先日、某マーチングの全日本大会へ足を運んだ。
会場もう凄まじいほどのお祭り騒ぎであった。
会場自体が観光名所であり、主催団体も切に頭を会場観客を派手なパフォーマンスで沸かせるかということに擡げていたことが関係しているのだろう。会場の周りには地元の出店が沢山出ており、マーチングに関係の無い業者のチラシ配りがおり、某新興宗教団体が演説をしていたり、それはもう一市の祭ごとなのかのようであった。主催側はプログラムとともに、記念ピンバッジなるものを売っており、奏者のプライドをどれだけ卑下すれば気がすむのだろうと悩んだものだ。抱き合わせで売らんばかりのいきおいだったので恐ろしく、赤い羽に寄付した方が世のためになる可能性があると思ってプログラムも買わなかった。
所詮はしがない一般人の考えなので他意はない。それだけは明言しておく。
その催し物はマーチングのコンテストである。
華やかなりし日本吹奏楽会、その一分野であるのでこれも実に華やかなものなのだろう。あの管楽器専門誌パイパーズですら『日本の、音楽がもっとも盛んな世界』として一人の公務員、教師を取材して数ページ割く連載の開始を知ってから、きっとそうなのだろうと思い始めた。
冒頭だけでかなりの辛い言葉を並べたが、これからはさらに生意気な辛い言葉が綴られる。
不快感を覚えるなら見ないでほしい。私は皆さんに自分の意見を押しつけようとしているのではない。私の意見を目にし、耳にし、質問意見同意反論叱咤激励罵詈雑言なんでもいただけたら、と思っているのだ。頭ごなしに否定され、私の知らないところで批判される事が私一番辛い。
どうかよろしくお願い申し上げます。
分野の如何を問わず、コンテストというものは厳粛に行われるべきである。
会場がどれだけ祭騒ぎな雰囲気でも、いざ審査が始まれば審査員は審査に心血を注ぎ、聴衆は審査という催しの邪魔をしないことに限る。この『審査』は審査を受ける奏者が望んで受けるものである。奏者の贔屓や労いが奏者へのダメージになるのだ。
審査の最中の手拍子はモラルと奏者への愛情の欠如である。
『マーチングは音でなく動きを目で見て楽しむものである』というのなら楽器のいらないパフォーマンス、シンクロナイズドスイミングやミュージカル、チアーリーディング等を見ればよろしい。ただ、そういう考えを持つ人は何を見ようが最終的には某国のような人民マスゲームで楽しむのではないか、などと思う。
マーチングは音楽と動作による総合芸術である。
どちらかが欠ければ踊り手のいないバレエ、録音で済ませるオペラのような状態になる。
審査中のマナー違反がもはや慣習化していることに自分は懸念を抱く。あまつさえ奏者さえも拍手や手拍子を要求する昨今、コンテストの在り方を知らぬ人間の多さに恐怖を覚え、華やかだとかいう日本音楽界の分野の未来に絶望する。
『会場が一体化して音楽をつくっているのだ』という者もいる。
音楽活動は大いに結構。ならば違う日にあなたがただけであのだだっ広いホールを貸し切って客を呼びなさい。コンテストではなくコンサートでやるべきである。
コンテストで審査される演奏はそれまでたゆまぬ努力を積み重ねた奏者がやっとの思いで作り上げたものである。
それをコンテスト参加者登録名簿に乗っていない、それまでの地区予選を勝ち抜いたわけでも無い人が昨日の今日ならまだしもその場で思い付きで演奏することはしてはいけないのである。
拍手は演奏後には任意でやるものであるし、手拍子も否定しない。ウィーンフィルのラデツキーに文句を言う者はいない。
しかしてそれは奏者観客の両者が納得をしているのである。コンテストでは奏者観客、審査員がいる。審査員も納得するのなら異論も少なかろう。無論例えそうなったとしても許容されるべきでは無いが。
観客のマナーは主催側を責任を持つべきだ、という考えがある。昨今のクラシックブームでコンサートで曲を聴き始めた世論に対する古参の意見の一つである。
『新参者は締め出せ』
『席を別にしろ』という話が度々ホールに持ち掛けられるらしい。
だが観客のマナーは最終的にはその観客個人の責任である。
国家の法律と違い、世間のモラルというものに規則はあっても罰則はないのであり、その薄甘い裁定能力しかもたぬ主催には責任を押しつけてはいけない。
『二度の警告を無視しての迷惑行為は退場、のち30日以下の会館出入り禁止』などという規則でもあれば話は別だが、営利団体である以上不可能である。やはり個人のモラル向上が求められる。
主催が全て悪いと声を荒げる人には
『犯罪者が発生するのは全て国が悪いのですか』と言う事にしよう。それは話が違うのであまり長く話せない、割愛する。
また、全日本のコンテストでありながら、マーチングの基礎知識不足の人間の異常な多さにも考えるところがある。
マーチングという形態は、(割合分かりやすいように専門用語は省く)軍楽隊から派生し、元は戦地にて広範囲に戦意高揚の効果をあげるために移動しつつ演奏をして回ったことによる。なので移動しやすく、屋外で演奏が可能で、かつ音量な十分である管楽器が使用されたのである。
型式は一人の指揮者、ミドルクラスの数の楽隊、そして武器を持てぬ彼らを守るための護衛(人数はケースバイケース)であった。
自国内で演奏をする際は護衛を無くす、または武器を軍旗に持ち帰るなどして演奏された(現代に於いてガードが旗ではなく木型のライフルを持つ事はマーチングという演奏目的のスタイルが確立するころに生まれたものであり、古来の名残を継いでいるのである)
行軍に於ける曲は二拍子の行進曲、であるからして行進曲=march、動名詞化してmarchingなのである。
マーチングはよくドラム・コーと混同されがちであるが、あれはdrum&cor(金管楽器の総称)であり、元はフットボールの休憩時間のエンターテイメントであり、チアーリーディングとともに発達したとされる。強烈かつ軽快、派手なドラム主体の楽曲に、時には広いフィールドを利用してマスゲームチックなフォーメーションを取った。興行であるため、実にエキサイティングなものであるのだが、思うに今日のマーチングはこのスタイルとごちゃまぜになっているのではないだろうか。
ドラム・コーは行進はしない、吹奏楽器は金管楽器のみ、護衛の必要がない、エンターテイメントである。
マーチングは行進による、軍楽隊(吹奏楽隊)とほぼ同じ編成、護衛がおり、戦意高揚を目的としたオフィシャルな立場をとるものが基礎である。
この両者の違いを頭に入れて置くだけで、これから私が述べる問題点のどこがどういう問題で、如何なる改善が必要であるか、が自ずと分かるだろう。
(続く)

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