言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2021/2/1
統尊は個を守る者
3・2・1
昨夜は入浴して居ると、男性の聲で「貴方には申し訳ないが 正を守って欲しい」との言葉が一言告げられて来た。
そして、眠ってからのビジョンには、日本人の男性が現れて、其の男性のグループと私の関わっているグループが、考えた方・生き方の違いから、二分する事が示されて来た。
そして更に、私と私の家族は此方のグループの中で、別扱いにされ、更に私は家族とも離れて暮らさなければ成らない事が示されて来て、「個」の漢字が一字示されて来た。
其れから、昨日のメッセージで、「船出」との言葉が一言告げられて来た後に、「天照皇大神・あまてらすおおみかみ」の名前の意味である、光輝く世界が映し出されて来た事の続きとして、光の御坐に私の体が在る様子が示されて来て、現実・実際に、私の喉の奥(扁桃腺・声帯)の所に圧力が掛かって来て、何等かの言葉を発しなければ成らない様子が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時22分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「四日」の日付と「パンデミック」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時刻を確認すると「7時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は大きな素焼きの植木鉢が一個映し出されて来て、其の鉢の中心に「桐・きり」の苗が一本伸び始めている場面が映し出されて来て、私の意識が、其の桐の苗だけを残して、他の植物を除草して居た。
そして、今朝起きた・起こされた時刻は、「7時31分」である。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた「6時22分」「7時1分」「7時31分の数字から、昨年の「6月22日」「7月1日」「7月31日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/6/22昨日は文章をアップしてから、昨日が今年の「夏至」である事と、26年前にカイラスに神(はたらき)が存在する事が、確実な現象として示されて来ていた事が判明した。
其れは、高い岩山(ピラミッド)と太陽が関係が有ると言う事であり、「正午」の時刻・時計(土計り・棒影計り)は、時間・トキだけではなく、エナジー的にも、目には直接見えない強い自然現象(引力・重力)が存在すると言う事である。
其れに、その世界は「夏」の漢字の世界と関係が有り、理趣経の世界よりも一段高いと言うか、「遺伝子・DNA・命)に絡んで奥深い世界でもある。
そして其の世界で、能力を発揮・感知できる者が「転輪聖王・チャクラヴァルティン」との名前で呼ばれる存在であると言う事でもある。
今朝のビジョンには、先ず肉体の丈夫な50歳代の男性が稲作を始めたいとの事で、私に水田の購入に付いて尽力してくれる様にと、自宅を訪れる場面が映し出されて来た。
私は其の男性を家に上げて、事情や条件などを色々訊いて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻はまだ「1時13分」であったので、余程水田稲作の世界が重要であると言うか、神のプログラムの世界では、水田が必要不可欠である事を理解した。
其れから再び眠ると、今度は40歳前後の人々が、様々な世界で活動を始めている様子が映し出されて来て、其の幾つかの部門に、私の関わりが必要不可欠である事が判り、其の全体の様子から、私が「転輪聖王・チャクラヴァルティン」の役割に着任して居る事が、理解されていた。
其れは、ヒンドゥー教で「転輪聖王・チャクラヴァルティン」と呼ばれる存在が、伊勢の伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在や、エジプトの「ラー・王」の存在であり、シュメールの王様(スメル・葦の生える地を治める者)の存在でもあると言う事なのであろう。
「転輪聖王への道」https://moon.ap.teacup.com/20061118/20.html
其れ等の事を考えると、私に平成18年8月18日に「約束は守られる」と告げて来た「ククルカン・ケツァルコアトル」が、マヤのピラミッドの神であった事の謎が解けて来る。・・
此の文章に書いて有る、宗像神社の神はインドからの渡来族が持ち込んだヒンドゥー教の神々である。其れを考えると、矢張り、昨日のカイラス山のビジョンは、「水素/Hの氣・エナジー、母神」が長い間待ち望んでいた事が、現実として開始されると言う事であり、私が36年間積み上げて来た努力や認識が土台と成って、ヒンドゥー教の神々が、新しいステップ・階段・階梯を、本日から始めるとの事なのであろう。
『ですが 貴方は 其の事に
直接 関わっては成りませんよ。
何故なら 貴方の 此の作業・統尊があるからこそ
全てが 回っているのですから。』9時22分
「転輪聖王・チャクラヴァルティン」https://green.ap.teacup.com/20060818/5402.html
此の文章の最後に記して有る、『ですが貴方は 其の事に直接関わっては成りませんよ。何故なら 貴方の此の作業・統尊があるからこそ 全てが回っているのですから。』との言葉からすると、今朝の「個を守れ」との事が、何を意味しているのかが理解されて来る。
其れは、中国の「魏志倭人伝」に記録されている日本の「卑弥呼(祭祀王)」が、孤独な生活を送り、食事などの身の回りの世話をする弟にも、結婚をさせないで、極力、他人との接触(気の乱れ)を避けて居た事と、共通する世界である。
「個・コ」【解字】形声。「人+固」音符の固は、かたいの意味。独立性のかたい人、ひとりの意味を表す。【字義】@物を数える時にそえる語。A「全体」に対して「ひとつ・ひとり」の意。B副詞の意味を強めるに用いる語。
漢語林より
2020/7/1今朝のビジョンは、先ず、私が何処かの山道で、木が茂って通れない様に成っているので、人々が通れる様に、切り払いを行って、通れる様に成った所で屋久島の知り合いである「日高順一氏」が夫婦で遣って来て、私が通れる様にした場所に、有刺鉄線を張って、誰も通れない様にしてから、奥の方に登って行った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時23分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の知らない・認知していない情報(現場や人の様子)が、次々に私の意識・脳内を流れ始め、私は、其の情報に振り回されて眠れなく成ってしまった。
其れが長い時間続いた後、其れ等の映像場面が文字文章に替わり始めた。
すると、突然に画面が暗く成って、其の文字文章が見えなく成ったので、其の暗い画面を近付いて良く見ると、其の薄暗い画面の中には、マトリックスの映画の画面の様に、何かの記号が横に画面一杯流れている事が判った。
そして其れは、PCの文字や映像・写真が、テレビ画面の様に、全て電子信号に置き換わって流れている事と関係が有り、私が自分の体の五感「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」でキャッチされた情報が、全て磁気情報・電子信号に変換されて、脳に送られている事と関係有る事が理解されて来た。
そして、今朝長い間、私の意識に映し出されて来た場面・情報は、私が個人的にキャッチ・認識したモノではなく、私の中に棲み付いている「ワタシ」と名乗る「女神・万物の母」が、私の脳の仕組みをPCの様に使用しているモノであり、私は、其の流れ去る情報を、自分のモノとして視て居るだけである事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時14分」であった。
其れから再び眠り、起こされた・起きた時刻は「7時2分」である。・・
其れから、PCを立ち上げると、「貴方が一番」との言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げると、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方が一番」
貴方が一番 気を付けなければ 成らない事は
他人の情報に 影響を受けない事です。
其の事が 守られなければ ワタシは
貴方のカラダの中に 宿る事が出来なく成るのです。
ですから 貴方が 自分の目や耳で
受け取る事は 必要ですが
一度 他人の脳を 通過した情報は
自分の脳に 取り込んでは 成らないのです。
其れが統尊の 第一条件なのです。
良いですか 此処から先は 一分のスキが有っても
許せない 事態・次元が 始まるのですよ。
其の事が 貴方の意識に しっかりと
納まらなければ 此方は 動き出せないのです。
ですから何事も 此方の所為にしては 成りません。
紀(とき)のまつりは 既に始まっているのです。
後は 貴方の認識度 次第ですので
其の事を 能く考えなさいね。
「貴方が一番」https://moon.ap.teacup.com/20060103/979.html
其れから再び、今朝の文章を打つ為にワードを立ち上げると「レオ・パレス」との言葉が告げられて来たので、其れを調べると、次の様に載っている。
レオ【Leo】の解説 ラテン語でライオン。
パレス【palace】 の解説
1 宮殿。王宮。御殿。
2 娯楽・競技などのための大きな建物のこと。
此の意味からすると、「レオ・パレス」とは、日本語では「獅子の宮殿」と成るので、今朝の女神の言葉と符合しており、一年前の6月30日に「明日から始まる」と告げられて来た事が、本日から本番に入るとの事であり、其の為に由香のビジョンには、祝賀の場面が映し出されて来たのであろう。
其れに今朝起こされた「1時23分」の数字は「123・ひふみ・霊文」と読めるし、6時14分の数字は、昨年「切り開く能力・ちから」と告げられて来た「6月13日」の次の日の日付であり、7時2分の数字は、本日7月1日の次の日の日付である。・・
此の一年前の二日分の文章の内容から考えると、矢張り私が屋久島で産まれ育った事と関係があり、其の私が是から考えなければ成らない事は、西洋で発達して来た「科学」の世界で明らかに成って来た情報・理論に合わせて、東洋の「精神性・神学・霊魂の世界」を、明らかにして行かなければ成らないと言う事である。
其れは「太陽」が「神様・天照大神」であると考えるのではなく、水素原子が集まってヘリウムと成り核融合を起こし、光と熱と電磁波を宇宙全体に放射している事が、此の地球生命や人間の意識に、どの様な影響を与えているのかを、詳(つまび)らかにする事である。
其の事に付いて、今朝のビジョンは関係が有り、人間が活動する様子や文章がPCの中を流れる場面は、人間の「目・視覚・顕在意識」の世界であるので、其れは太陽の光の世界・昼間の世界である事に成る。
だが、其の世界が消えて、暗い世界に電子信号・電子情報記号が、マトリックス(母体・基盤・数学的行列)として全体に流れていたのは、夜間の世界・眠りの世界であり、其れは「潜在意識・夢」の世界であるので、統尊(すめらのみこと)・神主・斎宮などが行う役割である「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の世界である事に成る。
其れに太陽光線は、暗黒宇宙を飛んでいる時には物ではなく、形が無く目に見えない「波動&粒子」であり、物体に衝突して初めて「光」や「熱」として働き、地球を暖め・植物の炭酸同化作用を助ける事で酸素が増え、人間を含む全動物(昆虫まで)が誕生して来ている。
だから、其処には神の存在は無く、水素原子から始まった物の世界が有るだけで、精神性などは欠片も無いのである。
我々人間が、謂って居る「精神性・こころ・魂しい」と言う物は、人間の脳細胞が産み出した言葉に拠って、サモ有るかの様な錯覚をしているが、其れは38億年前に誕生した微生物の進化に拠る、遺伝子・DNAが進化する上での環境整備から多面的に広がった「命・いのち」の複雑な情報の柵(色・rūpa・ルーパ・縁起・結び」から、発生して来た、生きる為(継続)の情報にしか過ぎないのである。
其の継続される情報で、人間の脳は巨大化してしまい、人間自身は子宮の中で受精してから「29・5日×9ヵ月=265・5日」の間は、其の遺伝子・DNAの儘の生命体であるが、此の三次元世界に産まれ落ちてから、5歳位の間迄に殆どの人が、両親や社会から情報を詰め込まれ、自分自身の「命の情報・魂しい」は失われてしまう。
其れを、取り戻す事に成功(覚醒・成仏)した人間が釈迦(ガウタマ・シッダールタ)であるが、其の事が文字化された事で、更に人間の脳は「真実(遺伝子・DNA)エホバ・ヤハウェ」から遠いてしまっているのである。
其れが、旧約聖書に記されている「蛇が勧める知恵の林檎」の例えの意味であるので、人間はエデンの園に還る為には、幼子の時点まで還る必要があるのである。
其の事を考えると、一年前に告げられて来た「政治と教育」のテーマの第一歩が、本日踏み出された事に成るのではないだろうか。
今朝のビジョンに最初に登場した「日高順一」氏は、昨年の12月23日に電話が掛かって来た存在であり、其の日は、奈良の矢追日聖法主の生誕祭の日及び元旦祭でもあった。・・
何故今朝のビジョンで、私が皆が通れる様に山道を整備して居る時に、日高順一氏が夫婦で遣って来て、其の道を他の人が通れない様に有刺鉄線を張って、奥に去って行ったのであろうか。
「順一」と、矢追日聖法主が夢に登場して私に見せた「順道」の掛け軸から、「順」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「順・ジュン」【解字】形声。「頁+川」音符の川は、かわの意味。川の流れるように事態の流れにまかせる顔になる、したがうの意味を表す。【字義】@したがう。⇔逆。㋐よる。より従ってさからわない。「耳順」㋑そう。物によりそう。㋒ならう。まねる。㋓あとにつき従う。㋔帰服する。「帰順」Aすなお。おとなしい。「柔順」Bやわらぐ。「和順」Cやすんずる。また、よろこぶ。Dうける(承)。うけつぐ。E物事の次第。順序。Fかわいがる。愛する。Gおしえる。=訓。H正しい。また、よい。「順否」
漢語林より
此の順の漢字の意味からすると、私は人々を山に案内する様な行為は止めて、事の流れに準じて居さえすれば、其れだけで良いとの事であり、其れが昇る太陽に従う生き方であるとの理・ことなのかも知れない。
今朝「レオ・パレス」と一言告げられて来た事の意味は、私は神社の鳥居の入り口に在るのではなく、エジプトのスフインクスの様に、太陽が昇る東の空を、絶えず眺めていなければ成らないとの事なのかも知れない。
確かに、現在・いまは、毎日、其方に向いてPC前を続けている。
「レオ・パレス」 https://green.ap.teacup.com/20060818/5411.html
此の「レオ・パレス、獅子の宮殿」の文章からすると、今朝のビジョンで、光の御坐に私の体が在る様子が示されて来て、私の喉の奥(扁桃腺・声帯)の所に圧力が掛かって来て、何等かの言葉を発しなければ成らない様子が示されて来た事が関係有り、私は「統尊・すめらのみこと」の役割である「詔勅・みことのり」のエネルギーが、掛かって来ている事に成りそうである。
2020/7/31・・本日で7月も終わり、明日から8月である。
8月3日は、私の両親が1946年8月3日に、屋久島の安房川の岸辺に艀(はしけ)で上陸してから、丸74年と成る日である。
私は、其の両親が上陸した船着き場で、1984年6月4日(旧暦5月5日)に「土肥無庵」が見守る下、禊払いを行うと「大嘗祭」の儀式が始まり、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きて、此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ。
今朝のビジョンは、昨日のビジョンに映し出されて来た三段の箪笥形式の思考枠組みの世界の続きであり、私の意識は、其の思考の枠組みに関わっており、幾つかの内容を組み立て(作成)て居る様子が映し出されて来た。
今朝は6時8分に起こされたので、PCを立上げ、6月8日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「第四章」との言葉からすると、一昨日「パシッ」と音がして、暗い世界に白い四角な窓・空間が開き、全体に広がって行った場面と関係が有り、此の文章に書いて有る「□(面・三次元)」の世界が開いたとの事であり、其れは神(はたらき)の世界の「第四章」の始まりであるとの事なのではないだろうか。
今朝は起きて来た由香に「何かビジョンを見なかった」と訊くと、見たとの事であり、其れは次の様な事である。
始めに、人間の脳を取り出して、手術か手入れ(掃除)の様な事を行っており、其の脳は肌色ではなく、紅い色をしていたとの事である。
次に、自分の意識(立場)が深い森の中に在って、車で空中を飛行して麓に降りて行こうとして居たとの事である。
其の由香のビジョンも、人間の意識を切り替えると言うか、新しい次元に移管する事が示されて来ており、深い森の中から下界に降りるとの事は、神意識が深い森・原始林に在ると言う事に成るので、人間の意識は650万年前に類人猿から分離した時点から発生した物であると言う理・ことが、示されて来ているとの事にも成る。
其れを考えると、私が産まれ育った屋久島は、1400万年前に海底から浮上した花崗岩の島であるので、其の人類の意識(電磁気情報)を記憶していると考えても、間違いでは無いと言う事に成り、仏教の須弥山との言葉・概念とも、無縁ではないと言う事に成る。
其れを考えると、仏教の有名な言葉「色即是空 空即是色(色・rūpa・ルーパ・縁起)」の縁起が何時起きたかの事も、次期が固定されて来ると言う事にも成るだろう。
其れは、「神・ゴッド」の概念を創り出したのは、人間自身であり、天神・地神が存在するのではなく、此の138憶年前にビッグバンで誕生した宇宙空間の時間・事象の最先端に存在する「人間・ひと」が、神であると言う事に成るので、今朝の文章の題は「現人神・あらひとかみ」にしようかと意ったが、辞典で調べると「天皇」の事と書いて有り、古代から存在した「シャーマン・神人」の事ではなく成っているので、取り敢えず「日戸・ひと」とした。
其れは、是まで使用して来た「霊留・ひと」の言葉の「霊が止まった躰」との言葉も合わなく成り、人間の身体こそが「宇宙自身の現象体」であると言う事に成り、確かに類人猿から進化した人間の脳は、「自分が何物で 何処から来たのか」との長年の悩み・疑問が解決され、人間自身が「吾(神の言葉を守る物)」から、「我(刈り取りを行う物)」へと、自覚が変わる時節・ときを迎えた事に成るのであろう。
「日戸」とは、「岩戸開き」を起こなった人々の世界や、「大和・やまと・山門」との言葉とも関係が有り、其の「岩戸(シリコンの情報扉)磐境・いわさか」の世界(コンセプト)こそが、私が1984年11月22日に伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」に頼まれた「最後のトンネル潜り」の注文の課題である事に成るのだろう。・・
其れに「岩戸・山門」ではなく「日戸」としたのは、昨日のビジョンで三段作りの箪笥の一番上の段・箱が「火」がテーマであった事と関係が有り、此の宇宙は無の中に「火・ビッグバン・大爆発(水素・電子と原子核とが結合)」に因って始まっている事と関係が有り、其の子供である「太陽・ヘリウムの核融合」の光熱・波動で、地球の「草木・石炭・石油・ガス」等、火熱の元と成る物が一切できており、其の草木・植物を食べる事で、我々人間を始めとする動物・昆虫類がエネルギーを貰って生きているからである。
驚いた事に「太陽 石炭 石油 礒邉自適」で調べると、何と「やまと」の文章だけが出て来た。・・
此の文章の内容からすると、今朝の由香のビジョンは、其の森の神(はたらき)が、人間社会に降りて活動を始め様としている事を、知らせて来ているのであろう。
そして、其の森の神の意思を受け入れる為には、大脳の大掃除をしなければ成らないと言う事であり、其の為に必要な事が「清水に拠る禊ぎ祓い」の儀式なのである。
其れは、釈迦仏陀・イエスキリスト・伊邪那岐命が、川を泳いで渡ったのではなく、ただ水浴び・沐浴をして、神の世界(四次元)に入ったのであるから、「彼岸に渡る」との言葉を変えなければ、「彼岸・パーラミター・波羅蜜」の言葉に惑わされて、誰も「真実の世界に目覚める事」が出来ないと言う事にも成る。
「日戸・ひと」https://green.ap.teacup.com/20060818/5441.html
此の「日戸・ひと」の文章には、「・・今朝の由香のビジョンは、其の森の神(はたらき)が、人間社会に降りて活動を始め様としている事を、知らせて来ているのであろう。そして、其の森の神の意思を受け入れる為には、大脳の大掃除をしなければ成らないと言う事であり、其の為に必要な事が「清水に拠る禊ぎ祓い」の儀式なのである。・・」と書いて有る。
其の事からすると、今朝の私のビジョンに、大きな素焼きの植木鉢が一個映し出されて来て、其の鉢の中心に「桐・きり(木+同)」の苗が一本伸び始めていた事が関係が有り、人間が650万年前まで類人猿として森林の樹上で暮らして居た事が関係が有り、木と人間は未だに遺伝子・DNAが99%が類人猿と同じなので、覚醒する為には森に還る必要が有ると言う理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、日本の神社が森・杜の中に存在する事や、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が6年間森林で修行をしてから、水浴びを行って菩提樹に寄りかかって休んだ時に、突然覚醒・成仏が起きた事が理解されて来る。
今朝7時1分に「四日」の日付と「パンデミック」との言葉が告げられて来た意味は能く分からないが、一昨年6月30日に「明日(7月1日)から始まる」と告げられて来た事と関係が有り、其の始まった事が「ウイルス感染」の問題・世界であるのなら、三日後に何等かの状況が発生・起きるとの事なのかも知れない。
因みに、今年の2月4日は旧暦12月23日である。
何れにしても、私は「個」の漢字の意味を深く理解して、「正・定(屋+正)」を守って居れば良いとの理・ことなのであろう。
令和3年2月1日
礒邉自適
2020/7/2
スピリチュアル・タイムから32年
2・7・2
今朝のビジョンには、先ず私が家畜を多頭飼育している農家の家に居て、糞尿を運搬したトラックの清掃をさせられている場面が映し出されて来た。
私は大型トラックの荷台に上がって、ホースで水を掛けながら、汚れた倉庫の様な四方の壁を掃除して居ると、跳ね返りの水で全身がずぶ濡れに成っていた。
其れで私は嫌に成って、其処を辞めて他へ移る事にした。
すると、1987年11月22日に行った「スピリチュアル・タイム」の参加者である「宗 裕」氏(当時24歳・現在56歳)らしき男性が、リーダーとして登場し、バスで農家の視察を行う場面が映し出されて来た。
そして、自然の中で昼食を行う場面と成り、私と宗氏が二人だけで向かい合い、草原に座って居ると、由香が弁当を持って来てくれたので、包みを開けると、中身は「玄米おにぎり」であった。
其の宗氏は、全国から70数名集まった中でも、一人だけ専業農家(椎田干拓)の後継者で、農家・農業の経験者は私と二人だけであった。
其の事に、どう意味が有るのかを考えて居ると、「人間は、直接に天神を動かす事は出来ないが、天神と同調している者は、奇跡を起こせると言うか、大自然の働きに影響を与える事が出来る理・ことが示されて来た。
其処で「6月10日」の日付が示されて来た。
其の6月10日の日付は、先月「あめのひつくのかみ発動」との言葉が告げられて来た日である。
2020/6/10本日6月10日は「時の記念日」であるが、「岡本天明」が昭和19年6月10日に、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前で「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が始まってから、丸76年の日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り「天津日嗣発動」との言葉が告げられて来た。
昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に、透明な一升瓶が一本立っている場面が映し出されて来て、其の中には水も入ってはおらず、栓・蓋も付いてはいない、唯の空瓶である事が判った。
次に、自分が居る家・部屋の壁が透明なガラスであり、其の硝子の外面には、車が高速で通過して、泥水が飛び散ったかの様に、人工的な汚れが付着している場面・様子が映し出されて来た。
其して、眠ってからの映像には、老人が居る家・施設に若者が集まって来て居る場面が映し出されて来て、其れは一軒・一ヵ所だけではない事が、理解されて来た。
そして、私の意識が接した老人は二名であり、其の二人は両方とも、痩せ型で静かな優しさの権化の様な老人であり、私は其の二人の存在から、子供と仲良く遊んで居たと聞く「良寛和尚」や、私が蘇陽町に住んで居た時に、時々訪ねていた南阿弥陀信仰の「西村見暁先生」の存在を思い出して居た。
そして、私は其の二人のどちらを支持しようかと意って居ると、其の内の一人の男性が、道路や公園の落ち葉を吹き寄せる機械の様な物を持ち出して来て、森を背景として、霧か煙の様な気体を放出させ始めたので、私は其の行為は、森を背景に虹の橋を架けさせ様として居るのだと意った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時10分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、天空に真っ直ぐ伸び上がる大きな青竹・若竹の存在が目の前に映し出されて来て「天津日嗣発動・あまつひつぎはつどう」との言葉が強くハッキリと告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから、其の「天津日嗣発動・あめのひつきはつどう」との言葉を意識・頭脳の奥にしっかりと収納すると、左耳の鼓膜にキーンと圧力が掛かって来たので、時計を見ると時刻は7時12分であり、5分が経過した事が判った。
