日本に初めて吹奏楽という形式が定まったのは十九世紀中頃、江戸末期になる。
軍楽隊のファンフーァレ、士気鼓舞のためのそれであるが、ちんどん屋や雅楽等の吹奏楽器とは線を画一していたことは言うまでもない。
音量の大きさ、移動の便利さから軍に取り入れられたものであるからして、まずは金管バンドとしての気色が強かったように考えられる。
更に金管楽器は音感を得、奏法の会得が容易なこともあり、学校音楽に組み込まれるようになったのである。
我が国初の公的機関は二十世紀中頃、つまり第二次世界大戦を経て幾年か経過した頃に生まれ、これは戦後学校教育の改変に押し流されることない吹奏楽の教育的意義が広く認知されていたに違いないと考える。
もっとも、戦中戦前にも軍楽隊及び既に文化の一足として設立された音楽学校(東京音樂學校)の存在は明らかであり、現代の名だたる日本人奏者はその出身であることは見逃せず、同時期に邦人による楽曲が作られていたことはまごうことない事実である。
現在の全日本吹奏楽コンクールも大戦以前に開始されたものであり、その頃にも現在のような学校音楽教育が為されていたことが伺える。
さて、本題である吹奏楽というジャンルについて、であるが、ここには個人的な意見、雑感を述べさせて頂きたい。
吹奏楽が現代の日本に於いて音楽の一大ジャンルとして築かれているのは古来の学校音楽教育が管楽器(あるいは打楽器も含む)のみであり、それが今でも変わらず為されていることに他ならない。
科目として位置付けられた音楽、特別活動として存在する音楽、どちらも古来の方法を取り入れ、変化はない。大弁を発すると、日本のオーケストラ未普及は学校音楽の成せる業である、と考えられるのだ。
考えてみて頂きたい。今までに学校教育の場に於いて、管楽器は手にしたことはあるだろうが(リコーダーも立派な古楽合奏楽器である)、弦楽器を手にしたことはあるだろうか。
君が代、あるいは校歌の弦楽(或いは管弦楽)伴奏を直接耳にしたことがあるだろうか。
学校教育に音楽という領分をとるのならば、時代の浅い吹奏楽のみならず管弦楽に目を向けるべきではなかろうか。
話は続く。吹奏楽というジャンルは元来軍楽であり、その発展として今のコンサート形式がある。
しかしていかな作曲家がその吹奏楽という形式を満遍なく使い切れているだろうか。
旋律楽器の向き不向き、和音の密集開離及び旋律法、主題を余すところなく生かしたオーケストレーション、各々の楽器の本来の役割と許容範囲、あまつさえ記譜並びに作曲主題それ自体。なんだこれは、という不満と、あぁ!惜しい!という悔やまれる気持ちがある曲のなんと多いことか。そしてその曲が吹奏楽の名曲とはやし立てられることに、吹奏楽の奏者聴衆は腹が立たないのか、もしくは気がつかないのか。
吹奏楽は発展途上の音楽である、という考えが拭い切れない。もっとも、それは歴史から見て明らかな、当たり前な話ではあるが。
管弦楽家からみた雑な主観的意見だと思われたくない。カミングアウトになるが、実は私はもともと吹奏楽の畑で育ち、伸ばされた人間である。
そのジャンルを学んだ人間の感想である。
また、私は吹奏楽による管弦楽曲編曲の演奏に異を唱える人間である。
吹奏楽には吹奏楽の領分があり、その中で充分と言いたくなりかけるオリジナル曲が多々存在する。にも関わらず無理な変曲と作曲家の意にそぐわない演奏を求める意思が私には理解出来ないのである。
吹奏楽も管弦楽も同じ音楽の仲間である。それぞれが互いを認知理解し、互いの励みになる時代、私はそれを待望む。

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