なんか
PC-9801が遺産になってしまったそうだ。数年前の職場じゃ現役で動いてた……のは9821か。やっぱり遺産でいいです。
そんなニュースもあったついでだ。MSX TDの話題に雪崩れ込む前フリとして、PC9801のおもひでを熱く語らせてもらうことにする。
MSX TD。この名前は、MSXのベーシックで作ったようなシンプルなキャラデザイン、ならびにMSXの主な用途と言っていいそのベーシックのように、思いのままにウェーブをデザインできるようなものを作ろうという思いから付けられた名前だ。
だが、俺自身はMSXにはそんなには触れてない。一応、友達から払い下げてもらった奴があるにはあるが、あまり使っていない。せいぜい一緒に渡されたエロゲームをやったくらいだ。少女が悪い女に騙されて変なクスリを飲まされ、クスリの利尿作用でモジモジしている間に、話が急展開してなぜか跳び箱がトランスフォームした三角木馬の上でおもらししてしまうと言う内容だった。……書く必要あったのか、これ。
で。結局MSXはその変なエロゲームしか記憶に残らないまま今でも押入れで眠っているが、俺が長らくお世話になったコムピウタと言えば、冒頭にもでてきたPC9801だ。
プログラミングとの出会いというと小学生の頃のファミリーベーシックにまで遡る。年がバレるな。
その頃の下地があったおかげか、後々PC98に出会っても割とすんなりプログラミングに入り込めた。
より本格的なパソコンでのプログラミングに踏み込んだのは中学の後半。理科が好きで、なおかつ面倒なことが嫌いだった俺は、特に何もしなくても良さそうな科学部に在籍。その中で、パソコンを扱う活動があったのが切っ掛けだ。
今思えばよく分からない部活だ。科学とパソコンの関連もそうだが、夏休みの最中にわざわざ登校し、宇宙への造詣を深めるためだと言いながら、宇宙戦艦ヤマトのビデオだけ見て帰ってきたり。
実際、そのコンピュータなんだが、何に使われていたのかがよく分からん。冬至はまだパソコンを使った授業など行われておらず、そこに黄ばむほど長く置かれていた8801も、それに続いて数台配置されたぴかぴかで真っ白なPC9801も、使われているのをはっきりと確認したのは、教師たちが放課後に集まって大好きなゴルフゲーム『遙かなるオーガスタ』にうつつを抜かす姿だけだった。ますます年がバレる。
まあ、先生が何かの計算にでも使っていたんだろうと勝手に納得することにする……が、ゲーム以外の使い方が出来そうな先生が思い浮かばん。率先して俺たちをパソコン室に連れ込み、そこでほったらかしにした顧問もパソコンの使い方に詳しい様子ではなかった。よく考えたらパソコンの前に顧問が座ってる姿が思い出せないぞ。
まあ、科学部がパソコンを使い出した翌年、LL教室だったところが大改装の末にパソコン室になり、授業の方でもパソコンを取り入れ始めたので、その前準備として色々やってたのだろう。ゲームとかもその一環だと納得することにする。
その頃の俺は、なぜか9801ではなく8801の前に陣取りNEW CMDなんて打ち込んでリファレンスに載っている命令の機能を試して見たりする一方、他の部員がベーマガから丸写しで打ち込んだゲームのプログラムを改造して訳の分からないバランスにしてみたりと言うようなことをしていた。他人のプログラムを弄ってみるのは今でも基本だよな。
その流れでプログラミングにハマった俺は学校もそっち方面に。今の実生活にはまるで役に立ってないけどな。
高校時代は家でも学校でもPC9801三昧の日々。ゲームすらパソゲーの方が多くなってきた。
使用言語をベーシックからCに変え……つつ、ベーシックもコンパイラ使って二刀流してたか。最初の頃はベーシック使ってて、だんだんCに乗り換えていったんだっけ。まわるのね〜とか蟹光線とかゲーム作ったよな。懐かしい。今ならFLASHベースでいくらでも再現できそうだな、あれは。今サイトで連載しているラブラシスの原型が出来たのもこのころか。
で、このベーシックならびにCによるゲーム作り最盛期は俺の高校卒業と共に終わる。奴が現れたんだ。あのにっくきゲイツの刺客、Windows95が!
窓環境でもプログラミングを野郎と思って環境だけは揃えたんだが、DOSベースとのプログラミングの違いについていけずにさっさとケツをまくって別なことをやることにした。イベントとかハンドラとか訳ワカンネ。ちょうど興味も別な方に向いてたしな。
その後、しばらくしてFLASHと出会い、そっちになじんでいくうちにFLASHによる第二次ゲーム作り期が訪れるんだが、それはもうPC98どころかWin98すら通り過ぎてからの話なので今回はパス。

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