ホルンアンサンブルというジャンルがある事はかなり以前にもこのサイトで述べた。
その形式というのは単純明快。
『ホルンのみで構成され、演奏される』というだけだ。
しかしこれが単純明快なその形式にも関わらず(単純なら簡単か、と言われれば答えられないが)、非常に難度が高く、満足のいく演奏には困難が伴う。
本来ホルンという楽器は、オーケストラその他、楽団の構成部位として組み込まれる場合、二本ないしは四本で一まとまりとされる。
これはホルンが『和音の楽器』と呼ばれる理由に等しく、奏でられるそのハーモニーが、何物にも代え難い素晴らしいものであるためだ。
偶数であることも理由があり、高音奏者と低音奏者、二人でコンビだという考えの流布による。
(エロイカ、マーラーの五番等は、偶数グループプラス、一種のソロホルンと考えるのだ)
多い場合は六人…しかしそれは単なる音量増加の性質を持っているだけであり、六和音、等という構成は殆ど無い。
ホルンの音域としては六の和音を響かせることは無理は無いが、オーケストラに於いて、その音域を得意とする楽器が他にある為、そのような事はしないのだ。
なら『ホルンアンサンブル』という形式の存在意義は何か。
先ずは、『名人芸の披露』という要素。
いかなホルンとはいえ、極端な音域、音量での調和は非常に高度なテクニックを奏者は要し、それはもはや荒行に近い。
次に『変わった形式披露によるインパクト狙い』。
同じ楽器だけでつらづら演奏する事は、ある種の驚きを与えることは言うまでもない。
それだけだ。
はっきりいって、六重奏以上のホルンアンサンブルには魅力は無い。それこそ、大人数のユニゾンに迫力を覚えるくらいだ。それならワーグナーのオペラを聴いていた方が賢い。
しかしその評価は四重奏の場合に於いて、劇的に変化する。
ダンツィ、テレマン、シューマンに代表される四重奏。勿論その他にも名高き音楽家の作品には大きな感動を隠せない
密集でない、程よい開離の和音。無駄の無いフレーズ、適当な音譜の数…奏者としても素晴らしい共感を覚える。
奏者の数ばかり多い曲は、概してろくでもない。
密集、時にはユニゾンばかりの和音。
交互に休ませて、実質上四重奏が複数あるだけの無駄な人数配置。
嫌になる。
よほど素晴らしい曲と奏者が揃わねば、大人数のホルンアンサンブルの音楽的魅力は表れない。
大部分の人はそれに気付いている。
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