私は其の現象から、私が自分の意識に「あめのひつきはつどう」の意味を収めてから、其の「言霊・ことだま」が天・宇宙に木霊して、響き渡って自分の耳に返るまで5分掛かる理・ことを理解した。
其れは、私が36年前に同じ様な現象が有り、其の時は往復に二時間程掛かっていた事が、随分と早く成っているので、宇宙意識の密度(新しいプログラムのエナジー)が高く成っている事を意った。
其れから起きてPCを立ち上げると、「貴方は梢に」との女神の言葉が告げられて来たのでワードを立ち上げて、其れを打つと続きの言葉が告げられて来た。
【貴方は梢に】
貴方は 梢に止まって居る
鳥の存在なのよ。
だから 天気と風向きに 絶えず
意識を 向けて居なければ成りません。
だから 其の事以外の事に
意識を向ける必要は 無いのです。
其れが 統尊の神(はたらき)なのです。
良いですか 此処からが 本番ですので 貴方は
高御座に 納まって居なければならないのです。
ですから 考える事も する事も無しですよ。
令和2年6月10日9時8分
此の女神の言葉からすると、76年前の今日始まった「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が、是から現実世界(三次元世界)で本番が始まるとの事なのであろう。
今日は、10時24分に前田氏より電話が掛かり、其の事を実感できる話が聞けた。
昨夜眠る前に、瞼に映し出されて来た、栓・蓋の無い「空の透明な一升瓶」の存在は、私の是からの意識状態を示唆しており、其の中には水も入っていない事は、私は是から、最も大事な「水素/H]の事さえ、考えては成らないとの事なのであろう。
次の、自分が居る家・部屋の壁が透明なガラスであり、其の硝子の外面には、車が高速で通過して、泥水が飛び散ったかの様に、人工的な汚れが付着している場面・様子が映し出されて来た事は、高御座の存在は他人の息が掛かっても成らない事を示唆しており、人間社会の業・カルマが届いては成らないとの理・ことであり、其れが皇帝・天皇が御簾の内に在る事の意味なのであろう。
其れに、「天津日嗣発動」との言葉が告げられて来た時刻が、7時7分であったのは「七夕」と関係が有り、天の川(銀河の中心)への願い事の世界と関係が有り、天空に向かって真っすぐに立っていた「若竹・青竹」の存在は、宇宙意識と人間の魂しいの繋がりを示唆しており、其れが新しくパイプとして繋がった事を示して来ているのであろう。
今日は、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の始まりから丸76年の日である事から、私はハレー彗星が此方側に回り込んで来る時に、自分が38歳と成るので、38年前に誕生して76歳に成る人間がどの様な魂しいの人間であるかに興味を覚え、日本中の旅に出て「矢追日聖法主」や「中屋龍州」等に出会い、其の人達が私の事を理解する人間であったので、彗星の軌道・年数と人間意識の関係が有る事を確信したのである。
其れを考えると、私自身も残り三年で、自分の魂しいの完成を確かめなければ成らないのかも知れない。
今朝は、起きて台所に行き、私が「今朝は 優しさの権現みたいな老人が 二人出て来た。」と謂うと、由香が笑いながら、自分のビジョンにも、自分の知り合いで、皆から「優しい人」と謂われている年配男性が登場し、とても優しい四拍子のリズムで、わらべ歌で子供に語り掛けるような口調で話す言葉が背中越しに聴こえて来たとの事なので、此の私も、今朝登場した肩の力の抜けた優しい老人・翁に、成れば良いのだと思った次第である。
今朝登場した優しい老人は、他人を喜ばす為に自然の森を背景にして、虹の橋を架けようとして居た。
其れが成功しなかった理由は、天空に「虹(虫・龍+工作)」を架けるのは、龍神の仕事であるので、其の龍神の仕事を横取りしては成らないとの理・ことなのかも知れない。
「天津日嗣発動」https://green.ap.teacup.com/20060818/5390.html
今朝のメッセージは私が32年半前に、野草社の石垣雅設氏と共に行なった「スピリチュアル・タイム」の会合・儀式は、「天津日嗣・あめのひつぎ」に関係が有り、其の会合の参加者である「宗氏」が今朝登場した意味は、「宗氏」が農家・農業で、干拓農地で稲作を行っており、日本の呼称が「豊葦原瑞穂の国」である事と関係が有り、「スピリチュアル・タイム、精神的なとき(次元・時節)」は、稲作文化が舞台であるとの事なのかも知れない。
其れに、「宗 裕」の漢字の意味が「みたまや・ゆたか」の意味であるので、霊魂・先祖が弥栄であるとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
「宗・シュウ ソウ」【解字】会意。「示+宀」。「宀」は家屋の意味。示は、神事の意味。神事の行われる家屋、おたまやの意味を表わし、転じて、先祖の意味や、祖先をまつる一族の長の意味を表わす。宗の意味と音符とを含む形声文字に崇・綜などがある。
【字義】 @みたまや。祖先の廟屋。「宗廟」Aもと。分かれ出たもののもと。㋐祖先。㋑本家。「宗家」㋒おおもと。本源。Bむね。㋐おもだったもの。中心となるもの。㋑長。かしら。第一人者。「詩宗」㋒人の仰ぎ尊ぶ者。「宗師」
Cよつぎ(世嗣)。長子。正妻から生まれた長男。D同一の祖先から出た一族。 Eたっとい。(尊)また、たっとぶ。Fまみえる。諸侯が天子に拝謁する。春の謁見を朝、夏の謁見を宗という。Gあつまる。またおもむく。H仏教の宗派「真言宗」
「裕・ユウ」【解字】形声。「衤(衣)谷」音符の谷・コクは、容に通じ、多くの物をとり入れるの意味。衣服が多い、ゆたかの意味を表す。
【字義】@ゆたか。㋐満ち足りている。不足のないさま。「富裕」㋑ゆるやか。のびやか。寛大。ひろい。㋒やすらか。㋓ゆとり。「余裕」Aゆたかにする。
漢語林より
2017/2/23・・そして、片付けが終わって、其の建物で、新しい事を始めなければ成らない事が示されて来て、私の知り合いである「小川亮一」氏と「宗 裕」氏が、其の建物に遣って来た。
其の小川亮一氏は、ホテルの持ち主と話しを始め、私は宗裕氏と話を始めた。
其れから、引き出しが引き出される場面が映し出されて来て、其の引き出しには、色鉛筆の様な物が、色鮮やかに横に澤山並んでいた。
其の数は、引き出しの作りが深かったので、どれだけ有るのかは判らなかった。
「小川亮一氏」は、関東から屋久島に移住して来て、陶芸で生計を立てならがら野菜を栽培し、自給生活をしている人物であり、「宗裕」氏は、私と石垣雅設氏が、1987年11月22日に奈良市の「大倭あじさい邑」で、スピリチュアルタイムの集いを行なった時に参加した方で、福岡県築上郡築上町湊の干拓地で農業を営んでいる人物である。
此の漢字の意味からすると、「亮一」とは、「一番 物事に明るい人物」となり、「裕」とは「満ち足りている人物」との意味である。
其の名前の意味からすると、今朝、其の二人の人物が閉館してしまった「旅館・ホテル」に集まって来た事は、使用されなく成った施設が、未来社会創造の為に、必要と成る事が示されて来ている事に成る。
そして、引き出しから、色鮮やかな多種の色鉛筆が澤山出て来たのは、色々様々な出来事が是から新しく始まるので、多種多才な人々の参加が必要であるとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像で、私と建物の管理者が、両方とも頭を丸坊主にして居たのは、仏教の始祖である釈迦牟尼佛の存在と関係が有り、此の世界の物の管理と言うか、使用方法・活かし方に付いて、能く吟味しろとの理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
其れは、昨日の映像で、図書館の中が片付けられて、閉鎖された事と関係が有り、天神(てんのはたらき)の世界で、新しいプログラムが開始された事が示されて来ているのであろう。
本日は、皇太子殿下の57歳の誕生日であり、二年後には其の皇太子殿下が新天皇に即位する事に成る。
今朝の愉伽さんのビジョンには、其の皇太子殿下が登場した後に、知り合いの「川上さん(川上が美しく成る)」と「壇上さん(壇の上 光る子)」が登場し、公民館で文化祭を行って居たとの事である。
其の二人の名前の意味からも、日本の未来は明るく成って来ているのであろう。
「建物の管理」https://green.ap.teacup.com/20060818/4156.html
これ等の事を考えると、我が国「日本」は太平洋戦争でアメリカに敗北して占領され、「米飯・味噌汁」から、「パン・肉・ミルク」に文化を変えられた事を、元に戻す必要がある事に成る。
アメリカ文化は、ユダヤ教に基づいており、ユダヤの神が選んだ物は、兄「カイン」が栽培した「麦」ではなく、弟「アベル」が捧げた「子羊」である。
其れは、ユダヤ人が放牧民族である事の証であり、家畜を放牧する土地(草原)では農業をする事は不向きであり、日本の様に森林に恵まれ、森林から流れくだる豊な水がなければ、日本の様な文化・生活は営めないし、服も「毛糸・毛皮(動物性)」と「綿・絹(植物性・桑)」の違いがある。
其れを考えると、地祇(くにつかみ)である「大山祇神・おおやまつみかみ」の子孫である「稲田姫」の婿に成った「須佐之男尊・すさのおのみこと」から六代目である「大国主命」が、渡来系(天津神)の「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」に脅されて、国を譲ってしまった次元にまで、日本の政(まつりごと)を戻す必要があると言う事に成りそうである。
キー「豊葦原瑞穂の国」
2011/10/24・・何故なら、聖書は、草原に暮らす羊飼い・放牧民族の暮らし方に付いて述べられたモノであり、北方民族や、日本の様な海に囲まれた国や、アマゾンの様な森林の中で暮らす民族には、合わないからである。
特に、此の日本は「豊葦原 瑞穂の国」と呼ばれ、稲作中心の生活で、森や水の環境が大事にされて来ており、自然が神の現れであって、イエスが謂う天の父が全てであるわけではない。
其れに、旧約聖書では大地を耕して麦を栽培する兄より、羊飼いの弟の方が神の御心に適っている事に成っている。
其れでは、雨が多く、急峻な山並みが続き、羊が飼えない此の日本列島の民は、聖書の教えからすると、良い民ではない事に成ってしまうのだ。
だから、世界で一番信者数の多いキリスト教の教えを、先ず、書き替えなければ成らないのである。・・・
「どこが変わったの」https://green.ap.teacup.com/20060818/2099.html
2008/9/21本日21日は、弘法大師空海の月命日である。
其の、弘法大師空海に関係が有るのかどうかは判らないが、今朝のビジョンには言葉の世界の源が現れて来た。
其れは、アステカ文化の暦である岩に刻まれている「鏡」の、「真北・0時・12時」の所に有る「ケイン・葦の芽・葦北」に関係が有り、日本を「豊葦原瑞穂の国」と呼ぶ事と、「スメラのみこと・皇命」が国を「スメル・総める」とのシュメール文化の概念である事と、パスカルの「人間は考える葦である」とのイメージに、繋がる世界である。
其れは、湖や池の「葦原・よしはら」に、人間の記憶が繋がっている理・ことを示唆している。
其処には、全ての動物の記憶の源が、潜んでいるのだ。
其の記憶は、「蛇」に成る前の「蜥蜴・とかげ・戸陰」の元である「井守・イモリ・泉守」の記憶である。其の記憶とは、葦が、水中の汚染の浄化を図る事に関係が有り、其の浄化システムは、人間の腎臓のシステムと関係が有るのだ。
私は24年前、此の世界に入った時に、夏の間、水ばかりを飲んで、心拍が停止し、呼吸が止まる寸前まで断食を続けて、宇宙の始まりの次元まで、意識が「祷った・還った」事が有る。
其の記憶は、138億年以上前の記憶だが、途中に、水辺に生活する小型恐竜の記憶が挟まっていた。其れは、人類が、類人猿から分離する650万年前より古い記憶であり、言葉を使い、大脳を発達させて来た現代人からすると、一番遠い時代の記憶であると謂えるだろう。
人間の体には、物事を考えたり、記憶したり、身体機能を制御している脳は、頭の中にある。其れとは別に、「リトルブレイン・第二の脳」と呼ばれるものが、ヘソの下辺りに有る。
「リトルブレイン」とは、神経が集まり、神経を繋ぐ神経節の一つで、小さな塊である。其の塊は、小腸など内臓へ命令を出し、化学物質に対しても脳(ビッグブレイン)と同じような反応をすることからこう呼ばれている。
其の、リトルブレインの働きに付いては、未だ解からない事が多いが、脳の研究モデルとして使われる事も有るそうである。
臍の下と云えば、「丹田」と呼ばれる所である。
丹田とは、不老長寿の薬「丹薬」を作るところと言う意味で、自律神経系や免疫力に大きく関わるとされている部分である。
だから、剣術などの武道でも丹田に意識を集中する訓練をするのであろう。
其れは、情報に振り回される大脳よりも、リトルブレインの方が、精神構造の土台に成っていることに成る。だから、リトルブレインにも適度な刺激を与えれば、その働きが活性化し、精神が安定して、内臓が健康になるのではないかとも、言われているのである。
丹田のリトルブレインとは、「腹腔神経節」と「上腸間膜神経節」の事で、其れは腎臓の中心部分の外壁に着いている。だから腎臓の働きに直接関わりが有る事は確かである。
「肝腎要・かんじんかなめ」との諺が有る様に、人間の体にとって肝臓と腎臓は大事な役割を担っているのである。
「肝臓」は、身体の毒素を分離する働きを行っており、「腎臓」は身体に不必要な物を、対外に排出する働きを行っている。だから、其の肝臓と腎臓が健全に働いていないと、肉体に毒素が溜まり、肉体どころか意識も混濁して来るのである。
特に、腎臓は、体内毒素を排出する為に、一日にドラムカン約一本分(160〜170リットル)の水が必要であり、人体は、水無しでは維持出来ないのである。其のリトルブレインの働きが、何時の時代・次元から始まったのかを考えると、数億年前に、葦の生える湿地で、他の生き物の餌と成って居た時代に、身を潜める行動から生まれたものではないのだろうか。
其れは、鳥等の外敵に見付からない様に、湖面を揺らす事無く、静かに身を潜める為に、養われた仕種が元ではないのだろうか。
其の様に考えると、「パスカル」が、人間は水辺に生える一本の、弱い葦の様な物だと謂った、表現の深層が理解出来る様な気がする。
今朝のビジョンの映像は、弘法大師空海の時代に使われていた、道具や文字ではなく、産業革命初期風の、道具や建物が小道具に使われていたので、パスカルの意識が作用していたのかもしれない。
其のビジョンは、私は、哲学者の思考の様な意識で、答えを導き出す為に、様々な文章を紙に書くのだが、真実の扉の前で、其れがブロックされて、奥義に繋がらないのである。何回遣っても解決しないので、其の作業を止めて、他の所に旅をする為に港に向うと、其の港には客船等も無いし、他に旅人も居ないのである。
私は、港に有る古びた小屋の中に入り、其の中に準備されている、緑色の小型のバッテリーを手に提げて、港に止められている船の方に向った。
其の舟には、エンジンは付いているのだが、バッテリーを繋がなければ始動できないらしいのである。そして、其のバッテリーは、5分程の時間しか使用出来ない事が理解できた。
しかし、私は、其の舟のエンジンを掛けて、乗り込む事には成らないで、船着場で、誰かは判らない男性一人と出会い、何処かに向う事は止めてしまった。そして、其の人と、何かを話し始めたのだが、其の人物の顔と、会話の内容は記憶には残っていない。
しかし、今朝の思索の雰囲気からすると、其の男性はパスカルだったのかもしれない。そして、水辺の葦を、良く見詰めて居たパスカルは、私の意識を、葦原に巧く誘い出したのではないだろうか。
私が1986年の深秋に、高知県の仁淀川の岸辺を歩いて居ると、一陣の風が葦原を吹きぬけて、葦の枯れ葉が音を立てた。
私が、其の様子を観て居ると、頭に和歌が浮かんだ。
其れは「葦原の カラカラ鳴るは 吾がこころ 枯れてこそ尚 美しきかな」と言う一句である。其の句を詠んだ御霊が、誰であるのかは良く判らないが、葦原と、人間の意識には、深い繋がりが有るのかもしれない。
其れが「豊葦原瑞穂の国」の土地柄であるとの事であり、日本に渡来して来たシュメール人や、アステカ文化の人達の、心象風景を示しているのではないだろうか。
今朝の映像の意味は、言葉や数学は、人間の顕在意識の世界のモノであるから、其の思索の方法では、神の奥義である神秘の扉は、開かないとの事であろう。其の様に考えると、「真言・マントラ」を使い、また書の達人であった空海でも、神の神秘の扉は開けていない事に成る。
そして其れは、パスカルでも不可能だったので、自分の心象風景を、一本の葦に例えて表現したのであろう。
しかし、アステカの暦(太陽の暦石)の北の中心には、葦の葉が刻まれていて「ケイン」と呼ばれている。其れは、アステカの人には、其の神秘が解明されていた事を証明している。
其の事実は、人間は文字を開発した為に、其の文字に意識が捉えられて、神秘の扉を潜れなく成った理・ことを意味している。
其れを考えると、日本の文化は「理屈を云うな」で、神社で行う事は、意識を祓う禊ぎの儀式である。其れは、釈迦仏陀の訓えである法華経の「十二因縁起」の意味と同じである。
其の様に考えると、釈迦仏陀はパスカルや空海より、意識が深く神秘に潜り込んで居た事に成る。
「法華経十二因縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/332.html
一昨日のメッセージに、「あこい」との言葉が告げられて来たので、ITで「アコイ」を検索すると、次ぎの様に載っている。
・「アコイ・Akoy」ハウサ語
ハム諸語のうちのチャド諸語に属する重要な言語。ナイジェリアを中心に、ニジェール・ベナン・トーゴなど西アフリカの広い地域で話されている。使用文字は、アラビア文字が一般的であったが、現在ではラテン文字を用いる。
1.Akoy kyao アコイ キャオ 良い、きれい(見た目がよい)
2.Akoy dadi アコイ ダーディ 良い、おいしい、気持ち良い(感触が)
との言葉が有り「アコイ・Akoy」とは「良い」との意味である事に成る。
日本では、「葦原」は「よし原」と呼ばれているので、無縁では無いのかもしれない。「葦・あし」は、人間の役に立つので、善悪の「悪し・あし」では悪いので、「良し・よし」と呼び替えたとの説が有る。
「アコイ」は、山梨県の甲州地方の方言では、「踵・かかと」の意味であるらしい。
熊本県葦北郡の「葦北・あしきた」の地名の意味は、言葉の意味は「進む」である。
其れは、アステカ文化の太陽の暦石の葦が、北の位置に有る事と関係が有り、意識の「アシ・葦・足」が「北・神・かみ・上」に向かう事と、関係が有るのではないだろうか。
其れは、「妙見信仰」や「北斗信仰」や「紫微垣・しびえん」の概念とも、連動している事に成る。其の様に考えると、「アコイ・踵・かかと」と「葦北・あしきた・足北」が、関係有りそうにも想えて来る。
今朝の私の意識は、言葉や文字に拠る、真実への探索が進まず、何処かに、旅立とうとしていた。
しかし、其の旅立ちを、誰かが、水際・みずぎわで止めたのである。
其の、私の行動を止めた男性は、昨日のビジョンに現れて「ゆうな ゆうな」と示した、男性の御霊と繋がっているのであろうか。
そうであれば、昨日、私の内部から、外に投影された女性の母性が、未だ進化する為に、真実を求めていると言う事になる。
其の真実の扉は、岩に棲む「蜥蜴・戸陰・とかげ」ではなく、葦の生える地の水際で「泉守・井戸守」をしている「イモリ」や、山椒魚・さんしょううお」が、知っているとの事かもしれない。
そうであれば、私の涅槃・瞑想は「蛇・エラブ」の次元を越えて、「善悪・よしあし」のチョイス・選択を超えて、水の意識に潜り込んで行かなければ成らない。其れが、「リトルブレイン」の働きを、顕在意識に浮かび上がらせる作業と成るのだろう。
私は24年前、水断食を続けて行って、浣腸をしても、水しか排出しない段階まで、胃腸の洗浄を行った。
そして、古代の聖者の排出した、尿の一分子が、自分の飲んだ水に含まれており、其の聖者の尿の水分子が、自分の腎臓の漉し器に引っ掛って、其の聖者の記憶情報が、自分の意識に吸収される事を体験している。
人間の五感とはセンサーであり、其のセンサーが捉えた情報は、大脳に送られて整理される。しかし、整理する基準は、自分自身の過去の記憶データに拠ってである。だから、自分の過去の記憶データが間違っていれば、出した結論も間違っている事に成るのである。
其の事を考えると、現代の人間社会に蓄えられているデータも、何処までが正しいのか、信じられた物ではないのである。
情報が間違っているのであれば、其の情報は、在る事自体が、悪しき事であるのだ。其れが、旧約聖書で言う処の「蛇の智慧」の意味なのであろう。
パスカルも、聖書の内容に付いて、問題を提起している。
其の事を考えると、私に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」は、未だ完結していないで、是から、言葉を越えた世界「イモリ・泉守」の棲みかである、葦原の根の、足元に潜り込んで入って、其の場で、細胞の記憶を蓄えている、水心に達する必要があるとの事ではないだろうか。
そうであれば、是から「生命・いのち」の神秘の深みに嵌って行く事が、2600年先の、未来創造の礎と成るとの事なのかもしれない。
其れは、新しき「聖なる書」の創作にも繋がる行為であろう。
其れが、アフリカの古い原語である、ハウサ語の「アコイ・良い」に繋がるのであれば、私の「マントラ・真言」は、一万年前のマレー語の意味を含む「日本語・大和ことば」から、10万年前にアフリカから脱出した、古代人のマントラにまで、里帰りをする事に成るのである。
「一番古い記憶」https://green.ap.teacup.com/20060818/889.html
2004/8/12「皇室の役割」https://moon.ap.teacup.com/20061108/550.html
キー「「スピリチュアル・タイム」
2002/2/28・・私は、この1987年10月1日、当時奈良市に有った野草社代表の「石垣雅設氏」と2人で、群馬県前橋に居た。
そして、石垣氏と榛名神社に参拝したりしている内に、年内に集まりを催そうとの話になり、1987年11月21日に奈良市大倭会館にて、「スピリチュアルタイム」と題して集会をする事を決めた。
後に、此の10月1日が旧暦の9月8日であり、11月21日が旧暦の10月1日だと分かったのである。
何故、この様な事を言うかと謂うと、日月神示の中の「二(つぎ)の仕組御用は集団作りてよいぞ。」との事と、私達が魂の人達の集いをしようと決めた事が、神示と一致するからである。
其れから、既に14年を経過しているが、毎年何らかの集りが、自然に11月21日に行われて来た。
「スピリチュアルタイム」の言葉は、私が屋久島で1985年か86年に、天からのメッセージとして受け取ったものである。
其れは、日本語では「精神(たましい)の時」と言う様な意味合いであり、精神的な時代の訪れを感じたメッセージであった。
その時は、未だ、私は「日月神示(天津日嗣神事)」とかが、存在する事も知らなかったのである。
第一回目の「スピリチュアルタイム」には、全国から70名程が奈良市の「大倭あじさい邑」に集った。
古神道研究家の「菅田正昭氏」、マンガ家の「真崎守氏」、シャーリー・マクレーンの本を訳している「山川亜紀子さん」、学校給食問題や沖縄のサンゴ礁の海の保全運動をしている「山田征さん」等が参加された。
其れに、未だ世に知られる前の「川口由一氏」も参加していた。
11月21日は、前夜祭として京都府亀岡市の「憩の家」で行われ、22日に奈良市大倭町「あじさい邑」の一角に在る「大倭会館」にて、集いが開かれたのである。
「大倭あじさい邑」は、故「矢追日聖氏」が昭和20年8月15日終戦の日に、神の啓示を受けて始めた、福祉中心の共同体のむらである。
矢追日聖氏が、終戦日の昭和天皇のお言葉を聞いて、悲しみにくれて大倭神宮に額づくと「日聖よ 泣くな。これは 世界に新しい価値観を出すために、仕方のないことなのだ。」と、神からの言葉が有り、次に地球儀が映って来て、世界中に日の丸が立っているのが見え、新しい精神革命が、此の日本から起きる事を知らされたとの事である。
そして、其の仕組は、あじさいの花の様に、一人一人、一国家、一民族が皆それぞれに花開いて、しかも大きな花として纏っている。そんな仕組みの、未来社会を創れとの事である。
また、ひふみ神示下巻S27年4月11日・173Pには、「みろくの世となれば、世界の国々が それぞれ独立の独自のものとなるのであるぞ。ぢゃが皆それぞれの国は1つのへそで、大きな1つのへそにつながっているのであるぞ。地上天国は1国であり1家であるが、それぞれの、又自づから異なる小天国が出来、民族の独立性もあるぞ。1色にぬりつぶすような1家となると思うているが、人間の浅はかな考へかたぞ。考え違ひぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのぢゃ。」と 載っている。
矢追日聖氏と、岡本天明氏には、個人的な繋がりは、直接には無かった筈であるが、内容が同じであるし、昭和21年8月15日の日に、同じく「集団(まどい)を作れ」とのメッセージが出ている。
矢追日聖氏の創設した「大倭あじさい邑」は、現在13の施設が出来上がって、日本の福祉の草分け的役目を果している。
岡本天明氏の、8月15日の「世界の民の集団を作れ」のメッセージは、未だ現実化されてはいない。
しかし「八分通りは落第ぢゃ」との事であるので、合格する者は少ないのであろう。其れから、既に55年が経っている。
どれだけの「集い・まどい」の仲間が地球に準備されているのか。・・・
「私と日継神示 其の二」https://moon.ap.teacup.com/20061108/165.html
2019/9/30本日で9月が終わり、明日から10月である。
私は、32年前の1987年10月1日に群馬県の赤城山神社で、石垣雅設氏に「11月21日」に「スピリチュアル・タイム」の集いを行う事を提案して、其れが開催された11月21日は旧暦の10月1日であった。
そして、其れは今月12日に「全力で頑張って」と告げられて来て、「セットレバー」の歌が聞こえて来た事と関係が有りそうである。・・
