私はもともとオーケストラがやりたくて音楽を始めた人間ではなかった。
このままではいけない、という漠然とした悩みのはけ口を探しているうちに、偶然音楽にぶち当たっただけなので、人に無理矢理音楽の良さを説教するだとか、勧めるだとかいうことはしない。
人間、自分が興味のないことを話されることには非常に苦痛を感じるものだ。
私から言わせてもらえれば、音楽だけの話しか出来ない人間は、まず社交性に欠ける。加えて言うなれば、音楽家としても危うい存在である。
『モチーフそのものを知覚せずして音楽表現足り得ることは有り得ない』のである。
かの大ハイドンは、そのオペラに自身が見たことのない海の曲を書き、後日、実際に海を見た際にせせら笑い、『これが海か。私のイメージとは全く違っていたよ』と、当時の弟子であったベートーベンに漏らしたという。
モチーフ、そのイメージの重要性は確かである。
そしてそれは、たわいもない会話、多少の上品下品、ポピュラーマイナーな数多のジャンル全てに学ぶべき事柄として多く存在するのだ。
この拙い文章を読んで下さる方は、老若男女、国籍、社会的立場など、いたるところに違いがあるだろう。
しかして、我々は共通している。同じ人間である。
同じ種である我々は、何か共通の意識、感覚を持っているのだ。
私達音楽家は、その中で『耳にすることが出来る文化』に少々の興味を持っているに過ぎないのである。
音楽家とは、勉強家、努力家という言葉と同様に、『音楽をする人間』という意味であり、なんの差別的意味を持たない言葉である。
もしこの言葉を聞いて自身に、もしくは私になんかしらの差別意識を持つことがあるならば、それはあなたがその言葉に差別的な意味を持っている証拠である。どうか避けられたい。
私もあなたも同じ人間。違うのは『音楽家』の真意を心得ているか否かである。
脱線した話を元に戻そう。
音楽家に於いて致命的なのは、音楽家とそれ以外の人とに差別意識を持つことであると私は断言する。
音楽は森羅万象のうちの何かを音として表現したに過ぎない。であるからして、なかんずくやはり音楽に限らない人生経験というものをしなければ、音楽性が身に着くはずがないのである。
よくいる(私が思う)反面教師的な音楽家の例をあげてみると、
・排他的音楽神格主義者
・プロを馬鹿にするアマチュア、アマチュアを馬鹿にするプロ
・その他、社会的モラルが欠如した者
などがあげられる。
一つ目のあげた排他的音楽神格主義というものは、ひらたく言えば『音楽以外のことをやっている人間はくだらない』、もしくは『音楽をしている自分は人より高いレベルにある』と考えることである。
それが謝っているという理由は先に述べた。それは音楽家としても、人としても危うい。
二つ目にあげた事柄は、多くの状況に言い換えられる。
二つ、私が奏者として遭遇した二つの事柄をあげてみよう。どのようにみなさんは考えられるだろうか。
Aオーケストラは、アマチュアオーケストラであるが、仕事の傍ら、長年楽器を時間を裂いて練習して年季の入った奏者が多く集まる、熟練した楽団である。
歴史も古く、規模も大きい。実に多くの演奏会を重ね、その殆どの舞台に立った奏者が多い。
ある若手の客演指揮者での演奏会のリハーサルの際、古参の奏者が言った。
『この曲は私達は何度もやっている曲ですから、充分にやれます。私達で合わせた演奏にマエストロは合わせて指揮なさって下さい。そのマエストロが合わせるためのリハーサルも一度で充分でしょう。』
なるほど滞りなくリハーサルはすすみ、本番も終了。だが、マエストロの姿は打ち上げには無かった。
B管弦楽団は、楽器を愛してやまない奏者が集まり、これも仕事の傍らに必死に練習し、規模や歴史はまだ発展途上ながら懸命に合奏に臨む楽団である。
演奏のノウハウが分からない楽団は、とある高名なマエストロを招いて演奏会を行うことにした。
マエストロは毎回リハーサルでその充分とはいえない能力の奏者らをけなす。怒号を張り上げ、罵声を浴びせる。
なんとか終えた演奏会、打ち上げの席でマエストロは皆にこう言い放った。
『指揮者が私でなかったらこの楽団の演奏会は無事では済まなかっただろう』
奏者らは切ないやら悲しいやら、どうしたらいいのか分からないような辛い表情をしていた。その団の次の単独での演奏会の予定は未だに聞かない。
さて、似て非なる二つの楽団、みなさんはどう思われるだろうか。
反面教師な音楽家、最後の一つは非常に大きな意味を持つ。このような人間の存在の多さが音楽の垣根を高くしているのではないだろうか。
マニアックな人間というものはどの分野にも存在する。物事は、突き詰めてこそ分かる真意もあるとも考えるので、頭ごなしに否定は出来ない。
かの野口英世もエジソンもアインシュタインも、人間としては一歩間を置きたいような人物だったという。
しかして彼らはオタクではなかった。
マニアであってオタクにあらず。私のモットーの一つである。
その違いを多くの人に考えてもらいたい。

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