オーケストラその他数多くの分野にて活動するホルン吹きのブログ。
楽器講師、指揮、バンド指導、作編曲も手がける.
自分の音楽観を知ってもらうこと、意見交換のために作り上げたサイト。
毎日更新、毎日練習を日常とし、日々を暮らす。
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2005/8/31
音楽活動を続ける中で、日本での、音楽による教育のあり方を講師や指導者仲間と話し合い、考えたことがあります。
何故こんな話をするかといいますと、最近自分が、自分の周りの中高生(自分が顔を出させて頂いている学校が主な話ですが)に対する指導及び、音楽の喜びを知らせることの方法を模索しているためです。
自分は音楽に対して、言葉では語り尽くせない想いを覚えますし、それから得られる感動は他の何事にも変えがたいと想っています。
その想いと感動を他の人にも伝えたい!ということは、音楽に携わるもの、誰でも考えると想います。
ですが、自分はそれに加え、『音楽活動、特に演奏活動を行うことの素晴らしさ』を伝えたいと思っているのです。鑑賞や楽曲理解などでも音楽活動は出来ますが、その音楽表現を自己で行うことは、(鑑賞等とは違うものかもしれませんが)ある種、積極性の高い音楽活動と取れ、精神的にも身体的にも(音楽は体でも感じられるということは事実だと思っています)感動を感じられる方法ではないか…ということも常々思っている為、自分は自分の音楽活動と平行して音楽の素晴らしさ、また、音楽活動の素晴らしさを人に伝える活動をしています。
その手段として、演奏家として高度な演奏をこなし、感動を伝えることや、学校吹奏楽部に在籍していた経験のある人間は学校吹奏楽の指導に従事し、今後の、演奏家として、自分と同じような活動が出来る人間を増やしていったり…などの色々な方法が考え付きます。
自分は主にその二つの道で音楽の感動を伝えようとしていますが…これがなかなかどうして!難しいのです。
一人よがりな演奏をしないように・・・と思っていてもどうしても主観的なものが入ってしまったり。それは技量の低さも相俟っているものと考えてしまいます。
そしてまた、中高生の吹奏楽の指導も難しい。相手は非常にデリケートな人々。音楽の楽しさを十二分に伝え、演奏活動の楽しさも理解たらしめ、なおかつ、楽しいだけではない、厳しさを必要とする面が存在するということを知らせなければならないということ…。これがなんともまた…。
長くなりそうですので次回に持ち越しさせていただきます。
次回は『音楽教育、指導者の問題点、生徒の問題点』についてお話をさせていただこうかな、と思っています。それでは。

