060818/5399.html
此の文章も暮らし・食生活の基本に付いて書いて有る・触れているので、今朝のメッセージには、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」や、私の前世であると告げて来た「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御魂も関りを持って来ているのではないだろうか。
次に、今朝起きた・起こされた7時12分の数字から「7月12日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/7/12今朝のビジョンは、屋久島で「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭禱(さいき)を続けていた故「大山邦博氏」が若い時の姿で登場して、私を山岳に案内する場面が映し出されて来た。
そして山頂の近くまで登ると、其処には何故か、自然林を広く伐採して、屋久島の杉ではなく、東北のカラ松の様な樹木を澤山植えて有るのである。
其の樹木は、気候に合わないのか、年数は経っていても、成長が鈍く、薪にしか成らない程、細い儘であった。
次に、登った時とは違う道を下って行くと、重機が登れる場所まで、農地開発されて果樹が植えられていたが、採算が取れないのか、果樹園全体が放置されて、荒れた状態と成っている事が判った。
今朝は、左耳に蒸気機関車の発車の合図の様な音が聴こえて、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時50分・6時10分前」であった。
其れから再び眠ろうとしたのだが、今朝のビジョンの意味が何を意味・示唆しているのか、全く判らないので、起きて時計を見ると、時刻は6時23分であった。
其れからPCを立ち上げ、汽笛の様な音で起こされた「5時50分・6時10分前」の数字から、6月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、次の様に書いて有る。
・・天空に真っ直ぐ伸び上がる大きな青竹・若竹の存在が目の前に映し出されて来て「天津日嗣発動・あまつひつぎはつどう」との言葉が強くハッキリと告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから、其の「天津日嗣発動・あめのひつきはつどう」との言葉を頭脳の奥にしっかりと収納すると、左耳の鼓膜にキーンと圧力が掛かって来たので、時計を見ると時刻は7時12分であり、・・・」
と、書いて有り、7時12分の数字は、本日7月12日と同じ数字であるので、今朝私の左耳に聴こえて来た汽笛の様な音は、正に其の「天津日嗣」が発動・発車したとの事に、成るのではないだろうか。
其れに、今朝起きた・起こされた「6時23分」の数字から、6月23日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「・・転輪聖王の意識は、「阿弥陀」の言葉を超えた世界であると言うか、其のモノ自体であるとの理・ことを感じたので、「転輪聖王&阿弥陀」とした。」との事は、釈迦ブッダの謂う「ダルマ・法」や、老子の謂う「タオ・道」の言葉・理の世界・意識に関係が有りそうである。
何故かと謂うと、私が今朝の山岳のビジョンから感じ取った事が、現代人の行動・活動は、自然の理から外れている事が想われたので、文章の題を「道法(タオ&ダルマ」としたからである。
其れに、其の山岳に案内した人物が、故「大山邦博氏」の若い時の姿であったのは、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」が脱皮・古い皮(概念)を脱ぎ捨てて進化したと言う事なのかも知れない。・・
此の意味からすると、「此の日本国から 新しく生まれ変わった大山祇神の存在が 世界中にひろまる」との事が、告げられて来ているのかも知れない。
何れにしても、本日7月12日午前6時10分前に、私の左耳に汽車の発車の汽笛の様な音が聴こえて起こされた事には、大きな意味が有るのだろう。・・
此の「三つの重要事」の文章は、2016年6月11の文章であり、其れから8日後に天空を両翼とする鳳が、私に三個のタルト(渦巻)を手渡して来た事と関係が有り、此処のところ触れて来た西瓜の中の「三又・三叉路」と、四方に広がる8個の渦巻に、其の課題のヒントが有るとの事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝6時10前に左耳に発車の汽笛の音が聴こえて起こされた事と関係が有り、私は是から、西瓜の中の水の流れと、中心の三又・三叉路に付いて、深い洞察を明日から行って行かなければ成らないと、言う事なのかも知れない。
其れは、此の無明の世の中で、自から滅びて行く人達に、新しい道・法を示して、彌勒菩薩・マイトレーヤの神(はたらき)を真実のモノ・世界としなければ成らないのであろう。
そして、其の作業が新しい「天津日嗣・あまつひつぎ・あめの霊継ぎ」の世界を、開くと言う事に繋がるのではないだろうか。
「道法」https://green.ap.teacup.com/20060818/5422.html
此の「道法」の文章の内容から考えると、私は老子の謂う「道・タオ」の世界や、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界を若者が理解し易い様な形態に、表現する必要が有り、其の事に成功しなければ、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂」が私に告げて来た、最後のチャンスである九回目の「トンネル潜り・次元上昇・アセンション」も又不発に終わると言う事であり、私の36年間の苦労も水の泡と成るとの事なのかも知れない。
其れを考えると、私が36年前に宇宙の螺旋構造である時空を逆回しにしてから、地上に降りて来た御魂(天使・使命者・みこともち・スターチャイルド)達は、其の本分を果たせないとの事なのかも知れない。
2018/4/27本日4月27日は、1998年に41歳で死亡した倭姫命の御魂であった「井上佳子」の命日である。・・
其の様に考えると、現在・いま悪行が噴出して来ている「政治家・官僚・芸能界」の世界は、神(はたらき)の選別が始まっていると謂う事であり、本日が倭姫命の御魂であった井上佳子の命日である事と関係が有り、1987年7月12日に出雲の日御碕で井上佳子に告げられて来た事が、現実と成って来ている事にも成る。・・
1986年3月27日に、当時衆議院議員であった「二階堂進氏」の鹿屋市の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした事が有る。
しかし、其の時二階堂進氏に話が通じないので、高知に住んで居た「井上佳子」を伴って、出雲の日御碕神社に1987年7月12日に参拝し、近くに有る国民宿舎に宿泊したら、佳子に神のお告げが有り、「もう 現在の自民党では駄目だから 駄目な人間を 役職に嵌め込んで 潰す事にする。其れが消毒の方法だ。」と知らされたのである。・・
私は1884年6月4日に此の世界に入った時に、4歳以下の子供達に導かれたので、其の事から自分の事務所・店舗の入り口のガラス戸に、「スターチャイルド集まれ」と書いた紙を貼り付けたので、私は頭が変しく成ったと思われ始めたので、私は其の紙を剥がしたのだが、其の事が現実の事と成るのかも知れない。・・・
「直道・なおみち」https://wave.ap.teacup.com/20060106/820.html
2018/10/14「スターチャイルド」https://green.ap.teacup.com/20060818/4775.html
今朝のビジョンに、現場作業を行う三人の若者の世界に、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た場面は、漢字の「俶・シュク・テキ」と関係が有り、農作物栽培の為の支柱と関係が有り、豆の蔓が這い上がる・伸びる手伝いをしなければ成らないとの理・ことが示されて来ており、其れは、若者の「魂しい・生命・遺伝子・DNA」が順調に生育する手伝いをしなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
「俶・シュク・テキ・チャク」【解字】形声。人+叔(豆+支)音符の叔は、いたむの意味。他人の不幸をいたむことができるひとのさまから、よい・厚いの意味を表す。
【字義】(一)@よい(善)。=淑。Aあつい(厚)。Bはじめ(始)。はじめる。はじめて。Cおこす(作)。なす。(二)すぐれる。高くひいでる。=倜。
【俶装】身じたくを始める。また、みじたくする。
【俶儻・テキトウ】@さいきが高くすぐれていること。A物事にとらわれないさま。「倜儻・テキトウ」
「叔・シュク」【解字】形声。「又+尗」音符の尗・ショクは、枝(木+支)についている豆の象形。豆をひろうの意味を表す。また、尗は、弔(チュウ)に通じ、いたみあわれむの意味。あわれむべきいとけない者・善良な者の意味をも表す。転じて、おとうとの意味や、父のおとうとに当たるおじの意味なども表す。(豆をひろう は 豆を収穫するの語訳か?)
