●平藤 淳のブログです。「明るく・楽しく・元気よく!!」をモットーに岩手のスポーツを応援します●
●この記事は、県内の機関・団体などとは一切関係なく、管理者個人の見解や判断で作成されたものです●
この度はポスター・サポーター2019へご応募いただきまして誠に有難うございました。このサポーター制度は
本ポスターはラグビーワールドカップ2019の日本開催の告知を目的としたもので、
ラグビー関係者、ファンの皆様はもちろんのこと、できるだけ多くの方に
2019年に日本、そしてアジアで初めて本大会が開催されることを知って頂きたく思っております。
掲出場所はポスター・サポーターの皆様にお任せし、ひとりでも多くの方に見てい頂けることを願っております。
これは、攻めた結果の失敗です。涙が出そうになりました。
よい失敗なのです。
見てください、この底の薄さ。
高校生で、ここまで薄く作ろうとする人はいません。
できるだけ軽い皿を作ろうと、薄さに挑戦した結果です。
これは、攻めた結果の失敗です。
とても良い失敗なのです。
なんのために学問をするのかというと難しそうだし、なんのために勉強をするのかと問うとしんどそうである。もう少し端的に、なんのために本を読むのかと問うてみてもいい。わかりやすく説明していただきました。
ひとつはっきりしているのは。自分を客観的に眺める、すなわち<自己>を相対化する視線を与えてくれるということだけは、どんな読書の場合にもあてはまることである。
こんなことを考えている人がいたのかと思う。こんなひたすらな愛があったのか、こんな辛い別れがあるのかと、小説に涙ぐむ。「読む」という行為の前には、知らなかった世界ばかりである。それを知るということは、すなわち「それを知らなかった自分」を知るということである。一冊の書物を読めば、その分、自分を見る新しい視線が自分のなかに生まれる。<自己>の相対化とはそういうことである。
勉強をするのは、そのためである。読書にしても、勉強にしても、それは知識を広げるということも確かにその通りだが、もっと大切なことは、自分を客観的に眺めるための、新しい場所を獲得するという意味のほうが大きい。小さな子が他者と出会って、自分に気づいたように、私たちは<自己>をいろいろな角度から見るための、複数の視線を得るために、勉強をし、読書をする。それを欠くと、ひとりよがりの自分を抜け出すことができない。<他者>との関係性を築くことができない。
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