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2005/8/30
毎日を音楽活動に費やしている自分が、最近よく考えることがあります。
ずばり、『音楽とは何であるか?』というものです。
音楽とは、芸術という人間活動の種類の一つであることは明らかです。
芸術は、建築などの空間芸術、音楽などの時間芸術、演劇などの総合芸術に区分されます。このことから、以前ここでもお話しました、『音楽とは瞬間の芸術である』という意見は的外れなものではないと思われます。
自分は以前、『音楽は調和の芸術である』と言いましたが、それとは違う、たんなる芸術という言葉だけではおさまらない意味が、音楽という言葉、その活動にはあるのだと考えています。
音楽は人の心に言葉では言いあらわせられない表現を伝えることが出来ます。単なる『言語』には到底及びもつかないような表現力が音楽には備わっているのです。
これは、毎日の演奏活動で思われることです。
自分が指揮をしているとき、ある曲のある楽器が演奏するあるフレーズが、少し曲にあっていないような気がする。何があっていないのかは口ではいいあらわせられない。テンポ感や音程が悪いのかフレーズの歌い方がまずいのか奏者の調子が悪いのか…。原因がずばりとは分かりません。そこで奏者にこう言います。
『今のフレーズは曲の流れに適切だとは言いがたい。なのでもう一度その少し前の小説から演奏をしてもらいたい。』
もう一度演奏する。フレーズに透明感がないと気付く。
『このフレーズには、なんと言うか…その…そう!心に突っかかったモヤモヤが取れたような雰囲気演奏してもらいたい。…ではもう一度。』
更に演奏する。まだ適切ではない。
『よくなりはしたけれどまだもう少し…そう!憑き物が落ちたというか、大きな悩み事が解決できたかのような、というか…その雰囲気をかもし出してもう一度。』
更に演奏。うまくいく。
『そう!その通り。では続きを…。』
というように曲を作っていくことがあるのです。
何が言いたいのかといいますと、この練習が、先の『音楽は言語以上の表現力を持つ』ということの証明なのだ、ということです。
もし言葉の表現力が勝っていれば、一言ある適当な言葉を投じればすべての演奏は最高の名演と成り得ます。ですが、実際問題、それはない。
何か適当な言葉はないけれど、もっと明るい雰囲気で演奏したい…熱情のこもった吹き方をしたい…という演奏者としての自分の気持ちもそれと同様の状態であると思われます。
ほんの少ししか違わないけれども、こちらは名演奏。しかし、その違いは言葉であらわせられない。それこそ!『音楽の表現力』の大きさの証明でしょう。
自分は、そのとてつもなく強大な、表現力という力を追い求めて楽器演奏、音楽活動をしているのではないかな、とも思っています。なまじっか、私生活の上で良くも悪くも饒舌なため、音楽の表現力に対する畏敬ともとられる尊敬の念が起こっているのかもしれません。
人に伝えたい気持ちがあります。知ってもらいたい考えがあります。しかしそれは言葉でなく、音で伝えたい。それが出来れば・・・。
演奏者の仕事は、作曲者の高尚な考えの復元に大きな責任があると思われます。それを伝える…。特に、音楽史に乗るような音楽家の曲を演奏するときはその思いは強くなります。
今この世に存在するいわゆる『クラシック』は、何百年もこの世に存在し、おそらく未来永劫、人が滅びるまで残るであろう壮大な文化遺産です。こういってはなんですが、最近の歌謡曲などは、ヒットしても数週間。時代を作った名曲とはいっても数十年。それも一定の国内、地域のみ。
そう考えると今現在の古典器楽曲などは、なんという素晴らしいものなのでしょうか。この感動をもっと多くの人に伝えられるように、音楽を一生の伴侶とし、技術の向上に努めることを誓いたいと思います。

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2005/8/29
音楽大学の仲間らと、内輪で発表会をしてきました。
管楽器の演奏が主ではありましたが、弦楽器にピアノ。ジャズバンドのようなものを組んでの演奏もあり、演奏曲も、古典クラシックから現代曲、ジャズもあり、とても幅広い演奏を聴く事が出来ました。
自分は木管五重奏数曲、参加者有志による吹奏楽曲演奏の指揮で参加を致しました。
吹奏楽演奏で、初めて見るであろう楽譜(管弦楽の人間が多かったので)にもかかわらず演奏がすぐに可能で、下手なバンドよりもレベルの高い演奏が出来ることにはさすが、としかいえません。
他にはソロであったりアンサンブルであったり…と、思い思いの演奏を互いに発表し、軽く批評したりしていたのですが、かなりクオリティの高い演奏であり、また、すこし合わせが足りないと見られる演奏でも、厳しい批評をすることなく穏やかに演奏を進めることが出来ました。
合唱も、初見での楽譜演奏をし、とてもたのしいものでありました。
厳しい批評をしたりする発表会だけではないのだな、と、音楽の広がり方を感じることが出来た、また素晴らしい一日でありました。

