とあるシンフォニー・コンサートの本番の際に(あまりこういう事を言ってはいけないかもしれないが…自分がどこの誰か公表してないから良いだろう)、非常にマナーの悪い奏者を目にする羽目になり、非常に心地が悪い。
音楽家は、非常に良くも悪くも感情的であり、繊細で、うたぐり深く、脆い。
その感情的な精神をお互いに保つ為には、お互いが、まずは自分がマナーを知ることだ。
勿論自分がそれを完璧にこなせている、等と馬鹿げた事を言う気は毛頭無い。
しかし、それを意識せぬ奏者とは、一線を介した違いがある、と信じる事は出来る。
再三自分はこのサイトで演奏家のマナーについて述べて来た。
そんなに大きな影響力を持っているとはいはないが、少なくとも、この画面を目にしていただいた方の心に少しでも留まるように、とこうしてせっせと文字を打っている。
今一度、マナーの悪いと呼べる事柄を挙げ連ねるので、よければ頭の片隅にでも置いていただけたら至極感謝。
演奏中、及び合奏練習中の私語は厳禁。特にソロが関係する部分の場合のそれは、例えそれが自分やその他の奏者についての事柄であったとしても、ソリストは自分の事を囁かれているのであると感じる。
ウォーミングアップ、または楽屋の中での音だしや、口慣らし、指慣らしに有名なパッセージ、ましてや自分以外の奏者のこれから奏するパッセージを奏することは『自分はもっと上手く出来る』というアピールにとられてもしょうがないので避けるべき。
演奏後に奏者に対して(良くも悪くも)評価をしてはならない。奏者が満足しきる演奏はまず有り得なく、それを皮肉された、と思われても仕方が無いためである。
目上の(若しくはその団体で一年でも自分より長く籍を置いている)奏者の言葉、助言は、例えそれが承知の事であったとしてもそれを口に、態度にしてはならない。どのような事柄でも軽く会釈し、ささやかな礼をすべきである。
管楽器奏者は演奏中、合わせ中にみだりに抜き差し管の長さを変えて楽器の調律をしてはいけない。隣の奏者へのピッチの不満アピールと取られても仕方が無いためである(近くの奏者ならば、違う楽器奏者に対してもプレッシャーとなり得る。チューニングの最中にはもう事前に確認してある事。やむおえぬ場合は、管を抜いての水抜き行為の、再び管を差し込む際に、適当な位置に管を差し入れる、という配慮が必要)。
これらはあくまで例であり、更に細かく考えればキリは無い。
しかし、前述したように音楽家は感情的である。そして、正直な話、人に厄介者扱いされない、というのは非常に重視されるべき事柄である。
気をつけねばならぬ。
『音楽家は何よりもまず自分の仕事を愛していなければならない。仕事の中で激しい感情の湧出を覚え、聴く者の心にも感情をよび覚ますことができなくてはならない』
−−フィリップ・ファーカス−−
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