【字義】@ひろう(拾)。Aわかい(若)。おさない。年少者。Bおとうと。弟の中で年下の弟。Cおじ。父の弟(日本では母の弟をもいう)Dこじゅうと。夫の弟。Eすえ。また、末世。G父親よりも年少の人を呼ぶときにもちいる語。おじさん。Hよい(善) 大漢語林より
其れに、山から澤山の茸類を採って来た若者が、私に「伸し餅」を返還した場面は、日本の「正月・年越し」の餅搗きの始まりが、ユダヤの「過ぎ越し」の祭り・行事(種なしパン)と関係が有り、旧約聖書から始まっている文化(神話・傳統)の改革・手直しが、此の私に委譲されたと言う事なのかも知れない。
今朝は由香に何かビジョンを見なかったかと訊くと見たとの事であり、其れは次の様な場面である。
先ず、知り合いの「埋橋 灯〇さん」が映し出されて来た。
次に、直線道路に植えられている様な長い並木が映し出されて来て、其の整然と立っている細い並木の中程に、二本だけくっ付いて立っており、女性が其の片方の幹を梯子の様に使う為に、電柱の取っ手の様な物を取り付けながら姿が見えなく成るまで高く登って行き、やがて降りて来ると、持って帰った箱・器の中には搗きたての餅の様な物が満タンに入っており、其の餅の上端に、茹でた「飯蛸」が一匹置かれていたとの事である。
其の由香のビジョンは、私と同じく、餅が出て来ており、私の竹の支柱が、由香のビジョンでは「ジャックの豆の木」の様に、天に通じる物と成っている。
其の由香のビジョンは、仏教の「彼岸に渡る、地獄」の様な概念は、人々への脅しの様なモノと成っているので、其の概念は土に埋めるか、排除しなければ、人間のアセンション・次元上昇の妨げに成り、明るい世界が立ち上がらないとの理・ことが示されて来ており、天界の方に上って行けば、幸福の餅搗き行事に参加する事が出来、思考が八方(八足・八手)に広がると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
明日11月21日は、今朝のビジョンに登場した、皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の生誕64年の日であるので、本日は佳子のイブである事に成る。
其れに、由香に出遭ってから、19年と成る記念日でもある。
新嘗祭まで、残り二日。
令和2年11月20日
礒邉自適
2020/11/17
制人
2・11・17
昨日は二十歳の時に、阿蘇の「日の宮幣立神宮」の近くに住んで居た私を訪ねて来て、暫く子供の遊び相手や農作業を手伝ってくれた「白土君」から電話が有り、85分間、是からの日本国の在り方に付いて色々話した。
其の事と関係が有るのか、今朝のビジョンには、船に掲げる「大漁旗」の様な雰囲気で「制人」との文字が大きく記されている看板の様な物が、建物の入り口の右側に置かれている場面・様子が映し出されて来た。
其の「大漁旗」の縁取り・飾りの色彩は、青色が基調と成っていた。
其れに「制人」との書き順は、現在の横書きでは制人であるが、漢字文化では右側から「人制・ジンセイ・ニンセイ」と読まなければ成らない事に成る。
だが、其れは、両方とも国語辞典には載っていないので、「制人」「人制」とも、有りそうなのに無いのは、「人を制する」との言葉は、禁句扱いに成っている様である。
制の漢字を漢語林で調べて見ると、次の様に載っている。
制・セイ 【解字】会意。篆文は「刂(刀)+未」未は、枝の重なる木の象形。余分な枝をそぎおさえるの意味を表す。制は、利の変形。制を音符に含む形声文字に掣・猘・製などがあり、これらの漢字は「そぎ、おさえる」の意味を共有する。
【字義】@おさえる。押さえつける。従わせる。Aとる。占める。手におさめる。制勝(かちをセイす)。Bきる(切)。たつ(断)。Cつくる(製)。整えつくる。また、調整する。Dおさめる。つかさどる。あやつる。Eのり。おきて。とりきめ。Fみことのり(詔)。また、その文書。
【制可】天子の許可。
【制誥】みことのり。詔勅。詔書。
【制詔】みことのり。天子の命令。 漢語林より
其れに、過去の文章を「制」で検索すると「制世」の文章が出て来た。
2010/1/25・・そして、場面が変わり、今度は知り合いの、足の不自由な70歳くらいの男性が現れて、若い夫婦を雇って、自分の家の敷地の川縁に、川水の流れギリギリまで、コンクリートの擁壁を造らせている。
其れは、1mmでも、自分の土地を広げ様と、考えている様子が伺えるものである。
私は、其の様子を見て、何れ崩れてしまうのは間違い無いのに、無駄な事をする物だと意って居た。
すると、「覚醒」との言葉が、枠の中に書かれて現れ、次に「制世」との言葉が、枠内に書かれているのが映し出されて来た。
「覚醒」との言葉は、よく使われている言葉だが「制世・せいよ」との言葉は、聞いた事がない。
PCで検索して見ると「制御」との言葉は有るが、「制世・せいよ」との語は無い。
「制御」は、せい‐ぎょ【制御/制禦/制馭】
[名](スル)1 相手を押さえて自分の思うように動かすこと。「欲望を―しきれない」2 機械・化学反応・電子回路などを目的の状態にするために適当な操作・調整をすること。「運転を自動的に―するシステム」 Yahoo辞典
*「制・セイ」は、「リ(刀)+末」の組み合わせで、「末」は枝の重なる木の象形。余分な枝をそぎおさえるの意味を表す。【字義】は、@おさえる。押さえつける。従わせる。Aとる。占める。手におさめる。制勝(かちをセイす)。Bきる(切)。たつ(断)。Cつくる(製)。整えつくる。また、調整する。Dおさめる。つかさどる。あやつる。Eのり。おきて。とりきめ。Fみことのり(詔)。また、その文書。
*「世」は、十を三つ合わせて、三十・三十年・長い時間の流れの意味を示し、転じて、世の中の意味も表す。【字義】@よ。㋐三十年間。㋑人の一生涯。父の後ついで家長となり、其の地位を子に譲るまでの30年間をいう。㋒一王朝の続く間。㋓その時代。その時勢。㋔世の中。世間。また世の中の人。㋕とし(年)。Aよよ・代々。Bよよにする。代々続く。C過去・現在・未来をいう。
漢語林より
此の意味からすると、「制世」とは、確かに「次元切り替え」の言葉に関係が有り、「世を制する」との意味であり、「まつりごとのつかさ」の働きを告げて来ている事に成る。
其の事は、以前1986年1月10日・近江神宮の大祭にて、祭神である「天智天皇」に「ひもろぎの 代よの乱れを 盃に 菊一輪と まわし飲み」と伝えられて来ているし、昭和天皇には「吾が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と、平成元年2月24日の大喪の日に告げられて来ている。
今朝は、其の「まつりごとのつかさ」としての条件が、「覚醒」に関係有る事を告げて来ているのであろう。そして、何に付いて、覚醒が必要であるかを示す為に、女性の本能(生殖)と、男性の本能(城造り・権力・縄張り)が映し出されて来たのであろう。