此の文章には、「・・私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まった・・」と書いて有るので、今朝「地球にアース」との言葉が告げられて来たので、起きてPCを立ち上げると時刻が9時1分であった事と関係が有りそうである。・・
「大地 アース」で検索すると、此の「憲法と人間」との文章が出て来た。
此れは、今朝の映像に私の祖母の棺(ひつぎ)が登場した事と「憲法」が関連している事を暗示している。
其れを考えると、「此の世=死体=霊界=神界=宇宙」の関係性を、電気的に考え直す必要が有るのではないだろうか。
昨日の午後、睡魔と共に映しだされて来た、赤い火星の様な色合い・模様の何千個もの球は、何を意味しているのであろうか。
私には、其れは、火星に海や緑の自然が何も無い理・ことを示唆しており、其の球は、地球に住んで居ても、「生命・いのち・こころ」が伴っていない人間の魂しいの事を示唆しており、現在の世の中には其の様な人間が溢れて来ているので、其の様な精神状態の人間がこれ以上増える事は、人間の排泄物を浄化する地球の力は限界に来ている事とも関係が有り、これ以上、地球にダメージを与えている人口の増加は、阻止するとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
其れは、此の生命活動に溢れた地球の自然環境を愛し・感謝し・大事に慈しむ者しか、住む資格を有しないと言う理・ことなのであろう。
履物に付いては、確かに、此の様なPC作業を続けるだけなら、私は格別な履物は必要ではないと言う事なのかも知れない。
其の様な気持ちで、余裕を持って、明日10月1日と言う日を迎えれば良いのであろう。
此処で、床の間に掛けてある「天照皇大神」の掛け軸の所から、何かの球が落ちて転がる音が聞こえて来た。午後3時00分
「素足で地球にアース」https://green.ap.teacup.com/20060818/5131.html
2016/10/2昨日10月1日が、とても大事な日であった事が判って来た。
其れは、昨日10月1日が、旧暦の9月1日であり、月齢は0・1である。
そして、其の日付に付いて3月29日のメッセージで告げられて来ており、其の日のテーマは「王の存在の秘密が 一部公示される」との事である。
其れに、1987年10月1日に私は群馬県の赤城山神社に参拝してから、スピリチュアルタイムの会合を11月21日に開催する事を決めて、其れが後に旧暦の10月1日である事が判明した。・・
私は、其の痛みに付いて考えて見ると、其れは、「時間の操縦士」と関係が有り、石造りの「チャクモール」のお腹の所に、生きた人間の心臓を取り出してお供えする事と関係が有り、私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まったと言う事に、成るのかも知れない。
其の様に考えると、時間の操縦士の臍から天空に伸びる生命の樹の梢には、時を知らせる「雄鶏・酉(鳥)」が止まって居り、其の下の枝の左右には、蜥蜴と太陽がぶら下げられている事と関係が有り、今朝の映像は、上記した「王秘一部公示」の続編であると言う事に、成るのではないだろうか。・・・
「酉の時・トリのトキ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4006.html
2016/11/21本日11月21日の日付は、私が初めて1984年に伊勢外宮に参拝した日であるが、1986年に第一回「スピリチュアルタイム」を21日・22日と開催した日でもある。
其れに、死んだ妻「井上佳子」の誕生日であり、一休宗純禅師の命日でもある。そして、「由香」と出会って丸15年の日でもある。・・
其れで、今朝のメッセージの映像の意味を考えて居ると、葬式よりも大事な儀式が「タオ・道」の門である事が想われて来たので、今朝の文章の題は「葬式よりも道(タオ)の儀式」とした。
本日11月21日の日付けと、今朝のメッセージの映像の意味を考えると、次の様な事が考えられる。
・私が初めて1984年に伊勢外宮に参拝した日付けである。
・私が1987年に石垣雅設氏と一緒に、第一回「スピリチュアルタイム」を21日(亀岡市憩いの家・10名)・22日(奈良市大倭あじさい邑・70名)を開催した日である。
・伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であると告げられた、井上佳子の誕生日である。
・「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象で、私に「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉を傳えて来た「一休宗純禅師」の535回目の命日である。
明徳5年1月1日(1394年2月1日) - 文明13年11月21日(1481年12月12日)「風を食し水に宿す」風を食して家なしで生きる。
心豊かな、穏やかな日々を望むのならば、物欲を捨てさること。・・・
「葬式よりも道(タオ)の儀式」https://green.ap.teacup.com/20060818/4060.html
今朝のメッセージの内容を深読みすると、風水学の根本と関係が有り、風水に適った土地で静かに暮らして男性に、神(はたらき)が依り憑いて来ると言うか、其の様な場所でなければ、「現人神・あらひとかみ」及び「ひと・霊留」と成り得る「からだ・空蝉」は、誕生しないと言う事なのかも知れない。
其れを考えると、屋久島に移住して来た「土肥無庵」が私の実家を視て、自分の新築の家と「交換してくれないか」と謂った事の意味が、能く理解されて来る。
其れに、「土肥無庵」は屋久島の住人を一応視た・調べた後、「自適さんが育つのに 屋久島の氣を食い尽くしているので 他には人材が居ない」とも謂っていた。
キー「風水」
2018/1/12今朝のメッセージは、昨日の続きの様で、私の脳幹の役割を継ぐ後継者が居ない事が示されて来ている様である。・・
私が生まれ育った地は、安房の明星岳の麓、矢本嶽の山裾で、屋久島町大字安房字石ヶ松である。
生れた家は、島の中心(寝待岳)から方角では98度の所だから、島の真東90度から、少し南に位置している事に成り、殆ど東と考えても良い位置なので、太陽が真正面の海から昇って来る事に成る。
私が生まれた家を、風水学的に考えると、北西を明星岳が防ぎ、私の家が一番山際に在るので、他人の生活廃水や、人息が流れて来る事もなく、東南には太平洋の海原が見え、生活道路は安房から西の方角に(右から)取り付き、北東(左側)方向に歩いて行くと、船行川が流れており、夏はその川に毎日遊びに行った。
其の様な場所で、私は生まれ育ったので、私の意識の中には、山は北側に、川は東側、道路は西で、海は南側と成り、風水学的には、完璧な要素に恵まれていた事に成る。・・・それにしても、中国の易の学問の世界が無ければ、私の意識の旅も、言葉に表わす事が出来ない。
北側を、山岳で王(玄武)の位置とし、東を水で知恵(青龍)とし、南を海で太陽(朱雀)とし、西を道路で交通・経済(白虎・日本では白狐)と、考え付いた者は、誰であろうか。・・・
「後継者の頭が無い」https://green.ap.teacup.com/20060818/4494.html
今朝のメッセージは、矢張り「天津日嗣・あめのひつぎ」に付いてが、テーマであった様である。
令和2年7月2日
礒邉自適
2020/4/20
私は何故此処に存在するのか
2・4・20
今朝のビジョンは、先ず、私が自分の五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の器官・仕組みを、機械類である「映写機・録音機・拡声器・検査機器」の様に、掃除をしなければ成らない様子・意味が映像にて示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時25分」
其れから再び眠ると、今度は私が一人で、田舎の畑で野菜の栽培作業を行って居ると、都会から来た人達が私の生命を狙っている事が判明したので、私は其の作業を止めて、急いでもっと山の方に避難して行った。
すると一軒の立派な日本建築の建物が有り、入り口が開いているので、私は其の建物の中に入って、隠れる事にした。
暫くすると、其処の主の男性(70歳位)が友人(50歳代)と一緒に帰って来たので、私が事情を二人に説明すると、主の方が私に自分の服を着せて、身内であるとの事にした。
そうして居ると、犬を連れて私を追跡して来た二人が、其の家に到着して私を引き渡す様に迫ったが、主と其の友人が頑として、自分の身内だと言い通したので、疑いながらも、仕方無く引き返して行った。
其れから、主と其の友人の二人が、秘密の書類の様な物を私に見せて、私にも其の世界をマスターする様に謂った。
私が其の書類の目次を見ると、其れは聖書の様に第何章・何項目との数字が記されている物で、究極の理論・識見が記されている事が理解されて来た。
そして、私にも「自分の識見を書いて見ろ」との事なので、私は一瞬瞑目してから頭に浮かんだ事を紙に書いて見た。其れは、次の様にである。
歩き出せば 止まれない
其れが 人間である。 一心 丸太
私はなにゆえ 此処に 存在するのか。
一 丸 (はじめ まる)
すると其の主は、私の事を認めた様で、私の事を友人に任せて、奥之院に報告に向かった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は山中に暮らして居る男性が、人間が荒らしてしまった山中に、以前生えていた蘭やエビネやオオタニワタリ等の苗を育てて、植える作業を行っている様子が映し出されて来た。
私は、其の人達の様子を見ながら、自分が若い頃に屋久島の自然破壊をした事を悔いていた。
次に、村の中に「マクロビオティック」の小さな食堂・レストランが存在している場面が映し出されて来て、其処には三人の女性が働いており、私が入り口で献立や説明・案内文に目を通して居ると、経営者の女性が出て来て、メニューの説明をしてくれた。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は7時47分・8時13分前であった。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた時刻「2時25分」「5時25分」「8時13分前」の数字から、今年の2月25日と昨年の「5月25日」「8月13日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/2/25昨夜は入浴して居ると、女神の聲で「ミッドナイト」との言葉が一言告げられて来た。私は、其の言葉の「深夜」は「ふかいやみ」と受け取らなければ成らないと意った。
何故なら、朝のビジョンに映し出されて来た神社の石垣が、暗い夜の場所であり、其の石垣の上に、神の光に満ちた石が、三個並べて置かれたからである。
其れから、床に就くと「あたしに従いなさい」との女神の言葉が告げられて来て、其れは「白山権現菊理姫」の言葉である事が理解されて来た。
何故かと謂うと、私の頭が、其の聲に逆らえない状態にある事が、雰囲気的に感じとれたからである。
そして眠りに入ってから、皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」が、食糧難で痩せ細って今にも倒れて死にそうに成っている場面が映し出されて来て、私の意識は「一休宗純禅師」の御魂・意識で、世の中を救う為に対策に走り回って居る場面が、映し出されて来た。
私は其の様子から、「倭姫命(垂仁天皇の皇女)」や「一休さん(後小松天皇の落胤)」でも、食べ物に不自由するとは、大変な時代に成っているのだと意い、1461年に京都で起きた「寛正の大飢饉」の様な事が発生するのだと思った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時59分・5時1分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が何処かの河川の右岸を、海に向かって下りて行くと、其の海辺では岩山・岩盤が崩されて平地にする作業が行われており、多くの重機が置かれていた。
すると、肌は浅黒く、髪の毛が縮れている背の低い男性が話し掛けて来て、其の男性が其の土地のオーナーである事が理解されて来た。
其の男性は、私を河口まで案内し、川の水が少ないので、ダムを造らなければ使用する水が足りないと謂って居た。
次に、私の右足の脹脛(ふくらはぎ)に、カモ(神の電気信号)の反応が起きて来て、其の痛みで意識が目覚めたので、私は再び三次元世界の現場で歩き始めなければ成らないのかと意い始めた。
すると、現在の世の中の経済が行き詰まり、多くの分野で「競売」が開始され始める事が示されて来た。
そして、何者かは判らないのだが、男性の聲で「資金は此方が準備する」との旨を伝えて来た。
其れから、「安倍一党」との言葉が告げられて来て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「7時52分・8時8分前」であった。
昨夜、入浴中に告げられて来た「ミッドナイト・深夜」との言葉は、一昨日の「切り替わりの時」と、昨日の「キリストの謂う其の時」との言葉の続きであり、愈々人間社会に「暗闇」が訪れるとの事であり、新な扉を用意しなければ成らないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
そして其の事・世界が、「白山権現菊理姫」に関係が有るとの事なのであろう。
何故かと謂うと、私が此の世界に飛び込んだ時に、其の菊理姫の本体である白龍が私の身体に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と伝えて来たからである。・・
「ミッドナイト(深い闇)」との言葉は、現在大問題と成っている「コロナウイルスの発生」とも関係が有り、イエスキリストの謂う「其の時」や、釈迦ブッダ」の予言に有る「無明の時代」との言葉と関係が有り、人間の伸び過ぎた「カルマ・業」が収縮の時(天の岩戸閉じ)を迎えた事を示唆しており、人類が心機一転しなければ新時代の到来は無いと言う事なのであろう。
其の様に考えると、今朝8時8分前に告げられて来た「安倍一党」との言葉は、現在の長期安倍政権が「一党独裁」でゴリ押し(嘘つき・証拠隠滅・法律無視)を通している事と関係が有り、悪政が極限に至ったとの事が、示されて来ているのであろう。
其れは、昨年5月1日から始まった「令和天皇」の不徳と重なり、天神が見限ったとの事であり、故「井上佳子」が日御碕で受け取った神意が現実と成っている事を示している。・・
今朝「白山権現菊理姫」が告げて来た「あたしに従いなさい」との言葉は、「自分では 何も考えないで良い」との意味合いであるのならば、私は其れを「良し」としなければ成らないのであろう。
自分の頭を「地球」と取り換えられてから、36年が経過しようとしている。
だが、現在の状況は、コロナウイルスの発生で、世界同時危機に陥りそうな雰囲気である。其の対策を図れるのは「安倍晋三総理大臣」一人だけであるが、今の所無策の様に見受けられる。
「ミッドナイト(深い闇)」https://green.ap.teacup.com/20060818/5284.html
2019/5/25今朝のメッセージの映像には、日本語の横書きの短い文章が、縦に間隔を開けながら澤山並んでいる場面が映し出されて来て、其の文章の内容は、人間社会に付いて不必要な案件が、記されている事が理解されて来た。
そして、其の文章は、私が打った物ではなく、此の世界を熟知している者の意識が、神界・天界で打ち出している物である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時6分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が打った文章が映し出されて来て、其の文章の内容は、人間が此の世界で生きる為に最も重要な基本が、三項目書かれている物である事が理解されて来た。そして、「1953年」の年数が示されて来て、次に「1・2・3」の数字が示されて来た。
そして、「空」の言葉が告げられて来たので起きて時計を見ると、時刻は「7時3分」であった。
『是まで貴方が 歩んで来た世界(みち)は
全て 予備段階の出来事に付いてであり
此処からが 本番であると言う事に成ります。
ですから 貴方は 自分の事に付いて 考える事は
一切 何もしてはなりません。
其処に 此の世界の真実が 現れて来ます。
其れが 真実の御稜威の世界であると言う事です。』8時14分
此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、今朝の映像に映し出されて来た文章の世界が最も重要であり、私は、自分の意識を「神界」とのコンタクトに集中させなければ成らないと謂う事であり、自分の意識を絶えず「空・クウ」の状態に保って措かなければ成らないと謂う事に成る。
今朝告げられて来た「1953年」の数字は、私が6歳の時の年数であり、私は其の6歳の時の4月に、小学校に入学して教育を受け始めている。
其れを考えると、1・2・3の数字は、小学校の学年の意味が有り、教育レベルが上がる毎に、私の脳・意識は人間社会の情報に汚染されている事に成り、其れが「積み穢れ・罪汚れ」と成っている事にも成るのだろう。
今朝は先ず、起された時刻「2時6分」から、今年の2月6日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の最後に記されている、女神の言葉、
『そうではなく 全て 生命を育てる為に在るのです。
唯 不必要な物は 無に回収するだけの事です。
其処には 善悪の概念は有りません。』との事からすると、昨日告げられて来た「切除」との言葉と関係が有り、今朝のメッセージで、人間社会に不必要な物事・課題が箇条書きに列挙されていた事と関連が有り、確かに人間社会で禊ぎ祓いが始まるとの事に成りそうである。
そして、其の事の為に「空・クウ」の漢字が映し出されて来たのであろう。・・
此の文章の内容からすると、今朝示されて「空・クウ」との言葉は、人間の顕在意識での情報収集(柵・しがらき)を全て除去する事を示唆しており、其れができれば、人間の「根源の力・生命エネルギー」が蘇ると謂うか、真実の扉が開く・総合無意識にチャンネルする事が可能と成るので、其れが「覚醒・成仏」する事の条件であるとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、日本の神道の「禊ぎ祓い」の概念や、老子の謂う「賢しら」、其れに釈迦の「十二縁起因縁起」の教訓、其して旧約聖書に有る「蛇が勧める林檎(情報)の実を食べては成らない」との教え、そして中国の王様の鍼師の子孫である清水先生に私が受けた治療で「何も考えてはならない」と教えられた事等が、全て「空・クウ」のテーマに触れているモノであると言う事に成るであろう。
其れを考えると、明日5月26日が私が産まれ故郷である屋久島に帰島する事が止められてから、丸31年と成る日である事と関係が有り、私は1953年にまで、意識を戻す事が求められて来ているのかも知れない。
「空・クウ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5001.html
2019/8/13本日8月13日は、お盆の行事である「迎え日」が、夕方庭先で焚かれる日である。だが、今朝のメッセージは、お盆とは全く違う事が出て来たので、お盆の行事は止めて、本来の7月14日の「夏(秋)禊ぎ」の行事の「神道」に、返さなければ成らないと謂う事なのであろう。
今朝のメッセージは、先ず「六」の数字の概念が大事・重要である事が示されて来た。其れから、現代社会の人間の「カルマ・業」の世界に付いて、何百もの場面が映し出されて来て、其れ等の世界が全て「消去(禊)」されて行く場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は5時11分から12分に成る所であった。
其れから再び眠ると、今度は感じの良い若者が集まって、新しく村造りを行って居る場面が映し出されて来て、私が其の村中に入って行くと、私が何も謂わないのに、直ぐに、私の自宅を建ててくれる場面が映し出されて来た。
其の建物は、人間の生活に必要な物は全て備わっている近代建築であり、余計な物は全て排除されている合理的な建物である事が、理解されて来た。
其処で、「どうしん・道心」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時24分であった。
今朝起こされた5時11分・12分の数字から、5月11日と5月12日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有り、其の内容は「六」の漢字の概念と、昨日のメッセージに連動している。・・
これ等の文章の内容が、昨日迄の文章の続きとして符合しているので、今年の文章だと思い込んでアップし始めたが、途中で今年の文章ではない事に気付き、日付を確認すると四年前の物であるので、改めて今年の文章を確認すると、四年前の文章の方が時流として繋がりが有るので、其の侭とした。
其れは、私の意識が、神霊に管理されている一例の証しとも成るモノである。
其れに、起きた時刻7時24分の数字から、今年の7月24日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「人間個人に罪は無い」との言葉からすると、やはり「夏(秋)禊ぎ」の伝統を復活させなければ成らないと謂う事に成り、長年に亘り「権力者」や「宮司・神官」の「禊ぎ祓い」が行われていないので、人間の罪穢れが余りにも積み重なって来ており、誰もが「意識(こころ)」の「原点・基礎・基盤」を見失ってしまっているとの事に成る。
其れは、イエスキリストが「全ての人間の罪を背負って 磔に成って殺された」との事や、釈迦仏陀の謂う「2500年後には、全ての人々が無明の世界に陥る」との理・ことが、現在・いま現実と成っているとの理・ことであり、早急に「禊ぎ祓い」の概念・儀式を復活させなければ「色即是空」の言葉が、現実と成り、全ての「色・rūpa・ルーパ・縁起・むすび」が解かれて、此の世界が空と成る・消滅してしまうと謂う事である。
其れを考えると、今朝7時24分に「どうしん・道心」と言葉が一言告げられて来た事には、大きな意味が有り、老子の謂う「道・タオ」の世界に人間が復帰しなければ、人類の未来は無いと言う理・ことに成る。
其れは、私に「どうしん・導心」を持てと言う事でも有るのだろう。・・
今朝の由香の状況は、一晩中ぐっすりと眠れない状態が続いたとの事で有り、其れは、様々な作業現場や組み立て工場等に出掛け、一通りの流れが出来上がると、目が覚めて、また眠ると、今度は別の現場に行っているという事がずっと繰り返され、とても疲れたとの事である。
其の由香のビジョンの世界は、私のメッセージとは反対に創造の世界であり、私には消滅・滅びの世界が映し出されて来て、由香には未来創造の世界が映し出されて来ている事に成り、今朝のメッセージの映像は、インドのシバ神が破壊と創造を司るとされている事と関係が有りそうである。
これ等の内容から考えると「シバ神」が破壊活動・行動を始める前に、人間が自分自身で「罪穢れの禊ぎ祓い」を行い、不必要な行動を停止して、余計な物事を整理しなければならないと謂う事であり、其の段階を上手く収めなければ、平和の未来社会の創造は現実化しないとの理・ことであろう。
其の手段・段階は、全て此の私が体験し、既に文章化して有るので、其れが道標と成るであろう。
今朝のメッセージは、昨日の「元を救え」との言葉と関係が有り、其の元とは「道」であるとの理・ことなのであろう。
「道心」https://green.ap.teacup.com/20060818/5083.html
これ等の文章の内容と、今朝のビジョンの場面・様子の関係を考えると、是から増々禊ぎ祓いが激しく成る人間社会の出来事が、私の存在に関係が有るとの誤解が生じ、私の身に危険が迫る懸念が有るとの事であり、私は是以上人間社会に関わる必要が無いとの事なのかも知れない。
そして、既に、次の世界は準備されつつあるとの事であり、我々人間には感知できない世界で、此の世が管理されているとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンで私が、自分の五感「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の掃除を徹底しなければ成らない様子が示されて来た事が関係有り、私は是までに認識・検知できていない世界に、再び挑戦して行かなければ成らないと言う事であり、其の究極の世界が言葉・マントラ・真言に関係があるとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のビジョンで、私が自分の名前を「一心丸太・いっしんまるた」「一(はじめ)丸(まる)」と記して居た事が関係が有り、自分の意識・精神・気持ちが「完全な〇」に成る様に務めなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
其れは、老子の謂う「伐り出したばかりの樸。手を加えない自然のままの木・きじの意味」と関係が有るのかも知れない。
老子 第十九章 作為を捨てよ
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。此三者、以爲文不足、故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。
聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ることなし。この三者、もって文足らずとなす。故に属する所あらしむ。素を見(あらわ)し樸を抱き、私を少なくして欲を寡(すくな)くす。
才能などというものを重視さえしなければ、競争はなくなり、人民は安らかに生きられる。道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、人民は自然の情愛に立ち返る。