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2005/8/28
やっと長野から帰ってきました。
長野は志賀高原というところで寝泊りをしていたのですが…遠いです。行きはバスで五時間ほど。今日の帰りは、母校が今年最後のコンクールに出場するため、長野県伊那市に電車を経由して(同じ県内なのに五時間!うち三時間は同じ電車の中)立ち寄り、そこから関係者の車に乗せていただいて二時間強…。
久々に乗り物に乗りすぎて地に足がつかない思い(?)をしてきました。
さて、先にも話しましたが今日は母校の今年最後のコンクール。聴いてきました。
いい演奏でした。いい演奏でしたし、最高の結果もそれについてきました。
もうなにも言うことはない、というくらいに大満足をして岐路につくことが出来ました。
これからこの高校生の子らで、受験などの理由により部活を引退する子らが沢山います。
その子らみんなに、こんなところで言って伝わるかは分かりませんがお願いをしたいのです。
どうかこれからも音楽に携わってください。このサイトでも、常々自分の口でも何度も言っていますが、音楽を続けることにより、人生そのものに大きな利益が生まれます。
高校だけでもう満足をしてしまったり、もう沢山だと思ってしまったりもするでしょうが、そうは思って欲しくありません。
高校を卒業して、大学、職場、そして完全に一人立ちをしたころにこそ、本当の音楽の道と、その喜びがあるのです。
騙されたと思って、どうか今後一生音楽を続けてください。そして、結局騙されたままだと感じたら、私が死ぬ直前にでも、私の耳元で大声で『騙された!』と叫んでください。
私が保証しても何の説得力もないでしょうが、とりあえず私は、音楽の喜びは、その労力の何十倍、何百倍も大きいものだと保証します。
どうか、私に素直に騙されてください。
・・・今気付いたのですが、この今日の異常なアクセス数はなんでしょうか?
一日に130件だなんて…。

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2005/8/24
地元から遠く離れた長野での演奏中です。
今日のメイン楽曲はブラームスの『交響曲第四番』。
何を隠そう、自分はこのブラームスという作曲家が大好きなのです。
ブラームスと聞いて、パッと顔や曲が思い出される人は、世の中にあまりいないかもしれません。
若い頃のオールバックの端正な顔立ちの若者、という写真もありますが、自分としては白髪の、口顎髭のたわわな老人という方が何故か良く思い出されます。
有名な曲というと『ハンガリー舞曲第五番』でしょうか。昔、某裂けチーズのテレビCMで有名になっていた、『た〜りら〜らた〜りらら〜ん♪』という曲です。(この説明で分かる人も多くないでしょうが)
このブラームスという作曲家、非常に内気!内向的!悲観的!という…良くいえば繊細な、悪く言えばくらい性格の人間で、自分のピアノの師匠(シューマン)の奥さんにめっぽうな恋心を抱いていたが告白できず、夫に先立たれ未亡人となった彼女にもなにも言い寄れなかった。
作曲家としてかならの人気を得てからも、あのベートーベンを尊敬するあまり、彼の作り上げた形式の一つである楽曲、交響曲を作り上げられず、少し作っては作曲を止め、また少し作っては『こんな駄作はあのベートーベンに失礼だ!』とまた止める…こうして初めての交響曲を作り上げるまでにおよそ20年の月日を費やしたと。
そんな消極的な彼の作品も、華やかさがない、田舎くさい、地味だと人気がないように言われていますが、自分はその人間臭さ(?)が大好きなのです。
この交響曲第四番は、自分には失恋した男の気持をあらわす曲ととれます。
男が夜一人でこの曲を聴いていると思わず涙が流れてしまう…そんな曲です。
ぜひ御一聴あれ。

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2005/8/23
高速道路で五時間、長野は志賀高原にて演奏をしていました。…遠いです。
天気こそ芳しくはありませんが、八月だというのに涼しい昼間。夜はちと寒いですが、とても過ごしやすい環境です。
そして、現地の旅館で、現地直輸入のアルペンホルン飾られているのを発見し、管理人方の許可を得て吹奏、簡単な演奏をさせて頂きました。(下記画像参照)
山の平原で吹かれる姿を想像されたり、アルプスの山々で演奏されたりする姿を想像される外見の楽器ですか、実はこれこそが自分の楽器の先祖の一つなのです。
この長〜い管をコンパクトに丸めまとめると、自分が今演奏しているフレンチホルンに近付くのですが…その話も長くなるのでまたいつかの機会に。
では、演奏後の飲み会(笑)があるのでこのへんで。


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