其れは、両方とも、純粋な動物の本能であるし、「自己保存」の自然法則に従ったモノであるので、「生命の本体」が映し出されて来ているのだから、別に悪い事ではないだろう。
しかし、其の人間の本能が暴走すれば、地球環境を破壊し、他の地球生命との調和を、欠いてしまう事に成るのである。だから、其の為に、今朝は「制世・せいよ」との言葉を創り出して、私に示して来たのであろう。
今朝のメッセージには、「覚醒」「制世」「自己保存」「生命の本体」等の言葉が、枠の中に書かれて出て来た。
其の言葉から、私が考えた理・ことは、「言葉」は「自己認識をする為に 役立っている」との理・ことであり、言葉は、其の為に発達して来たと謂える。
だが、現代社会には、様々な言葉が氾濫しているので、多くの人間が不消化を起こし、本来の「霊留・ひと」の道から外れてしまっている。
其の為に、社会が混乱を起こし、迷走を続けているので、若者や子供達がどの様に生きて行ったら良いかが、判らなく成っているのである。
「教育」の単語は、明治維新に拠り西洋から取り入れられた概念であり、英語の「相手の命・みこともち を 引き出してやる」の意味の「エデュケーション・education」を訳したものである。
其れに、人間の精神を、本来の道に返す為に取り入れられた概念は、「再び神と結ばれる」の意味である「リリジョン・religion」であり、其れを漢字二文字に訳したのが「宗教」の単語である。
其の「教育」と「宗教」の単語も、消化不良を起こしているのが、現在の教育と宗教の世界である。
今朝は、其の他にも、「本堂の修復を止める」との言葉が告げられて来た。
其れは、もう釈迦仏法の「真実」が明らかに成って来たので、寺の本堂が必要ないと言う理・ことを示唆して来ているのであろう。
其れは、本堂に、金を掛けて修復しないで良いとの事だから、古く成った本堂は解体して良いとの事であり、仏像も必要ないと言う理・ことである。
其れは、仏教の寺院だけではなく、キリスト教の教会も同じである。
何故なら、教祖である「イエスキリスト」自身が、「建物には 神は住まない」と謂っているからである。
イエスは、「人前で祷るな。」「同じ言葉を繰り返すな。」「大勢で祷るな。祷りは隠れてしなさい。一人でしなさい。」と、訓えているのである。
だが、日本の仏教と同じく、キリスト教もイエス本人の訓えが守られていないのである。守られていないどころか、止めろと謂った事ばかりが、行われているのである。
今日のニュースには、大手のイオングループが、葬儀の事業に乗り出して好評であると載っている。其の理由は、葬儀の透明化を図っているからだとの事である。
其れが、拡大すれば、お寺や教会も、葬式代が値崩れを起こして、立ち行かなく成るかも知れない。そう成れば、今朝のメッセージに有った「本堂の修復を止める」との事が、現実と成るのかも知れない。
日本で、仏教に拠る葬式が増えたのは、徳川幕府が隠れキリシタンを弾圧する為に、「仏教で 葬式をしない者は 隠れキリシタンと見なす。」との政策・制世を行ったので、其れまで、神式で葬儀を行って居た者まで、神社関係と天皇家の他は、全て、仏教で葬式をする様に成ったのである。
だから、400年前は、仏教に拠る葬式は一般的ではなく、むしろ神式が一般的だったのである。其れに1500年も遡れば、キリスト教どころか、仏教も、日本には無かった事に成るのである。
今朝の「制世」のメッセージは、2月11日に行われる「新大和発進 !」の集いで、私がどの様な内容を講演すれば良いのかを、示唆して来ているのかも知れない。
2月11日まで、残り16日と成った。
私に取って、其の講演の内容をどう言うモノにするかが、「問題・試練」と成って来た様である。
幸いな事に、「新大和発進!」のテーマには「国」の文字が入ってはいない。
「大和・倭・やまと」とは、奈良の事であり、神武天皇が奈良の橿原で「政・まつりごと」を始めたので、「大和・倭・やまと」と言えば、日本の国を意味する事に成る。
今朝のメッセージは「制世」との事なので、日本の国造りだけの事ではなく、地球全体、宇宙・神界・霊界・人間社会など、全てを含んでいる。
其れは、「我が国」とか、「うちの会社」とかの、小さな領域の世界ではないのである。其れを考えると、「国」と言う言葉ではなく、新しい「くに」の概念を、創り出さなければ成らないと謂うことに成る。
日本語・倭言葉の、「くに」に使われている漢字を調べると「国・國・州・六合・邦・郷」などが有る。
「國・国」は、武器を持って国境を守るの意味で、「六合」は、家が立ち並ぶ集落の意味で、「州」は、川と川の間の中州の意味で、「邦」は、敵の侵入を防ぐ土塁が築かれた土地の意味で、「郷」は、自分の故郷の意味である。
だから、現在良く言われている「地球村」や「世界政府」の様な意味の「くに」の文字は無いのである。つまり「国・邦・州」の漢字は、境目・境界の意味であり、地図上の仕切りを意味し、其処で生活する、人民の姿が在るわけではないのである。
日本語の「くに」とは、空や海に対する「大地」の意味であり、「祇神・くにつかみ」の言葉に有る「土地」の意味である。
だから、日本語の概念には、境界を必要とする「国」の概念は、無いと言う理・ことに成る。
だとすれば、日本語の「くに」とは、旅人でなければ使えない言葉であり、自由な民の概念であり、イエスや、釈迦や、老子や、芭蕉の様な生き方をした人間には、国とは無く、大地が「くに」である理・ことに成る。
其の様に考えると、「故郷に帰り 幼友達と一緒に 同じ食卓で 故郷の食べ物を食べて こころ・魂を響き合わせる」との意味の「郷・くに」が、一番合っている様だが、其れは個人的な理・ことなので、今朝告げられて来た「制世」の意味には合わない。其の様に考えると、「制世」とは、何処から、何処までを、制世の範囲・領域とすれば良いのであろうか。
一番近いのは、「身土不二・しんどふじ」の世界で、自分が食べ物を集められる距離の領域であり、自分の胃と、お友達の世界である。
そして、一番広いのは、ビッグバンから始まった138億年の時間で広がっている、此の宇宙空間である。
其の空間を抜けてしまえば、永遠の闇の空間なので「世(質量)」自体が無いのだから、制し様が無いので、考えなくても良いだろう。
其の様に考えると、「制世」とは、距離・範囲を何処に設定すれば良いのであろうか。
日本の古事記には、「黄泉の国・常世」が有る事に成っているので、死後の世界には138億年の「空間・世」が有る理・ことに成っている。
そして、宇宙が誕生して、現在の世の中が出来るまでを「ひ・火・日、ふ・風、み・水、よ・世、い・飯・禾、む・体(からだ・むね)、な・名、や・矢、ここの・心、たり・足り・完」の順番で、現しているので、昔し風に考えると、今朝の「制世」とは、其の「一・火・ひ 〜 十・たり」の世界を、全て含んでの事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のメッセージに「覚醒」との言葉が伴っていた事の、意味も理解出来る。何故なら、「覚醒・かくせい」とは、其の「一・火・ひ 〜 十・たり」の世界を、全て思い出す事の意味だからである。