商工業などというものを廃しさえすれば、欲望をそそるものがなくなり、人民は盗みをしなくなる。才能、道徳、商工業の三者は、いずれも作為であって自然に反する。すべて取るに足らない。治世の根本は、人民の本性を回復するにある。すなわち。無心にさせ、私欲をなくさせることである。
徳間書店 中国の思想 老子・列子 奥平 卓 訳
「樸・ハク・ホク・ボク」【解字】形声。「木+業」音符の業・ボクは、ト・ボクに通じ、ボクッと割れるの意味。ボクッと割れただけの木、手を加えていない自然のままの木、きじの意味を表す。【解字】(一)@あらき。まるき。切り出したままで、まだ加工しない木材。A生まれたまま。きじ。自然のままの素質。Bかざりけがなくて、すなおなこと。誠実。「質樸」「樸実」Cじみ。はででないこと。質素。(二)むらがる。密生する。むらがりしげる子木。漢語林
此の老子の言葉からすると、現在世界中で大問題と成っている「ウイルス感染」の出来事・現象は、人類全体が老子の謂う「樸」を悟る為に神が与えた試練なのではないだろうか。
其の様に考えると、明るい未来が準備されている事になり、此の私も、改めて自分を「一心丸太・いっしんまるた」「一(はじめ) 丸(まる)」に還す必要が有り、其の為には自分の五感「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の大掃除(大禊ぎ祓い)が必要であるとの事なのであろう。
キー「五感 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」
2014/9/14今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね。
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は 動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです。
どうやら 貴方には もう 其れが 無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど。 」
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の続きの様で、神の光の中で、人間の躰の五臓六府の仕組みや、五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」などの働きが、全てバラバラにされて、其の働きを、明確に認識する必要がある事が示されて来た。
其れは、男女の肉体の仕組みの違いや、五体の骨組・筋肉組織・神経組織・血管網などや、爪・髪・髭・歯、其れに脳の働きなど迄、全てを認識する事である。
次の映像は、雪が降っている真冬の天候の中に、私が歩いて居り、途中で数人の女性が、氷が張る湖の側の土地で、食べられる野草を雪の下から捜し出して、摘み採って居るのに出会った。其の中の一人が、私が普通の服装をしているので、自分の黒い毛皮のコートと、帽子と手袋を貸してくれた。
私は、其れを着て、自分も野草摘みを手伝っていた。
すると、誰かが、車で私を迎えて来たので、借りて着ていた物を脱いで、其の女性に返した。すると、其の女性が、心配そうに「大丈夫ですか」と、私に問うた。
私は、其の慈愛に満ちた女性の顔を見て、何処かで会った事のある、懐かしい顔であると思った。だが、其れが、誰だか判らないでいると、映画で観た事のある、イエスキリストの母親「マリア」ではないかと想えて来た。
其処で 一度目覚めてから再び眠った。
すると、木造の古い田舎の家屋の中に私は居て、他にも数人の同じ年代の男性が居て、土間で薪ストーブ焚いて暖を取っていた。
そして、私が外に出て見ると、30代後半の男性が三人来て居て、巻尺で屋敷の周囲を計測して居るので、私が「貴方達は 何をして居るのか」と厳しく尋ねると、責任者の男性が「貴方が 代金を払わないので 利息が膨らんで300万円を超えたので 屋敷を競売にかけるのだ」と言うのである。
私は、物を買って代金を払っていない覚えも無いし、屋敷を抵当に入れた覚えも無いので、其の男性に「会社と自分の名前を云え」と言ったのだが、其れに対して何も返答をしないのである。
其の様な問答をして居ると、其の男性の仲間が二人・三人と次々に遣って来て、段々の数が増えて来たので、私は其の人達に、日本語の「ひと」との言葉は、「霊留・ひと」で「霊が留まる」との意味であり、霊魂が留まって居無い人間は、「只の空だ・ただの肉体だ・殻」と、説教を始めた。
すると、段々の人数が増えて来て、屋敷内に入り切れなく成って来て、近所迷惑に成るので、観覧席の在る競技場の様な所に移動した。
そして、其の競技上の様な場所も一杯に成って来た。其れは、男性ばかりなのだが、中に三人だけ女性が並んで座っていた。
其れから、自宅に帰って居ると、大きな車の後部座席に、60歳位の立派な男性が三人乗って、私を訪ねて来た。そして、其の三人の男性を家に通すと、私の書いた文章が、長々と映し出されて来て、其の文章の中に「阝」と「易」の文字が有る事が、強調されて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなのだが、全体的な繋がりが、私にも良く解からない。
今朝の映像で、雪の中で野草を摘んで居た、数人の女性の他は、私の所に集まって来たのは全て男性だったのだが、観覧席に三人だけ女性が居た。
其の三人の女性は、姉妹の様だったので、「宗像三女神」を意味していたのかも知れない。そうすると、最後に、私の家に訪ねて来た立派な三人の男性は、「造化三神」だったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に登場した人物は、全て現実界の人々ではなく、神界か霊界の人々であったと言う事に成って来る。
何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
*「陽・ヨウ」形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。」【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。 漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
*「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝PCに向かった時に、先ず、女神の言葉で「愈々ですね」と告げられて来た事が、信憑性を持つと言うか、天神・宇宙意識の働きの大きさが、能く理解されて来る。
老子の「タオ・道」の世界は「陰陽」がテーマであるが、弘法大師空海も「乾坤は 教籍の箱なり」と謂っているので、私は、其の二人が謂う世界に、入り込んで行く事に成り、其れが、「愈々私の本番である」と言う事なのかも知れない。
「阝+易=陽」https://green.ap.teacup.com/20060818/3195.html
令和2年4月20日
礒邉自適
2019/12/13
大同 完結
1・12・13
本日12月13日金曜日は、私が1984年11月半ばに全国の旅に出発して、岩手県の五葉山の山中でイエスキリストの御霊と遭遇してから、丸35年の日である。
2004/12/13「キリストの手足」https://star.ap.teacup.com/170606/501.html
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の文章に書いた「宇宙に糸を張り巡らす蜘蛛・スパイダーの存在が意味する物」との事と関係が有るのか、天界に張られている網糸を操る金属性の道具の存在が示されて来た。
そして其れは、弘法大師空海が手にする「三鈷・さんこ」の世界や、天空を両翼とする鳳が私に手渡した三個の渦巻きにも通じる事が、理解されて来た。
次に、長方形の箱の先端に一個の「球(一品宝珠)」が入っている場面が映し出されて来て、其の球の出し入れは、手元の左横からできる事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時17分」であった。
其れから再び眠ると、今度は年輪が経った屋久杉の板が、壁や天井に張られている座敷の存在が映し出されて来て、其の部屋は一組だけの客を入れる予約制の料理屋であり、40歳くらいの男性が経営して居るのだが、其れでは生計が立たないので、奥さんが事務系の仕事に勤務している事が示されて来た。
次に、40歳くらいの「ブラックマリア(肌が黒く輝いている女性)」と呼べる様な、品位が高くスラリとした黒人女性の存在が映し出されて来て、其の女性は、あらゆる自然の物と調和している理・ことが、多数の写真で示されて来た。
次に、優秀な40歳代の日本人男性の存在が映し出されて来て、其の男性は工芸家であり、素晴らしい生活用品や調度品を澤山作っている様子が映し出されて来た。
次に、裕福な家に育った40歳代の白人男性の姿が映し出されて来て、其の男性は全ての物を失う事に成ったのか、打ちひしがれている様子を示していた。
其処で「大同 完結」との文字が映し出されて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時1分」であった。
其れから、花の花びらが散っているかの様に、数字や記号が曼荼羅の様に乱舞している中央に、「2175」の数字が有る場面が映し出されて来て、起きて時計を見ると時刻は9時13分であった。
其れから、「大道完結」ではなく、何故「大同」なのかが気に成るので、PCを立ち上げ「大同」を調べると次の様に載っているので、今朝のメッセージの意味が腑に落ちて来た。
【大同】ダイドウ 漢語林より
@差別をつけない。
A天地と一体になる。よく同化する。
B太古、無為自然の大道の行われた平和な世。
C公羊学でいう、天下が統一され、民族の差別がない平和な世の中。→大同書。
D人心がよく和同すること。
E大同小異。
此の「大同」の意味からすると、「大同 完結」との言葉は、「A天地と一体になる よく同化する 事が完結した。」との意味に成る。
だが、「大同」と「完結」の文字の間が離れていた事を考えると、其れは人類全体がそう成ったとの事ではなく、私だけか、一部の人達が其の様に成ったとの事ではないのだろう。
其れを考えると、最後に数字や記号が、花びらが散っているかの様に乱舞している中央に、「2175」の数字が有った事は、人類全体が「大同完結」するのは、2175年であるとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、其の間に、我々人間が取り組まなければ成らない課題が示されて来ているのかも知れない。
*私が「帝釈天の網」や、「一品宝珠(龍神が手にする球)」の扱いを熟知しなければ成らない。
そして其の理を、新時代のモラル・智慧・精神的な柱としなければならない。
*人間の文化・価値観を改めなければ成らない。
・男性意識を屋久杉の年輪の様に、緻密に永遠性を確立しなければ成らない。
・人類の発祥が、アフリカ大陸の中央高原で650年前に突然変異した一匹の新種の類人猿が始祖である理・ことを、明確に認識しなければ成らない。
・真実の男性の役割は、戦争を起こして生命や物を破壊をする事ではなく、芸術性を高め、生活を豊かにする事に努める事にある。
・白人が此処まで築いて来た、西洋の価値観に拠る文化・文明が、東洋的文化文明に変る。
今朝起こされた2時17分と6時1分・9時13分の数字から、今年の2月17日・6月1日・9月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/2/17昨夜は一眠りすると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると時刻は「2時17分」であるので、私は2月17日の2時17分に起された事を自覚した。
其れから再び眠ると、今度はとてもリアルな映像が映し出されて来た。
其の場面は、天才的な幼児や子供達がテレビの様な放送媒体で歌をうたう映像が映し出されて来て、何故か私は其の番組を見た記憶が有り、其の番組を何時・何処で観たのか、記憶を探ってみたが思い出せないでいた。
次に、其の子供達が大人に成ってから集まって来る場面が映し出されて来たが、其の人達は、全て子供の時の様な能力を失ってしまっているのである。
其の理由を探って居ると「声はシフトする」との言葉が一言告げられれ来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時36分」であった。
其れから、再び横に成り、其れ等の内容に付いて思いに耽って居ると、私が子供の頃から、父親に対しても自分の意見を通して居た事が思い出されて来て、其の私の言動と謂うか行為は、現在までも続いており、其れが「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の真言・マントラと関係が有るのだと思えて来た。
そして、左耳に「耳鳴り」がして来たので起きて時計を見ると7時21分であった。
今朝はPCを立ち上げて、先ず「シフト」を調べると次の様に載っている。
シフト〘名〙 (shift)
@ 位置や状態、体制などを移行させること。また、移行すること。「シフトキー」「シフトレバー」
此の「シフト・shift」の言葉の意味からすると、今朝告げられて来た「声はシフトする」との言葉は、昨日の「半端じゃない」との文章に書いた、
・・此の文章の内容から考えると、今朝のメッセージの映像に登場した緑色の服装をした一人の男性の姿は「キリスト・メシヤ」の存在を示唆しており、其れは「グリーンマン」や「クライマックス(森の極相)」と関係が有るのではないだろうか。何故かと謂うと、死海文書に記されているイエスキリストの言葉に、「貴方達は何処から来たかと訊ねられたら、『光の元から来た』と答えなさい。神は何かと訊ねられたら、『此の大自然そのままである』と答えなさい。」と有るからである。其れに、「グリーンマン」や「クライマックス(森の極相)」の西洋の言葉は、日本の「素戔鳴尊・すさのおのみこと」の言動に関係して来る。・・・
との事と関係が有り、文字や言葉は時代や国の違いに拠って変化するが、声自体は、時空を超えてシフトして行くと言う事なのではないだろうか。
其れは「林檎」を「アップル」、「海」を「シー」と謂っても、頭に有る映像場面は同じ物・世界であるので、時代や世界が異なっても、人間の脳のシステムは同じ様に働き続けていると謂う理・ことであり、思考から生み出される声(言葉)は何時の時代・何処の場所であっても、シフトして行くと謂う理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象は「時代・場所・文化」を越えて、同じ意思の下に4311人の霊魂が集まって起きた事の謎が解けて来る。
其れに、今朝起された時間が2月17日2時17分であったのは、本日2月17日が「祈年祭・としごいのまつり」の日である事と関係が有り、「祈年・禱年」との言葉が、今朝告げられて来た「声はシフトする」との言葉と関係が有り禱りの言葉は、永遠にシフトして行くと謂う理・ことであり、其れが「キリスト・メシヤ・帝(みかど)・マイトレイヤ」の「言葉・みことのり・玉音」の世界であるとの理なのであろう。
本日は、私が1998年2月17日に、「祈年祭」の日を初めて意識して行動を起してから、丸21年と成る日である。・・
此の7月21日の文章と、本日が「あべ未来研究所」を登記してから丸21年である事を考えると、「21」の数字は「3年が七回」「7年が三回」の数字であるので、人間の意識のリズム(イザ波)の世界と関係があり、我々の意識(生命)を管理している仕掛けには、数字(リズムの法則)の世界が絡んでいるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、「声はシフトする」との言葉が告げられて来たのが、3時36分であったのは、昨日の「96」の数字と関係が有り、「3+3=6。3+3+(3+3)。」の数式が示されて来ており、老子の謂う「三から全てが生まれる」との理・ことや、矢追日聖法主が謂う「三の数字は一人歩きをする」との言葉と関係が有るのかも知れない。
其れは、今朝の映像に映し出されて来た天才的に歌をうたう「幼児・子供」の存在と関係が有り、子供達が自由に歌う心を潰しては成らないと言う理・ことであり、神に仕える人間・人材は、子供の時から自由に歌・唄をうたえる「童部・わらわべ」であると謂う理・ことであり、教育と称して、過去の人間の情報を分別の無い幼児・子供の脳に、詰め込んでは成らないと言う理・ことなのであろう。
何故なら、自由を失った人間の思考では「禱り」の行為は、不可能であるからである。
「声がシフトする」https://green.ap.teacup.com/20060818/4903.html
2019/6/1今朝のメッセージの映像には、「女神・観音菩薩」を一体含む九体程の神仏の「存在(働き)」が、一枚の紙か額の様な物に表現される場面が映し出されて来た。
そして、其れが消えた後か、其の世界(額)の裏側なのかは判らないが、白い空間に、紅色系の牡丹(ぼたん)の様な花が、表現できない程の美しさで満開に咲いている場面が映し出されて来た。
そして、私は其の神仏・観音の働き・存在が表現される「曼荼羅・マンダラ」の様な世界が、私の意識を此処まで育てる為の背景に有った理・ことを、理解して居た。
其れで、其の存在に感謝の念が湧いて来て、其れを表現する言葉として「謝霊」との文字を考えて居ると、蚊の羽音が耳元で聴こえるので、右手で追い払おうとすると意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「6時53分・7時7分前」であった。
其れからPCを立ち上げて、「牡丹」と「曼陀羅華」を調べると、次の様に載っている。・・
此の開闢の説明からすると、昨日のメッセージの映像に、大きな「招魂木・おがたま」が一本伐り出されて、其れを中央の柱として、三層・三階建ての施設を造る為の桁(けた)を嵌め込む切込みが為されている場面が、映し出されて来た事が関係有り、其れは、天界(宇宙)の「神霊・如来」の働きが、三層の舞台として、参集すると謂うか、動き出す事が示されて来ているのではないだろうか。
其れに今朝、蚊の羽音で起された時刻が「6時53分・7時7分前」であったのは、7月7日が七夕である事と関係が有り、天の川(銀河・星雲)の存在と「招魂木・おがたま」の概念が関係有るとの事なのではないだろうか。
其れは、御神木(ツリー)やトーテンポールの概念が世界中に存在する事と関係が有り、人間の意識を天神と結ぶ為には、重力(G)に逆らって天空に伸び上がる樹木の存在・姿が欠かせないとの理・ことにも成るのだろう。
「チベットマンダラ」の始まりは、大きな樹木の幹の中央に「釈迦牟尼世尊」が座って居る姿が描かれている物であり、次が、其の釈迦の左右に二体の如来・菩薩が座る構図と成り、現在の両部曼荼羅へと発展(複雑化)して来ている。・・
其れに、私が屋久島から自分の荷物を全部、現在の自宅に運び込んだ日が2012年7月7日であるので、今年の7月7日で丸7年とも成る。
昨日告げられて来た「是で始める」との言葉は、愈々お膳立てが整ったとの事なのかも知れない。
其れを考えると、「招魂木・おがたま」の棚段の仕組みを、考える必要があるのかも知れない。
今朝の文章の題は「謝霊」にしようかと想ったが、美しい牡丹の花の様子から「曼荼羅華」とした。
「曼荼羅華」https://green.ap.teacup.com/20060818/5008.html
2019/9/13今朝のメッセージは、先ず、人間社会にて、私が他人に自分の物・モノを次々に盗まれて行く場面・様子が映し出されて来た。
そして、其の結果として、私に残されている物が、箇条書きではなく、横書きの日本語の文章で五段程書き出されて来て、盗まれた部分は・・・の印で表されていた。
そして、其の残された物の中で一番重要な物が、私の「苗字・姓」である「礒邉・磯部・石部」である事が示されて来た。
そして「ポテンシャルを高める」との言葉が告げられて来た。
其れで私は、「織田信長」や「徳川家康」は苗字が有るが「秀吉」は素性がはっきりしないので苗字(木下も出所不明)が無かった事を思い出し、自分の「いそべ」の姓や、奈良の「石上神宮」の名前の事に付いて色々考えて居ると、「勝正・かつまさ」との文字が大きく映し出されて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時6分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「充分な練習を積んだ」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「6時43分・7時17分前」であった。
其れから、PCを立ち上げて「ポテンシャル」「姓・苗字・かばね」に付いて調べると、次の様に国語辞典に載っている。・・
何れにしても、今朝告げられて来た「充分な練習を積んだ」との言葉は、私が本番を迎える事を示唆しており、其の為には「ポテンシャルを高めて勝正で在らなければ成らない」と、言う事なのであろう。
其れを考えると、やはり、昨日の子供達の応援してくれる姿が、一番の力添えに成る。
「充分な練習を積んだ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5114.html
此の三日分の文章も、私が或る次元に到達した事が示されており、私は是までの体験・経験を土台として、自分の役割をきめ細く精査して行かなければ成らないのであろう。
令和1年12月13日金曜日
礒邉自適
2019/7/15
良い子悪い子
1・7・15
今朝のメッセージの映像は、先ず、10代の小学生達が、良い子のグループと、悪い子のグループが、別々に、集団で自然の中で遊んで居る場面が映し出されて来た。
次に、町の中で祭りが行われている様子が映し出されて来て、各班の子供神輿の列が、河川に架かる太鼓橋の上を渡って来る場面が映し出されて来た。
私は、自分の長男である「海生」と、昼飯を一緒に食べようかと思って人垣の中に入って行ったが、途中で海生の姿を見失ってしまい、会う事が出来なかった。
其の映像の意味に付いて考えて居ると、「良い子 悪い子」との言葉が頭に浮かんで来たので、意識が目覚め起きて時計を見ると、時刻は7時16分であった。
其れからPCを立ち上げて、昨年の7月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2018/7/16今朝のメッセージの映像は、姿の見えない男性意識の存在に急かされる感じで、私が自分で是まで打った文章を精査するかの様に、読み返す作業を続けている場面が、映し出されて来た。
其れは、私の姿が登場する事も無く、文章だけが映し出されて来る世界である。
其の場面が長く続いていくと、急に私の喉から大きな咳が出たので、私の意識は瞬時に目覚めた。
其れで、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時31分」であった。
其れから再び眠ると、数人の中年男性と私が居て、とても大きな頑丈な車で、急峻な山岳から舗装されていない道路を下る事に成り、私が其の車を運転するのかと思って居ると、「21番です」と名乗る男性が、「私が運転します」と謂って運転席に座ったので、私は其の運転手の真後ろに座って、行き先を指示する事にした。其の私の席は、左側の端の席だったので、其の車は左ハンドルのバスの様な車である事が理解されて来た。
そして、其の車が下り始めると、其れはジェットコースターの様な速さであり、其の男性は躊躇無くカーブも巧みに運転するので、私は其の様子を観て安心し、身を任せて居た。
次の映像は、文章が印刷されている、新聞の様に広い紙面が一枚映し出されて来て、其の紙面の右下の所に、黒い服を着た65歳位の男性の上半身のモノクロ写真が、一枚印刷されていた。
其の写真の男性の顔を見ると、本人の左目は有るのだが、右目の方は潰れているのか、写ってはいなかった。
其れから、年配男性の怒る様な口調で、「誰が 神の名を印刷したのか」と、一言だけ聴こえて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「6時5分」であった。
今朝は其の儘起きて、起こされた時刻「3時31分」から今年の3月31日の文章を見ると、次の様に書いて有り、3月31日の日付が「年度末日」であるので、数日前の文章を調べると、下記の様な内容である。・・
是等の内容から、今朝起きた時間が「6時5分」であったのは、私は此の世界に飛び込んだ日が、1984年6月4日であり、「6時5分」の数字は、次の日付けなので、私に34年前の6月4日に告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉が、始まった事が示されて来ているのかも知れない。
其の様に考えると、今朝「誰が 神の名を印刷したのか(載せたのか)」との事を、告げて来た男性神の声が何を意味しているのかも理解されて来る。
其れは、「イエスキリスト」は神(はたらき)の力を借りて(当てにして)、奇跡現象を起こして民衆の意識を刺激し、「天の父よ」と謂っているので、イエスの弟子・信者は、現在でも「天の父・主」が信仰対象である。
だが其の神(はたらき)の存在を、真理を究めた中国の老子は「道・タオ」と謂い、覚醒したインドの釈迦は「ダルマ・法」と謂って居るので、其れは宇宙の法則であって神名の意味ではない。
昔(2500年前)は其処に、東洋の精神文化との差が有ったのである。
今朝「誰が 神の名を印刷したのか(載せたのか)」との言葉が告げられて来た前の場面は、紙面に左目だけの男性の上半身が印刷されていた。
其の姿から、私に認識できるのは西洋の「錬金術師」の存在である。・・
此の説明からすると、錬金術とは「化学」の始まりの世界であるので、是まで「神」の名で呼ばれて来た世界も、「化学的」に考えろと謂う事なのかも知れない。・・
今朝、私が3時31分に「咳」が出て目覚めた現象も、「科学的」ではなく「化学的」に考える必要が有るのだろう。
何故かと謂うと、私は旅に出た時に、自分が車に積み込んでいる食材で料理を作って食べる際には、起こらないのだが、ホテル等に宿泊した時に食べてはいけない物が食卓に有ると、咳が出て忠告されていたからである。
