偉大な音楽家は、須らくホルンに特別な感情を抱いている。
それはホルンに限られたものでは無いかもしれない。
しかし、その価値はともかくとして、自らも奏する楽器に向けられる羨望の眼差しを自分は喜ばしく感ずる事を避けられぬ。
ホルンを愛するが故に、ホルンに対して厳しい言葉を浴びせる音楽家がいた。
『ホルンが満足に出せる音がCEGだけとは情けない。』
と、超高次倍音列以外でのホルンの音の限界に明らかな不満を漏らした人、ベートーベンがその人である。
彼のホルンソナタは、意図してナチュラルホルン(ハンドホルンとは区別される)の為に書かれていると思われる。
ヤクトホルンの性質を如実に表したそれは、アレグロ・ロンドのフィナーレのファンファーレに集約されるし、その号令は至る所にも表れる。
不思議な程短いアンダンテもホルンの能力に妥協した末ではないかと思われる程。
ベートーベンのホルンを語るにはどうしても外せないのがファゴットである。彼はホルンの演奏出来ない音列をファゴットに奏させた節が多く見受けられる。
代表的なのは交響曲四番四楽章、五番一楽章四楽章のテーマであり、序曲エグモントのアレグロ直前のコラールなぞは、ホルンに奏させる事も考えていたのではないかと思われる程だ。
思うに、ベートーベンはナチュラルホルンを、音程を変化させるべく右手を抜き差し(ベル開閉に非ず)させる事はあっても、音色を変化させるハンドホルンの演奏は認めなかったのかも知れない。
いくら当時は今の時代に比べハンド奏法が発達していたとはいえ、音色の変化を無にすることは出来ず、それは暗黙の了解とされていたのだろう。
ホルンソナタのハンドホルンの演奏を聴いたことがあるが、ロンドの冒頭のBの音が決して良い意味ではなく鮮明だった事が印象深く残っている。
田園交響曲の長いソロはハンド奏法を駆使せずとも良いし、英雄のトリオは如実に古典ホルンの特性を表しているし、あのパッセージはウェーバー(※後述)の工夫には及ばずとも、色褪せず我々の心に染みる。
ホルンを愛した彼の逸話を今一度紹介しよう。
『ホルンはCEGしか満足に奏せない。中音域で音階をやらせようとすると、ハンド奏法に頼るか、管を目一杯長くしなければならない、困ったものだ』と悩み続けていたベートーベンは、ある日弟子にチェコからやってきら不思議なホルンを持った若者の話を聞き、顔を紅潮させ、
『すぐにその若者を連れてきてくれ!私の次の交響曲でソロを演奏してもらおう!』
と、いたく感激して、まだ若い奏者に偉大な交響曲のソロを吹かせてしまうのだ。
若さと日の浅さのため、若者は首席奏者ではなく四番の席に座りましたが、ベートーベンはそれを酌み、四番にわざわざソロを吹かせ、初演からその原稿が未だに残っているという。
濃厚、激烈な一、二楽章を経た三楽章後半、重苦しくも穏やかな木管楽器とホルンに誘われ、弦楽器の愛らしいピッツカートの行き着く先、ホルンがロ調の上昇音階を奏でる瞬間。
ホルンを愛し、その不遇に頭ごちていた音楽家全ては驚きと感銘に心打たれたことだろう。
若者は不完全ながらも、音階をバルブにて奏するべく開発された楽器を持っていたのだ。
人類愛を唄うその曲は人々の心に未だに燦然と輝き、喜びの歌として語り継がれている。
交響曲第九番合唱付。
この次に作られかけたと言われる交響曲第十番は、ひょっとしたらホルンが初めてメロディー楽器としての位置を確立させた曲だったのかも知れない。
※この話は、今現在の音楽界では空想だとして置かれている。
ハンドホルンでの熟練した奏者には困難なパッセージではなく、概して四番(二番の裏)にそういう奏者が於かれた事実、第九が絶賛されたにも関わらず、有弁ホルンが長くの間周知、及び広く実用されるに至らなかった事から、それは謝りであるとされたのだ。
しかし私にはどうしてもこれが無弁ホルンの為のパッセージとは思えない。
指定された変ホのハンドホルンでは、少なくとも開放音から密閉音までの三つの音色が表れる(Fes、Ges、As、Cesが典型であり、最高音のCesはややショッキングに奏される)。果たして音色の変化を嫌い、ファゴットに音階を担当させていたベートーベンがそれを良しとするだろうか。
また、直前に表れる二点下変ロの音は、変ホのホルンでは第一倍音と第二倍音の間にあたり、強制倍音奏法(唇を弛緩させ、空次倍音音を無理矢理演奏する奏法)による奏法が充てられる。
E♭-basso.とでも言うべき楽器が使用されたとでもいう事実を知らぬし、自分にとっての謎の一つですらある。
こんな事を言っては音楽史の研究家様方に失礼かもしれないが、私はその方がロマンがあり、信じられる。
時代を逆行するが、ハンドホルンの特性を知り、メロディー楽器としての可能性を知らしめ、現代のホルン奏者にも重要なレパートリーとなる曲を生み出した作曲家がいる。
その名はアマデウス・モーツァルト。父レオポルドはヴィヴァルディよろしく、『二本の狩猟ホルンのためのコンチェルト』を作ったが、息子である彼は、その全のコンチェルトをハンドホルンの為に作った。
次回はモーツァルト、四つのコンチェルトと三つの未完協奏曲、ホルン五重奏曲について話そう。
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