昨日は、時間が無いので書かなかったが、「300(8)」の数字が現れて来て、映像も現れて来た。其の映像は、部屋の中に置いて有る金庫を開くと、中に札束が澤山積んで有り、其の札束の上に乗せてあった紙袋の中から、金貨が外に零れ落ちて来た。
私が、其の中に、幾ら程の札束が有るのかを確かめ様として居ると、其の部屋に他人が入って来たので、 慌てて金庫の扉を閉めて、抱きかかえて居た。
其れから、場面が変わって、私は、建物が建っていない丘の上の土地から、広い海を眺めて居た。
其の二つの場面から、私が連想したのは、現在NHKで放送されている、大河ドラマの「龍馬伝」の番組に出て来る、「坂本龍馬」と「岩崎弥太郎」の二人である。
海を眺めているのは「坂本龍馬」風で、札束や金貨が入って金庫を大事に抱えているのは、アメリカの資本主義に協力した「岩崎弥太郎」風である。
坂本龍馬は、日本人に夢を与えたが、子供も居なかったので子孫も無く、生家の跡には記念碑が建っているだけである。
一方岩崎弥太郎は、兵器産業や、金貸し(銀行)や造船など、数多くの事業を起こし、現在でも子孫が其の事業を継いでいる。
昨日のメッセージで、宇宙から新しく生まれた子供(九代竜王)に見せるのは、其のどちらの姿が良いのであろうか。
其の、答えと成るヒントが、今朝のメッセージに、含まれているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像には、人の顔が現れて、其の顔の目が、様々な方向へと動いていた。
そして、次に瞼が閉じられて、今度は、顔の表情が色々様々に変化した。
私は、其の目の動きと、顔の表情から次の様に思った。
人間の目の動きは、「意識の方向性」を表しており、顔の表情は「心の動き」を表していると言う理・ことである。
其れは、「制世」の中に、先ず、自分の目線と、顔の表情を、管理する事が含まれている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
何故かと謂うと、目線は意識の方向性・矢先を意味し、顔の表情は自分の心の鏡であり、其の二つを、意識的にコントロール出来る者でなければ、全宇宙の「制世・せいよ」は不可能だからである。
其の、自分の顔と目線が管理できる様に成れば、他人の目線や表情だけではなく、昆虫や、小鳥や、動物などの目線や仕草も、理解できる様に成るし、植物のこころ・命も読める様に成るであろう。
そして、其の先には、地球の悲しみや、喜びの表情が有るのである。
其の、地球の表情が読める様になれば、日本語の「くに」の言葉も理解できて来るのではないだろうか。其処には、日本国中に木を植えて回った「素戔鳴尊・すさのおのみこと」の存在が浮かび上がって来る。
「素戔鳴尊」は、息子の「五十猛命・いそたけるのみこと」と大陸に渡って、木の苗や種子を持って帰り、娘二人「大屋津姫命・都麻津姫命」に育てさせて、家族で日本国中に木を植えたのである。
其の、素戔鳴尊の家族の行動や、物語は、世界中に広げられる必要があるだろう。
其の、素戔鳴尊の家族の行動が、世界中に認められれば、植林をする為に、国境は無く成る事に成るし、人類の意識の解放・拡大にも繋がるのである。
そして、国境が無くなれば、戦争は無くなる事に成る。
正に、木を植える事は「いのち」を理解する事に成るし、生命は、植物に助けられて存在している理・ことわりを、理解できるのである。
そして、森林から、全てが生まれている理・ことを学ぶのである。
昔は、此の様な事を謂っても、誰も耳を貸さなかったであろう。
其れは、其の様な行動は、不可能とされていたからである。
しかし、現在の世の中には、PCとITが有るので、過去の社会システムとは全然違うのである。
ようやく、昭和20年8月15日の天皇の玉音放送の後に、奈良の「矢追日聖法主」に神が告げて来た事が、現実と成るのであろう。
其のメッセージは、新しい精神革命が、日本から世界に向けて起きると言う事である。
「制世」https://green.ap.teacup.com/20060818/1416.html
此の「制」の意味「余分な枝をそぎおさえる」を考えると、現代社会の様相・仕組みは、余りにも人間の生活には関係無い物事が多過ぎて、資源の無駄使いだけではなく、地球環境の汚染に繋がっているので、天神・宇宙意思が未来の為に「余分な枝をそぎおさえる」との事を実行するとの理・ことであり、其の為の一手がコロナ禍の現象なのではないだろうか。
今朝「制人」との看板が映し出されて来て意識が目覚めた時刻が「2時11分」であった事から、今年の「2月11日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/2/11昨夜は入浴して、マッコウ鯨瞑想を行って居ると、「明日からゲンメツが始まる」との言葉が一言告げられて来たので、風呂から上がり、辞典原泉で「げんめつ」を調べて見ると、ゲンメツは「幻滅」しか無いので、「本日から幻滅が始まる」との事の様である。
「幻滅・げんめつ」幻想から覚めて現実にかえってがっかりすること。美化し理想視していた事柄が幻に過ぎなかったことを知らされること。
『あの人には幻滅した』
此の「幻滅」の意味からすると、本日から、人間社会に「覚醒」が始まり、人間だけではなく、芸術・政治・宗教・思想・教育・ファッション・金融・等々の世界で、良いと思っていた事柄が、実はそうではなかったとの理・ことが、自覚され始めるとの事の様である。
其れは、今朝のビジョンで「天界・神界・四次元世界」に完璧な準備が整った事が映し出されて来た事と関係が有り、愈々人類の意識の進化・アセンションが始まるとの事なのではないだろうか。
昨夜は、其れが分かってから、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に満開の向日葵の様な感じの男性神の顔が映し出されて来て、其の顔が私の中に侵入すると、息子が二人居る家庭の居間の中に、其の存在が割り込んで来るので、私は立ち上がって、其の存在を居間の中に迎え入れて居た。
其れから、再び、私の目の前に三体の光の顔・女神の顔が正三角形状に並んでいる場面が映し出されて来て、私は、其の三体の光の顔の存在も受け入れて居た。
其れは、昨日の「三匹の子牛」の言葉と関係が有り、其の三体の女神が「三権分立」で三つの物の世界の管理を司るとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、昨日私が「日本帝国印」の印鑑を受け取ったのは、父親の代理で、此の三次元世界を治める統尊(すめらのみこと)の存在を、示唆している事が考えられる。
今朝のビジョンには、先ず、私の唯一の親友であった故「岩川道夫」が登場して、私が実家の方に案内して居ると、其の故郷は人間が住まなく成って、何十年も経過しており、道路の両脇には木々や蔓が被い繁っており、通行できない状態に成っているのである。