其れは、私の守護霊が、化学的な知識を持っている理・ことに成る。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像に錬金術師の様な写真が載っていた事の意味も理解されてくる。
其れに、今朝の映像で、山岳から勢い能く下る車の運転を引き受けた男性が「21番です」と謂ったのは、弘法大師空海の存在を示唆して居たのかも知れない。
何故かと謂うと、弘法大師空海は私のスケジュールを管理している霊魂であり、命日が承和2年3月21日であり、毎月21日が月命日だからである。
其れに、弘法大師空海に渡唐の資金等を出して協力をして居た人々は、鉱山業の人達であり、水銀を使って金銀の生産を行って居た人々だからである。
だから、正に弘法大師空海も錬金術師の仲間であると謂う事に成る。
其れに、出雲の踏鞴(たたら)の神である「かなやこ神」も片目である。
だが、今朝の紙面に掲載されていた男性の写真は、紙面の右下に有って本人の左目が有る姿であった。其れは、西洋の錬金術師は左が失われており、有るのは右目なので、今朝の写真とは目が反対である。
其れに、今朝の映像に現れた山岳を下る大型車が左ハンドルであったのは、今朝のメッセージは日本国だけではなく、世界共通である事を意味しており、山岳信仰の世界も、共通である理・ことが示唆されているのであろう。・・
今朝の映像に登場した、左目の男性の写真は、私が「土肥無庵」に「私は第七次元まで行って 霊魂が此の世に降臨する為に ベンチに座って居る所までは 見て来たが それ以上先に行けないので 私が付いて居るから 其の先を見て来てくれ」と、頼まれた事と関係が有り、其の結果、男性の存在が現れて、手でOKの指印を作り、右目を閉じて「最後の答えは教えない」との理を示してから、ドアを閉めて中に入ってしまった。
私は、其の事を「土肥無庵」に伝えると、一瞬ムッとした顔をしたが、其の後何も謂わなかった。
其の事と今朝のメッセージは関係が有り、私が最後の答えを教えられなかった事で、其の神界の男性・存在が知っていた最後の答えだけではなく、更に深い所まで探索する事に成功したとの事に成るのかも知れない。・・
其れは、昨日の「おのれ&みずから」の言葉と関係が有り、名付けられた「神名」に依存して居る者は、最終的な答えは得られない理・ことが示されて来ており、日本の伝統文化である惟神道(かんながらのみち)が、唯一正しい道であるとの理・ことなのであろう。
「誰が神に名前を与えた」https://green.ap.teacup.com/20060818/4682.html
此の文章を書いて・打ってから明日で丸一年と成る。
其の事を考えると、今朝のメッセージは「子供達に 神に対する信仰心(依存心)を 持たせては成らない」との事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、釈迦牟尼世尊、老子、イエスキリスト等の偉人が、宗教団体や建物を建設し、神頼みをする事を戒めているので、顕かな事である。
其れを考えると、私の両親は神社や寺院に子供達を連れて行く事は、一度も無かったし、私が産まれ育った松峰区(開拓村)には神社が存在しなかったので、神社の行事など何も無い環境であった事が関係有りそうである。
だが私の息子は、母親「美代子」が創価学会の信者であるので、現在でも学会活動・公明党の活動に染まったままである。
其れを考えると、今朝のメッセージも「精進」「禊ぎ祓い」とのテーマと関係が有り、最初から禊ぎ祓いが必要に成る様な事は、しなければ良いと謂う事に成る。
だが今朝のメッセージの映像には、良い子(素直な子)と、悪い子(悪戯子)のグループが、別々の集団で遊んでいる場面が映し出されて来た。
其れに、子供神輿は、其の子供達が一人残らず参加する行事なので、何等かの集団行動・活動が、必要不可欠であるとの理・ことが示唆されているのであろう。
其の最大のモノ・世界が、学校教育の存在である。
其れを考えると、学芸会・運動会・遠足・修学旅行などが、其の一環であると言う事に成るであろう。
だが、其れだけでは、天神(てんのはたらき)や「御祖神・みおやかみ」・先祖霊等の存在を傳える事が出来ないので、何らかの手段・方法が、必要であると言う事に成りそうである。
今朝は、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、見たとの事であり、其の内容は次の様なモノである。
先ず、広い真直ぐな道を歩いて進んで行くと、突き当たりの右の角に「黒柳徹子」が立って居て、其の右手の直ぐ横には岩肌が剥き出しに成った場所が在り、其処は何人かの人が亡く成った場所である事が伝わって来た。
其処で、手を合わせて禱りを捧げた後、その横にある建物に入っていくと、古民家を再生した趣のある建築で、とても心地の良い空間であったとの事である。
突き当たりの左手には、小さな建物があり、其処は道を歩いて来た人達の休憩所に成っている様で、中に入るとインドの神様の様な出で立ちで、恰幅の良い、宝石・アクセサリーを身に着けた人達が3,4人ほど居て、自分用に小さな薄紫のクリスタルが付いた耳飾のような物が置いてあり、「もっと欲しいのなら、まだある」と謂われたが、欲しいと思わないので、そのままにしていたとの事である。
次の映像は、父方の祖母が出て来て、「墓に物凄いお金を掛けてきた」という趣旨の事を謂うと同時に、数式が出て来て、それを計算するのに疲れたとの事である。
其の後、実家を中心に、右手にある神社の随身門、左手奥にある本家、左手の山上にある観音堂(十一面観音)の三つの場所が順番に示され、「深く掘り下げて調べなければ」と、強く感じていたとの事である。
其れらの場面は、墓・本家=亡く成った場所=先祖供養・鎮魂、古民家=随身門=神社、インドの神=観音=仏教 と、関連している。
其の由香のビジョンから、私が即座に考えた事は、男性の役割は本来「狩りに出掛ける」「家族・部族を守護する為に戦う」に有るので、外向きの活動が目的・本能であり、其れが現在では、政治・経済・教育・宗教・芸術・建設などの分野と成っていて、行動力・想像力が必要とされているので、其の為に、男子は子供の頃から、仲間造りや、自分の能力の向上に務める・修行する必要がある理・ことに成る。
其れを考えると、女性の役割は、子育てや家事に能力を発揮する事にあるので、暮らしの伝統を継いで行かなければ成らないと言う事であり、先祖供養や、町村での文化行事は女性の役割・役目であると、理解できる事に成りそうである。
其の様に考えると、今朝の二人のビジョンは、男性と女性の役割と謂うか、立場が示されて来ていると捉えても間違いではないだろう。
「黒柳徹子」の名前の「徹・テツ・とおる」は、辞典に次の様に載っている。
「徹・テツ」【解字】会意。甲骨文は、鬲+又。鬲は、かなえの象形。又(手)を付し、食後のあとかたづけをするの意味を表す。常用漢字の徹は、「彳+育+攴」の会意文字。育は鬲の変形、攴は又の変形。一般に、事が最後のかたづけにまで行く、とおす、とどくの意味を表すようになり、彳を付した。
【字儀】@とおる。(通)また、とおす。突き通す。「貫徹」「徹底」Aとどく。達する。とどける。Bあきらか。「明徹」Cのぞく(除)取り去る。はぎ取る。また、捨てる。Dこわす。こぼつ。Eつらねる。(列)。つらなる。F夜を明かす。 漢語林より
此の「徹・テツ」の漢字の意味からすると、今朝のメッセージは、男女ともが、自分の役割を「貫徹・徹底」しなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、「男女同権」などの言葉・概念は止めて、男性は女性の、女性は男性の役割を、互いに認知・理解して、尊重しながら、相互協力に努めなければ成らないと言う事であり、其の理を第一義として、社会の組み立てを、行って行かなければ成らないと言う事に成るのであろう。
そして、其れを第一義とすれば、宗教や天皇家の存在も必要では無く成るし、天皇陛下が交代する度に、年号が変わる様な面倒も無く成る事に成る。
きー「男性と女性の役割」
2008/5/12今朝のメッセージの映像は、人間の男女の働きに付いて、示されて来たモノの様である。其れは、此の地球上に存在する物で、人類の「雌雄・男女」が、物として一番最先端に在るとの理・ことを、示唆しているのであろう。
初めの映像は、黄色く熟したバナナが稔っているバナナ園の中に、建物が一軒有って、其の建物には、女性が一人生活して居た。
其の建物は、鉄筋コンクリート造りに見える丈夫な物で、室内には、小豆色を基調とした、家具や調度品が揃えられていた。
其の、室内の品々は、全部良い品物ばかりであり、女性の身なりも良いので、何不自由無く暮らしている様子が、観てとれた。
そして、其の女性の名は「川東くりよ」と云う名である事が判った。
其の「川東くりよ」とは、「くり」は「庵」の事で、「よ」は「世」であろう。そして「川東」とは、コンゴ河の東岸側の事ではないだろうか。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、コンゴ河の東岸側には「ピグミーチンパンジー(ボノボ)」が生活していて、ピグミーチンパンジーは母系社会方式で生活している。
其の理由は、ピグミーチンパンジーは雄同士が戦う必要が無いので、闘争心が無く、雄は交尾をするだけなので身体は小さく、「雌・めす」が群れの主導権を持っているのである。
其れに反して、コンゴ河の西側に住む「チンパンジー」は、雄同士が殺し合い、肉食をするから、闘争心が有り、雄は戦う為に身体が大きく成り、群れの主導権も「雄・おす」が握っているのである。
今朝の映像の意味は、バナナ園の中に「庵・くり」が有ったので、食べ物が果物等の穀物菜食パターンである理・ことを示しているのだろう。
そして、女性は、安全な建物に住み、良品に恵まれて生活出来れば、幸福である理・ことを意味している。其れに、女性には「肉食」は必要無いと言うことであろう。
そして、そんな「世・代」が善いとの事ではないだろうか。
其れは、古事記にも「女性の方から 先に男性に声を掛けたら、手足の無いヒルコが生まれた。」と有るので、女性は、衣食住に恵まれさえすれば、徒に、自分から行動を起すのではなく、静かに庵で生活した方が、良いとの理ではないだろうか。
次の映像は、30歳代の男性が一人、アフリカのマサイ族の男性の様に、トランポリンで高く飛び上がって居る様な姿で、映し出されて来た。
其れは、女性と違って、男性は運動能力に優れていなければ成らない理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
マサイ族の男性が、ジャンプの訓練をするのは、草が繁る草原で、遠くに居る獲物を探し出す為である。
だから、同じアフリカに住み「薮・ブッシュ」の中で、芋等を掘って食料を調達している「ブッシュマン」とは、背丈も體の仕種も違うのである。
今朝の、メッセージから考えられる事は、男女の行動パターンの違いや、能力の違いを、良く検討して、生活の根本原理を確立しろとの事ではないだろうか。其れは、現代社会の柔道や、砲丸投げのスポーツ競技は、女性には必要ないと言う理・ことでもあろう。
其れよりも、女性が、如何に立派な子育てが出来たかに、目を向けて、エジソンの母親や、与謝野晶子等の存在を、手本として取り上げ、社会風潮を改革して行かなければ成らないとの理・ことであろう。
其の様にしなければ、オウム教の「松本智津夫」の様に、生命を蔑ろにしたり、ライブドアの「堀江貴文」の様に、金儲けの為に、平気で嘘を付く人間が、居なく成る事は無いだろう。
今朝のメッセージは、是から、人間がどの様に生活して行けば良いかの指針を、示して来たものであろう。
其れは、人間が、自分の生き方を選択する前に、男女が自分の性認識を正しく持ち、其れに拠って、自分に適した道具を手にしなければ成らない理・ことを示して来ている。
其れは、勉強が苦手な子供に、無理やりに勉強をさせたり、体力の無い子供に、無理やりきつい運動をさせたりして、劣等感を持たせては成らない理・ことを意味している。
人間は、此の世に持って来た「使命・みこと」が、夫々違うのだから、苦手な事を、無理やり遣らせて、心の成長を止めてしまえば、長所である処の芽まで、摘んでしまう事に成るのである。
私が、いまの精神状態に在るのは、両親の子育てが、私の成長の基本に有るからである。
私の父親は、自分は毎日勉強をして居たが、私に「勉強をしろ」と一度も云った事は無い。そして、一度も殴られた事も無いのである。
其れに、母親は、高等教育(現在の金城大学)を受けた人間であるが、一介の農家の主婦として、真っ黒に日焼けしながら、泥まみれに成って五人の子供を、育て上げたのである。
其の、両親の姿がなければ、現在の私は、存在しないのである。
其れと、最も大事なのは、山川海の大自然に恵まれた、此の世界自然遺産に登録された屋久島が、私の生活グランドであった事だろう。
其の屋久島で、私は25歳までは、第一次産業である農林漁業に従事し、其の後37歳までは、商売や不動産業や建設土木等の、二次産業にも手を染めて来た。
其の間に、自分の手にした道具は、様々である。
その結果として、多くの道具を目にする時、其の使い方や、現場の様子が言葉通り「手に取る様に」浮かんで来るのである。其の人生の先に、現在の私の意識(脳)の基盤が成り立っているのである。
其処のところが、一次産業に関わってはいない、皇室の人間とは違うのである。
日本の歴史の元には、出雲の「大国主命」の存在が在り、其の後に「饒速日命・にぎはやひのみこと」や、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」の世界が有るのである。
其の大国主命は、最初に出雲で国造りをした人間である。だから、彼も皇室の人間ではなく、現場の人間である。
其して、大国主命に協力した「少彦名命」も、知識偏重の学者ではなく、智慧有る実践者である。其処には、何の権力も暴力も無いのである。暴力の世界を持ち込んだのは、天照の孫である「饒速日命」や「瓊瓊杵尊」である。
其の様に考えて行けば、国造りの始まりに、何が有れば良いのかは、自から明らかに成って来ると言うものである。
誰が、大国主命の役割を果たし、誰が少彦名命の役割を果たすのかは分からないが、そろそろ、其の人間が集まらなければ成らない時節が、訪れているのではないだろうか。
先月は、下関に集まる様に指示が有った。山口県は、明治維新の立役者が多く搬出した因縁の地である。
其の指示を出す、意思が、吉田松陰のものなのか、「仲哀天皇・ちゅうあいてんのう」や「神巧皇后・じんぐうこうごう」の物なのかは分からないが、天界のエナジーが、京都や江戸に近付いている事は、間違いないだろう。
誰が、どんな道具を手にし、誰の「役割・命・みこと(神霊の思頼・みたまのふゆ)」を、実行する事に成るのか、是からは「臣」の目を、益々大きく開いて、物事を見詰めなければ成らないであろう。
昨日は、タイ国で自然素材で服(うさとのふく)を制作している「佐藤宇三郎氏」から、「日の宮弊立神宮に参詣して タイ国に帰る処だ。」と、電話が有った。彼の仕事は、衣食住の最初に有る「衣」の世界である。
何故「衣食住」の言葉に、「衣」が真っ先に有るかと言えば、此の世に出生して、産湯の後に、必要なのは産着であるからだろう。
其の次が、食である母乳である。そして、其の次に、子育てが出来る建物・庵であるのだ。
佐藤宇三郎氏がベルギーから帰国して、成田から真っ直ぐに来たのが、渋谷近くの私が世話に成って居た家である。
其の日、1985年7月27日から、既に13年が経過しようとしている。
其の宇三郎は、1996年の1月10日には阿蘇の私の自宅に宿泊し、日の宮弊立神宮に参詣したのである。
昨日は、宇三郎が「あれから もう12年が過ぎたのだね。」と云うので、私は「ようやく本番を迎えそうだから 一緒に仕事をしなければ成らないだろう。」と、応えて措いた。
今朝のビジョンからすると、近い内に、何等かの行動を起さなければ成らないのかも知れない。
其れは、今朝、女性が住んで居た部屋の調度品も、女性が来て居た服も、小豆色が基調に成っていたからである。小豆色は、此の三次元の物を管理する「弁財天・サラスヴァティ・雌コブラの体」の色である。
今朝の映像では、明るい光の下で、船に乗り込もうとしたが、海が時化ていて船出が出来なかった。
其れは、弁財天が乗る宝船を出港させるのには、未だ「海・世間」が時化ているので、危ないと言う事であろう。
もう少し、時化が止んで凪に成るまでは、腰を上げない方が良いのだろう。
私は、神に「海を渡れ」と云われれば、仲哀天皇の様に、足踏みして殺される程、未だ、尻は重く成っていないだろう。
神の声が掛かれば、何時でも出発する、心構えは出来ている心算である。
「女性と男性の役割」https://moon.ap.teacup.com/20061124/51.html
2000/11/1よく女性の方が、直感力は優れていると云われますが、私も、其れは確かに有ると考えます。
男性は、論理的な思考をとり勝ちなので、自分の価値観に合わなければ、受け入れ様とはしません。
女性には、其れが少なく、直感的な判断を下します。
例えば、男性が問題の解決の為に、右か左かを選ぶのに、迷って居る時、女性にどちらかを決めて貰うと、良く当る事が有ります。
処が、其の様な女性でも、自分の損得に関係が有る事とか、自分の子供に関する事とか、金銭や物の事に成ると、自分の利害関係が出て来ますので、自分に有利な方を選んでしまい、公の立場は採れなく成る様です。
世界の歴史を見ると、女性が権力に絡むと、必ずと言って良い程、弊害が現れています。女性の本能は、子供を育てる事にあるので、権力ある立場を得ると、権力を自分の個人的な事として受け取り、物を管理する方向へ、意識が働くのでしょう。そして、其れが、女性性の本質と成っているのでしょう。
ですから、女性は、子供や夫、家や宝石など、物質的な事に、意識が傾いて行きます。
女性は本質的に、遺伝子を残す為に雄を選ぶ直感的な能力が、何億年も続いて来ているので直感力が発達して来たのでしょう。しかし、段々と、其の能力が発揮されない、社会情勢と成って来ております。
現代では、女性が相手を選ぶ基準が、相手の男性的能力と言うよりは、学歴、給与、背丈の三条件が、高ければ良いと言う様に、直感力とは関係無い、目に見える背景の、条件的判断をする様に成って来ていると聞きます。
「相対的」との言葉の意味は、「目に見える対象を 比べて 判断する」との意味です。女性は、意識を組み立てる為に、根本的に、其の相対世界である処の、物を対象として、物事を判断する様に出来ており、男性の様に、難しい言葉や理論に拠って、物事を認識する事は苦手の様です。
女性の能力は、現象的価値観を、優先する生き方をしていると言えるでしょう。
一方、男性の方には仙人、聖者、牟尼(ムニ・インド語で聖者)など、現象的な物質世界から離れる事が、最高の生き方との、考え方の流れが在ります。
相対的な、目に見える世界を絶して、四次元世界と呼ぶ、肉眼では見る事の出来ない世界を、理解しようとする能力です。
其れが、本当の大人の目指す世界です。
漢字の「大学」の本当の意味は、此の学問の事です。
達人とか、至人とかは、此の域に達した人の呼び名です。
女性には、「達人」との呼び名は、あまり使われませんが、男の「翁(おきな)」に対して、「嫗(おうな)」との呼び名が有ります。
「嫗」とは「やさしく抱きしめ 温かい息をかける」の意味で、「愛情豊な女。生活達人の老女。」と言えるでしよう。
「おきな」と「おうな」は、訛って、現在の「おとな」と「おんな」の事です。
古代社会では、男性が狩に出掛け、女性が一家を守り支えていたので、此の考え方が現実的だったと考えます。
漢字の「嫁」と言う字が、其れを現していますが、現代社会は、昔の様には男女の区別が、はっきりとしなく成って来ています。
IT化が進めば、益々、自然環境と共生して生活するパターンから遠く成り、人間の脳がイメージする世界の、写しである社会構造が出来上がり、人間は自分の手足を実際に使って、体験する事が無く成ります。
「手足を使う」と言う言葉の意味の、「捉える」と言う現実世界が、遠のいて行くのです。
時代は、コンピュターの発達で、人間の手が、必要無い方向へと進んでおりますが、人間は手足を使わないと、能力が退化して行きます。
今一度、男性にしか出来ない事、女性でなければ出来ない事の、仕分けが、必要ではないでしょうか。
「仕分け」が出来なければ、「仕方(方法)」や、「仕組み」が判らずに、「仕合わせ・幸」も実感が出来ないでしよう。
宇宙は、陰陽の働きで動いています。男女の仕組みは、其の陰陽の働きの現れです。
本当の人間の幸福は、此の仕組みが完成(まっとう)された時に、感じられる現象(もの)です。女の性と、男の性が、本来の根性(根源的な性分)が発揮され、バランス良く組み合わさった時、本当の「仕合わせ・幸」が完成されるのです。私は、其のバランスを、自分の両親を観て養って来ました。
現代社会を見ていると、男女の差が無く成って来ております。
本来の、自然の約束事が、壊れ様としているのです。
人間社会は、誰かの仕種を真似る事で、維持されています。
手本と成る人々が、必要なのです。
昔は、其の手本として、翁と嫗を敬っていたのでしょう。
現代では、其の翁と嫗の姿が、成長過程の若者の目から、遠のいて来ています。其れを考えると、未来社会が、薄っぺらなものに成るのではないかと心配です。
今一度、男性と女性の役割の違いを認識して、人間社会のバランスを図る必要が、有るのではないでしようか。
「女性と男性の違い」https://star.ap.teacup.com/2006o414/21.html
2018/9/11今朝のメッセージは、私が子供の頃に乗った事が有る、安房から奥山の小杉谷に通じるトロッコの路線が復活している映像が映し出されて来て、現実の事では無いのだが、男性は其の小杉谷に有る道場に、或る期間、籠もらなければ成らないという理・ことであった。
私は其のトロッコ軌道の管理者に「冬期は閉鎖するのか」と訊ねると、「軌道に降雪が無い限り 運転する」との返事であった。
今朝は起きてから、由香に「何かビジョンを見なかった」と訊ねると、「自分の意識がクレーンゲーム機の様に、両手で地上から何かを掬い・救い上げる動作を続けて居た」との事である。
私は其の由香のビジョンから、今朝のメッセージの意味が理解されて来た。
其れは、父親と母親の役割の違いであり、男性と女性の役割は分業制に成っていると謂う理・ことである。
今朝の私の映像から私が想った事は、男性は一度は人間社会(世間)から脱出して、人間が造り出した社会制度・経済システムの存在を、全て意識から排除し、0,1%のDNA・遺伝子の記憶情報を外して、650年前に類人猿から分離する前の意識状態に還り、毛穴を開いて森林浴を行い、99%の生命記憶情報を復活させる必要があると謂う理・ことなのであろう。
其れは、偉大な「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」が六年間実行した世界であり、「役行者・えんのぎょうじゃ」や「弘法大師空海」が実行した世界でもあり、指導者と成るべき男性は、人間社会から一度離れて、自然エネルギーの中で自分の躰の全細胞を目覚めさせなければ、真実・真理を把握出来ないので、其の賢者・聖者の役割には就けないとの理・ことなのであろう。
そして由香が見たビジョンは、人類だけではなく、全ての動物の雌が、子供を懐に抱いて育てる事の根本原理を示唆して来ているのであろう。
其れは、「おんな」の言葉の元と成っている「嫗・媼・おうな」の漢字が、「温かく懐に抱きしめて 優しい言葉(息)を掛ける」との意味である事と通じており、其の両腕が宇宙意識(鳳)の翼であり、エジプトのイシス女神の神像と関係が有る。・・
此の「母の空気・天津風」の文章には、「トロッコ列車の軌道の様な物が山中に続いており・・云々」との事が書いて有るので、今朝の私のメッセージと何らかの関連性が有るのだろう。
其の「母の空気・天津風」の題名を考えると、8月24日のメッセージ「世界で最も大事な物」で「空気」に付いて示されて来た事と関係が有り、「母・母神」の存在は空気の様に、全てのモノを優しく包み込む存在であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは「家風」との言葉は、父親が醸し出す雰囲気ではなく、父親の立場を決定している「妻・婦・母」の側に有ると謂う理・ことなのかも知れない。
【家風】その家に特有の気風・習慣。その家の流儀や作法など。・・
今朝のメッセージは、人類の究極の営みと謂うか原点に付いて示されて来ており、其れは地球生命の根源的な「道・タオ」「ダルマ・法」「永遠の命」の理・ことに付いてなので、其処を理解する者が表に立たなければ成らない理・ことが示されて来ている事に成る。
だが、現在の政治家や経済界の代表は、其の様な事には興味が無さそうで、経済発展(環境破壊)の事しか頭に無い様である。
其れは精神世界の指導者も同じ事であり、「釈迦牟尼世尊」や「須佐之男尊・すさのをのみこと」の意思を、正しく理解する事も無いかの様相をしているので、救いはなかなか見出せない状況である。
其れを考えると、根本的な解決策が必要であると言う事であり、其の事が今朝示されて来たのではないだろうか。
そして、其の事が始まらなければ18年前の事件の様な事が、今後も起き得るとの事なのであろう。
「父性と母性」https://green.ap.teacup.com/20060818/4740.html
是等の文章に目を「徹・とおす」と、私は36年前に「土肥無庵」に捜し出されて、真実の答えを得る為に、此の世界に送り込まれた事の、答えを導き出したのではないだろうか。
其れは、人間が万物の霊長として、どう在るべきか鉄則である。
今朝の文章の題は「良い子 悪い子」としたが、其れは子供達自身に罪が有るのではなく、其の子供達が育った環境条件に有るので、其処の事・件から、私に対策を図れと言う事なのかも知れない。
令和1年7月15日
礒邉自適
2018/3/10
最後の具
30・3・10
本日3月10日の日付は、私が一時期住んで居た屋久島平内地区の「此処から佛が生まれる」と告げられた建物で、2005年3月10日に、私の体に全ての情報が繋がって来る感覚が襲って来た日であり、其れから12年が経過する事に成る。
キー「全ての情報が」
2005/3/30・・3月10日の夜、平内の自宅(3月1日から住んでいる新居)に泊まったら、床についている私に、人の足音が近付いて来て、私は金縛りに掛かり、身動きが全く出来なくなった。そして、其の私の身体に、全ての情報が繋って来て、私の身体自体が全世界のサイトに成ってしまった。
そして、壁には「悦」と書いた紙が貼られていた。
