テレビゲームに『ドラゴンクエスト』というものがある。
もう初作が世に発表されて20年にもなろうか…。今の小さい子には分からないだろうが、続編新作が出る度に社会現象を巻き起こし、発売日前日には世の若い会社員、学生を店に徹夜で並ばせる程の魅力を放っていた。自分もその魅力に取り付かれた人間だ。
先日、古いレコードを探しにリサイクルショップへ出掛けた際に、このゲームの音楽のオーケストラ版の録音CDを目にし、何故かそのままレジに持って行ってしまった。
何日か部屋の片隅に置いたままになっていたが、ふとしたことから、内容曲と全て一致しているオーケストラ・フル・スコアを手に入れたので、何気なく聴いてみた。
朗々、荘厳しかしてきらびやかに奏されるファンファーレに心打たれ、一瞬でその世界に引き込まれた。
多彩な楽器法、まさに古今東西の多くのジャンル、スタイルを巧に表現行使したといえる作品に涙すら流した。
この曲はもっと世に出るべきではないだろうか、という念すら自分に抱かせた。
思うに、今の音楽界、ことにオーケストラ社会に於いて、若い…もとい、新しい作曲家は軽視され過ぎている。
それは音楽の鉱脈が掘り尽くされ、今の音楽が新しい表現法、形式を模索している段階にある事を顕著に表し、かつそれを原因としているのであろう。
だが、今の音楽家には昔の音楽家には絶対に劣らぬ点がある。則ち「偉大な楽曲を遺した先人の多さ」である。
先人の数は、先例の多さ。それは良き知識と成り得、新たな良い作品を生む。おしむらくは、今の作曲家の多くはそのエネルギーを新たなジャンル、新たな試みばかりに注いでいることか。
新たな曲の発表の場が少な過ぎるのは、今の音楽家が、先人を「畏れ」ているからであろう。
「畏れ」と「敬い」は似ているようで本質的には違う。前者は対象から離れこそすれ、後者のように前進的な力は働かないためである。
新たな作曲家が自分の曲をもっと多く発表出来る世になることを望む
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