そして、岩川道夫は昔のポンカン園の中に入って行き、暫くすると、野生化していたラッキョウをビニール袋に詰めて山の中から出て来た。
次に、私達が街中に向い、昔のレストランの建物に到着すると、其のコンクリートの建物の中には、大きなガジュマルの根が張っており、まるでカンボジアのアンコールワットの様な状態と成ってしまっているのである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は漢字の「管」の竹冠の部分が、伸びた頭髪の様に、二本の竹が伸びて「官」の部分を被っている象形に成っているのが映し出されて来て、其の様な文字が次々に映し出されて来て、其の難しい漢字(絵の様な)で文章が綴られている場面が映し出されて来た。
其れから、青色の文字単語が、チベット曼荼羅の様に配置されている場面が映し出されて来て、其の文字単語は、PCのアドレスの様な役割と成っており、其の単語をクリックすると、其の世界がPC画面に現れる仕組みに成っている事が理解されて来た。そして、其の曼荼羅は「天界・神界・四次元世界」の情報整備が完璧に出来上がっている事を示唆していた。
そして、「下生して居た」との言葉が一言告げられて来てから、「3月13日」の日付が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時16分」であった。
其れから再び横に成って、今朝のビジョンに付いて考え始め、起きた時刻は9時16分であった。
昨夜眠る前に、私の瞼に映し出されて来た「向日葵・太陽」の顔をした存在は、アステカ文化の「太陽神」と関係があり、其の太陽の化身の存在が、昨日私に「日本帝国印」の印鑑を手渡した「ユダヤ神」であり、後の三体の光の顔は、昨日私が乗っていた空中を走る列車の後部座席に座って居た三体の女神・姉妹の存在と関係が有り、私の身体・意識に、太陽神と其の娘である三体の女神が、入り込んで来たと言う事に成るのではないだろうか。
其れに、今朝のビジョンに登場した「岩川道夫」は遺言が「先に往って待っている」との事であったのだが、私は未だ此の世(現実界)に居るので、「待っている」と謂って居た岩川道夫が待ち切れずに、私の方に降りて来た事に成る。・・
だが、其の降りて来た世界は、人間社会が滅び去って、元の森林に還ってしまっている世界であり、人間が存在していた事の証は、野生化している「ラッキョウ」と、コンクリートの残骸だけであった。
其れを考えると、此の世・三次元世界から人類が居なく成れば、霊界人・神霊も「立つ瀬が無い」と言う事に成ると言う理・ことなのではないだろうか。
今朝起こされた時刻「4時13分」「6時16分」「9時16分」の数字から、昨年の「4月13日」「6月16日」「9月16日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私の故郷が無人と成り、アンコールワットの遺跡の様な状態と成っていた場面は、自然の中でこそ生活できる農家・農業を、国家が守護せずに見捨ててしまえば、国家自体が滅び去ってしまう理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。・・
今朝告げられて来た「下生して居た」との言葉と、「3月13日」の日付に付いては、次の様な事が考えられる、3月13日の日付は、私が1984年3月13日に太陽が水平線から顔を半分(日の象形)出している時に、「土肥無庵が神だから守れ」と告げられた日付であり、更に昭和天皇の導きで、1989年3月13日に阿蘇に在る「日の宮幣立神宮」に初めて参拝すると、太陽が異常現象を起こし、3時33分に私の身体に激しく神がかかって来る現象が起きた。
其れを考えると、太陽神は既に下生していた事が考えられる。・・
此処まで文章を打って来ると、今朝の文章は太陽尽くめの内容である事に成り、何故日本の神(天津神)が太陽神とされているのかも理解されて来る。
其れは、「エジプトの神・イスラム教の神・アステカの神」が太陽とされている事と関係が有り、太陽信仰は世界全体で行われて来た事に成る。・・
其れは、以下に、太陽の存在が大事・偉大であるかが、古代から理解されていた事に成り、其の太陽の神(はたらき)に付いて理解が出来れば、人間以外の生き物が全て太陽の存在・エネルギーで純粋な儘、生かされている理が理解されて来る。
其れに比べれば、偉そうな顔をして、自然破壊・エネルギーの無駄使いを続けている人間の存在・有り方に、幻滅する事は顕かである。
其の事さえ、人間が自覚出来れば、明日からでも、平和な未来社会の創造が開始される準備は整っているとの理・ことなのではないだろうか。
「今日から幻滅が始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5270.html
此の「2月11日 建国記念日」の文章の題が「今日から幻滅が始まる」である事は、今朝示されて来た「制人」との文字や「制世」との言葉と関係が有り、経済優先主義と成っている近代社会体制は、一度衣替えが必要であると言う事であり、地球自体が身震いをして、古い毛並み(睫毛)を祓い落すとの事なのかも知れない。
令和2年11月17日
礒邉自適
2020/11/5
水の世界を通り抜ける
2・11・5
今朝のビジョンは、私が魚の形をした石を水中に投げ入れると、其の石は水中の岩壁を避けながら、ひらひらと魚の様に泳いで行くので、私は不思議と謂うか・面白いので、自分も水中に入って其の後を付いて行った。
すると今度は、途中に美しい翡翠色で、鳥の様に羽毛が生えた魚が泳いでいるので、今度は、其の魚の後に付いて行った。
そして、日当たりの良い世界に到着して、其の羽毛が生えた魚は、何処かに飛び去ったのか、姿が見えなくなった。
其処で、「水の世界を抜けた」との言葉が一言告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時27分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の事を理解する40歳代の元気の良い、会社を経営している男性が登場して、私は其の男性が気に入ったので、「名刺をください」と謂うと、其の男性は「以前に天波博文氏の集まりで遭って渡してある」と謂うので、私の右後ろに居る秘書の様な男性に、「探してくれ」と謂うと、持って来た物は、名刺を二枚の写真(自然の景色)に挟んである物であり、月日が経過しているので、くっ着いていており名刺を剥がし取って見ると、苗字の方は「益子」と読み取る事が出来たが、名前の方は湿気でボヤけて判別が出来なく成っていた。
其れで、其の男性社長を找して視たが、既に何処かに去った様で見付からないのである。
そして、もう一度名刺の方を見ると、其の名刺には「サンウエーブ」と記されている事が判った。
其れから「てるてる(照る照る)」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「8時49分・9時11分前」であった。