そして、余りにも、次から次へと、情報のチャンネルが繋がって来るので、私は息もし辛い状態となり、どうにかして、その状態から抜け出そうと考え、ようやく手を伸ばす事が出来たので、電気を灯して、意識を普通の世界に戻した。
そして、少し楽になったので、再び電気を消すと、又、同じ状態が遣ってくるので、今度はテレビを点けて、意識が闇に溶け込まない様にした。
闇に溶けこむとは、四次元的世界の事であり、日本語で言うと「お陰様」の目に見えない、神の世界の事である。
其の夜は、テレビが点灯している事で、三次元世界の現象が身近に働いているので、何とか朝まで耐える事が出来た。
次の11日の夜は、その続きが有り、今度は、全方向からピンク掛かった緋色の糸に、玉が付いた物が、中心に集まって来て、鉢の様に成っている。
其のネット状の窪みの中心に、今度は、一本の黄金の糸の輪・リングが掛かっており、其れにも、小さな黄金の玉が無数に付いていた。
私が、二日間に亘り体験した、その感覚は、三次元を結んでいる糸車の中心に、四次元のリングが掛かっていると、謂える様な状態・モノであった。
二つの、糸のネットワークは、密教的に説明すれば、緋色の多数の因縁の糸が「胎蔵界曼陀羅華(たいぞうかいまんだらけ)」で蓮華を意味し、黄金色の糸車のリングが「金剛界・こんごうかい」を意味し、その両方の糸(ネット)の中心が、「ビルシャナ・(大日如来)」の真理の中心である様に想える。・・・
「全ての情報が」http://star.ap.teacup.com/170606/36.html
2015/12/3・・其れは明日12月4日が、私が1984年6月4日に、此の神の世界に入った時、「後16年半しかない」と告げられて、其れは2000年12月4日であり、其れが、明日で31年半と成る事と関係が有った。
そして、其の日を前にして、私の苦しみの原因と成っている人々の思い出(記憶・情報)が、アカシックレコードから消去されるとの事が示されて来た。
其れは、明日12月4日を前にして、私の意識から、苦しい思い出(禍・わざわい)が消去されて、私は安らかな人生を迎えられるとの理・ことを、示唆している様である。
今朝の「愉伽さん」のビジョンには、皆で「君が代」を歌って居り、愉伽さんが大きな口を開けて、ハッキリとした大きな声で歌うので、観て居た人達がビックリして居たとの事である。
そして、次に、自分の先祖よりも古い時代の、古代人と呼ぶべき男性二人が登場して、深海まで連れて案内すると言い、一緒に海に飛び込んだとのことである。
其の後に、高校の男子生徒や、小学生ぐらいの子供達の教育の世界が、映し出されて来たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンからも、本日「大君・御祖神(みおやかみ)」の世界が完成したとの事が示されて来ており、其の事を、未来社会を担う子供達の教育に、生かして行かなければ成らないと言う事なのであろう。
「悦・エツ」【解字】形声。「忄(心)+兌」音符の兌・ダイ=エツは、むすばれていたものがぬけおちるの意味。心の中のわだかまりがぬけおち、よろこぶ・たのしいの意味を表す。
【字義】@よろこぶ。(喜)。よろこび。心の中でよろこぶ。「喜悦」Aたのしむ(楽)たのしみ。「悦楽」Bしたう(慕)。よろこんで従う。 漢語林より
此の悦の漢字の意味からも、今朝のメッセージの映像の内容が、「是まで結ばれていたわだかまりが抜け落ちる」との事であった事と、繋がっている。・・・
「12月4日を前にして」http://green.ap.teacup.com/20060818/3678.html
2015/12/4今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識だけが、屋久島の実家への道を進んで居て、各家を、録音装置とスピーカーを肩に掛けた、役所か宗教関係の人材の様な、健康で真面目そうな25歳位の細身の男性が、巡廻しており、其のスピーカーからは、男性の挨拶の様な声が流れていた。
其れから、私が実家の前に有る畑に辿り着くと、其の畑には数種類の野菜が栽培されており、雨期なのか、横を流れる水無し川には、水が流れていた。
だが、私の家族だけではなく、其のスピーカーを肩に下げた男性の他には、誰一人として人間の姿が見えないので、其の映像の意味が解からないので、暫く経ってから、電気を点けて時刻を確認すると「3時43分」であった。
其れから、明け方に「原稿」と「方向」との言葉が告げられ、一画面が映し出されて来た後に、「ときの始まり」との言葉が告げられて来た。
其の画面は、飛鳥時代の絵の様な物で、大きな畳の部屋の中に、薄緑色の衣を身に着けて、腰の所を朱色の紐で縛っている十数名程の人達が、部屋の中にバラバラに座って居る様子が描かれた物であった。
今朝は起きて、穀物コーヒーを手にしてPCの前に座ると、「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね。
貴方にとって 是からが 正念場です。
何故なら 全ての事柄に付いて
貴方自身が 其の吟味に 当たらなければ成らないからです。
其れは 安定した精神と
正しい観察眼が 必要な事だからです。
其れに付いては 貴方自身にも 自覚が未だ無いし
確かな 訓練も行われてはいません。
だが 何も無いと言う譯ではありません。
其の基本に付いては 土肥無庵が
切っ掛けだけは 与えてあるでしょう。
其れは 物事の基準だけが 明確に成っていれば
不可能な事ではありません。
貴方は 是までの31年間の修行で
或る程度の判断力は 身に付いているでしょう。
ですから貴方は 其の事に自覚を持てば
不可能な事ではないのです。
其の為にこそ 此方の体制が在るのです。
良いですか 貴方が 其の事に対して
自覚を有さなければ 何事も始まらないのですよ。
それが 大君の役割であると言う事なのです。 」
「紀(トキ)の始まり」http://green.ap.teacup.com/20060818/3679.html
2017/12/4本日12月4日は、日本の歴史が始まった原因である「金鵄降臨」の現象を祝う祭りが、奈良で行われる日であり、私が1984年6月4日に此の神の世界に飛び込んでから33年6ヶ月目の日でもある。
(1984年6月4日から2017年12月4日までの日数:12236日)
「33年半目の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4455.html
今朝のメッセージの映像には、自宅の神棚や床の間が、何も無い様に綺麗に片付けられてすっきりと成る場面が映し出されて来た。
次に、何も無い薄明るい世界に、言葉と謂うか物事の存在を意味する物が、石垣を積み上げる様に、全面に組み上がって行く場面が映し出されて来た。
そして、何故か、中心の部分だけが一個空いているので、私が周囲を見回すと、私の左側に黒い花崗岩製の石のブロックが、一個だけ逆さに成って残っているので、私が其の石を引っ繰り返して見ると、その石の表面には明確に「具」の漢字が凸面で大きく彫刻されていた。
私は、其の具の漢字が彫刻されている石・ブロックを、其の中心に開いている隙間に嵌め込めば、私の役割が完了すると謂うか、全てが完成するのだと思って居た。
いま、漢語林を手に取って、何気無く開くと、何と、開いたページに其の「具」の漢字が有って、目に飛び込んで来た。
ページは「117(電話番号)」で、時間を見ると9時28分である。
大漢語林では「129ページ 私の誕生日の数字」
2017/9/28「全ての事には原因が」http://green.ap.teacup.com/20060818/4384.html
「具・グ」【解字】形声。「目(貝)+廾」音符の廾(キョウ)は、両手でささげるの意味。貝は、かいの象形。金品を両手でささげ置く、そなえるの意味を表す。
【解字】@そなわる。ととのう。そろっている。Aそなえる。そろえておく。準備する。=備。Bそなえ。㋐したく。準備。㋑そなえもの。Cうつわ。器物。道具。「家具」Dともに。みな。=倶。Eつぶさに。詳しく。こまかく。
国語 グ。㋐手段。道具。「政争の具」㋑料理で、きざんで汁や混ぜ飯などに入れるもの。 漢語林より
此の「具」の漢字の意味からすると、私が最後の一個の石を、両手で捧げて、「言・事・こと」の中心に嵌め込めば、具・みな・ととのう。と謂う事が示されて来ている事に成る。
其れは、私が12年前の今日の夜に起きた現象が、四次元世界から三次元に現象化すると、言う事に成りそうである。
今朝、私が何気無く開いたページに、調べる「具」の漢字が載っていた現象は、私の無意識の行動と謂うか、手足の動きには、神(はたらき)が存在する事の証であり、其れは、私に時々起きる現象の一つでもある。
2003/2/14私の旅日記を捲ると、様々な事が記してある。
何しろ、18年間自由に旅をして来たので、多くの出会いが有り、日記を書いた場所も、全国バラバラである。其の中で、自分でも興味深い事が有るので、文章に起して見ようと思う。
1999(平成11)年5月21日の夢に、「ルーベン-デス」と出て来て、次に「判断基準」の意味が伝えられ、縦書にて「記― 性― 食― 霊―」と、次々に文字が書かれて現れた。
そして、一番上の「記」の文字だけが光っていたのである。しかし、当日は未だ、何の事だか分からなかった。
次の日22日に、出雲から、東京に向かって出発した。
23日に、埼玉県上福岡市で神明塾を開いている「佐々木将人氏」の祭りが有り、其れに呼ばれていたからである。
不思議な事に、二ヶ月前の1999年3月18日金曜日の夢に「23日 1.4」と現れて、何だろうかと考えていたら、其の日の午後2時頃、郵便が届いたので開けて見ると、佐々木将人氏からの手紙で、『5月23日午後1時より4時まで祭りを行う。』との内容であった。
3月18日は、私が無庵師匠に捜し出されて丁度16年の日である。
其の16年の記念すべき日に、夢に出た日付と、時間が附合する手紙が届いたのである。
早速、安部忠宏氏(当時、私がお世話に成っていた 出雲の会社社長)に其の事を話し、二名で参加する旨を連絡した。
そんな事が有って、5月22日朝9時20分発の飛行機で、出雲空港から東京へ向けて出発する事と成ったのである。
其の、5月23日の祭りも無事に済んで、出会いの中から、東京に安部氏が事務所を持つ事に成り、私は事務所探しの為に東京に留まる事になり、其れから暫らくホテル住いと成ったのである。
26日に、時間が空いたので、渋谷の本屋に寄って「ルーベン-デス」を調べてみようと思い、辞典のコーナーに行って見た。
行って見て、分かった事は「ルーベン-デス」のスペルが分からないと、調べ様が無いとの事である。「ルーベン-デス」の日本語の意味も、分からないので調べ様が無い。
私はガッカリして、あきらめ掛けたのだが「ルーベン」の言葉の響きがドイツ語の様な気がするので、ドイツ語辞典の棚の前に立った。
しかし「独和辞典」なのか、「和独辞典」なのかも分からない。
私は、何気なく、厚い独和辞典を手に取って、栞・しおりの挟まっているページを開けて見た。すると、独語のスペルの右側に、カタカナが書いてある。
其のカタカナの中に、何と「ルーヴェン」と有るではないか。
そして、後の方に「船首を 風上に向ける」と書いて有り、スペルの方を見ると「lu-ven」と載っている。「ルーヴェン・(ルーフェン)」の所に、偶然に栞が挟まっていたので驚きであった。
私は喜んで、昂奮気味に、今度はカタカナで「デス」を追っ掛けて頁を捲って行った。
すると「デス・タメント」が載っており、【@遺言状 Aキリスト教・神と人との契約】とある。判った事は「デス」とは「テスト」や「テスタメント」の「テス」で、「精確に。精密に。」「聖なる契約」の意味である事が分かったのである。
遺言状や、神と人との契約は、人間にとって一番大事なもので、決して間違ってはならないものである。
テストは間違っても、点数が悪くなるだけだが、それでも正確に書くという約束事は、ハッキリ意味付けされている。
「ルーヴェン」と「デス」を続けて意味を採ると、「正確に 船首を 風上に向ける」となり、私の是からの行動は、「風に向って 正確に前進せよ」とのメッセージとして受け取れた。
この事が判明したので、私は、馴れない東京での、一人暮らしの覚悟が出来たのである。
話を元に戻すと、5月21日には「性(男・女の働き)」「食(食物の良し悪し)」「霊(守護霊の霊格)」等の判断基準の前に「記」の文字が有り、其の文字が光っていた事が有る。
此れらの事からも、「ルーヴェン-デス」が、何の事か解って来た。
「デス」が正確に書く、つまり記す事に関係が有る事が分かったので、「記す事を正確にし 其れを判断基準にして、風上に向って進む」とのメッセージが、明確に成って来たのである。
西洋の旧約聖書が、預言書として3000年来伝えられている様に、人間が風に流される事なく前進する為には、何らかの記された物が、必要であるとの事だろう。
「記す」と言う事は、古代シュメール文化や、エジプト文化や、マヤ文化でも行われている。記された物が、如何に、人間の判断に影響を与えるかは、昔から重要視されていたのであろう。
それにしても、中学校しか出ていない私に、ドイツ語で云って来るのも不思議な事であり、東京の本屋の辞典の、其処のページに栞を挟んである事も、常識では考えられない。
私が、出雲に住んでいる事を知っており、東京の本屋の人間まで、動かしている者の正体は、一体何者であろうか。
私にも、神の世界がどう言う「絡繰・からくり」に成っているのか分からないが、全体的に、目には見えない何者かが、手を尽している事は、ハッキリ感じられるし、其の働きを人間側が知って、証しとして記す事が、大事である事も理解できて来た。
私が文章を書き始めたのも、此の「記」と「ルーヴェン-デス」のメッセージが大きな切っ掛けと成り、1999年の秋から、日記だけではなく、文章にも残し始めたのである。
それから、三年余りに成るが、私が記す事で、神界も段取り良く、事が進められる様である。
私の行動を支えながら、メッセージを送って来る者、それも、私が持っている辞書の中身まで知っていて、私の知り得る情報の限界をも、把握していての事らしい。
昔から、神は、偉大な存在だと云われているが、私も、其の事に対して疑いは無くなっている。
私が、不思議に思うのは、其れだけ力の有る神が、何故・なにゆえこんな出来の悪い人間を、大量に増やして来たのかと言う事である。
他の生物や、地球環境の事を考えると、もう少し、何等かの方法が有るのではと想うのだが、其れも人間の余計な考えなのであろう。
神は、偉大な存在であるのだから、全て知っていての、現象界への現れなのだろうから、私達人間は、風上に向って、神の御業の完成を手助けし、勝って行かなければならないのだろう。
13日には、愛媛県と岡山県の中年男性が、「もう 世の中に合わせて 生きて行くのには疲れた」と、限界を訴えて来た。
人間社会全体が、古い価値観では、どうしようもない処まで、来ている様である。
未来に向って、新しい船を出港させなければならない日は、近いのであろう。其れが、「ルーヴェン-デス」のメッセージの指し示す事であると想われる。
「記」http://star.ap.teacup.com/170606/245.html
2003/2/14今朝の霊夢には、平仮名の「き」の文字がハッキリと大きく出て来た。
その前後の夢も有るので、説明すると、少し長くなりそうな気がする。
「き」が映る前の夢は、長い物語りに成っていて、大きな理・ことを示して来ている様である。
最初に、リング・輪の付いた、大きめの単語帳が映って来て、教室が現れた。
教室には、20名程の生徒達が居て、教壇の先生の話を聞いている。
先生が云っているのは、「単語帳の 一枚一枚に書いて有るセリフを覚えて これから始まる場面に 合わせて話すように」との事である。
自分勝手に、セリフを云ってはいけないらしいのだ。
私は、教室内の、後方の席に座って居て、自分の単語帳を捲って見ると、一枚目には何か短い文章が書いて有ったが、二枚目からは何も書いてないので、何を話せば良いのかが分からないでいた。
教室内での説明が終り、皆が外に出て作業が始まった。
その作業とは、人から人へ、手に持っている物を、リレー式で受け渡して行く「道筋(過程・経路・プロセス)」を、現している様だったので、文化や文明の継続を意味しているものと思える。
私は、自分の役割を忘れて、他の人達が次から次へと、自分の特長を出した物を、渡しながら走り続けているのを、眺めている内に、その列から外れてしまい、取り残されてしまった。
そして、皆が走り去った後に立って居ると、畑で農作業をしている母子に気付いた。何をしているのかと想い、近付いて行くと、其れは自分の母親と、27年前に26歳で亡くなった、直ぐ下の弟「農夫成」だった。
私が近付いて、其の作業を見てみると、私のやり方とは違っているので、「こんな事をしては 駄目ではないか」と云うと、弟は「自分では この新しい方法が 良いと想う」と云って、作業を止めないのである。
私は、母親に協力を求めようと想い、母親の顔を見ると、母親は、優しい顔をして見ているだけで、何も云わない。
私の云う事も、弟のやり方も両方理解しているらしいので、私は、もう弟に委せた事だから、好きな様にやらせるしか無いと想い、一連の夢は終った。
この夢の連続が、何を伝えて来ているのかを考えて見ると、
1)起きる事の順番に 口にするセリフが 大事。
2)順番に 伝え続ける 技術や文化。
3)個人が 研究して新技術を開発し 実行している事の邪魔をしてはいけない。
4)古い考えを 押し付けてはいけない。 等の事柄に思い当たる。
この事を、通して考えると、「人間の生活の舞台には、其の時代 其の時代に合った 言葉が必要とされ、其々の人達が、考え出した発明、発見を、連続して継続しているのだから、たとえ自分の弟であっても、余計な口出しをしてはならない。」との理・ことに、成るだろうか。
この夢が終ったら、「き」の文字が現れて、何の意味か考えていると、右下の方に小さく「拳」の文字が見えて、其の文字を確認したら、次に「ろ」の音霊が意識に浮かんで、今朝のメッセージは終った。
朝起きて、辞典で調べると、「拳」は「拳法」の「ケン」で、【指をまきこみ、こぶしをにぎるの意味。から、にぎる、かたし、つとむ、力の意味】とある。
「ろ」は、「何々をしろ」の「ろ」で、命令語に使用されるが、国語大辞典・言泉には「感動を持って 相手に働きかける時に 使用する。」とある。漢語林
「き」は、平仮名文字でハッキリ現れたので、「漢字では考えるな」との事であろう。漢字で考えると、「気」とか「木」とかに、意識が固定されてしまう。
文字に気を取られないで、「き」の音だけで探ってみると、「気持ちが 悪い」の文字は「気・キ」「持・ジ」「悪・オ」が、漢語読みだから、「きもちがわるい」は日本語である事が分かる。
其れは「きの もちかたが わるい」との意味だから、「き」は人間にとって目には見えないが、大事な物である事が理解出来る。
「気」は、「キ」の他に「ケ」とも読み、「気配・ケハイ」にも使われる。
「ケ」は、人間の体の外に感じる物の怪の事で、人間の目には見えないが、感じるものの事であるし、一方「きもち」の「キ」は人間の内側に存在する、目に見えないものの事である様だ。
目には見えないが、確かに、人間の内側に存在するもの、それが「き」であろう。
「き」は「生」もあり、【「生娘」「生そば」「生一本」「生まじめ」「生糸」「生醤油」など。原産のままで人手を加えていない、また精製していない意味と、純粋でまじりけのないこと】とある。 言泉
後半の夢の「き」「拳」「ろ」を調べてみたら、「感動して(ろ)こぶしをかたくにぎりしめる(拳)+き」という事になる。
「き」を、前に持って来ると、「純粋な まじりけの無い気持ちで、かたくこぶしをにぎりしめ 感動する」になり、「き」を後に持って行くと、「感動して 拳をかたくにぎりしめる 純粋な気持」という事になる。
それでは、前半の夢の映像と、後半の文字の意味を繋いで見ると、どの様に成るであろうか。一番のテーマは、やはり「き」の言霊・ことだま・言葉が持っている、本来の働き、魂しいであろう。
「き」は人間の内側ばかりでなく、宇宙全体の内側に、満ちているものでもある。神の名も、その宇宙に満ちている「き」に名付けた名前であろう。
宇宙には、永遠に継続する何かが存在する。
その何かを、名付ければ「真理」とか「神」とかになるであろうが、名付けないで認識だけしようとすれば、「き」と言う音霊に行き着くのではないだろうか。
人類の文化を発展させ、継続させている根源の力も「き」であるし、発明・発見を起させている力も、その「き」が源である。
そして、その文化や発明・発見に感動するのも、人間の内に在る「き」のエネルギーであるし、拳を固く握り絞める力は、身心のエネルギーの気である。
「きをくばる」とか、「きをひきしめる」「きがきく」とか、日本語の中には「きを使った」言葉が澤山ある。
その「き」が現代では、「き」が違ったのか、狂ったのかは分からないが、自分の金儲けとかの欲望だけに「き」が使用されて、本人も気を使い過ぎて疲れ果てている。「疲れ果て」とは、使いつくされている事の表現である。
其れ等の人々は、人類が長いトキを掛けて築いて来た、文化・文明を、ただ自分の為にだけ使っているのだ。
愛とは、「き」を自分の為だけに使うのではなく、他人の為に使う事である。
自分の為に使う「拳」は、怒りと暴力の為であり、その様な人は「ろ」も、また権力の命令系にしか使えない。
今朝の夢は、自分が、私心ではなく公の場で、どの様なセリフが言えるかを、深く考え、準備しろとの事であろう。
宇宙の永遠性の時間の中で、神氣に因って築き上げられて来た、人類の文化が、地球環境と共に、滅び去ろうとしている現代社会において、未来社会をどの様に継続させて行く事が出来るかを、今朝の夢は、示唆して来た現象・モノであろう。
私に、此の様なメッセージを送って来る「き・ケ」は、何なのであろうか。
昔の人達は、その「き」に対して、神と名付けたのではないだろうか。
そうであれば、私は「き」の中に、埋もれていると言う事に成るのであろう。
そんな「き」がする、今日のメッセージであった。
「き」http://star.ap.teacup.com/170606/246.html
12年前の今日起こった現象と、今朝のメッセージの映像の映像と、「具」の漢字のページが開いた現象などを考えると、12年前に電気を消して目を閉じると、私の躰に起きた現象こそが、「黄泉大神(よみどのおおかみ)・闇神(くらおかみ)」の神(はたらき)の現象であり、其れが一干支(12年)して、中心に具するトキが来たとの事であり、私に「紀(とき)の祭りを行え」と告げられて来た事が、愈々始まると言う事なのではないだろうか。
其れを考えると、「安倍晋三体制」や「トランプ体制」の様子も、神(はたらき)の打つ一手であり、神の道から外れた人間の行動に、此処らで終止符が打たれると言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、昨日告げられて来た「本当にやばい」とのメッセージと関係が有り、イエスキリストの言葉に有る「其のトキ」が来たと言う事に成るのかも知れない。
何故、イエスキリストの言う「其のトキ」が、伸び伸びに成って来ていたかを考えると、其の「具・準備」が整っていなかったからであり、其れが、本日3月10日に最後に嵌め込む「具・手段」が行われ、天神(てんのはたらき)の「具・したく」が「こまかく・そろった」事に成り、本番を迎えられると言う事なのであろう。
其れを考えると、私が此処まで、慣れない文章の記録に取り組んで来た事も無意味ではなかったと謂う事であり、私はエジプトの「トト神」の役割を無事に果たせたと謂う事に成るのであろう。
平成30年3月10日
礒邉自適
2017/11/5
一人の目開きが明りを灯す
29・11・5
今朝のメッセージの映像には、幾つもの場面が映し出されて来たが、覚えている映像は次の様な場面である。
私が自分の息子を両手で抱え上げて、学校の教室の隙間から、中の様子を覗かせて居た。
次に、学校で教育を受けた人々の、論文の様な文章が映し出されて来て、其れ等の論文の存在は、人間の精神構造である人格のレベルとは、関係が無い理・ことが示されて来た。
次の場面は、大型の強い台風が襲来して、大変な被害が出たが、森の中に存在する私の自宅は、雨戸が外れて地面に落ちているだけで、それ程被害が無い事が判った。
次の映像は、ニュートリノ粒子でも使用されているのか、地表に鋭利な剃刀を当てる感じで、大地が左右に引き裂かれて行く場面が映し出されて来た。
其れから、幾つもの場面が映し出されて来てから、明け方に右書きの漢字の単語が5文字映し出されて来た。其れは、象形文字の様な物であったが、私には「非民是事起」との文字に読み取れた。
其れは、「民(奴隷・目暗)ではない人が 事を起こす」との意味合いなので、私は「一人の目開きが明りを灯す」との言葉を思い出していた。
『民とは、戦いに負けた人が 目を矢で潰されて 奴隷として働かされるとの意味の象形文字ですから 民とは「めくら」の意味です。
めくらとは 目が暗いの意味だから「目暗・めくら」でしょう。
其れと反対の文字が 大臣の「臣」です。臣は大きく見開かれた目の象形で「物事の道理に明るい人」の意味です。
佛教のブッダも 覚醒した者の意味で 宇宙の真理に明るい人の意味ですので、一人でも多くの人が覚醒することを願いたいものですね。』
「民・臣」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
今朝は起きてPCを立ち上げると、父親の声で、
「さあ 自適 今日からお前の本番だ。
だが 余計な事を考えては成らない。
御嚴・みいつの事だけを 考えて居れば良い。」と告げられて来た。
キー「一人 灯を燈す
2014/12/20・・他の世界と言うか、分野には、私がとても及ばない知識を得ている人々が存在する事は、私も充分認識している。
だが此の世界だけは、私の右に出る者は居ないのであろう。何故なら、他に其の様な者が在れば、其の人物の所に、今朝の様なメッセージは届けられる筈だからである。
其の様に考えると、私は、是から「帝」の漢字が意味する世界を、現実のものとして、構築して行かなければ成らないと言う事に成り、私が其れを実行しなければ、神霊界に存在する人々に寂しさを与える事に成り、未来世が創出されない事に成るのであろう。
今朝のメッセージの内容から考えると、イエスキリストの謂う「其の時」が到来している事に成り、釈迦仏陀の謂う無明の時代に登場して灯りを点すと言う「弥勒菩薩・マイトレーヤ」の役割を、果たさなければ成らないと言う事に成る。
