なんと「続き」の催促がありましたので(笑、少しばかり…
A51や3V8と、いわゆる「珍」とのQSOも重ねながら、DXCCはボツボツと増えていきました。開局した年、高校二年生の10月期に、「第二級」を受験し合格。夏にはアルバイトで貯めたお金でTS-520Vを購入。(実はそれまでは借り物の520X 時効ですね)
高校三年になると、必然的に受験勉強の為にQRT…。
する訳もなく、二学期の後半まではDXを追いかけていました。そんな中で、1S1DXのペディが行われ、これには苦労しました。外部VFOなんて持っていないので、BCL時代に使っていた、クーガ2200で受信してといった方法で、なんとかQSOできた。VK9ZRの時には、スプリットをVFOを手で廻して対応する始末。いや〜、苦労したもんです。
そうこうしているうちに、大学受験…。「ここだったらハイバンドは、特に面白そうだな…。RTVの記録に挑戦してみよう!」と思いつつ、門をくぐったのが
JR6YAH
そう、ここから私の人生に更に大きく影響を与えた「沖縄」での生活が始まった。
----無期限で 次回に続く----

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