其れからPCを立上げ、起こされた「6時27分の数字から、6月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/27今朝のビジョンは先ず、私の意識が、太陽光・日当たりの良い山丘が連なる谷間の村々を視て廻っている様子が映し出されて来て、私が通過した場所の跡には、足跡を意味するのか「点々・・・」や、コースの意味なのか「線 ―」が残っている映像が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、其の点と線は、私の現地調査後の記録・報告文書の事を示唆している事が、示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時31分」であったので、私は其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶して再び眠った。
すると今度は、戦争で焼けたのか、大津波が襲って水に浮く物が全て流されてしまったのか、鉄や石の様な物しか残っていない町の址が映し出されて来て、私は一人で其の中を歩いて、砥石や金梃子(てこ)等を拾いながら、歩いている場面が映し出されて来た。
次に、私は定期船が通っていない離れ小島に、自宅と成る家を手に入れて、生活用品を揃えて居る場面が映し出されて来て、其処は他人の影響が何も無いので、静かに暮らせる事を確認して、安らかな気分に成って居た。
だがガスコンロのガスが無いので、煮炊きをする竈を作らなければ成らないと意って居た。
次の映像は、其の小島ではなく、本土の様子が映し出されて来て、地面には毒の有る「水仙」しか生えていない様子が示されて来て、其の理由は食料難の為に、他の毒の無い草が、全て食べられてしまった結果を示している事が、理解されて来た。
次に、人間が通らなく成った山道に、木々が育ち始めている様子が示されて来て、森の中では、私の知り合いらしき樹医をしている男性が、老木(御神木)が出来るだけ長生きする様に手入れをして居る場面が映し出されて来て、私は其の男性と樹木の事に関して色々話して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は雨音と共に雷鳴が轟き始めた。
そして、其の音を聞いて居ると、空気中に溜まって来ている「+・−」の電気粒子の所為か、雷から空中に放射・伝波されている「電気・磁気・大山祇神」との繋がりなのかは判らないが、様々な世界が瞼・脳裏に映し出され始め、私は其の映像が余りにも現実的な場面なので、昔の人が雷を「かみなり・神鳴り」と呼んだり、「神・シン・ジン」の漢字を「示(祭壇)+申(電気・雷)」としているのかが、理解される様な気がしてきた。
其れから、女性・女神の聲で「現れたくない」との言葉が一言告げられて来た。
其れは、地球全体・生命全体の事を考える女神が、暴走・破壊を止めない人間の数を減らさなければ、どうにも成らない次元に至っているのだが、其れを始めれば、感謝される所か、逆恨みされて、「悪魔・悪神」であるかの様に受け取られかねない事を、気にしている事が理解されるモノであった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時24分である。
今朝の最初の場面は、太陽の「陽」の漢字と、「郡」の漢字の世界が示されて来ており、人間の暮らしの原点を見つめ直す必要がある事が示されて来ているようである。
キー「陽 郡」
2014/9/14本日の日付は「9・14」で、149の数字は123の二乗である。
第一次世界大戦は、1914年に始まり、第二次世界大戦(日本参加・太平洋戦争)は、1941年に始まっている。
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね」
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです。
どうやら 貴方には もう 其れが無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど。」「愈々ですね」
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の続きの様で、神の光の中で、人間の躰の五臓六府の仕組みや、五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」などの働きが、全てバラバラにされて、其の働きを、明確に認識する必要がある事が示されて来た。
其れは、男女の肉体の仕組みの違いや、五体の骨組・筋肉組織・神経組織・血管網などや、爪・髪・髭・歯、其れに脳の働きなど迄、全てを認識する事である。
次の映像は、雪が降っている真冬の天候の中に、私が歩いて居り、途中で数人の女性が、氷が張る湖の側の土地で、食べられる野草を雪の下から捜し出して、摘み採って居るのに出会った。
其の中の一人が、私が普通の服装をしているので、自分の黒い毛皮のコートと、帽子と手袋を貸してくれた。
私は、其れを着て、自分も野草摘みを手伝っていた。
すると、誰かが、車で私を迎えて来たので、借りて着ていた物を脱いで、其の女性に返した。すると、其の女性が、心配そうに「大丈夫ですか」と、私に問うた。私は、其の慈愛に満ちた女性の顔を見て、何処かで会った事のある、懐かしい顔であると思った。
だが、其れが、誰だか判らないでいると、映画で観た事のある、イエスキリストの母親「マリア」ではないかと思えて来た。
其処で一度目覚めて、トイレに行き、再び眠った。
すると、木造の古い田舎の家屋の中に、私は居て、他にも数人の同じ年代の男性が居て、土間で薪ストーブ焚いて暖を取っていた。
そして、私が外に出て見ると、30代後半の男性が三人来て居て、巻尺で屋敷の周囲を計測して居るので、私が「貴方達は 何をして居るのか」と厳しく尋ねると、責任者の男性が「貴方が 代金を払わないので 利息が膨らんで300万円を超えたので 屋敷を競売にかけるのだ」と、言うのである。
私は、物を買って代金を払っていない覚えも無いし、屋敷を抵当に入れた覚えも無いので、其の男性に「会社と自分の名前を云え」と言ったのだが、其れに対して何も返答をしないのである。
其の様な問答をして居ると、其の男性の仲間が二人・三人と次々に遣って来て、段々の数が増えて来たので、私は其の人達に、日本語の「ひと」との言葉は、「霊留・ひと」で「霊が留まる」との意味であり、霊魂が留まって居無い人間は、「只の空だ・ただの肉体だ・殻」と、説教を始めた。
すると、段々の人数が増えて来て、屋敷内に入り切れなく成って来て、近所迷惑に成るので、観覧席の在る競技場の様な所に移動した。
そして、其の競技上の様な場所も一杯に成って来た。其れは、男性ばかりなのだが、中に三人だけ女性が並んで座っていた。