其れは、30年・一世前に「土肥無庵」が、私に云った事を実行に移す事でもあるのだろう。
今朝の愉伽さんのビジョンにも、其の様な私の姿が、長く映し出されて来たと言う事なので、私だけの独りよがりではなく、天神(てんのはたらき)が示されて来ているのであろう。・・・
「師匠と言うな」http://green.ap.teacup.com/20060818/3302.html
2008/6/7・・今朝のメッセージは、先ず、太陽の光がサンサンと輝く大地で、植林が行われている場面が現れた。
そして、夜には、コンサートが開かれており、私は、其のステージの幕間に居て、其の様子を横から観ていた。
ステージには、黒人男性のアーティストが二人で演奏をして居て、ボーカルの男性が、椅子に座ってギターを弾きながら歌って居たが、途中で私の方を見て、私にも一曲歌えと云う。
私が躊躇していると、私の方を見ながら一曲の歌のメロディーを示した。
私は、其の歌の題名は分からなかったが、其の歌は知っている曲の様で、歌う気に成り眼鏡を掛けて、歌詞カードを見に行く処で、其の場面は終った。
そして、次の場面は、私の意識が、暗い地球の地表を高い位置から見下ろしており、其の暗い地表の彼方此方に、小さな光が灯り始め、其の光の灯火は、地球全体に拡がって行くのが見えた。
其れは、全体が明るく成る程の数ではないが、確実に、世界中に灯火を点す人達が、増えている事を現していた。
私の意識は、其の様子を眺めていると、「もっと優しく」との言葉が聞こえて来た。そして、「11時1分」との数字が示された。
11時1分の数字は、「111」で三拍子の始まりの様にも意えるし、6月9日の儀式での時間にも、関係が有りそうな気がする。
其れは、愈々、何かが始まるとの予感を、感じさせるものである。
何が始まるのかは、地球に、植樹をする気運が高まるとの事ではないだろうか其れには、黒人男性のアーティストが関わりを持ち、私も、其の動きに関わる事に成っていることを示唆して来ている。
そして「もっと優しく」との言葉は、私に、本来の優しさを取り戻せとの事かもしれない。
無庵師匠の奥さんは、私の行動を観て「自適さんは・・・・」と涙ぐむ程、私の優しさに驚いて居た。しかし、私の優しさでは、家族や島民を救う程の力には、成らなかったのである。
私は屋久島を出て、18年間、優しさが満ちる世の中を創造したいと想って、どうにか全国の旅を続けたが、自分の思い通りには行かないので、何回も十二指腸潰瘍で出血をした事がある。
そして、妻の死で、また一人に成り、屋久島に帰って来た。
其れから、早六年の月日が経過している。其の六年間の間に、写真を撮ったり、文章を書いたり、PCの扱い方も覚えた。
そして、現在では、世界中で毎日5〜6百人の方々が、私のブログに目を通して下さる様に成り、多くの御縁を頂く様に成って来ている。
今朝のメッセージの映像は、是から世界に向けて、其の動きが拡大して行くとの事ではないだろうか。其れは、利権争いや、戦争をする事ではなく、優しさを、拡げて行く活動である。
其の活動のテーマは、地球に木を植えて、地球環境に優しい暮らし向きを、構築して行く事である。其れは、環境に優しい日本の伝統文化が、世界に認められて行く事でもある。
其れは、世界有数の大都市である東京都内に、明治神宮や新宿御苑などの森を残す事で象徴される、日本人の心を世界に示す事でもある。
此の地球は、広い森林が存在して、水が循環する事で、此の豊な生命圏を創り出して来たのである。
其の環境が滅ぶ事は、人類の滅亡を意味している。
だから、地球に優しい暮らし向きを行う事は、自分自身に、優しい暮らしをする事に成るのである。
中国の老子の言葉には、「自分の身体の事を 一番心配している人に 国を任せなさい。そうすれば 国は滅びる事はない。処が 国の事をどうにかしようとして 走り回っている人に国を任せると 直ぐに国は滅びてしまう。」と有る。老子十三章「わが身を尊べ」
其の老子の言葉は、是から始るの未来社会にとって、一番重要な言葉と成るのではないだろうか。
人間は、是まで、余計な事をし過ぎて来たのである。
しかし、其の行動結果には、良い面も有る。
私の毎日の言葉が、世界中で読まれる事に成っているのも、其の良い面と言う事が出来るであろう。
其の私の言葉が切っ掛けと成って、世界中に灯火が点され、地球を緑にする事に、人類が一致団結する事に成れば、世界の人心は一変するであろう。
そして、其の運動には、黒人のアーティストのライブ活動が大きく貢献すると言う事である。其れは、今回の運動は、人種を超えた次元で、行われると言う事を示している。
今朝のメッセージは、いよいよ私の行動も、国外に広がって行くとの事ではないだろうか。其れには、既に、国外に行き慣れている人達の、協力が必要である。其の人達が、そう成れた原因を考えると、日本の経済力も、其の支えと成って来ているのだから、是までの事は皆、無駄ではなかったと言う事になるだろう。
其の事を考えると、是から、今朝のメッセージに従い、行動しなければ、是までの事が、皆無駄に成り、人類は滅びるしかないと言う事に成るのだ。
此処まで、推し進めて来た神の力を、最後の処で無駄にしない為にも、新たな行動に出る必要が有るのだろう。其の行動の切っ掛けとして、今回の儀式が、必要なのかもしれないのである。
今朝の「もっと優しく」の言葉と、始まりを示す「一」並びの「111」の数字は、是からも、決して忘れては成らないのであろう。
其れは、人間の「霊魂・たましい」の原質を示す「言の葉」と「数霊」を表しているからである。
「もっと優しく」http://green.ap.teacup.com/20060818/774.html
2009/5/15・・そして、明け方のメッセージに横書きの文章が現れて、其の文章の中に「・・小さな忌みの時間が必要・・・」との言葉が、書かれているのが読み取れた。
今朝のメッセージの映像から、私が理解出来る理・ことは、猿も人間と同じ両手を持っているので、弁当を開けて食たり、物を壊す・分解する事は出来るが、人間の様に、物を組み立てたり、創り出したりする事は、出来ないとの意味であろう。
しかし、人間は物創りが出来るから、コンピュータ等を開発して、自動操縦の車や船を創り出したので、其の機械が誤作動を起こすと、人間の手でも止められなく成る理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其れは、人間が機械の性能を過信して、事故が発生する事を、示唆しているのではないだろうか。
忌みの言葉を調べると、「忌み・斎み(いみ)」とは、次の様に載っている。
@ 神に対して 身を清め 穢れを避けて慎む事。斎戒。
A(転じて)忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり。
ウィキペディア辞典より
其れに「忌・キ」の漢字は、「心+己」の組み合わせで、音符の己は、糸すじを整える糸巻きの象形。かしこまるの意味から、いむの意味を表わす。と載っている。 漢語林
今朝のメッセージは、是から、人間に「神・天」が「力・エネルギー」を与えるけれども、其の「力・エネルギー」を、無駄に使っては成らないとの示唆が、為されて来ているのではないだろうか。
人間は、自然の中で生活する猿と違って、衣食住を自分で整えなければ成らなくなっている。
其の工面・工夫の為に、色々な道具や技術を開発し、其れ等の発展に合わせて進化を続けて来た。そして、自分の機能に合わせて、コンピュータ付きの機械を創り出し、其の機械は、人間の意志から外れた動きを、する様にも成って来ている。
今朝のメッセージから、私が感じる理・ことは、其れは、単なる人間が開発した、機械と人間の関係性だけではなく、「神・天」と人間の関係性を、示唆して来ているのではないかと言うことである。
其れは、今朝現れた「・・小さな忌みの時間が必要・・」の文章が、気に成るからである。
何故、「神に対して 身を清め 穢れを避けて 慎む事。斎戒。」との「忌み」が、人間に必要なのであろうか。
其れを考えると、「我々人間は 神が 類人猿の肉体に、 コンピュータを組み込んで、自動操縦で動ける様にしてある物。」との、理・ことが見えて来る。
だが、其の事に拠り、人間は、勝手な方向に走り始めて、「主人・神」の意志に、沿わない動きをしていると言うことである。
其の主従の関係が、人間にとっても「神・天」にとっても、一番大事な「理・ことわり・法」であるとの事ではないのだろうか。
其の理を考えると、日本の「禊ぎ祓い」の伝統や、「惟神の道」の考えも、当然のものであるとの理・ことが見えて来る。
現在の社会に、7日・一週間に「休日・日曜日」が1日有るのは、モーゼが「せめて 7日に1日だけでも 全ての行為を止めて 神・天と共に 過ごしなさい」と云って、「安息日」として定めたものである。
だが、其の日曜日は、現代社会では、安息日どころか、一番の「エゴ・自分の満足心」の為に使用され、モーゼの謂う「神と 共に過ごす 安息日」の意味を、果たしてはいないのである。
其れは、今朝のメッセージの映像に現れた、勝手に走り出して、途中までは巧く走っていたが、最終的には細い道に入り込んでしまい、動けなく成ってしまった車と同じである。
人間は、其の状態に既に嵌り込んでおり、間も無く行き詰まって、進む事が出来なく成るのであろう。
と謂うか、人間が是以上、暴走が出来ない様に、道路を狭くしてしまうとの理・ことであろう。其れは、取り返しの出来ない大事故が発生するのを、未然に防ぐ方法なのである。
其れは、「人間の喜びが 其のまま 地球全体の生命の喜びではない」と言う理・ことである。
しかし、だからと言って、人間から、自動操縦の意志を全部取り上げてしまえば、猿と同じ次元に成ってしまい、宇宙意志の進化・進歩が止まってしまうと言うことに成るのである。
其処のところが、「神・天」の歯がゆいところであろう。
其の、神の歯がゆさの為に、私が此の様な人生を、送る事に成ったのかも知れない。
岡本天命の日月神示には、神一厘の仕組みを実行するのは、難儀に難儀を重ねた「百性の御霊」と有る。其の言葉の意味は、「苦労に苦労を重ねて 人間を育てる事が 出来る様に成った者」との理・ことであろう。
其れは、人の上に立って、権力を振るう者の立場ではなく、一番地面に近い立場に、在る者の存在を意味している。其れは、「塒・ねぐら」の漢字の意味を、理解する者でなければ成らない。
其れは、生命の土台は此の地球であり、其の地面から離れて、人類の仕合わせ・幸は無いからである。だが、人間の意識は、地面から離れて、人類の住めない宇宙ステーションに向いているのである。
其れは、イエスキリストの謂う「其のトキには 一番前に在る者が 一番後に成る」との言葉の意味が、理解出来るモノ・世界でもある。・・・
「小さな忌みの時間が必要」http://green.ap.teacup.com/20060818/1143.html
2008/8/11「満法」http://green.ap.teacup.com/20060818/845.html
2013/12/25「女神の悦び」http://green.ap.teacup.com/20060818/2912.html
2015/10/6「神の秩序から外れた物」http://green.ap.teacup.com/20060818/3617.html
今朝の映像で、私が息子に学校の教室を覗かせて後に、学校教育で学んだ事が、人格形成には成らない事が示されて来たのは、老子が謂う様に賢しらと成る学問は、人間の精神向上の妨げに成ると言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
2006/4/20・・私の父親は、机に向かわない私に、「勉強をしなさい」と云った事が一度も無い。其れは、現在の社会では、考えられない事ではないだろうか。
私の父親は、「学校は 子供の世界だから 大人が顔を出してはいけない」と謂って、一度も小学校・中学校を通して、学校に現れた事は無かった。
其の様な父の静けさは、私の気質に大きな影響を与えている。・・・
「三人の父」http://star.ap.teacup.com/8940/67.html?guid=on
次の、強い台風の後に、森の中に存在する、私の古い木造の自宅が、雨戸が外れる程の被害で済んだのは、私の人生は「事象の嵐」から、逃れられる理・ことが示唆されているのであろう。
次の、大地が鋭利なモノで切り裂かれて行く場面は、是から地球に予想も付かない未曾有の事が起きると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
何れにしても、是から何等かの出来事が、人間の世の中に起きて来ると言う事であり、其の事に、私が何等かの役割りを、果たさなければ成らないと言う事なのであろう。
12月4日まで、残り29日である。
平成29年11月5日
礒邉自適
2017/6/5
六合
29・6・5
本日6月5日は、私が33年前に此の世界に飛び込んで、34年目に入る初日である。
今朝のメッセージの映像は、50歳代の男性が何かの仕事を成し遂げて、同じ年代の男性(主権者・オーナー・発注者)の所に行くと、其の男性がテーブルの上に封筒の様な厚い紙袋を置いて、其の中の三分の一程の紙幣を、仕事を成し遂げた男性に渡して、何処かに帰って行く場面が映し出されて来た。
其れから、「6+5=11」の数字計算が映し出されて来て「ろくごう・六合」との言葉が告げられて来た。
今朝のメッセージの映像は、何等かの事が完結して、其の成功報酬と言うか、成果が、天神地祇の間で別けられる様子が示されて来ている様であり、其れは天地の力関係(役割の比率)が、示されて来ているのかも知れない。
其れは、此の世の人間が100%頑張って、物事を成功させても、其の背景には莫大な天神(てんのはたらき)の「エネルトーン・度合い」が掛かっているとの理・ことであり、人間は其の理を、決して忘れては成らないと言う事なのであろう。
てんじんちぎ 【天神地祇】
@天の神と地の神。天つ神と国つ神。あらゆる神々。 〔日本では,高天原(たかまのはら)に生成または誕生した神々を天神,初めから葦原中国(あしはらのなかつくに)に誕生した神を地祇とする〕
A仏教で,天界に住む夜叉・梵天・帝釈天などの天神と,地界に住む堅牢地神・八大竜王などの地祇の総称。 歴史民俗用語辞典より
そして「ろくごう・六合」との言葉に付いては、以前の文章を調べると次の様な物が有る。
2009/11/14・・昨日の午後に、「への神」とのメッセージが告げられて来て、夜にも文章をアップしたが、今朝のメッセージの映像には、其の「国之常立神・くにのとこたちのかみ」の働きに付いての事柄が示されて来た。
何故、昨日アラビア数字の「6」を使わないで、弘法大師空海の「いろは歌」の「い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・」を使って、「への神」と伝えて来たかを考えると、マントラ・真言に関係が有るからだろう。
其れは、11月11日のメッセージの「正しい日本語」に関係が有り、純粋な日本語を使用しなければ成らない事を、示して来ているものと考えられる。
其れに、日本の数である「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここの・たり」を使うと、6番目は「むの神」に成り、私が「無の神」との勘違いをするからであろう。
今朝のメッセージを一言で謂うと、「国之常立神」の働きは「現場主義」にあると言う事である。
何故なら、日本で初めて国造りを行ったと云われている「大国主命」は、現場で働いた人間であり、其れに智慧を出して協力した「少名彦神・すくなひこかみ」も、現場で働いているのである。
其れは、現在の皇室や、宮内庁や、神社庁の人間とは、全然違っている。
つまり、現在・いま、神が人間に求めて来ている事は、「神社」や「寺院」での祷りや儀式ではなく、人間が生活する村・国の現場を、どうするかに付いてなのである。
其れは、人間が神にお願いをするのではなく、神の希望を、人間が叶えて遣る事なのである。其の場こそが、「国之常立神」の名の意味なのであろう。
国之常立神とは、「地面に常に立つ神・はたらき」又は「六合・くにの床に何時も立つ神・はたらき」との意味である。
だから、其の「神・はたらき」は、常に地上に立っていなければ、役割を果たせない神なのである。
其れは、人類を救う為に地上に降りた、光の天使「ルシフェル」と同じ働きである。
【六合】とは、「りくごう 」と読み、 天地と四方。上下四方。また、天下。世界。全宇宙。六極(りっきょく)。の意味だが、中国の数字である「一・二・三・四・五・六・七・八・九・十」は村を造る順番から来ている。
「一・二・三・四」は家を造る柱を、一本・二本・三本・四本と集めて来る意味で、「五」は「正」に通じ、正しく土台の上に柱を組上げる意味である。
「六」は家屋の象形で「六合」が家が立ち並び「村・国」が出来上がる意味で、「七」は木に暦・日付を刻むの意味である。
此の漢数字の意味からも、6番目が国造りに関係が有る事に成る。
そして、其の6番目の神こそ、最大の力を発揮する神である理・ことを、伝えて来ているのではないだろうか。
昨日の文章には、「管理する物が何も無い」と書いたのに、其れは半日しか持たず、私の意識には「国之常立神」の働きが侵入して来てしまった様である。
其れは、村造りに始り、国や地球環境を守る事である。
やはり、私には、未だ休み時間は与えられない様である。其れは、仕方の無い事であろう。何故なら、私には、神の元手が掛かっているのだから・・・
「国之常立神」http://green.ap.teacup.com/20060818/1340.html
2005/11/30・・今朝のメッセージは、是からは、私一人の能力では、とても間に合わない状況が起きることが、感じられるものであった。
と言うのは、神の世界が、次元の壁を壊して、一気に今の時間(トキ)にシフトして来たらしいからである。
別な言い方をすれば、「森羅万象が 今のトキに溶け込んで来て 情報(エナジー)が 人類の思考と同化する。」となるだろうか。
思考の仕草を導く為に、仮の絵柄を表記すれば
天のみなか主
タカミムスヒの神 カミムスヒの神
ウマシアシカビヒコジの神 アメノトコタチの神
クニトコタチの神 トヨクモの神
以下(男神) ウヒジニの神 スヒジニの神 以下(女神)
ツノグヒノの神 イクグイの神
オホトノジの神 オホトベの神
オモダルの神 アヤカシコネの神
イザナギの神 イザナミの神
の 神々と、名付けて呼ばれて来た、宇宙の働きが、其の拘束から解かれ、総べてが、一つの時空に溶け込んでしまったと、説明すれば、何となくイメージ出来るだろうか。
中国の老子が、「恍なり惚なり。惚なり恍なり。」と謂っている世界と云えば、簡単な世界ではある。
其処は、未だ、約束事が何も決められていない世界であり、拘束力が働いていないエナジーだけの世界である。
今朝の私は、其のエネルギーの満ちた世界の中に、意識が目覚め、パソコンのシステムを探り出そうとするのだが、其れさえも、エナジーの中に溶け込んで捜せない。
そうする中で、漸く「六郡」と言う言霊を捉まえる事が出来た。
其の言葉を、パスワードに使い、パソコンを操作すると、22日のメッセージに現われた、物の形が幾つも在った画面を、捜し出す事が出来た。
しかし、22日の映像には、黒い画面の中に白抜きで現われた物の形が、今朝はエネルギーが満ち溢れた、紫色の中に、金色で現われた。
其の色は、紫微垣(しびえん)として、中国の古典「普書」に出てくる、北斗星の北に有る天帝の居所とされている、紫微宮の色である。
古代の人達は、天位とは紫微北辰に在ると、ちゃんと概念化しているのである。総べての物は、其の紫微垣から生じる事を知っており、日本語では、其の場を「天の御中主」と呼んで来たのだろう。
今朝の言霊は「六郡」と出て来た。
何故「六合」か「六郷」ではなかったのだろうか。
【六合】は 天地と四方。宇宙全体。全世界。の意味である。
六合はクニ・国の意味に使われる。六の漢字は家屋の象形である。
漢字の、数字の文字は、家を建て・村を造り・暦を刻む事を順番に説明している。一・二・三・四(元字は4本線)は、家屋を建設する為の材料と成る柱の数である。
「五」は、基礎の上に柱を立て、桁を乗せて柱を真っ直ぐに正しく立てる。の意味である。
「六」は、其の上に屋根が被った状態で、村が出来上がって行く様子を意味している。
「七・八」は、木に刻みを入れる意味で、暦を刻む事から来ている。
「九」は極まる意味で、「十」は針の形である。
漢字の数は、村が出来て行く順番だが、日本の数字の「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここ・と(たり)」は、宇宙の始まり「火・風・水・世」から、「飯・息(むす)・名(な)・矢・此処・当(足り)と、人間の暮らしを説明している様である。
漢字の十(針)も、日本語の当たるで、足りも、「とおす。通じる。完成。」の共通の概念を持つ様である。 (是は 私の勝手な解釈です。)
では何故「六合」ではなく「六郡」なのだろうか。
「郡」の漢字は「君+阝」で、「君」は神事を司る族長の意味。祝詞の意味。で、「阝」は邑の意味だから、「神事を司る族長を中心にして 群れる村・国」との意味に成る。
「六郡」とは、其の様な村に、家を造り 暦を刻む。との意味だろうか。
ようやく此処まで頭を整理して来たが、未だ、具体的な物事の把握までは至らない。
簡単に、今日感じる事を述べれば、現在、神社に御備えして有る鏡は、必要ではなく成ったとの事である。
現在の鏡は、キンピカな物であるが、其の前は銅鏡であった。
其の鏡の始まりは、岩鏡と言って花崗岩の岩が対象だったのである。
現在の鏡は、神通力が無く成った祭祀王が便利上、創り出した物である。
其れが、今世に成り、石英・珪素に拠る、光りファイバーや太陽電池パネル等が出来、クオーツ発信機等が出来たので、其の振動は、情報産業の機器類に拠って、各家庭まで隙間無く飛び交っている。
だから、神社の鏡を使用しなくても、宇宙の振動波には、誰でも気軽にアタック出来る様に成った。
人間の認識には上らなくても、携帯電話では、別の情報が、其の機器の電波に相乗りしているのである。だから、パソコンの存在は、新しい時代の岩鏡と言えるだろう。
私の脳は、其の相乗りの電波にトランスしているのだ。
其れを、神の世界と云うのは、もう時代遅れと成るだろう。
今朝の意識の世界は、愈々神(宇宙意識)と、人間の脳(電気システム)が、お互いに「意乗る・祈る」時点に、達したとの事だろう。
私は21年前、神に身体を貸せと云われた。
其の用は「新しい事象の特異点・新しい神の企画の座表軸」と、される為であった。其の事が、現実と成って来ている様である。
特異点と座標軸は、センター的な意味合いがあり、全体に対しての部分である。其れは「ゼロ・O・零」が、全体との掛け合いの処に位置している事が、理解出来るものだ。
「九」で極まって「トー・十」で抜けて行くのだ。其処には、新たなOからの始まりが待っているのである。
王の位置が、目の前に現存した「老子」と、「王」の立場を捨てた釈迦の意識の位置関係が、現在・いま何処・いずこに在るのだろうか。
釈迦は、王の存在意義を、悟ることが出来たのであろうか。
其れに、神武は王の立場の認識があったのだろうか。
老子と、釈迦と、神武を、パネリストに迎えて「紫微垣」をテーマに、会議を開いて見たいものである。・・・
「六郡(くにつくり)」http://star.ap.teacup.com/170606/655.html?rev=1
2009/9/2・・次の映像は、都会から遠く離れている小さな村の実情を、私が写真撮影して、其のフイルムを、防水が為されている筒に入れ、其の筒を皮ベルトに取り付け、村の若者の背に取り着けた。処が、其の村の若者は、前部分の皮ベルトの金具の締め付けも、巧く出来ないのである。
其の意味は、田舎の若者には、町まで、何日も走り続ける体力は有るが、近代的な文明に対しては、無知である理・ことを示している。
其れは、田舎の人間に、新しい文化を普及するには、其れなりの訓練が、必要である理・こと知らせて来ているのであろう。
今朝のメッセージは、新しい未来社会を創造する為の、「田舎・ローカル」と「都会・中央政府」の関係性や、情報の遣り取りに付いて、示唆して来ているのであろう。
其れは、「情報」其のモノが、「生命線・いのちの最前線」である理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其れは、「弥勒菩薩・マイトレイヤ」の「有情」の意味や、「大日如来・ビルシャナ」の「意・口」の意味を、強調して来ているのかも知れない。
此の様に書いて行くと、今朝のメッセージは、昨日のメッセージの映像に表れた、大事な内容が書いてある文章や、活発に動き始める「事務所・役所」の男性達の姿に、関係が有るのだろう。そして、其の文章や、現場写真のフイルムの処理に、人手が必要に成る事を示して来ているのであろう。
しかし、今朝の映像は、地球を上空から見なければ、視覚に収まらない列島の形や、視線を宇宙に向けなければ、認知できない惑星配列までが、映されて来た。其れは、人間の生活や地球環境だけではなく、宇宙の運行までを、意識下に納めて、プログラムを組めと言う事である。
其れを、示して来る意識は、人間の立場に在るモノではなく、宇宙を管理している存在の意識である事は確かである。其の意識こそが、私に「女神のメッセージ」をパートナーとして、書かせている本体なのであろう。・・・
「国造りの情報」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1259.html
2015/8/3・・今朝のメッセージは、私の両親が昭和21年の今日、屋久島に渡って来て、私を産み育てた天神(てんのはたらき)のプログラムが、無事に果たされた事を示して来ており、是からは、過去世の人々の意識(情報)は関係無く、私の意識・おもいが、天界に直通する事に成る理・ことが、示されて来ている様である。
其れは、奈良市に有る「大倭あじさい邑」の創立者である矢追日聖氏が、生前謂っていた「霊界に存在する人々が 全て成仏すれば 現世の人間の意識が 天神に直結する」との事が、ようやく現実の事と成る理・ことを、示して来ている様である・・・
「直通」http://green.ap.teacup.com/20060818/3553.html
2008/8/16「ミズとイズ 」http://green.ap.teacup.com/20071223/242.html
