久々にネタがないので縄文。しかしブランク開きすぎて前になんの話したのか憶えてないし。書きためておけばいいんだが……。
とりあえず縄文時代とは何かと縄文時代の区分の、つまらん話だけ終わったんだな。しかし、ここからどこに話を持っていくかが問題だ。無難に縄文草創期を適当に流しておくか。
草創期はその名の通り、縄文時代の始まり頃のことで、日本にブナ・コナラなどが繁茂し始めてその実を食べたりし始めた頃。
こういう植物は、もちろん暖かいところの方が元気に育つので南から進んできている。ちょっと前までは縄文文化は東高西低で縄文と言えば東日本と言うイメージだったが、最近になって火山灰に埋もれ過剰紋初期の遺跡が西日本で続々見つかっている。先日の佐賀の櫛発掘ニュースもそんなところだ。
最近まで九州の遺跡発掘はほとんどされていなかったが、その理由が火山灰の下に遺跡があるわけがないという決めつけのせいだった。こんな火山の多い、住みにくいところに人が住んでいたわけがないという話だ。だったら日本に人は住んでないだろうに。
考古学ってのはお偉いさんの言うことに逆らえない風潮があるらしいので、こう言うことが起こるようだ。老害ってこう言うのだろうね。ゴッドハンドとかもいたし。
置いといて。この九州で始まった新しい生活様式は、すぐに太平洋側の暖かい一帯に沿って本州にまで広まっていく。
九州の遺跡の中には新石器時代の生活の中に縄文時代の遺物の混じって出土する遺跡もあるらしい。ちょうど新石器時代の生活をしている人達に縄文の生活が伝えられているところのような気がする。このノリで本州にまで広まったのだろうか。奥様の口コミパワーはこの頃から凄かったことが窺える。まあ、伝えたのが奥様かどうかは分かりっこないが。
この、新しい生活のキーアイテムは木の実を煮沸するための土器と、豊かな森に住む鹿や猪を狩るための石鏃。そして、定住生活だ。
狩猟中心の新石器時代は、獲物を追いながらの遊動生活中心だった。おかげで遺跡が少ない。キャンプみたいな暮らしなので痕跡も大して残らないわけだ。定住生活が始まった縄文時代になると、長く住む分、ゴミ捨て場や墓地などのインフラみたいなものが整備されてくるので遺跡が分かり易い。
定住生活を支えるのは、動き回らなくても手に入る豊かな食糧だ。ドングリなどの備蓄可能な食糧の恩恵がかなり大きい。ドングリはリスのように地面に穴を掘って貯めておき、土器で煮てアクを抜いて食べていた。その後、昭和くらいまでドングリはおいしくいただかれている。
山林の中には鹿や猪やクマが住んでいる。秋に肥え太ったそう言った獣を、草がなくなり動きやすくなった冬場に狩る。森の中での狩りは槍を使うよりも弓矢を用いた方が小回りが利く。そのため槍から弓矢にシフトし、石鏃が多く使われるようになった。
とくに、ドングリの貯蔵と重い土器の使用により、引っ越しの荷物が増えてむしろ遊動生活が出来なくなり、定住生活が一般的になっていく。それが縄文時代の始まりだった。

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