其れから、自宅に帰って居ると、大きな車の後部座席に、60歳位の立派な男性が三人乗って、私を訪ねて来た。
そして、其の三人の男性を家に通すと、私の書いた文章が、長々と映し出されて来て、其の文章の中に「阝」と「易」の文字が有る事が、強調されて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなのだが、全体的な繋がりが、私にも良く解からない。
今朝の映像で、雪の中で野草を摘んで居た、数人の女性の他は、私の所に集まって来たのは全て男性だったのだが、観覧席に三人だけ女性が居た。
其の三人の女性は、姉妹の様だったので、「宗像三女神」を意味していたのかも知れない。
そうすると、最後に、私の家に訪ねて来た立派な三人の男性は、「造化三神」だったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に登場した人物は、全て現実界の人々ではなく、神界か霊界の人々であったと言う事に成って来る。
何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。
其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
*「陽・ヨウ」形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。」
【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。
Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。
漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
*「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。
【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝PCに向かった時に、先ず、女神の言葉で「愈々ですね」と告げられて来た事が、信憑性を持つと言うか、天神・宇宙意識の働きの大きさが、能く理解されて来る。
老子の「タオ・道」の世界は「陰陽」がテーマであるが、弘法大師空海も「乾坤は 教籍の箱なり」と謂っているので、私は、其の二人が謂う世界に、入り込んで行く事に成り、其れが、「愈々私の本番である」と言う事なのかも知れない。・・・
「阝+易=陽」邑(阝)部
阝・おおざと偏 邑が旁になるときの形。邑(阝)を音符として、人の住む地域・地名を表す文字ができている。
こざと‐へん【▽阜偏】 の解説
漢字の偏の一。「防」「隊」などの「阝」の称。
[補説]漢字の右側にある「阝」は「おおざと」という。
「郡・グン」【解字】形声。「阝(邑)+君」音符の君は、群に通じ、むれの意味。邑は、むらの意味。村の一郡、行政単位の一つを表す。
【字義】@こおり。グン。周代以後の地方行政区画の名。周代は県の下。戦国時代以後は県の上。Aつかさ。郡の役所。国語。グン。日本の地方行政区画の一つ。府県の下。
漢語林より
今朝のビジョンは、私が進んで行く方向の左上に太陽が有る事で、右側に縦に繋がる山・岡は、全て「日向・ひむか・陽向か」であり、太陽光を谷合いにまで目一杯に受けており、其の谷合いから流れて来る水に拠って、豊な生活を続けて居る人々の邑が、谷間毎に並んでいる事が判った。
其れは「小郷偏」が、一個所の邑を意味し、幾つも其の邑が繋がっている・群れているのが、のが「大郷偏・郡」である。
其れは、其の様な環境条件の下で生活して居る人々には、今朝女神から告げられて来た「現れたくない」との言葉は、関係が無い事になり、今朝のビジョンの滅びの世界は関係が無い事に成る。
其れは、今朝起こされた時刻が「8時24分」であった事と関係が有り、昨年の8月24日の文章が「老子の理想郷」である事と関係が有るのだろう。・・
此の文章の内容からすると、今朝最初に起こされた時刻が「2時31分」であり、私が其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶した事は、岡本天明に6月10日「時の記念日」から「天之日津久神社」の祠の前で始まった、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界と関係が有り、「老子の桃源郷」の言葉を「心の指針・魂しいの柱」にしなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、日月神示に有る「道院殿老祖様(老子から派生した概念)だけを中に祀り 他の神は外に祀れ」とある事と関係が有り、其の老子の理想郷の教訓こそが、現在大問題と成っている「コロナウイルス感染」の良薬に成る事は間違い無い様である。・・
今朝の最初のビジョンは、私が屋久島の東南向きに位置する矢本嶽の山懐に産まれ育った事と関係が有り、太陽の光を全身に浴び、雷のエネルギーをチャージしながら、思考を膨らました事が、其の儘「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の温床・土台・基礎に成っている理・ことが、表されている事に成る。
其れを考えると、私の意識の寝床は「日向」であり、「日高見の国」の伝統を宿している事に成りそう・・
其れに起こされた5時5分の数字は、今年の5月5日の文章の題が「光のエナジーが神」であるので、今朝の最初のビジョンと関係が有り、母神は太陽(恒星)の神であるのかも知れない。
「231・文始め」https://green.ap.teacup.com/20060818/5407.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージに示されて来た「サンウエーブ(太陽と波)」「天波博文」「照る照る」は、「太陽・天照大神」に関係が有り、私は「水」→「石・石工」→「翡翠(かわせみ)・羽毛の生えた蛇」→の世界・次元を、泳ぎ切って、「太陽」の世界に出た事に成りそうである。
其れは、私が1984年11月22日に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が告げて来た「最後のトンネル潜り」に成功した事に成りそうである。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、登場した男性社長の苗字が「益子」であった事から、「益」の漢字を調べると次の様に載っている。
「益・エキ・ヤク」【解字】象形。皿に物を大きく盛り上げた形にかたどり、ます・あふれるの意味を表す。常用漢字は省略体による。
【字義】@ます(増)。㋐ふやす。加える。「増益」㋑加わる。㋒富む。多くなる。Aためになること。役にたつこと。「有益」Bもうけ。利益。また、もうける。⇔損。C多い。また、多く。Dますます。いよいよ。