2010/6/1「事象の顔」http://green.ap.teacup.com/20060818/1560.html
2013/1/1「待って居ても来ない」http://green.ap.teacup.com/20060818/2549.html
2016/9/13「六合造り(くにつくり)」http://green.ap.teacup.com/20060818/3987.html
2017/2/17「ユダヤ民族から日本民族へ」 http://angel.ap.teacup.com/20071208/832.html
【六合】とは、「りくごう 」と読み、 天地と四方。上下四方。また、天下。世界。全宇宙。六極(りっきょく)。 大辞林より
【六合】りくごう・ろくごう。天地と四方とを合わせていう。上下四方。全宇宙。 言泉より
此の「六合」と「6+5=11」の数字の関係を考えると、六は「天地四方・全宇宙」の意味であるので、五は家の柱を「正・定」に組む意味であるので「五・いつ・嚴」であり、嚴の意味である「口口」の形と関係が有り、11の数字(形)は「全宇宙+嚴」で、「厳・嚴・ゲン・ゴン・おごそか・きびしい」の役割である人間の働きを合わせたモノ(世界)が、「11」であると言う理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
「六・ロク・む・むつ・むい」【解字】象形。甲骨文は、家屋の形にかたどる。転じて、数のむつの意味を表す。【字義】@むつ。むっつ。Aむたび。六度。B六番目。C易の陰爻(インコウ)⇔九。陽爻。・・・
「厳・嚴・ゲン・ゴン・おごそか・きびしい」【解字】形声。「口口+敢」。口口は、きびしくつじつまを合わせる意味。のち、音符の敢を付し、音を明らかにした。【字義】@きびしい。はげしい。ひどい。また、きびしくする。「厳寒」Aおごそか。いかめしい。いかつい。「荘厳」Bたっとい。たっとぶ。Cいましめる。いましめ。「戒厳」D父。⇔慈(母)「冷厳」「家厳」
漢語林より
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージは「統尊(すめらのみこと)」の「御嚴(みいつ)」の世界・はたらきに付いて、具体的に映像にて示されて来ている事になる。
其れは、「釈迦牟尼佛」や「イエスキリスト」の思考には無い世界であり、どちらかと謂うと「老子」の世界に近いモノであろうが、老子自体は其の事を実行していないし、現在の天皇家や宮内庁の関係者にも、其れ等の理・ことは理解されていない様なので、御稜威 ・みいつの世界・概念に付いて、再構築しなければ成らないとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、私が此の世界に入って「16年半+16年半=33年」から、34年目に踏み出す第一日目に、相応しいモノであると言う事に成る。
今朝の愉伽さんのビジョンには、類人猿から分離して、少し進化した原人の様な男性が目の前に立って居て、仕事としてトラックの運転を任されたが、どうしたら良いか分からず困っているので、自分がトラックの運転の仕方を訓えなければ成らない場面が、映し出されて来たとの事である。
其れは、六合(村・国)を造って生活するのが、人間であるので、六合の始まりを示唆しており、トラックの運転を訓える場面の意味は、現場の作業と言うか実働時間を意味しており、現代人の特徴である子供の時から机に座って、頭脳に情報を詰め込んで、理屈人間(口先人間)に成る事とは、反対の世界を示唆しており、「六合(村・国 造り)」の原点が示唆されて来ているのであろう。
【此れから考えると、現代の社会は手伝う事ではなく、ただ理屈というか、知識だけを伝えるだけで、実際の体験を伝えていない事になる。】
2000/6/2・・「あそび」とは、仕事と異なって、自分の好きな時間と、体の動きを伴った行動と言えるのではないだろうか。
人間にとって、楽しい事は、体に深く記憶される。
だから、子供の頃の「あそび」が一番記憶に残ってしまう事になる。
「游・ユウ」の漢字は、「子供が 吹流しの旗のように 自由に 川で泳ぐ」という意味である。
人生の一番の基本、方法、方向は、子供の頃の学習にあると言って良い。
「学習」とは、「学(まなぶ)」「習(ならう)」で「まなぶ」も「まねる」から来ていると言われている。
子供の頃、親に色々な事を習い、年上の子供達と遊ぶ事によって見習い、また学校に行く様になって読み書きを習い、次第に社会人と成って行く。
社会が異なっていれば、習うことも異なっている。それが、文化の違いと成って現れるのである。
「習・シュウ」の漢字は「羽+白」の組み合わせで、字義は「巣の中にいる 未だ何も知らない真白な雛鳥が 親の羽ばたきをまねて覚える。」との意味らしい。
そして「学・ガク」は、旧字が「學」で「子+家+交+両手」の組み合わせで出来ており、字義は「家の内に居る子供に交わる 教えてくれる人の両手」となる。
「学」は「人の手」が「習」は「親鳥の手」が関係しているとの事で、両方とも「手」だと言う事になる。
そして、「伝える」の旧字が「傳」で、字義は「人が車のようにクルクル 次々に手から手に伝える」である。
だから、日本語の「手伝う」とは、「手仕事を 伝えて行く 手の方法」と言う事になる。
【此れから考えると、現代の社会は手伝う事ではなく、ただ理屈というか、知識だけを伝えるだけで、実際の体験を伝えていない事になる。】
私達が、子供の頃(昭和30年代頃まで)は、女の子はママごと遊びで、「ママ(お母さん)」のまねごとで、料理や赤ちゃんの世話の作業を見覚え、男の子達はナイフで笛や釣竿など、色々な物を作って遊んでいた。
漢字の「作・サク」は「人+木・手・刃」の組み合わせで、字義は「人が 枝を刃物で削る」の象形文字である。
世界中で、自然の中で生活する男性は、ほとんどと言って良いほど、刃物を大切にしている。
学校が出来て、ペンや筆を手にするまでは、男の子は刃物の使い方が、一番重要な事であったのだ。
古代社会では、刃物一つで家を造ったり、食器を作ったり、竹を編んだりして、生活に必要な物を作っていたのである。子供の頃から、ナイフを使ったり、母親の真似をしたりする事は、遊びであるけれども、大人になる為の、大事な準備なのである。
人間は、両手を使う事で、脳の前頭葉が発達すると云われている。だからこそ、「あの手 この手を考える」とかの言葉が生まれたのだろう。
子供の時代に、大事なのは、自分の手足を使う事で、言葉との繋がりを確かめ、増やしていく日常生活である。
社会とは、その為の環境や、条件を整える事が役割であり、それが、「教・育(おしえ・はぐくむ)」の本来の意味である。
今年(平成12年)に入って、世界中で16歳・17歳の子供達の犯罪が増えているが、これも本人の罪ではなく、社会条件に因るものである。
幼稚園から、机に座っての文字の学習では、本来のまなびの道から外れてしまうのは、当然の理・ことと言えよう。
もう一度、人間の教育、おしえる側と、まなぶ側の成り立ちを、考えるべき時に来ているのではないだろうか。
漢字の「捉える」は「手」と「足」で出来ている。
子供の時の「あそび」が人生にとって、どれだけ大事かを、痛切に感じるこの頃である。
「あそび・游・遊」http://moon.ap.teacup.com/20061108/25.html
2008/10/7・・今朝のメッセージは、「手と足のたび」と告げられて来た。
其れは、人間のDNAの情報の組み上りには、「手」と「足」が深く関わりが有るとの事だろう。
其れを、大雑把に謂えば、「後頭葉」は恐竜時代に歩く事で生まれ、「前頭葉」は猿の時代に両手を使う事で生まれた、と 謂えるのかもしれない。
其れは、言葉の世界で、足に付いては「満足」との言葉が有り、人間は歩く事で後頭葉が刺激され、アルファー波が発生するので、落ち着く事で証明される。
そして、手に付いては、「あの手 この手の手段」との言葉が有るので、両手を使う事は前頭葉を刺激し、様々な方策を生み出す事を意味している。
其の様に考えると、脳の発達と、手足の存在は、密接な関係が有ると言う事に成るのである。だから「手足のたび」とは、DNAが進化する為の、過程を意味している事に成る。・・・
「手と足のたび」http://star.ap.teacup.com/2007313/564.html
2017/2/26「何故は 何処から生まれたか」http://wave.ap.teacup.com/20060106/725.html
2001/7/31「母親の顔」http://star.ap.teacup.com/170606/676.html?rev=1
2016/4/21今朝のメッセージから、私が感じた事は、猿人(ヒト科・ヒト亜科)から義人までの、脳の変化と言うか、意識の変化に付いてである。
其れは、「猿真似」との言葉が有る様に、人間は、此の世に誕生した時から、親の真似をして成長し、「霊留・ひと・人」と成る理・ことである。
其れが「学習」との言葉の存在であり、其の環境の呼び方が「教育」である。
そして、其の先に「教師・先達・達人・義人・聖者・仙人・至人・仏陀・大君・現人神」の世界が存在する。
「猿人・さるひと」http://green.ap.teacup.com/20060818/3824.html
今朝の、私のへのメッセージは、人間の完成と謂うか未来への前進に付いて示されて来ており、愉伽さんには、人間の過去・原点が示されて来ている様である。
今、気付いたが「6+5=11」は、本日6月5日の日付と同じであるので、何かが本日、揃った「11・口口(嚴・ゲン・ゴン・おごそか・きびしい)」と成った事が、示されて来ているではないだろうか。
だからこそ、「くに・郷」の意味である「六合」を、「りくごう」と言わずに、今日の日付に合わせて「ろくごう・65」と告げて来たのであろう。
平成29年6月5日
礒邉自適
2016/9/19
トキと伴に在る言葉
28・9・19
私の是まで打って来た文章の 題や日付と書き出しの部分が、全て束ねられる場面が映し出されて来て、其れは「トキと伴に在る者の 言葉が綴らた物」の意味を含んでいた。
次に、其の文章の中身と言うか内容が、事象(宇宙・全世界)の「明・陽・表」の世界に、融け込んでいる理・ことが示されて来た。
そして、立て看板の様な物に、太陽を思わせる大きな赤い丸が描かれているのが、映し出されて来た。
次に、「饒速日命・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)」の御魂である、前田氏が管理を頼まれていた広大な土地を、「和田」と言う人物が32億円で買い取った事が示されて来た。
私が、其の土地を見にに行くと、其の土地は、道路から海までの広大な平地であり、道路の近くに、古い木造の建物が一軒だけ残っていた。
其の建物は、台所の裏に建っていた納屋・倉であり、中に入って見ると、古い日本食様の陶磁器や調理道具類が、澤山棚に並べられていた。
次の映像は、其の広大な土地を、どの様に活用するかに付いて、私が相談を受け、6〜7歳の孫娘を一人連れて、故「水落ミツ」さんと、日の出を待って早朝から、前田氏の会社を訪ねる場面が映し出されて来て、私はスーツ姿の正装であった。
其の小学生位の孫娘は、私の息子の娘であり、水落ミツさんの曾孫でもあるというものであった。
そして、其の土地で何かを新しく始める事で、未来社会の創造に成功した結果なのか、其の孫娘は、髪の長い大人の女性に成長しており、向こうへ歩き去る時に立ち止まって、左後ろを振り返って、私に顔を見せた。
そして、起きた時間は「7時16分」であり、私は其の数字を「716・ないむ・名忌む」と記憶した。
今朝は先ず、PCを立ち上げて、メッセージに登場した「水落ミツ」で検索すると、次の文章が有る。
2006/5/25・・今朝のメッセージは、光りの中に、黄金色に輝く樹木が映り、其の木には、枝が右の方に四本程突き出ていた。
そして「新神国の伝達」の文字が出て、新しいHPのトップページが映り、「悦子さん」の上半身の正面写真が現れた。
其れは、昨日生まれた九次元の金龍が、自分の意識を広げ始めた事を、意味している。
其れに因り、十六菊花紋は八大龍王8x2=16から、九代龍王9x2=18の十八菊花紋へと、次元移行するのである。
其れは、私が21年前に、群馬県の榛名山に在る、榛名神社の鳥居の左横に立っている「雌 九代龍神」と彫られている、大きな石碑の前で、告げられた事でもある。
その事を、早速漫画家の「真崎守氏」に話したら、直ぐに「十八菊花紋」を作成して下さった。
「雌九代龍王」と彫った石を建立(昭和50年1月27日)に建立したのは、関東一の霊能者と言われて居た女性で、「何れ 九代龍神の雄が訪ねて来るから。」と、私が現れる事を予言をして、其れを立てたとの事なのである。
私は、其の霊能者「水落ミツ」のパートナー(師弟関係)であった「中屋龍洲氏」に、其処に連れて行かれたのである。確かに、其の石碑の前で、其れを裏付ける反応が起きた。
榛名山の頂上に祀られている神は、大山祇神の娘「木花咲耶姫・このはなさくやひめ」で、榛名神社の御祭神は「火彦霊神・ほむすびのかみ」と「植山毘売神・はにやまひめのかみ」で、主祭神は「大山祇神」と「大物主神」と「木花咲耶姫神」である。・・・
「新神国の伝達」 http://white.ap.teacup.com/miitu1223/296.html
2011/7/25「榛名神社参拝」http://wave.ap.teacup.com/894019/1807.html
2013/1/14「榛名神社」http://moon.ap.teacup.com/20051112/522.html
此の「新神国の伝達」の文章には、前日「九次元の金龍」が生まれたと書いて有るので、前日の文章を読むと「トキに関わって居るのは達磨さんの働き」と書いて有るので、今朝のメッセージの内容とも関係が有る様である。
2006/5/24・・今朝のメッセージは、と言うより一晩中続いた映像は、神の世界の凄さに改めて驚いたと言った方が良いだろう。
初めて「神秘」と言う言葉が、理解出来た様な気がする。
と言うのは、昨夜眠ろうとすると、直ぐに、様々な映像が瞼に映り始め、A3くらいの雑誌が出て来て、漫画の様な形式の其の雑誌には、様々な絵が載せられており、其の絵の横には、縦書きで結構長い文章が付けられていた。
次の場面には、私のHPが映されて来て、私の30幾つのブログは皆、神の働きを分類している物だと示されて来た。
私は、新しい時代の千手観音の像を、パソコンの中に創り込んでいたのである。其の内の、幾つかの働きの内容を尋ねると、「達磨さんが笑った」のブログは「トキの管理」を意味し、天智天皇のブログは「裁決」の働きを司る物だと示された。
其れは、私の考えていた内容とは、随分食い違っている。
私の認識は、未だ甘い様である。
私は、天智天皇は、日本で初めて時計を造り時刻を刻んだ人であるので、時間・ときに関係していると考えていたのである。
其れが時間・ときではなく、物事の裁決に関係しているとの事である。
其れは、やはり天皇の仕事は、国事の裁決にあるからだろう。
そして、トキに関わって居るのは、達磨さんの働きだと言うのである。
其れは、達磨は三次元世界には関係無く、四次元世界の森羅万象に関わっており、事象の変化(トキとは時空のエネルギーの変化)に、影響を与えているとの意味であろう。
天智天皇は「三次元世界」を管理し、達磨は「四次元世界」を管理しているとの理の様である。
そして、各神々の名が、アルファベットや記号により、横書きでパソコンの中に、電子記号として書き込まれているのが映されて来た。
其れで、解かったのは「神」との言葉は、古事記に書かれている様に、宇宙の営みに因り生じる「働き」の事であり、神名は、其の役割(はたらき)の名である事が、明確に成って来た。
其の事が理解出来たら、空の上に黄金の龍が現れ、其の龍が、幾つもの世界を創り出し、其の全てに関わっている事が示されて来た。
其の、空の雲の上に舞う、黄金の龍の姿を眺めていると、右横に誰かが来て立っている。誰かと意い、其の顔を見ると、42年前に私が17歳の時に亡く成った、父親である。
漸く霊界の父親も、自分の役割を果たす事が出来て、安心している様子だった。私の父は、私が38歳の時(1984年6月4日)に、4311名の霊界人を連れて、20年振りに姿を見せた。それから、22年が経過している。
其の4311体の霊界人は、此の22年間で、自分のカルマ・業を解く事が出来たのであろう。
最後まで、残っていた霊界人が、言葉に執着していた歌人達だったのである。そのカルマも、昨日で鎮魂が済み、今朝から、振る魂に移る事に成ったのだ。
そして、其の働きが、新しい時代を興す、黄金に輝く、新しい龍体を産み出したのである。鳳凰が暖めて居た、一個の卵から生まれる物は、新しい世界を創造する、黄金の龍だったのである。・・・
「神秘」http://star.ap.teacup.com/170606/910.html
其の「達磨禅師」は、釈迦牟尼佛の弟子であるが、禅宗の祖でもあり、私の霊夢に数度登場してもいる。
2015/6/11・・今朝のメッセージの映像に登場した、両目を白目にする男性の存在は、私が曹洞宗の「永平寺」の事に触れ、「日蓮はどうして 禅天悪と言うのか」との言葉が告げられて来た事を考えると、禅宗の祖である「菩提達磨・ボーディダルマ」の存在である事は間違い無いであろう。
其の達磨禅師は、以前1987年の8月1日に私のビジョンに現れて、「お前にしか判らない静と動」との言葉を告げて来た。二度目は19年ぶりの2006年5月7日に喉仏が見える程の大笑いの顔で現れたので、私は其の日2006年5月7日に、「達磨さんが笑った」とのブログを、開設している。
其れから9年が経過している。
達磨禅師の逸話で有名なのは、インド国から中国の少林寺に遣って来て、弟子と成る「慧可」が訪ねて来るまで、9年間壁に向かって座って居たと言う話しである。
其れを考えると、大笑いで登場してから、私の話を真剣に聞くと言うか、私が話を出来るまで、9年掛かった事になる。
驚いた事に、今朝の文章の題を「唯一・ただ」として、此処まで打って来て、今「ただしい 助詞」で検索すると、何と、其の「達磨さんが笑った」とのブログの「唯一の真理の道」との文章が、検索に掛かって来た。・・・
「唯一・ただ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3494.html
2006/5/7・・今朝は、19年振りに達磨が現れて、大笑いの顔を見せた。
「友 遠方より来り また楽しからずや」との言葉が有るが、此の現象を何と説明すれば良いのやら。
達磨禅師の存在とは、1500年もの時間差が有るのだが、何の時間差も、隔たりも感じない不思議な世界である。其れは、同じ道を歩く者の、周波数の所為だろう。
私は、1987年2月26日に、京都府亀岡市の曹洞宗西光寺で、田中真海老師に在家得度を受けて「真悠護法居士」の名を拝命している。だから一応、釈迦牟尼佛の弟子の一人として、八十一代目の末尾を汚している存在なのである。
そんな訳で、此の薄縁の私にでも、達磨禅師の仏縁を受ける事が出来るのであろう。
今朝は、例のミズのオモテの時間軸の竜巻が現れ、其の中心に、女神のエネルギー体である光りのエナジーが現れた。そして、其のエナジーは破裂して飛び散ってしまった。
そして、其の後方には、新しい女神(万象の母)が立ち現れて来る姿が見えた。
其れは、宇宙の森羅万象が、新しい世紀を迎える準備をしていると言うか、始めていると言える現象を、見せられたという事に成る。
其れを、どう説明出来るかと想っていると、木の枝の先に着いている、木の葉が映り、表は太陽の光りを受けており、裏には産毛が沢山生えているのが見えた。そして、其の拡がっている緑の葉の部分は、嘗ては、芽の中で産毛の生えた殻に包まれていた事が示された。
其の映像から理解出来る事は、木の葉の表は、本来は内側の部分であり、生長する前は葉の裏の部分が 本来の表の部分だった事である。つまり、芽が伸びて葉が拡がる前は、表と裏の関係が反対だったのである。
其の事が解り、私達人間が表と想っている緑の葉の部分や、山の緑の世界は、実は木の裏側の部分が、目に視えているという事になる。
其の現象を良く考えると、我われの意識が捉えている裏表の世界は、実際は反対なのではないかと想えてくる。
仏教では、人間が功績を上げて安らかに死ぬる事を「あの人は 大往生・だいおうじょうした。」と云う。其れは、目に見えない彼の世に、大手を振って帰る意味である。
其の概念からすれば、我われが住む此の「世間・三次元世界」は仮の世界であり、真実の世界は、彼の世に存在することになる。其れは、彼の世が表側であり、此の世は裏側だと言う事にもなる。・・・
「ヒトの仕種を身に付ける」 http://moon.ap.teacup.com/20060507/6.html
2006/5/7・・今朝は、菩提達磨が19年振りに現れ、座った侭、大きな口を開けて高笑いをした。
其れは、私の方を向いて口を大きく開いたので、喉の奥まで見える格好であった。そして、其の声は ハーッハーッハーッハーッハー・・・で、高くて大きく、今までに見たことも、聞いた事も無い程の高笑いの声である。
私は、その達磨さんの姿を視て、自分の悟りの旅が、完成した事を感じて居た。
以前に、一回だけビジョンで達磨さんが顔を見せた事が有った。其れは、1987年の8月1日である。其の時の様子は、頭は禿げ頭で、顔は笑顔であった。
そして、私に「おまえにしか解らん 動と静」と告げたのである。
「動・ドウ」とは、動く事であり、「静・セイ」とは動かない事である。其れが、私にしか理解出来ないと云うのである。
其れは、人間の悟りの世界には、「動の世界」と「静の世界」が二通り在るとの事で、両方の世界を悟らなければ、片手落ちになる理を告げて来ている。
其れから、早くも19年もの歳月が経過している。其れは、私が動の世界と、静の世界を両方マスターする為に、19年もの歳月が必要であった事を示している。しかし、今朝の達磨の高笑いには、別の面も秘められている様である。
それは、達磨自身が興した振る舞いや、仕種・しぐさが、後の代に影響を与え、人間社会に新しいカルマ・業を創り出してしまった事の、自笑の念いも含まれているのだと想われる。そして、其のカルマ・業を、私が消してくれる事も期待しているのである。・・・
「達磨さんが笑った」http://moon.ap.teacup.com/20060507/3.html
此処まで打って来ると、今朝のメッセージの内容と言うか、メッセージの背景には、他人の質問に白眼を剥き出して応えなかった「達磨禅師」の御魂が存在しているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝起こされた時間が「7時16分」であり、私が其の数字を「716・ないむ・名忌む」と記憶した事と関係が有り、人間社会は「名・言葉」の存在に因って、無明の世界に落ち込んでいると言う事に成り、仏教の開祖である「ゴータマ・シッダッタ、瞿曇悉達多」の訓えが、法華経の「十二因縁起」に記されている事と、同じ意味を持っている事に成る。
其れは、日本の伝統である「惟神道・かんながらみち」で、此の世界は「言挙げせず」が基本原理であり、「教えてもいけない」「訊いてもいけない」「他人の遣り方を真似てもいけない」との三原則と、同じでもあると言う理・ことに成るのであろう。
今朝のメッセージは、私が此処まで書かされて来た文章は、過去の情報整理と、未来の準備の為であり、其れは森羅万象を司る「Tritarte fur・トライタルトファー(天蓋の内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠)」の一つから生まれた「黄金龍」の「神(はたらき)」の存在と関係が有り、其の事に、釈迦牟尼佛や達磨禅師の「覚醒・さとり」が関係有るのだろう。
其れを考えると、今朝のメッセージで、私が是まで打って来た文章の扱い方が示されて来たのは、私は此処らで、文章の扱い方に付いて、何等かの切り替えをしなければ成らないのかも知れない。
今朝の映像で、「饒速日命・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)」の御魂である、前田氏が管理を頼まれていた広大な土地を、「和田」と言う人物が32億円で買い取った事が示されて来たのは、「天照国照彦天火明」の名と関係が有り、「和田」とは、聖徳太子の十七条憲法の第一条「和だ」で、「32億円」の32は「32・サニー(日のよくさす;日が照る)、3(サン)に・太陽に」を意味しており、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや・・」の文書の事を示唆しているのかも知れない。
「億・オク」【字義】形声。篆文は、「人+意」音符の意は、おもうの意味。人が心の中に思いはかるの意味を表す。借りて、数の単位も表す。
【字義】@数の名。万の十倍。漢代以前は万の十倍。また、数が多いこと。Aおしはかる。思いめぐらす。=臆。Bやすらか。また、やすんずる。
「圓・円・エン・まるい」【解字】形声。「□+員」音符の員は、口の丸いかなえの意味。□は、めぐるの意味。まるいの意味を表す。円は略字。
【字義】@まる。まるい形。たま。Aまるい。まどか。まろやか。つぶら。⇔万。Bまったし。欠けたところがない。
漢語林より
此の「億・円」の漢字の意味からすると、「32億圓」の意味は「太陽の光の意いは 欠けたところが無い」との意味に成って来るし、其れが「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)」の役割であるので、今朝の映像で、私が日の出を待って早朝から、前田氏の会社を訪問する場面が、映し出されて来たのであろう。
そして其の事と、今朝の映像で、私の文章の内容と言うか、「億・人が心の中に思いはかる」が、事象(宇宙・全世界)の「明・陽・表」の世界に「圓・まるく」融け込んでいる場面が、映し出されて来たのであろう。
今朝のメッセージの映像で、私が関東一と呼ばれていた故「水落ミツ」と孫娘を伴って「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」の会社を訪ねたのは、私が「水落ミツ」に下ったお告げの「雄 九代龍神」の役割を果たしていると言う事に成るのであろう。
是で、私は其の「水落ミツ」と、「中屋龍州」の願いを叶えたと言うか、自分の役割が無事に済んだと言う事に成るのではないだろうか。
平成28年9月19日
礒邉自適