自分は思想家ではない。自らの思想を論じ、この世に形を成そうとしていないからである。
だが、思想に関する興味は平均よりも深いと考えている。
宗教等もその類に含まれるだろう。人が何かを信じ、信念を持ち、それに従う気持ちと姿勢は素晴らしいものだと考える。
自分は孔子儒学の教えに感銘を受け、一種の道標とする部分を実に多く得ている。
全てを鵜呑みにしているわけでは無いが、その教えは深い。
その教えの根本は、「礼儀」、「学術」の追求にあるだろう。
そもそも今の『礼儀』は、孔子の『人が人であるための指針』として置かれたものに始まり、礼、儀に分かれる…等とは自分が言わずもがなか。
孔子の教えに対してあれこれ考察、口上云々をはけるほど自分は人間が出来ているわけではないので、やはり、その教えの必要性のみを語ろう。
目上の人を敬え、両親は大切にしろ、年長者は畏れよ…まさに現代社会に欠けている心だ。
おべっかに陰口、モラルの低下や公共心の欠如は誰も否定できないだろう。原因は上の考えの重要性の無視にもその一端が無いとは限らない。
また、学問の素晴らしさを説いている。
朋有り遠方より来たる、の節が有名だが、その他の論語の記述にも目を見張りたい。
単なる教養等では無い、自分の思想の糧一つとして、一考を勧める教えだ。
…今の社会に欠けているのはこの教えでもあるのかもしれない…
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