漢語林より
此の益の意味からすると、「益子」とは、「増やす子・ためになる子・いよいよの子」との意味合いが有り、私は伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の希望に、沿えた事に成るとの事なのかも知れない。
『貴方の為しえた事は 是まで 誰も出来なかった事であり
其の業績は 何物にも替え難い 結果を齎したのです。』11時31分
今朝「てるてる・照る照る・輝輝」との言葉が告げられて来た、9時11分前の数字から、今年の9月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/9/11本日9月11日は、「アメリカ同時多発テロ事件」から丸19年の日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、金メッキの人間と、典型的な暴力人間の存在が映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、頭以外の肌と歯を全て金箔で覆って、其の出来栄えに喜んでいる男性の存在が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、今は誰も住んで居ない、私の屋久島の実家の敷地の中に、重機を使って、奥の山林に続く道路を造る工事が行われており、私が其の道路を進んで行くと、20歳代の若者が居るので、「何をしているのか」と訊くと、「父さんが上に居る」との事なので、奥に進んで行くと、如何にも暴力的な50歳代の男性が居て、勝手に此方の土地の中に、人間の手では抜けない大きな紅い境界杭を立てているのである。
私が、「此方の土地に 何故勝手に 道路を通しているのか」と言うと、如何にも暴力を振るいそうな雰囲気で、私の方に向かって来たので、私は、周りに誰も居ないし、殺されて埋められてしまう可能性が有るので、警察官を立ち合わせなければ、話に成らないと意い、引き下がる事にした。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから再び横に成り、私は、今朝のビジョンから他の生き物には無い、人間の個人的な我欲・権力欲・物欲などに付いて、様々な事を考え始めた。
そして起きた時刻は、8時15分である。
今朝は、何を書いて良いのか分からないので、取り敢えず起こされた時刻「6時13分」「7時7分」「8時15分」の数字から、6月13日・7月7日・8月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「至難の業」との言葉は、今朝のメッセージと関係が有り、人間の「我欲・エゴ(利己主義)」を止める事は、正に「至難の業」である事に成る。
其のテーマは、釈迦牟尼世尊の仏教のテーマであるが、2600年が経過しても解決できないテーマ・課題であり、其れは、現在の「民主主義」「資本主義」や「共産主義」「社会主義」でも解決できてはいない。
此の「適性」との言葉と「天照坐皇大御神御魂」との神名の関係を考えると、天照坐皇大御神御魂が祭神である「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の参道の石塔に刻まれている神紋が「六芒星」である事と関係が有り、其れは「須佐之男尊・すさのおのみこと」の神紋が「亀甲紋・六画」である事に繋がり、何らかの仕組み・形を整えなければ成らないとの事であり、其れは「適性」に合わせた「人材の選択」と「組み合わせ」が求められて来ているのではないだろうか。
てき‐せい【適性】 の解説
性格や性質が、その物事に適していること。また、その性格や性質。「適性を見る」「適性に欠ける」 国語辞典より
キー「六芒星」「亀甲紋」・・
今朝の文章の題は、「産毛が何も感じない人々」とした、其れは私が36年前禊ぎ祓いの儀式を行ってから、荒野で裸生活を始めた時に、産毛で空気の流れを感じ取り、全生物との命の遣り取りを出来る様に成ったからである。
だが、今朝のビジョンに映し出されて来た人間の様に、全身に金箔を貼ってしまえば皮膚呼吸が止まってしまうし、産毛が「風・氣」を感じ取れなく成ってしまうからである。
「産毛が何も感じない人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/5484.html
此の「産毛が何も感じない人々」との言葉は、昨日のメッセージで私が短パン一枚の姿であった事と関係が有り、私の皮膚感覚は、世界自然遺産に登録された屋久島の自然の中で産まれ育った事と関係が有り、人類が服を着る前の時代(次元)まで、遡ったと言うか、人類の其の儘(本来)の感覚を、取り戻したと謂う事に成るのであろう。
今朝の由香のビジョンは、其の事と関係が有るのか、大好きだったが夢には殆ど登場した事の無い父方の祖父【1978年12月21日(旧暦11月22日)没・葬式は12月23日】が登場して、客人の一人が持って来た茶葉を使用して、中国式でお茶を淹れて腕前を披露しており、親戚らしき品格のある客人をもてなす様子を、部屋の隅から眺めていると、自分の目の前にも湯飲みにお茶があり、一口飲んでみると、今まで飲んだお茶とは比べられないほどの、豊潤な芳香と深みのある味を、一口ずつ味わいながら全て飲み尽くして、余韻に浸っていると、次の場面では、其の客人の著書が目の前で開かれており、其れを黙読していると、「手前は水を扱う商いをしておりますので・・・」と書いてある箇所が目に入って来たので、水を扱う仕事をしているから、厳選された茶葉も、一緒に持ち歩いている事に納得していたとの事である。
其の由香のビジョンも伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の世界が、開闢した事を示して来ているのではないだろうか。
何れにしても、私は、36年5ヵ月前(1984年6月4日旧暦5月5日)に父親が彼の世から20年振りに4311体の神霊を伴って還って来て、「お前に苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。だが、仕事だと意うな 遊びだ 遊びだと意って行け。」と謂った事を、守り切った事に成りそうである。
其れを考えると、今朝女神が告げて来た『貴方の為しえた事は 是まで 誰も出来なかった事であり 其の業績は 何物にも替え難い 結果を齎したのです。』との言葉の意味も、能く理解されてくると言うものである。
今朝の題は、告げられて来た「水の世界を通り抜ける」とした。
其の言葉は、仏教の「彼岸に渡る」との言葉と関係が有り、其の彼岸の世界の次元が2600年振りに、人間の頭・意識に、新風を吹き込む事に成るとの事なのではないだろうか。
令和2年11月5日
礒邉自適
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