指導者とは何か、と題打って、これまた少々生意気な発言をしてみようと思う。
自分は楽器を演奏をする人間、音楽家であり、演奏面に於いて未だに生徒でありながら、指導者でもあるという、よく分からない立場である。
ある程度(自分を含め、皆が満足のいくものではないが)の技量を持っており、それは幸いに音楽の喜びの片鱗を味わえるものである。
その喜びを多くの人に奏者として体験してもらいたい為、恥や不利益に耐えて指導者としての面を持っているのだ。
音楽指導者というものはなんであるか。
自分は、重述になるが、「音楽の喜びを体験出来るように奏者を導くもの」であると考える。
その為に大事な事は何か。
自らが音楽の喜びを体験、理解し、深い知識を蓄えている事。更に、自分の教え子に素晴らしい世界を体感してもらいたい、という希望を持つ事だろう。
残念ながら、その喜びが伝わることは少なく、音楽の喜びを体験する事なく音楽から関わりを断つ者は多い。
今の「音楽を文化と認めず、ただのくだらない自己アピール」と見ることの多い世論にも責任はある。
だが、多くの指導者にその責任の一端があることは否定しがたい事実である。
先の事柄に不十分を感じることもその理由だが、若い奏者の大いなる可能性を信じない事、それが本人らの自信を喪失させている事が起こっている、という事実に直面した為でもある。
若さは力、若ければ何でも出来る。
それをいつか明らめ、多くの人に理解をしていただきたいものだ。
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