私は人に、お節介やきな性格が損をしているとよく言われます。
お金をとらずに楽器を吹いたり(お金が貰える程たいした演奏が出来る、だなんて言えないけれど)、人に頼まれた事を二つ返事で請け負ったり…偽善者だなんてよく言われます。
でも、そうすると相手は喜ぶし、そういう姿をみて私も喜ぶ。どっちも幸せで損が無いから良いんじゃない?と思う。
偽善だって良いと思うよ。とりあえず自分も含めて誰にも迷惑だけはかけないから。
人間、誰かのためにやれることなんてほんの少しよ。だったら、そのほんの少しくらいは全力を注いでも良いんじゃないかな。
…でも、そんな中、困っている人がいてもどうしても力になりきれない事がやっぱりあるわけで、そんなときに私は落ち込むのです。
こんばんは、ミヤビです。明日ソロの本番があってとても緊張。
ちょっと大きなソロなのでもう必死。
『緊張します?』
『いえ、しませんよ(笑)』
と本心で答えても、ノミの心臓は本番ではちゃめちゃ。どうにかしたいでやす。
人間、初心忘れるべからず、とはよく言ったものでやす。初めての体験の新鮮な気持ちは頭の片隅においておくといざ、というときに何かとやくにたつかもしれません。
というわけで(?)私が初めてホルンを吹いた高校時代の話をしてみます。あ、ようするにちょっと前の日記の続きね。
初めて行った部室で目についたのは、壁にかけられ、騒然と並べられている賞状とトロフィー。
東海大会やら全国大会やら、自分にとって目ん玉が飛び出るような賞状の山。正直この時その場に足を運んだ事を後悔したもんです。
楽器をやりたい、ただそれだけしか考えていなくて入部を決めた自分にはもうすんごいプレッシャー。
でも優しい恩師(顧問)の顔に勇気をもらい、ホルンの先輩とおぼしき人に案内されるまま楽器倉庫へ。
引っ張り出された、やや埃を被った楽器のケース。それを自分で明けたときのあの感動ったらありませんよ奥さん。
今思うととんでもなくおんぼろな楽器だったと思うけど、それでも生まれて初めて見る楽器。はたして自分が触っていいものか、と怖じけづいたりしたものです。
まず、楽器の持ち方を教わりました。
構え方と吹き方。
…よし!と意気込んで初めて吹き入れた息は、音が鳴るわけでもなく、スカーっと、流れるだけでした。
先輩もよくしてくれ、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、と必死にしてくれた結果、突然音はなったのです。
おならのような、何か小汚い動物の唸り声のような、まさに文字通り屁のような音でしたが、その瞬間に体がうち震え、頭がボー…っとした事を今でも覚えています。
周りの人も喜んでくれ、何だかすごいことを成し遂げたような気になって嬉しくなったものです。
それから毎日、やっと覚えたドレミの指を使って、休む事なくひたすらずっと練習していました。
本当に練習の虫、というやつで、周りの人に少々おかしく思われながらもずっと屁のような音を出し続けていたものです。
ある時、楽器の先輩に
『ホルンを吹いていて楽しい?』
と聞かれ、無知ながらも純粋に
『はい、楽しいです。』
と答えた事は今でも頭に残っています。
その事を思い出すと、自分が音楽にどれだけ憧れていたかを再び知るとともに、今の自分が情けなくなります。
果たして私はあの時のように心の底から楽しい、と言えるでしょうか。
楽しい事は間違いありません。
ですが、『しかし…』という言葉が必ず出てきます。
純粋な事が美徳であるとは私は決して思いません。
しかし、一度抱いた気持ち。この自分が持っていたものを無くしてしまったかもしれない、という事実は私を深い悲しみに陥らせます。
音が出るようになって一ヶ月程。
楽器を経験していた同期の人間は音楽室で曲の合奏。私のように初心者から始めた人間も、一人。また一人とその部屋へ入っていきます。
楽しさの中にも、少しながら残念な気持ちと不甲斐なさが生まれてきました。
必死に練習をするものの、知らぬ存ぜぬ、という立場で練習をしようが、それは分かっている事にくらべてはるかに進度の少ないもので、しまいには私一人だけ音楽室の外で楽器を吹いているようになりました。
自分は非常に内向的な人間で、人に話し掛けられてもうまく言葉を返すことが出来ず、ただ押し黙って頷くだけでした。思えばそれも原因でしょう。
今考えるとなんて馬鹿な事をしていたんだろう、と思いますが、それはもう仕方がありません。とにもかくにも、一人で楽器を吹き、それでもやはり尽きることのない楽器の楽しさに浸っていました。
ある時、部活が終わる時に、一年生全員を含めたメンバーで一度演奏をしてみよう、と恩師は言いました。
みんなはもう何度も練習した曲で、疲れている所にまたムチが入った、と面白くない顔をしていましたが、私は一人心を踊らせていました。
楽譜はとうの昔に渡されていましたが、合わせたことはありません。扉の向こうから流れてくるメロディーに合わせて、一人で休みの音符を数え、吹き、合奏の気分に浸っていました。
その曲を合奏出来る!
私は嬉しく、しかしそれ以上の緊張と戦っていました。
いざ始まり、おぼつかない音を並べながら演奏するとあっという間。
あっという間でした…が、その中で私はこれから一生音楽を続けるであろう感動を得たのです。
オリンピック・スピリットという、オリンピックのために作られた委属曲でしたが、私の思い出の曲として今でも鳴り響き続けています。
楽器というものは、音楽を奏でる為に作られたものです。
何も音階をひたすら練習するために作られたものではありません。
それまでの、ただ楽器を吹くだけで得られた喜びの、何倍もある感動に、私はその数分で気付き、それを得ました。
音楽を奏でられる喜び、それは自分にとってかくも偉大で、かつ尊いものです。
これからもその喜びを噛み締め、感動にむせびます。
どうか皆様にも、音楽に限らず、これからの人生に彩りを加える。そのような感動が見つかりますように。
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