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「月の輪形」の由来私は
康平五年(935年前)前九年の役に、厨川柵の安倍貞任軍勢を攻略するため、源頼義・義家父子が三万二千の軍勢を率い、この地に宿営した。
このとき戦勝を祈願して、三日月堂の峰神社を奉建したあ、たまたま九月十五日の月夜に、源氏の日月の旗が古堤に映り、金色に輝いたという。
これを見た軍勢の士気は大いに鼓舞され、将軍源頼義も「吉兆なり」と喜び、池の中央に太陽と三日月の中島を作らせた。
その後、寿永元年に平泉館の藤原秀衡が、一族に当たる頼義・義家父子の戦跡を偲んで峰神社に参詣した。その時、吉兆の故事を聴き、勿体なき偉業と感激し、この中島を修像させたと伝えられている。
この日月の像は「月の輪形」として伝え継がれ、幾星霜を経た今日においても、未だにその形をとどめている。
平成七年七月七日 紫波町教育委員会